2009/06/15
メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」
★ メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録 ======================================================== ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓ ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛ 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を リストアップいたします。 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の OBやOGはどのような環境で育ったのか? 皆様にも、御理解いただけると思います。 ========================================================= ★ カテゴリー:ダメダメ家庭の雰囲気 ★ 今回のお題:機械仕掛けのリスペクト 以前に、ダメダメ家庭では「敬意というものに縁がない」という内容の文章を配 信しております。当事者意識がないダメダメ家庭では、「わあ!スゴイなぁ・・・ ワタシはとてもじゃないけど、こんなことをできないや!ホント!スゴイ!」な んて、他者の業績を敬意の念を持って見ることはないわけ。 ただ、ダメダメ家庭においては、序列意識が強い。 コミュニケーションが命令と服従の関係のみなので、「どっちの側が命令を下す側 なのか?」その点が明確でないと、その後の扱いができなくなるわけ。 序列意識は非常に強いのに、敬意とは縁がない、というか敬意というものを理解 できない・・・ダメダメ家庭では、そうなっているわけ。 じゃあ、敬意を理解できないダメダメ人間は、どうやって、「自分が上の序列なん だ!」と主張するの? 本来なら、敬意に値する自分自身の業績を示せば、それで「それなりの」敬意が 得られるでしょ?逆に言うと、自分の業績を示して、敬意を持ってくれないのな ら、そんな相手は放っておけばいい話。自分自身の業績は自分で何とかなっても、 他者の感情や判断は何ともなりませんよ。まずは自分でできることをやればいい じゃないの?他者から敬意を得るとか得ないとかは、たまたまの付随的な結果で あって、目的ではないでしょ? しかし、何度も書きますが、当事者意識がないダメダメ人間は、本質的に「敬意」 というものが理解できないわけ。敬意という言葉を使っても、「上の序列」という 意味であることもあるわけです。上の序列の人間との関係は、「支配・被支配」の 関係でとらえ、そこには敬意はないわけ。逆に言うと、一般的に見て敬意に値す る立派なことをしても、それによって上の序列を獲得するわけではない。 そのような人が言う「敬意」とか「敬う」とか「尊敬」とか「リスペクト」とか、 そんな言葉は、序列意識に基づいた支配・被支配の構図を記述するものとして理 解しているわけです。「ワタシを敬え!」という言葉は、心理的には「支配者たる オレに従え!」という意味になっているわけ。 かと言って・・・それこそ当事者意識がない人なんだから、何も業績がない。 尊敬に値する業績もないんだから、要求されて、その人をリスペクトしたくても、 できないでしょ? 結局は、相手からリスペクトを得られずに、だから問答無用に「ワタシを敬いな さい!」と序列に基づいて命令するしかない。 そんな要求を受けても、どうやって、リスペクトしたらいいのやら? しかし、そんな姿は、それこそダメダメ家庭の中ではおなじみの姿でしょ?ロク でもない親ほど「親を敬え!」と子供に要求するものですよね? あるいは、そんな姿は、韓国人がいつもやっていることでしょ?韓国人のいう「年 長者を敬う。」という言葉は、意味的には「敬う」ではなく「従う」に近いもので しょ?だって、敬うも何も、具体的にどんな点を高く評価しているの? ダメダメ家庭においては、リスペクトに関しては「ワタシを敬え!」と命令する スタイルになっている。そして、このような問答無用なスタイルは、ある種のダ メダメ人間にとっては、ありがたいものなんですね。 自己逃避で抑圧的なダメダメ人間は、「命令される」ことを、むしろ望んでいたり するもの。 だって、他者から命令されれば、自分で考えなくてもいい。 抑圧的なダメダメ人間は、認識を縛り、思考を縛ってくれる・・・つまり命令し てくれることを、待ち望んでいる場合があるわけ。以前に言及したエーリッヒ・ フロムがいうマゾヒズムを持っているわけです。縛られることが快感になってい る状態。 何も縄で縛られるとかの物理的な拘束ではなく、たとえば「○○を学ぶ。」とか、 「○○を規範とする。」という言葉を使って、知的な活動の面において拘束された がったりするもの。「学ぶ」も「規範にする」も、別の言い方をすると「従う」で しょ?つまり被支配の立場を自ら望んでいるわけ。 命令されることを内心では望んでいる抑圧的なダメダメ人間と、序列意識が強い 強圧的なダメダメ人間は、このように利害が一致することになる。だから問答無 用の「ワタシを敬え!」という命令が通ってしまうことになる。 そうやって、問答無用に命令することでリスペクトを勝ち取ったダメダメ人間は、 「ワタシは、あの○○から敬われているんだ!」などと周囲に豪語することにな る。 ダメダメ人間にとってのリスペクトとは、支配・被支配の構図の一部なので、そ の手の人は、異常に「肩書き」にこだわるようになったりするもの。肩書きを持 つことによって、「リスペクト」を得ようとするわけ。そしてその得られたリスペ クトによって、命令系統をさらに固めようとするわけ。 それこそ国連の事務総長になって「オレたちは偉いんだ!」と大喜びしていた人 たちがいましたよね?あるいは、以前に話題になったオウム真理教では、わけの わからない肩書きをつけて喜んでいたでしょ?彼らも曲がりなりにも宗教団体な んだから、そんな俗っぽいことしてはダメでしょ?しかし、抑圧的な人間は、自 分を認識や思考から解放してくれる道具と言える肩書きにこだわってしまうわけ。 肩書きがあり、それにより命令系統の流れは固まっても、それが精神的なリスペ クトになるか?というと本来は別問題でしょ? しかし、命令の流れと精神的なリスペクトの区別がつかないんだから、「肩書き= オレは偉い!」となってしまうのは当然。 そしていったん肩書きとか役職を得たら、まさに問答無用に命令するわけ。 問答無用に命令するための肩書きなんだから、それを行使しただけ。 それこそ、「ワタシはアナタたちの大臣なんだから、ワタシを敬いなさい!」と部 下に命令した大臣がいましたが、そんな発想も、ダメダメ家庭の発想を理解して いれば、簡単に理解できるわけです。そんなリスペクトを要求するスタイルは、「ワ タシはアンタの親なんだから、ワタシを敬いなさい!」とか「オレはオマエたち の先生なんだから、オレを敬え!」と生徒に命令する教員の発想とも同じなんで すね。一般的な意味での敬意を基にしているのではなく、支配・被支配の関係性 を基にしているわけ。 肩書きを元に、つまり権力を背景にリスペクトを要求しているので、逆に言えば、 そんな要求が通ってしまう。 だってそんな要求に対する反論は、現実的に、できませんよ。それが肩書きとい うもの。 ヘタに歯向かったりすると、権力を背景に弾圧されたり、「どうしてワタシを尊敬 してくれないの?キーっ!」と被害者感情が爆発し逆上されるだけ。 肩書きだけでなく、支配関係を確認する儀式によって、リスペクトを得ようとす る発想もあるもの。極端な例となると、先週取り上げましたが、陵辱行為をする ことで、支配・被支配の関係を確定させ、相手からリスペクトを得ようとするわ け。 支配・被支配の構図で物事を見る人間にしてみれば、陵辱することで、支配権を 確立し、それにより陵辱の被害者からリスペクトを得られると、無意識的には思 っている。 そんな発想は、とんでもない発想と思われる方も多いでしょうが、それこそ北朝 鮮なり韓国なんて、相手をいたぶることでリスペクトを得ようとしている・・・ と言われると、「そう言えば、そんな見方があるかも?」と思ったりするでしょ? あるいは、肩書きだけでなく、立場を得ることによって、リスペクトを得ようと する場合もあります。 それこそ、そんな人間は「恵んでやる!」という立場に立ちたがるもの。ボラン ティアの連中なんて、その典型でしょ?本来なら何かを恵んだからと言って、精 神的な敬意に結びつくわけではないんですが、「恵んでやる」という行為によって、 支配・被支配の構図は確立するので、それをダメダメ人間はリスペクトと捉えて しまうわけ。 ダメダメ人間の言う「リスペクト」は支配・被支配の構図の要素であり、命令の 流れを意味している。だから、それを被支配者に言わせるようになる。 「ワタシはお母さんを尊敬している!」と子供に言わせたり、「先生を敬ってい る!」と生徒に言わせるように命令する。だって、そもそも命令するためのリス ペクトなんだから、それを被支配者に言わせることは当然と思っているわけ。そ うやって、支配・被支配関係をより強固なものにしていくわけ。命令系統がより 強固になったんだから、よりいっそう「ボクは親を敬っている!」と子供に命令 し言わせることになる。それがスパイラル状に進行してしまう。 もちろん、そんな姿は、マトモな人が言う「リスペクト」とか「敬意」とかとは 無縁のものであることは誰でもわかること。しかし、ダメダメ人間は、周囲のマ トモな人たちと交流が少ないので、自分たちの認識を否定されることも少ない。 周囲の人が、ヘタにそんな考えに疑念を呈したら、被害者意識が刺激され逆上さ れるだけ。だから、支配・被支配の構図でリスペクトを捉えていても、そのまま 通ってしまうわけ。 そんな状態だからこそ、被支配の側は、自分自身を抑圧するしかない。肩書きを 背景にして制度的に発言が封じられてしまうのと同時に、感情なり判断まで命令 されてしまうんだから、精神的にも抑圧が進行しますよ。だからどんどんと思考 停止状態が進行してしまう。リスペクトといっても、敬意とか、尊敬とか、尊重 とか、敬うとか、微妙にニュアンスがあるわけですが、ダメダメ家庭においては 「リスペクトする」は「従う」「服従する」という意味になっているわけ。 服従を要求され、その結果として、完全に抑圧状態になってしまっているのなら ともかく、命令され、要求されて、リスペクトの念を表明させられても、だから と言って「内心から敬意を持っているか?」というと、別問題。別問題というよ りも、心情的には軽蔑するに近い。まさに面従腹背状態に近い状態のケースもあ る。 支配の側は、そんな軽蔑や反抗の感情が見えたりするので、なおのこと、リスペ クトを命令するようになってしまう。要求され続けた側は、結局は、完全に自分 自身を抑圧してオシマイになったり、逆に、臥薪嘗胆を決め込んだりするわけ。「あ のクソババぁ!今に見てろよ!」と拳を握る。 ああ!すばらしいリスペクト風景だなぁ・・・ 当事者意識がないダメダメ人間は、信頼と好意の区別がつかない。 他者から信頼されるように、自分を律することはせずに、「ワタシを好いてよ!」 と他者に好意を要求するばかり。逆に言うと、他者に要求すればいいだけなので、 好意を得ることばかりを考えるわけ。 同じように、他者からリスペクトを得ることばかりを考えて、自分で何かを達成 したり、自分自身の尊厳を高める努力などは何もしない。自分へのリスペクトを 他者に要求するその人自身は、じゃあ、どんな人をリスペクトしているの?普段 はどんなことをやっているの?どんな業績があるの? しかし、自己逃避で抑圧的な人間は、そんな人間的な思考はしない。 ダメダメ家庭にあるものは、人間的な尊厳不在の機械仕掛けのリスペクトなんで すね。 (終了) *************************************************** メールマガジンの解除は まぐまぐ&カプライトは下記のアドレスに http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/register/touroku.htm 各マガジン指定のフォームがあります。 購読解除しても発信者にはわかりませんので、安心して解除してください。 一応、各マガジンのサイトでの解除を御希望の方は まぐまぐ でのマガジンIDは「0000117943」です。 カプライトでのマガジンIDは「14204」です。 コピー&ペーストすれば、 それぞれのマガジン発行元の解除画面に行くことができます。 また、バックナンバーは下記のページです。 http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/index.html ご意見等がございましたら、ご遠慮なくどうぞ! メールアドレスは portadelparadiso@hotmail.co.jpまで・・・ *************************************************** 発信後記 本文中にも書いていますが、ダメダメ人間にとってのリスペクトは、「従う」「服 従する」という意味に近いわけ。 だから相手に対し暴行することで、相手からのリスペクトを得ようとする・・・ なんて発想が現実に存在し、それを実行に移す場合もある。 よく、児童虐待の現場だと「懐かないから殴った。」という言葉が登場いたします が、同じように「オレを敬わないから、殴った。」という物言いも存在するわけ。 じっさいにその手のニュースに登場したりするでしょ? あるいは、前回取り上げた京都教育大学の事件ですが、そんな発想をアタマに入 れておくと、その心理も理解できるようになるわけです。 ちなみに、あの事件に関して、新たに?「追手門大学」(大阪かな?)なる大学の 学生がブログに加害者擁護のコメントを書いたとか・・・ 別に、信念があって、そのように主張したいのなら、それでいいのでは? しかし、だったら、ブログに「て・き・と・う」に書き込むのではなく、レポー トに近い客観的な文章にまでまとめ上げるのがスジなのでは? そもそも学生だったら、たとえどんな程度の大学でも、ちゃんとしたレポートを まとめるようにしないとね。学生時代からブログとまりなんて・・・先が見えて いるよ。 その手のブログにある文章だと、「女性の方も悪い」なる主張のようですが、「ど っちが悪いのか?」という観点こそがダメダメ。お互いの視点や考え方の違いを 明確にして、それを踏まえた距離のとり方の示唆とする・・・それが一番重要な のでは? しかし、抑圧的になると、倫理的な視点が重視され、それによって、「自分はどう したいのか?」ということについて考えることから逃避するわけ。 逃避しているんだから、まあ、ブログとまりになってしまうんでしょうが。 内容の適切さ云々よりも、ちゃんとした文章をまとめられないことから、見えて くるものもあるわけ。


