2009/09/01
ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 130号 2009.9.1
☆━┓ ┏━┓ ┏━┓ ┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン ┗━┫e┣━┫n┣━┫o┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○ ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆ 130号 2009.9.1 ∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち サンフランシスコで映画を学ぶ (1) 黒川 通子 †02 ■自作を語る 猿田彦土中神社 鈴木寅二啓之天地の奇跡 並木 浩士 †03 ■ワールドワイドNOW ≪北京発≫ 日本未公開、中国ドキュメンタリー映画新作紹介 前田 佳孝 †04 ■映画時評 『花と兵隊』(監督:松林要樹) 中村 のり子 †05 ■広場 ■投稿:山形映画祭はどのようにして選考してきたのか 矢野 和之 ■まもなく応募締切!「アース・ビジョン第18回地球環境映像祭」 ■「自作を語る」などの原稿募集! ■上映の告知の有料化とカンパのお願い †06 ■編集後記 伏屋 博雄 ★バックナンバー閲覧はこちらまで まぐまぐ配信 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/ melma!配信 http://www.melma.com/backnumber_98339/ ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち ┃ ┃■サンフランシスコで映画を学ぶ (1) ┃ ┃■黒川 通子 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●日本脱出を決意 私は昨年秋からサンフランシスコ州立大学映画学科大学院で映画制作を学んでおり、 3年間のプログラムのうち1年目を終えたところです。表題のテーマに沿う内容で書 けるか不安でしたが、私がアメリカで学ぶ過程をドキュメントすればそれがドキュ メンタリーである、という本誌編集長の伏屋さんの柔軟な解釈に従ってドキュメン トしてみることにしました。自由課題で撮った短編ドキュメンタリーの制作過程も レポートします。 留学前は映画上映の仕事についていましたが、10年以上勤めた職場を辞めて制作の 道を目指し始め、しかもなぜアメリカの学校に行ったのかと、これまで何度か聞か れました。 自分としては長年の希望をようやく実現しただけなのですが、まずは大学時代に遡 ってその理由と過程を書いてみます。 私は子どもの頃からの映画好きという訳ではありませんでした。しかし明治学院大 学芸術学科で四方田犬彦先生のお話に興味を覚え、映画史を学び始めたのがそもそ ものきっかけです。それまでに映画制作経験はなく、在学中にイメージフォーラム 付属映像研究所に通って撮った8ミリフィルムの短編が初めての作品です。研究所に 入った当初、「フィルムとビデオって何が違うんですか?」と質問して先生方を驚 愕させてしまったことを覚えています。 ほとんど無経験の私には制作の仕事は敷居が高く、やっと見つけたのがパルテノン 多摩という公共ホールを運営する財団の事業課職員の募集告知でした。映画上映の 仕事なら映画史を勉強した自分にできるだろうし、働きながら自作品も撮ろうとい う甘い見込みで就職しました。しかし実際はそんな余裕はなく、また企画考案から チラシ制作までをこなす映画担当の仕事は創造意欲を満たしてくれ、自分が映画制 作志望だったことは徐々に忘れていきました。それよりも世の中には素晴らしい映 画がこれだけあるのにそのほとんどは上映機会に恵まれていない、という(残念な がら)当たり前な事実に驚愕し、そうした映画をせっせと紹介することに情熱を注 ぎました。企画上映の数を増やし、それまで多摩地域では上映機会が少なかったド キュメンタリー、アニメーション、クラシックの名作、特に弁士や伴奏付きの無声 映画などを定期的に上映したこと、子ども向け映像ワークショップを開始したこと などが私の成果だと思っています。 やがて自分が財団でできることの限界に気づき始めました。パルテノン多摩は複合 文化施設であって映画館ではなく、財団運営なので(現在は指定管理者制度に移行)、 施設として組織として様々な制約があります。同時に英会話能力と映像制作経験や 知識の欠如による自分の企画力の限界を感じました。通常は既に国内配給された作 品を借りて上映したので日本語で仕事ができましたが、企画により海外の監督やプ ロデューサーと直接接触する機会もあり、その際に通訳を介することに味気なさを 覚えました。英語に堪能であれば情報収集や人脈づくりに役立つことは言うまでも ありません。特に何度かボランティア参加した山形国際ドキュメンタリー映画祭で は、この仕事を続けて行く上での英会話能力の重要性を感じました。 またデジタル技術の進歩について行くことは難しく、フィルムに関する知識は勉強 不足でした。新しい企画を実施する場合、時に自分自身で技術面を補う必要があり ましたが、私の乏しい知識と経験では限界がありました。 それを痛切に感じさせてくれたのが、十数枚の写真と原作小説から溝口健二監督の 幻の映画『血と霊』を再現した実験的な企画でした。研究家の佐相勉さんの監修の 下、活動弁士の澤登翠さんが台本を書き、映画伴奏者の柳下美恵さんが作曲をする という素晴らしい環境でしたが、予算的な問題などから肝心の上映素材は私が作り ました。活弁と伴奏の素晴らしさに比較し、ごく初歩的な技術で作られた素材はい かにも素人的で、成功したにも関わらず心残りな企画となりました。 また視覚玩具作りと簡単なビデオのアニメーション制作からスタートした子ども向 け映像ワークショップでは、講師の昼間行雄さん(こどもの城)と相談して毎年の 企画を考え、時にはフィルムを使ったり、高校生以上を対象とした企画を考えたこ ともありました。しかし結局、開始当初のスタイルに戻して定着させたのは、予算 や参加者の嗜好もその一因ですが、制作経験不足な担当の私には企画を膨らませる ことが難しかったという面もあります。 一方、自作品の制作意欲もありました。名作映画を見てこれ以上世の中に映画は必 要ないのではないかと感じることも多いですが、反面、世相を鋭く切り取った映画 や秀逸なドキュメンタリーを見ると、映画はその時代ごとに撮られるべきものだと 強く感じます。 特にドキュメンタリーでは撮られるべき現代的なテーマがいくらでもあるし、女性 監督が増えれば映画の中の女性の扱いも変わるはずです。まだ撮られていない映画 を自分の手で撮りたくもあり、自分にどんなものが撮れるのか試してみたくもあり ました。そうした意欲は上映の仕事をしながらも燻っていたように思います。 やがて文化行政に関する世間の考えも徐々に変わり、パルテノン多摩も指定管理者 制度への移行が決まりました。少し仕事がやり辛くなったなと感じていたところ、 急に映画担当から経理担当への異動を聞かされました。採用当時、事業課職員は他 課を経験してこそ良い仕事ができるという考え方が財団にあり、組織の構成すらチ ンプンカンプンであった私もまず管理課の仕事を覚えることを希望したことがあり ます。しかし10年以上継続して映画担当を務め、他課の仕事もおぼろげながら理解 した今になって経理担当に異動する理由は私にはありませんでした。そしてこの機 会に退職し、長年の課題であった英語と映像制作を学ぶために、英語圏の映画学校 に留学することを決めました。 留学したかった理由は実はもうひとつあります。あの頃は日本から逃げ出したくて たまらなかったのです。アメリカのイラク侵攻後、3人の日本人ボランティアがイラ クで誘拐され人質になるという事件がありました。あの時に日本中で起きた嵐のよ うなバッシングにショックを受けたのは私だけではないでしょう。世論はヒステリ ックに3人を非難し、調子に乗った政治家もマスコミも国民にゴマをするように「自 己責任」という言葉で非難し始め、自分の職場の職員までがインターネット上に彼 らの住所が晒されているのを嬉しげに語るのを聞いて唖然としました。あのバッシ ング事件をきっかけに、日本全体が急速に嫌な雰囲気になって行ったのを覚えてい ます。自分の国が日に日におかしくなっていくのを見るのはとても悲しく、なぜか 惨めでした。この状態を少しでも改善するために、自分の仕事で何ができるのだろ うかと考えました。反戦など政治的なテーマを前面に出した企画はできませんが、 あの時期になぜ、ダルトン・トランボの映画やイラン映画を上映したのか、来場者 は分かってくれていたと信じたいです。 そんな儚い努力をしても世の中は一向に変わる気配がなく、郊外の公共ホールの映 画担当でしかない自分の無力さを惨めに感じました。職場で孤立しかけていた私に は自分の職場の雰囲気を緩和することすらできません。そして韓国、中国に対する 差別的な言論が息を吹き返し、北朝鮮バッシングがヒートアップする中、日本と他 のアジアの国々の関係をどのように考えたらいいのか分からなくなりました。感情 が渦巻く日本の外へ、できれば欧米に行きたいと思いました。アジアではないとこ ろへ行けば、少しは今のアジアを俯瞰できるのではないかと期待したのです。また これまで飛行機の乗り継ぎ程度でしか欧米の土を踏んだことがなかったので、欧米 に住んでその考え方を理解したいとも思いました。 しかし英語圏であってもアメリカは志望先から外していました。子ども染みている ので口に出しませんでしたが、ブッシュ大統領の任期中はアメリカの土は踏むまい と心に決めていたのです。「英語圏で映画の勉強をするならアメリカでしょ?」と 何度も言われながら、意固地にイギリスやカナダの大学院から志望先を探しました。 当時、既にアブグレイブ刑務所でのおぞましい出来事が発覚して、アメリカはすっ かり評判を落としていましたが、私も自分がアメリカ嫌いになっていくのを感じ、 逆にこれはまずいと思い始めました。発想が単純で書くのも恥ずかしいのですが、 アメリカ嫌いにならないために、アメリカに住んで友達を作ろうと思うようになっ たのです。 そう決めてアメリカで志望校を探し始めましたが、フランシス・コッポラの母校UCL A( University of California, Los Angeles:カリフォルニア大学ロサンゼルス校) さえよく知らなかった私はアメリカの映画学校の幅広さに驚きました。大予算で大 掛かりな映画制作を学ぶ大学がある一方、手作り的な実験アニメーションなどとい うコースを持つ大学もあります。ドミュメンタリーとアニメーションと実験映画が 好きなので、これを全部一度に学べる大学院はないかと考え、CalArts(California Institute of the Arts:カリフォルニア芸術大学)、SAIC(School of the Art Inst itute of Chicago)、SFSU(San Francisco State University:サンフランシスコ州 立大学)の3つを受けました。 そしてなんとか1つだけ受かったサンフランシスコ州立大学の映画学科大学院に、 2008年秋に入学することになりました。 (つづく) ■黒川 通子(くろかわ・みちこ) 1971年生まれ。明治学院大学芸術学科で映画理論を学ぶかたわら、イメージフォー ラム付属映像研究所17期卒業。短編アニメーション『しょわしょわ』がイメージフ ォーラム・フェスティバル1996に入選。1996-2007年、財団法人多摩市文化振興財団 で映画事業の企画運営を担当。財団法人日本映像国際振興協会に短期務めた後、200 8年よりサンフランシスコ州立大学映画学科大学院生として映画制作を勉強中。2009 年、短編ドキュメンタリー『Exploring Japantown』を監督。 ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃02┃□自作を語る ┃ ┃■猿田彦土中神社 鈴木寅二啓之天地の奇跡 ┃ ┃■並木 浩士 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ この作品は、恐らく世界に1人しかいないであろう希有なスタイルの芸術家、鈴木寅 二啓之の制作記録です。鈴木氏のスタイルとは、和紙に特殊な墨で描き、その絵画 を100日土中に埋めます。100日の間に絵画は土中バクテリアにより変化し不思議な 絵柄を獲得します。土にゆだねられ、育まれた絵画は、素朴だけれど生命の根源の ようなものを感じさせる不思議な力を持った作品として表出します。 この絵画は「土中絵画」と呼ばれ、鈴木氏はこのスタイルを15年続けています。 2007年の年末、鈴木氏から記録映像の制作の依頼がありました。伊勢の猿田彦神社 で「猿田彦土中神社プロジェクト」という美術制作を行うのでその過程を記録して ほしいとのこと。交通費にも足りない低予算での依頼でした。当然会社としては仕 事を受けません。ただ個人的には「面白そう、撮りたい。」と感じていました。そ れは鈴木氏の美術制作への興味と、伊勢という場所と、由緒ある神社内での撮影と いうことに強く心引かれたのです。「なかなか経験できないことが起こりそう。」 と思い、会社に是非依頼を受けたいと相談しました。結局会社はプロジェクトのク ライマックスで行う「啓行神楽」の撮影収録という作業内容で依頼を受けることと し、撮影・編集で動く並木は休日扱いの無報酬、交通費や稼働費用は自腹というこ とを強く約束させられ、撮影機材だけは提供してもらえました。このときは自主制 作的に記録映像をつくるという目的だけで、映画館での上映など思いもしていませ んでした。ただ面白い作品が制作できそうな良い予感はしていました。 撮影は4月に横浜のアトリエで行われた、絵画を描く作業から始められました。直径 3メートルほどの8角形の巨大な和紙。鈴木氏がそれと向かい合うこと1時間余り、集 中の極限に一筆で墨を和紙にたたきつけます。そうして描かれた数枚の絵画を5月6 日、土中に埋める作業へと進みます。猿田彦神社本殿の裏には「御神田」という神 様の田んぼがあり、さらにその奥に人が入らない畑があります。この土中に3枚の絵 画を埋めました。それから69日後、今度は掘り出し作業です。これは辛かった。朝6 時から作業開始。和紙を破かないよう土を丁寧に取り除く作業が延々と続きます。 お昼前には気温が35度に達し作業する方々は汗だくです。ところが神社の肥えた土 が和紙を浸食していて、3枚埋めたうちの1枚は完全に溶けてなくなり、2枚目3枚目 もやっと土にこびりついている状態。一時は失敗かと皆が感じ何だかピリピリした 空気に。しかし作業12時間、ぼろぼろの絵画を何とか掘り出すことが出来ました。 掘り出した絵画を拡げて、汚れを落としてみると、じわりと感動がこみ上げます。 原型は無くなってしまいましたが、「土に愛された絵画だなぁ。」と感無量でした。 8月からは絵画を飾るための祠「土中神社」の制作に入ります。場所は御神田脇の木 立の中。素材はほとんど全て天然のものでつくられ、製作は地元の方々や、多くの 人の協力で進みます。それは土中神社が人々を引き寄せて集めているような印象を 受けました。 そして10月12日、舞踊家鈴木邦江さんの奉納舞「啓行神楽」によって、土中神社の 展示が開始されました。当初展示期間は1年間とされていましたが、さらに2年程度 延長されたそうです。 伊勢市、猿田彦神社の本殿裏の御神田に足を運ぶと、深い木立の中に、土から生え てきたような佇まいの土中神社が現在も建っています。屈んで通る扉を入るとその 天井には土中絵画がほのかな灯りに照らし出されています。土壁に囲まれた、3メー トル四方の空間のなかに身を置いて、じっと天井の絵画を眺めていると、夜空を見 上げているような、否宇宙から地上を見下ろしてるような、あるいは母胎の中のよ うな、もっと太古の生命の根源の誕生を見つめているような、様々な不思議な感覚 にとらわれます。宇宙や生命を深く感じさせると言うことは、この絵画そして土中 神社が、大きな生命態としての宇宙へつながる力を胎んでいるのだと思います。そ して自分自身も、全宇宙を形成している生命の1つであり、宇宙と密接に連携してい る要素なのだと感じることが出来ます。この空間には、生命や誕生や宇宙の大きな 力を思わせる力があるのです。 その作業過程を丹念に追った本作品には、土中絵画・土中神社の持つ力の意味やそ れを解き明かす鍵を見つけることが出来ると思います。そしてそれは、人間が最も 大切に感じなければならない何かを指し示しています。是非映画を見て下さい。そ して興味を待たれた方が伊勢の「猿田彦土中神社」に足を運んで頂けたら、こんな にうれしいことはありません。 ☆上映情報: 『猿田彦土中神社 鈴木寅二啓之天地の奇跡』 ポレポレ東中野にて、8/29(土)~モーニング(11時~)ロードショー 公式ホームページ http://www.underwater-visual.com/docyu.html ★『猿田彦土中神社』公開記念イベント開催決定! ●舞台挨拶:8月29日(土) 上映後 8月30日(日) 上映後 ゲスト:鈴木寅二啓之、鈴木邦江、並木浩士監督、スペシャルゲスト ●ティーチイン:9月6日(日)上映後、9月12日(土)上映後、 9月13日(日)上映後、ゲスト:鈴木寅二啓之 ●ロビーにて鈴木寅二啓之の絵画作品を展示! 上映期間中、ロビーにて鈴木寅二啓之による未公開土中絵画の展示を 行います お問い合わせ:アンダー・ウォーター・ヴィジュアル株式会社 〒164-0011 東京都中野区中央5-38-13 エスエス10ビルA901 Tel :03-5342-9192 Fax:03-5342-9193 Mail: info@underwater-visual.com ■並木 浩士(なみき・こうし) 1962年横浜市生まれ。1983年横浜放送映画専門学院卒業。以降、CS放送CATV局中心 の番組制作、舞台イベント等の映像演出を開始。1998年高齢者福祉をあつかったド キュメンタリー番組『天まであがれ』(構成演出担当、CTN放送)が話題に。2003年 映像による公式記録を担当した『2003年FIFAワールドカップ・パブリックビューイ ング』がカンヌ国際広告祭グンプリ受賞。2006年よりオーストラリア等で行われる 南半球最大の格闘技イベント「エクスプロージョン」の映像演出、世界放送の番組 制作を担当。2009年カンボジアで行われている地雷除去活動「クリアランドプロジ ェクト」の公式映像など、現在国際的に活躍している。 ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃03┃□ワールドワイドNOW ≪北京発≫ ┃ ┃■日本未公開、中国ドキュメンタリー映画新作紹介 ┃ ┃■前田 佳孝 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「日本未公開中国ドキュメンタリー映画映画新作紹」 今回は日本でまだ未公開の新作中国ドキュメンタリー映画を二つ紹介したいと思う。 まず一本目は『水没の前に』で既に日本でも知られているリー・イーファンの新作 『郷村档案(Village Archive)』。 今作はイェン・ユィとの共作ではなく、 リー・イーファン個人での制作となっている。この作品は四川省の龍王村を二年間 記録した作品で、そこには日本人には想像の及ばないような中国の農村の実態が克 明に記録されている。映画は村での年中行事を軸に構成されているのだが、一般に 想像されるような穏やかで平凡な農村風景とはまるで違う。村の代表を選ぶ選挙で のあからさまな不正投票。共産党の集会が開かれるのだが、そこに集まる党員は村 の老人ばかり。外部から来た党代表は、老人ばかりの集会に場違いのメガホンをも って施政演説をまくしたてる。その集会の内容でも語られるのだが、今では村人の 大部分がキリスト教信者である。信者といっても宗派がいくつにも別れていて、 所々に新たな宗派が乱立するような状態。中にはカルト宗教も派生してきて、村人 の間では農耕作業の合間にどの宗派に入るかという話題が交わされる。この村を観 察するリー・イーファンの態度には「知識人」という言葉が相応しく、彼のキャメ ラは終始客観的な視点を保ったまま村の全貌を捉え、分析し、真実を暴きだしてい く。共産党が指導力を失ったため、宗教に生活のよりどころを求める村人たち。 リー・イーファンの視点は変わっていく中国の農村の事情をまさに「アーカイブ」 として記録していく。豚の去勢シーンに始まり、豚の屠殺シーンで終わるこの作品 の構成からは、作者の現代中国社会に対するアイロニックな考えが見てとれる。作 品の最後に「私の友達」という字幕の後に村人一人ひとりの映像が映し出されるの だが、唯一ここでは客観的な視点から離れ、作者の村人に対する思いが前面に映し 出される。2007年に完成した作品だが、間違いなくその年の最も重要なドキュメン タリー映画のひとつで、この作品がまだ日本未公開であることが信じられない。 二本目はジャオ・ダーヨンの新作『廃城(Ghost Town)』。北京の宋庄で行われた 第五回ドキュメンタリー交流週でユー・グァンイーの『サバイバルソング』(既に 第九回東京フィルメックスで上映、審査員特別賞を受賞している)とともに大賞を 受賞した作品と聞けばこの作品のクオリティを想像することができるだろう。2008 年完成のこの作品は雲南の辺境の村を三年余りにわたって記録した力作である。タ イトルに「ゴーストタウン」とあるが、元々は山上の町で1985年に都市計画によっ て人々が移り去った後、周辺の村人が勝手に移り住むようになり、今では小さな村 と化している。小さな村には大きすぎる街灯や毛沢東像が、ここが元は大きな都市 であったことを思い出させるが、村の風景に挟み込まれる毛沢東像はあまりにも不 釣合いだ。作者にそのことを尋ねると、実はこの像は別の映画の撮影で美術クルー が当時の町が廃れる前の様子を再現するために立てたもので、「毛沢東にも鄧小平 にも似ていない、まるで今の中国社会の混乱を象徴するような像だったから使わし てもらったんだ」との答えだった。今作は前作『南京路』のようなテーマを扱った 作品とは違っていて、村人、動物、子供、宗教など様々な角度から村を提示してい く。三部構成でできた作品で、特に第三部の「少年」が素晴らしい。村の外れで親 のいない少年が一人で暮らしているのだが、彼は村の行事である鬼を召喚する祭り に参加したかと思えば、今度はキリスト教の教会で祈祷をする。昼は森で小鳥を捕 まえて売り、夕方になると屋根に上り大きなスピーカーで村の連絡事項を伝える (或いはその振りをして遊んでいるのだろうか?)。とにかく四方を駆け回る少年 がただただ素晴らしいとしか言いようがない。その姿は『大人は判ってくれない』 のジャン=ピエール・レオーと比べても何の遜色もないくらい魅力的だし、それを 捉えるジャオ・ダーヨンのキャメラワークは本当に自由で、まるで田村正穀(現、 たむらまさき)が水田を撮るときの、鍬とともに上下に自由に動くそれを思い起こ させる。或いは『勝手にしやがれ』で警察から逃亡して身軽に壁を飛び越えるジャ ン=ポール・ベルモンドを捉えるラウル・クタールのそれか、とにかく縦横無尽に 動き回る少年とそれを捉えるジャオ・ダーヨンのキャメラの運動感が素晴らしい! 日本で上映される機会があれば一目散に駆けつけてほしい。必見である。既に第47 回ニューヨーク映画祭でワールドプレミアが決定しているが、同映画祭で上映され るアラン・レネ、リヴェット、オリヴェイラ、マルコ・ベロッキオ、ペドロ・コス タなどなど大物の新作が揃う中で唯一の中国作品『廃城(Ghost Town)』が他作品 に負けない評価がされることを期待する。 と、ここまで書いて日本の上映環境に苛立ちを覚えてしまう。別に楯突く訳ではな いが、映画祭というのはその作品のラインナップが映画祭を飾っているのと同時に それを選考した者の審美眼が試されているということ。どこかこれら二作品を上映 したい映画祭はないのだろうか。観客の側もただ上映されるのを待つだけというこ ともないだろう。上映会を開くことが出来るし、それでなくてもいい作品があるん だと、ことあるごとに囁いていれば上映が早まるかもしれない。映画はひとりでに 越境するものではないのだから、見る側も覚悟ができていないといけない。はたま たそもそも素晴らしい作品が埋もれているのは紹介すらされていないからだろう か?映画批評の重要な一面、新しい作品を発見し紹介していく役割、その役目を感 じられる映画批評にこの頃殆ど出会わなくなった現状を思えば、その可能性もなく はない。向こうから来るのを待っているわけにはいかない、自分から赴いて見に行 くというのもひとつの選択だ。この号が配信される9月1日から7日の日程で北京の宋 庄で第四回北京インディペンデント映画祭が行われる。以前までは北京独立電影論 壇という名称で開催されていたが、今年から名を新たに開催時期が変わって行われ ることとなる。毎年質の高い映画が上映される映画祭なのだが、『郷村档案(Villa ge Archive)』の中国初上映も第二回のこの映画祭でのことだった。 ■前田 佳孝(まえだ・よしたか) 1984年生まれ。現在、北京電影学院監督科在学中。本文でも触れた第四回北京イン ディペンデント映画祭に拙作、短編作品『暴力(Domestic Violence)』が上映され ます、と慎ましく宣伝しておきます。 ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃04┃□ドキュメンタリー時評 ┃ ┃■『花と兵隊』(監督:松林要樹) ┃ ┃■中村 のり子 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ タイの地にいる老人たちのまどろむように穏やかな日常が、戦後64年を物語る。戦 争の記憶は今や、重ねた月日の中に溶け込んでいる。カメラが見つめるのは、括弧 付きの元日本兵ではなく、かつて兵隊だった個々人の現在の姿だ。そして監督であ る松林さんは、取材者である以前に、30歳の青年だ。ビルマで敗戦して、日本に帰 らなかった将兵6人に松林監督が出会う。一人ひとり事情は違うが、彼らは国という 括りに拠りどころを持たなかった。代わりに、国という単位では区切れない何かを 知っていた。それは言わば、越境した人間の姿だ。世間では不可視になりがちな彼 らの存在が、カメラの前で強い力を放つ。少数民族の女性と駆け落ちした人、中国 人になりきって難を逃れた人、戦犯になることを恐れて現地に残った人、自動車修 理で活躍した人。それぞれが体ひとつで環境に適応し、いくつもの顔を持った。そ して彼らに寄り添う妻や子どもや友人もまた、○○人という区別を超えた結びつき で生きている。しかし半面、正月の餅つきや昭和天皇などに日本の面影を求めても いる。カメラはこの6人を通して、人間の多義性を写し出す。 一方でこの作品は、監督である松林さんの旅の記録でもある。影の仕掛人にはなら ず積極的に姿を見せる松林さんが、老人やその家族と親しくなろうとする様子が伝 わってくる。彼の驚きや戸惑いも率直に表され、質問が狙い通りにいかずに困った り、圧倒的な世代差に沈黙したりという試行錯誤が全体の流れを形づくってもいる。 どんなに社会的なテーマを扱ったとしても、ドキュメンタリーは作り手の視点で進 むという意味で「セルフ」の側面があるということを、彼は端的に示している。そ うした松林さんの姿を見ていて、実は私は自分自身の取材経験を思い出させられた。 私事になるが、『中村三郎上等兵』という作品をつくる前段階で、祖父の戦友だっ た3人の老人にいろいろな話を聞いた。その時の元兵隊としての彼らの語りようは、 『花と兵隊』の元未帰還兵に通ずるところがあった。 それは例えば、弾に当たるのは怖くなかった、という言葉や、何でも天皇陛下の命 令だったからやった、という言葉であり、どれも松林さんや私のような年代には想 像し切れない考えだ。その隔絶をありのまま作品の中に落とし込むということを拙 作でも試みたが、私自身は力不足で未昇華の部分が多く残った。それだけに、松林 さんがそうした要素を一つの形にしてくださった、と勝手ながら感じたのだった。 そんな松林さんと老人たちとの交わりが急に緊張感を増すのは、後半に入って藤田 松吉という人が登場してからである。前半までの中心人物だった坂井勇の優しく好 意的な表情とは対照的に、藤田はなかなか心を開こうとせず、鋭い眼差しで松林さ んを見据える。自ら800体もの遺骨を収集して建てたという慰霊塔を松林さんが掃除 して以後、徐々に話してもらえるようになる経緯には納得させられる。「分かる か?」と松林さんに問いかけながら打ち明ける藤田の話の中には、人肉を食べたこ とが隠しもせずに出てくる。戦争とは「喰い合う」ものだ、という言葉は彼にしか 語れない。原一男の『ゆきゆきて、神軍』では一番のタブーとして扱われたその話 題がこうして静かに語られる状況に、2009年という現在では戦争へのアプローチが 変容したことを思い知らされる。もう一人、藤田と同じような体験をしたと推測で きる中野弥一郎は「言えないことがある」という以上は口に出さないが、そのこと を通して「戦友などつまらないもの、信じられないもの」と見切って軍を離脱した のだと告白する。その苦い言葉は、戦友の絆を描いた多くの他の映画では聞いたこ とのない、やはり彼にしか語れないものだ。松林さんとの付き合いの中で、彼らの 日常の奥底にある思いが触発され、姿を現したのだろう。こうした個人の言葉が、 定型化した「戦争証言」の中では見過ごされてしまう側面をあぶり出す。 しかしこの作品は、あくまでも現在の彼らの日常を忘れない。終盤、藤田は友人と 出会って顔をほころばせ、先立った妻を懐かしんでしみじみと語り、見る者をほっ とさせる。そして、坂田の大家族の団らんと羨ましいような夫婦愛が写し出される。 坂田が亡くなることで作品はエピローグを迎えるが、彼の死は冒頭ですでに知らさ れているため、この展開は円環的な印象を与える。そして後に残された坂田の妻の 愛情に溢れた思い出話と、サクラと名付けられたひ孫の姿が作品全体のイメージと なる。途中の息が詰まるような応酬や気が重くなる本音をすべて包み込み、それら を告発にもしなければ断罪にもしない。ただ、彼らの選んだ人生をそっと見つめる しかない。戦争体験を抱える元日本兵に対してこうした態度をとることは、時間が 経った現在だからこそできる。人知れず今日まで生き抜いた彼らの日常に対する松 林監督の姿勢と、現代社会のとり得る立場がそこに体現されている。 ☆『花と兵隊』 監督・撮影・編集:松林要樹 編集:辻井潔 音楽:津嘉田泰三 プロデューサー:安岡卓治 公式サイト: http://www.hanatoheitai.jp/ ■中村 のり子(なかむら・のりこ) 1984年生まれ。明治学院大学芸術学科、イメージフォーラム映像研究所卒業。現在 は会社員です。夏休みに初めて中国の大連とハルビンへ行ってきました!日本占領 時代の建物を悠然と使い続ける、バスがクラクション鳴らして周りを蹴散らす、そ んな中国の人々の大らかさに何故か癒されました。他の地域も行ってみたいなぁ。 ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃05┃□広場 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■投稿:山形映画祭はどのようにして選考してきたのか ■矢野 和之 今年の山形映画祭はあと1ヵ月あまりになった。スケジュールちらしは間もなくでき 上がり、字幕作成、カタログ、ゲストたちとの連絡、変更や突発事件に対する対応 などで、スタッフたちは大わらわの日々が続いている。 今年のインターナショナル・コンペティションは15本、またアジア千波万波には19 本の作品が、合わせて2000本あまりの応募の中からピックアップされて上映される 予定である。第1回の1989年の映画祭から20年経って、応募数は10倍にもなった。数 がふえたからどうこうというわけではないが、こんなに多くの作品からどうやって 選ぶことが可能なのかと聞かれることもあるし、本マガジンでも問われていたので、 今までにも折にふれて書かれたりしてきてはいるが、私自身今年は選考委員から離 れたので、選考方法等を含めてあらためて書くことにする。 第1回から変わってきている部分もあるが、複数の映画評論家、スタッフ、山形市民 らが、応募ビデオを見て何回か議論して決定していくことは変わっていない。当初 その人数が30人近くなったこともあり、多すぎて十分な議論ができず多数決に頼っ てしまうこともあったが、ここ数回は10名前後の選考委員がおのおの200~300本の 作品を見て、お互いに情報を交換し合いながら、3回ほど全員が集まって議論して決 定する形をとっている。選考委員のみでは全部を見ることは不可能なので、別にア ドヴァイザーとして数名が見るようにし、ひとつの作品を複数の者が見るようにし ている(選考委員やアドヴァイザーのメンバーは、カタログに記載される)。応募 期間は半年あまりあるが、毎回締め切り間際にどっと押し寄せるので、3月頃から作 品が決定する6月までは、選考に携わる者は、怒濤のような日々を過ごすことになる。 映画作品はそれぞれの作家が全精力を注ぎ込んで生みだしてきたものであろう。そ れをこれは良くてこれは悪いなどと言えるものではない。映画祭では上映する数が 限られているので、そこから“選ばなければ”ならない。選考委員が変われば上映 するものも変わるだろうし、“選ばれなかった”ものが優秀ではないと言えるわけ ではないことは言うまでもない。海外で賞を総なめにしたような作品でも山形では 上映されないこともある。以前、海外の著名な作家から、“自分の作品はこれだけ 海外で評価され受賞しているのに、山形で選ばれないというのはどういうことだ。 もう応募なんかしない”と抗議がきたこともあった。また、映画祭によっては、あ る作家の新作は無条件でコンペに含めることもあるが、山形では、たとえ未完成で あっても、作品を見ないで選ぶことはなかった。どんなに著名な作家の作品でも、 他のものと同じ地平で選んできた。 映画祭によっては、ディレクターがひとりで選ぶこともあるだろうが、山形のひと つの特徴としては、当初から市民が選考に加わっていたことだ。また、応募作品は、 最初の数分あるいは十数分と、途中まで見れば十分な作品もあるという考え方もあ るが、山形では、どんな作品でも最後まで見よう、というのが選考委員の共通の考 えである。そのために、それぞれの見る作品数が減ることにはなるが、一つひとつ の応募作品に全力で対しようとの思いがある。 選考委員でも見方はそれぞれ異なるから、満場一致は少ない。多数決ではなく、と ことん話しながら決めて行こうとしているので、それぞれがどれだけ強い思いを持 って推薦するかが問われる。あとになってあの作品を上映したかったとか、何故あ の作品を選んでしまったのか、などという思いも、選考委員によっては出て来る。 今までの山形の選考の仕方が最適なものであるとは言わないし、結果的にすぐれた セレクションであったとは言わないが、少なくとも、選考委員たちが、真摯に応募 作品に対してきたことは言えると思う。 あとは、結果だ。上映作品を実際に見て、批判なり何でも言ってほしい。かつて大 阪で、映画新聞という月刊の新聞が発行されていた。毎回の山形の映画祭について、 各作品の批評から運営まで、特集号のような形で、様々な観点からの批判が載った。 実際に山形で映画祭を目にして作品を見て書かれた多くの文章には大いに励まされ たものだった。伝聞や推測、思い込みで批判なりしようとする傾向が多い中で、そ のような媒体が出て来ないかと期待しているのだが、、、。 ■矢野 和之(やの・かずゆき) 山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局。山形国際ドキュメンタリー映画祭の 準備段階から関わり、第1回 (1989年)~第10回(2007年)まで、東京事務局長。 ◇────────────────────────◆◇◆ ■まもなく応募締切!「アース・ビジョン 第18回地球環境映像祭」 作品募集の締切は2009年9月15日(火)です。 映像制作者の方々、ご応募をお待ちしております! http://www.earth-vision.jp/02filmentries-j.htm なお、映像祭本番は、2010年3月5日(金)―7日(日)新宿区・ 四谷区民ホールにて開催します!スケジュール帳やカレンダーの予定に さっそくお入れ下さいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 【環境映像部門】 製作者が日本を含むアジア、オセアニア地域(ポリネシア諸島を含む)に 在住していること。 アース・ビジョン大賞(1点)40万円/特別賞ー生物多様性(1点)10万円/ アース・ビジョン賞 記念品 【子どものための環境映像部門】 「子どものため」の映像であること。製作者の在住する国・地域は問わない。 子どもアース・ビジョン大賞(1点)10万円 子どもアース・ビジョン賞(数点)記念品 ●応募方法:ホームページからダウンロードした申込書、作品DVDと写真を送付 ●締切:2009年9月15日(火) 作品の送付・問い合わせ:アース・ビジョン組織委員会事務局 〒113-0033東京都文京区本郷3-43-16成田ビル3階 Tel: 03-5802-0525 E-MAIL: festival@earth-vision.jp http://www.earth-vision.jp ◇────────────────────────◆◇◆ ■「自作を語る」などの投稿、歓迎! 「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や 撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。 原稿締め切り:配信日(1日&15日)の5日前までに、下記に送信ください。 E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋まで ◇────────────────────────◆◇◆ ■上映の告知の有料化とカンパのお願い ■伏屋 博雄(本誌編集長) neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の 告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力 ください。 (1)上映等の告知料は、 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき 2,000円(税別)です。それ以上の行数の場合は比例して加算します。 (2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。 送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、 みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ (銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛に お知らせください。) 以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。 ┳━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┃06┃□広場 ┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●黒川通子さんの「サンフランシスコで映画を学ぶ」が始まった。私が親しく話し 合うようになったのは、黒川さんが多摩市職員としてパルテノン多摩を拠点に上映 に全力を尽くしておられるときだった。それから数年が経った頃だったろうか、退 職したことを知らされ、さらにほどなくしてアメリカで映画制作を学ぶことになっ たことを知らされた。私は黒川さんが職場で閉塞状況にあることは何となく感知し ていたが、環境のあまりの変転に驚いたものだった。 はたして黒川さんに何が起こったのか?職場でのこと、上映の責任者から映画制作 の学徒への移行は、何故なのか?なぜサンフランシスコで映画を学ぼうとしたの か? アメリカでの授業も興味あるところだ…そこでこのような質問や疑問に応えていた だくよう、寄稿をお願いしたところ快諾され、率直に綴ってくださった。 ●北京電影学院に在学中の前田佳孝さんがお薦めの中国作品2本について執筆してい る。いずれも現代中国の矛盾、ひずみを突く作品だが、撮影が素晴らしいようだ。 前田さんはこれらの作品が日本で公開されていない現状に怒りを込めて残念がって いる。映画祭であれ配給会社であれ、どこか公開するところはないものか。ぜひ見 てみたい。 ●中村のり子さんが『花と兵隊』について映評。兵士だった祖父を追求した『中村 三郎上等兵』を制作した中村さんだけに、通底する面が多かったようで、それが文 章に反映されていると感じた。 ●山形映画祭の矢野和之さんから投稿があった。矢野さんは長らく東京事務局長を 担当してきた方だからご存じの方も多いであろうが、これまでのヤマガタの選考方 法について述べている。これに関して、私はヤマガタの関係者の努力を十分に認め たうえで、本誌に問題提起をしたことがあったが、こうして当事者から選考基準を 開示してもらえたことは、うれしい。矢野さんは今回をもって選考委員を辞められ たとのことだが、これまでの山形映画祭に尽力されてきたことに心から感謝したい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■発行:ビジュアルトラックス visualtrax@jcom.home.ne.jp ■責任編集:伏屋 博雄 ■編集デザイン:能川 悦子 ───────────────────────────────────── 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