ダメダメ家庭の目次録  RSSを登録する

長崎や新潟等最近ニュースで必ず登場するダメダメ家庭の出身者。ここでは、そのようなダメダメ家庭で繰り広げられる具体的な親の言葉や行動を列挙いたします。分からない事件も過去の積み重ねですからね。

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2009/06/24

メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」

★	メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録
 
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 ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 
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 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る
 ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を
 リストアップいたします。
 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の
 OBやOGはどのような環境で育ったのか?
 皆様にも、御理解いただけると思います。 
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★	カテゴリー:ダメダメ家庭出身者の行動

★	今回のお題:言葉にしてから整理する


以前に、携帯電話からのメールについて、まとめた文章を配信しております。
携帯電話を使ってのメールは、ちょっとした連絡事項のやり取りには有効でも、
突っ込んだやり取りには向かないもの。
より突っ込んだ文章でやり取りしたい場合には、やっぱりパソコンを使った方が、
文章をまとめる側にとってもラクでしょ?

メールなどの文章を発信する際には、自分が相手に伝えたいことを自覚して、ラ
フな文章にまとめあげ、そのラフな文章を校正する・・・そうして、出来上がっ
た文章を相手に発信する・・・そんな流れになりますよね?
しかし、自己逃避で抑圧的なダメダメ人間は、最初の構想段階を、頭の中でまと
めること自体がイヤ。
何事も「て・き・と・う」に取り掛かってしまう。
取り掛かる際に気楽に取り組むくらいならまだいいわけですが、そんな場合には
ラフなドラフトに対し、後から十分な校正をしなきゃいけないでしょ?

しかし、会話不全のダメダメ人間は、「相手にわかりやすく伝える」そんな発想自
体が存在しない。自分勝手に言い放つだけ。
だから自分が書いたラフな文章を、校正したりもしないわけ。
だから表現がメチャクチャだし、誤字脱字が頻発したりする。
何も携帯電話とかパソコンとかの道具の問題ではなく、校正が全くされていない
ような文章を送りつけてきたりするわけ。

そんな人が、結婚して、子供を持って、親になったら、その子供とどんな感じで
コミュニケートするの?
そんなことは自明でしょ?
しかし、そんなコミュニケーション意欲も能力のないがゆえに、まさに相手をし
てくれるのは自分の子供だけになってしまって、子供が親と同じようなダメダメ
になってしまうわけ。

主義主張は人それぞれでしょうが、自分の主張を書いた文章を、後になって校正
するくらいは、どんな主義主張でもしなくてはいけないことでしょ?
自分の主張に自信があるのなら、あるいは責任感なり使命感があるのなら、なお
のこと校正くらいはしなくてはね。
逆に言うと、校正もしないような文章を送りつける人は、自分の主張に自信がな
いわけ。
それだけ、自分が書いたラフな文章を、自分で「読み返せない」わけ。

このように校正もしないパターンのダメダメもあるわけですが、校正はしても、
その方向性が減点法のケースもあります。

そもそもダメダメ家庭の人間は、その基本的な精神として減点法。
「これをわかってほしい!」という加点法的な発想はしない。
「ワタシは悪くない!」「悪く思われたくない!」そんな減点法的な発想。

だから、文章の校正に当たっても、「よりわかりやすくする。」「相手に誤解されな
いようにする。」そんな明確性に向かうわけではないわけ。
「自分に不都合な記述は削除する。」「自分に不利な情報は、ぼかす。」そんな校正
になるわけです。

文章の明確性を目的とした校正だったら、たとえば主語を明確にしたり、目的語
をより明確にしたり、あるいは代名詞が指し示すものを、より明確化したりする
もの。あるいは、言い換えをしたり、補足説明を加えたりして、事態の説明をよ
り明確にしようとするもの。
明確化することで、よりわかりやすくし、誤解されにくい記述にするわけ。

しかし、減点法のダメダメ人間は、逆方向なんですね。
文章の「流れ」は整えたりしても、逆に言うと、「差しさわり」のある記述は、削
除するわけ。だから、生き生きした記述はなくなってしまう。このメールマガジ
ンで何回も書いていますが、まさに「造花で作った見事なフラワーアレンジメン
ト」状態。
「見事なレイアウト」の文章だけど、文章の素材となる言葉が、みんな死んでい
るんですね。

あるいは、有名な美術作品の模写を見るような感じ。絵のアウトラインは確かに
一緒なんだろうけど、本物だけが持つオーラとは無縁。ゴッホの作品のようにキ
ャンバスに魂を叩きつけたような作品を模写しても、ただ安っぽいだけ。
その手の模写は、無関係な第3者の苦悩を、外面的になぞっている分、よりヘン
テコになってしまう。
しかし、抑圧的な人間は、他者の苦悩をなぞる・・・そんな第3者的なスタイル
の文章が多いもの。だから、読んでいて、「困っているのはアナタ本人なの?それ
とも、アナタの友人の困りごとについて、アナタがその人の代わりに語っている
の?」と聞く羽目になってしまう。まあ、実に多いんですよ。

以前にこのメールマガジンで「ダメダメ人間は尻尾を隠す」ことについて配信し
ております。当人は差しさわりのある部分を隠したと思っていても、実際はその
尻尾がミエミエのケースも多いわけ。

しかし、それなりにアタマが働くダメダメ人間は、見事に尻尾を隠し切るもの。
だから、相手から尻尾をつかまれずに、自分を減点のない「いい子」に見せるこ
とができる。しかし、尻尾を隠すことが目的化されてしまっていて、伝えたいも
のが自分でもわかっていない状態。相手から突っ込まれないことが目的化してい
るわけ。

だからそんな話を聞いていても何もわからないし、そんな文章を読んでもわから
ない。
まさに「掴みどころのない」文章になってしまう
減点法的には非の打ち所がない文章であっても、加点法的にも、打ち所のない文
章。そもそも「非の打ち所がない」って、ダメダメにお約束の二重否定そのもの。

そんな減点法の精神に満ちた文章をいただくと、やっぱりお約束の感想になって
しまう。
「で、アンタは、結局、何が言いたいの?」「結局は、現在はどうなっているの?」

まだ私のような読解力のある人間だったら、上記のように、その文章の問題点を
指摘できますが、読解力のない人間だったら、そうは行かない。
このような「差しさわりのある面をカットする」ような減点法の添削をした文章
は、「流れ」としては、非の打ち所がないので、そんな文章を受け取った人は、「何
を言っているのか・・・ワタシにはよくわからないけど・・・自分の読解力が悪
いのかな?」と思ってしまうこともあるんですね。
特に子供はそう思ってしまうわけ。だからこそ、「自分が悪いんだ!」なんて思い
つめた子供が、プレッシャーを自分の中に溜め続け、問題行動を起こしたりする。
しかし、自分の子供をそのように導いたダメダメな親は、「非の打ち所がない」人
なので、周囲から「悪いのは全部子供のせい!」となってしまうわけ。そうやっ
て、子供を校正というか更正しようとする。

それなりにアタマがよくて、重症のダメダメ家庭に育った人は、割とそんな文章
を書いていたりするものです。
文章の校正の方向性と、自分の子供の更正の方向性は、一緒。
加点法的ではなく、減点法的。
まさに「悪くはない」ようにしたがるわけ。
そんなものでしょ?

以前書きましたが、携帯メールだと離婚のパターンが多いわけですが、この手の
減点法的に「悪くはない」メールだと、家庭内別居のパターンになります。まあ、
実際にそんなものなんですよ。
言われてみれば、「なるほどなぁ・・・」って思うでしょ?
外面を整えるのに腐心して、中身がないわけ。
名は体を表すように、文は体を表すものなんですよ。

外面的な「よい家庭の姿」にはこだわっても、親としての自分自身の役割に関し
ては眼中にない。本来は、よい親とは、子供の様子に注意したり、子供の相談に
乗ることが必要でしょ?しかし、外面だけにこだわり、そして、自分たちはよい
家庭の姿をしていると思っているので、眼前の自分の子供には関心がないわけ。
客席にいる観客を向いていて、舞台上の役者や状況をまるで見ない。
そうやって、絵に描いたようなすばらしい家庭の制作に邁進するようになる。
外見的には絵に描いたようなすばらしい家庭であっても、登場人物は、その絵の
モデルになるために心理的にプレッシャーを持ち続けている状態。まさに造花の
ように心を殺してしまう。

抑圧的な人は、フラワーアレンジメントにおいて、造花を使って見事なレイアウ
トにすることはできるもの。しかし、草原で見事な花を見つけてくることはでき
ない。
しかし、見事な花は、それ一輪で、価値があるもの。
アレンジする前に、もうちょっと、花探しをしてみたら?

抑圧的で、減点法の人、人の気持ちがわからない人は、実に早めに言葉にしてし
まうもの。そしてその言葉をいじることになる。だから、言葉の流れは見事なも
の。
しかし、逆に言うと、言葉にする前の段階において精神的に耐えることができな
いわけ。
言葉を搾り出すようなことはせず、「とりあえず」言葉にしてしまって、後はその
言葉を整理整頓。

自己逃避の人は、自分の文章は散々と見直すけど、文章を書くに至った自分の気
持ちは見直すことはない。苦悩をどのように表現するかについては、それなりに
考えている。しかし、苦悩そのものについては、見ようとしない。だからこそ、
言葉の流れはスムーズだけど、言葉そのものが軽いわけ。自分の感情と、それに
ついての言葉が結びついていないわけ。

「で、結局、自分は何をしたいのか?」という問題から逃避していて、人に合わ
せてばかり。だから「ふつう」という言葉を使いたがる。だから、さんざん見直
して文章を修正したメールの文章に対しても、「で、結局、何が言いたいの?」な
どと相手から言われ、ヘタをすると「わけわからないよ!」と怒られることにな
る。だから、「怒られないように」気を使って、ますます減点法の修正に身が入る。

本来なら、その文章を書くに至った、自分の心情なり問題意識に立ち返ることが
必要になるわけですが、抑圧的な人は、そこから逃避してしまう。このようなこ
とは以前に「口下手スパイラル」というお題でも文章をまとめてあります。

相談にあたっても、自分の困りごとについての「語り」は、上手にできているわ
けですが、逆に言うと、語りに視線が行ってしまっていて、自分が直面している
「困りごと」そのものには視線が向いていないわけ。だから、聞いていても、「ど
んな状態なのか、さっぱりわからない。」となってしまう。

抑圧的な人間は、自己逃避であり、現実逃避なので、自分の目や耳で見たり聞い
たりはしない。だから本当の意味では考えないし、安直に言葉にしてしまう。安
直に言葉にしてしまって、後は言葉の整理を一生懸命にやることになる。現実で
はなく、言葉を見るわけ。そして、自分では考えたくないので権威主義。まさに
教科書で描写された「正しい」家庭の姿を強引に当てはめようとする。常に形か
ら入る状態。

だから言葉や文章に重みがない。
言葉にする前の段階で、しっかり耐えることができない。
言葉にすることで思考から逃避してしまうわけ。そして相手に伝わなければ、「文
章の校正なり構成」の問題と認識する。しかし、言葉にする前の段階で耐えてい
ないので、相手に伝えたいことが自分でもわかっていない。

それは、いわば認識することからの逃避。
以前に取り上げた詩人のリルケの言葉ではありませんが、「まず見ることから始め
るつもりだ。」そんな精神が必要になるわけ。
言葉にする前に、自分の目で見たり、自分の耳で聞く・・・そこからの逃避の手
段としての言葉は、やっぱり軽いもの。そんな言葉はいくら整っていても、見る
人が見るとスグに分かってしまうものなんですよ。


(終了)
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発信後記

今回でも使いましたが、このメールマガジンでは、ダメダメ家庭の抑圧的な人間
がよくやる表現のスタイルを「造花で作った見事なフラワーアレンジメント」な
どと書いたりしております。
かみ砕いた表現にすると「生命力がなく、トゲもなく、規格品的に安全で、大量
生産的で、作り手の覚悟がなく、万人受けしてケチが付けられないけど、見ても
何も面白くない。」そんな感じで言えるでしょう。

「あーでもない、こーでもない。」と当たり障りのないことを、格好を付けて、も
ったいぶって書いてあっても、「で、だから何なのさ?」「それをどうしても伝え
たいの?」と思うだけ。
しかし、抑圧的で、減点法の人間は、そんな文章をよく書いていたりするもので
す。

「造花で作った見事なフラワーアレンジメント」なんて自分が書いた言葉を読み
直して、ふと思ったのが、以前に取り上げたフランスの作家のマルグリット・デ
ュラスが言う「面白くない本」。
頻繁に書いていますが、それはこんなもの。『感じがよくて、何も残らず、夜がな
く、沈黙がなく、真の作者がなく、昼間向きで、時間つぶしに最適で、よき旅行
のお供・・・』というもの。

いや、まあ!なんと言うか・・・
マルグリットの姐さんに、改めて、心からの親愛の念を持ってしまいますよ。

私は自分自身を何も芸術家だと申し上げるつもりはありませんが、往々にして、
芸術家には個性なんてものはないもの。そもそも神から来た霊感を作品にするの
が芸術家の仕事なんだから、元は一緒なんだから、個性なんて本質的にありえま
せんよ。

表現の細部には、色々とヴァリエーションはあっても、本質は、みんな一緒だっ
たりするもの。その作品が創造的であるほど、個性がなくなってしまう。
ただ、当然のことですが、因襲と、普遍は、遠く離れている。
因襲的であるがゆえに、普遍から遠い・・・それが、デュラスがいう「面白くな
い本」ですし、そんな本の文章は、「造花で作った見事なフラワーアレンジメント」
状態なんですよ。

野に咲く一輪の花は、永遠の生命があるもの。それに対し、大量生産の造花は、
朽ちぬとは言え、じゃあ、生命があるかというと別でしょ?
そんなことは2千年前からわかっていることでしょ?


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