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役者、撮影自主映画制作等の体験レポートとして始めたが、ドイツについてや個人の雑談が多いい。

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2009/11/18

ドイツで役者

サンフランシスコ。大学の卒業旅行以来だ。空港に着いた。アメリカは3年も
住んでいたにも関わらず、何故か未だに危険というイメージが抜けない。変な
地域に行かない限りそんな事はないのだが、どうもほんのわずか緊張する。イ
ンターネットで安く便利なホテルを予約してあるので、早速電車で市内に向か
う。チケットをキャッシュカードで買う。便利な世の中だ。現金もなく電車の
チケットが買えるのだ。モッサーホテルは市内のユニオンスクエアから徒歩3
分で良い地域にある。

便所とシャワーは共同だが、こざっぱりしている。1910年頃に建てられた
建物であり、ロビーなんかはかなり雰囲気がある。ほんのわずか横になってか
ら、カメラを持ち早速町を歩く事にした。そういえば空港のイミグレーション
で驚いたのはアジア系のスタッフの多いいこと。10人ぐらい並ぶ入国審査員
は一人の白人を除いて皆アジア系である。発つ前忙しく、時差もあってかなり
ボーとしていて、何回か入国審査書を間違えて記入し、イライラしたリーさん
は、指を机の上に叩く。「仕事?」「はい。」でなんとなく語学について「何
語話すの?」といった具合に話をしだすとやや彼のイライラが消えた。町を歩
くと早々チャイナタウンにたどりついた。店に老人が集まった茶屋があったり、
店番をしているほとんど店と一体化した老人がいたり、カメラのシャッターチ
ャンスがごろごろしているのだが、なかなか、見知らぬ人を撮影するには勇気
がいる。考えてみれば、今老人である彼らはこうして恐らくこのチャイナタウ
ンからほとんど離れずに一生をすごしているのかもしれない。こじんまりした
社会で。恐らくかれらの世代では社会が閉ざされていたのであろう。彼らの子
孫はアメリカ中、又はいま高度成長中の中国でキャリアを積んでいるのかもし
れない。しかし、人間世界中を飛び回っていても、彼らのようにどこか落ち着
く場所、或いは落ち着く交友の輪を持ち歩こうとする。この早い環境の中でフ
ェースブック等を利用し、維持しようとしているのかもしれない。

その後喫茶店に入り、仕事の準備をし、ミルクコヒーを飲み、とにかく眠気を
吹き飛ばそうとした。海岸沿いまで歩き、ジョギングしている人々を見つめる。
夜ご飯はショッピングセンターでマーボ豆腐をたべ、眠気と戦うが、寝てしま
った。早朝から目がカリリと開き、時間を待つ。ロビーにコーヒーとマッフィ
ンがおいてあり、立ち食いする。そして又フィッシャーマンズワーフに散歩。
サンホゼに住むエリック君と昼食に飲茶を食べた。彼はソニーの後、バークレ
ーで博士を取り、その後シリコンバレーの会社を2社経てきた。一社目が大き
くなり、部下が20人もいたが、今はまた小さなスタートアップでエンジニア
に戻り、設計をしているという。そういえば今年合ったチャックも似たような
経歴をたどっていたな。

さて月曜には電車でサン・マテオの先からバスに乗って西海岸のホテルに向か
う。バスは90分に一本しか出ていない。バスの運転手は「家に帰るのか?」
「いや、こっち始めてだよ。」と答えた。次の停留所で中国系アメリカ人がバ
スに乗り込んできた。もう爺さん、婆さんである。英語と中国語のチャンポン
を話している。内容はしかしどうも繰り返し同じような事を言っているようだ。
「エミーは中国語でもちゃんと話せるのよ。」二人の爺さんがもぞもぞと何か
中国語で話す。どうやらエミー婆さんをたてているらしい。エミー婆さんの英
語は流暢だが、なんとなく訛っている。彼らはとにかく25分ぐらい話続けて
いた。僕は今どこにいるのか不安になり、アフリカン・アメリカンのでかいオ
ッサン・ドライバーにホテルに行きたいので海岸沿いの最南端で下ろしてくれ
といった。「まだだいぶ歩くよ。」「ああ、いいんだ。歩くの好きだから。」
と言った。それから気がついたのだが、さっきまであんなに話していた爺さん、
婆さんがシーンとしていた。「?」と思ったが、何もない国道でバスが止まっ
たので、僕は降り、運転手に手を振った。草しか生えていない山、無限なる国
道を僕は一人とぼとぼと荷物を引いて歩いた。やや不安である。他になにもな
いのである。時々車が通り過ぎる。20分程歩くとポツンと店があった。一端
通り過ぎるが戻って、道を聞く事にした。店に入るとドンよりと暗い。壁には
ビールの缶がビッシリと飾ってあり、画面にはアメフトが流れている。人の気
配がない。待っているとアメリカどこにでもいるようなお兄ちゃんが出てきた。
道を聞く。どうやら方向はあっているらしい。時間は11時だが、バーガーは
もう食べれるという。やはりアメリカに来たならば、バーガーであろう。なす
べき事をもう一つやっつけるべきである。バーガーを食べながら先ほどの3人
の老人が気になった。なんと言っても大学時代の帰国子女を思い出したからだ。
ひょっとして彼らは僕が中国から始めて来た青二才と思い、彼らの多重文化的
能力を示したかったのか?それが以外にもバスの運転手とペラペラ話している
のでガッカリしたのか?良く分からないが、なんかそんな感じがする。二ヶ国
語で話すにはいくつかの理由があるように思う。まず単語が思いつかない。そ
して次は同類の感覚を強める。いわゆる「帰国子女同士。中国系同士。」そし
て最後になんとなく外部にそれを宣伝する。バーガーを食べながらなんとなく
一人で笑ってしまった。結構いい線行っているかもしれない。

間接的にしか関係ないが、ある日本人女性が台湾の彼氏の話をしていた時に
「何故か白人の彼氏を連れている子の方が得意そうなのよね。」と言った事を
思い出した。まあ得意になれる事はいい事だ。考えてみれば、僕も自分の得意
気分をこのニュースレターである程度満足させているのかもしれない。サンフ
ランシスコへ行ったぜ。ふふふ。かかかか。むはははは。やりすぎですね。今
年の前半は不況で仕事が入らず落ち込んでいたくせに。ちょっとした事で得意
になれた子供時代がうらやましい。

バーガー屋を離れ、再び歩き出し、10分ぐらい歩いていると、ホテルの運転
手が国道で止まった。「うちに来るんだよな?」良かった。「あるくから。」
「まだだいぶ距離があるから。本当にホテルの従業員だから。」と名詞を差し
出してきた。車に乗り込み、彼とさっき入ったバーガー屋の話をした。「あそ
こはうまいんだ。」と彼は笑った。

仕事が終わり帰りの便を待ちながら「ワイヤード」という雑誌を小脇にかかえ、
待っていると、長身の50代の人が話かけてきた。「ここはビジネスじゃない
よ。」と。「あーあでも今は不況だし。」とさしつかえのない話をする。シリ
コンバレーの話になり、何をしてきたかの話に移った。そして彼はビジネスク
ラスに最終的に消えた。つまりわざわざ僕と話をするために一緒に2等に並ん
だのである。会話の内容を考えると一種のヘッドハンティングというか、有望
なエンジニアを探していたのではないか。「ワイヤード」という雑誌はエンジ
ニアお宅に人気の雑誌である。まあ、名詞をもらわなかった所僕は没だったの
かもしれない。

ぶつぶつぶつ。得意な気分はどこに。。。 それに優秀なエンジニアに勘違い
されるのはいいが、老人達に西洋を全く知らないどこかの片田舎から出てきた
者と勘違いされたのもなんか納得がいかない次第である。悪魔でも予想である
が。。。
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