ダメダメ家庭の目次録  RSSを登録する

長崎や新潟等最近ニュースで必ず登場するダメダメ家庭の出身者。ここでは、そのようなダメダメ家庭で繰り広げられる具体的な親の言葉や行動を列挙いたします。分からない事件も過去の積み重ねですからね。

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2009/10/14

メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」

★	メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録
 
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 ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 
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 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る
 ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を
 リストアップいたします。
 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の
 OBやOGはどのような環境で育ったのか?
 皆様にも、御理解いただけると思います。 
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★	カテゴリー:ダメダメ家庭の会話のスタイル(発言側)

★	今回のお題:爪のない言葉


このメールマガジンにおいて、抑圧的なダメダメ家庭の人間の文章は、「造花で作
った、見事なフラワーアレンジメント」に似ていると書いたりしております。
あるいは、フランスの作家マルグリット・デュラスが「おもしろくない本」を定
義した『感じがよくて、何も残らず、夜がなく、沈黙がなく、真の作者がなく、
昼間向きで、時間つぶしに最適で、よき旅行のお供・・・』という言葉を紹介し
たりしております。

言わんとしているところは、この私もデュラスも同じ。

きれいな薔薇には刺がある・・・じゃないけど、生命力のあるものには、刺があ
ったりするもの。そんな生命力のある言葉を使わないと、相手に対して何も伝わ
りませんよ。
刺があればいいというものではありませんが、相手の心に「引っかかる」刺とか
爪がないとね。言葉だって、ただ素通りするだけになってしまいますよ。

しかし、ダメダメ人間の言葉には爪がないわけ。会話でも、思考でも、使う言葉
が軽い。だから、食い付きがないし、引っかかりがない。
そもそも、どうしても伝えたいという意欲や覚悟もない。
だから文章も「詰め」られていない。

相手を傷つけないし、自分も傷つかない・・そして何も残らないし、何も達成し
ない。
それがダメダメ人間の言葉。
以前に配信したように、いい子ちゃん志向のダメダメ人間は、加害者認定されて
しまうことへの耐性が低く、人を傷つける自分自身と向き合うのが怖い。だから
自分の存在を根源から規定するような深い思考へつながらず、単なる知識どまり。

思考につながる言葉は、痛みを与え、痛みをもたらす、いわば「つめ」があるも
の
「つめ」から逃避する人の言葉は、言葉の流れはよく、わかったようでわからな
い言葉が頻発しているもの。
相手から合意されることを求めるが故に、否定されにくいことばかり書いて、結
局は毒にも薬にもならない文章になってしまう。そんな文章ばかりだから結局は
信頼されなくなる。信頼と好意の区別が付かないダメダメ人間は、人から信頼を
得ていないことを、好意の問題としてとらえ、相手から嫌われないようにしよう
と、ますます毒にも薬にもならない言葉の羅列となってしまう。だからますます
人からの信頼は得られない。

抑圧的な人は、自分自身から逃避しているんだから、それなりの学力はあっても、
思考力がないわけ。権威筋から与えられたご高説を、ただオウム返しに繰り返し
ているだけ。

わかったようでわかっていない・・・そして、権威主義となると、「○○主義」と
か「△△論」などの言葉が典型ですよね?
歴史を見てみればわかるものですが、新たな考えや新たな視点を世の中に提示し
た張本人は、自分自身の考えを「○○主義」とか「△△論」などと、もっともら
しく「飾ったり」はしないものです。だって中身の方が重要なんですからね。

むしろ、自分自身の考えを、できるだけわかりやすく伝えるために、平易な言葉
を使うものです。それこそキリストが典型でしょ?あるいはソクラテスだって、
使っている言葉自体は、平易なもの。彼らはたとえ話を駆使して、実にわかりや
すく表現している。

そもそも、「○○主義」とか「△△論」などと余裕を持って語れるような精神状態
の人は、新しい考えを提示する必要はない人と言えるわけ。新しさというものは、
その人の切実さと繋がっているもの。それだけ既存のものでは「収まり」がつか
ないということでしょ?

逆に、色々と小難しい言葉が出てくる文章を読んでいると、「これらの言葉って、
どんな意図で使っているの?」あるいは、「どんな意味で使っているの?」「アン
タ・・・自分の言っていることがわかって言っているの?」「というか、読んでい
る私は何をわかればいいの?」そう思わされることってありますよね?何となく
の雰囲気はわかっても、その実体がつかみきれないような言葉があったりするで
しょ?

ダメダメの実例として、たびたび取り上げております、韓国の歴史教科書ですが、
まさに「わかったようで、意味不明の言葉」のオンパレード状態。
たとえば、「民族意識」とかの言葉が頻繁に出てきますが、その民族意識って、具
体的に何なの?
私にはさっぱりわからない。

あるいは、「歴史問題」なんて言葉が言われたりしますが、その歴史問題なんて言
われても、具体的にどのような点が問題なのか?さっぱりわからない。
ただ、自分に自信がない人は、そのように「小難しい」言葉を使われると、なか
なか突っ込めないわけ。逆に言うと、当人がその言葉の意味がわかっていない場
合でも、相手から突っ込みを回避するための目的で、わざわざ小難しい言葉を使
ったりする。

しかし、相手から突っ込まれないとしても、相手に何が伝わったの?
「突っ込まれない」は、いわば二重否定。肯定ではないわけ。

何もわかっていないもの同士が、小難しい言葉を使ったやり取りで、わかった気
になる・・・って、ダメダメ人間のやり取りではよくあるパターン。そんな状態
は「わかっていないことが、わかっていない」状態に安住しているだけ。「わかっ
ていないことが、わかっていない」って、まさに二重否定そのもの。

だからこそソクラテスは「自分が、わかっていないことを、まずはわかる。」こと
が、知への第一歩なんだよ!って言っているわけでしょ?二重否定のドグマから
脱却するためには、二重否定の否定を一つずつ外していくしかないわけ。

さて、「わかっているようで、実は何もわからない」言葉の代表が「ふつう」です
よね?
「ふつう」という言葉の意味を説明できる人っているの?
「平均的」とか、「一般的」とかの言葉だったら、まだわかりますよ。
しかし、「ふつう」という言葉の意味は説明できない・・・んじゃないの?
だからそんな言葉は使わない方が無難なんですね。自分がわかっている言葉を使
って文章をまとめるのがスジでしょ?その言葉の理解に誤解があっても、それは
しょうがないわけですが、そもそも理解もしていない言葉は使ってはダメですよ。

「この人・・・自分で言っていることが自分でもわかっていないんだろうなぁ・・・」
と思わされる人って、実際にいたりしますよね?
そんな人が周囲に対してよく言ったりするのが、「どうして、みんなはワタシのこ
とをわかってくれないの?」なんだからタチが悪い。まあ、そんな言葉に対し「じ
ゃあ、アンタの何をわかればいいの?」なんて聞こうものなら、お約束の逆上。

まずは、自分の言いたいことを、自分自身で理解することが最初でしょ?
しかし、何回も書きますが、抑圧的なダメダメ人間は、爪も詰めもない言葉を使
って、当たり障りのない言葉が、流れているだけ。

そんな人は、何かを解決するための議論はできない。議論のための議論にしたが
るだけ。そして、自分が傷つかない結論にしたがる。
そうして、「ああ!オレたちって、この○○による被害者なんだよなぁ・・・」と
自分で納得できればそれでオシマイ。

伝えたいもの、わかってほしいことがないので、自分の現状を説明する段でも、
実に「人ごとのように描写」したりするもの。
自分自身について語る際にも「~じゃないのぉ・・・」なんて物言いが登場した
りする。
それこそ、「オレって、今日は気分が悪いんじゃないのぉ・・・」なんて物言いで
語ることになる。いったい誰のことを言っているのやら?そして、「夫はいつもそ
んな感じで人ごとのように自分のことを語っている・・・そんな夫に困っている
妻は多いんじゃないかなぁ・・・」と、グチグチ言っている妻の文章も、またそ
んな調子なもの。それこそ、「アナタの文章も十分に人ごと描写ですよ、アナタ自
身には自覚がないの?」なんて聞くと『アンタがそういうんだったら、ワタシの
文章も人ごと描写と言えるんじゃないのぉ・・・』と、やっぱり堂々たる人ごと
描写なんですね。

だから私としては「そのように困っている人は、アナタ本人なの?それともアナ
タの知人なの?アナタがその知人の代わりに相談の文章を書いているの?」と聞
くハメになってしまう。
客観描写と、人ごと描写は、全然違うものでしょ?

自己逃避のダメダメ人間は、自分自身をだますために、いつでも逃げられるよう
に、人ごとで描写する。
やり取りしたとか相談したというアリバイがほしいだけ。本気で事態を解決する
意欲も覚悟もない。だから常に逃げ場所を意識することになる。
そうやって、相手から突っ込まれると、前々から準備していた逃げ場所へトンズ
ラするわけ。

自分をだますために、そして、相手から「アナタは、かわいそうねぇ。」と言われ
るための認識であり描写。自分が判断するための認識ではなく、いわば、語るこ
とによって、それ以上その問題を考えることから逃避しているだけ。そんな人は、
自分のイタイところを相手から突かれないように、教科書とおりの言葉をくりか
えす。

だから自分のペースで語らないと困ってしまう。だからやり取りの主導権にこだ
わり、情報の小出しも頻発することになる。自分がわかっていないことを認める
ことから逃避し、結局は、グチの予定調和が達成されただけ。

そんな自分から逃げ回っている人間は、それに相応した文章などを読みたがるも
の。このことは以前より頻繁に書いています。まさにマルグリット・デュラスが
いう「面白くない本」のような文章しか読まない。
決して「自分に厳しい爪のある言葉」が出てくるような文章などは読もうとしな
いんですね。「まあ、お気の毒ねぇ!」そんな言葉がちりばめられているような文
章だけを読もうとするわけ。

そんな「まあ、お気の毒ねぇ・・・」なんて調子の文章を書く人間も、やっぱり
「自分から逃げ回っている」人間。自分から逃避するために、とりあえずの「言
い訳」を文章にしている・・・そんな文章ってよくあったりするでしょ?
そんな言い訳こそ、ダメダメな人間が求めてやまないもの。
安全圏から一歩も出ようとしない書き手が書いた文章は、読み手も安全圏から出
ないで済むわけ。そんなモンでしょ?

私個人は、読み手を逆上させることが目的ではありませんが、このメールマガジ
ンの読み手の方がイタイところを突かれて顔が青ざめたり、顔面蒼白になったり、
顔を真っ赤に怒ったり・・・それくらいはあると思っています。顔が青くなると
か赤くなるか白くなるかは、フランス人でもロシア人でもないのでどうでもいい
ことですが、やっぱり読み手に変化をもたらさないとね。読み手が安全圏に居ら
れないからこそ価値がある・・・そう考えることもできるでしょ? 

しかし、ダメダメ人間は安全圏にいたがる。被害者意識が強いので、事態から逃
げる権利があると思っているわけ。
「だって・・・ワタシはこんなにかわいそうなのよ!それくらいいいじゃないの?」
と、やっぱり言い訳。
まあ、もちろんその人の勝手ですが、そんなに自分から逃げ回っていて、何が出
来るというの?

安全圏にいる書き手が、誰からも突っ込まれない公序良俗に満ちた文章を提示す
る。それを読み手が読んで安全圏の中で、「いいわねぇ・・・この文章!」と思い、
そして1日後にはさっぱり忘れる。

それって、文章を通じて、書き手と読み手がグチで共鳴しているわけ。
「ああ!ワタシってなんてかわいそうなの!?」
あるいは、いい子として認め合って喜んでいるだけ。
「ああ!ワタシたちって、なんていい子なの?!」
その手の文章って、ちょっと読んだだけでわかるものなんですね。まさに「爪」
も「詰め」もない。私としては「そんな文章を読むな!」なんて言う気はありま
せんが、所詮はデュラスが言う「よき旅行のお供」とまりでしょ?

と言っても、そんな言い訳がましい文章って、たまに読むと面白いもの。
私個人は、「真実」にしか関心がありませんが、そんな言い訳がましい文章のどこ
が真実なの?しかし、目の前の真実から目を逸らす「心の弱い」人間の姿は、あ
る意味において、人間の「真実」そのもの。

言い訳がましい文章を読んで、自分自身の言い訳のネタを探すよりも、「自分がし
たいこと」を自覚したり、自分の問題点を指摘してくれる文章を読んだ方が、自
分のためでしょ?
何もこの私の文章を読む必要はありませんが、グチの共鳴で終始するようなこと
はもったいないですよ。

自分自身から逃避するダメダメ人間は、文章を書く際にも、読む際にも、逃げ場
所が意識されている。まさに「つめ」のない、どーでもいい文章でないと、接す
ることが心理的にできないわけ。

しかし、本来は、問題を認識し、事態を解決することが重要でしょ?
文章を書く際にも、読む際にも、解決する問題が明確になっていて、付随する情
報があって、あとオプショナルな雑談がある・・・そんなプライオリティの明確
な構成の「詰めた」文章の方がわかりやすいものでしょ?
文章の上手下手の問題ではなく、主目的の明確さの問題。

しかし、抑圧的な人の文章は、表現の緩急はあっても、重要度は全部いっしょ。
相手に伝えたいことがなく、いつも、逃げ腰なので、どの個所も、逃げが入って
いて、腰が入ったものにはなっていないわけ。

マトモな人の文章は、重要なマターには腰が入って、些細なマターには、腰が入
らないので、読んでいて重要度が自然とわかる。それこそが、文章の「詰め」で
しょ?

しかし、ダメダメな人は、どの表現にも逃げが入っているわけ。というか、本来
その人にとって重要なことほど、逃げがある。自己逃避しているダメダメ人間は、
自分にとって重要ではない・・・切実ではないことについては、詳細に記述でき
る。
しかし、自分にとって身近で切実な問題に関しては、「腰が引けた」状態。

そんな人が文章を書いても、読んだ側は、重要度がわからない。

だって、切実なマターは、一般論ばかりで具体性がない。
しかし、些細なマターは、具体的にしっかり記述。

まさに絵に描いたような「人ごと描写」。別の言い方をすると、トカゲの尻尾ばか
りになってしまう。一番目立つものが、一番どうでもいい存在になっているわけ。
そうして都合が悪くなると、ストックしてあった尻尾を、満を持して出しきて、
トンズラするだけ。

自分の身に直接関係のないマターについては、安心して文章を書いたり読んだり
できる。
だから、ムダ知識のようなものが大好き。だからこそ、ますますトカゲの尻尾の
コレクションが増えてしまう。
それこそオタクの方々がよくやる知識自慢ですが、色々と知っているのはいいと
して、自分の精神にどんな影響があるの?そっちの方が重要でしょ?漫画やアニ
メからでも自分の一生に大きな影響を受けたのなら、それはそれで結構なこと。
しかし、ムダ知識を、「これって知ってる?」と自慢してもしょーもないだけです
よ。

しかし、抑圧的になると、自分の目を逸らすマターについては熱心になるわけ。
そんな姿は、トルストイが描くアンナ・カレーニナがその典型でした。
その手の人は、アロマテラピーとか、カラーコーディネートとか、オカルトとか
の、本質を直視することからの逃避のための知識が大好きなんですね。

そうして、自分自身の現実から目を背けて、他者のやることに対して、上からの
目線で、論評して喜ぶ始末。

その論評の言葉も、また「つめ」がない。そもそも、どんな情報を、どんな人に
対してわかってほしいのか?そんな意識が何もないのに、ただ他者のやっている
ことを論評して喜んでいるだけ。自己逃避が目的の論評なので、傍観者的な距離
感がある、まさに引っかかりのない文章。だから、そのコメントなり感想も、他
者の心に響かない・・・ただ、その流れてしまう言葉が、自己逃避の人間には安
心だったりするわけ。
評価者然としたコメントをするのは勝手ですが、そもそもその評価したもので、
自分自身はどうなったの?問題が解決したの?それが重要でしょ?

「参考になった。」とかの肯定的なコメントならともかく、「つまんない」とかの
否定的なコメントなら、そんなコメントを読んだ方はどうすればいいの?あるい
は、どうしてほしいの?何をわかってほしいの?
しかし、そんなコメントからその人の普段のコミュニケーションのスタイルなり
レヴェルなり、その精神がわかるわけ。他者のやることを否定的に評価するにせ
よ、だったらなおのこと、自分自身の考えを明確にするのが必要でしょ?否定的
なコメントというものは簡潔すぎると「バーカ!バーカ!バーカ!」と書いてい
るだけのようなもの。

そんな傍観者然としたコメントの文章は、乱暴な言い回しだけど、つめがなく、
言葉自体に厳しさがない。そもそも自分の心を詰めていかないと、文章を詰める
ことはできませんよ。しかし、自己逃避人間は、その自分の心を詰めていくこと
ができないわけ。詰めていない状態でコメントしているので、その言葉に力がな
い。だから、そんな人から悪態を投げつけられても、厳しい印象を受けるわけで
はない。爪のある言葉だからこそ、相手の心を傷つけることができるわけでしょ?
せっかく悪態を付くのなら、相手にとってダメージとなる言葉を使えばいいじゃ
ないの?乱暴な言葉による悪態を受けても、衝撃を受けるどころか、笑撃を受け
るだけでしょ?

詰めることがないので締まりがなく、心が水ぶくれで、メタボ化しているような
もの。心のメタボは、身体のメタボ化よりももっとタチが悪いものですよ。メタ
ボなので、どんな言葉も思考も、作品も、心に突き刺さらない。むしろ、自分の
心に突き刺さることを避けるための皮下脂肪のような言葉なり知識になってしま
っている。

ということで、つめのない言葉を求め、つめのない文章を書き、やっぱりつめの
ない言葉を求め、やっぱり、つめのない文章を書いて・・・と、延々と、という
かブクブクと膨らんでいくことになる。
で、結局は、人から「アンタ・・・グダグダ書いているけど・・・結局、何が言
いたいの?」と言われてしまう。

そう言われちゃったら、やっぱり、前から準備してあった逃げ場に向かってトン
ズラ・・・
そうして、また振り出しに戻ることになるわけ。

(終了)
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発信後記

今回の内容のような文章は、わりと頻繁に配信しております。
まあ、だいたいがマルグリット・デュラスに言及されたりします。この問題に対
しては、マルグリット・デュラスは私の最大の同志といえますね。

ちなみに本文中で言及した「人ごと描写」ですが、ちょっと前に、実際にニュー
スの記事で見ることができました。

なんでも18歳の大学浪人生さんが死亡し、38歳の母親が当初は、賊に襲われた
とかの証言をしていたけれど、どうも矛盾しているようなので、結局は自殺とし
て処理することになった・・・そんな事件です。
その母親が、「警察が自殺というなら、自殺ということなんじゃないのぉ・・・」
とふて腐れているそう。

色々とお約束満載の事件ですが、被害者意識が強いダメダメ家庭の人間は、どん
なトラブルも「自分が被った被害」としてしか認識できないもの。だからこそ加
害者の存在が必要になる。逆に言うと、そんな発想だからこそ、「子育ては親であ
る自分が被った被害」と認識していることが見えてくるわけ。

まあ、人ごと描写をする人が、当事者意識を持って、子育てをするわけがない・・・
って、当然のことでしょ?
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