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人材育成は組織にとって命です。その命を育むためのヒントをこの場で、あらゆる角度から提案していきます。人間としての生き方を問う基本から、時事的で身近な問題まで、人材育成に関する全情報を取り上げます。

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2007/03/15

人材育成の110番-人材を人財に変身!

人材育成の110番 ― 人材を人財に変身!

株式会社 総合経営センター流人材育成の考え方

第82回「二宮尊徳に学ぶ」

●前回二宮尊徳について少しふれましたが、今回は今まで私が読んだ書物、人から聞
いたことなどをもとに自分なりに金次郎(尊徳)を振り返ってみようと思います。内
容には読み違い、聞き違いがあると思いますが、その点はご了承ください。

●金次郎は1787年に相模国足柄郡栢山村(現小田原市)に生まれました。祖父の代ま
では大地主でしたが、父のお人好しによって家が傾き始めました。その上に、近くを
流れる酒匂川の氾濫で田畑が大きな被害を受け極貧の状態になりました。

●金次郎12歳の時に父親が病に倒れ、貸したお金も取れないままに2年ほど寝ついた
後に死去。父親にさんざん世話になり「このご恩は忘れません」「ご恩は必ずお返し
します」という人間からまっさきに二宮家を見限って冷たく離れていく現実を、金次
郎は直視せねばならなかったと思われます。信じられるものは自分だけ、報われるも
のは自分だけという厳しさに遭遇したのです。

●父親の死後2年後、母方の祖父が亡くなりますが、母親と金次郎は喪服がなく座敷
へ上げてもらえませんでした。泣き崩れて母親はそれから僅か10日後に死去。ここで
も金次郎は冷酷な現実に向かわねばならなかったのでした。           
その後、また酒匂川が氾濫し田畑が冠水、貧のどん底へ突き落とされました。金次郎
16歳の時でした。彼は2人の弟と別れ、伯父の家に世話になります。

●金次郎は酒匂川の土手に立ち、「この川の氾濫をどうしたら防ぐことができるか」
と長い時間ずっと川面を見つめ、思考を重ねました。その経験が後年に花を開かせま
す。その思考力が彼に水防の知恵を授けました。後年幕府の命を受けて利根川の治水
について意見書を出すほどの知恵になったのです。

●伯父の家に世話になりながら野良仕事と自分なりの学問を両立させ、なくした田畑
を取り戻すことに成功しました。金次郎は大男の上に体力があり、人一倍働きました。
そして深夜には読書。たまたま目を醒ました伯父に灯油のムダ使いをとがめられると、
友人から菜種5勺を借りて土手の空き地に蒔き、7升の収穫を得ました。灯火を得る
ためのこの工夫が後年「積小為大」の思想として実を結びます。

●「積小為大」とは「およそ小を積んで大となすは、自然の道なり」。田植が終わり
捨てられた苗を拾って廃田の水溜りに植え、秋には米一俵の収穫にしたのも積小為大
の一例。

●金次郎は空いた時間を学問に当て、苗、荒地など打ち捨てられたものに手をかけて、
その命を生かしていくことに自分の使命のようなものを感じたものと思われます。兄
弟離散から4年後、20歳の時に田畑を取り戻し、生家での暮らしを始め、さらに4年
後、二宮家の再興をついに成就しました。その後も土地を買い戻し、30歳の時には立
派な大地主になりました。

●31歳のときに結婚。金次郎の働きが近隣に知れ、服部家の立て直しを依頼されます。
家計とは収支のバランスを取ることです。帳尻が合わなくなるから立て直しをせねば
なりません。立て直すには収入に見合った生活をすること。金次郎は着物は木綿、食
事は一汁一菜、薪を節約するために鍋底はきれいに磨いて火の通りをよくするという
細やかな倹約を求めました。

●金次郎は、武士の差別意識や奉公人たちの現状を望む不満や怒りとまず闘わなけれ
ばなりませんでした。どんな時代でも改革は人々の大変な抵抗に遭遇します。それを
乗り越えて始めて改革は成就します。金次郎は、服部家の再興に打ち込むあまり妻と
離婚、その間最初の子供を生後半年で亡くしています。

●服部家の改革が成果を上げていくと、その噂が小田原藩主大久保忠真の耳に届き、
藩内にある縁者の所有する村の再興を依頼されます。村は4千俵の収穫見込みに対し
て実収2千俵しかありません。村内の生活を半分に切り詰めることを条件に藩主の依
頼を承諾した金次郎は自分が所有する全田畑を売り払い、再婚した妻とともに村の陣
屋に移り住みます。

●武士と村民の抵抗にあい、村の再興は困難をきわめました。が、不退転の決意での
ぞむ金次郎の信念が、徐々に道を拓いて行きます。

●金次郎は勤勉な人を村人全員の投票によって選び、その人に収穫に必要な資金を無
利息で貸付ける「五常講」のシステム(現在の信用組合のはしり)を考え出したり、
荒地の収穫に年貢をかけない約束で開墾を積極的に進めたりしました。彼は貧困の中
に失われた村人の心の荒廃を開拓することこそ自分の使命だと考え、人々に希望を与
えるために心を砕いて行動をしたのです。

●村は再興され、小田藩の期待に応えた金次郎は、その晩年は幕府老中水野忠邦の命
を受け利根川治水事業、日光御神領の開墾事業を指導しました。その頃は幕府の御普
請役格に任じられておりました。

●尊徳の考え方をつまみ食いすると次の通りです。

●「一円観」:天地万物すべては一なるものから生じ、一円のもとに生かされている。

●「それ人道はたとえば水車の如し、その半分は水流に順ひ、半分は水流に逆ふて輸
廻す、丸々水中に入れば廻らずして流るべし、又、水を離るれば廻ることあるべから
ず、故に人道は中庸を尊む。水車の中庸は、宜しきほど水中に入って、半分は水に順
い、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり。人の道もその如く天地に順いて種
を蒔き天理に逆ふて草を取り、欲に従って家業を励み、欲を制して義務を思うべきな
り」。極貧の少年時代を乗り切って、すぐれたリーダーシップを発揮した先哲のこれ
ぞ常識です。常識とは判断力の基になる理です。そのためには勉強しなければいけま
せん。

●私の知り合いに小田原市栢山の善栄寺の子孫がいます。尊徳がお参りしていたお寺
です。知人の父の生家だそうです。尊徳の手紙も残っているとのこと。近々お会いし、
お寺のお話しをお聞きしたいと思っています。

        
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              株式会社総合経営センター
              代表取締役社長 加藤 靖慶 
              (中 小 企 業 診 断 士)
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