2008/02/17
元宝塚歌劇団水穂葉子のおもしろエッセイ第63号
【今日のタイトルは“世界に翔く鶴のマーク”】 一月の二十日過ぎのある日、フト観たTVのニュース番組で、たった一機 飛んでいた日本航空の鶴のマークの飛行機が今日でその姿を変えると・・ それを聞いた時の寂しさ・・・・・ 私と日本航空の出逢いは昭和35年のことです。未だ飛行機を利用する 人の方が珍しい時代、もちろん私も空を飛ぶのは鳥丈!ましてやあの鉄 のかたまりみたいな物が空を飛ぶナンテと思ってた時代ですから・・・。 親友の結婚式のタメ、丁度宝塚の舞台の真最中だった私は、日帰りで夜 のお稽古には必ず出ますということで許可を頂いたので、どうしてもど うしても飛行機に乗らねばならなかったのです。(その頃は今の“のぞ み”のような新幹線はありませんでしたから)あまりの緊張のタメ飛行 機が滑走路へ向かって動き出したナンテ全然知らず、フト外を見た瞬間 (飛行機の高さがビルの3階程の高さだナンテもちろん知らない時代で すから)エーッ? 何で伊丹のターミナルビルが動いてるの?とベルト をしていたからいゝようなものゝ、本当に飛び上がらんばかりに驚いた ものです。ビルが動いたのではなく飛行機が動き出したと気附く迄に一 寸時間がかゝったようです。今の人が聞いたら何なのだ笑うかも知れな いけれどそれ程飛行機に乗るということが大変で珍しい時代だったと云 えるでしょう。日本が自由貿易化したのが昭和38年。40年に初めて 海外へ飛び発ちました。もちろん日本航空!翌年にはハワイ公演、その 頃の宝塚の海外公演は、全部日本航空にお世話になったのです。 1968年、宝塚の舞台のお休みの間にフライトNo1という日本航空の世 界一周便に乗って私はヨーロッパ、アメリカへと出発しました。 ロンドン→ニューヨーク、大西洋の上も日本航空で飛びました。今では 考えられない良き時代だと云えるでしょう、その飛行機のキャップテン の御厚意により、私が初めてアメリカ大陸と出会ったのはコックピット の中からでした。夕もやにかすむ前方にマンハッタンの高層ビルが見え た時、アーこれがアメリカなんだ、これがニューヨークなんだ、もうど うしようもない程の感動が私をおそいました。“ラプソディー・インブ ルー”のメロディーが聞こえて来るようでした。その頃の飛行機の中の 空間は、又とても素敵でした。客室乗務員の方は途中で和服に着替えら れ機内サービスをして下さり、全てがゆったりと・・・いゝ時代だった と思います。いつも、私は云ってました。“世界に翔く、鶴のマーク!” って・・・・その鶴のマークに乗って何十回世界のイロイロなお国を覗 いたことでしょうか・・・・・・一人旅の時等、例えばロンドンのヒー スロー空港等大きい空港の時、ほとんどが外国の飛行機の間にチラっと あの赤い鶴のマークを発見した時のうれしさ! アー、日本がある!日 本がすぐそこにある!安心感というか、懐かしさ、暖かさというか・・・ 海外旅行が大好きナンテ云ってたって、どれ丈自分の国が大好きかと云 うことを実感する瞬間でした。そのニュースを観てた時、そこに出演さ れている有名なコメンテーターの方が“アー淋しいナー、あのマークが 全部変わっちゃうナンテ、自分は海外勤務が多かったので家族が来た時、 空港であの鶴のマークを見ると何かホットしてうれしくてネー”イヤー 同じ気持ちの人がいた!TVじゃなかったら飛んで行って握手したい気持 ちでした。 大きな企業が合併するのが当たり前の今の世の中ですから、それもいた しかたがないけれど、鶴のマークは変わっても、私の一寸おそめ?の青 春の想い出は、日本航空と共にあるのだから、これからも安全を第一に、 沢山の人々の夢をイッパイに乗せて、世界の空に素敵に翔いていってほ しいです・・・・・・・・・・・・・・・ 今年の冬は寒いですネ、東京でももう三回も雪が降りました。雪と云え ば、もう20年程前未だ日本航空の、モスクワけ径由、ロンドン行きあ った頃、丁度年末からヨーロッパへ行く折、給油のためモスクワへ寄り ました。モスクワはすごく雪が降ってました。一時間程後、再び機上の 人となって、丁度お席が、翼のすぐ横の席だったのですが、フト外を見 ると、何かその翼の上で動いているものがあるじゃないですか?もう夕 暮れとてよーく見たら、何と人が翼の上で、ほうきみたいなクマでみた いなもので、雪かき?してるじゃありませんか、20年前だって、飛行 機の翼の上の雪だったら、何かホースみたいなのでジャーっと雪をかく のかと思ってたら、モスクワでは、クマ手で雪かきをしてました。 何か日本の雪国をフトその時思い浮かべました。懐かしい想い出は鶴の マークと共に・・・・・・大切な、大切な、私にとっての宝物です! では、又!


