2009/10/26
メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」
★ メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録 ======================================================== ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓ ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛ 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を リストアップいたします。 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の OBやOGはどのような環境で育ったのか? 皆様にも、御理解いただけると思います。 ========================================================= ★ カテゴリー:ダメダメ家庭の雰囲気 ★ 今回のお題:言わせない雰囲気 よくこんな物言いがあったりしますよね? 「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言え!」 この物言いはもっともなこと。 当人が他者に対して希望があるのなら、それを言葉にして、直接的に相手に伝え ないとね。 陰でブチブチと言ってもしょうがない。 ちゃんと明確な形で相手に伝えることが必要でしょ? このようなことは、以前に、日本で首相をされておられました麻生さんが総理に なる以前に言っていました。 インタビュー番組で、「ブチブチと文句を言っている彼らは、どうして、明確に言 わないんだろう?」そんな疑問をインタビュアー相手にしていました。そしてイ ンタビュアーも、「そうですよねぇ・・・」と相槌。 「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言う。」のは、論理的にも当然のことです し、現実的にも必要なこと。 しかし、ことは単純ではない。 ダメダメ家庭は被害者意識が強い・・・このことは、このメールマガジンで明確 に言っています。被害者意識が強いので、それこそ子育てだって親である自分が こうむった被害と認識している。そしてダメダメな親は「自分こそが一番かわい そうな人間なんだ!」と確信しているわけ。 自分こそが一番かわいそうと思っているので、自分よりも恵まれている人間の意 向など、聞く気もない。当然のこととして、子供の意向などにも関心がないわけ。 ダメダメな親が子供に持つのは「コイツのせいで・・・ワタシはこんな目に・・・」 という犯人認定の心理だけ。 しかし、子供だって、子供なりの意向を持っているのは当然。 じゃあ、「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言う。」という日本国認定の原則? にしたがって、親に対して、自分の意向を伝えたらどうなるの? こうなると、ダメダメな親は立腹することになる。 そもそも、子供は親である自分より恵まれている存在であると確信しているんだ から、そんな「自分よりも恵まれている」存在の意向を、「一番かわいそうな」自 分がサポートする義務はないじゃないの?そして「また、面倒を持ってきて・・・」 「コイツのせいで、面倒な目に・・・」と子供に対し怒り出し、結局は「いった い誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と逆ギレするだけ。 まあ、首相となった麻生さんに直接文句を言ったら、どうなったのか?やっぱり 逆ギレしたでしょ?ダメダメというよりも単なる無能の麻生さんでもその調子な んだから、ダメダメ家庭では子供は親に文句なんて言えませんよ。北朝鮮の民衆 に対して「言いたいことがあるのなら、将軍様に対してちゃんと言え!」と要求 することは、人道的に外れているでしょ? ダメダメ家庭の子供に対しても、そんな要求は現実的ではないんですね。 つまり、子供としてみれば、自分の意向を親に伝えると、面倒な事態になるだけ なんですね。このようなことは、困りごとを相談しても同じこと。 「自分こそが一番かわいそう」だと思っている親に対して、子供の困りごとを伝 えても、「そんなことで、何を困っているんだ?ワタシなんかもっとかわいそうな んだぞ!」とイヤミを言われるだけ。 つまり「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言う。」という一般的な原則はとも かくとして、ダメダメ家庭においては、「言ってしまった段階」で面倒なことにな るだけ。 ということで、子供も親に対して何も言わなくなってしまう。 意向を伝えても面倒になるだけなので、そんな子供は、意向そのものを持たなく なるわけ。 ダンテが言うように「この門より入るもの、希望を捨てよ!」になってしまう。 このようなことは、以前にも、このメールマガジンで色々なスタイルで書いてお ります。 マトモ家庭においては「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言う。」原則が成立 しているわけですが、ダメダメ家庭においては成立してない。 そして、世の中でトラブルを起こすのは、ダメダメ家庭出身者でしょ? つまりトラブルが発生している領域では、「言いたいことがあっても、言えない。」 という常識の中で育ってきた人たちが主流なんですね。だからこそトラブルを考 える際には、「言っていること」「していること」から考えるのではなく、「言おう としないこと」「しようとしないこと」を考える必要があるわけです。 そんな人たちも、自分の意向や希望は言えなくても、自分の被害は言えたりする わけ。それこそ、まさにその人の親がそうであったように。 当事者意識がないダメダメ家庭においては、「達成したいもの」がない。だからお 互いの意向を伝え合うことはない。しかし、被害者意識が強いので、被害は認識 しているわけ。だからお互いの被害を主張しあうことになる。 「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」 「オマエよりも、ワタシの方がもっとかわいそうなんだ!」 そんな被害の主張が飛び交っている。 そして、「どっちの被害が大きいのか?」競争しているわけ。 そしてより被害が大きい方がランクが高く、一番「かわいそう」とされた人間が、 一番序列が高いわけ。 つまり、ダメダメ家庭においては、「言いたいことがあるのなら、相手にわかりや すく言う。」のではなく、「被害を受けたら、声高に主張する。」という状態になっ ているわけです。 そんな状態の中で育ってきた人が、まさにクレーマーになったり、市民運動の活 動家になったりするのは当然でしょ? 一般論ばかりだとわかりにくいので、子供の意向を言わせないパターンの実例を あげてみましょう。 たとえば、以前より言及することがある歯並びの問題ですが、ダメダメ家庭では、 子供から「歯並びを矯正したい!」と言えない雰囲気。だってダメダメな親は常 日頃からこんなグチばかり。 「ウチはそんな贅沢をする余裕はないんだ!」 子供としては、これでは、とてもじゃないけど、自分の歯並びの矯正なんて頼め ないでしょ?しかし、そんなダメダメな親は「贅沢をする余裕」はなくても、子 作りはするわけ。 いわば、道具として子供をみているわけ。 以前に起こった岡山駅での突き落とし事件でも、あの加害者の青年の親は、自分 の子供に自分の意向を言わせない雰囲気だったでしょ? だから子供の希望なん て何も知らない親だったでしょ? あるいは、未成年の女の子が妊娠して、嬰児を殺害してしまう事件がありますが、 そんな女の子の家庭は、まさに意向や困りごとを「言わせない」家庭でしょ? だ から娘の妊娠なんて何も知らない親だったりするでしょ? そんな親は、やたら下を見せたがるもの。自分たちよりみじめな存在を、子供に 見せて安心させたがるわけ。それについては、以前に「下には下がある」という お題で配信しております。「こんなに下があるんだから、オマエは幸福なんだ!」 「幸福なんだからワタシに問題を持ち込むな!」そう言いたいわけ。それこそ、「中 国の歴史教科書」なんて、下の記述ばかり。 あるいは、わざわざ病院などで不幸な人をみせたりする。それこそ以前にも言及 いたしましたが、わざわざ原爆ドームのような不幸満載の施設に連れて行ったり する。あるいは、ダメダメな親は、「オマエは親に殺されなくて幸せモノだなぁ・・・」 と、殺さないことへの感謝を子供に要求する始末。「殺されないだけ感謝しろ!」 と主張する親に対して、何か頼み事なんてできるの?ヘタに頼み事をしたら、親 に殺されちゃいますよ。 そんな雰囲気の中で、自分より下を見て安心する習性がつくので、長じた後には ボランティアをするようになる。あるいは、インターネットの掲示板にたむろし て誰かを揶揄して「イタイ」と書き込んで大喜び。自分より下の存在を見ないと 禁断症状が起こってしまう。 それこそ、そんな人が親になったら、ボランティア活動などで仕入れた新鮮な不 幸ネタを、子供に対して語ることになる。そんな不幸話ばかり聞かされたら、子 供だって要望は言えないでしょ? そんな人間は、ご立派なご高説が大好き。 「人間は生きているだけで価値があるんだ!」なんて言葉は、この手の「言わせ ない」親がよく言うセリフです。ただ生きていれば、それでOKなんだから、そ れ以上は何もする必要はないということでしょ?「余計なことをして面倒をかけ るな!」ダメダメな親としては、そう言いたいわけ。これでは、歯並びの矯正ど ころか「余計な頼み事」なんて持ちかけられませんよ。 そんな人は現実を見せられると逆上してしまう。それこそトルストイ描く「アン ナ・カレーニナ」のように、「私はそんなものは見たくない!」なんて、すぐに逆 上する。何かを聞かされて、スグに逆上する姿を見ているんだから、周囲として も、そんな人には怖くて何も言えませんよ。 「ワタシは見たくない!」なんて逆上する姿は、それこそアンナ・カレーニナの ご主人のアレクセイも同じ。陳情者が泣き出すと逆上するというキャラ設定でし た。いわば困った姿を見たくないわけ。自分が見たくないのであって、将来は、 その陳情者が困ることになっても、あるいは、別のところで困るのなら、それで いい。「ワタシの前で、困っている姿を見せるな!」と命令しているだけ。 そんな人は、内心では、「ほんとうは・・・ワタシの方がもっとかわいそうなのに・・・」 と思っているわけ。見たくない、知りたくない、考えたくないと思っているので、 不都合な現実を見せられると、「ああ!もう放っておいてくれ!」「ああ!鬱陶し い!」と逆ギレするだけ。 当然のこととして、子供に対して「ワタシの前では笑顔でいろ!」と命令する。 そうして、「作らせた」笑顔に囲まれて「ウチはふつうの家庭だ!」と豪語するこ とになる。 そうして、周囲にアドヴァイスしたり、ボランティア活動をしたりする。 ボランティア活動をして、困っている人のところに出かけ、「恵んでやって」とり あえず笑顔を作らせ、「ああ、ワタシってなんていい人なの!」と自画自賛。しか し、簡単に笑顔を作らせることができない深刻な状況だったら、さっさとトンズ ラ。 そんな人は、事態を解決するのではなく、とりあえずの終結があるだけ。心の一 時的な平衡であって、安定ではない。ただ、とりあえず自分が考えなくてもいい 状態を獲得する・・・それがダメダメ人間の終結。だから現実的には何も解決し てない。そんな人は、誰かを犯人認定して終了してしまうもの。だからつるし上 げが好き。「あの○○のせいで・・・」で自分を納得させオシマイにしてしまう。 そんな人は、困りごとを言わせないための、物言いを駆使するもの。 それこそ、「アナタの信じているぞ!」なんて、ご立派な言葉を使って、子供の問 題から逃避する。 信じているのはともかく、じゃあ、どのような根拠で信じているの?何を信じて いるの? そんな「形だけの」「一方的な」メッセージは、「ワタシに相談するな!」という 無言のメッセージなんですね。だから、後になって、「裏切られた!」と大騒ぎす るものでしょ? 本当に信じているのなら、黙って信じていればいいだけ。「信じているぞ!」と言 うよりも、「困りごとがあったら、いつでも言いなさい!」というのがスジでしょ? しかし、本音では困りごとを持ちかけてほしくはないわけ。 信頼というものは、情報および思考に基づいている。 しかし、「信じているぞ!」という宣言は、情報も思考も判断もないでしょ? むしろ、情報を見たくない、思考がイヤという自己逃避で現実逃避の発想。いわ ば判断逃避のための決めつけの宣言なんですね。逆説的な言い方になりますが、 「信頼」というのが理解できないからこそ、「オマエを信じているぞ!」という言 い回しを使うわけ。 あるいは、言わせない物言いとしては、「言わなくてもわかる」なんて物言いもポ ピュラーですよね? 「言わなくてもわかる」はいいとして、「どんなことを、言わなくてもわかってい るの?」。目的語が重要でしょ?それを明確に説明できない人に限って、この「言 わなくてもわかる」なんてありがたい物言いを使ったりするものでしょ? 「言わなくてもわかる」わけだから、言わせない大義名分となり、会話から解放 されるわけ。要は聞きたくないわけです。 親としては、子供から問題を持ち込まれたくないだけ。子供の問題を見たくない だけ。 以前にも言及いたしましたがソクラテスに「重要なことは生きることではなく、 よく生きることだ!」という言葉がありますが、本来は、「重要なのは、ただ親に なることではなく、よい親になることだ!」じゃないの?結果はともかく、その 努力はしないとね。 しかし、まさにダメダメな親は「産んでやったことを感謝しろ!」「殺さないこと を感謝しろ!」「親がいるだけでもありがたいと思え!」と子供に命令するだけ。 よい親になるつもりはさらさらないわけ。親であればそれでオシマイと確信して いる。よい親になるつもりがないだけでなく、何回も書きますが親になった被害 を考え続けている。だからグチばかり。 それこそ、 「あ~あ、もうイヤになっちゃう!」 「生きていても何もいいこともないわ!」 「もうっ!死んじゃいたいわ!」 なんてグチが飛び交っている。ダメダメ家庭の食卓では、そのような「楽しい?」 発言が展開されているわけです。 勿論マトモ家庭だって多少のグチはあるでしょう。しかし、ダメダメ家庭はグチ しかない。 それにマトモ家庭のグチで「死んじゃいたい!」というのはないでしょう? 親からの「死んじゃいたい!」というグチを聞かされた子供はどう思うの? 少しでもマトモな部分が残っている家庭だったら、「お母さん、元気を出して!私 たちも手伝うから・・・」と、言ったところでしょうか? まあ、ダメダメ家庭では、そのような会話にはならないわけです。だって、日頃 から「死んじゃいたい!」なんて言っているような家庭なんて、修復不能なダメ ダメ家庭なんですからね。 ですから「死んじゃいたい!」という親からのグチを聞かされた子供が思うこと は、 「この人も、やっと死ぬのか・・・そうか・・・これでボクもラクになるなぁ・・・」 「しかし・・・どうやって死ぬんだろう?首でもくくるのかな?葬式はどうしよ うかな?」 「これからは家事がちょっと大変なんだろうけど、まあいいっか・・・どうせ今 までだっていい加減だったんだし・・・」 と、次のステップに思いをはせることになるわけです。 それこそ、 「本人が死にたいって言っているわけだし・・・」 「家族も大喜びだし・・・」 「社会にとっても、いいこと。」 と、子供も判断している。本人+家族+社会と3者がすべてハッピーとなる。 だから、「死んじゃいたい。」と聞かされると「どうぞ!どうぞ!ご自由に・・・」 と回答することになる。まあ、本当に楽しい食卓風景だなぁ・・・ 実際に困ることなんて何もないわけ。 しかし、問題がひとつあるわけです。 それは「死んじゃいたい。」と言っている親が死んでくれないこと。 子供の方は、それこそ「ご自由に・・・」と大賛成しているのに・・・ せっかく得られた家族からの賛成を逆に否定して、 「ワタシが生きていないと、オマエたちは困るだろう?」 「親がいないと世間体も悪いぞ!」 「ワタシが生きていることを感謝しろ!」 と、恩を着せたりする。 「生きるのが辛い」状態なのにもかかわらず、ワタシは生きてやっているんだか ら、子供としては、親であるワタシに感謝するのが当然だ!老後もちゃんと面倒 を見るんだぞ! という論理になっているわけ。 まあ、日頃からグチばかり展開していれば、家庭だってメチャクチャでしょう。 そりゃ、ますます「生きるのがイヤ」になりますよね?そうやって自分自身の首 を絞めておきながら、最後には「まあっ、いいか・・・」と緩めてしまうわけ。 結果的に首が絞まっていくのは子供の方なんですね。 まさに、困りごとを相談できず、ドッカーンとなってしまうわけ。 そうして、ダメダメな親は「どうしてこんなことに!」「どうして、ワタシたちは、 いつもうまくいかないの?!」と絶叫するだけ。 そんなシーンは、頻繁に報道されているでしょ? トラブルを見ないという対処しかできないがゆえに、トラブルが蓄積され、大爆 発するわけ。 本質的な解決のためには、ちゃんと見て、考えることが必要でしょ? たとえば、天然痘の撲滅のためには、みんながワクチンを接種する必要がありま した。ちゃんと認識することが最初に必要になるわけ。 しかし、ダメダメな人は考えないこと、忘れることしか対処の方法がない。だか ら忘却力がついてくる。実質的には何も解決しないから、ますます見ないように なる。 課題や問題点を見せようとする人がいると、猛然と反抗する。普段から思考を抑 圧しているので、逆上時にその抑圧が爆発する。だからこそ、そんな人に対して は、ますます何も言えなくなる。 そんな人は、言われてしまうと困ってしまうので、「語る資格」にこだわることに なる。 それこそ、大学で世界情勢を勉強していないと、現在の世界情勢について語る資 格はないとか、世界中を旅行していないと、この○○という映画について語る資 格はないとか、スタンダールの権威でないと、「赤と黒」を翻訳してはいけないと か、オマエにはこんなメールマガジンを発行する資格はないとか、日本人は韓国 の問題を語る資格はないとかで、いわば議論の発生段階で抑えようとするわけ。 本来なら、出された見解が気に入らないのなら、それ以上の的確な見解を自分で 出せばいいし、トンチンカンが意見が出てきたら、失笑すれば済むだけ。 しかし、自分で考えることから逃避する人間にしてみれば、発生段階で抑えない と怖いわけ。それこそ「こんにゃくゼリー」を買わないという判断すらできない 人間なんだから、発生段階での排除を志向するのも当然といえば当然。考えたく ない、選択したくないがゆえに、選択肢が増えるのはイヤだし、恐怖ですらある。 結局は、自分に都合が悪いものを見たくないだけなんですね。何も言わせたくな いわけ。 そして、いったん言われてしまったら、権威主義的に評価する。 それこそ、子供の問題だったら、児童心理学とかの権威付けで評価するわけ。し かし、目の前にいる自分の子供の話はまったく聞こうとしない。 結局、子供が問題を起こして、その解決法を、やっぱり権威に求める。しかし、 やっぱり子供の話は聞かない。そんな流れは、長崎県でいつもやっていることで しょ? そんな人は、子供の話を聞かないための、文章を求め、子供の問題を見ないため の、文章を求め、子供が、自分の気持ちを言わせないための、文章を求めるもの。 かといって、「自分で考える必要がある。」と思わない人に読解力があるわけがな い。結局は、自分勝手に文章を読んで「ああ!ワタシたちって、やっぱりかわい そうなのね!この人もそう言っているわ!」と勝手に喜んでいるだけ。 自分で判断することから逃避している人は、たとえばメールマガジンの内容につ いての判断も購読者数などを参考にすることになります。私の経験上になります が、購読者数に言及する人は、後になって必ず逆上するものなんですよ。それだ け、自分で判断するのが怖いんでしょうね。文章自体から判断することを抑圧し ているんでしょう。私としては、やり取りにおいて購読者数の話題が出てきた段 階で、「この人・・・いつ逆上するのかなぁ・・・」と思っちゃうんですよ。まあ、 現実的には1週間以内に必ず逆上しますよ。 まあ、おかげさまで、どうでもいいノウハウは豊富になってきましたよ。 ダメダメ人間は、当事者意識がもともとないので、現実を改善するという発想は ない。 現実と向き合うにしても、「べき論」を持ち出し、スグに政治などの問題にしてし まう。 自分自身の現状についての認識においても、同じこと。不幸を認めると、自分で 対処する必要がある。自分を抑圧している人は、それが不快。 だから、自分は申し分のない幸福状態だと自分をだます。 「わたしたちは幸福よ!」と先制的な善意主張をして、自分の問題から目をそら す儀式とする。そんな人に、困りごとを相談できるの?だって、相談する前から 「ワタシたちは幸福よ!」と決定されてしまっているわけですからね。 そして、そのような「知りたくない」「見たくない」「考えたくない」という逃避 のスタイルはスパイラル的に進行することになる。 子供のことを知ろうとしない → だから、子供も親に何も話さない → 子供 の現状に付いて何も知らないので、子供の話を間接的に聞いてもさっぱりわから ない → わからないから、ますます興味がなくなる → 興味がないから、ま すます聞こうとしない → 聞こうとしない相手に話しても虚しいだけなので、子供もますます話さなくなる、 と、スパイラル的に進行することになる。 聞きたくないと思っているんだから、説明からの逃避も顕著。 考えることから逃避するんだから、丁寧に説明されると、逆にプレッシャーにな ってしまう。まさに「見せられている」恐怖を感じるわけ。そんな人の意見は、 軽いもの。まさにありきたりなご高説を消費しているだけ。そんな人の文章は、 その軽さですぐにわかるものなんですよ。その軽さは軽妙洒脱というニュアンス ではなく、どうしてもわかってほしいという気迫のなさや安直さが文章から漂っ ているんですね。 説明されること自体が怖いので、やり取りの際に、質問する際にも、回答を引き 出すような質問ではない。本質的には、自分で考えたくないので、説明を受けた くない。だから、「こうすべき!」などとべき論での強圧的な物言い。あるいは、 「どうして、そんなことをしたんだ?」などと文言は疑問形で、意味的には否定 形の物言いが頻発する。会話にならない物言いをするわけ。 以前に、このメールマガジンで、「書かない人の意向」というお題で文章を配信し ております。世の中の多くの文章は、文章を書ける人によって書かれている。 だから、文章を書けない人の気持ちを伝えた文章は量的に非常に少なく、そんな 人の意向は無視されやすい・・・そんな内容でした。 その折の文章は、「文章を書く」技法的なものに焦点を当てた文章です。 ダメダメ家庭においては、子供は自分自身を抑圧するようになり、自分の意向を 表現する意欲がないので、当然のこととして、表現の能力も付かないことになる。 文章を書くに当たっては、ある程度の、技術も必要になるでしょう。ある種の客 観的な表現力が必要になってきますよ。 しかし、本来は、「言いたいことがあるのなら、ちゃんと言う。」くらいのことは、 誰でもできることでしょ? しかし、ダメダメ家庭において、自分自身を抑圧せざるを得ない状況だと、そも そも言わせないようにするわけですし、伝えたい意向そのものの発生を抑えるよ うにしてしまうわけ。 文章を書けない人の意向が無視されるように、「言いたいことがあるのなら、ちゃ んと言う。」ことができない人の意向も、当然のこととして無視される。 しかし、世の中のトラブルが、その手の人によって起こされていることを考えれ ば、その手の人に対する理解は必要になってくるわけです。言えない人であるが ゆえに、その「表現手段」は、フィジカルな方法になるわけですから注意が必要 なんですね。 以前に取り上げたエーリッヒ・フロムが言う「破壊性は生きられない生命の爆発 である。」という言葉をモディファイすると、「過激な表現手段は、伝えられない 意向の爆発である。」とも言えるわけ。 言われないから、あの人の気持ちがわからない・・・それは、当然のことですが、 注意しないと、そんな人によって、犯罪の被害者になってしまう・・・現実はそ うなっているわけ。 麻生さんも・・・マンガばかり読んでいたので、そのようなことがわからないの かもしれませんが、本来は、そんな点に配慮しないと、社会を統率できないわけ ですし、当然のこととして、さまざまなトラブルに対する理解も不十分なものに なってしまう。 前にも書いておりますが、「アンナ・カレーニナ」における主人公のアンナがスグ に逆上する人間でした。 逆上することによって、自分で認識し、判断することから逃避するわけ。 それに対し、キティという女性は、ちゃんと認識し、判断する女性。 キティは、自分の判断の結果を踏まえ、また、判断のための材料を集め、その積 み重ねにより、判断の材料を集める技術も向上する。そうやってスパイラル的に 向上していくわけ。 それに対しアンナの認識はあら探しばかり。 「あら」を探して、「あの○○のせいでうまくいかない!ああ!ワタシってなんて かわいそうなの?!」と自分を憐れんでいるばかり。 そんな人に対して何を言ってもムダ。ムダというか危険なだけ。 だからこそ、そんな環境に育った子供も、親に対して何も言わなくなってしまう。 このメールマガジンの文章ですが、目の前のものを見ようとしている人には参考 になるでしょう。色々と考えようとしている人にも参考になるでしょう。自分が ある程度知っているものについて、新たに考える示唆を得ることができた・・・ そんな感想もあったりします。何回も書いていますが、見えているものを、見え るようにしたいだけです。 見ようとしない人には参考にならないでしょうし、見ようとしない人は、避ける しかない。 相談する場合でも、当人がよく考えた上での相談であれば、私とのやり取りも参 考になるでしょう。逆に、「困った!困った!」と言っているだけの人には参考に ならないでしょうね。自分の現状なり希望は、自分で整理しないと何も解決しな い。それくらいの事前準備は誰でもできること。 逆に言うと「困った!困った!」といっているだけの人が「参考になった!」と 言っている文章なり相談相手って、どんなレヴェルなの?それって、それだけ、 自分で見なくて済むのに役に立ったということでしょ? だからこそ、ドッカーンとなってしまうわけです。 (終了) *************************************************** メールマガジンの解除は まぐまぐ&カプライトは下記のアドレスに http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/register/touroku.htm 各マガジン指定のフォームがあります。 購読解除しても発信者にはわかりませんので、安心して解除してください。 一応、各マガジンのサイトでの解除を御希望の方は まぐまぐ でのマガジンIDは「0000117943」です。 カプライトでのマガジンIDは「14204」です。 コピー&ペーストすれば、 それぞれのマガジン発行元の解除画面に行くことができます。 また、バックナンバーは下記のページです。 http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/index.html ご意見等がございましたら、ご遠慮なくどうぞ! メールアドレスは portadelparadiso@hotmail.co.jpまで・・・ *************************************************** 発信後記 今週は、ダメダメ家庭において、子供の意向が無視され、その負荷が子供に集約 することに関する文章を集中的に配信いたします。 本日は、実に長い文章ですが、水曜日も金曜日も、今回の半分くらいの文章量で す。 といっても、やっぱり長い文章ですが・・・ このメールマガジンの文章は、私が死んだ後でも読めるように、できるかぎり書 き込むようにしておりますので、どうしても長くなるわけです。 同時代においては、不必要な記述も、違った時代に読むと、必要になる・・・そ んなことは発生するものですが、できるだけ、そのようなことが少なくなるよう にと書き込んでいるんです。 ダメダメ家庭の問題は、50年後にも同じように起こっているでしょうしね。そ のような方々にも役に立つような文章にしたいと思っているんです。


