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2009/02/27

『 ただ今大工修行中! 』第111号



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        『 ただ今大工修行中! 』  第111号

                        2009年 2月 27日





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【 ごあいさつ 】



「ただ今大工修行中!」読者のみなさまこんばんは。
今号から新たに購読を始められた読者の方へ、始めまして。
ただ今大工修行中!のM・KAI(エム・カイ)と申します。

前回号での予告通り、今回号は【 奇妙建築について part5 2回目 】
というタイトルでのお話しになります。

それでは、お話しさせていただきます。




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【 奇妙建築について part5 2回目 】



世の中には建築界の巨匠が設計した、ずっと歴史に残るような“名建築”がた
くさんあります。本屋さんに立ち寄ってみれば、有名建築家が設計した建築を
巡る本が出ているくらいです。

それら歴史に残るような名建築と比較してみて、逆に世の中で表に出てこない
ような建物もあります。建っていること、そこに存在していることを忘れ去ら
れたような建物もあります。

 建築雑誌では取り扱われないような建物、
 建築の授業では出てこないような建物、
 建築の教科書には記載されないような建物、

これらの建築物について、僕は愛称を込めて「奇妙建築」と呼んでいます。



前回号に引き続き、今回号でも奇妙建築についてお話を進めていきます。世の
中には意味もなく奇妙な建物を建てたがる人はたくさん存在するものです。

探してみると、日本にも膨大な財産を費やして全く意味も無く奇妙なかたちを
した建物が建てられていたのです。建物の名前は「二笑亭(にしょうてい)」
といいます。

前回号では建物の詳細についてお話をしてきましたが、前回号を読まれていな
い読者の皆様に向けて、この建物について簡単にお話します。



建築されていた場所ですが、東京深川の繁華な商店街の一角に実在していまし
て、この地域の地主であった渡辺金蔵が自ら設計し大工を指揮して建築させた
個人住宅(渡辺邸)です。

建物の外観ですが、絵に描いて説明しない限り伝わらないような何とも奇妙な
かたちをしています。建物の正面二階に当たる位置に配された3枚のはめ殺し
の大きなガラス窓と、入り口に置かれた鉄製の半円形の雨よけがあります。

正面から玄関を通り内部に入るとホールがあります。ホールには高さ4mあた
りの人が届くはずもない場所に、帽子や衣装を掛ける金具が、無秩序にしかも
大量に打ちつけられていたそうです。これでは何の役にも立たず使えない金具
になってしまいます。

ホールから奥に進んだ場所には引き戸のある奇妙な細工が施された部屋があり
ます。厚いヒノキの板壁の所々の節をくり抜いて、そこに厚いガラスをはめ込
んで作られたのぞき窓が無数に作られているのです。

その他にも、裏門に出入りの邪魔になるように置かれた菱形の枠、鉄棒をずら
りと立てて作られた塀、屋根をこえてただ単に空に伸びたはしご、土蔵の中の
床から天井に伸びる昇れないはしご、など様々な仕掛けが施されています。



この奇妙な建物の建築が着工されたのは大正15年(1926年)と言われて
います。

着工から10数年を費やしこの建物に住む主人の指示のもとで増築や改築を繰
り返されて奇妙な建物が建て続けられました。

二笑亭の主人は周囲の迷惑も気にせず好き放題に建物を造り続け、時々近隣の
住民とトラブルを起こしたりもしていたのですが、昭和11年(1936年)
4月24日家族の手により建築は止められまして、2年後の1938年(昭和
13年)4月頃に取り壊されました。

現在はその建物の姿は数少ない写真以外には、かたちを留めるものは残されて
いません。




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ところで、奇妙なのは建物だけではありません。建物を建てた「渡辺金蔵」と
いう人物について調べてみると相当に奇妙な点が目につくのです。

これだけ奇妙な建物を好き放題に建てられた人物とは、一体どのような生活を
送っていたのでしょうか?この辺りの疑問につきましてお話を進めていきます。



まずは、これだけの奇妙な建築「二笑亭」を造り続けた建築主である渡辺金蔵
氏この人がどのような人物であったのか。ここからご紹介していきます。

生い立ちについてですが、幼児や少年時代のことについて記録などに残ってお
らず、ほとんど伝えられていません。金蔵氏の父親は世にいう変人で、父親と
子供ひとりの家庭で育ち母親を知らず、金蔵氏も父親の血を濃く引き継いで育
ったようです。

15歳の時に学校を卒業し成績は優秀であったと伝えられています。足袋の老
舗である渡辺家へ奉公に入り、18歳の時に戸主である娘と結婚しそのまま婿
入りしました。

性格は几帳面であるが自我が強く、無口で偏狭、家族に対しては厳格で、自分
の主張をあくまでも通そうとし、親類に対しては故意に疎遠にして交際をしな
かったそうです。

戸主である娘と結婚したこの頃から孤独で内向的、自己中心的な性格が家族に
見受けられていたようで、義理の母親の信用を勝ちとることが出来ず、戸籍の
手続きが遅れ、記録では27歳の時に結婚したとなっています。



入籍して長年足袋を商売としていた金蔵氏ですが、33歳の時に長年の足袋商
売を辞めて洋品雑貨商を始めました。

商売の成績はあまり良くなく、10数年後には廃業し、その後は渡辺家が持っ
ていた土地の地主として生活をしていきました。

老舗の足袋屋さんの婿養子でもあり、資産家で土地もたくさん持っている家庭
なのですから生活に困るようなことはありません。地主となったその後、商売
に追われることもなく暇が出来た金蔵氏は退屈していたようです。

金蔵氏は40歳頃から趣味の生活に入りました。彼の趣味は広く、長唄、謡曲
に精を出し、舞踏から生け花や茶の湯、さらには硯石の収集から書道、実に幅
広く多彩なものでありました。

たくさんの趣味の中でも一番夢中になっていたのが茶の湯でした。かつては夫
婦で「鎮信流」という茶道流派の教えを受けに通っていました。

「鎮信流」とはどのような流派なのかといいますと、武人の精神修養を目的と
したお茶で、流派の祖、松浦鎮信いわく茶道は文化のうちの風流なり、さるに
よって柔軟を嫌う強く美しきを良しとする、というものでありました。



前回の建物紹介の中では触れていませんでしたが、二笑亭の中には茶室が存在
します。

茶の湯にこれだけ夢中になっていた金蔵氏ですから、二笑亭建設の際に茶室を
造ることを忘れていません。

ただ、二笑亭を造るほどの変わり者でありますから茶室もかなり奇妙です。ふ
つう茶室は静かな場所を想像するものですが、金蔵氏は茶室の入口を入ると壁
にナイアガラの滝の写真を飾っていたそうです。




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二笑亭が出現したのは1923年(大正12年)に起こった関東大震災がきっ
かけでした。

渡辺金蔵氏が49才の頃に関東大震災が起り、大震災後の区画整理に伴い住ん
でいた自宅の改造を余儀なくされたことから始まりました。

ある日突然、家族を連れて世界漫遊の旅をすると言い出したのです。海外の建
築事情を調査したい思いに駆られたのでしょう。

二笑亭建設に際して金蔵氏は、震災が起こる以前から「自分の思う建築をした
い」という意識があり、以前から何かしら計画はしていたのだと僕は推測する
のですが、無口で偏狭、家族に対しては厳格である金蔵氏は家族には何も話を
しなかったのでしょう。

家族にとっては震災後の区画整理のこともあり、本当は世界一周旅行なんてし
ている場合ではないはずなのですが、こんな時期に世界一周旅行をするとは家
族はさぞ驚いたことでしょう。



自我が強く、自分の主張をあくまでも通そうとし、言い出したら聞かない金蔵
氏の事を家族はよく知っていました。それですから家族の反対に耳を貸すこと
などありません。

当時は飛行機などなく、船での世界一周旅行です。どれだけの月日と金銭的負
担がかかるのか測り知れません。

しかし世界旅行は実行され、行くことになったのは二人の息子だけということ
になったのですが、横浜を出帆してから間もなく彼の長男が錯乱状態に陥って
しまいました。

その後長男は神戸で下船してしまったのですが、金蔵氏はそれでも構うことな
く、長男を残して二男と2人だけで世界一周の旅行を続けたのです。



この奇妙な建物の建築が着工されたのは大正15年(1926年)と言われて
います。ちょうど世界一周の旅から帰ると同時に、金蔵氏は取り憑かれたよう
に、二笑亭の建築にとりかかったのでした。

二笑亭を建てるにあたり、金蔵氏は自ら赴き建築資材や木材を買い求めたとい
います。家の中は材料が山積みされて住む場所もなくなってしまったそうです。

建築に際しては突然寝床を壊し始めたりと、家族の生活の事など何も眼中にな
く、奇行に耐え切れなくなった家族は仕方がなく別居し、週に1〜2回様子を
見に来るだけでした。

家の中には渡辺金蔵氏1人と通いの女中のみが残って生活をしていましたが、
この家は常人には到底住むことは出来ず、通いの女中も嫌がり誰も金蔵氏の面
倒を見る引き受け手がなくなり、結局は金蔵氏1人のみで生活をしていました。



奇妙な言動と行動ばかりが目につくので、金蔵氏の家族だけでなく、建築の際
に工事にかかわった通いの職人さんも大変でした。

職人さんの仕事が気に入ったので今日はお土産をあげようと言うので、職人さ
ん達は金蔵氏から黒豆を受け取ったのですが、誰もがいっこうに食べようとは
しません。

なぜお土産の黒豆を食べないのかと尋ねると、黒豆をつくる際には自宅にある
五右衛門風呂の残り湯を使って煮るというのです。金蔵氏の体液がたっぷりし
み込んだ黒豆です。

金蔵氏は朝食には米飯と一緒に味噌汁を食べるのが決まりだったようですが、
味噌汁の中にコーヒーと稗(ひえ)をすって入れるのが彼の定番だったようで
す。

金蔵氏いわく「コーヒーはモカがいい、これを米飯と一緒に食べると力がつい
てとても修養になるのです。」気味悪がって誰も手をつけようとはしませんで
した。




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かなりの巨額を投じて、十数年もかかって建て続けられたこのお屋敷も「電話
返却事件」をきっかけに、家族の手によって建築を止められました。

金蔵氏は1936年(昭和11年)春、当時相当の資産価値を持っていた自宅
の電話の無料返上を申し出たのです。当局はその理由の解釈に苦しんだのです
が、結局申し出通りに電話を取り外しまして、電話機を引き取りました。

電話機は家族にとって唯一の連絡手段です。金蔵氏が電話機を不要としたのは、
家族との決別を意味するのではと、家族は思ったのでした。



この頃、一家の家計はかなり深刻な状態になっていました。いくら資産家とは
いえ湯水のように建築に金を使われていては家族の生活にも影響が出てきます。

金蔵氏の妻は日々の生活のお金と建築資金も渡していたのですが、もう主人の
建築道楽を許していられる余裕はなくなっていたのです。

もうこれ以上放ってはおけないということで、金蔵氏の妻は電話返却事件の翌
日に病院の院長と一緒に二笑亭を訪れ、金蔵氏を入院させたのでした。

10数年を費やし建築され続けた二笑亭の建築はここで完成することなく終わ
り、この日限り金蔵氏は二笑亭に戻ってくることはありませんでした。

1936年4月24日に渡辺金蔵氏は病院に入院させられ、2年後の1938
年4月頃に、二笑亭は取り壊されました。現在は何も残っていません。



ちなみに昭和初期の当時に相当の資産価値を持っていた自宅の電話の無料返上
を申し出たのかと、入院後に金蔵氏が語った理由は次の通りでありました。

「私は長いこと電話を所有してきたが、最近ではそれを使わない。しかも料金
を納めねばならない。使用しないのに、料金を払うということは悪い。だから、
電話を廃止することになった。」




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僕が調べた限りですが、二笑亭について残されている資料としましては、この
建物に興味を持った精神科医式場隆三郎が、建物の取壊し前に調査を行い、後
に「二笑亭綺譚」としてまとめた本のみです。

ここまでに書かれた内容はこの本からの引用と、ネットでの検索機能を駆使し
て出てきた情報を主にして書いています。



何かしらの障害をもってしまったとしても、常に前向きで笑顔を絶やさない、
周囲の人々に優しさと明るさを振りまく微笑みの人がいます。

こういう人にわたしはなりたいって思っちゃいます。

それとは逆に障害を持たずに生まれ、資産がありなにひとつ不幸なく生活をし
ていたとしましても、常に後ろ向きで怒りを絶やさない、周囲の人々に恐怖と
緊張を振りまく人がいます。

こういう人にわたしはなりたくないって思っちゃいます。



お金が自由になって、大工さんや建築家か自分の意のままに動いてくれたらど
んな家が建つのだろう。二笑亭の主人のように自由に振舞えたらどんな家を建
てるだろう。二笑亭の主人に憧れる人もいるでしょう。

自分の家を思い通りに建てる、こういった事を想像するのはとても楽しいもの
です。

自分の構想を忠実に実現した家がどれだけ存在するのであろうか、僕にはわか
りません。ただ、想像だけでは建物は建てられません。

建物を建てるためにはお金を調達する必要がありますし、家族の意見も把握し
なければならないし、建築家や職人さんにも動いてもらわなければならないと
いった様々な現実的な問題を超えていかなければなりません。

建築に際しては、自分とは違う意識の人々と共に行動しなければならない、か
なり鬱陶しい世界をこえなければならないのです。



二笑亭の主人は、趣味の世界に生き、資産を持ち、家族の反対意見には耳も貸
さず、現実的な問題をいとも簡単に越えられる立場にいました。こうなれば後
は想像のみです。

いとも簡単に越えられる頭の中で繰り広げられる想像の世界と、自分以外の他
人が関わらなければ建てられない現実の世界。

二笑亭の主人は膨大な財産を持ち、生活には何の心配もなく、鬱陶しい現実を
超えられて、好きな建築に没頭し、建築を実行できる立場にいたのです。

何の関わりもなくただ傍から見ていれば、こんなにも奇妙な建築をつくった面
白い人物はいないでしょう。しかし生活に深くかかわる家族にとっては、この
家づくりは迷惑この上ないお話のはずです。

今回の奇妙建築は「二笑亭」という建物がおもしろいだけで、どうも建物を建
てた人物が面白く見えないのです。

家族の意見には耳を貸すこともなく、反対されても自分の主張を貫き、建設費
が賄えなくなり家族の生活に影響が出たとしても気にもせず、自分の理想とす
る建築を頑固に没頭することに貫いたのです。

二笑亭の主人は周囲に緊張と恐怖を振りまき反対意見に耳を貸さない、人の意
見を伺えるような器の大きな人物ではなかったようです。



たとえ技術が進化したとしても、昔も今の時代でも人の心は変わらず、頑固で
人の意見に耳を貸さない人はいます。

そういった人が会社などの組織の中でかなり偉大な立場であったり、人々の上
に立つ立場の人であったりするのですから、下々に仕えなければならない人た
ちにとってはたまったものではありません。

たとえ自由にお金を使える権限を持っているからといっても、家族の生活に迷
惑がかかるという反対意見に耳を貸すということ、家づくりの際に忘れたくな
い現実です。

自分の好きな建物を建てる、それに没頭することが家族にとってどんなに迷惑
な行為であったか測り知れません。

二笑亭建設の陰に忘れたれてしまった、金蔵氏の奇行に耐え切れなくなり別居
し離れていった家族の気持ちを忘れてほしくはないのです。



ところで【 奇妙建築について 】ですが、探してみると書ききれないくらい
まだまだ世の中にはたくさん存在しています。

奇妙建築は過去のお話だけではありません。現代の世の中においてインテリジ
ェンスビルと呼ばれるような最新の技術を駆使した建物にも奇妙建築は確実に
存在しているのです。


ここでお話しは途中になりますが、今後配信する【奇妙建築について】へと、
お話しは続いていきます。これからのお楽しみにしてください。




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【 お知らせ 】



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ことがございます。

今までメールマガジン配信サービス「まぐまぐ」にて、全てのバックナンバー
を閲覧できるように設定してありましたが、諸般の事情により現在最新号のみ
のバックナンバー閲覧設定と切り替えてあります。

しばらくの間、設定を切り替える予定はありません。今後もしバックナンバー
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 e-mail   forbizm@nifty.com
 発行者   M・KAI(エム・カイ)宛てにお願いします。




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【 編集後記 】



僕は普段からテレビを観ることが少なく芸能界についてものすごく疎いのです
が、たまには僕も衝撃を受けてしまうような芸能界のニュースが飛び込んでき
ます。

先月のメールマガジンを配信し終えたすぐ後くらいでしょうか「チャゲ&飛鳥
が活動休止、これからはソロ活動に専念。」という悲しくなるニュースが飛び
込んできました。高校生の頃からずっとチャゲ&飛鳥のファンの僕としては非
常に残念です。

僕が知る限り数年前から一緒にステージで歌うこともなく、それぞれがソロと
して違う音楽活動をしていました。かなり前から噂はあったのですが、いよい
よひとつの時代が終わってしまったという感じです。

活動休止でも今後「チャゲ&飛鳥」という名前はそのまま残るそうなのですが、
今後チャゲさんと飛鳥さんが2人で揃って歌う姿は見られなくなりそうです。
今まで残されてきた作品が貴重になりそうです。



次回の「ただ今大工修行中!」ですが、【 茶道にまつわるエトセトラ 】と
してお話しをしていきます。

 第112号は配信日を変更しまして、通常通りの配信日である2009年 
 3月13日の配信で予定しています。


 あなたのこのメールマガジンに対する意見やご要望をお聞かせください。
 読者の皆様からのご意見、ご感想、お便りお待ちしています。

 現在は月1回の配信、13日のみの配信日となります。
 『 ただ今大工修行中! 』 配信日は毎月13日、27日
 ホームページ http://homepage3.nifty.com/jean_prouve/
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