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2009/07/15

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン neoneo 128号 2009.7.15

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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
       『湯の里ひじおり~学校がある最後の一年』が出来るまで(3)
         渡辺 智史
 †02 ■自作を語る
       『妻の貌(かお)』  川本 昭人
 †03 ■ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
       外国人として日本で映画を撮るということ  東谷 麗奈
 †04 ■ドキュメンタリー時評
       『精神』(監督:想田和弘)  萩野 亮
 †05 ■広場
    ■ビデオカタログ第7号、掲載作品大募集中!
    ■「自作を語る」などの原稿募集!
    ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †06 ■編集後記 伏屋 博雄


    ★バックナンバー閲覧はこちらまで
     まぐまぐ配信   http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/
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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■『湯の里ひじおり~学校がある最後の一年』が出来るまで(3)
┃ ┃■渡辺 智史
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●湯治文化の変遷

江戸時代にはお伊勢参りに並ぶ程、多くの人が月山を目指して肘折温泉に訪れてい
ました。明治時代以降は、大勢の農家が湯治に訪れ、布団を敷く場所がないほどだ
ったと言います。そして今は専業農家が減り、生活スタイルが変化したことから湯
治客は減り続け、湯治場での仕事が減り、人口は都会へ流出し、地域社会と共に134
年の歴史を歩んできた学校が閉校した。たった百数十年の間で、日本の暮らしに根
付いてきた信仰の世界、湯治という風習が、急激に消えつつあります。この肘折温
泉と似た状況をどの地域社会も抱えていて、過疎化を防ごうと、公共の事業を誘致
した事例の多くは経済的に赤字経営になり、過疎化はより深刻になっています。そ
して、多くの地域社会は疲弊し自信をなくしています。これからの時代、地域固有
の文化を、それぞれのやり方で掘り下げて行かなければならない時代なのだと思い
ます。

肘折温泉には、湯治という文化が時代の変化に合わせながら受け継がれてきました。
湯治客の人々にとって肘折に来て、日常の忙しさから解放されて何もせず、湯に入
り、お茶を飲み、友人と話し、疲れたら寝るという行為を一週間以上続けます。そ
ういう時間をもつことで本当の心のゆとりが生まれるのです。湯治客の人々の取材
は、ゆったりと会話を楽しむように、大変楽しい時間でした。何十年も湯治に通い
続ける親子、大勢の姉妹で湯治に来て楽しんでいく姿、隣近所で集まって修学旅行
に来たかのようにはしゃぐお婆さん達の会話、そういう人間模様が湯治場の活気な
のです。

賑やかでなくても、しっとりとした湯治場の魅力もあります。夫と何十年も肘折温
泉に通い続けてきたが、夫が亡くなり一人で通う農家のお婆さんは、肘折で出会っ
た東京の女性と一緒に湯治をするのを楽しみにしていました。それが、東京の女性
が癌になり来られなくなってしまった。自分より若い女性が、死に瀕していること
を気遣いながら茶を飲む姿、そして黙々と湯に浸かり、老いてもなお艶やかな体を
洗うお婆さんの姿に、何とも言えない愛おしさを感じました。

かつての大繁盛した湯治場の姿はないけれども、湯治場に魅せられて通い続ける
人々から、なんとも素朴で温かさが伝わってくるのでした。昔ながらの湯治場は、
襖と障子で仕切られているので、各部屋からは話し声や、テレビの音が聞こえてき
ます。ホテルの密室のようにプライベートがある環境ではありません。湯治場で何
泊もすると、そういった物音、人の気配がある環境に居心地がよくなっていきます。
こういう環境で何日も居ると心のゆとり、許容性が広くなっていくのだと気づきま
した。
70歳、80歳の農家の人々が醸し出す開放的な雰囲気が、訪れた都会の観光客の心を
癒してくれるのではないでしょうか。

しかし下着同然で歩く老人の姿を見て、老人ホームだとぼやく都会の若者をいると、
旅館主は嘆きつつ、東京の巣鴨のように老人が集まってくる環境は珍しいのだから、
それ自体が観光資源でもあるのではないだろうかとポジティブに現状を捉えていま
す。

実際には学校が閉校すること、客が減ってきていることで、集落そのものが老いて
いく現実に自信をなくし、不安を抱えている肘折の人々もいます。しかし私が取材
しながら感じた魅力を、映画で提示することで自信をなくした人々に元気を与える
ような映画がつくれるのではないかと思ったのです。
それは湯治場の日常から再生のイメージを立ち上げることなのだと直観しました。

湯治場に暮らす人々で、強烈に印象に残ったのは饅頭屋のお婆さんで、40年以上も
前に、ある一人の白装束を着た修験者が、饅頭屋に来て山の中のぼろぼろのお堂を
建て替えたから、掃除を頼むと言われ40年もお堂を掃除し続けてきた話を、まるで
民話の語り部のようにイメージ豊かに語ってくれました。

また修験者を月山に案内する先達の末裔の老人は、妻を亡くし一人で暮らしていま
す。その老人が亡き妻を想い祝詞をあげた後に、湯にじっくりとつかり瞑想する様
子を撮影しながら、人が生き、老いることの魅力を感じました。この二人の老人が
湯治場で暮らす時間から、湯治場に暮らす人々の気風が伝わってきました。日々の
暮らしに宿る、村の魅力は見えにくく、言葉にしづらいものです。言葉に出来ない
ものを映像で伝えたい、そう強く思ったのです。

一方で、学校が閉校するという現実に対して、映画で応えたいと思いました。肘折
温泉に帰ってきた若者と話しながら、学校に眠っている楽器を使ってブラスバンド
を立ち上げることになったのです。
若者達と語りながら、彼らの言葉から肘折温泉の暮らしを愛する気持ちがひしひし
と伝わって来ました。それは、私が湯治場を取材しながら感じたことと共通する思
いでした。老いていく村を見つめ続け、村に暮らす若者と地域への愛を語り合うな
かで、映画の物語は生まれました。学校の閉校式での演奏に向けて、若者達のブラ
スバンドの練習が始まり、厳しい冬の間も練習が続きました。

この映画は3月末に文化庁に見せなくてはなりませんでした。しかし学校の閉校式は
3月の21日、最後の閉校式の撮影を残して、それ以外の編集は閉校式の前までには終
えていなくては間に合わないスケジュールでした。編集の作業は1月から始まりまし
た。この時点では、私と飯塚さんで編集の作業をし、構成を練りながら3時間のラッ
シュを作ったのですが、魅力的な編集に仕上がりませんでした。撮影の現場で考え
たことから抜け出せず、思い切った編集が出来なかったのです。そして、大ベテラ
ンの編集者で原一男監督の『ゆきゆきて神軍』を構成・編集した鍋島惇さんが参加
することになりました。鍋島さんとの編集の追い込みが始まりました。

次回は編集で、大ベテランの鍋島惇さんに教えていただいたこと、そして上映活動
でのエピソードを
お伝えします。             (つづく)

☆『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』はこの6月より山形県最上地方を皮切
りに、全国各地にて上映します。現在までに決定している上映は下記の通りです。

最上上映:6月から、山形県最上郡および新庄市の8市町村にて上映予定
東京上映:7月23日(木)24日(金)25日(土)開場18:30 上映19:00
江東区文化センター(東西線東陽町駅から徒歩5分)
  http://www.kcf.or.jp/koto/map.html 
前橋上映:8月21日(金)22日(土)23日(日)シネマまえばし
鶴岡上映:8月29日(土)鶴岡市中央公民館
      第1回 開場13:00 上映13:30
      第2回 開場18:30 上映19:00
前売り券1000円  当日券1500円  小中学生800円
※上映等のお問合せ:03-3555-3987(肘折の映画を支援する会事務局)
または、各地の上映実行委員会へお願いします。
映画「湯の里ひじおり?学校がある最後の一年」を支援する会ブログ:
  http://hijiorieiga.blog.shinobi.jp/ 
予告編: http://www.youtube.com/watch?v=VtHPw_5ewy 


■渡辺 智史(わたなべ・さとし)
監督。1981年山形県鶴岡市生。東北芸術工科大学在学中に東北文化研究センターの
民俗映像の制作に参加。2002年『関川のしな織り』で撮影を担当。03年山形県村山
市の茅葺集落五十沢の1年を追う。上京後イメージフォーラム附属映像研究所に通う。
05年アムール入社し飯塚俊男に師事する。06年障がい者が参加する第九合唱を描い
た『An Die Freude 歓喜を歌う』で撮影・編集。07年『映画の都 ふたたび』で撮影。
08年3月フリーとなる。



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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『妻の貌(かお)』
┃ ┃■川本 昭人
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●私にとって映画とは

ひとは身贔屓なもので、まともな自己分析などできるはずはないが、つとめて冷静
に、筆を進めてみたい。

過日、大阪で行われた発表会の席上で「あなたは何故、家庭の記録を撮り続けるの
か」との質問を受けた。壇上での、思いがけぬ内容にかっと血がのぼって、しどろ
もどろの受け答えとなってしまった。この嫌な思い出が、二ヶ月経った今でも胸の
中で燻り続けている。
考えてみれば、些細なことがらで、気に病む程のことではないのである。
だのに、無性に「こだわる」のである。
しかし私はこの性を否定的には考えず、むしろ、私の特質だと思っている。
事実、作家の在り方次第で、この「こだわり性」を、強力な創作エネルギーに、変
質することもできるのである。

さて、ここらで先の質問に答えてみたい。「病者とは、己れの内臓を意識する者で
ある」とは作家、埴谷雄高氏の言葉である。
この倫理を裏返して、言えば私が家に、こだわり続けるのは己れの家庭生活のなか
に、重い「わだかまり」があるということになる。実際、わが家には、気懸りなこ
とが多かった。
その中で、もっとも深刻な問題は、父と私の対立関係であった。
私は、健康上の理由から、志に反して父の事業(酒造業)を嗣ぐ羽目となった。
いわゆる、叩き上げの父の目からすれば、私の働きぶりの、総てが不満なのである。
私が酒が飲めないのも、商売熱心が足りないせいだと責めたてる父である。
次第に、職場でも家庭でも、父の存在が重く、のしかかってくるようになった。
64年、父の記録映画『一粒の籾』を制作。
これが意外にも、父に反発する内容とはならず、むしろ、父の在り方を積極的に肯
定する結果となった。

なぜ、そうなるのだろうか―当時の私にはわからなかった。
映画には、自惚れ鏡の一面があると、佐藤忠男氏は説いておられる。
この作品も、私小説的志向でつくられているから、当然、その傾向が強いのだろう。
父を撮り、母を撮るということは、結局のところ自分自身を語っているのだから、
自然と身づくろいしてしまうのである。
このことに、妻は気付いて、「映画で感じるあなたと、実際のあなたは、似ても似
つかない」と非難していた。私にとって、映画は自惚れ鏡だからこそ、心のうさの
捨てどころになったのだろう。
「作家というものは、自分の姿というものが自分では、わからず、いろんな方向へ
と眼を向け、じたばたとあがきぬくものだが、結局は、ただひとつのことしかでき
ないものだということを思いしらされねばならない。そのただひとつのことしかで
きないものが作家というものであり、作家の資格でもあるのである」と新藤兼人氏
は、76年1月号の本誌に書いておられる。

しょせん、私のように、父や母の踏み固めた土地の上でしか生活できないような、
弱い人間のできることと、いったら、坐っていて、目の届くような、小さな世界を
描くしかないように思う。
その描く世界は、内に内にと籠ってゆく、危険性がある。自らの着物を、一枚々々
剥いてゆくような、自虐の愚だけは、避けたい。
ともあれ、男には、生業にすべての力を傾注すべき義務がある。零細な企業といえ
ども、数十人の“口凌ぎ”の役割りがある。
ましてや、昨今の深刻な不況―ここ当分は妻妾同居の如き愚だけは避けて、仕事と
のけじめははっきりとつけて行くつもりである。

(雑誌「小型映画」1977年5月号の原稿に加筆)

☆『妻の貌(かお)』
7/25(土)~渋谷・ユーロスペース、川崎市アートセンターにてロードショー、
以下全国順次公開。広島・横川シネマにて先行公開中
『妻の貌』ホームページ: http://www.tumanokao.com/ 


■川本 昭人(かわもと・あきと)
1927年、広島市生まれ。戦中から戦後にかけて結核により8年間の療養生活を送る。
57年の広島大学工学部発酵工学科卒業後は父親の跡を継いで八幡川酒造(株)に入
社。同社取締役社長・会長を経て2005年に引退。
1953年に妻・キヨ子さんと結婚。58年の長男誕生を機に始めた8ミリカメラでの撮影
が創作活動の第一歩となり、以来、今日まで「家族」「家」「原爆」を見据える作
品に取り組んでいる。
映画『妻の貌(かお)』は、50年にわたるこれまでの映像作品の集大成として制作
し、山形国際ドキュメンタリー映画祭2001に招待された。今回、2001年以降の映像
も加えた劇場公開ニューバージョンが、82才にして初めて劇場公開される。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ニューヨーク発≫
┃ ┃■外国人として日本で映画を撮るということ
┃ ┃■東谷 麗奈
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近年、クリント・イーストウッドやソフィア・コッポラなど、 外国人監督 が日本
で撮った 作品が次々と公開されているが、劇映画の世界のみならず、ドキュメンタ
リーの世界でも、日本を題材にするアメリカ人監督が増えている。これは、世界が
グローバル化するにつれて、国の垣根を超えて興味のある題材を追いかけることが
ごく自然なことになってきたことを意味しているのだと思う。今回、ジャパン・ソ
サエティ(マンハッタンの日本文化紹介機関)の日本新作映画祭の特別イベントと
して、アメリカ人の映画制作者たちが興味を持ってくれる企画を考えてほしいと言
われたときに、真っ先に思ったのがこのことだった。そこで、同僚と相談をして、
私の勤めるメディアセンターDCTVとの共催で、日本で映画を作ることを題材にパネ
ルディスカッションを企画することになった。

パネル選びには、個人的な希望を遠慮なく入れさせてもらった。甲子園に出場した
監督と選手たちの一夏を追いかけたドキュメンタリー『高校野球』を撮ったケネ
ス・エング、北朝鮮の拉致問題と闘う横田めぐみさんの両親を追ったドキュメンタ
リー『拉致?横田めぐみ物語』を製作したクリス・シェリダン。そして、日本からは、
インディペンデント劇映画の世界を代表する熊切和嘉監督と日下部圭子プロデュー
サーをお招きした。また、DCTVのプロデューサーでイラクやアフガニスタン、中国、
南米などでドキュメンタリーを撮ってきているマシュー・オニールに進行役を務め
てもらった。

さて、勢いこんで企画したものの、果たしてどれほど人が集まるのか、実は半信半
疑だった。ところが、当日になってみると100人ほど入る会場が満席になる盛況ぶり
にまず驚かされることになった。
そうして、ディスカッションは、言葉の通じない国でどうやって被写体と関係を築
いていくかということから始まった。ケネスもクリスも、日本とアメリカの両方の
状況をよく理解していて言語を問題なく行き来できるプロデューサー補佐を見つけ
ることは大前提とした上で、それぞれの体験を語ってくれた。

ケネスにとって最初の難関は、日本野球連盟との交渉だった。特に、被写体たちは
まだ未成年の高校生である。古い体質を持つ組織を相手に、海外から電話で交渉し
ているだけではらちがあかなかった。顔を合わせて会って話して、ようやく話が進
み始めたそうだ。しかし撮影の初日は、言葉ができないだけに被写体とどうやって
距離を縮めていったらいいのか分からない。早朝から現場に入ったものの、選手た
ちの練習をただ遠くから眺めてカメラを回しているばかり。日も落ちて、ついには
雨も降り出してきてしまった。そのとき、気の毒だと思ってくれたのであろう、監
督がそっと傘をカメラマンに差し出してくれたそうだ。何か間を遮っていたものが
とれたのを感じた瞬間だったという。

また、別の時には、選手たちが甲子園に出場できる背番号を配布される感極まる状
況に立ち会うことができた。言葉は分からなかったが、現場のはりつめた空気と生
徒たちの高ぶる感情が伝わってきて、ケネスが思わず泣いてしまった。それを見た
生徒たちが、なんだ別に格好をつけることはないんだと心を開いてくれるきっかけ
になったそうだ。

こうした回答の様子を聞いていた日下部氏が、興味深い指摘をした。日本人ではな
かったからこそ、被写体を撮ることができたのではないかというのだ。日本人であ
れば、売名行為や商業的な目的が見え隠れして野球連盟から許可をとることなど無
理だろう。しかし、外国人であることで、純粋に芸術や教育の目的ということが理
解され、つまり言語だけでなくタブーの壁を超えることができたのではないかとい
う見方だ。

外国人だからこそ、日本人の制作者が撮ることの難しい題材を取り上げることがで
きるという点では、クリスの体験もおもしろい。日本ではメディアにかなり露出さ
れている横田めぐみさんの両親だが、記者会見などの公の場で見せる夫婦の姿だけ
ではなく、自宅で過ごしている家族の日常の様子を撮影することがアメリカ人の観
客の共感を誘うのに絶対に必要であることを説得するのには、相当の時間が必要だ
ったという。本人と話す前に、通訳者自体が、個人の領域にそこまで踏み込むこと
に抵抗を感じて、制作者の主旨を伝えられない。結局、半ば強引に通訳者を説得し
て、話を進めなければいけなかった。アメリカとは違う、日本の文化や社会の常識
に制作者が備え、敬意を表しつつも制作の主旨を失わず対応できた成功例といえる
だろう。

また、外国人が日本を題材にして作品を作ることについて、日本のことを分かって
いないくせにとか、誤解ばかりだという反発はなかったかという問いも出された。
ケネスは、日本の高校野球を追っている多くのスポーツ専門メディアがある中で、
自分たちが前例のないアクセスを得ていることに、外国人に何が分かるというよう
な、ねたみのようなものも感じることもあったという。一方、クリスは、全く逆の
体験をしている。どのメディアも支援してくれて、特に横田めぐみさんの両親を長
く撮っているフジテレビは、何十人もの上層部を説得するのに奔走してくれる内部
スタッフに巡り会えて、過去の映像を使用させてもらえたのは幸運だったことをあ
げていた。これらの答えに対して、日下部氏は、むしろ日本人である自分は題材と
近すぎるので、外の視点が持ち込まれるのには歓迎だという意見だった。最後に、
クリスが、その国の人がどう見るかを気にするぐらいなら最初から撮るのはやめた
方がいいと言ったのはもっともだった。つまり、外部から来て撮っているのだから、
なんらかの間違いや解釈や考え方の違いは避けられないのであって、それを恐れて
いるようではそもそも題材として選ぶできでないというのだ。

熊切監督は、実は次にはフランスで撮影する企画が出ているとのことだった。フラ
ンス政府からの助成の条件として、現地のスタッフで制作しなければならないので、
脚本を書くにあたって、できるだけ台詞を少なく、表情や視覚に重点を置くことを
考えているという話も披露してくれた。また、レオス・カラックスが日本で撮影し
たときにメイキングビデオを撮ったことにも触れた。銀座や渋谷のたいへん人通り
の多いところでゲリラ的な撮影を行っていたこと、日本人から見たらかなり無茶な
撮影をしていたものの、外国人がやっているということで大目に見られていた部分
もあったのではという話だった。これについて、ケネスやクリスは、日本語が分か
らないことを利用して、ゲリラ的な撮影をすることもあったとユーモアまじりに明
かしていた。

また、観客との質疑応答で興味深かったのは、日本の大手スタジオがインディペン
デント映画を支援するレーベルを持っているかという質問だった。クリスは、アメ
リカが独立した個人が作品を制作する環境が整っていることに対して、日本は組織
やグループに所属して動くことが一般的であることに気づいたという。アメリカで
は、個人が自主制作のレベルで長編ドキュメンタリーを作り、主要映画祭から劇場
公開や主要局でのテレビ放映にこぎつけることは珍しくない。しかし、日本では組
織に所属して制作を行うことが多いので、組織の外で作品を作り、どこにも所属し
ていないことを非常に珍しがられたという。この意味で、クリスは、熊切監督や日
下部氏が大きな組織の外で、長編劇映画を撮り続けていることに敬意を表していた。

この他、予算をいかにして集めたか、劇映画において日本とアメリカでの俳優の労
働条件の違いなど、アメリカの制作者たちにとって実践的に役立つ質問も続いた。
ディスカッションが終わった後は、飲み物片手の気軽な交流会もあり、多くの人が
ゲストから貴重なアドバイスを受けることができたようだった。
私も、日本で撮影する外国人監督の手伝いをしばしばすることがあるが、外部の人
間だからこそ語ることのできる日本の側面があると感じている。それは、日本に住
む日本人とも、アメリカに住む日本人である私とも違う視点だ。ケネスとクリスの
作品には、「よそ者」と言って退けてしまうことのできない力強さがみなぎってい
る。そして何より暖かな眼差しに包まれている。じんわりと深く心に浸透して、今
まで見たことのなかった日本を発見することができる。クリスの作品は、日本の劇
場でもロングランだったそうだが、ケネスの作品は、野球連盟との契約のため教育
目的以外の配給ができず、全米公共放送では放映されたにもかかわらず、日本では
公開されていないという。残念だなと思う。多くの外国人が日本に興味を持ってく
れ、私たちが撮ることのできない物語を追っかけている。それが、海外の観客にだ
けではなく、日本の観客にこそ届けられなければと思うのだ。


■東谷 麗奈(ひがしたに・れいな)
ニューヨーク大学大学院映画学研究科修士卒。ニューヨークのメディアセンターDCT
Vで、プロデューサーとしてビデオ制作に携わる。初監督の長編ドキュメンタリー 
『Shall We Sing?』は、東京ビデオ・フェスティバル、モントリオール芸術映画祭、
コネチカット映画祭で受賞。最近は、ブロンクス地区にあるクッキー工場での移民
労働者たちのストライキの現場にでかけています。アメリカン・ドリームが、もう
幻想となってしまったのか、アメリカ社会の動きも目が離せません。



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┃04┃□ドキュメンタリー時評
┃ ┃■『精神』(想田和弘監督、2008)
┃ ┃■萩野 亮
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野良猫が気ままに徘徊し、木々が陰を落とすのどかな一角にある小さな施設に、ひ
とりの女性が足早に駆け込んでゆく。キャメラは手持ちによる揺れを画面に伝えな
がら、その背中を追う。カットが切り替わると、診察室で精神科医との問診がはじ
まっている。
想田和弘監督の「観察映画」第二段である『精神』は、「観察」という語が想起さ
せもする冷徹さとは無縁の距離感で被写体となるひとびとにキャメラを向けてゆく。
前作の『選挙』(07)で対象とした自民党の新人議員「山さん」とはうってかわっ
て、『精神』が映し出すのは岡山市にある外来の精神科診療所「こらーる岡山」に
つどうさまざまなひとびとである。

映画はいつも突然にはじまるものかもしれないが、『精神』は、たとえばわたした
ちがふだん病院へかかるときのちょっとした手続きさえ経ることなく、突然診察室
に入り込む。そしてそこが精神科であることを、すでにわたしたちは知っている。
映画はしばしば「非日常的な体験」などと形容され、その「非日常」への移行はい
くつかの段階を経てなされるものだが、『精神』はむしろ映画が帯びてしまう非日
常の時間を、わたしたちの日常の時間と直截に接続しようとする。そこには一種の
暴力がある。唐突に映し出される精神科医と女性の対話のなかで、あまりにつらい
内容が語られるのを、フィルムは簡潔な切り替えしで描き続ける。わたしたちは画
面を見つめることで、彼女の苦しみを追体験することを余儀なくされるのだ。

あるいはまた、「家にいると誰かの声が聞こえてくる」という別の女性に同行して、
診療所に併設された簡素な宿泊施設を訪れたキャメラは、つかの間彼らだけの狭い
空間で向かい合わせになる。固唾を呑むような緊張が醸成されてくるなかで、観察
者はおもむろに対話をはじめる。自分の患っている症状について、過去について、
キャメラに向かって語る女性の表情に接近しながら、観察者は「その声は誰の声な
んですか?」などとあまりにダイレクトな質問を投げかける。どのことばが、どの
視線が、彼女の神経をかき乱すか知れない。キャメラのこちら側から投げられた問
いに対して、わたしたちが想像する以上に淡々と、気丈に語りを継ぐ女性のすがた
に、フレームは刻一刻と緊張と安堵とがないまぜになってふるえている。観察者は
キャメラという存在があることで、より直截的でシンプルな問いを投げかける、い
わば「勇気」を持たされている。このとき映画は、「観察映画」として出発してい
ながら、むしろ「行為」へとゆるやかに向かってゆくようにみえるのだ。

わたしたちがかつて『選挙』の120分に喝采を送ったのは、まず何よりもその徹底し
た観察のスタイルゆえに違いなかった。DVの実用化以降,主としてプライヴェー
ト・ドキュメンタリーの領野で佳品が目立った日本のドキュメンタリーにあって、
『選挙』はフレデリック・ワイズマンの一連の「ダイレクト・シネマ」を彷彿とさ
せた。ワイズマンが『チチカット・フォーリーズ』(67)以来まもりつづけてきた
スタイルとは,ナレーションがなく、説明字幕がなく,インタビューも被写体から
の応答もない、といういくつもの否定形で語られるスリムさに貫かれたものだが、
『選挙』もまた同様のスタイルを採用するものである。ただしワイズマンのたとえ
ば近作『州議会』(06)がアイダホの議会のようすを壮麗な議事堂建築とともに定
点観測的に撮影し、分析的に編集することでアメリカの議会政治のいわば「無意
識」をあぶり出したのに対し,『選挙』はあくまで「山さん」という個人の特権的
な数週間を介して日本の議会制民主主義のありようを垣間見ようとするものだった。
『精神』においても同様の手法をとろうとした作家は、けれどもたえずキャメラに
視線を送り、対話を求めてくる「こらーる」のひとびとを撮影するにあたって、こ
の方法は不可能だと判断したのだという(7/4上映後のティーチインでの発言より)。
この方法論的転回を経ることで、『精神』はワイズマンよりもむしろ原一男のフィ
ルムに接近してゆく。

原一男の「アクション・ドキュメンタリー」においては、ほかでもないキャメラを
持った作家自身が被写体の世界へと介入してゆく。脳性麻痺患者を撮った処女作
『さようならCP』(74)の、道路の中心に全裸のCP患者の男性を座らせて撮影した
衝撃的なショットは、ほかでもない作家自身が彼と直截に向き合い、彼の生を、ま
た彼とまともに向き合ってこなかった社会の意識を、暴き立てる。そこではふたつ
の個的な身体性がキャメラを介してむきだしにされているといってもよい。『精
神』において、患者と向き合い声を発するほかなかった観察者は、もはや厳密な意
味での観察者ではありえず、主体的身体を前提とした行為(アクション)によって
被写体の世界とひとつながりになる個的な存在へとかわる。フレデリック・ワイズ
マンが、そして『選挙』の想田和弘が、いくつもの否定形の文体によって観察者自
身の身体性を画面から消去するかのようにふるまっていたのとは、質的に異なる記
録行為の位相がここにはある。ただし『精神』の観察者は、積極的な行為によって
精神病という「カーテンの向こう側」の世界に踏む込んでゆくわけではない。話し
かけられたら応答する、気になったことは聞いてみる、そうしたきわめて人間的な
ふるまいを素直に行なうことで、カーテンの内と外をごく自然に行き来し、ついに
は取り払ってしまうのだ。

『精神』における観察者と被写体との対話は、じつにゆたかなものだ。フィルムの
後半に現れる、おちゃめで気さくな詩人の男性。このフィルムを見た誰もが「蚊に
刺され、吾も食べたしカツカレー」という強烈な一句とともに、きっと彼に惹きつ
けられてしまうに違いない。あるいは、病いと40年間付き合ってきたという初老の
男性の含蓄に富んだことばの数々。病いは彼らの身体を日々仮借なくさいなむが、
病いを通してふれられる世界の手ざわりによって、明晰な思考と感性がみがかれて
もいる。突然にはじまるこのフィルムの、ある種の暴力によって向き合わされた彼
らの「世界」が、いまや隠しきれない共感とともにわたしたちの瞳に映じている。
けれどもそのいっぽうで、最後のショットで夜のとばりに走り去って行くスクー
ターは、その共感が部分的なものであるほかないことを告げているようにもみえる。

だれもが自分の身体と無縁でいることはできない以上、彼らの生き方はそれぞれに
病いや悩みを抱えたすべての人間の生き方でもあるだろう。このフィルムが大きな
反響を呼び、多くのリピーターを生み出している事実(想田監督のブログによれば、
すでに7回見たという「猛者」があらわれたとか)は、この映画そのものが、それぞ
れの身体や生についてゆるやかに内観をうながす、治療的な効果をもっているから
かもしれない。映画『精神』は、精神病を撮ったものではなく、そのタイトルが簡
潔に示しているとおり、あくまで人間の「精神」にキャメラを向けたフィルムであ
るのだ。

☆『精神』Mental
 想田和弘監督/2008年/アメリカ・日本/カラー/135分/デジタル上映
 現在渋谷シアター・イメージフォーラムにて上映中。ほか全国順次ロードショー。 
公式サイト: http://www.laboratoryx.us/mentaljp/ 

■萩野 亮(はぎの・りょう)
立教大学大学院現代心理学研究科修士課程在籍。映像身体学。先月末よりフィルム
センターではじまった「ドキュメンタリー作家 土本典昭展」のギャラリートークに
駆けつけてきました。土本監督と基子夫人との最初の出会いが「カメラを買ってく
れませんか」だったというお話に衝(笑)撃。
ブログ「filmemo」: http://rhgn.dtiblog.com/blog-date-20090713.html 



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┃05┃□広場
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■ビデオカタログ第7号、掲載作品大募集中!

ビデオアクトでは、ほぼ2年に1度のペースでビデオカタログを発行して来ましたが、
今年10月、その第7号を発行することになりました。
このビデオカタログは、様々なジャンルの自主制作ビデオを一挙に紹介する他に類
を見ないカタログで、号を増すごとにご好評を頂いています。

第7号は、1万5千部の発行を予定していて、各種イベント・集会会場や映画館、大
学・高校等の教育機関等、様々な場所に幅広く無料で配布されます。
このカタログを見て、作品を購入したいと思った人からの注文は、ビデオアクトが
一括して受け付け、委託販売をさせて頂きます。

マスメディアや映画館、一般の書店やレンタル店ではなかなか流通されない自主制
作作品の普及をサポートする目的で作られるカタログなので作品の掲載基準は一切
設けていません。どんな作品でも掲載させて頂きます!
ただし、印刷代や送料を制作者同士でシェアする方法を取っている為、掲載料をご
負担頂いています。

既に販売用の作品をお持ちの皆さん、または、作品は作ったけど、販売までは考え
てなかった皆さん、これを機会に是非、カタログへの掲載をご検討下さい。インデ
ィペンデントな流通ネットワークを使って、皆さんの作品をどんどん広めましょ
う!

※詳細は、下記ページをご覧下さい。
  http://www.videoact.jp/catalog/ca7boshu.html 
  http://www.videoact.jp/catalog_join/index.php 
★掲載作品の募集締切は、8月22日(土)です。


   ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は比例して加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



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┃05┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●「自作を語る」に、『妻の貌(かお)』 の川本昭人監督から寄稿があった。ひ
たすらご家族(なかでも被爆した妻のキヨ子さんさん)を半世紀もの長きにわたっ
て撮影してきた映像が、劇場バージョンンとして、完成したのだ。

思えば、この作品の源基を成す各短編を、小川紳介はいち早く推奨していた。小川
は『ニッポン国 古屋敷村』上映のため広島へ赴いた際、川本宅に一泊し、作品を
観せられ感動し、その興奮を私たちスタッフに幾度となく語った。その後、スタッ
フ全員で拝見する機会があったが、静かな、しかし、激しい情念をもつ作品である
という記憶が残っている。当時小川は、これこそ海外へ紹介したいと考え、その第
一歩としてベルリン映画祭へ働きかけた。しかし、当時は全て8ミリフィルム作品だ
ったので、16ミリや35ミリフィルムを条件とする映画祭の規約上、実現しなかった。

今回、『妻の貌』が劇場公開に至ったことは、ひとえに川本さんの、奥様やご家族
への愛情、原爆への憎しみ、それらを醒めた眼差しで見つめ続けた映画力にほかな
らない。ひとりでも多くの方に観ていただきたいと思う。川本さんが82歳の高齢で
ありながらお元気で、映画への情熱を持続されていることは、私たちの励みである。

●前号で、山形映画祭のスタッフである濱治佳さんが、今年のインターナショナ
ル・コンペティションの作品の特徴のひとつとして、「国際共同制作は、もはや特
筆すべきことではないくらいに定着しつつある制作スタイル」 と指摘していた。

この指摘にタイムリーに呼応するかのように今号では、東谷麗奈さんの、ニュー
ヨークのジャパン・ソサエティで行われた映画のグローバル化についてのパネルデ
ィスカッションの報告を掲載することができた。「劇映画の世界のみならず、ドキ
ュメンタリーの世界でも、日本を題材にするアメリカ人監督が増えている」とする
現状認識にたっての討議である。異国で撮影するとは、いったいどういうことなの
か?この問いに、日米各二名の映画人(アメリカのドキュメンタリー監督は日本で
撮影)、そして観客を交えての真剣な討議は示唆に富んでいる。コミュニケーショ
ンのツールとしての言葉の問題等による撮影の壁、それを乗り越えての共感へと至
る道程はスリリングだ。日米の受容の差異、映画環境の違いを感じつつも、異国を
撮る利点を指摘していて興味深い。



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■責任編集:伏屋 博雄
■編集デザイン:能川 悦子
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