ダメダメ家庭の目次録  RSSを登録する

長崎や新潟等最近ニュースで必ず登場するダメダメ家庭の出身者。ここでは、そのようなダメダメ家庭で繰り広げられる具体的な親の言葉や行動を列挙いたします。分からない事件も過去の積み重ねですからね。

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2009/10/21

メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」

★	メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録
 
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 ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 
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 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る
 ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を
 リストアップいたします。
 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の
 OBやOGはどのような環境で育ったのか?
 皆様にも、御理解いただけると思います。 
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★	カテゴリー:様々な二重否定表現

★	今回のお題:なかったら困る


ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がなく、自分で何かを達成しようとは考えず、
何かを否定してばかり。だからその物言いに否定形が多くなり、そしてそれが重
なって二重否定表現が多発することになる。
今回は、そんな二重否定表現のうちで、「なかったら困る」という物言いを取り上
げましょう。「ない」というのは否定形ですし、「困る」は意味的に否定形でしょ?

この「なかったら困る」なる物言いは、以前に「二重否定としての新聞」という
文章を配信した時に、言及いたしました。
新聞は、国民にとって、「なかったら困る」ものだ!
そんな感じで、言ったりする人がいるでしょ?

それはそれでいいとして、じゃあ、具体的にどのように困るの?
どの点が困るの?国民と言っても、具体的にどんな人が困るの?
アンタが困るのはともかく、ワタシは困らないんだけどなぁ・・・そんな見解も
あるでしょう。
あるいは、「なかったら困る」のはいいとして、代替品はないの?セカンドベスト
という方法もあるのでは?

そんな疑問点が出てきますよね?

以前より書いていますが、「なかったら困る」なんて二重否定で書くよりも、「こ
のような人に対して、このような点が役に立つように、我々は○○を制作してい
る。」そのように肯定形で語るのがスジというもの。
どうして、そのように肯定形で語れないの?

それは、そのように肯定形で語れるための思考をしていないからでしょ?
普段から、ちゃんと自分自身の立ち位置なり、方向性なり、成果を認識していた
ら、ちゃんと肯定形で語れますよ。自分自身から逃避しているからこそ、「なかっ
たら困る」はずだ・・・などと二重否定で漠然とした物言いしか使えない。

役に立つ、たたないは、相手次第。本来は、「自分はこのようにやっている。」と
言えればそれでいいだけ。逆に言うと、自分から逃避しているので、それが言え
ないわけ。

「なかったら、困る」と自称する存在は、逆に言うと、代替となったら、どのよ
うな点がどのように困るのか?それが明確ではないもの。

だから、そんな「なかったら困る」ものは、非常に排他的でしょ?
別の人が手掛けたら、その人以上に上手に出来てしまったら、「なかったら困る」
を連呼していた人は立場がない。だから外部からの参入を必死で排除しようとす
るわけ。
本来なら、自分の成果が自覚できていたら、別の人による参入も排除しませんよ。
「できるものなら、やってみな!素人さんよ!」「このオレは、この面については、
誰よりもわかっているんだ!」と高見の見物でOKでしょ?

排他性は、その「なかったら困る」存在が、結局は、他の人よりも上手くやって
いないことの証明のようなもの。

まあ、新聞がどうなろうと、あるいは「もし、なくなっても」現実的には代替品
が出て来るでしょう。だって本当に困るのなら、それこそがビジネスチャンスと
いうもの。
必要は発明の母ですよ。

あるいは、このような「なかったら困る」なんて文言が登場するのは、韓国人。
韓国という国は、オマエたち日本にとって、「なかったら困る」存在だ!
そのようなことを言ったりするでしょ?しかし、じゃあ、具体的に何が困るの?
私にはさっぱりわかりませんよ。
あるいは、その「なかったら困る」という二重否定的な存在説明は、まさにダメ
ダメ家庭の親がいつもやっていることでしょ?

「親というものは、なかったら困るものだ!」
「いてやっているだけでもありがたく思え!」

そんな物言いがダメダメな親には頻発しているもの。
マスコミの方も、そんな環境で育ったんでしょうね。ただそれを自覚できるだけ
の知性がないので、結局は、フロイトが指摘する反復強迫状態になっているわけ。

なかったら困ると自称する存在は、恩着せがましいもの。
自分自身を、自分自身の言葉で自分を語れずに、「オレは、アイツにとって役に立
っている。」という形でしか言えないので、どうしても他者に恩を着せる必要があ
るわけ。
しかし、その「恩」とやらも、具体的ではない。
「いてやっているだけでも感謝しろ!」と言った漠然として強圧的なスタイル。
「なかったら困る」と自称する存在は、現実的には「いて困る」ようなジャマく
さい存在でしょ?
他者にとって役に立つという存在説明なので、どうしても恩を着せようとするし、
自分を高く売ろうとする。しかし、高く売ろうとはしても、自分自身の価値を高
めようとは思わない。まさに「いてやっているだけで感謝しろ!」となってしま
う。

「なかったら困る」という物言いと、「いてやっているだけで感謝しろ!」という
物言いは、論理的にも感情的にも直結しているもの。

そして「なかったら困る」「いるだけでありがたい」という漠然としたスタイルと
似たパターンとなると、「失いたくない」と言った物言いになったりします。

よく「今の生活を失いたくない!」なんて言ったりしますよね?
まあ、そんな物言いで相談を受けた方もいらっしゃるかも?

「今の生活を失いたくない」はいいとして、
じゃあ、どんな生活を築きたいの?
どんな家庭を築きたいの?
そんな加点方向への疑問が出て来るでしょ?

あるいは、どうしても失いたくないものは何?
それぞれの失いたくないもののプライオリティは?
それが明確であれば、上手な対処もできるわけでしょ?
逆に言うと、「失いたくない」と言っている段階で、もうコケ始めているわけ。

何を失いたくないのか?何を得たいのか?
それが明確になっていれば、現実的には対処は可能だし、トラブルも減らせる。
何かの事件があって、働いている子供が死んでしまったら、「これから、どうやっ
て生活すればいいのか?」「収入源がなくなってしまったわ!」などと親の嘆きが
でてきたりするもの。
収入がそんなに心配だったら、自分の子供に保険金をかけておけばいいだけでし
ょ?

逆に言うと、そんな具体的な対処は取れるわけ。だから、後になって収入につい
てグチグチ言わなくても済むわけですし、後になってグチグチ言う人は、そんな
事件が起こる前にもグチグチと言っているもの。「オマエがいなくなったら、ワタ
シの生活が困るから、しっかり働け!」そんな感じ。そんな「会話」ばかりだか
ら、現実としてトラブルが起こってしまうんでしょ?
一緒にいる人間としてみれば、顔を合わせるたびに「ワタシの老後の面倒をみろ
よ!」とグチグチと言われるよりも、さっさと保険金でも掛けてくれた方がマシ
ですよ。失いたくないもいいわけですが、具体的でないと対処が取れないわけ。
だからこそ実際にトラブルになってしまう。

以前に「HOLIC」というアニメ作品をみていたら、そんなシーンが出てきました。
パソコン依存症になった主婦が「今の生活を失いたくない!」と相談する話です。
パソコンを止めるとか止めないとか、今の生活を失うとか失わないとか・・・そ
んな否定形で語っているからこそ、依存症になってしまうもの。
こんな家庭を築きたいと肯定形で具体的な形で表現できれば、逆に言うと、パソ
コンとの距離感も取れますよ。
・・・まあ、そんな話でした。
作品を作るような人同士は、割と似た視点を持っているもの。

「ワタシとしてはこのような家庭を築きたい!」
と、肯定形で表現できない状態だったら、当人は何もしようがないでしょ?
結局は、事前には何もせず、小さなトラブルが積み重なってしまって、ドッカー
ンとなる。
そうして、「ワタシはただ何も問題のない『ふ・つ・う』の家庭を築きたかっただ
けなのに・・・」と嘆きを語るだけ。

「なかったら困る」とか、「失いたくない」ということばかり言う人は、実に攻撃
的なもの。
だって、達成したいものがないんだから、適宜、自分で判断したりはしない。減
点面に過剰反応しても、加点法的には何もしないわけ。
減点面が顕在化すると、パニック的に攻撃的になるわけ。

「なかったら困る」はいいとして、本当に価値があり意味があるモノは、消そう
としても消えないもの。

心臓がなくなったら、本当に困るの?困ったりはしませんよ。だって、心臓がな
かったら困るどころか死んじゃうでしょ?困るくらいだったら、現実的にはなく
ても何とかなるわけ。胃がなくなっても、腸が代わりをしてくれるでしょ?困る
ところもあるけど、所詮はプライオリティのマター。空気がなくなったら困るの?
いや!困ることすらできないでしょ?エアコンがなくなったら困るとは言えるで
しょう。困るというのは、逆に言うと、困る止まりということ。実際に、新聞は
なかったら困ると主張している人は、新聞のない時代に活躍していたソクラテス
やキリスト以上の、知的な活動をしているとでも言うの?
なかったら困るなんて、所詮は、便利とかの問題でしょ?

マトモな親も、親という存在よりも、親との思いなり、親から得たもの意味があ
るわけでしょ?その思い出に本当に価値があるものなら、その思い出は消そうと
しても消せないものでしょ?親の存在よりも、親との思い出に意味があるわけで
すし、たとえば、家族の写真はなかったら困るものといえるでしょうが、それよ
り重要なのは、思い出そのものですよ。写真がなかったら困るもので、思い出は
なくならないもの。写真が何枚もあっても、「楽しい思い出」がなければ、その写
真だって取り出して見たりはしませんよ。

なかったら困るはいいとして、じゃあ、消そうとしても消しがたいものは何なの
か?
そっちが重要でしょ?
新聞でも、媒体そのものはなくなっても、伝えた情報そのものに価値があれば、
情報は生き続ける・・・逆に言うと、そんな「力のある」情報をどうやって伝え
ていくのか?
本来はそういう問題じゃないの?

あるいは、音楽ホールはなかったら困るとかで、不必要な建物を建設したりしま
すが、本当に価値があるのは、そこでの音楽そのものでしょ?本当に価値のある
音楽なら、聴衆はその体験を忘れようとしても忘れられないものでしょ?
なかったら困ると言っている段階で、どーでもいいわけ。

失いたくないと言っている人は、具体的には何を失いたくないの?あるいは、現
時点では何を持っているの?

面白いもので、「失いたくない」と言っている人は、本当の意味での喪失感がない。
だって、現実的には、もともと何も持っていない。
そんな人は「失いたくない」という気持が先にあって、「失うもの」は後に来るわ
け。
「失うもの」については、具体的にはどうでもいい

その理屈が周囲に通りやすければ、それでいい。
たとえば、自分の両親が死んでも、本当は悲しくないのに、喪失感が先に来る。
だからそんな人は、両親との思い出がない。
ただ、親という肩書きの存在がいなくなったというだけ。
まさに、「親という、なかったら困る」存在がなくなったから、とりあえず「困っ
た」だけ。別に悲しいわけでも、深い喪失感を持ったわけではない。

「なかったら困るもの」と、「消そうとしても消えないもの」とは対極なんですね。
芸術作品のテーマは、まさに「消そうとしても消えないもの」。
芸術家のトラウマのようなものから、神からの啓示のようなものまで・・・・
そんな体験は、「消そうとしても消えない」でしょ?
そして、そんな消しがたいものに対する、自分自身のまなざしこそが、その人の
本質であり、まさに「消そうとしても消えない」レヴェルの芸術作品を作るわけ。

消そうとしても消えないという、一線を越えたもの・・・それのために芸術はあ
るわけ。
以前に言及した「ニュー・シネマ・パラダイス」という作品でも、女性への愛も、
映画への愛も、「消しがたい」までに一線を越えていることがテーマとなっていま
した。あるいは、これも以前にちょっと言及したF.トリュフォーの「隣の女」の
そのパターン。妻が言う「アンタがうらやましいわ。」も、そんな意味。一般人に
はうかがい知れない「一線を越えた」世界。

それらは、決して、「なくなったら困る」というレヴェルのものではないわけ。
「なかったら困る」程度のものは、それが一見「表現したいもの」であっても、
所詮は逃避であり、自分への言い訳なんですね。失いたくないと語る人は、失い
たくない対象を少しずつずらしていって、結局は、最初に「コレを守りたい!」
と言っていたものも捨ててしまう。「なかったら困る」とか「失いたくない」対象
が、変化してしまう。ただ漠然とした減点が心に残っているだけ。

何も芸術作品にまで結実するケースばかりではなく、本当に強い印象を受けたら、
「忘れがたい」もの。だから避けようとしても、避けられずに、またその言葉を
求めたりする。
それこそ、以前に石原東京都知事の「ババぁ」云々の文章を「読めば読むほど腹
が立つ。」とコメントして裁判をしたオバサンがいましたが、「読めば読むほど腹
が立つ。」というのは、「読まない」という判断ができないほどに、強い印象を受
けたということでしょ?
つまり「読めば読むほど腹が立つ。」という非難の言葉ほど、その文章の「圧倒的
な力」を証明しているものはないわけ。
そんな読者への力は、決して「なかったら困る」ものからは到達しないもの。

何かを選択することは、何かを捨て、あるいは失うこと。それこそ何をするにも
時間を失うものでしょ?失うことが怖いという言葉は、選択することが怖いとい
う発想であり、当事者意識の欠如を現しているわけ。
失いたくないとは、現実的には、何も考えたくないとの同義の場合が多いもの。

達成したいものがあれば、どうしてもプライオリティの問題が発生しますよ。
逆に言うと、失いたくないということばかり言う人は、何も達成したいものがな
い人。
あるいは「なかったら困る」なんて文言を繰り返す人は、「あるだけでありがたい。」
という名目を掲げ、結局は何も達成することがない人でしょ?

(終了)
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発信後記

今週は、様々な「位置づけ」に関する文章を集中的に配信しております。
今回の「なかったら困る」ですが、そもそも、そんな二重否定で表現していると
いうことは、実質的には価値がないということ。

本文中にも書いておりますが、ダメダメな親ほど「親は、なかったら困るもの」
と言ったりするでしょ?逆にいうと、「なかったら困る」はいいとして、「あって
も困る」ものなんですね。
それこそ、韓国なんて、当人たちは、「なかったら困る」とのいつもの二重否定で
すが、たとえその主張を肯定しても、「なかったら困る」以上に「あっても困る」
存在でしょ?

そんな「なかったら困る」なんて文言が、自然に出てきてしまう・・・そんなと
ころからダメダメも見えてくるものなんですよ。
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