2009/06/08
メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」
★ メールマガジン:ダメダメ家庭の目次録 ======================================================== ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓ ダ メ ダ メ 家 庭 の 目 次 録 ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛ 法律上は別に問題がないが、結果的に子供の方が法律違反に陥る ダメダメ家庭の実態について、その具体的な会話や行動を リストアップいたします。 長崎や大阪や千葉など日本全国で「活躍」しているダメダメ家庭の OBやOGはどのような環境で育ったのか? 皆様にも、御理解いただけると思います。 ========================================================= ★ カテゴリー:ダメダメ家庭の会話のスタイル(発言側) ★ 今回のお題:質問の質 たとえば、こんな状況を考えて見ましょう。 明日台風が来そうだ。 今はまだ晴れている。 お昼ごろスーパーに買い物に出かけたら、知り合いに会った。 そしてその人が聞いてくる。 「明日台風が来そうね。明日の買い物はどうしよう?ここのスーパーだと安いし 種類が豊富だけど雨なのに自転車で来なくてはいけない。歩いて行ける家の近く のコンビニだと高いし、種類が少ない。ああ!明日は、どっちのお店に行こうか?」 さあ!台風の中、自転車でスーパーに行った方がいいのか? それとも、高いのを我慢して近くのコンビニで買い物をするのか? どっちでも個人の自由。 しかし、マトモな人が考えるのは別のこと。 そう!「今日のうちに、明日の分までまとめて買い物をしておけばいいじゃない の?」 そんな回答は、上記の質問の回答とは言えないにせよ、直面している状況を解決 するには最善の方法でしょ? 質問に答えることが、解決につながるとは必ずしも言えないでしょ? あるいは、似た事例を考えて見ましょう。 「自分とは何か?」そんな自分探しをしている人がいるとしましょう。 その人が聞いてくる。「ボクは自分というものを見つけたい!だから昨年は1年間 かけてアジアを回って自分探しの旅をした。しかし、ボクはまだ自分自身がわか らない。だから今度は、アフリカかヨーロッパに自分探しに出かけようと思って いる。アフリカとヨーロッパとどっちが自分を見つけられると思う?」 そんな質問に対して、ヨーロッパと答えても、アフリカと答えてもいいでしょう。 しかし、一番マトモな答えは、「自分自身を見つけたいのなら、ヨーロッパでもア フリカでもなく、どこかじっくりできるところで、自分自身を見つめ、自分自身 と対話したら?時間があれば古典文学でも読んで。」そんな回答になるでしょ? 二者択一の質問があったからと言って、その二者から選ぶ必要はないのでは? その状況を解決するための、最善の方法は、その二者の内のどちらかとは限りま せんよ。 あるいは、以前には「ワタシに対して『アンタは結局どうしたいの?』なんてイ ジワルな質問をしてくる人がいる。そんな人とやり取りするとケンカになってし まう。そんな質問に対して反論した方がいいのか?それとも黙って耐え忍ぶのが いいのか?どっち?」 なんて質問もありました。 そんな質問に対する回答は、耐え忍ぶことでも、感情的に反論することでもなく、 「自分は何をしたいのか?」それを丁寧に相手に説明することでしょ? ダメダメな人は、一種の誘導尋問のようなことをする・・・このことは以前に配 信しております。「ワタシがかわいそうな被害者」という説明や認定を相手から導 き出そうとするわけ。 そして求めていた被害者認定を、相手から得られて、大満足! そして「ワタシは被害者なんだから・・・後は加害者のアンタたちがやってよ!」 と主張し、自分では何もしない。 ダメダメな人は、そのようなことを意図的にやっているわけではないわけ。 そもそもダメダメな人は、抑圧的。 自分自身の希望なり感情を抑圧している。 当然のこととして、現状認識することもイヤ。 だから本当の意味での問題意識がない。 かと言って、現状認識がないがゆえに、トラブルが多発することになる。 だから、それなりに他者に質問したり相談することになるわけですが、現状認識 や思考を抑圧したままで質問されても、もっとも重要で基本的な視点が抜けてい ることが多いもの。 抑圧的ということは、自己逃避状態ということなので、自分に関係ある事項ほど、 その質問から抜けているわけ。 だからこそ、そんな質問を受けた側が、つい言ってしまうのが「バッカじゃねー の?」というもの。 この「バッカじゃねーの?」という言葉は、以前に国会で話題になった「偽メー ル事件」での民主党の前原さんの行動について、自民党の人が言っていました。 前原さんは国政調査権云々で色々と食い下がっていましたが、まあ、「そんなもの、 まず、調べたい銀行の口座番号を出せば済む話じゃん?!」ということなんでし ょう。 「アンタ・・・何を小難しいこと言っているの?」 「そんなこと、カンタンなことじゃないの?」 「バッカじゃないの?」 と言うことなんでしょうね。 あるいは、自民党の大臣が、架空の出費の疑惑でモメていましたが・・・ 法律にのっとって処理したから問題ない・・・という言い訳も何も、領収書を出 せば、それでオシマイでしょ? 色々と弁解すればするほど、「バッカじゃないの?」と思うだけ。 ダメダメ家庭の人とやり取りしていると、この「バッカじゃないの?」と思わさ れることも多いわけ。 誰でもできるこのことをやれば、問題は解決するのに、どうして、そんなに小難 しいことを言ったり、方向違いの質問になってしまうの? こちらとしては何も難しいことを要求しているわけではないのに、あーでもない、 こーでもないとウダウダと・・・ 「アンタは一体何が言いたいの?」 「何をわかりたいの?」 どうしてもそう思ってしまうことになる。 しかし、そんなわけのわからないことを言い出したりするような人間は「ワタシ たちは、○○なんだから、あとはアンタたちでやってよ!」などと言い出す始末。 まあ、この○○が以前の「偽メール事件」では、野党という言葉だったわけ。ま あ、一般的なダメダメ人間とのやり取りでは、この○○は被害者という言葉にな るケースが通常です。 何回も書いていますが「ワタシはアンタたちによる被害者なんだから、後はアン タたちの側が考えてよ!」なんて物言いになってしまうわけ。 しかし、そんな話を聞かされると、「被害者かどうかはいいとして」「いったい、 アンタはどうしたいの?」「そもそもの目的は何?」と思っちゃいますよね? そりゃ「バッカじゃないの?」と思いますよ。 しかし、ダメダメ家庭はそもそも当事者意識がない。自分が本当にやりたいこと、 やらなければならないことなんて自分でもわかっていないわけ。 一番重要なことは何か? 一番解決したいことは何なのか? そんなこともわかっていないような人の要求なんて、聞かされてもわからないの は当然でしょ? そして、当事者意識がないダメダメ家庭では、そもそも物事を始めるにあたって も、「難しいことから始める」傾向があります。単純で効果的な方法をとるより、 外面的な体裁のいいことをやるわけ。外面的な体裁が重視されるので、当人から して、ますます何をしなきゃいけないのか?わからなくなってくる。そんなわけ わからない話を聞かされる側は、キョトンとしてしまう。 当人が熱弁をふるっているのに、相手がキョトンとしているので、逆上してしま い、ますます何がなんだかわからなくなる。こうなるとその物言いだけでなく、 その様子そのものも「バッカじゃないの?」と見えてしまうわけ。 だって、わけのわからないことを、顔を真っ赤にして言われても、「バッカじゃな いの?」と思うのは当然でしょ? まあ、民主党の偽メール事件は、非常にわかりやすい例。 その他には、「で、結局アナタは何が言いたいの?」などといった「素朴」な質問 に対する対応の時に出たりしますよね? 「で、アナタは結局何が言いたいの?」と聞かれたら「ワタシが言いたかったの は、このようなことだよ。」って、説明すれば済む話。 ところが対抗心が強く、被害者意識が強いダメダメ人間は、「ワタシを追い込もう としている!」と、考え、逆襲に出るわけ。 まあ、そんな逆襲に、「オレも負けないぞ!」なんて逆に燃え上がる人もいるかも しれませんが、そんな人間も所詮はダメダメ。 そんなやり取りを見ていたマトモな人間の考えは「私が言いたかったのは○○ だ!」といえば簡単に済むのに、何ややこしい説明しているの?と思うに決まっ ていますよね? そして「バッカじゃないの?」となってしまう。 そんなものでしょ? 「バッカじゃないの?」 という言葉は、知能程度が低いということではないわけ。むしろ「アナタは自分 の言っていることが、自分でもわかっていないでしょ?」そんな意味でしょ? 当事者意識がないダメダメ家庭の人間は、そのような状態に陥りがち。 本来は、自分の希望なり現状を的確に認識すれば、対処の方法なんて、簡単に見 つかるし、簡単にやれたりするもの。それを踏まえ、誰かに相談したり質問した りすればいいだけ。 しかし、ダメダメ人間は自己逃避であって、だからこそ、自分の現状なり希望と は無縁の質問になってしまう。 トンチンカンな質問をする当人は、実際に「困っている」。 質問自体も、それなりの論旨で質問してくる。 しかし、抑圧的で自己逃避状態のままなので、実際のトラブルと質問がリンクし ていないわけ。 風邪で高熱でウンウンうなっている状態の解決として、数学の証明の問題を聞い てくるようなもの。その数学の問題については必死に説明したりするもの。たし かにその数学の問題が証明できれば、いいことなんでしょうが、「だからと言って アンタの高熱は治らないんじゃないの?」と周囲は思うだけ。数学の例は極端で すが、政治的な陰謀史観のような事例だったら、意外とあったりするでしょ?そ れこそ「ユダヤの陰謀を阻止するためには、どうすればいいのでしょうか?」な どと真顔で聞いてきたりするもの。そんな質問を受けても「で、結局、アンタは 何に困っているの?」そう思わされるだけ。 私くらいになると、そんなトンチンカンなやり取りは、その人の自己逃避から来 ていることがわかりますから、その症状に対してはそれなりの理解がある。 しかし、一般の人は、そんなトンチンカンな質問をされたら、不快に思いますよ。 「コイツ・・・ワタシに構って!」って甘えているだけじゃないのか!って思い ますよ。 自己逃避であるがゆえに、トラブルについての質問だって、自分自身から遊離し てしまうわけ。 だから、問題の解決につながらないだけでなく、周囲の不快感もかってしまう。 おまけに、その手の抑圧的な人は、周囲に配慮した「いい子ちゃん」なので、周 囲の人、とりわけ自分の親に配慮してしまって、ますます現状とは遊離した質問 になることが多い。 問題を解決するに役に立つ質問というよりも、自分自身なり周囲の人が傷つかな い、議論のための議論にうってつけの質問になる。 そんな質問を受けたら、質問に回答することに意味があるのではなく、質問が無 意味と説明することに意味があるわけ。 また、そんな質問をすること自体に目を向けていかなくてはいけないわけ。 それこそ、「ボクは自殺を考えている。リストカットがいいのか?首吊りがいいの か?どっちがいいと思う?」なんて質問に対して、その提示された二者のうちの どちらかを推奨すればいいというものではないでしょ? 抑圧的な人間は、自己逃避であり、問題意識の方向性も遠くに向かっていく。 それこそ家庭内暴力に陥った女性が周囲に質問する。 「どうやってあんな暴力オトコを懲らしめればいいのか?」 そんな質問に対して、どう答えればいいのかな? しかし、どう答えても、本来はその女性のためにはならないでしょ? その女性が、「どうして、あんな暴力オトコと結婚してしまったのか?」と聞いて きたら、真摯に相談に乗ることの方が重要。 しかし、ダメダメな人は、「どうやってあんな暴力オトコを懲らしめればいいの か?」という質問を周囲に投げかけ、そしてダメダメな周囲も、その質問に対し て、熱心に回答する。 そして当人たちは「そうね!そうね!こうすればいいのね!」「よしっ!ミンナで アイツをやっつけよう!」と大喜び。 しかし、その結果がどうなるのか?そんなことはわかりきったことでしょ? しかし、「どうやってあの暴力オトコを懲らしめればいいのか?」で盛り上がった 人たちは、次のトラブルの際には「今度は、どうやってあっちの暴力オトコを懲 らしめればいいのか?」で盛り上がるわけ。そうやって延々と続くことになる。 いったい何が楽しいのやら? 質問そのものというよりも、質問が発せられる背景なり、質問を発する土壌や、 当人の状況・・・それに目を向ける必要があるわけ。しかし、自己逃避人間は、 どんどんと、自分に関係のない分野に議論を移したがるもの。質問を受けた側と しては、その無意味さの意味を説明し、理解してもらうことの方が重要なんです ね。 自分の問題を解決するために質問しているのではなく、自分の問題から目をそら すために質問している。目をそらしているんだから、同じトラブルを繰り返しま すよ。 自己逃避の人間は、本当の意味での問題意識がない。 だから、周囲に対する質問もトンチンカンなことが多いもの。 それこそ古代ギリシャのアルキメデスがお風呂に入って、問題を解決しましたよ ね? 抑圧的な人がそんな事例を聞いたら、アルキメデスに質問する場合、こんな感じ になるわけ。 「へぇ・・・アナタ・・・お風呂に入って、問題を解決できたの?そのお風呂は 何度くらいのお湯なの?右足から入ったの?左足からなの?入浴剤は使ったの? お風呂の大きさはどれくらい?」 しかし、本来なら、「お風呂に入る前に、その問題点をどんな感じで整理していた の?どんな観点から考えていったの?どんな試行錯誤をやっていたの?」と聞く のがスジというもの。 お風呂の入り方を質問されたら、アルキメデスさんも途方に暮れてしまいますよ。 「えっ?あれって風呂の問題だったっけ・・・」 サスガにこの例は、極端な例ですが、そんなトンチンカンな質問を、21世紀の 日本のダメダメ人間もやっていたりするもの。ダメダメ人間は目立つ事件には反 応しても、その前の積み重ねには考慮が至らないわけ。だからこそ問題も解決し ない。質問の質によって、その人の精神的な抑圧が見えてくるものなんですよ。 それこそ民主党の「偽メール事件」での永田議員とか、「法律にのっとって・・・」 とおっしゃっていた松岡大臣がどうなったのか? 一番簡単なことをやれない・・・そして、関係の薄い分野ばかりに手を出す・・・ そんな行動スタイルは、以前に取り上げたトルストイの「アンナ・カレーニナ」 でも同じ。 そんな状態の結果は、まさにあんなことになってしまうわけ。 (終了) *************************************************** メールマガジンの解除は まぐまぐ&カプライトは下記のアドレスに http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/register/touroku.htm 各マガジン指定のフォームがあります。 購読解除しても発信者にはわかりませんので、安心して解除してください。 一応、各マガジンのサイトでの解除を御希望の方は まぐまぐ でのマガジンIDは「0000117943」です。 カプライトでのマガジンIDは「14204」です。 コピー&ペーストすれば、 それぞれのマガジン発行元の解除画面に行くことができます。 また、バックナンバーは下記のページです。 http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/index.html ご意見等がございましたら、ご遠慮なくどうぞ! メールアドレスは portadelparadiso@hotmail.co.jpまで・・・ *************************************************** 発信後記 本文中に書きましたアルキメデスのたとえ話ですが・・・ そんなトンチンカンな質問をする歴史的な事実があったわけではありません。ま あ、考えやすい極端な例として登場させただけです。 しかし、ちょっとシチュエーションを変えたら、そんなトンチンカンなシーンは、 21世紀の日本でもあったりするもの。 購読者の皆様も、人から質問されて「私に質問するのはいいとして・・・そんな ことが問題ではないだけどなぁ・・・」と途方に暮れたことがあるでは? お風呂に入る前の積み重ねよりも、お風呂というイヴェントに注目する発想は、 たとえば、厚生省事務次官OBや中央大学の教授の殺害事件でもあるでしょ? 「どうしてあの人を殺害したのか?」「何が憎かったのか?」そんな議論があるよ うですが、重要なことは、そんな「きっかけ」ではなく、あのような殺害行為が 当人にとって必要になってしまう心理の積み重ねの方。「誰を殺すのか?」とか「ど うして殺したのか?」は、そのような事件の心理としては重要ではないわけ。そ んな議論は、お風呂に右足から入るのか?左足から入るのか?そんな議論と同じ 次元のレヴェル。 だからこそ、最後になって「よーわからん」となってしまう。 まあ、そもそも質問の質というか、問題意識の方向性が間違っているわけです。



