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2008/11/15

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 113号 2008.11.15

 
 
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
      (4−最終回)主体的受動性に向けて  岡本 和樹
 †02 ■自作を語る
     『ブラジルから来たおじいちゃん』  栗原 奈名子
 †03 ■ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
     世界遺産の古都での映画祭(1)  岡村 淳
 †04 ■映画時評
       『帝国オーケストラ ディレクターズカット版』
       (監督:エンリケ・サンチェス=ランチ)  萩野 亮
 †05 ■neoneo坐11月後半の上映プログラム
 †06 ■広場
       第13回アートフィルム・フェスティバル
         11/18〜29 (25日休映) 愛知芸術文化センター
         VIDEO ACT! ドキュメンタリー祭 
         11/29〜12/5 UPLINK FACTORY
    ■「自作を語る」などの原稿募集!
    ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †07 ■編集後記  伏屋 博雄

    ★バックナンバー閲覧はこちらまで
     まぐまぐ配信   http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/ 
     melma!配信   http://www.melma.com/backnumber_98339/ 



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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■(4−最終回)主体的受動性に向けて
┃ ┃■岡本 和樹
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●芸術至上主義と「社会派」を超えて

これまでの連載で、今まで私が考えてきた問題系はある程度網羅できたと思う。た
だし、芸術における社会性という問題だけは、深く述べることができなかった。こ
の問題は、現在進行形の私自身の最も大きな問題として答えが出せずにいるからで
ある。
この問題は、様々な形で、様々な分野の人たちによって議論し尽くされた問題であ
るが、議論のどの答え(理論)も私個人の実感に落ち込んでいって納得するものが
ない。そこで、私は、自分の実感を伴った形での、再検討を試みたいと思う。勿論、
答えの出ていない問題なのでその逡巡を記述する域を出るものではなく、また理論
としても従来の議論の域を出るものではないが、論理からではなく実感から再度捉
え直すことは、必ずしも無意味なものでは無いと思う。少なからず、社会がこのよ
うな状況になってきている現在においては。

元々、私は芸術至上主義者であり、数年前まで、社会や政治というものには全く興
味が無かった。忌避していたと言っても過言ではない。これは、芸術至上主義だっ
たという理由だけではなく、現代の多くの若者に共通する政治嫌悪・個的閉塞性の
感覚による部分も大きいと思う。しかし、ここ数年で、私は少しずつ社会的な問題
意識を抱くようになってきた。この変化が、私個人の内的要因から生まれたものな
のか、社会の変化という外的要請から生まれたものなのかは判断がつかない。おそ
らく後者だろうが。いずれにせよ、今までのように、作品を社会的な文脈と切り離
して、作品の絶対性という問題だけで判断して良いと言い切ることはできなくなっ
た。(勿論、そのような作品で素晴しいものがあることも否定はできないのだ
が。)このように書くと、芸術至上主義者が社会派に転向したというように考える
かもしれないが、事はそう簡単ではない。社会問題に関心を持てば持つほど、今ま
で以上に、メッセージを一元的に語る所謂「社会派」に対して、大きな違和感を抱
くようにもなってきた。(ここで私のいう「社会派」とは、イデオロギーや一義的
なメッセージを強調するものを指し、土本典昭監督を初めとする社会的な問題を扱
いながらも、世界自体の矛盾や葛藤を含めて捉えようとする立場は含まない。)

では、この違和感はどこから来るのか。おそらく、「社会派」という作品の基軸に、
発語者(作者)個人の実感(葛藤)が無いというところに、違和感を持つのだと思
う。全てが他者の言葉で作られている。判断基準が自分にあるのではなく、第三者
の「正しさ」を基準としているということに非常に大きな違和感を覚える。
これは「社会派」に限ったことではない。近年のマスコミの報道や多くのインテリ
の言説にまで、同質の危うさを感じる。マスコミの報道は自明のことであるが、イ
ンテリの言説などでも、他者(往々にして権威)の引用によって自己の論理の正当
化を図るというものが増えているように思う。勿論、「オリジナル」、絶対的な
「自己」などというものは存在しないという立場は理解できるし、「自己」という
ものの絶対性を声高に主張するものには辟易とさせられるが、そこに発話者の自己
の言葉が見えないものには、更に大きな違和感を持つ。

哲学を語る知識は私には無いが、少なからずドキュメンタリー映画を作ってきた者
の実感としては、このような状況に対して、「主体的受動性」というものが必要だ
と思う。他者・世界が問いかけてくるものを、主体的に一度真正面から引き受け、
そこから自己の主体というものを掴んでいくことが必要なのではないか。他者・世
界が持っているものと自己が持っているものは、往々にして相容れないが、その矛
盾を他人の言葉によって、整合性をつけるのではなく、また自己正当化によって他
者・世界を拒絶するのでもなく、自己と他者・世界との矛盾を自分の言葉で繋ぎ合
わせることが必要なのだと思う。その葛藤を経ない「正しさ」というものは、どん
なに「もっともらしい」ものであっても、嘘でしかないと思う。

自己を深く探求すればする程、自己を取り巻いている社会や他者の問題は不可避の
ものとして立ち上がり、また社会を深く見つめれば見つめるほど、そこに生きる個
人の生活ということを無視はできなくなる。しかし、この両者を繋ぎ合わせること
は容易なことではない。出自も立場も資質も違う人間にとって、百人いたら百通り
の答えがある。その葛藤を引き受けることが、私にとっての「社会性」である。私
個人としても、見つめる被写体・世界について考える時も。これが、現段階での私
の暫定的な「社会性」についての答えだ。

私がずっと関わってきた歌手・あがた森魚の生き様は、私の悩みに答える一つの姿
勢を示してくれる。上記のような議論で言えば、あがた森魚は徹底した芸術至上主
義者だ。安易な社会性や政治性に芸術が絡めとられることを非常に強く忌避してい
る。それにも拘らず、社会との葛藤で作品を作っていることは確かだ。(しかし、
それは決して政治性ではない。)彼は「芸術はホワイトなテロリズムなのだ」とい
う。暴力などではない形で「社会に対してホワイトな爆弾を投げつけていくこと」
だと言っていた。今でも非常に強く共感している。若き日の森達也監督が(役者で
あった時)あがた森魚と親しくしていたというのは、偶然ではないような気がする。
立場は違っても、両者に共通するのは、自分の言葉で発するという一点にあると思
う。そしてこのことが、現在の社会で最も必要なことのように思えてならない。

このように考えてきても、未だに揺れている。これも一つの自己正当化かもしれな
い。私は今まで社会的な問題を扱った作品は一つも作ってこなかった。今の社会に
あってそれでいいのかという問いは未だに拭い去れない。逃げているだけかもしれ
ない。密かに「戦争と市井の詩人」をテーマに作品を作ろうとも企画しているが、
未だ具体的には動き出していないというのが実状だ。しかし、この問題を考え続け
ることからは逃げないようにしようと思っている。おそらく、作品を作っていくこ
とだけが、この問いに答える唯一の道なのだと思う。(了)


■岡本 和樹(おかもと・かずき)
現在:写真映画『ヤーチャイカ』(監督:覚和歌子:谷川俊太郎)のメイキングド
キュメンタリー制作中。年内完成予定。最近は、映画制作だけではなく、写真撮影
や小説執筆を始める。



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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『ブラジルから来たおじいちゃん』
┃ ┃■栗原 奈名子
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ポレポレ東中野で現在、公開中の「ブラジルから来たおじいちゃん」は、サンパウ
ロ在住のブラジル移民一世の92歳のおじいさんが日本にデカセギに来ている若い世
代を訪ねる旅を追いかけたドキュメンタリーです。

主人公の紺野堅一さんには、30年前サンパウロで出会いました。大学生になった私
を初めての海外旅行にと、父がブラジル出張に連れて行ってくれたのです。紺野さ
んは、父の昔の同僚のおじさんでした。日本にいるおじいさんとはなんだか違う。
日本を外から見る視点を持っている。話す歴史のスパンも長い。それまで聞いた事
もなかった日本敗戦後のブラジルでの勝ち組負け組などの話をされて、それまで
「平和な」日本で月並みな暮らしをしてきた私は、紺野さんの話に目を開かれる思
いでした。バスに乗ってサンパウロの街を案内して下さる紺野さんと、政治や経済、
歴史等についてずいぶん話しました。とにかく紺野さんの話がすべて新鮮でした。

そして、なによりたんたんとした人柄に魅力を感じました。辛酸をなめてこられた
であろうに、いつも穏やかな紺野さんのあり方に、深く引きつけられたのです。ブ
ラジルにもっと長く滞在したいと言うと「家においでなさい」と誘ってくださり、
今で言うホーム・ステイを一ヶ月させていただきました。ご家族と一緒にブラジル
の食べ物を食べ、サンバを踊りに行きました。

日本に戻ってからも手紙などで交流が続きました。ところが、その後、私がアメリ
カに行ってしまった事もあり、一旦連絡が途切れました。しかし、世界を広げてく
れた紺野さんの存在は、私の心の深い所にしっかり息づいていました 。

04年にブラジルに行く機会があり、躊躇なく紺野さんに連絡しました。紺野さんは、
以前、私が泊めていただいたお家に、元気で住んでおられました。20年の空白は一
瞬のうちに消え、親しく話す事ができました。そして、彼が毎年、日本を訪れてい
る事を知ったのです。
家族の反対を押し切って、飛行機だけでも26時間の旅をして、どうして日本に来ら
れるのか。いったい日本で何をしておられるのだろうか。そもそもどうしてブラジ
ルに移民されたのか、またブラジルに渡ってからどういう暮らしをしてこられたの
か、それもきちんと聞いていない。日本での旅に同行して、話を聞こうと思い立ち、
カメラを手に取りました。

最初は、紺野さんの人物像を描くつもりでした。しかし、撮影をはじめてみるとす
ぐ、紺野さんとの旅を通して、「グローバルな移動」をとらえることにもなったと
気づきました。移住の時代と呼ばれる現代を先駆ける形で生き抜いてきたブラジル
移民の紺野さん。そして、現在、移住労働者として日本にデカセギに来ている次の
世代の日系ブラジル人とその家族たち。数世代にわたって国境を越えて生きてきた
人たちの姿をひとつの流れの中で、描き出すことになりました。

新聞等で多数のブラジル人が日本に働きに来ていることは、知識としては知ってい
ました。しかし、大半のブラジル人は地方の工場で働いており、都市に住む私が出
会う事はありませんでした。紺野さんと旅に出る事によって、日本の中に存在しな
がら、これまで私には見えていなかった彼らの生活、まさに彼らの居間に突然飛び
込む事になったのです。

紺野さんと二人で旅をしながらの撮影は、穏やかなものでした。撮っている時に気
にかけたのは、音です。ブラジル人たちの集まるところは、大きな音量でブラジル
の音楽が鳴っていたり、テレビがついていることが多いのです。一方、紺野さんの
声はソフトなので、音を拾えるかどうか心配でした。
とにかく近づいて撮るように留意しました。

編集では、現在と過去、日本とブラジル、パーソナルなストーリーと大きな歴史の
流れ、異なる時空や層、旅で訪れる様々な場所と人々といった要素をどのようにバ
ランスよくとりまとめていくのかが大きな課題でした。自分自身をどれほど組み入
れるのかも思案のしどころでした。インタビュアーとしては、前作(注*)のよう
に相手の主張を明確にするために特別に配慮した質問をするというより、静かに彼
の話に耳を傾けました。

特に注意を払ったのは、場所の設定を明らかにすることです。毎週一度出かけるデ
イケアは、彼のブラジルでの日常生活のメインイベントですが、日系教会での日系
人のためのサービスなので、よほど注意深く見ても、日本のようにしか見えません。
逆に日本にあるブラジル人のためのショッピングセンターの外観は、どう見てもブ
ラジルです。見る人が混乱しないだろうかと未だに心配です。しかし、それは、ブ
ラジルの中に日本があり、日本の中にブラジルがあるというまさにその現実でした。

一見ほのぼのとしたストーリー展開ですが、紺野さんが発する、たんたんとした言
葉の中に、国の施策や当時の年配者へのクールな批判、日本人とはいったい誰なの
かという根本的な問いが存在します。紺野さんは、「棄民」として日本からブラジ
ルに送り出されたのかもしれない。しかし、彼の静かで毅然とした姿を見て、実は
迷い子になっているのは、自国にいて多数派だと思い込んでいる私たち自身なので
はないのかと感じざるを得ないのです。


(注)*:『ルッキング・フォー・フミコ』(1993年)

☆『ブラジルから来たおじいちゃん』
(Um Senhor do Brasil visitando brasileiros no Jap?o)
(2008年/日本/DV/59分/カラー/日本語・ポルトガル語/ポルトガル語・日本
語字幕)監督:栗原奈名子、撮影: 栗原奈名子 、エリオ・イシイ、整音:小川武、
編集:斉藤貴志、今野裕一郎、出演:紺野堅一、成松政行、成松より子、ファビオ
・岡・ダシルヴァ、ロベルト・ダシルヴァ、ドグラス・岡・ダシルヴァ、エリアー
ネ・岡・ダシルヴァ他、オリジナル音楽:道下和彦、音楽アドバイザー:稲岡邦弥、
題字:小澤薫、日本語・ポルトガル語字幕:リリアナ・ユリエ・マスダ・オ
ダ、ポルトガル語字幕:ホベルト・マクスウェル、パメラ畠、協力:関西ブラジル
人コミュニティ、NPO大阪アーツアポリア、BUSSTRIO、Rabadas Cultura Clube、制
作:MuchaKU Lab、配給 :アムキー

☆『ブラジルから来たおじいちゃん』公式サイト
  : http://amky.org/senhordobrasil 

●上映スケジュール
東京/ポレポレ東中野現在公開中
11/8(土)〜   毎日、午前11時より(一日一回上映)

高崎/シネマテークたかさき
11/22(土)〜28(金) 毎日、午前10時より(一日一回上映)

越前市/ 越前市文化センター小ホール
12月13日(土)午後2時より
越前市国際交流協会 TEL: 0778-24-3389

広島/横川シネマ
12/14(日)〜12/26(金)

大阪/第七藝術劇場、京都/京都シネマ、名古屋/名古屋シネマテーク公開予定

■栗原 奈名子(くりはら・ななこ)
大阪府出身。1993年、ニューヨーク在住中に製作した『Ripples of Change ルッキ
ング・フォー・フミコ』が海外の映画祭で受賞。94年には、東京国際女性映画祭に
招待。アメリカ合衆国、オーストラリアの公共放送で放映される。『ブラジルから
来たおじいちゃん』は第2作。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪サンパウロ発≫
┃ ┃■世界遺産の古都での映画祭(1)
┃ ┃■岡村 淳
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今年はブラジルに日本人の集団移民が渡って、百周年。日本とブラジルでは「皇室
の御臨席を賜って」いくつかのイベントが開かれたが、多くの在日日本人にはせい
ぜい「あ、そう」ぐらいの関心しか喚起しなかったことだろう。「移民撮りが移民
に」、いまや私自身がブラジル移民となってしまった。しかし私は百年前の移民団
以前から存在した自由移民の系譜に連なるつもりなので、移民会社や日本国政府の
口車に乗った契約移民の百周年は、あまり関係がない。そんな私にも、思わぬおこ
ぼれがやってきた。

最初にコンタクトの電話があったのは、今年の6月、ブラジル内陸部のミナスジェ
ライス州からである。同州で毎年、開催している「民衆のイメージ」(IMAGEM 
DOS POVOS)という国際映画祭のルシアナさんというコーディネーターからだ。
2005年に始まったこの映画祭の特色は、ブラジルの州ないし地域と、ある国を毎年
ひとつ選んで、特集上映をすることだという。今年は日本人移民百周年にちなんで、
日本を取り上げるとのこと。ちなみにブラジルの地域は、アマゾン。ルシアナさん
の友人の、在日本の知人がオカムラのドキュメンタリーを推薦してくれたという。
私の存在はブラジルでは日系コミュニティーの他には無名といっていいので、思わ
ぬルートから発掘されてしまった。

ルシアナ女史は「掘り出し物」との電話に興奮してか、拙作を見る前から8月末か
らの上映に私が参加可能か、キュレーターも頼むことができるか、アマゾンに関す
る作品はあるか等々、矢継ぎ早に質問と依頼を浴びせてきた。残念ながら、8月下
旬から日本で移民ドキュメンタリーの連続講座の講師を務めることが決定している
ので参加はできない。しかしミナスジェライス州には私はさまざまな取材で数え切
れないほど訪れているので、手ごろな作品をみつくろって早急にサンプルを送りま
しょう、と約束して受話器を置いた。

それにしても8月に開催する国際映画祭の上映作品を6月の段階でリサーチ中とは、
いかにもブラジルというか。私自身、これまでブラジル国内の映画祭に参加したこ
とはあるが、自作が上映されたことはないので惜しい限りである。もう少し早く連
絡をくれていれば・・・

さて自分のミナスジェライスがらみの作品、今回の映画祭にふさわしそうな作品を
思い浮かべてみて、ひらめいてしまった。
『ブラジルの土に生きて』(2000年制作、152分)。ミナスジェライス州のブルマ
ジンニョ郡という山峡の地の農場で晩年を過ごす明治生まれの石井さんという日本
人移民夫妻に4年間、寄り添った作品である。しかも夫の石井信兼さんは青年時代
に、ブラジル移民の父とされる水野龍という人物の書生をしており、水野翁からブ
ラジル移民事業開始に伴なう失敗と慙愧の回顧譚 を聞かされていたという秘話を
岡村のビデオカメラに託しているのである。さっそくルシアナさんに折り返しの電
話をかけた。
「お宅の州のブルマジンニョってところを知ってるかい?」
「知っているのもなにも、私たちのオフィスはブルマジンニョにあるのよ。どうし
てあなたがブルマジンニョを知っているの?」
「!!!」
不思議な偶然は連発した。

この拙作に登場する信兼さんの連れ合いの石井敏子さんはこの地で70歳になってか
ら陶芸を始め、90代になっても現役の陶芸家として活躍をしていた(昨年、96歳で
逝去)。この映画祭の創始者のタマラさんは敏子さんの窯開きに参加していたこと
もわかったのだ。これは偶然が伝えてくるメッセージに合わせるしかない。善は急
げ。私は先方が拙作を見る前から、上映が決定する前から日本の連続講座の主催者
に連絡を取り、第1回の講座の日にちの変更を打診した。

今年の「民衆のイメージ」映画祭は州内の3箇所の都市で順繰りに上映が予定され
ているが、訪日予定を1週間ずらせば、最初の開催地、世界遺産にも登録されてい
るブラジルの古都オウロプレットでの上映に参加することができるのだ。


■岡村 淳(おかむら・じゅん)
記録映像作家。在ブラジル。1958年東京都生まれ。日本映像記録センターの番組デ
ィレクターを経て、1987年にブラジルに移住。小型ビデオカメラを用いた単独取材
と自主制作・自主上映活動を続けている。11月下旬より訪日して、ブラジル奥地の
保育園の記録『あもーる あもれいら』第2部『勝つ子 負ける子』の完成記念上
映を行なう。上映スケジュール等は、「岡村淳のオフレコ日記」
 http://www.100nen.com.br/ja/okajun をご参照ください。



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┃04┃映画時評
┃ ┃■『帝国オーケストラ ディレクターズカット版』
┃ ┃  (監督:エンリケ・サンチェス=ランチ)
┃ ┃■萩野 亮
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2007年に創立125周年を迎えたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、1933年か
ら1945年にかけて、ナチスとの決して弱くはない結びつきをもっていた。当時の主
席指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとナチスとの関係についてはこれまで
も検証が重ねられてきたが、『帝国オーケストラ』は、楽団を構成するひとりひと
りの演奏家がそのときをどのように生きていたのかに着目する。中心的な語り部と
なるのは、当時を知るふたりの演奏家、ヴァイオリン奏者のハンス・バスティアン
と、コントラバス奏者エーリヒ・ハルトマンである。ふたりの語りを両軸に、当時
の楽団員の近親者たちによる証言を配置することで、『帝国オーケストラ』は「政
治と芸術」という問題をあらためて思考しようとしている。

映画はインタビュー・ドキュメンタリーの形式をとり、ところどころに記録フィル
ムの映像が挿入される。複数の証言と映像が重なり合い、交差するところに、当時
の状況と演奏家たちの情景が浮かびあがってくる。記録フィルムはただ挿入される
のではなく、ときにスロー・モーションとなり、あたかも演奏家の記憶の流れを表
象している。サンチェス=ランチ監督の前作『ベルリン・フィルと子どもたち』
(トマス・グルベとの共同監督、2005)は、綿密なインタビューを挿入することで、
ベルリン・フィルと素人の子どもたちとの共演という野心的なプロジェクトを記録
した傑作だった。音楽が若者の現在に対して何をなしうるかを提出した前作に対し、
『帝国オーケストラ』が主題とするのは、音楽と全体主義とが手を結んだ事実と、
いまを生きる演奏家の記憶である。

演奏家たちの証言は、全体主義下にある楽団員の生活を明らかにしてゆく。ナチス
の党員となった者もいたし、ユダヤ系の何人かはアメリカへの亡命を余儀なくされ
た。メンデルスゾーンの肖像は真っ先に撤去され、その楽曲を演奏することは許さ
れなかった。過去を淡々と、かみしめるように語るハルトマンに対し、バスティア
ンはつねに眉間にしわを寄せて語る。ことに党員だった団員の名前を告げるときの、
苦々しい表情は忘れられない。

戦局が悪化してゆくにつれて、ベルリン・フィルの音楽の位置づけは変わってゆく。
宣伝相ゲッベルスが明確にプロパガンダとしての役割をあたえた当初は、ドイツの
文化水準を他国に知らしめるための道具であったのが、ベルリンが廃墟となりつつ
あった戦争末期では、音楽は民衆の唯一のよりどころとして、厳しい現実からただ
ひとつ逃避できる空間としての存在に変わってゆく。音楽を続けたい一心で、無自
覚的にせよナチスに加担することになった彼らが、人々をその音楽によって救済し、
あるいは彼ら自身も救済されていた。音楽はひとを魅了する。そのことが政治的な
宣伝媒体として利用されることにもなれば、ひとびとを救済しもするのである。同
じ時代の芸術作品として、たとえばレニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』
(1935)や『オリンピア』(1936)といったフィルムは、撮影のための特権的な予
算と位置づけをあたえられ、作品自体にナチズムの美学が積極的に様式化されてい
たが、ベルリン・フィルの演奏家は、兵役を免除され、ただ演奏することだけを求
められていた。パンフレットの紹介文にあるように「武器ではなく楽器を手にする
ことを許された」というよりは、帝国から楽器を貸与されることもあったと語るよ
うに、彼らは楽器を「持たされた」のであり、全体主義の部分をたしかに担ってい
た。「演奏を聴きにくる負傷した軍人の姿を見るたびに、自分を恥じた」という演
奏家の素直な述懐は、全体主義と音楽の歪んだ関係をありありと証言しているとい
える。

バスティアンとハルトマンは、ある場所を訪れる。ハルトマンは焼失したベルリン
・フィルハーモニー・ホールの跡地と、戦後はじめて楽団員が再会したという学校
へ、バスティアンは野戦病院となったオリンピック村の施設を訪れる。記憶が全身
ににじみ出すのを受け止めるようにして、彼らは静かに立ち尽くす。このつつまし
く美しい野外撮影が、この映画に広がりと深まりをあたえている。かつて負傷した
兵士のために演奏した寂しい部屋の中心で、バスティアンは「わたしたちは何をし
てきたのだろう」と、瞳に涙をためて語る。音楽が政治と手を結んだことの悲劇が、
このショットには結晶化している。

☆『帝国オーケストラ ディレクターズカット版』
エンリケ・サンチェス=ランチ監督/2008年/ドイツ/カラー、モノクロ/デジタ
ル/97分
現在、ユーロスペースで上映中!


■萩野亮(はぎの・りょう)
和光大学表現学部卒。映画論。すっかり肌寒くなり、いよいよ東京フィルメックス
の季節になりました。この小欄でも紹介した『最後の木こりたち』のユー・グァン
イー監督の新作『サバイバル・ソング』に期待しています。招待作品では園子温監
督『愛のむきだし』の予告編にぶっとびました。237分!



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┃05┃□neoneo坐11月後半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
  http://www.neoneoza.com/

■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会「短篇調査団」

毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)
追加情報はblog版短篇調査団へ

■戸じまり用心 火の用心♪5本立(計87分)
(79) 火事の巻...2008年11月26日(水)20:00〜 
『家庭の防火』
1971年/16分/カラー、制作:ファースト教育映画社/プロデューサー:仙田恭二
/脚本・監督:衣笠十四三/撮影:竹野治夫 
■ある家庭の朝から夜まで24時間を通した生活の中で、失火の原因となるものや、
その取扱い方の注意を様々な方面から説く。

『学校で火事にあったら』
1966年/18分/白黒、制作:東映教育映画部
監督:浅沼直也/脚本:秋本敏之・布村建/撮影:田中暎久 
■退避訓練は形式的に行うだけでは不十分で、いざというとき日頃の訓練を役立た
せるためには、退避方法や心得を示し、また実験によって正しく理解させる。

『燃焼とは…』
1997年/11分/カラー、制作:東映教育映像部/企画:文部省
プロデューサー:松本寿夫/監督:吉田嗣郎/撮影:常田高志 
■ローソクや天ぷら油、炭、金属など様々な物質の燃焼現象を実験やアニメーショ
ンで示し、燃焼について理解させる。

『リスのまとい』
1974年/15分/カラー、制作:全国農村映画協会/企画:林野庁
プロデューサー:小野寺正寿・柴山達雄
監督:石黒昇/脚本:小野春雄/作画:吉村昌輝/美術:下道文治 
■殿様の大事にしている山の山火事を出したと疑われ捕えられたきこりの孫兵衛と
その仲間。その孫兵衛に命を救われたリスが真犯人を探し出し、そのほうびとして
マトイをもらう。

『爆発を防ぐ』
1961年/27分/白黒、制作:日経映画社(現・日経映像)/企画:文部省
プロデューサー:村治夫/監督:小谷田亘/脚本:室田倬/撮影:岡秀大 
■気体・液体・固体の別に爆発の条件と原理を説明し、正しい取り扱い方の基本を
示す。

【料金】会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp 



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┃06┃□広場
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■第13回アートフィルム・フェスティバル

会期:2008年11月18日(火)〜29日(土) *25日(火)休映
会場:愛知芸術文化センター12階アートスペースA
    (名古屋市東区東桜1-13-2、「栄」駅下車オアシス21経由徒歩3分)
主催:愛知芸術文化センター
企画・問い合わせ:愛知県文化情報センター
         Tel.052-971-5511 内線724
         E-mail: bunjo@aac.pref.aichi.jp 
         URL: http://www.aac.pref.aichi.jp 
入場無料

■企画主旨
 映画生誕と呼ばれる1895年から110年以上が経過した現在、映画館での上映を第
一とする映画鑑賞の形式は揺らぎ、TV放映やビデオ、DVDあるいはネットによる鑑
賞など、様々な受容のスタイルが並立する状況が現出しています。また表現におい
ても、従来の劇映画、ドキュメンタリー、実験映画等の、ジャンルにおける境界線
は曖昧化しつつあります。とりわけ1990年代後半から顕在化した、デジタル・ビデ
オカメラの登場に伴う少人数ないし個人による映像制作は、1960年代より盛んにな
ったインディペンデント系の映画制作手法の流れを引き受けつつ、21世紀の新しい
映画の姿を徐々に浮き上がらせているといえるでしょう。
 第13回となる「アートフィルム・フェスティバル」では、このような映画の現在
の状況を踏まえながら、リュミエール兄弟の最初期の映画から連綿として継承され
ている、風景にまなざしを注ぐことから映画が立ち上がってくるような近年の作品
に焦点を当てた、特集「風景の映像−あるいは、風景へのまなざし」をメインに、
プログラムを構成します。

■プログラム概要

◆特集1 「アパートメントハウス1776 ジョン・ケージ」公演開催記念
     「映像で見るジョン・ケージ」
 12月3日(水)に愛知県芸術劇場コンサートホールで行う、アルディッティ弦楽四
重奏団(音楽)×白井剛(ダンス)による「アパートメントハウス1776 ジョン・ケー
ジ」の開催を記念し、当センター・アートライブラリーが所蔵する映像作品より、
ケージと関連深いものをセレクトして上映します。
 ビデオ・アートのパイオニアであるナム・ジュン・パイクの、ケージに対する深
い敬意を込めたオマージュ的作品『ジョン・ケージに捧ぐ』(1973−76年)や、『ヴ
ァリエーションズV』(1966年、監督:アルン・アーンボン)など、ケージが音楽監
督を務めたマース・カニングハム舞踊団の公演記録をベースにした映像作品をまと
めて鑑賞する好機となるでしょう。

◆特集2 ゴダールの『映画史』を復習する
 1988年に制作を開始、映画生誕100年の年である95年を通過して、98年に完成し
た、ジャン=リュック・ゴダールのビデオによる大作『映画史』全8章は、ゴダー
ルの映像による独自の映画史の提示であるとともに、暴力的ともいえるビデオ・コ
ラージュによって、モンタージュの概念を根底から覆すような両義性を持った作品
として、衝撃とともに迎えられ、現在の映画シーンに消し去ることの出来ない影響
を与え続けています。
 スタジオ内での編集作業によって、古今東西、有名無名の、おびただしい数の映
画及び映像をビデオによって引用し、独自に再構築する手法は、個人による映像制
作の一つの方法としても興味深く、示唆を与えるものであったといえるでしょう。
映画生誕から110年以上を経た現在、映画の今を見つめる意味でも、改めて観るべ
きこの重要作品を、アートライブラリーでの新収蔵を機に上映します。

◆特集3 風景の映像−あるいは、風景へのまなざし
 1895年に公開された『工場の出口』など、リュミエール兄弟の最初期の映画がそ
うであったように、風景にまなざしを注ぐこと、凝視することから、映画が誕生し
たのではないか。取り立てて特徴的であるとも思えない工場の出口から、操業を終
えたのか、左右へと散ってゆく労働者たちを、約1分間、据えっぱなしの固定カメ
ラで捉えただけのシンプルな映像が投影された時、我々はそこに映画を見出したの
です。
 現実の光景が映画へと転換することの不思議さ。デジタル技術が映画制作の現場
に浸透し、コンピューター・グラフィックスと実写を融合させることによって、映
像として描写できないものはなくなったとも言える現在、あえて映画の原点回帰と
もいうべき手法にこだわって作品を作る作家たちが存在することは、大変興味深い
事実です。この特集では、ジェームス・ベニングや水野勝規など現代の作家を中心
に、風景と真摯に向き合い、凝視することから作り出された作品の系譜を浮かび上
がらせます。また高木正勝や伊瀬聖子ら、デジタル技術を積極的に導入して作られ
た、新しい映像による心象風景といった試みも合わせて紹介します。

◆特集4 「愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品」新作プレミエ&アン
コール
 「愛知芸術文化センター・オリジナル映像作品」は、“身体”を統一テーマに、
映像表現の新たな地平を切り開くような、実験的な映像作品を自主制作するプロジ
ェクトで、当センターの開館以来、一年一作のペースで継続しています。この企画
では、実験映画、ビデオ・アート、アニメーション、ドキュメンタリー、劇映画な
ど、様々な映像ジャンルの作家はもちろん、ダンサーや演出家など異分野の才能も
登場し、“身体”というテーマを立体的に照らし出しています。
 身体は、我々の日常生活のレベルに深く根ざしているとともに、現代の芸術や思
想、哲学における重要なテーマであり、キーワードの一つでもある点で重要です。
電子的なネットワーク環境の整備が進み、人間の“身体性”あるいは“身体感覚”
が希薄化しつつある現在、デジタル的なフォーマット化の進行に相反するように、
こうしたプリミティブな感覚や感性が秘める可能性に、再び光を当てようとする動
きも起こっています。
 シリーズ最新第17弾となる『HAND SOAP』(2008年)は、「アルスエレクトロニ
カ」佳作を受賞するなど話題を呼んだ『診察室』(2005年)の大山慶が監督を担当。
コンピューターを用いたコラージュ・アニメーションともいうべきユニークな手法
によって、傷付けられたり、病気になったりといった、自分の体が何かに脅かされ
るという不安や恐れ、心の揺らぎが、主人公のアトピー性皮膚炎に悩む中学生の姿
となって、独自に映像化されています。
 また『HAND SOAP』の初公開に併せ、昨年上映し好評だった三宅流『究竟の地−
岩崎鬼剣舞の一年』(2007年)など、旧作をセレクトしアンコール上映を行います。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■VIDEO ACT! ドキュメンタリー祭

自主制作ビデオの普及・流通をサポートしてきたVIDEO ACT!は
今年で10周年を迎えました。そこで、多くの作品群の中からセレクト
した作品を上映する映画祭を開催します。

期日:11月29日(土)〜12月5日(金)
詳細: http://www.videoact.jp/screening/08special.htm 
場所:UPLINK FACTORY(03-6825-5502)
渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F (渋谷東急本店右側200m先右手)
  http://www.uplink.co.jp 

料金:一般1200円、学生・シニア:1000円、
   中学生以下:800円(各回入れ替え制)
(当日のみ。水曜日は一般の方も1000円)
3回券:3000円、5回券:4800円、
フリーパス:7000円(UPLINK FACTORYにて販売中)

問い合わせ:ビデオアクト TEL03-5496-7088 info@videoact.jp 

<上映プログラム>
●11月29日(土)14:30〜
『ペットボトルの水』(2007/31分)
『食べるためのマグロ 売るためのマグロ』(2008/31分)
『バイオ燃料 畑でつくるエネルギー』(2007/31分)以上、監督:鈴木敏明

●11月30日(日)14:30〜
『船、山にのぼる』(2007/88分)監督:本田孝義
トーク 本田孝義(監督)

16:30〜
『憲法が消えた―東京都の学校で起きたこと―』(2005/13分)
『学校をやめます―51才の僕の選択―』(2006/16分)以上、監督:湯本雅典
(他、湯本監督の短編4本上映あり)
トーク  湯本雅典(監督)

18:30〜
『君が代不起立』(2006/87分)監督:松原明・佐々木有美

20:30〜
『あきらめない―続・君が代不起立』(2008/75分)監督:松原明・佐々木有美
トーク  松原明(監督)

●12月1日(月)18:30〜
『てれれセレクト』 『コンドーム特集』、『2007』」
7名の製作者(2004/40分)、8名の製作者(2007/58分)

20:30〜
『続・自由不平等』(2008/約60分を予定)
トーク  製作者(作品募集中!)
 http://www.videoact.jp/3min/2008.html 

●12月2日(火)16:30〜
『みなまた日記―甦える魂を訪ねて』(2004/98分)監督:土本典昭

18:30〜
『アリラン峠を越えて』(2003/47分)
『銀のスッカラ』(2006/45分)以上、監督:伊藤孝司

20:30〜
『VIDEO ACT! 反戦プロジェクトRe-Mix』
『基地はいらない、どこにも』(2006/46分)監督:小林アツシ
トーク  小林アツシ(監督)

●12月3日(水)16:30〜
『新しい神様』(1999/99分)監督:土屋豊

18:30〜
『幽閉者たち』(2007/83分)監督:土屋豊
 トーク  土屋豊(監督)

20:30〜
『G8メディアネットワーク活動報告』
トーク  白石草(OurPlanet-TV代表)× 土屋豊(VIDEO ACT!代表)

●12月4日(木)18:30〜
『知っておこうよ! 女性の年金』(2008/18分)監督:エンドウノリコ
『30年のシスターフッド〜70年代ウーマンリブの女たち〜』(2004/57分)
監督:山上千恵子・瀬山紀子
トーク  山上千恵子(監督)・瀬山紀子(監督)

20:30〜
『新宿路上TV vol.3』(1995/30分)プロデュース:遠藤大輔
『今日も焙煎日和』(2007/45分)監督:飯田基晴
トーク  遠藤大輔(プロデューサー)+飯田基晴(監督)

●12月5日(金)18:30〜
『フツーの仕事がしたい』(2008/70分)監督:土屋トカチ
トーク  土屋トカチ(監督)×雨宮処凛(作家)

20:30〜
『遭難フリーター』(2007/67分)監督:岩淵弘樹
トーク  岩淵弘樹(監督)×雨宮処凛(作家)


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



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┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●岡本和樹さんの連載が終わった。毎回全力投球で取り組んでくださった。4回の
連載はいずれも岡本さんにとっても思いのたけを込めた論考だったのではないか?
そこには昨今の映画に対して切迫感があったと思う。

岡本さんは言う。「2回目でのアヴァンギャルド再考では、近年の実験映画が、奇
を衒うばかりで何の本質も無く(目指してさえいない)、実験にすらなっていない
状況に何かを問いかけたかった。」と。
そして、今号で心掛けたことは次のことだったと言明する。

今、表現において、最も考えなくてはならないことが、社会と表現との関係だと思
ったのです。社会が「戦前がえり」というようなことを叫ばれている中で、表現も
そうなっていっているのではないかという危惧が強くあるんです。「政治か非政治
か」という単純な二分法の構図は、戦前の蔵原惟人と中野重治の議論と同じ構図で、
今となっては単純すぎて古臭いはずなのに、近年の多くの作品がこの構図のどちら
かになってきている気がしてならない。社会派は声高に政治を糾弾し、芸術派は社
会には全くの無関心。折りしも、佐藤真さん、土本典昭さんというこんな馬鹿げた
二分法では作品は作らず、全く別の本質を見つめ・戦い続けた二人の巨人がこの世
を去る。稚拙でも、焼き直しでも良いから、何か言わなくてはならないという焦り
にも似た想いが強くありました。

岡本さんの意見の是非はともかく、「問いかけ」として受け止めたい。

●栗原奈名子さんから『ブラジルから来たおじいちゃん』について投稿があった。
彼女とは、14年前に彼女が監督したドキュメンタリー『ルッキング・フォー・フミ
コ』の公開を目指している頃に出会ったきりだったので、ひどく懐かしかった。こ
の第1作は、かってのウーマン・リヴ運動に参加した女性たちの生き方と意味を問
う作品だった。時を経て監督した2作目は、73年前に単身ブラジルに移住し、艱難
辛苦の末、今ではサンパウロで悠々自適の暮らしをしている「おじいちゃん」が
「日本にデカセギに来ているブラジル人たちを訪ねる」旅を追った作品。東京(ポ
レポレ東中野)では公開の真っ最中だ。詳細は「自作を語る」を読んでいただきた
いが、栗原さんは今なおドキュメンタリーを作り続けている。

ところで先日ポレポレ東中野で行われた「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 
−山形in東京2008」の中の呉文光(『私の紅衛兵時代』監督)の講演「中国ドキュ
メンタリー20年」を聴きにいった。彼とは10年ぶりの再会だ。彼は最近は監督とい
うよりは、組織者としての活動に比重を置いていた。例えば、助成金で得た資金で
ずぶの素人の農民にカメラをあてがい彼らの生活を自ら記録する運動を行っている
と快活に語っていて、ドキュメンタリーの根が息づいていることを確認することと
なった。持続は「ワールドワイドNOW」の岡村淳さんにも当てはまる。岡村さんは
25年前にブラジルに移住し自主制作・自主上映活動を続けている。その粘り強さは
半端ではない。11月下旬より訪日して新作を披露する予定だそうだ。

ともすれば1作で映画を終える(終えざるを得ない)ことが多い時代に(それは様
々な事情が推測されるのであるが)、彼らの健在ぶりに大きな刺激を受けた。



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■責任編集:伏屋 博雄
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