ダメダメ家庭の目次録  RSSを登録する

長崎や新潟等最近ニュースで必ず登場するダメダメ家庭の出身者。ここでは、そのようなダメダメ家庭で繰り広げられる具体的な親の言葉や行動を列挙いたします。分からない事件も過去の積み重ねですからね。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2009/06/29

メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」

★ メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録

========================================================
┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓
 ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛
 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る
 ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を
 リストアップいたします。
 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の
 OBやOGはどのような環境で育ったのか?
 皆様にも、御理解いただけると思います。
=========================================================

★ カテゴリー:「入れ込み」「入れ込まれ」問題

★ 今回のお題:作品に入れ込む


ダメダメ家庭の人間は、「人に入れ込む」ことが多い・・・このことは以前に配信
しております。
「あの○○のことを、わかってあげられるのは、このワタシだけ!」
唯一の理解者といった感じで、自分を認識することになる。

ここで、上記の文章をより正確に記述すると、
「あの○○の『苦しみ』を、わかってあげられるのは、ワタシだけ。」
となります。

入れ込みとは、入れ込む対象の『美点』を認識しているというよりも、入れ込み
先の人間が陥っている疎外感・・・そのような『マイナス面』への反応になって
いるわけ。
疎外感に陥っている人物に対して、「一般の皆は、アナタの苦しみを分かってあげ
られないでしょうけど、このワタシなら分かってあげられるわ!」
そんな感情を抱いている。

逆に言うと、その入れ込む対象の人間が、苦悩していなかったり、社会から疎外
されていなかったら、入れ込みようがない。
入れ込みとは、自分自身の苦悩や疎外感を、入れ込み先に投影している状態なん
ですね。
本来なら、自分自身の苦悩や疎外感をしっかり見つめ、それを自分で解決するな
り、あるいは作品にでも残せばいいだけ。

しかし、抑圧的で自己逃避のダメダメ人間は、自分自身の問題を他者に投影して、
いわばその投影した自分の映像に入れ込むことになる。
入れ込みとは、いびつな自己愛にすぎないわけ。
自己愛だからこそ、他者とは共有できないのは当然のこと。

「わたしだけがアナタのことをわかってあげられる。」の「だけ」という部分にお
いて、ある種のアイデンティティにつながっているわけです。
この「わたしだけがアナタのことをわかってあげられる。」という言葉は、以前に
集中的に取り上げましたバルザックの小説「谷間のゆり」にも登場いたします。
もうこの言葉が出るようになったら、「入れ込み」「入れ込まれ」も、重症。どっ
ちかが死なない限り収まりはつきませんよ。
あるいは、ダメダメな親が、子供に向かって「親であるワタシだけが、オマエの
ことを分かっているんだ!」なんて言葉も、いわば入れ込み状況におけるお約束
のようなもの。こうなると、親子間で刃傷沙汰になったり、子供の側がなんとか
親の呪縛から逃れようと、外の世界とやり取りして、その場で入れ込んだり、ト
ラブルになったりするもの。こうなると、やっぱり、血くらいは見ることになる
でしょうね。

「わたしだけがアナタのことをわかってあげられる。」と豪語するダメダメ人間が、
誰か他者を「わかってあげられる」のは、いいとして、じゃあ、その人自身は、
いったいどんな人なの?

自分は、こんな経験をしてきて、こんなことを考えていて、こんな目標があって、
こんな洞察力があって・・・そして「アナタのことをわかっている。」のなら、ま
あ、わかりますよ。
しかし、現実はそんなものではないでしょ?

「わかってあげられる」と豪語する人は、自分自身については、わかっていない
もの。
まあ、自分に対する認識としては、ダメダメのお約束と言える、「ワタシはかわい
そうな被害者なのよ!」そんなもの。
まあ、そして「アナタも、ワタシと同じようにかわいそうな被害者なのね!」
そんな意識があるわけ。まさに自分自身を相手に投影している状態。

被害者なのはいいとして、目標くらいは持てるでしょ?しかし、自分自身を見つ
めることが怖いので、他者だけに目が向いてしまい、「自分が役に立ちそうな人間」
を探すわけ。
典型的な共依存状態になるわけ。

相手から依存させている関係性に、依存しているので、相手が自立するのが怖い。
だから、ボランティアの連中などは、「アナタは悪くないのよ!」などと甘言を弄
し、対象とする人の自立する意欲を排除するように行動するわけですし、ダメダ
メな親も、子供にすがりついてしまう。

そして、ダメダメ家庭の人間は、自分で考えることをしない。
「わかってあげられる」という人は、相手のこともわかっていないし、自分自身
もわかっていない状態。そんな人が、「ワタシだけがわかってあげられる。」なん
て言うのは、まさにシュールなギャグですよ。しかし、そんな異世界に生きてし
まっているので、その認識を自覚したり修正することは出来なくなってしまう。

そんな状況において、自分のアタマの中の世界と、目の前の現実のとのギャップ
を感じたら、どんな行動をするの?そうなると「ワタシだけが」の「だけ」があ
るので、より厄介。
自分以外は、その人の事を「わかっていない」と認定しているので、「この人には
自分じゃなきゃダメだ。」と認定してしまっている。別の人間が、その人をサポー
トするのが許せない。だから、別の人間からのサポートを排除しようとするわけ。

まあ、こうなると、よくニュースでやっていたりする事件になってしまうわけ。
ストーカーなんて、まさにその典型。何回も書いていますが、ストーカーは、「相
手にはワタシが必要なんだ!」「ワタシが何とかしてあげないと!!」という『確
信的な善意』を持っているわけ。善意だから、妥協もなしに突き進む。

この「ワタシだけがアナタのことをわかってあげられる」なんて言葉が出た時点
で、早めに逃げないととんでもないことになったりするもの。
大人同士だったら、逃げることも可能ですが、親が子供に言ったりする場合はど
うしようもない。まあ、そんな家庭環境だったら、子供はマトモには育ちません
よ。

そんな環境で育った子供が、長じて、「この人と自分はよく似ているなぁ・・・」
なんて人と出会ったら、どんなことを言い出すのか?
言うまでもないことでしょ?

さて、このように、ダメダメ家庭の人間は、入れ込みのような症状を起こしやす
い。
一般には、入れ込みの対象は、人物になるわけですが、それが芸術作品になった
りするケースもあります。特定の作品に異常に入れ込んでしまうわけ。あるいは、
その中間となると、芸能人なり芸術家となります。
「この作品を理解できるのは、オレだけだ!」「この芸能人をわかってあげられる
のは、ワタシだけ!」なんて状態。それこそ、日本の作家である太宰治の作品な
んて、ダメダメ人間から、その栄誉を受けたりしているんじゃなかったのかな?

特定の作品を大変に気に入るのは、受け手の自由でしょう。
だったら、その「よさ」を、できるかぎり客観的に説明できるようになるのが、
次の段階なのでは?
「オレが気に入っているこの作品のよさは、これこれで・・・」と、丁寧に説明
されたら、その説明に合意するしないは別として、「まあ、この作品は、いいもの
なんだろうなぁ・・・」、「ふーん・・・その作品は、そんな特徴があるんだねぇ・・・」
と思うでしょ?

しかし、入れ込みに近い心理状態だったら、客観的で丁寧な説明にはならない。
入れ込み状態に近い人は、反対意見に対する過剰な反応という形で、そのよさを
主張することになる。反対意見に対して、極端な反論をするわけ。いわば二重否
定状態。

「この作品のよさをわからないのか!ケシカラン!」
そんなパターン。

まあ、その手の入れ込み対象に選ばれるのは、やっぱりダメダメの雰囲気を持っ
ているもの。そして、ちょっとマイナーな作品。レヴェル的には、どことなく手
が届くようなレヴェル。

以前に、マンガというかアニメにもなっている「じゃりんこチエ」という作品に
入れ込んでいる方より、お便りを頂戴したことがありますが、まあ、まさに「じ
ゃりんこチエ」は、ダメダメに入れ込まれやすい作品と言えるでしょうね。逆に
言うと、アニメ作品「となりのトトロ」や「サザエさん」に入れ込んでいる人な
んて聞いたことがない。好きな人は多いでしょうが、逆に言うと、それゆえに、
入れ込まれの対象としては不適。

その作品を気に入るのは、その人の勝手。
ただ、それを説明するには、ある種の客観的なスタイルの説明が必要になるとい
うだけです。
「自分と同じ苦悩を、この作品に見出した!」というなら、それはそれでいいわ
けですが、じゃあ、その作品に描かれた当人の苦悩はどんなものなのか?それを
説明できないとね。
優れた作品というものは、自分自身を見つめるために有効な示唆を提供している
もの。
入れ込んでしまうと、作品の中で描かれている自分自身の問題が見えなくなって
しまうものなんですよ。

自分が見えなくなっている状態のまま、特定の作品に熱を上げるから、周囲の人
間にしてみれば、「腫れ物」状態になってしまう。その作品について、ちょっとで
も否定的な見解を言おうとするものなら、逆上されてしまう。
本来なら、自分が気に入っている作品が他者に受け入れられなくても「アイツは
鈍感だから・・・このよさがわからないのさ!」で、鼻の先で笑って済む話でし
ょ?
しかし、作品に自分自身を投影しているわけだから、作品が受け入れられないと、
自分自身が受け入れられないように感じてしまう。

自分自身から逃避しているダメダメ人間は、普段から周囲に対して「どうして、
ミンナはワタシのことをわかってくれないの?」などとグチったりするもの。
しかし、そんな嘆きを聞かされても、「わかっても、何も・・・アンタの何をわか
ればいいのさ?」と思ってしまうもの。わかってほしいのなら、「何をわかってほ
しいのか?」まずは明確にする必要があるでしょ?それを自覚できたら、後は、
相手のキャラクターを踏まえ、相手にわかりやすいように説明すればいいだけ。

しかし、抑圧的な人間は、「何をわかってほしいのか?」という問題から逃避して、
「ワタシをわかって!わかって!」と感情的に周囲に要求するばかり。

そもそも、ダメダメ人間は、自分をかわいそうな被害者としてしか説明できない。
だから、やり取りをしている人が、その「かわいそさ」に反応してくれないと困
ってしまう。逆に、作品に接する際にも、「自分のかわいそさ」に反応し、フィッ
トする表現を求め、その面に入れ込むことになるわけ。だから作品の受け止め方
が、甘くなってしまう。

それこそバルザックの「谷間のゆり」においても、深く考えもせずに、「すばらし
い恋愛小説だ!」などと言い出し、主人公の報われない恋に共感するだけの人も
多いもの。このような読者の状況はトルストイの「アンナ・カレーニナ」でもま
ったく同じ
そうして、作品に接しながら「ああ!ワタシたちって、何てかわいそうなんだ?!」
と「心もうれしく苦しむ」ことになる。
しかし、そんな接し方は、作者が望んでいたことなの?
バルザックの「谷間のゆり」においても、トルストイの「アンナ・カレーニナ」
においても、本来は読者に厳しい作品。
しかし、ダメダメ人間は、甘い読み方しかしないもの。
・・・まあ、そんなことは、このメールマガジンの書き手の私は、よ〜くわかっ
ていますよ。

入れ込みは、依存関係の一種であり、別の言い方をすると、LIKEではなく、NEED
に近い。だから離れることができない。それがわかっているから、自分にも対象
にも甘くなる。
LIKEであれば、逆に言うと、その作品は、なくなってもいいわけ。だって、言っ
ていることがわかってしまえば、もう、その段階で不必要になるもの。アタマの
中に入ってしまえばいいだけ。
「この作者は、このような状況から、このようなものを見て、そんな問題意識を
持って、こんな視点からこの作品を作ったのだな・・・」それがわかればそれで
オシマイでしょ?しかし、入れ込んだ場合には、離れた距離から参考にすること
ができないわけ。

作品への入れ込みは、作品の理解にはならない。
作品を作る人は、そんな感じでは入れ込みはしないもの。自分自身の価値を他者
に依存していたら、客観性を持った作品は作れませんよ。作品を作る人の思考な
り、創造的な発想は、入れ込む人の思考からは遠いわけ。他者の作品に深く共感
することはあっても、どこか醒めた視点も共存しているわけ。深く共感している
自分自身を眺める、ちょっと醒めた別の自分自身がいると言った感じでしょう
か?まあ、作品を作る人は、まさに一人でサクサク突っ走ってしまうもの。
まさに映画「マイ・フェア・レイディ」でのセリフのように、「アンタは突っ走る
モーターバスよ。周りの人なんかお構いなし!」なんて言われてしまうことにな
る。
きっと原作者のバーナード・ショーもそのように、人から怒られたんでしょうね。
ああ、目に浮かぶなぁ・・・
ただ、周りの人なんかお構いなしなんだから、逆に言うと、ストーカーとかクレ
ーマーになることはないわけ。

特定の作品を気に入るのは、結構なことですが、自分自身を見つめられない人は、
本当の理解からは遠いわけですし、作者が読者に期待していることは、自分自身
を見つめるきっかけになればそれでいい・・・くらいのことが多いもの。
逆に言うと、それが実に難しいことがわかっている人が、作品を作っている・・・
そうとも言えるんですが。

(終了)
***************************************************
メールマガジンの解除は
まぐまぐ&カプライトは下記のアドレスに
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/register/touroku.htm
各マガジン指定のフォームがあります。
購読解除しても発信者にはわかりませんので、安心して解除してください。
一応、各マガジンのサイトでの解除を御希望の方は
まぐまぐ でのマガジンIDは「0000117943」です。
カプライトでのマガジンIDは「14204」です。
コピー&ペーストすれば、
それぞれのマガジン発行元の解除画面に行くことができます。
また、バックナンバーは下記のページです。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/index.html

ご意見等がございましたら、ご遠慮なくどうぞ!
メールアドレスは
portadelparadiso@hotmail.co.jpまで・・・
***************************************************
発信後記

本文中にも書きましたが、芸術的な作品は、「様々な状況において、登場人物がど
のように認識し、どのように考え、どのように行動したのか?」そんな点に注意
して、作品にしているもの。だから、最後の結果などは、どうでもよかったりす
るもの。
ポーランド映画の「愛に関する短いフィルム」という作品は、テレビ版と映画版
ではラストが違っていますが、ラストは違っていても、それゆえに、「結果ではな
く、それまでの認識なり思考の積み重ねが重要なんだ!」といいたいわけ。

極端な話になりますが、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」において、
最後にハッピーエンドになってもいいわけ。重要なのはそれまでの判断なり行動。
その最終結果として、結果的に上手く行くのも、バッドエンドになるのも、偶然
の要因もありますよ。

しかし、作品に入れ込んでしまうと、そんな読みはできないもの。
それこそ、「最後の結末が、オレの希望と違っていてケシカラン!!」となったり
するもの。
そんな人は、その作品を、何もわかっていないものなんですね。


<ご連絡>
メールマガジン発行元の「マグマグ」が7月1日〜3日の間、システムリフォーム
のため停止いたします。それに伴って、今週は月曜日だけの配信といたします。
次回は、7月6日の月曜日の予定です。


最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る