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2007/11/15

ベトナム現地直送 アオザイ通信 vol.050

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━ティエラエデュネットキャンパス━━

▲     ー ベトナム駐在員がお届けする素顔のベトナム ー
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■■▲          アオザイ通信
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■■■■▲                                  2007年11月15日発行 vol.050

━━━━━━━━━━━━━━━━━  http://www.te-campus.com/eco  ━━

年中真夏のホーチミンより、駐在員の目からみた素顔のベトナムをお届けしま
す。

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■ 目次
vol.050
[1]村山日本語学校を訪問する
[2]ベトナムBAOニュース「ベトナムに住んで生活している、市井の日本女性」
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vol.050
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 春さんのひとりごと
 <村山日本語学校を訪問する>
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今ホーチミン市内にある公立のL高校で、今年の9月から日本語教育がスター
トしました。生徒たちは全員ベトナムの高校生です。実はこの学校では、中学
生を対象に2年ほど前から日本語教育をスタートさせて来ました。その担当を
していた日本人の先生とは私も懇意にさせて頂いていましたが、任期が切れて
9月に日本に帰国されました。 

それが9月の新学期から、この高校に在籍している1年生を対象に、新たに日
本語教育をスタートすることになったのでした。公立学校の中で行われるこの
授業の学費は無料です。そしてもちろん中学校のほうでは、今も続いて日本語
教育が行われています。 

この高校での日本語学校の設立に当たり、全面的な支援を申し出たのが、あの
「村山元首相」です。そして、その名前も「村山日本語学校」と名付けられま
した。 

日本では「村山元首相」といえば、あの阪神大震災の時に、何の緊急支援の手
も打たず、全くの無為無策状態でしたね。あの時に「普通の常識的な判断が出
来る宰相」であったならば、阪神大震災では多くの人命が救われたことでしょ
う。 

しかしこちらに滞在していると、村山元首相など「あの人は今・・・」の世界
の人で、日本では何をしているかも分からないでいましたが、それが最近こち
らベトナムの新聞に、村山元首相の名前が載っていて、大変私の興味を引きま
した。 

その新聞記事によりますと・・・ 

ベトナムのグエン・タン・ズン首相は村山富市元首相に「友好勲章」を授与し
た。村山元首相は1994年、南北統一後のベトナムを日本の首相として初めて
訪問し、2国間関係発展の新たな道筋を作った。 

首相の職を退いた後、2000年に日本ベトナム平和友好連絡会議(JVPF)
JVPFを設立し、会長に就任した。JVPFはこれまでに、北部タイビン省での
枯葉剤被害者や社会援助センター建設への支援活動、北部ハタイ省での奨学金
支給活動などを行なっており、支援金額は数十万米ドル(数千万円)に上る。 

さらに村山元首相はホーチミン市内にあるL高校を訪れて、「村山日本語学
校」の開講式を行った。この日本語学校は、第2外国語として日本語を選択し
た学生を対象に、無料で授業を実施していく。 

ここを3年後に卒業した生徒たちは、日本語を生かした職業に就いたり、日本
に留学したりするなどの進路選択の可能性が広がってゆくことだろう。 
・・・・という内容でした。 

そして実はこの「村山日本語学校」を設立するに当たり、そこの学校の校長先
生として村山元首相がお願いしたのが、あの「あけぼの日本語学校」の校長の
Luan(ルアン)先生でした。 

Luan先生は、1994年に村山元首相がベトナムに来た時の通訳をしたの
が縁で、それ以来親交が続いているといいます。Luan先生の家には、2人
が並んで立っているその時の大きい写真が額に入れて今も飾られています。 

村山元首相は在任中にベトナムを訪問したのを機会に、今までも時々はベトナ
ムに足を運んでいたようです。その時には毎回Luan先生と会っていたよう
なので、そういうところからこの“公立高校の中に日本語学校を開講する”と
いう話に繋がっていったのでしょう。ベトナムでの日本語教育の普及という面
からは、それはそれで評価されることでしょう。 

そのLuan先生から「一度村山日本語学校を見学に来て下さい。」という誘
いがありましたので、当日の夕方にL高校へ行って来ました。 

L高校は校庭はさほど広くはありませんが、大きい木が何本も生えていて、歴
史を感じさせます。そして実はこのL高校は、ホーチミン市内で上位三本の指
に入るくらいのレベルの高い進学校です。 

ここで日本語を受けている全員の生徒(約240人くらいいるといいます)は
昼間の授業を受けてから、また夕方から週3回だけ月・水・金か火・木・土の
2グループに分かれて授業を受けています。Luan先生は、「ここの生徒た
ちのレベルは高いので、教えたこともすぐ吸収してくれます」と大変喜んでい
ました。 

私が訪問した時には、教室に20人くらいの生徒たちがいました。この日は全
部で3クラスの授業をやっていました。驚いたことには、すべてのクラスには
クーラーが備え付けてありました。さらには、またパソコンの機器やスクリー
ンもありました。これだけでもずいぶん恵まれていると言えるでしょう。 

しかしその使っているテキストを見ると、表紙に「村山日本語学校」のタイト
ルが切り貼りしてコピーしてありました。おそらく独自のテキストの準備まで
は間に合わず、既成のテキストの表紙に上から名前だけコピーしたのでしょう。 

この時点では、すべてのクラスがまだ“ひらがな”をようやく習い終わった頃
でしたが、挨拶の言葉は最初に教わっているらしく、私が教室に入ると全員が
立ち上がって「先生、こんばんは!」と元気に挨拶してくれました。 

Luan先生は授業の途中くらいから、教室内にあるパソコンの機器を使っ
て、日本の文化紹介のDVDを生徒たちに見せて解説していきます。それは日
本人である私が見ても大変興味深い内容でした。もちろん生徒たちも、DVD
が始まる前からどんな内容なのか期待に想像を膨らませていて、いざ画面が現
れると大喜びでした。 

Luan先生は私に、「せっかくですから、生徒たちに一言挨拶して下さい。」
と頼んできましたので、私も生徒たちに励ましの言葉を贈りました。 

「まだみなさんのような若い世代の人たちが、日本語を勉強しているのを見る
と嬉しい限りです。これからこの新しい学校でしっかり日本語を勉強して、将
来ここで学んだ日本語を生かして日本に留学したり、日本の文化を研究したり、
日本の会社で働いたり、日本とベトナムの架け橋になるような役割を果たして
下さい。」と励まして来ました。 

普通の日本語学校は、大学生や社会人くらいの年齢が多いのですが、この「村
山日本語学校」ではこれから毎年・毎年、若い高校生が入学して日本語の授業
を受けることになります。 

今ベトナム全土には約3万人の日本語学習者がいるといいますが、これから毎
年この高校で日本語を学ぶ生徒たちの存在は、日本とベトナムの高校生同士の
交流会などにおいても大きい活動の輪が広がっていくだろうと、私は期待して
います。 


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 ベトナムBAOニュース
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ベトナムの新聞に載った記事の中で、みなさんが関心を持ちそうなニュースを
お届けします。

「BAO(バオ)」というのはベトナム語で「新聞」という意味です。
「BAO読んだ?」とみんなが学校で話してくれるのが、ベトナムにいる私が一
番嬉しいことです。


■ ■ ■ 今月のニュース
<ベトナムに住んで生活している、市井の日本女性> 
今いろんな国から、肌の色や年齢を問わず、多くの外国人がベトナムに来て生
計を立てながら暮らしている。またヨーロッパ人のほかに、多くのアジアの女
性たちもベトナムで生活するために来ている。  

そして、このようなアジアから来た女性たちは、ベトナム人の女性たちと同じ
ように毎日を忙しく暮らしている。そしてこのベトナムで、彼等は楽しみと幸
福を見付けている。 

【ベンチでの日本語教室】
ミチコさんは、毎日朝5時に自分の一日の仕事を始める。急いで朝食のインス
タントラーメンを食べた後で、お昼ご飯を作って大学に持って行く。そしてバ
スを待って、人文社会科学大学に向かう。この時間にはまだ、大学の中庭にあ
るベンチに座っている生徒たちが少ないからである。 

「ここに座って教えるためには、早く行かないと場所が無くなるからです。遅
く行くと座る場所がないので、外の喫茶店に行って教えないといけなくなりま
すが、もったいないですからね」とミチコさんは話してくれた。 

【ベトナムに永く住みたい】 
ミチコさんは、今まで10年以上の永きに渡ってベトナムに住んでいる。 
「ベトナムと私との縁を懐かしく思い出しています」と、彼女は笑いながら話
してくれた。「私がベトナムに初めて来たのは1995年で、その時は数人の
友人と一緒で観光旅行に来ました。本当のことを言いますと、その時のベトナ
ムに対する印象は実に悪いものでした。」と、一人のシクロの男の話から語り
始めた。 

「私たちは“一時間5ドルだ”と値段を相手に確認して、シクロに乗りました。
でも往復して帰って来たら““一時間40ドルだ!”と、そのシクロの男は吹
っかけて来ました。その後日本に帰ってから、「今度ベトナムに行ったら二度
と騙されないぞ!」ということを証明しようと思って、一人でベトナムに戻っ
て来ようとこころに決めました。」と。 

そして南部のミート−地方に行った時に、彼女は川沿いに住むある一家と知り
合う機会があり、親交を結んだ。その田舎の素朴な家族の人たちと交際してい
くうちに、その前に抱いていたベトナムに対する悪い印象が徐々に薄れていっ
た。 

その後彼女は日本へ帰っても、(またベトナムに戻りたいなー)と、折にふれ
てはベトナムのことを思い出していた。そしてベトナムに対する愛情は益々大
きくなり、抑えがたいものになっていった。 

そして遂に「2001年にベトナムにそのまま住もうと決意して、日本にある
荷物をまとめて持ってベトナムに帰って来ました」と、ミチコさんは真情を
語ってくれたのだった。 

ミチコさんがベトナムに住もうと決意したもう一つの理由として、「ベトナム
の住み易さ」を挙げる。「自分は足が悪いので日本では普通の仕事には就けま
せんが、ベトナムでは日本語を教えることが出来るので、私のような障害者に
とってはベトナムのほうが暮らしやすいのです。」と。 

そして彼女は出来るだけ永くベトナムに“永住”するために、毎日倹約した生
活をこころがけているのだった。彼女が借りている部屋はホーチミン市の南の
7区にあり、広さは10平方メートルで、家賃は1ヶ月50万ドン(約3,700
円)である。 

ある日彼女の親しい知人が、日本語を習いたいという数人のベトナム人を彼女
に紹介した。その時から、ミチコさんは「日本語を教える先生」になったの
だった。「最初の頃は、私と学生たちはいつも喫茶店で待ち合わせして、その
中で私は日本語を教えていましたが、度重なるとコーヒー代がもったいないの
で、その後は大学の構内にあるベンチに座って教えるようにしました」と、話
してくれた。 

その最初の生徒が別の生徒を紹介してくれて、どんどん生徒が増えていった。
今は一人の生徒に、一回一時間、週に3回教えている。土曜も日曜も教えてい
る。学費は、仕事を持っている社会人からは一ヶ月15万ドン(約1100円)。
働いていない人からは10万ドン(約740円)もらっている。でも働いてい
てもお金がない人もいるし、苦学生はお金を持っていないし、そういうような
生徒からは3万ドン(約220円)しかもらわなかったという。 

一台の古いカセットと、二・三冊の日本語の文法書と、古ぼけて擦り切れた一
冊のベトナム語の辞書と、昼食用の二・三個のパン。・・・これがベトナムで
日本語を教えて生活している時の、ミチコさんのバッグの中身である。 

彼女は、「このようにして日本語を教える仕事から、毎月2〜3百万ドン(約
1万5千円〜2万2千円)くらいの収入があります。それで毎日の生活費は足
ります。あまりお金は持っていませんが、ベトナムで仕事をしながら生活出来
るのは大変幸せだと思います。私は日本人ですが、日本とは縁が薄かったので
す。ベトナムに来てから、私は自分の幸福を見付けることが出来ました。」と
話してくれた。 

【ベトナムとの縁】
彼女は悲しい話として、日本の自分の田舎についても語ってくれた。 
「実は私が産まれる前には私の家は裕福でしたが、父が悪い友達に騙されて会
社が倒産しました。それで私が生まれた頃から、私の両親は借金を背負い貧乏
になってしまいました。私に飲ませるためのミルク代もない状態でした。それ
で私はひもじい時には、自分の指をしゃぶっていました。それで今も私の指は
曲がっています。」と、彼女は自分の曲がった指を見せてくれた。 

「そして小学校3年の時に母が亡くなり、私は学校へ行くために私朝早く起き
て新聞配達の仕事をしたりしました。でも父の借金は膨らんでいく一方でした
ので、ついに私は大学に行くことは出来ませんでした。またある日、突然交通
事故にも遭いました。それで今も私の片方の足にはその後遺症が残っていま
す。」 

「それから私は自分に合った仕事を見つけるために、ヨーロッパやアメリカな
ど今までいろんな国へ行きました。でもこのベトナムに私は足を引き止められ
ました。その時までベトナムに住もうなどとは全然考えてもいなかったのに。
これもまたベトナムとの縁というべきでしょうか。」 

「今のベトナムは貧しくても平穏で、私のような体に障害のある者にも優しい
国です。それでずっとこのままベトナムに住みたいと考えています。」とミチ
コさんは話してくれた。 


(解説)
これを読んだ私のベトナム人の知人は、「まるでおしんのような人生ですね。」
と嘆息していました。実は私の知人はベトナムでも、日本でもこの記事の中の
ミチコさんに会ったことがあるそうで、「大変こころ優しい日本女性です。」
と、彼女についての感想を語ってくれました。 

彼が日本で病気で入院していた時には、まだ数回しか会ったことがないのに、
ミチコさんはわざわざ遠くから見舞いに来てくれて励ましてくれたそうです。 

私はまだ面識はありませんが、新聞記事には三葉の写真が掲載されていまし
た。その写真を見ると大変小柄な体躯をしていて、気品 の高そうな婦人で、芯
の強い印象を受けました。年齢は60歳を少し超えているくらいでしょうか。 

この新聞記事に書いてあるような過去の生い立ちや今の生活。このような人
が、今このホーチミン市で日本語教育に関わっておられると思うと本当に頭が
下がります。いつか、どこかでお会い出来ることでしょう。 

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アオザイ通信はweb版もあります。ベトナム人のフーンさんと結婚するまで
の春さん奮闘記、初めて日本を訪れたときのフーンさんの日記など、あなたの
知らないベトナムがいっぱい! http://www.te-campus.com/eco/

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