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2008/10/15

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 111号 2008.10.15

 
 
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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 ■ドキュメンタリー映画のかたち
      (2) アヴァンギャルド再考  岡本 和樹
 †02 ■自作を語る
      『フツーの仕事がしたい』  土屋 トカチ
 †03 ■ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
      土本作品探求の新たなスタートライン:
      「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家〜土本典昭との対話」
         水野 祥子
 †04 ■映画時評
      『LOOK』(アダム・リフキン監督、2007年)  萩野 亮
 †05 ■neoneo坐10月後半の上映プログラム
 †06 ■広場
    ■東京国際映画祭からのお知らせ
     10/18〜26日、TOHOシネマズ六本木ヒルズ&
      文化村ル・シネマ2(渋谷)
    ■目撃!分析!中国ドキュメンタリー!
     中国のインディーズ、「黄牛田」のメンバー6名が出演
      11/8(土)  横浜ZAIM 2Fホール
    ■「自作を語る」などの原稿募集!
    ■上映の告知の有料化とカンパのお願い
 †07 ■編集後記  伏屋 博雄

    ★バックナンバー閲覧はこちらまで
     まぐまぐ配信   http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/ 
     melma!配信   http://www.melma.com/backnumber_98339/ 



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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■(2) アヴァンギャルド再考
┃ ┃■岡本 和樹
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●あがた森魚:脳髄ドキュメント『ろっけんろうどを行くよ』(2006年、12分)
あがた森魚:月刊日記映画『もっちょむぱあぷるへいず 2007』1月〜8月号(共同
監督)

前号で「映画のフレームの外へ」ということを書いたが、まさにその実践が、あが
た森魚が撮影した日記映像を、私が編集するという『もっちょむぱあぷるへいず』
という試みであった。以前、このメールマガジン「neoneo」76号(2007年3月15日
号)の『自作を語る』というコーナーで、あがた森魚との月刊日記映画の試みにつ
いて、『「映画」という閉じられた世界を、一歩位は、はみ出す射程を持ち得るの
ではないか』と書いたが、この一節がその証左と言えよう。この文章は、開始当時
の「宣言」であったが、今でもその核心は変わっていない。重複を避けるためこの
文章で語ったことは簡単に済ませるので、是非、そちらも参照されたい。

そもそも私は、シュールレアリスムなどに大きな影響を受けていることもあり、天
才作家が作る「芸術作品」などというものを全く信用していない。作家の美意識や
主義・主張を表明するものではなく、無名性の中の、生きることの根底にある「超
現実」を垣間見せてくれるようなものを少しでも顕在化できないかという思いから
作品を作っている。その超現実というのは、巌谷國士が言うように、空想や幻想と
いう類の「別の世界のこと」ではなくて、現実の深奥にある「真の現実」というよ
うな意味である。
その「真の現実」の顕在化の為に、この作品では、従来の「映画」という考え方を
反故にして、様々な方法を試みた。

第一は、共同(集団)制作の試みである。シュールレアリスムは作家の主体という
ものを疑い、集団制作や自動記述によって、その自意識を越えようとした。まさに
シュールレアリスムがアンドレ・ブルトンとフィリップ・スーポーの自動記述から
始まったように、私もあがた森魚との自動記述を試みることで、映画を「作家とい
う主体の自意識」から解放しようとしたのだ。勿論、カメラの眼はあがた森魚とい
う主体の眼であり、そこにはあがた森魚が抱える個の表現性、苦悩など様々なもの
が内包される。しかし、そのようなあがた森魚が持つ強度を、編集によって充分に
汲み取ると同時に、私自身が見つめているものを拾い上げていく、そうすることで
映画の視線は、あがた森魚でも私でもない、映画の眼、つまり「あがた森魚´」の
眼が形成される。この日記映画の主体はあがた森魚でありながら、あがた森魚では
ない、映画の主人公「あがた森魚´」なのだ。

第二は、映画を「物語」に還元しないということである。第一の問題点と近いが、
映画というものは監督の演出・編集意図によって大きく規定される。多くの場合、
それは「物語」に収斂されてしまう。しかし、ここではそれを避ける為に、日常の
断片の「日記」ということで、映像を撮った順にそのまま積み重ねるという方法を
とった。ただし、単なるコンセプチュアル・アートを作っている訳ではないので、
「物語」とは別の編集意図は明確に持っている。と言っても、それは強い意志では
なく、ある種の霊媒のように、あがた森魚に寄り添いながら、あがた森魚という個
人の人生の輝きや苦悩を見つめると共に、その個人を中心として映し出されていく
世界の在りようを見つめ、その世界自体が問いかけてくるものを丹念に紡いでいく
ということだ。そうして浮かび上がるってくるものには、主義・主張・物語を超え
た豊饒な世界像が立ち上がる。それは個人の葛藤や社会が抱えている問題など様々
である。映画は、あがた森魚の人生と世界の在りようの両者に規定されながら変化
し続ける。

第三に、大きな歴史に記述されない、個人を基軸とした歴史の構築である。歴史は
常に政治や社会の大きな事件を記述することで出来上がってきた。しかし、そこで
は一般的な個人の生活は捨象されていく。しかし、私達が実感できるのは、個人の
些細な日常の葛藤や苦悩、喜びなどを通じてでしかあり得ない。そのような個人の
営みとその個人を規定し続ける世界との関係を、歴史として記述できないだろうか
という意図があった。その具現化の為の「日記」という手法だったのだ。勿論、あ
がた森魚は有名人であり、無名の人物ではない。しかし、彼が有名か無名かに関わ
らず、個人の日常は平等に存在する。それに、言い方は悪いが、今では人気者とい
う贅沢な生活は送っていない。そういう誰でもが抱える日常の実感のようなものを
源泉として彼の歌が生まれてくるということも、彼が映画の主人公となる理由の一
つにあった。

第四に、「運動体」としての上映活動である。日記映画は、あがた森魚個人やその
個人に影響を与える社会の変化と共に流動していく。ならば、その上映も、その現
実に呼応した形で、流動していかなければならない。そのように考え、月ごとに前
月の映像日記を上映するという方法をとった。また、上映会場での実際の現実のこ
とも意識した。撮影され、上映される現実と同様に、観客の現実も流動している。
そこには、時間のズレも生じ、過去とは何か、記録とは何かという問いも必然的に
内包される。また、会場に生身のあがた森魚がおり、上映後のトークによって彼の
実際の生がそこに存在しているという演劇的な提示もできた。更に、そのトークの
模様を、観客を含めて撮影し、次号の作品に取り込むという、上映運動をも作品の
内部に取り込んでいくという試みも行った。また、パンフレットを作り、あがた森
魚の実際の日記文章や私の制作日誌などを掲載することで、映画だけではない、現
実と呼応する広がりを持とうともした。このように、様々な角度から現実との接点
を考えていったのだ。

第五に、観客の想像力の問題である。この映画を最終的に完成させるのは、観客の
想像力であると考えていた。映画は半分しか語らない。そこで語られるのは、あが
た森魚と世界との関係性の叙述に過ぎない。その映像から意味を見出し、問いを探
していくのは観客自身なのだ。観客自身が想像力によって映画を紡いでいく。百人
いたら百通りの映画の見方が存在する。前号で「現実と虚構(幻想)とが隣り合わ
せに存在しているのが実人生である。」と書いたが、そのようなことを、観客自身
にも直接的に実感させるという試みでもあった。そして、最終的には、映画で見出
した問いに、観客の実人生の中で答えていって欲しいという思いもあった。

以上のようなことを意識して、この作品を作った。どこまで成功したかは分からな
い。しかし、本質的な実験の試みはできたと思っている。私はシュールレアリスム
を初めとするアヴァンギャルド芸術には多大な影響を受けている。しかし、奇を衒
うだけの実験性は大嫌いだ。アヴァンギャルド芸術運動はアンチとしてだけで出て
きたものではない。更なる生の本質を、従来の表現方法とは別の形で模索した運動
だったのだ。私は、この『もっちょむぱあぷるへいず』と、この作品の基となった、
あがた森魚が撮影した映像を彼と共同でコラージュすることにより、彼の脳髄を形
象化するという試み『ろっけんろうどを行くよ』(2007/12分/監督:岡本和樹)と
いう短編以外では、表面上の実験は試みていない。しかし、本質的には、全てに共
通して、生の本質というものを見つめ続けてきた。そして、安易な実験性に陥るこ
とを避けるために、その他の作品ではインタビューという正攻法中の正攻法を続け
てきた。被写体/世界と一対一で向き合うということから逃げたくなかったのだ。

「『世界を変革すること』とマルクスは言い、『人生を変化されること』とラン
ボーは言った。これら二つの命令の言葉はわたしたちにとって一つのものしか形づ
くらない」(「作家会議での演説」1935年6月 パリ/清岡卓行訳)と、シュールレ
アリスムの創始者アンドレ・ブルトンは語った。私にとっての作品とは、まさにこ
ういうものだ。世界の政治や社会的な事象を見つめることと、個人の人生を見つめ
ることとは、相反しはしない。その両者が出会う地点に芸術があると思っている。
その地点に作品が立つことができた時、そこには、メッセージやイデオロギーに還
元できない無数の問いかけが浮かび上がり、美意識に酔う以上の本質的な恍惚が現
れる。それをブルトンは「痙攣的な美」と呼んだのだ。私は、その痙攣的な美を、
私なりの方法で模索している。


■岡本 和樹(おかもと・かずき)
1980年生まれ。映画美学校ドキュメンタリー科卒。主な作品:『帰郷‐小川紳介と
過ごした日々‐』(共同監督):YIDFF2005上映。月刊日記映画『もっちょむぱあ
ぷるへいず:2007年1月〜8月号』(あがた森魚と共同監督)2月号:Image Forum 
Festival2008上映。天井桟敷ドキュメンタリー『世界の涯て』。現在:写真映画
『ヤーチャイカ』(監督:覚和歌子:谷川俊太郎)のメイキングドキュメン
タリー制作中。年内完成予定。また、『もっちょむぱあぷるへいず2007:総集編』
制作中。(『もっちょむぱあぷるへいず』は、9月号以降、私に替わり中縞信太郎
を共同監督に向かえ、2008年は『きゅうぽらぱあぷるへいず』と名前を変え、現在
も継続中。)



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┃02┃□自作を語る
┃ ┃■『フツーの仕事がしたい』
┃ ┃■土屋 トカチ
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この度、『フツーの仕事がしたい』というドキュメンタリー映画を制作し、劇場公
開が決定致しました。
最長で月552時間もの長時間労働を強いられていたセメント輸送運転手・皆倉信和
さん(37)が一人でも入れる労働組合・全日本建設運輸連帯労働組合(以下、連帯
ユニオン)に加入し、労働条件を獲得するまでの過程を描いた映画です。「長時間
労働」「社会保険未加入」「残業代なし」「暴力を用いた組合脱退強要」「元請け、
孫請け」など、現代ニッポンに溢れている問題がギッシリ詰まっている作品に仕上
がりました。しかし、この作品は当初から「労働問題に関する長編ドキュメンタ
リーを作ろう」と意図していたものではなく、偶然が重なる中で生まれたものです。

元々、映画『フツーの仕事がしたい』は、連帯ユニオンの組合員向けの短編『労働
者は奴隷か!』(21分)という作品で、いわば身内向けの映像作品でした。その後、
レイバーネット日本主催のイベント・レイバーフェスタ、レイバー映画祭等で上映
される機会を得て、その反響の大きさから長編ドキュメンタリー制作へと至りまし
た。連帯ユニオンは、重要な闘争を迎える時、この闘争はどのような内容なのか、
なにがポイントなのか、全国の組合員に対し、理解を深めるために映像を積極的に
活用している労働組合です。私は、連帯ユニオンと6年来、映像制作面で共同作業
をさせていただいています。その流れで、映画の主人公である皆倉さんにお会いす
ることになったのです。

2006年4月8日。私は皆倉さんと初めてお会いしました。場所は、彼が勤めている運
送会社の事務所。
会社の社長や自称・会社関係者と名乗る不審な人物に取り囲まれ、退職願いを書く
よう強要されていました。皆倉さんの顔色はとても悪く、土色のよう。髪の毛には
綿ぼこり。そして、体は小さく震えているように見えました。ビデオカメラを構え、
組合員のうしろにくっついて事務所へ入った私は、会社の社長から「出て行け」と
蹴飛ばされ、自称・会社関係者からは、手にたばこの火を押し付けられました。な
かなかの歓迎ぶり。この時点で私は「記録者」から「当事者」に変化せざるを得な
くなってしまったのです。

翌日、4月9日。皆倉さんのお母さんが心労のため病が悪化。急死されます。皆倉さ
んの自宅へは、自称・会社関係者が連日押しかけてくるようになります。そして、
4月12日。彼らは、葬儀会場である斎場までも押しかけてきて、組合脱退強要を行
います。お母さんが荼毘に伏せられている最中に、です。
葬儀に参列していた私は、自称・会社関係者にビデオカメラを持つ手を叩かれ、眼
鏡を壊され、左太ももを数回蹴飛ばされました。同行していた組合員2人へも、全
治2週間の怪我を負わせました。私は我慢が出来ず、ビデオカメラをまわしながら
「暴力はやめろ」と何度も声を上げていました。どうしても我慢できませんでした。
なぜ労働組合に加入することで、親の葬儀まで潰されなければならないのか。会社
の利益のために、労働者は、ここまで人間性を否定されなければならないのか。私
は何のために、ビデオカメラを手にしているのか。この日から、この件に関する撮
影で「記録者」として中立的に振舞うことが全くなくなりました。

通常の記録映画、テレビドキュメンタリー等では、記録者が目の前の現象に参加し
すぎることを「良し」としない風潮があります。中立性を求められることがほとん
どです。片方の意見、つまり今回の場合ですと労働組合の言い分を聞いたら、もう
一方である会社の言い分も聞くというのが取材のイロハとして求められます。しか
しながら私は、今回の作品では、そういったモノから完全にふっきれてしまった感
があります。誰のために撮るのか。誰の目線で撮るのか。皮肉にも、自称・会社関
係者の暴力によって「お前は何者なのだ」と、明確に提示されたかのようです。

『フツーの仕事がしたい』には、具体的な企業名や団体名がそのままの表記で画面
に登場します。しかし、特定の企業を告発するといった内容ではありません。特定
の労働組合が素晴らしいと「ヨイショ」する内容でもありません。テーマは何かと
問われたら、「命を否定することを憎む。人間であることを否定するような行為そ
のものを憎む。」と答えます。現代ニッポン人にとって、鏡のような映画に仕上が
ったと思います。ご覧いただいた方にとって、どのように映るのか。とても楽しみ
です。

☆『フツーの仕事がしたい』(2008年/日本/DV/70分/カラー)
監督・撮影・編集・ナレーション:土屋トカチ、出演:皆倉信和
取材協力:全日本建設運輸連帯労働組合 皆倉タエ 皆倉光弘
音楽:マーガレットズロース「ここでうたえ」(オッフォンレコード)
制作:白浜台映像事務所/映像グループ ローポジション
配給・宣伝:フツーの仕事がしたいの普及がしたい会
宣伝協力:ポレポレ東中野

『フツーの仕事がしたい』公式ブログ  http://nomalabor.exblog.jp/ 

●上映スケジュール
東京/ポレポレ東中野
10/4(土)〜10/17(金) 13:00/14:35/18:40/20:15
10/18(土)〜10/24(金) 13:00/14:35/16:10/18:40/20:15
10/25(土)〜10/31(金) 13:00/14:35/16:10/18:40

横浜/ジャック&ベティ
10/11(土)〜17(金) 12:40/19:40
10/18(土)〜24(金) 12:40/21:00

名古屋/シネマテーク
11月29日(土)より

大阪/第七藝術劇場
今冬予定


■土屋 トカチ(つちや・とかち)
1971年京都府出身。フリーランス映像ディレクター。1998年映像制作を学び始める。
1999年ビデオアクトへ参加。『フツーの仕事がしたい』(08)が初劇場公開作品と
なる。
現在、東京・ポレポレ東中野と横浜・ジャック&ベティにて公開中。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ロス発≫
┃ ┃■土本作品探求の新たなスタートライン:
┃ ┃「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家?土本典昭との対話」
┃ ┃■水野 祥子
┻━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●土本作品へと導く魅惑の一冊

対話本の成功のしるしは、映画が題材であるものに関して言えば、インタビューさ
れる作家が、簡潔なインタビュアーの質問に見え隠れする自作と時代背景に関する
豊富な知識、情熱、敬意を気持ちよく受け入れながら、映像表現がどのような共同
作業、試行錯誤や自問自答を経て生み出されたかを生き生きと饒舌に語っていると
ころに見えてくる。目の前の良き理解者、情熱的な探求者に、さらに深く理解して
ほしいと希望するからこそ、熱が入り雄弁になり、自ずと鮮やかに記憶が蘇り表現
の豊さが増すのだろう。その結果、読者は、映像表現が作家の探究心と深淵な思想
に決定されていたかを知り、映画体験を渇望し、画面の前へと走る。

15年ほど前に読んだ、戦後フランスの新しい映画を筆文と映画の両刀で率先したひ
とり、映画作家フランソワ〜トリュフォーによる敬愛するアルフレッド・ヒッチコ
ックへのインタビュー集「ヒッチコック〜トリュフォー 映画術」(1967/1985)
を思い出した。巨匠ヒッチコックは、親子ほど年の離れた若き情熱的な映画作家が
投げかける問いに饒舌に答え、二人のスリリングな対話はイメージが隠した多くの
謎を解き明かしていく。読み始めたと同時に語られている作品のビデオを貪るよう
に見た私は、今記憶の底に眠っていたその体験を振り返りながら、映画を語る文章
が成功しているかは、読者の「見たい」「確かめたい」という欲望を掻立てるかど
うかで見極められるかもしれないと感じている。

土本典昭、石坂健治の名が背表紙に並ぶ「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家
〜土本典昭との対話」は、おそらくそれよりもずっと広大な視野で映画づくりの魅
力を捉えた、多くの読者を土本作品へと走らせる動力を持つ魅惑の一冊となってい
る。数人の協力者に囲まれた探求者石坂健治氏と、戦後「職業革命家」を志し、ド
キュメンタリー映画監督となり今も全く色あせることのない「革命的」な作品の数
々を創り上げた土本典昭氏との間に2年越しに交わされた対話の記録である。

戦前の土本氏の幼少の家庭環境からはじまり、軍国主義教育からその国家感、人生
感や価値観が逆転することになった終戦を経て、再び山村工作隊での階級を一まと
まりとして扱うなかの矛盾と共産党の方針変換に振り回されることになるまでのく
だりは、簡潔だが鮮やかに回想されていて、路頭に迷う戦後日本に振り回された土
本氏の体験談にぐいぐいと引き込まれていく。獄中の読書経験や大学ノートにびっ
しりと記された沈思の記録の写真は、自ら考え行動することを学んだという経験を
証明している。映画には直接触れることのないこの章で明かされる新たな経験と価
値観は、その後の土本氏の職業選択と映画体験を決定する思想的土台となっている
ことが後続の章でわかっていくから嬉しい。

岩波映画での演出経験と羽仁作品の衝撃から、『ある機関助士』にはじまる監督と
しての映画制作時のあらゆる選択と決断には、信頼するスタッフとの共同作業のプ
ロセスを重視し、様々な抑圧への抵抗や、なにがおきるかわからない緊張感、迷い
や戸惑いすら話されていることに自問自答と模索を繰り返していたことが語られて
いる。カメラを拒絶され、継続することへの恐れや迷いを隠さず語った土本氏の正
直で誠実な人となりも見える。『パルチザン前史』から初期水俣作品のカメラを持
った大津幸四郎氏について「キャメラというものが非常に恐ろしい特権物であるこ
とをよくわきまえている人」と形容した一行には、そのさりげなく簡潔だが的確な
表現が心に残る。二人の信頼関係と対象への敬意が、そして、討論、試行錯誤を納
得いくまで繰り返してきたようすが透き通るように見えている一行である。

その後変化が訪れる水俣への思い、生涯貫いたよそ者としての姿勢、「蘇れ」とい
う希望の表象について、コミューンへの思い、イスラム教への関心、国家論を語り、
私家版製作として過去のアウトテイクを蘇らせるまでの回想なども含めて、映画づ
くりのプロセスと基礎にある信念が中心に語られる後半は、これまで土本氏が自著
「映画は生きものの記録である」、「逆境のなかの記録である」等で歩くようなテ
ンポでまとめられていた物語が、会話を再現したりや様々な人との出会いのようす
や日常のエピソードを含んだ瑞々しい回想となって再度明快なリズムを得て語られ
る。石坂氏は鮮明に語られる土本氏の記憶の要旨を素早く纏め、次の作品への繋が
りを指摘し新たな問いかけをする。この瞬間に彼が30年以上も前にスタートした息
の長い土本作品への調査研究と敬意が露呈されていることは言うまでもないだろう。

石坂氏は、 解題代わりにこの本の末尾に添えた、1978年「映画学」第一号に発表
されている「繊細なる加担者〜土本典昭論」で、土本氏を「「技法」と「思想」の
ありように最も自覚的であり続けている作家」と表現している。今日一冊の本とな
ったこの対話の記録は、そこで展開された仮説の検証をさらに強固に裏付ける。土
本氏の提案という添え書きに頷いてしまうほど見事な、土本作品が備えるイメージ
と理論の密接な関係を分析した論考「繊細なる加担者〜土本典昭論」は、美しい海
に向かった後ろ姿が忘れられない『不知火海』の胎児性水俣病の少女の海辺での告
白も、慰問コンサート映画と見せかけた『わが街わが青春〜石川さゆり水俣熱唱』
も「被害者」が主体性を得る「反転」の映画であることを解きあかす。

30年後の今日、「ドキュメンタリーの海へ」では、土本氏が『水俣の図』で大障壁
画を一ショットで捉えずに、「歩きながら立ち止まりながら観るというリズム」
(p234)に沿った映像表現を使ったと話しているが、これも対象である絵の鑑賞体
験を映像化するという考えに基づいた試みなのだ。さらに、表現方法を模索してい
た土本氏が、他の多くの日本の映画作家とは違ってゴダールの映画に惹かれなかっ
たのは、ひとつひとつの対象と状況が映画表現を決定することが自分の映像づくり
の原点にあった土本氏にとって、ゴダールが時折見せたスタイルが先走りする映像
が余剰以外のなにものでもなかったからだったと語る。つまり、土本氏は納得なし
ではけっしてカメラを回さなかったし、映像は対象である人や物の心理や置かれた
状況を反映していなければならないということ。他方では土本氏は意味が希薄な美
しい映像は迷いも無く切り捨てたのだった。

トリュフォーの「映画術」には重要な欠落があるという批判を聞く。例えば戦後作
品に顕著に見られたヒッチコックの精神分析学への興味などである。それはその後
スラヴォイ・ジジェクを始め多くのヒッチコック研究が補い、時代を経てさらに多
様な補足や分析が展開されてきた。トリュフォーとヒッチコックの対話本は彼らを
ヒッチコック再評価に道案内した手引書のひとつだったのだ。

振り返ると、私が土本氏とパートナーである基子さんに出会えた幸運の2003年フラ
ハティー・セミナーから今日まで、 「neo」、「neoneo」への執筆は、「土本さん
の視線が待っているのだから」という思いが常に意識の奥にあった。以後お会いす
るたび、映画が好きというだけの無知な学生だった私の質問に、土本さんは常に真
剣に多くのことを解りやすく答えてくださった。 生活の場所も世代も違う偉大な
土本氏から学ぶことはまだまだ多いことを彼の作品と彼自身から、そして彼の著書
に学んできた。今日、「ドキュメンタリーの海」はこれから土本作品を見よう、ド
キュメンタリーを考えようとする若い観客と土本氏の間で橋渡し役を担ってくれて
いるかのように、中間にいる私たちの世代がどう語りかけを続けていくべきかを教
えてくれる。土本研究はまだまだこれからである。

☆「ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話」
土本典昭・石坂健治著、現代書館
A5判上製376ページ、写真多数、装丁:鈴木一誌
定価:3600円+税、絶賛発売中


■水野 祥子(みずの・さちこ)
1994年から2003年までニューヨークに滞在し映画研究を始める。現在UCLA映画・
TV・デジタル・メディア学部博士候補。戦間期の女性映画とモダニティーをめぐる
論文を執筆中。



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┃04┃映画時評
┃ ┃■『LOOK』(アダム・リフキン監督、2007年)
┃ ┃■萩野 亮
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はじめに断っておくと、今回とりあげる『LOOK』は、一般にいわれるドキュメンタ
リー映画ではない。これは記録映画を偽装した劇映画、すなわち「フェイク・ドキ
ュメンタリー」である。本誌には適さない題材かもしれないが、ヤコペッティの
「モンド映画」にせよ、フェイク・ドキュメンタリーはいわゆる劇映画でも記録映
画でも「ない」ことで、ふたつの括弧つきの映画領域とその区分に対する冷めた批
評的役割を演じうる。映像が新しい媒体を次々に得ることで様相を変化させてゆく
いま、ここであらためてフェイク・ドキュメンタリーをめぐって議論することは、
益のないことではないだろう。

『LOOK』は、102分にわたる全編をすべて監視カメラの映像を編集して紡がれたフ
ィルムである。もちろんこれは「フェイク」なのであり、すべて撮影監督ロン・フ
ォーサイスによって構えられた映像である。もっとも、わたしはこのフィルムを
「ドキュメンタリー映画」であると、どういうわけか固く信じたまま観賞していた
ため、エンドロールでキャストやスタッフがクレジットされるのを見届けるまで、
実はこれが偽装されたものであるという確証を得られないでいた。警官が強盗に銃
殺されるシーンで、警官が「みごとに」画面外で被弾するところや、その当の
ニュース映像が民家のテレビに「みごとに」映されるところなど、どう考えても劇
映画的な演出がいたるところにあり、オフビートな展開の数々と監督が『デトロイ
ト・ロック・シティ』のアダム・リフキンであるという符合関係からも、このフィ
ルムが撮影段階から虚構されたものであると考えるのはたやすいし、群集場面で特
定の音声のみをクロース・アップして収音することの技術的条件や、映されてある
人物がこれを映画化することを承諾することの権利的条件からも、このフィルムが
監視カメラの映像の集積であることはありえそうもない。にもかかわらず、わたし
はその可能性を完全に否定できないままでいたのである。つまり『LOOK』には「リ
アリティ」があった。9.11以降増加を続け、3000万台を上回るという監視カメラに
囲まれたアメリカならば、あるいは可能なのではないかと思われたのだ。

『LOOK』は、監視カメラを偽装した映像に、さらに操作を施している。映像内の特
定の人物にズーム・インすることで、機械的・画一的な映像に身体という中心をあ
たえる。また、同じ部屋の角度の異なるカメラからの映像をリレーすることで、人
物の会話場面があたかも「切り返し」のように描かれる。つまり『LOOK』は監視カ
メラ的な映像にいったんは回帰させ、そこからきわめて劇映画的な話法によって
「ドラマ」を構築していることがわかる。ここから導かれることは、監視カメラの
ような無機質な映像であっても、劇映画的な編集操作を施すことで「ドラマ」を虚
構するのはたやすいという事実であるかもしれない。ショッピング・センターのフ
ロアを画面外に向かって足早に駆け抜ける女性店員と、それを視線で見送るふたり
の子ども、といった『LOOK』の何気ないがどこか「劇映画的」だと感じさせる映像
は、劇映画とドキュメンタリー映画の境界をまなざしているようにもみえる。

監視カメラ的映像に劇映画的編集を施すことで『LOOK』はドラマを虚構するが、こ
れは映像のなかで人物を中心化することでもあった。これによって映像はひどく安
定する。また観客もひどく安心する。監視カメラの映像がどこか不気味さを感じさ
せるのは、おそらく機械が機械的にとらえた映像だからだ。もちろん監視カメラを
設置し、スイッチを入れるのは人間だが、いちど通電したカメラは無限に映像を生
産し続ける。機械は人間的な趣味も興味もなく、ただあたえられたフレームを機械
的に充たすばかりだ。その人間に対する冷徹な無関心こそがおそろしい。特定の人
物を中心に据え、名前をあたえる『LOOK』の映像は、だから少しもおそろしくはな
い。こうした非=人間的な映像のおそろしさを引き出したのは、ミヒャエル・ハネ
ケ監督の『隠された記憶』(05)であるだろう。あるTVキャスター宛に、何者かに
よって送りつけられたビデオテープの映像には、彼の家を正面から写した固定画面
が延々と続く。そこには何の関心も感じられない。何者かによって撮られていると
いう人間の気配と、ビデオテープの非=人間的な映像の不協和がひとまず恐怖の源
泉となる。話題となったラスト・ショットがこの上なくおそろしいとすれば、映像
が差出人もなくまさに機械的に生産され続けるのを、観客が目撃してしまうからで
はなかったか。『LOOK』はこうした監視カメラの映像の非=人間性を排除し、ふた
たび人間化することでしかドラマを構築できなかった。そこにものたりなさを感じ
る。

わたしたちの文脈で次に見るべきフィルムは、ブライアン・デ・パルマ監督の新作
『リダクテッド 真実の価値』(10/25公開)だろうか。ビデオカメラの個人化、
携帯電話や小型PCの身体化、YouTubeの普及などによって多元化する映像環境にあ
って、それら新しい媒体に囲まれ、またそれらを映像の切片として内包しうる映画
もまた刷新を続ける。そのとき「ドラマ」と「記録」という映像のふたつの局面は、
どう揺らいでゆくのだろうか。

☆『LOOK』(アダム・リフキン監督/2007年/アメリカ/カラー)
東京では上映終了。ほか全国各地で上映予定。


■萩野 亮(はぎの・りょう)
和光大学表現学部卒。映画論。ここのところ「ドキュメンタリー・ドリーム・
ショー2008」に足繁く通っています。『私の紅衛兵時代』(呉文光監督)や『虹の
アルバム』(キドラット・タヒミック監督)をようやく見ることができて感激。
11月からの第3弾では中国ドキュメンタリーをうんと見てやる所存です。



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┃05┃□neoneo坐10月後半の上映プログラム
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会場はいずれも神田・小川町のスペースneo(都営新宿線小川町駅B5出口より徒歩1
分JR御茶ノ水駅聖橋口より徒歩5分)です。詳細と地図はneoneo坐のHPをご覧下さい。
  http://www.neoneoza.com/ 

■「知られざる短篇映画を見てみる」上映会「短篇調査団」

毎月第2・第4水曜/20:00〜21:40 終映予定
16mm上映 会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)
追加情報はblog版短篇調査団へ

とれとれぴちぴち3本立(計94分)
(77) 漁業の巻…2008年10月29日(水)20:00〜 
『日本の遠洋漁業』  
1962年/21分/カラー/制作:共同映画/企画:全日本海員組合 
■ 日本の重要産業である水産業、遠洋漁業の実態を描く。独航船の活躍をはじめ、
近代的な加工施設をもち、それ自身が大工場である捕鯨母船の働きなど、遠洋漁業
の特色を把える。

『南氷洋の捕鯨』  
1967年/29分/カラー/制作:東映教育映画部/プロデューサー:神英彦
監督:大島善助/脚本:山内敬二/撮影:栗原孝次郎・原田英昭 
■ 故国を遠く離れた南氷洋で、怒涛とたたかいながら鯨を追う。日本捕鯨船団の
活躍を描く。

『魚群アフリカを行く』  
1965年/44分/カラー/制作:岩波映画製作所/企画:日本水産/プロデューサー
:坊野貞男
監督:田中実/脚本:吉原順平・清水邦夫/撮影:三角善四郎 
■ 世界の海に進出している日本の遠洋漁業は、大西洋、アフリカ沿岸にまで足を
のばし操業している。近代的漁業をめざすアメリカ西海岸諸国は、日本からトロー
ル船を購入し、乗組員の訓練に励んでいる…。

【料金】会費500円(作品資料付き/映画は鑑賞無料)
※7月より会費制(500円)として、ご来場の皆様に作品資料をお渡しする形に改め
させていただきます。
【お問合せ】清水 E-mail: shimizu4310@bridge.ocn.ne.jp 



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┃06┃□広場
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■東京国際映画祭からのお知らせ(石坂健治)

10月18〜26日、六本木と渋谷で第21回東京国際映画祭が開催されます。
  http://www.tiff-jp.net/ja/ 
「neoneo」的な目玉企画は以下の2つです。

(1)『不知火海』上映とシンポジウム
10月24日(金)13:00渋谷文化村ル・シネマ2
新設の「natural TIFF」部門では『ニッポン国古屋敷村』『阿賀に生きる』などの
ドキュメンタリーも上映されますが、土本典昭監督を追悼して『不知火海』(75)
を上映するとともに、大津幸四郎(撮影)、小池征人(助監督)を交えてスタッフ
・シンポジウムを行います。

(2)多国籍オムニバス『世界の現状』
10月21日(月)11:30TOHOシネマズ六本木ヒルズ
10月25日(土)16:30TOHOシネマズ六本木ヒルズ
「アジアの風」部門。今をときめく6人の監督が独自のスタイルで切り取る“世界
の現状”。ペドロ・コスタ(ポルトガル)、アピチャッポン・ウィラーセタクン
(タイ)、王兵(中国)、シャンタル・アッケルマン(ベルギー)、ヴィセンテ・
フェラス(ブラジル)、アーイシャ・アブラハム(インド)。最大の話題は『鉄西
区』と『鳳鳴−中国の記憶』で二度の山形グランプリに輝く王兵が20分とはいえ初
の劇映画「暴虐工場」を撮ったこと。しかもその内容は文革中のリンチという凄ま
じいものです。必見!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■シンポジウム『目撃!分析!中国ドキュメンタリー!』開催のお知らせ
 
90年以降、中国では大きなメディアと異なる個人の眼差しから人々の生を記録しよ
うとする独立(インディペンデント)ドキュメンタリーが生まれ、その流れはビデ
オカメラの普及後、さらに大きくなりながら今へ至ります。当イベントでは、現在
開催中のドキュメンタリー・ドリーム・ショー―山形in東京2008のスペシャル企画
「中国★記録電影」での上映に合わせて来日する中国の独立映像作家集団、黄牛田
(ホアンニュウティエン)電影のメンバー6名をゲストに、カメラを持って“今・
この場所”と対峙する時に直面する共通の課題やテーマについて、日中の参加者と
共に考察したいと考えています。多くの方のご参加をお待ちしております。

●11月8日(土)
場所:横浜 ZAIM 14:00〜 料金:500円(入場料)

○第一部:14時〜レクチャー
「中国独立ドキュメンタリーのバックグラウンドを知ろう」
(ゲスト予定:朱日坤(ジュウ・リークン)氏、インディペンデント映画プロ
デューサー、麻生晴一郎氏(『北京芸術村 抵抗と自由の日々』著者、ルポライ
ター)
○第二部:16時〜ディスカッション&質疑応答
「“今・ここ”へカメラを向ける〜中国におけるインディペンデント映画を話そ
う」(ゲスト:黄牛田電影・他)

●黄牛田(ホアンニュウティエン)電影メンバーの作品上映についての詳細は、
DDS2008パンフレット及び公式HPをご覧ください。
●インターネット新聞JanJan「映画の森」にて、中国のドキュメンタリー作家のイ
ンタビュー記事を掲載予定。 http://www.janjan/jp/  より、“中国ドキュメン
タリー”で検索して下さい。
●お問い合わせ先(久保田・西岡) amelie0123@hotmail.co.jp 


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■「自作を語る」などの投稿、歓迎!
「自作を語る」欄は、監督自らが作品について語るコーナーです。制作した動機や
撮影のポイント、編集で心がけたこと等を内容に盛り込んで頂きたいと思っていま
す。その他の投稿も歓迎します。「自作を語る」は1600字程度。監督のプロフィー
ル(150字)、作品のデータ、上映スケジュール、HP等をお知らせください。
原稿締め切り:配信日(1日&15日)の3日前までに、下記に送信ください。
E-mail: visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映の告知の有料化とカンパのお願い
■伏屋 博雄(本誌編集長)

neoneoの購読は無料ですが、経費を(その大部分は稿料ですが)賄うため、上映等の
告知は有料にしています。なお皆様にカンパもお願いしていますので、ぜひご協力
ください。

(1)上映等の告知の有料化 40字×30行(行数の空きも計算)以内につき、2,000円
です。それ以上の行数の場合は加算します。

(2)カンパのお願い 一口2,000円。何口でも。
送金方法:郵便振込み:00160-8-666528 neoneoの会、又は、
みずほ銀行池袋支店、普通口座、2419782 (有)ネットワークフィルムズ
(銀行振込の場合は、その由を visualtrax@jcom.home.ne.jp 伏屋宛にお知らせく
ださい。)
以上、neoneoの継続ため、よろしくお願い致します。



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┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●岡本和樹監督の『世界の涯て』を遅ればせながら、DVDで観た。寺山修司が率い
る「天井桟敷」が繰り広げた市街劇に関わったスタッフや出演者、18名の証言を構
成した作品である。その視点は、「常に歴史に記述されない人々の人生を見つめる
という意識がある。」という岡本さんの世界観に基づいていて、最近のドキュメン
タリーが、ともすれば自然発生的な作り方であるのに比して、極めて確信犯とでも
言うべき作品だ。私は、「天井桟敷」解散後の、人の行く末の何と遥かなる人生に
眼を奪われた。

さて前回の「映画のフレームの外へ」を踏まえ、岡本さんの2回目の原稿は、
シュールレアリスムからの影響が作品とどのように交差したかを綴っていて、岡本
作品の確信犯的映画作りを知ることになる。

●達意の文章を書くコツは、具体的な人を想い浮かべて書くことだ、と聞いたこと
がある。水野祥子さんが本誌に執筆するときは、いつも土本典昭監督を想定してい
た、と告白している。実際、土本さんは、neoneoの熱心な読者だった。「いつもプ
リントアウトして熟読しているんだよ」と仰ったときは、恐縮しつつも励まされた
のだった。今回、水野さんは、今年6月に永眠した土本さんの遺著「ドキュメンタ
リーの海へ」(石坂健治共著)を書評し、土本研究のスタンダードと記している。
水野さんはノートを執りながら読んだそうだが、鋭い読み手は本を輝かせる。

●土屋トカチ監督の『フツーの仕事がしたい』は、日本の労働条件の過酷さという
言葉以上の劣悪さで迫ってくる。しかも記録する行為にまで暴力が及ぶ現状は、も
う何と言ったらいいのか。「自作を語る」の本文を読めば、落下しつつある日本の
惨状に、握りこぶしを固めるのは私だけではないだろう。

●10月1日号の「編集後記」に「岡本和樹」とすべきところを「岡村和樹」と誤記
してしまいました。訂正します。



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■発行:ビジュアルトラックス  visualtrax@jcom.home.ne.jp
■責任編集:伏屋 博雄
■編集デザイン:能川 悦子
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