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2004/05/01

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo 12号  2004.5.1


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┃n┣━┫o┣━┫e┣━┓ ★ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジン
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  ┗━┛ ☆━┛ ┗━☆    12号  2004.5.1


∽∽∽∽∽∽ HEADLINE ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 †01 日本のドキュメンタリー映画のかたち
      観客のかたち(2)  村山 匡一郎
 †02 自作を解剖する
      『阿賀の記憶』    佐藤 真
 †03 ワールドワイドNOW ≪ジャカルタ発≫
      選挙とガリン  佐藤 万帆
 †04 列島通信 ≪大分発≫
      映画館からの変革  田井 肇
 †05 随時連載「映画は生きものの仕事である」(5) 
     新作を公開するにあたって  土本 典昭
 †06 広場
     投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(2)
       キューバの離島で日系移民に遭遇  波多野 哲朗
     投稿コーナー「クチコミ200字評!」(11) 提案者:清水 浩之
 †07 編集後記  伏屋 博雄

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┃01┃□日本のドキュメンタリー映画のかたち
┃ ┃■観客のかたち(2)
┃ ┃■村山 匡一郎
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●『意志の勝利』の教訓

もう30年ほど前になるが、パリのシネマテーク・フランセーズでレ二・リーフェン
シュタールの『意志の勝利』1935)を見たことがある。よく知られるように、1934年
にニュールンベルグで開かれたナチス党全国大会を撮影した2時間ほどの作品であり、
その上映時間のほとんどをナチス党員の行進と大会での演説が占めているという希
有なドキュメンタリー映画である。その当時は、たしか日本ではほとんど見る機会
がなかったためか、これ幸いとばかり見に行ったわけであるが、そこで当の映画以
上に実に面白い光景を目撃することになった。

上映当日、シャイヨー宮のシネマテークの場内は、パリ市民の老若男女が詰めかけ、
ほぼ満席の状態。映画が始まり、やがてニュールンベルク市内の大通りに設置され
た閲兵台の上にヒットラーが姿を現し、その前をナチス突撃隊員や親衛隊員たちが
行進してくる。すると、場内の後方から「第3帝国」の国歌が聞こえ始め、しだいに
高唱して大きくなった。歌っていたのは、当時台頭してきたネオ・ナチを標榜する
スキンヘッドの若者たちだったが、今度は、会場の前方から彼らを非難する声があ
ちこちで起こり始めた。その声の主のほとんどは年配の人々で、自分たちがいかに
パルチザンとしてナチス占領軍と闘ったかを声高く叫んでいた。やがてそれらの応
酬の声は「ラ・マルセイエーズ」の歌声に変わり、シネマテークの場内は映画そっ
ちのけで騒然とした雰囲気になった。

この光景は今でも瞼の裏に強烈に焼きついているが、そのとき、ドキュメンタリー
映画は、劇映画と違って、観客のリアクションを引き起こしやすいのだろうか、と
いう自問にとらわれた記憶がある。たしかに劇映画を見ていて、笑いが連鎖するの
を除くと、同じような体験をしたことはほとんどない。そう思うと、ドキュメンタ
リー映画における観客の反応の強さはどこからくるのだろうか。このめったに体験
できない出来事のおかげで、すんなりと答えを見出せない問いがわが身体に棲みつ
くことになった。.

そのもっとも単純で大きな理由は、ドキュメンタリー映画が「現実」を撮っている
と信じて疑わない観客の姿勢によるためだろう。 『意志の勝利』のヒットラーを、
過去の当人だという認識はあっても、虚構のヒットラーと見る人はいないにちがい
ない。それはまさに劇映画の世界を「非現実」と思い込むことの裏返しである。だ
が、一般に蔓延するこの現実/非現実、あるいはその延長にある真実/嘘といった
二項対立によって、ことは解決するだろうか。

本誌neoneo2号で岡田秀則さんが 「アーカイヴ上映の現場から(2)構成から素材
へ」で触れていた「映画の素材性そのもの」という興味深い指摘も、この問題に絡
んでいる。ドキュメンタリー映画にとって「現実」は素材といえる。そのため、素
材となった「現実」の重みは見る側にとってきわめて大きいし、そもそも「映画を
見る」とは画面に写し出された素材を見ることに等しい。だから、『意志の勝利』
のヒットラーや党員たちの行進にネオ・ナチの若者たちが反応するのは当然だし、
また老パルチザンの応酬も同じレベルでの反応といえる。

とはいえ、それでも、もう一度踏み込んで、素材としての「現実」とそれを映し出
す「映画」との違いは何かと問うことは可能である。「現実」が素材であることは
たしかであるとはいえ、それはあくまで素材にすぎない。そうだとしたら、その素
材を撮影した映画は「現実そのもの」ではないはずだ。おそらくこの素材と映画と
いう両者の間には、かなりの距りがあるにちがいない。こうした距離に作る側は自
覚的なはずである。なぜなら、そこにこそ表現の磁場があるからだ。.

問題は、観客の側がその距離に対して無自覚なことである。そのため、ドキュメン
タリー映画の画面に映し出された出来事や人物を「現実」として受け入れてしまう
が、それはまるで素材としての現実が純粋無垢の姿で移し変えられたかのような印
象を受けるほどだ。ことはきわめて単純なのに、どうしてこうなってしまったのだ
ろうか。おそらく問題の本質は教育にある。映像時代といわれて久しいが、映像や
映画の教育は一切なされてこなかった。幼いころから野放しになった映像環境がハ
リウッド的なものであれば、「現実」/「非現実」といった単純な二元論にからめ
とられるのも無理はないだろう。.

もっともドキュメンタリー映画のリテラシーに焦点を当てるにしても、素材と映画
の間の距離の自覚は、たんに撮影や構成といったものに還元できる問題ではない。
それ以上の何かにかかわっている。その意味では、『意志の勝利』は唾棄すべき作
品だが人を引きつけてやまない映画の魅力に溢れている、とユダヤ系アメリカ人の
スーザン・ソンタグが語ったことは示唆的である。そうした距離が生み出す本質的
な力こそ映画を映画たらしめるものであるからだ。見る側は何よりもまずそのこと
を自分の眼と肌で感じとることから始めなければならない。(つづく)


■村上 匡一郎(むらやま・きょういちろう)
肩書は映画評論家や映画研究者などいろいろ。多摩美術大学や武蔵野美術大学、日
本工学院専門学校やイメージフォーラム付属研究所などの学校でも教えている。4月
半ばに入り、いよいよ新学期が始まったが、ある大学の受講生のなかに親友の次男
坊がいたのには驚かされた。幼いころから彼を知っていることもあって、時の流れ
を実感させられた。



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┃02┃□自作を解剖する
┃ ┃■『阿賀の記憶』
┃ ┃■佐藤 真
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はじめは「明治の痕跡」の映画のはずだった。明治末から大正初期にかけて越後の
風物を撮り続けたアマチュア写真家の石塚三郎の遺したガラス乾板。その200枚を越
える乾板に定着したヨウ化銀の痕跡から写真という妖しい複製芸術の本源へ遡ろう
と希求した。クリス・マルケルへのオマージュを捧げるべく、静止する映画への密
やかな欲望を胸に、写真と映画の境界線へ分け入ろうと考えた訳である。『阿賀の
記憶』は、そうした<動かない痕跡>を際立たせるための風景ショットとして構想
されたことだけのことだった。

小林茂と10年振りに阿賀野川の川筋を廻った。テスト撮影といいながらも3日で2000
フィート、小気味よいほど一気にフィルムが廻った。雲間から太陽が顔をのぞかせ
ば晴れたで、小雨が降れば降ったでお構いなしにスイスイとフィルムは廻る。小林
と一緒に再び「あの場所」にキャメラを構えて立つことが何より大事なことであっ
て、キャメラの眼の前で生起する出来事をただありのままに受けとめればいい。そ
んなささやかな覚悟をもって場当たり的にフィルムを廻した。

その直後のことである。小林が脳梗塞で倒れ、救急車で病院に搬送される。左半身
に麻痺が残る心配も懸念された。予算のあてもはずれて、私は文化庁の在外研修で
一年日本を離れることになる。またいつ再開するとも知れぬ長い中断。日本を出国
前に病気療養中の小林の指示を仰ぎ、夏の光だけはキャメラに収めておこうと慌し
く阿賀の川筋を駆け廻った。その後一年、私はロンドンの北の郊外の街で、ヒマに
任せて映画三昧の日々を送りながら、『阿賀の記憶』のことは時折反芻するばかり。
撮影が再会したのは、翌年の10月。最初のテスト撮影から1年半後のことであった。

こうした長い中断は、私たちの「あの場所」を眺める視線に自ずと微妙な変化をも
たらすことになった。何より病を得て、長い入院生活から撮影現場に戻った小林に
とって、田んぼの跡に吹く一陣の風にも川原を駆け足で渡る雲の影にも新鮮な驚き
を禁じえないはずだ。川の水が山から流れ下り、朝日が上がって夕方には沈むとい
ったあたり前のことですら魅力的に映って仕方がない。一方の私は、風土への強固
なこだわりを貫き通す英国の田園風景にいささか食傷気味だったせいか、日本の田
舎のどこまでもいい加減なアジア的カオスが、それはそれで新鮮に映る。その上、
ヒマに任せてサイレント映画ばかり見続けてきたせいで、手廻しクランク時代のリ
ュミエールの映写に戻ろうなどの小理屈を並べて、長谷川芳男さんの田んぼ跡にス
クリーンを張ることなどを主張し始める。こうして、映画の方向は、ますます混迷
を極めることになる。.

いつの間にか「映画についての映画」になったのは多少の訳がある。『阿賀に生き
る』が完成した後、私たち撮影スタッフは必死に映画の後を追い続けてきたつもり
だったが、いつの間にか独り立ちが高じてドンドンその歩くスピードを上げ、知ら
ぬ間にとても追いつけなくなった実感を持っていたからだ。その上、映画の中では
いつも生き生きと丁丁発止の夫婦喧嘩を続ける加藤のジイちゃんもキソさんもこの
世にはいない。船大工の遠藤武さんも、長谷川芳男さんも既に鬼籍に入ってしまっ
た。だからこそ、映画『阿賀に生きる』が一人歩きを続けて新たな観客の心の琴線
に触れるたびに他人事のような気分に襲われる。そして、それを映画の残酷さと考
えるのか、映画の永遠の命ととらえるのかは、微妙なところである。キャメラの暴
力性もかけがえのない痕跡の永続化も、映画という表現の裏と表の出来事でしかな
いのである。.

この映画の撮影の後半から編集に入った頃に、10年前の『阿賀に生きる』のすべて
の未使用フィルムと録音テープの封印を切った。撮影スタッフの記録用に撮り続け
ていたVHS-Cテープも今回のロケで執拗に廻し続けたミニDVも新撮のラッシュと未使
用ラッシュと等価の素材と見なして編集に入った。したがって、その素材の物量は
膨大な山となって我が身を切り裂き始めたのである。

『阿賀の記憶』を我々スタッフの若き青春の思い出や亡くなった人々との感傷にし
てはなあない。それが私のこの映画と格闘する唯一の金科玉条である。あとは、ど
んなに観客に退屈を強いることになっても構わない。同時録音をわざとはずして、
物音や<声の痕跡>が自由に架け廻る透き間をたくさんしつらえようとしたのも、
田んぼ跡のスクリーンや雪の壁にかってのラッシュフィルムを投影したのも、いか
にして感傷に陥らないかを模索した結果の私の苦し紛れの思いつきに他ならない。
当初は残された人々の実人生は撮らないと自らに箍(たが)をはめたつもりが、次
第に小林のキャメラの前に生身の人生が引きずり込まれるようになった。10年前に、
この地の物音を録り続けた鈴木彰二の膨大な6ミリテープの鉱脈を菊池信之が丁寧に
発掘して目に見えないはずの何かを想像させる豊かな気配を作り出してくれた。経
麻朗の音楽と渡辺参治の唄が、その気配に拍車をかける。その結果、画面にはひと
つも映ってはいない「明治の痕跡」を想像する余地が生まれ得ないであろうか。そ
れが、私がこの映画で希求した唯一のことである。ただ、その痕跡のあり方も感じ
方も、観客一人一人の固有の記憶に感応して幻視するイリュージョンでしかないと
思っている。


☆『阿賀の記憶』(16ミリ、カラー、55分、2004年)プロデューサー:矢田部吉彦、
監督:佐藤真、撮影:小林茂、録音・音構成:菊池信之、音楽:経麻朗、編集:秦
岳志、唄:渡辺参三
5月4日(祝)14:00〜 特別完成試写会、阿賀野市安田公民館
2004年追悼集会「阿賀の岸辺にて」で地元である旧安田町(なんと阿賀野市に合併
されてしまった)で初公開。問合せ:旗野秀人(Tel:090-3649-8945)
東京での公開は未定。


■佐藤 真(さとう・まこと)
3月からエドワード・W・サイードの遺志と記憶をめぐるドキュメンタリー『OUT OF
PLACE(仮題)』のロケハンがスタート。夏から秋にかけ3ヶ月ほどパレスチナ周辺
諸国を撮影行で訪れる予定。一昨年の英国研修のヨタ話を「まどろみのロンドン―
映画作家の妄想スケッチ―」(凱風社)にまとめて上梓。



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┃03┃□ワールドワイドNOW ≪ジャカルタ発≫
┃ ┃■選挙とガリン
┃ ┃■佐藤 万帆
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●ガリン・ヌグロホの多面的活躍

インドネシアは、今年は選挙の年。スハルト政権崩壊後二度目の民主的な選挙、総
選挙と大統領選挙が続いて行われる。すでに4月5日には、国会議員、地方代表議員、
衆議院、県・市議会議員を選ぶ大規模な総選挙が実施され、4月末現在、開票結果も
ほぼ出揃いつつある。結果はといえば、スハルト政権を32年間支えたゴルカル党が、
メガワティ大統領率いる闘争民主党を抜いて第一党に。予想されていた結果とはい
え、外国人の私には納得がいったようないかないような。しかし、地道な福祉活動
を続け、クリーンなイメージで訴えた福祉正義党がジャカルタ特別州で最大の得票
率を獲得したり、大統領候補として最も人気のスシロ・バンバン・ユドヨノを擁立
するためだけに設立された(ような)民主党が躍進したり、という新しい流れもあ
る。とにかく、総選挙が一段落ついたところで、皆の関心が一斉に7月の大統領選挙
へと移った。

一方、今回テーマとして取り上げたいガリン・ヌグロホは、一昨年、彼の作品に関
する内外の批評家の文章を集めた“Membaca Film Garin”(ガリンの映画を読む)
(2002、Pustaka Pelajar。英訳は“And the Moon Dances”というタイトルで先日
シンガポール映画祭にてお披露目されたようだ)が出版され、パプアの独立運動を
背景に撮影された最新作“Aku Ingin Mencium mu Sekali Saja”(日本語に訳せば、
「一度だけキスしたい」)も海外の映画祭で一定の評価を受け、国際的な活躍を背
景に、映画のみならず文化全般について発言するオピニオン・リーダーとして、イ
ンドネシアでは相変わらず大きな存在感を保っている。コメンテーターとしてテレ
ビでも時々見かけるし、昨年末にジャカルタ芸術協会が若手振付家の作品をシリー
ズで上演した際も、公演後のディスカッションで、パプア出身の若い振付家、ジェ
コ・ションポウをサポートして発言していたが、それが、ガリンが提唱する“Multi
culturalism”(多文化主義)に通じていて私は心を打たれた。

ガリンは、映画制作とは全く別に、以前からYayasan Visi Anak Bangsa(Foundati-
on for the vision of Indonesian Childrenというところか)を設立し、インドネ
シア各地方の文化と生活について子ども向け図書を出版する等、教育的・社会的な
活動を続けてきた。そうした教育活動の一環として、今回の選挙では、「Koalisim-
edia untuk pemilu bebas dan adil」(自由で公平な選挙のためのメディア連合)
のコーディネーター役を務めている。この連合は、インディペンデント・ジャーナ
リスト協会(Aliansi Jurnalis Independen、AJI)を初めとした7つのメディア機関
が連携したもので、アドボカシ-活動、マネー・ポリティックなど(政党の)不正行
為の追及、選挙に関する市民キャンペーンや市民教育などを行っている。その活動
の一例、特にガリンのイニシアティブが発揮されたプログラムとして、選挙公報の
広告映像を一般公募して行ったコンペティションがある。3月10日行われたこのイベ
ントの模様は民放SCTVでも同日放映されたが、審査員長のガリンは、若い世代が選
挙に参加することの重要性を力説していた。コンペは学生と一般の二つのカテゴ
リーに分かれ、一般部門で最優秀賞を受賞した“Burung Kecil”(小さな鳥)は、
票を買収する政治家を皮肉ったもの。この作品を含む優秀作6本は、その後もSCTVで
繰り返し放映された。その他、ガリンは、ティーンエージャー向け雑誌数誌と共催
し、17歳〜22歳までの学生、若者向けに選挙に関するドキュメンタリーフィルム制
作のワークショップを行ったり(参加者は550人にも上ったそうだ)、最も若い世代
の映画作家(“リリ・リザの下“)4人による選挙に関するドキュメンタリー作品を
監修したりしている。大統領選終了後は、新しい政権運営システムについてのガイ
ドブックを出版して各地の図書館に配りたいという。ガリンが活動の基盤としてい
るのは多文化主義と民主化。

私がジャカルタへ来て間もないころ、確か2002年の春に、ゲーテ・インスティト
ゥートでガリンの作品のレトロスペクティブ上映があった。良いチャンスと私は出
かけたが、上映後のディスカッションで、観客である若い学生達が、彼の作品(そ
の日上映されたのは“Surat Untuk Bidadari”『天使への手紙』だったと思う)を
口々に“Communicative”でない、わかりにくいと批判していたのに驚いた。上述の
“Membaca Film Garin”の中でも、その文学作品や批評が高く評価されているセ
ノ・グミラが、同じ作品に関する論考で、ガリンが、国際映画祭ではなく国内の観
客に評価されたければ、自らの(芸術的な)スタイルを改め、観客の言語で映画制
作をしなければならないと述べているが、ガリンの作品が、難解で観客側の視点に
立っていないという批判は繰り返し出ているようだ。

それで、ちょっと意地悪かなと思いつつガリンに聞いてみた。一連の教育的、社会
的活動を続ける中で、映画制作に対するスタンスに変化は生じただろうか?観客に
理解しやすく、という配慮が生まれたりした?しかし、そんな質問は全く的が外れ
ているといったふうに、ガリンは答えた。自分の活動には、社会的領域と経済的領
域、私的領域がある、選挙に関する市民教育は自分の社会的責任を全うするための
もので、映画作りとは関係ない。映画は“私的領域(Ruang Privadi)”に属する
んだと。そして、難解といわれる自分の作品も、繰り返しキャンパスで上映され、
観客を着実に増やしているではないかと。次作は自らのバックグラウンドに近い、
中部ジャワの家族史をテーマにした映画を作りたいそうだ。すべての芸術制作のイ
ンフラが脆弱と言ってもよいインドネシアで、こんな芸術家然としたスタンスで作
品づくりを続け、かつ、社会的貢献を念頭に活動を続け、常にその意見が敬意を持
って皆に聞かれる文化人って、ちょっとないなと思う。


■佐藤 万帆(さとう・まほ)
最近嬉しかったことといえば、スマトラ島への出張が二回続いたこと。先週はブキ
ティンギの市庁舎と、パジャジャランの芸術大学で、日本映画(『シコふんじゃっ
た』、『学校の怪談4』と青森ねぶた祭りに関するドキュメンタリー)を上映してき
ました。映画上映後のディスカッションでは、また芸者に関する質問が。
いつも聞かれるので、芸者についてもっとリサーチせねばと思っています。



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┃04┃□列島通信 ≪大分発≫
┃ ┃■映画館からの変革
┃ ┃■田井 肇
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かつて、というのはおよそ30年以上前のことだが、邦画を上映している映画館の大
半は、「○○東宝」とか「○○東映」といった、いわゆる直営館であった。それら
の劇場では、当然ながら「○○東映」であれば東映の映画だけが上映されていたが、
入り口を入ってすぐのロビーの壁には、ずらりと東映のスターの写真パネルが掲げ
られていた。そして、劇場の支配人室には、決まって支配人と鶴田浩二のツーショ
ットの記念写真などが飾ってあったものだ。鶴田浩二が地方ロケにやって来たとき、
劇場に立ち寄って撮った写真である。事実、鶴田浩二は、地方ロケに行けば、必ず
地元の劇場に一升瓶片手にあいさつに立ち寄っていたという。そして、支配人と話
をする。たとえばこんな具合に。.

「いやあ、俺ももうそろそろ着流し物はやめて、コメディでもやろうかなあと思っ
てるんだけど」。
そこで支配人は答える。
「鶴田さん、それはどうですかねえ。むしろここらでひとつ特攻隊物なんかがある
と喜ばれるんじゃあないですかねえ」。

こんな会話の中で、実は今で言うところのマーケティングが行われていた。地方ロ
ケのかたわらマーケティングをしていた鶴田浩二も立派だが、劇場の支配人もなか
なかのものだ。その頃の支配人は、観客が鶴田浩二に何を求めているかを肌身で確
実に知っている人であったのだから。

こんな直営館を全国津々浦々に張りめぐらせて自社の映画を定期的に供給していた
のが、いわゆるブロック・ブッキング・システムである。それに対して、映画館が
自由に映画を番組することをフリー・ブッキングというのだが、ここ10年のシネコ
ンの開発がめざしてきたのは、いわば日本の興行形態をブロック・ブッキングから
フリー・ブッキングへと塗り替えようというものに他ならなかった。

そして、10年にしてブロック・ブッキングはもののみごとに崩壊し、気付けば日本
の興行界は、ハリウッド映画が席巻するところとなった。「マネージャー」と呼ば
れるシネコンの支配人は、過大な宣伝を伴った話題作を数字に応じて各スクリーン
に当てはめ、集客された人々をいかに円滑に誘導し、どうやって彼らにポップコー
ンを売るのかを主要な仕事とする人となった。こうして、映画館は、「お金を集め
る場」ではあっても「観客の声を集める場」ではなくなってしまったのだ。

このことは、撮影所システムの崩壊とともに、おそらく映画製作の現場にも大きな
影響を与えているのではないだろうか。DVなどの発達によって映画製作がより簡便
になったことも加え、巷には、だれに見せるつもりで作ったのかわからないような、
観客不在の「さまよえる映画」が、メジャー、マイナーを問わず数多くあふれてい
るように僕には思える。「作りたいものが作れない」不幸の一方で、映画が「何と
なく作られてしまっている」不幸もまた存在しているように思えてならない。
映画と観客のあいだをもっと風通しのよいものにしたい。そんなことを考えていた
折り、neoneoから届けられた「neoneo坐」オープンの報は、とても勇気づけられ、
また叱咤を感じるものであった。

「映画は観客に見られることで初めて映画になる」という、映画上映の原点が、今
一度、問い直されるときが来ているのだ。僕もまた、地方に小さな映画館をひとつ
持つ支配人として、映画上映(ひいては映画興行)の何であるかを考え直してみた
いと思っている。次々に持ち込まれる映画を採算とにらめっこしながらパズルのよ
うに番組する日々に明け暮れながらも、映画館から映画の状況を変革することはで
きないものだろうかと。


■田井 肇(たい・はじめ)
この4月から、地元の別府大学で非常勤講師として映画の授業を持つことになりまし
た。また、高崎に今秋オープンする新しいミニシアターのお手伝いといいますか、
余計なおせっかいをやいております。他人様のことに首を突っ込んで自分を鼓舞す
るといったところでありましょうか。「シネマ5」(大分)支配人。
  http://www.cinema5.gr.jp 



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┃05┃□随時連載「映画は生きものの仕事である」(5)
┃ ┃■新作を公開するにあたって
┃ ┃■土本 典昭(シネ・アソシエ)
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●ノン・リニアは編集に推敲を促す

前に書かせて戴いた私家版ビデオ『みなまた日記−甦える魂を訪ねて』(103分)の一
応の定尺を見たのが今年二月早々だった。それについてneoneo8号(3月1日)に大意、
こう書いた。「…目下、それを前にして、腕をこまねく刻が過ぎていく。かつての
ように新作から公開へと進めないなにかがある。先ず、数十本の参考視聴用VHSを作
り、水俣で映画に撮らせて戴いた人々に送った」と。
 
そして二か月余り、ようやくこの五月から公開に向けて歩き出そうと準備している。
その間、水俣の十数人の意見を集めること、ごく親しい友人、知人の批評をもらう
一方、自分の気に要らない箇所をノン・リニア編集で推敲して5分短縮した。通常の
自主作品のことを思うと仕上げ過程が全然違った。パソコン編集はメリットだけで
はない。エンドレスともいうべき、“終わりなき”作業の泥沼にはまるといったデ
メリットもある。

フィルム時代、企業で製作しようと、自主製作であろうと、一遍完成したら、それ
を“推敲する”など夢のまた夢である。だから、息をつめるような緊張感があって、
ダビングの終りが創作の完成。あとは首を洗って試写を見るということだった。後
で気が付いたから直すなどは企業では許されない。「なんでそもそも予算・決算と
いうものがあるのか!」とプロデューサーに一喝されること請け合いである。名匠
たちにもそんなわがままは許されない。
地獄耳の黒木和雄によれば、羽仁進と勅使河原宏だけだそうだ。ともに個人プロを
主宰しているからであろう。

昨秋の第3回「土本典昭映画セミナー」で羽仁さんの名作『彼女と彼』を三十年ぶり
に見る機会があった。その上映前に氏から“今度、前半を10分ほど切ったの”とあ
っさりと告げられた。これにはびっくりしたが、観て、編集の私でさえどこを切っ
たか分からなかった。じつに悠々と語って良い流れで、これには再度びっくりした。

私が既成の作品をいじり直したのは『よみがえれカレーズ』だけである。かねて5秒
ほどコマ延ばしたかったワンカットについて、シグロには悪いので自費で修正した。
英語版、ビデオ版のすべてが改訂されている。これにはネガ処理、ネガ編集者経費
十万円以上と、結構かかった。だが、これがノン・リニア編集ならなんと容易なこ
とか。

今回の5分の短縮は即座に出来たという訳ではない。三回位の試行錯誤の結果である。
98分…1時間38分で、私としてはこの作品の場合、丁度のタイムだと思っている。
完成して、映像調節の小嶋義孝さん(SMサービス)に最終のDVDオリジナルを手渡し、
旧版と差し替えてもらったのはつい一週間ほど前である。

さきに“終わりなき”(編集)作業の泥沼の“デメリット”を感じたのは、推敲を
初めて一か月ほど経って、一応の0K/VHSを、批評を書いてもらうために水俣の石牟
礼道子さんに送った後である。その前に、水俣からの観た方の感想、意見は届いて
いた。
その指摘にもとづいて、スーパーの誤字の修正や、トップの説明字幕の書き直しな
どは済み、もう“可なり”とした後、一山越えて、ゆとりが出来たせいだろう、推
敲の手薄なシーンのアラが見えだした。

とくに喜納昌吉さんの埋立て地でのコンサ−トは特別の意味のあるシーンだったが、
曲を減らしても、まだ長い。音楽番組ならいいが、このコンサートの前後で、どう
主宰の患者たちが変貌するか、心理的にそれを気にする観客にとっては、演奏シー
ンの丁寧な展開ではまどろっこしいだろうと思う。歌曲をたっぷり聴きながらも、
ラストの患者さんの変化ぶりにドライブしたい。しかし、版権をポンとくださった
喜納昌吉さんに失礼になってはいけない。助手の連れ合い基子は「切るな、大好き
な曲だからという」。

私は音楽に暗い。かつて『わが街・わが青春 石川さゆり水俣熱唱』で、撮影(録
音)した彼女の歌曲をTV番組の時間に合わせて切るのに、音楽の森拓治さんの助言
が大きかった。だが今回は本来のドキュメントの質に沿って、歌曲を編集し、摘ん
だ。
これが喜納さんにはライブのテープとは違うという点で分かってもらえるだろうと
勝手に思っている。

私が“腕をこまねいていた”理由はいろいろだが、八年前のビデオと今の現実との
ずれはないか、あるいは違和感の有りや無しやを、水俣の諸氏に指摘してほしかっ
たからだ。“贔屓の引き倒し”を恐れたが、大体、感じたままの応答を得ることが
できた。

その返事に“水俣のことは分かっている”つもりの東京の支援者すら、ハッとする
ような水俣での精神状況がうかがわれた。これは収穫だった。このビデオを撮影し
た1995年以後も、なんどか水俣に行ったが、去年、埋立て地にその数を増した野仏
を撮ったスチール以外は素材を加えていない。むしろ、当時撮りながら、“分かっ
て居なかった自分”との自問自答の連続であった。「遊んで作った作品だ」と言っ
た手前、酷評に予防線を張ったかもしれないが、語りはその“分かっていない”時
期、つまり1996年の第一回水俣・東京展で一度しかしなかった“活弁”をあえて95
%、そのまま残した。それは録音の久保田幸雄さんの面白がりように委ねたからで
ある。「水俣の声/十一人」はプログラム(兼チラシ)に紹介する予定である。参
考にしてほしい。

今も言われる、「未だ水俣病は終わらず」という声に対し、では、水俣の人はどう
言い、どう暮し、何を望見しているか…それをこの私家版ビデオから感じて戴けれ
ば幸いである。                   (つづく)04.4.28



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┃06┃□広場
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┃ ┃□投稿:『Cuba/Okinawa サルサとチャンプルー』(2)
┃ ┃■キューバの離島で日系移民に遭遇
┃ ┃■波多野 哲朗
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この映画の登場人物は、Uema(上間)という姓の或る日系キューバ移民一家とその周
辺の人たちである。そしてその中心的舞台となるのは、キューバ(とくにその離島
フヴェントウ島)と沖縄である。

物語は、1926年に沖縄県本部町瀬底島の上間利清(りせい)という青年が、移民一
世としてキューバに渡ったことに始まる。当時、キューバは砂糖産業の全盛時代で、
「ちょいと出稼ぎに行けば、10年後には巨万の富をもって故郷に錦を飾れる」と言
われていた。本土にくらべてはるかに貧困だった沖縄、なかでもひときわ農地の乏
しかった本部半島。その突端に浮かぶ瀬底島に生まれ育った上間青年が、この言葉
に惹かれたのはごく自然の成り行きだったのだろう。もちろんこの言葉は、当時の
日本の移民会社がでっち上げた宣伝文句で、現実には本人が生きるので精一杯、故
郷に巨額の財産を持ち帰るなどということは夢のまた夢であった。それでも一握り
の成功者の後を追うようにして、つぎつぎと多数の移民がキューバにかぎらず世界
各地へと離散していったのである。なかでも沖縄はもっとも多くの移民を送り出し
た県で、人口比率から見れば、圧倒的に他県を引き離していた。.

沖縄がなぜこれほど多くの移民を送り出したのか、理由はいくつか数えられるが、
最大の理由はなんといっても当時の沖縄の絶対的貧困であった。当時カツオ漁に失
敗して借金を抱えていた上間利清が、海外への出稼ぎに夢をつなぐほかなかったの
もそのためである。そして結局、彼は二度と故郷の土を踏むことなく、帰還の夢を
子孫に託してキューバ(フヴェントウ島)でその生涯を閉じたのであった。したが
ってこの映画に上間利清その人は登場しない。ただ、映画に登場する人物たちの言
葉の中に、幾度かその姿を現すことになるだろう。利清氏は同じく沖縄(名護)出
身の移民の娘と結婚し、4人の子を残している。私たちの映画に登場するのはその長
男の上間清とそれ以降の世代である。

いまから4年前の2000年3月、私たちはキューバの離島フヴェントウ島で、日系移民2
世の上間清さん(当時64歳)と家族に出会った。それは偶然の出会いだった。と言
うのもその前日まで私たち(私と数人の学生)はビデオカメラを持って首都ハバナ
を歩きまわっていて、たまたま話しかけてきたキューバ人青年から、この島とそこ
に住む日系移民の子孫の存在をはじめて聞き知ったのである。そこで咄嗟にこの島
に渡ろうと思い立ち、ハバナからキューバ本島を車で縦断して南岸のパタバノ港に
向かい、そこから6時間ほど船に揺られてこの島にたどり着いたのであった。それは
まだ記憶に新しい。船が遅れに遅れて島の港に着いたのは午前2時。私たちが真暗闇
の岸壁でおろおろしていると、船の中で知り合った親切な学生が助けてくれた。驚
いたことに彼は深夜の住宅地の家々の扉を片っ端からどんどんと叩きまくって、つ
いに1軒の民宿まがいの家を見つけてくれたのであった。

こうして野宿を免れた私たちは、翌朝、ヘロナの町に向かおうとしてタクシーはな
いかと訊ねると、タクシーはないが馬車ならあると言われてそれに乗り、たどり着
いたのがこの島の日系人会長上間清さんの家だったのである。しかしそれから事態
は急転直下、私たちは上間さん一家のあつい歓迎を受けたばかりでなく、町にホテ
ルは1軒あるがそんなところに泊っちゃいけない、ぜひわが家や他の日系人の家に滞
在しなさいと強く勧められ、3軒の日系人の家庭に分かれてホームステイすることに
なったのである。それからはけっして豊かとは言えないそれらの家庭で、私たちは
どんなにあついもてなしを受けたことか。

そればかりではない。この島にはほかにも多数の日系移民の子孫が住んでいて、そ
のほとんどが私たちの突然の来訪を喜び、あたかも旧知の友との邂逅を祝うかのよ
うであった。そして私たちは、予期せぬあつい歓迎ぶりにほとんど驚きながらも、
次第にこのえも言われぬシンパシーの渦にひき込まれていったのだった。Isla de-
la Juventud (フヴェントウ島)と呼ばれるこの不思議な島で私たちが4年前に体験
したのは、いったい何だったのだろう。それがたんなるカルチャーショックでなか
ったことはたしかだった。いささかおおげさな表現になることを承知で言えば、私
にはそれがある歴史的記憶の片鱗に触れ得た体験のように思えてならないのだ。

ところで私たちの映画のおもな舞台となるこのフヴェントウ島は、キューバ本島の
南方約100キロに位置するキューバ最大の離島である。しかし島と首都ハバナとを結
ぶ直行の船便はなく、小型の飛行機が日に2度ほど往復するかぎりで交通の便は極め
て悪く、観光客もめったに訪れることがない。それにこの島にはこれといった観光
的見所もない。しかし、いやだからこそと言うべきか、この島に漂う空気には、ど
こか歴史の悲哀を感じさせるものがあるのだ。皮肉なことに、この島はあの有名な
スティーヴンスンの小説『宝島』のモデルとなった島であった。むろん小説自体は
フィクションであり、そのフィクション性は「宝探し」のロマンとしてかずかずの
童話や絵本によって増幅されていったのだが、原作が示すその克明な記述は、かつ
て大航海時代に商品を積んでカリブ海を往来する商船を襲った海賊たちの生活ぶり
をじつにリアルに描いている。

この島は、ヨーロッパ人に構築された地理的イメージのなかでは、文字通り「離れ
島」ないし「辺境」であり、そこにはおしなべて「暗く」「不可解で」「謎めい
た」雰囲気が漂っている。この島は、かつて12回もその呼称を変えられ、その中に
は「鬼の島」という呼び名もある。徹底して島の外部によってその性格を規定され
つづけてきた島。そして実際この島には、ながらくキューバ最大の牢獄が置かれて
いた。現在その牢獄の建物は、「ミュージアム」となっているが、ほとんど人の訪
れることもない荒涼たるミュージアムの姿は、いまなお私たちの眼には牢獄そのも
ののように見える。かつて第2次大戦が勃発すると、キューバ在住のすべての日本人
成人男子は一人残らず捕えられ、この牢獄に収容されたのであった。むろん上間利
清氏もその1人だった。(つづく)


■波多野 哲朗(はたの・てつろう)
映画研究家。研究でも実生活でも「crossing borders」が目標ないしテーマ。研究
ではこのところ20世紀芸術と映画との関係性(または無関係性)がテーマとなって
いる。実生活ではもっぱら世界の辺境域を旅し、6年前にはオートバイでユーラシア
大陸を横断。


     ◇────────────────────────◆◇◆    


●投稿コーナー「クチコミ200字評!」 第11回
提案者:清水浩之(ゆふいん文化・記録映画祭/いよいよ5月28日〜30日開催!)

「オススメの作品を200字以内の短評で紹介してください!」というコーナーです。
映画・ビデオ・テレビなど皆さんがノンフィクションだと思う作品だったらなんで
もOK!「知られざる傑作」を発掘したり、おなじみの名作の今までにない見方を指
摘したり…もちろん「オススメしない映画とその理由!」も歓迎です。

200字以内の本文とは別に、「あなたのお名前(ペンネーム可)/掲載確認のご連絡
先(メールアドレスor電話)/題名/制作年/監督/見た場所」を付記して清水ま
でお送りください。
(あなたのプロフィールや近況もご紹介いただけると有難いです)

清水浩之 → E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp /ファクス:03-3703-0839

今回も私一人ですのでもう〆切がどうのこうの申し上げません。「即掲載!」とい
う状況です。お待ちしております。


B-034 『脳の生命誌』
2003年・JT生命誌研究館+ソニーPCL/演出:永田雅一 脚本:中村桂子
「第45回 科学技術映像祭・入選作品発表会」にて全国各地で上映中!
スケジュール詳細→  http://ppd.jsf.or.jp/filmfest/ 

脳の進化の過程を、様々な動物から辿る35分。ゾウリムシからスタートして、口の
周辺に集まった神経細胞から脳が形づくられていくプロセス、脊椎動物の脳の「大
型化」は消化しやすい食べ物が要因になったこと、一方で「小型精密化」の道を歩
んだ昆虫の脳…などのトピックを、「脳の増改築」といった明快なコメントや、粘
土からCGまで的確に繰り出されるアニメを巧みに連動させて楽しく見せきります。
大人も子供もガッテン必至!
(清水浩之/東京/36歳/理系おんち)


B-035 『薩摩の水車カラクリ』
2003年・英映画社/監督:鈴木康敬
5月15日(土)「第16回 すかがわ国際短編映画祭」で上映!
プログラム詳細→  http://www.sia.co.jp/~sukagawa/eigasai/ 

鹿児島南部・万之瀬川流域の3カ所で毎夏披露されている水車動力のカラクリ人形。
加世田では大きな回転式舞台を疾る等身大の騎馬武者が迫力を生み、いっぽう吹上
では小じんまりとした造り…と地域ごとにカラクリの仕組みも特徴を持つ中で、知
覧の「イッツ・ア・スモール・ワールド」顔負けの細密な仕掛けで見せる『宮本武
蔵』は圧巻。東京生まれの身にとっては、里帰りのたびにこんな夏祭りを楽しめる
人たちがホントうらやましい。
(清水浩之/東京/36歳/お盆の「静かな東京」も好きですが)


B-036 『靖国で会った人たち』
2003年・映画美学校/監督:藤森久嗣
見た場所:映画美学校「ノンフィクション博覧会 Vol.3 特集・作家と処女作」

お盆の東京と言えば今や風物詩とも言える小泉さんの靖国ゲリラ参拝。今年の正月
の「初詣ですから」はかなり秀逸な犯行声明?でしたが、この作品は250万の英霊が
冥る靖国神社に集まる軍人会・遺族会の人々の、戦友や肉親を思う言葉を集め、政
治やマスコミの世界でイメージだけが独り歩きしがちな「都心の異空間」を捉え直
そうと試みます。靖国無縁世代から出た「国立追悼施設」なる代替案にハッキリ否
を唱える彼らの姿に注目!
(清水浩之/東京/36歳/境内の「遊就館」や「みたままつり」もユニークです)


B-037 『あはは おほほ』
2003年・映画美学校/監督:田村一郎
見た場所:映画美学校「ノンフィクション博覧会 Vol.3 特集・作家と処女作」

東京屈指のディープなスポット・浅草演芸ホールを舞台に、大御所から若手まで4組
の芸人さんが日々取り組む「笑いの生成過程」を追う。ネタの練り込みに余念のな
いベテラン漫才師さんが呑み屋の友人や撮影スタッフの意見にまで耳を傾ける姿が
素敵です。前作『粘土ができるまで』と同様に被写体の生活の場を「異文化空間」
として切り取り、微妙に長いカット繋ぎで独特の後味を残す田村さん、次回はぜひ
フィルムで撮ってほしいなー。
(清水浩之/東京/36歳/彼はデジタルビデオより16ミリが似合う!出資者求
む!)


B-038 『激動の昭和史 沖縄決戦』
1971年・東宝/監督:岡本喜八 脚本:新藤兼人
5月4日(火)まで浅草新劇場にて上映中(さすが浅草!)

イラクのファルージャ近辺では大変なことになっていますが、60年前の沖縄を描い
たこの映画、二時間半の全編で軍人も民間人も男子も女子も老人も子供もお構いな
しにとにかく死んで死んで死に続けます。「南風原病院・2000人自決」というテロ
ップの向うに広がる気が遠くなるような規模に、観客は否応なくその場に居た人々
の無念さを受け止めます。「こうならなきゃいいな」という方にばかり向う戦況が、
何となく今と似てる…恐怖!
(清水浩之/東京/36歳/テロに「屈する勇気」もあると思うんですが…)

第七回ゆふいん文化・記録映画祭、上映作品にもトークゲストにもご期待ください。
ではまた!


     ◇────────────────────────◆◇◆    


■上映

●neoneo坐・柿落とし
2004/5/15(土)16(日) オープニング企画『ドキュメンタリスト』

5/15(土) 13:00-
『土本典昭 ニューヨークの旅』 2003/DV/59分 監督:藤原敏史
■第49回ロバート・フラハティ映画セミナーに参加した土本典昭のニューヨーク旅
行。
先進国と第3世界の関係、現代日本のこと。先進国であると同時に第3世界的状況を
抱え続ける移民の国アメリカが浮かび上がってくる。
◆トーク 藤原敏史(映画作家・映画評論家)

15:00-
『小川プロ訪問記』 1981/16mm(VIDEO)/61分 監督:大重潤一郎
■大島渚が『ニッポン国・古屋敷村』制作中の小川プロを訪問、小川紳介に映画作
りの考えや苦労を聞く。小川とそのクルーは、すでに新たな対象、新たな生活様式、
新たなドキュメンタリーを求めて山形に移住していた…。
◆トーク 伏屋博雄(映画プロデューサー・「neoneo坐」坐長)
※終了後、交流会(1ドリンク制)

5/16(日) 13:00-
『インディペンデンス アモス・ギタイの映画「ケドマ」をめぐって』
2002/DV/90分 監督:藤原敏史
■ホロコーストを逃れパレスティナに渡り、イスラエル独立戦争の悲惨を目撃する
移民たちを描くアモス・ギタイの『ケドマ』の撮影現場。自らが背負っている移民
と迫害の歴史、皮肉にも迫害する側になってしまった歴史の矛盾と向き合うイスラ
エルの人々を描く。
◆トーク 藤原敏史(映画作家・映画評論家)
15:30-
『土本典昭 ニューヨークの旅』
◆トーク 藤原敏史(映画作家・映画評論家)
※終了後、交流会(1ドリンク制)

料金●1プログラム:1500円/会員1000円(入会金2000円で当日加入できます。
1年間有効)/賛助会員(20000円)は年間20回無料(運営委員に参加する資格を有
します)


●neoneo坐 vol.2「ゆふ in Tokyo ―文化映画の逆襲!―」
5月23日(日) 各回入替制
13:00- program 1
『由布院源流太鼓』
2001/35分/監督:呉 美保/第6回ゆふいん文化・記録映画祭(2003)上映作品
『手筒』
1994/35分/監督:園 八雲/第5回ゆふいん文化・記録映画祭(2002)上映作品
※上映終了後『ゆふいん文化・記録映画祭GUIDE』上映+トークあり

15:00- program 2
『ムカシが来た ―横浜市長屋門公園古民家復元の記録―』
1994/46分/監督:松川八洲雄/第1回ゆふいん文化・記録映画祭(1998)上映作品
『プロジェクトY ―ゆふいん after X―』
2004/60分/監督:楢本 皓/第7回ゆふいん文化・記録映画祭(2004)上映予定
※上映終了後、交流会あり(1ドリンク制)

1プログラム:当日1,500円/会員1,000円
入会金2,000円で当日加入できます。1年間有効。
賛助会員(20,000円)は1年間20回無料(運営委員に参加する資格を有します)。
交流会:1ドリンク300円(飲み物、おつまみ全て均一)

会場:「スペースneo」 千代田区神田小川町2-10-13 御茶ノ水ビル1F
都営新宿線「小川町」駅・B5出口より徒歩1分
JR「御茶ノ水」駅・聖橋口より徒歩5分
企画運営・お問合せ先:清水浩之
TEL:080-5468-3251 E-mail: shimizu@ad-ult.co.jp 


●『鉄西区(てつにしく)』東京上映会
満員御礼につき、緊急追加上映決定!!

山形国際ドキュメンタリー映画祭2003大賞受賞
王兵(ワン・ビン)監督作品

日時:5月15日(土)全三部一挙上映(入替なし)
   11:00〜第1部:「工場」(240分)
   16:00〜第2部:「街」  (175分)
    19:30〜第3部:「鉄路」(130分)

会場:映画美学校:東京都中央区京橋3-1-2片倉ビル1階
   (地下鉄銀座線京橋駅3番出口前片倉ビル1階)
入場料:¥3000均一(各回のバラ売りはいたしません)
完全電話予約制にさせていただきます(先着80席)
(当日精算のみ、前売券は発売いたしません。)

お申し込み:シネマトリックス(10:00〜18:/平日のみ) 
      TEL.03(5362)0671
詳細は、 http://www.cinematrix.jp 


●「地球環境」をテーマとした、アジア・オセアニアの優れた作品を
1992年から紹介してきた「EARTH VISION 地球環境映像祭」。

今年から、東京・新宿御苑にて定期上映会を始めます。
まず、初めのvol.1では、アニメーションあり、ネーチャーフィルムあり、社会派あ
りという、EARTH VISIONらしい3作品を上映します。
ゲストには、この映像祭をきっかけに、インドのウラン公害に立ち向かっている先
住民の方々の支援プロジェクト「ブッダの嘆き」基金を立ち上げられた、藤川泰志
さん写真家 小林晃さんをお招きし、お話をうかがいます。

日時:2004年5月23日(日)
   午後0時45分開場 午後1時開始
会場:新宿御苑インフォメーションセンター
新宿駅南口から徒歩10分・新宿御苑前駅から徒歩5分)
(東京都新宿区内藤町11 tel 03-3350-4143)
協力費:1000円 ※事前予約不要 

13:00 開始
■タートル・ワールド■
(9分/オーストラリア/ニック・ヒリゴス監督)
巨大なウミガメの背中には、サルたちが住む森。より豊かな暮らしを求めたサルた
ちは、やがて…。寓話のようなクレイ・アニメーションの傑作。

■たんぼ−生命をはぐくむ■
(59分/韓国/イ・ウィホ監督)
たんぼという小宇宙に息づく生き物たちの豊かな営み、その生と死。

■ブッダの嘆き−ウラン公害に立ち向かう先住民たち■
(56分/インド/シュリプラカッシュ監督)
ウラン鉱山からの放射能汚染により、深刻な被害を受ける人々。やがて、彼らは自
らの生きる権利のため立ち上がる。

▼△おはなし△▼
「ブッダの嘆き」基金 藤川泰志さん 写真家 小林晃さん
※会場では写真パネルの展示も予定。

16:00 終了予定

主催・問い合わせ:アース・ビジョン事務局
TEL : 03-5362-0525 FAX: 03-5362-0575
 http://www.earth-vision.jp 


●第七回 ゆふいん文化・記録映画祭 ―フィルムの力。まちのパワー。―
5月28日(金)〜30日(日) 会場:大分県湯布院町中央公民館・乙丸公民館劇場
※各プログラムの最初に1962〜70年の「毎日ニュース」(10分×8本)を上映します。

5/28(金)
19:30- program A/花の顔見せ会(交流会)
『諏訪のおんばしら-祭り・神と、人と、その風土-』
1986・33分 岩波映画 監督:片野満

5/29(土)
10:00-11:16 program B
『琵琶湖・長浜 曳山まつり-民俗芸能の心-』
1985・32分 英映画社 監督:松川八洲雄
『絵図に偲ぶ江戸のくらし-吉左衛門さんと町の人々-』
1977・33分 岩波映画 監督:時枝俊江

11:25-12:05 トーク(1) 森まゆみ(作家)
12:05-13:00 昼食
13:00-14:35 program C
『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』 1972・85分 小川プロダクション 監督:小川紳介
15:00-16:10 program D
『蒲公英的歳月 たんぽぽのさいげつ』 2003・60分 日本映画学校 監督:任書剣
16:30-17:40 program E
『幻舟 Eat the Kimono』(英語字幕付、1989・60分 イギリス・20世紀雌ギツネプ
ロ(キム・ロンジノットほか)
17:50-18:30 トーク(2) 花柳幻舟(舞踊家)
18:30-19:40 休憩
19:40-21:50 program F
『プロジェクト Y −ゆふいん after X−』
2004・60分 ゆふいん文化・記録映画祭 監督:楢本皓
21:10- 今を盛りの会(交流会)

5/30(日)
10:00-11:55 program G
『連句アニメーション 冬の日』
2003・103分 IMAGICAエンタテインメントほか 監督:川本喜八郎ほか
12:05-12:45 トーク(3) 高橋睦郎(詩人)
12:45-13:45 昼食
13:45-14:45 program H
『潤滑油』 1960・25分 東京シネマ 監督:竹内信次
『マリン・スノー-石油の起源-』
1960・25分 東京シネマ 監督:野田真吉・大沼鉄郎
14:55-15:35 トーク(4) 池内了(宇宙物理学者)
15:45-17:05 program I
『おやつ』 1955・23分 桜映画社 監督:西岡豊
『もうひとつの教育-伊那小学校春組の記録-』
1991・47分 テレビマンユニオン 演出:是枝裕和
17:05-17:50 こびりタイム(おやつの時間)
17:50-19:32 program J
『こんばんは』(日本語字幕付)2003・92分 イメージ・サテライト 監督:森康行
19:40-20:20 トーク(5) 見城慶和 (元・夜間中学教師)
20:40- 花のお名残り会(交流会)

入場料 ※programAとI「もうひとつの教育」は無料
3プログラムセット券 \1,500/1プログラム券 \700/
フリーパス券(全上映作品に有効)\3,500

お問合せ:ゆふいん文化・記録映画祭実行委員会
湯布院事務局(平野)TEL・FAX 0977-84-3398
大分事務局(横田)TEL・FAX 097-532-2426 E-mail: bunka@po.d-b.ne.jp 
開催中の事務局:TEL 0977-84-4762
宿泊のお問合せ:由布院温泉観光案内所 TEL 0977-84-2446



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┃07┃■編集後記 伏屋 博雄(ふせや・ひろお)
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●本誌でたびたび報じてきた「neoneo坐」の立ち上げガイダンスを、4月28日(水)
午後7時から神田小川町のスペースneoで行った。前日の嵐もからりと晴れ渡り心地
良い微風が吹いている。開始時刻2時間前に到着。すでにオーナーであり、今回の
neoneo坐実現の立役者である佐々木尚子・実夫妻が椅子の整備や料理の準備に忙し
く立ち働いている。さっそく、恥かしながらも前日に私が白地に墨も黒々とneoneo
坐と書き込んだ大暖簾を取り出し、木目も鮮やかな大きな戸が立つ玄関に皆で貼り
付ける。「うーむ。これならば、誰も道に迷うこともあるまい。」しかもラッキー
なことに、電柱のライトが暖簾をすっぽりと照らし出す効果があるではないか。

これまで事務局長的な役目を担ってくれている清水浩之君も加わり、この日の簡単
な打ち合わせ。と、安岡卓治さん(日本映画学校)が設計士の藤井高則さんを引率
して登場。初対面の藤井さんとの挨拶もそこそこに、さっそく映写に適う部屋の改
造の打ち合わせを開始。藤井さん「うん。これは面白い!いろいろ出来ますね」と、
にこやかに確信を持った言葉を発せられる。ほぼ内装は終えているものの、今後の
スクリーンやプロジェクターの設置、一部をフローリングにしようなど、映写に最
適な空間とするための作業が残っている。藤井さんと尚子さんの丁丁発止のやり取
りは見ていて小気味いい。
定刻の7時、23名が集合。知った顔ぶれが半分、見知らぬ方も半分といった割合。映
画専門学校生、卒業者、監督、カメラマン、ジャーナリスト、映画配給者、留学生、
自営業、新聞記者、プロデューサー、フリーターなどなど。うれしいことに皆、
neoneoの読者である。皆さんのneoneo坐が提起する「みんなで育てよう!という精
神のもと、ノンフィクション映像の『たまり場』」をつくろう」、「特に若い映画
作家には発表の機会を与え、観客と切磋琢磨する関係をつくりたい」、「開かれた
上映母体」、「お互いが育つことを目的とする非営利映像空間」に賛同し積極的に
関わっていこうとする方々だった。

「会」は初対面の方が多い上に、運営面についての話し合う会議的体裁をもって進
行せざるをえないこともあって、当初は硬さを伴いながら進行した。それでも、適
切な意見を出してもらったりしながら、neoneo坐が「プログラマー主導によって見
たい映画、見せたい映画を企画する」ことを十分理解して頂けたことは、たまらな
くうれしかった。「まずはやってみよう」精神で、軌道修正は十分できるという訳
だ。決定事項は今後、準備中のneoneo坐のHPで発表していきます。
この日の話し合いが出尽くした頃合を見計らった佐々木尚子さんが、タイミングよ
く「そろそろ、お酒を」と言いながらテキパキとビールと数種類のおつまみ(美
味!)をテーブルに並べ出した。皆われがちに手を出す。どれもこれも1品300円。
とたんに場の雰囲気は一変。一気に爆発し「桜の下の無礼講のごとく陽気になっ
た」(「恋するアジア」の春田実氏の言葉)のである。これこそ日頃土本監督が仰
り、私も何度も小川紳介から聞かされた「青の会」的乗りではないか!皆、胸襟を
開きたくてうずうずしてるんだな。あちこち話の渦が巻き起こり、宴は深夜まで続
いたのだった。

さて、今後の活動であるが、まずは6月以降の上映企画を各自が持ち寄って検討する
場(5月の企画は決定済み、上映欄を参照)を下記のとおり行います。企画を提案す
る方は、ぜひお越しください。また同時に「運営委員会」で話し合っていかねばな
らない課題もあるので、積極的に荷担していこうとする方、自動的にその資格を得
る賛助会員(20000円)もご参加ください。よろしくお願いします。

ところで、100型スクリーン(吊り下げ用)を寄付して頂ける方、ございませんか。
ご一報をお待ちしています。 visualtrax@jcom.home.ne.jp  伏屋まで。

皆の力を出し合って、「neoneo坐」を育てていこうではありませんか!

期日:5月7日(金)午後7時より9時まで。
会場:スペースneo(30席) Tel:186-090-3271-5280
〒101-0052東京都千代田区神田小川町2-10-13 御茶ノ水ビル1F
都営新宿線「小川町」駅、B5出口より徒歩1分、
JR「御茶ノ水」駅・聖橋口より徒歩5分
(地図)

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