2005/04/02
風を集めて─うつわ屋さんのメールマガジン─2005年4月2日 春の日に
あたりまえなのだけれど 冬が過ぎて 春になった 裸になっていた木々の枝先に ちいさな新芽が伸び始めている 一年前の春 どんな思いで迎えていたのか 年齢をとるにつれ あやふやなものになっている 子供の頃は 去年の春休みの出来事も 一昨年の春休みの出来事も 鮮明に覚えていたというのに 40を過ぎて迎える春は 何度かの春の出来事に重なり合って 混ざり合って それこそ ぼんやりとした春霞のなかにあるようなものになっている 花見に出かけたのも もう どれくらい前のことだろうか 最近では 車の中や電車の窓から桜を見るくらいで 降りしきる桜の木の下に立つということなど なくなってしまった 桜の木の下で感じる あの浮遊感 たまらなく好きだったのに ブナの木の幹に耳をつけると 根から水を吸い上げる音が聞こえると そんな話を聞いたことがある ほんとうのことなのか いまだ試したことがないので なんともいえないのだけれど この時期 林のなかにはいると 確かに 生命の息づく音が聞こえてくる 寒い冬を じっと耐えて 生命の根を育ててきた力が いっせいに解き放たれ 空に向かって放出されていくような そんな とてつもないエネルギーを感じることがある 大きな木でも ちいさな木であっても 自分の木を一本見つけてごらんなさいと なにかの本で読んだ 一本の木に向かって なにかを語りかけ なにか悩み事を打ち明け 喜びを伝えていく 木の下で そうして語りかけていくことは 自分の木に語りかけていくことは とても精神を落ち着かせることなのだと その本には書かれてあった 内緒なのだけれど 私にも 一本の木がある 毎朝 「おはよう」と声をかける 一本の木がある


