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    <title>医療と仏教の協力関係をめざして</title>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７５&lt;br /&gt;御案内　2008/9 (B.E. Buddhist Era,仏暦2552）&lt;br /&gt;「維摩経」の「仏国品」には舎利弗が「仏陀はお悟りになられた。諸法の実相、&lt;br /&gt;平等の法を悟ったとおっしゃるけれども、この世の中はどこにも平等はなく、&lt;br /&gt;相変わらずでこぼこで、瓦礫の山であって、清らかなもの、真実なるものはど&lt;br /&gt;こにもありません。あなたがさとったとおっしゃっていることは、あなたの頭&lt;br /&gt;の中、胸の内にある話であって、他の者にとって、それはまったく見えないこ&lt;br /&gt;とであり、関係のないことだ」と釈尊に問うた、と出ているそうです（平野修&lt;br /&gt;先生の講義録より）。釈尊と弟子の生々しい問答が目の前に展開されています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　現実に悩める衆生を救う世界（涅槃寂静；全ての束縛から解放された世界）&lt;br /&gt;に目覚めたと言うけど、それはお釈迦さんの頭の中だけの現実離れした話では&lt;br /&gt;ないですかと責め、問われているのです。現代人にとっても同じ課題が聞法（学&lt;br /&gt;仏）の場でよく問題になることがあります。それに十分納得のいく答え、対応&lt;br /&gt;がなされているだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　釈尊は具体的な赤裸々な訴えにどう応えるか。それはまさに仏教の存亡が問&lt;br /&gt;われる、&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080918221500000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７４&lt;br /&gt;御案内　2008/8 (B.E. Buddhist Era,仏暦2552）&lt;br /&gt;　ある新聞（商業新聞ではない）を読んでいたら驚くことが書かれていました。&lt;br /&gt;私の日頃抱いてイメージとは違っていたからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本の治安は良くなっているか？　悪くなっているか？　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;最近のマスコミの報道を見、聞くにつけ、サリンの事件以後、日本の治安は&lt;br /&gt;悪くなり、無差別な殺人事件などの報道を聞くと、凶悪犯罪が増えてきている&lt;br /&gt;というイメージを私は作り上げていたのです。その新聞で識者が指摘している&lt;br /&gt;のは警察庁の統計です。これは公式の国の統計ですから、限りなく正確だと思&lt;br /&gt;うのです。それによると、凶悪犯罪などの発生件数は最近の５年間、減少傾向&lt;br /&gt;にあり、平成１９年は一番少ない件数で示されています。事件での犯人の検挙&lt;br /&gt;率はやや悪化していますが。種々の犯罪の件数のみで判断すれば、一番治安の&lt;br /&gt;いい時期ということが出来ます。そのためか中国の治安関係者は日本の制度か&lt;br /&gt;ら学ぼうとしているとのコメントに出会うことができました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それなのになぜ？　マスコミの報道からはそんな情報は読み取れません。 そ&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080918220000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７３&lt;br /&gt;御案内　2008/7 (B.E. Buddhist Era,仏暦2552）&lt;br /&gt;私を苦しめ、悩ますもの（5）&lt;br /&gt;人間の理性知性分別のあり方は、課題がでてくると、課題の問題点を出来る&lt;br /&gt;だけ洗い上げて、問題点の内容を検討する。問題点の原因を考え、問題点解決&lt;br /&gt;のための優先順位をつけながら、課題解決に向けて、取り組んでいく。その結&lt;br /&gt;果うまくいくことも、うまくいかないこともある。順調にいって課題が解決す&lt;br /&gt;ればいいのですが、思うように解決しない場合は、「困ったなあ！」となる。&lt;br /&gt;これが我われの多くの苦悩のもとになることであります。言い方を変えれば「思&lt;br /&gt;うようにならない」と言うことです。この事の問題点の一部を指摘しているの&lt;br /&gt;が以下の養老先生の文章である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現代：　　（養老孟司、１９３７年生まれ）&lt;br /&gt;　現代社会には、大きな特徴が二つある。７０才まで生きてきて、その間の変化を見てい&lt;br /&gt;て、そう思うようになった。&lt;br /&gt;　一つは「ああすれば、こうなる」である。世の中のすべては、これで進行する。私はそれ&lt;br /&gt;を批判するが、多くの人が「それでなにが悪い」とポカンとするのではないか。&lt;br /&gt;　むずかしく言えば、予測して、&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080713211000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７2&lt;br /&gt;御案内　2008/6 (B.E. Buddhist Era,仏暦2552）&lt;br /&gt;私を苦しめ、悩ますもの（4）&lt;br /&gt;我々は私の置かれている周囲・環境・状況をつぶさに観察して私にとって都合の善いも&lt;br /&gt;の、都合の悪いものを峻別していきます。そして対象のモノは自分にとって快か・不快か、&lt;br /&gt;利用価値があるか・ないかと分別していきます。自分にとって好ましいものをできるだけ&lt;br /&gt;多く集め、自分の周囲に配置します。そして自分なりに想定した「しあわせ」観をめざし&lt;br /&gt;て進むことになります。そこでは確固たる私（自分、我）はある、変わらない私があると&lt;br /&gt;思い、私が考えたこと、私が見たこと（我見）は間違いないと思ってしまっているのです。&lt;br /&gt;長年人生経験を積んできて、それなりの実績を積んできた者には、自分の思いに自信もあ&lt;br /&gt;るのです。しかし、人間の一番基本的な哲学的な課題、「生きる意味」などは考えても分&lt;br /&gt;からない、と考えることを避けて来ています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それよりも世俗的なことで忙しい、暇になったら考えてもみるが、ひとまず家族が食べ&lt;br /&gt;て行くこと、生活の安定をはからなければと考えるのです。どうしたら安定した生活を確&lt;br /&gt;保することが出来るか。考えることは自然と安定した価値ある&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080607225000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７1&lt;br /&gt;御案内　2008/5 (B.E. Buddhist Era,仏暦2552）&lt;br /&gt;私を苦しめ、悩ますもの（3）&lt;br /&gt;天親菩薩の願正偈(浄土論)の一節に浄土の徳として「究竟(くきょう)如虚空、廣大無邊&lt;br /&gt;際（へんざい）」（究竟して虚空の如く、広大にして辺際なし）があります。平野修師の&lt;br /&gt;講義録によると無邊際とは辺鄙(へんぴ)な所がないという意味、辺鄙(辺地)な所がないと&lt;br /&gt;いう意味は誰もが中心(真ん中)にあると感じることのできる世界ということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;辺地にいるとは自分の人生に真向きになれず、自分の現実を中途半端な受けとりをして&lt;br /&gt;いる、例えば、これは私の人生の本番ではない、本番への準備か、準備としての今なんだ。&lt;br /&gt;本当は今が本番なのに斜めに構えて、正面で受け取らないで、中心の周りをうろうろして&lt;br /&gt;いるかの如くにあるのが、“辺地にいる”という意味です。自分の人生を主体的に受け取&lt;br /&gt;れずに、与えられた条件が悪い、やる気が起こらない、私にふさわしい条件の所に場所移&lt;br /&gt;動したい、等々と自分の境遇に愚痴を言っているということです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分がなぜこの時代に、この国に、この地に、この家・両親のもとに、この身体で、こ&lt;br /&gt;の容貌で、この&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080511202000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０７０&lt;br /&gt;御案内　2008/4 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;私を苦しめ、悩ますもの（2）&lt;br /&gt;私を苦しめ、悩ますもの、すなわち苦悩の原因は私を取り巻く種々の外の状況では&lt;br /&gt;ないと仏教は教えるのです。外側の種々の条件は苦悩の縁にはなるが、原因ではない&lt;br /&gt;ということでしょう。しかし、かって私の青春期に「なぜ、こんな私に生まれたのか。&lt;br /&gt;なぜ、この親に、なぜこの家庭に、なぜ、この能力に、なぜ、この容姿に、なぜこ&lt;br /&gt;の日本に、なぜ、この時代に、なぜこの宇佐市に、等々」、私の現実を受け取れず、&lt;br /&gt;恨むことさえありました。当時の私にとって私を苦しめ、悩ますものは私の周囲の外&lt;br /&gt;の状況が全てだと考えていたのでした（外の状況が原因（因）で私を苦しめる、悩ま&lt;br /&gt;す（果）と考えるのを因果律という）。現代人の多くの思考は政治・経済で種々の外&lt;br /&gt;の状況を改善することで人々は幸福になれる、苦悩から解放されて豊かな社会が実現&lt;br /&gt;すると無邪気な楽天主義で生きているように思われます。&lt;br /&gt;堤日出雄先生の講義録（日の里歎異抄の会通信、2007/12/17より）には、続いて&lt;br /&gt;「若い人が結婚する時、ほとんどの人が、この相手とならばきっと結婚生活がうま&lt;br /&gt;くいくに&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080404215000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６９&lt;br /&gt;御案内　2008/3 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt; 私を苦しめ、悩ますもの（１）&lt;br /&gt; 我々は世の中の出来事や人々の行為、事件、そして自分の身の回りの出来事や自分の&lt;br /&gt;身体のことに対して、心配したり、腹を立て憤（いきどお）ったり、うらやましく&lt;br /&gt;思ったり、くやしい思いや、嫌になったり、なぜ私がこんな病気にと不安を感じた&lt;br /&gt;り、いろいろと心を痛めます。その乱れた心が煩悩の心で、「惑（わく）」ともいい&lt;br /&gt;ます。「惑」の心が次ぎに何らかの行動を引き起こします。しかし、「惑」の心は自&lt;br /&gt;分では迷っているとは自覚してないことが多いし、かえって自分の正しさ（仏の智慧&lt;br /&gt;でみると独りよがり、我見・邪見）に自信さえ持っています。そのために思うように&lt;br /&gt;ならない展開になると、さらに腹を立てる、つい「大きな声や手が出る」というよう&lt;br /&gt;なことにもなります。すると結果として人間関係に摩擦を起こし、人に嫌（いや）な&lt;br /&gt;思い、迷惑をかけたり、自分自身も痛い目に会うということもあり、その結果、後悔&lt;br /&gt;の念や罪の重さに、自責の思いで自分が苦悩するという悪循環になってしまいます。&lt;br /&gt;煩悩という「惑」が、行動を起こし（「業」）、結果として苦悩する（「苦」）とい&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080404214500000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６８&lt;br /&gt;御案内　2008/2 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;「医師が読む歎異抄」（２）雑誌『大法輪』2008年2月号掲載（ｐ123－128）&lt;br /&gt;（１月よりの続き）&lt;br /&gt;病気に対して分析的に解明しようとする医療者の発想方法からは「南無阿弥&lt;br /&gt;陀仏」は全く受け取れないでしょう、大きな世界、無量光、無量寿で示される、&lt;br /&gt;分別を超えた大きな智慧と慈悲で示される世界は人間の分別では把握出来ない&lt;br /&gt;のです。「大きな世界は感得するしかありません」とお聞きしています。書物&lt;br /&gt;での仏教の理解も大切ですが、限界があります。仏の働きに触れる為には僧伽&lt;br /&gt;（さんが）と接点を持つことが大切です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;第二章では、よき師、よき友との出会いについて書かれています。人生の師&lt;br /&gt;との出会いは得難いものであります。我々の自分の人生を成就するために、種&lt;br /&gt;々の情報を集め、その中から良いところを取り込んで行こうとする方法では、&lt;br /&gt;なかなか自我の壁はこえられません。よき師に出会い、人格的な出会いや僧伽&lt;br /&gt;の雰囲気から感得される仏のはたらきに触れることを通して、念仏の心がうな&lt;br /&gt;ずけていけるのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080130232000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６７&lt;br /&gt;御案内　2008/1 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;　明けまして　おめでとういございます。&lt;br /&gt;　今年も、本願,南無阿弥陀仏、お念仏の心、すなわち「人間に生れてよかった。生きてき&lt;br /&gt;てよかった、という人生を生きる者になってほしい」という仏の心をさらに深く尋ねて、&lt;br /&gt;共に聞法して歩みましょう。　合掌&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;「医師が読む歎異抄」（１）雑誌『大法輪』2008年2月号掲載（ｐ123－128）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よき師の教えと『歎異抄』&lt;br /&gt;　私は学生時代に故細川巌先生（福岡教育大名誉教授）にお遇いして以後、浄土真宗のお&lt;br /&gt;育てを３０数年頂いてきました。消化器外科の専門医として仕事をしてきましたが、現在&lt;br /&gt;の国東市民病院の管理職に就いてからは外科の仕事はやめました。その後、医師としての&lt;br /&gt;仕事をつづけてきましたが、約４年前に１０年間、管理職を務めて勇退し、現在民間病院&lt;br /&gt;で医師として地域の家庭医のような仕事と介護を必要とする入院高齢者、約５０名を担当&lt;br /&gt;しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　仏教の方は大分県下数か所で毎月「歎異抄に聞く会」を主催して講師としてお話をさせ&lt;br /&gt;ていただいています。よき&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20080130231000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６６&lt;br /&gt;御案内　2007/12 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　人生の教訓や知恵は最初は自分の頭の隅にとどめておくとか、自分に言い聞&lt;br /&gt;かせ、それに沿って生きる努力をしているうちに、身体で頷き、身についてく&lt;br /&gt;るようなものでしょう。それは縁あって仏法を学ぶようになった場合も同じだ&lt;br /&gt;と思われます。学仏とか求道ということは仏道を歩くことだし、歩いているう&lt;br /&gt;ちに足腰がしっかりして自覚も深まり、そう生きさせてもらっている内に感動&lt;br /&gt;や喜びも出てくるものでしょう。浄土真宗の場合は信者と言うよりは念仏の行&lt;br /&gt;者という表現が適切であるとお聞きしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　念仏の教えも、念仏を喜ぶ年長の家族がいて良い印象を受けている所は例外&lt;br /&gt;として、その心をなかなか受け取れないものです。念仏の教えに触れてない者&lt;br /&gt;には、意味の分からない呪文みたいに思えて、理知的であることを信条として&lt;br /&gt;生きたいと思っている人には、念仏することに大きな抵抗があります。人によ&lt;br /&gt;っては生理的に拒否感を感じるようであります。浄土真宗の葬儀の時でも、式&lt;br /&gt;の後半の正信偈を唱和される中を、参会者が仏前にお参りするときの仕草を間&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20071209000000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６５&lt;br /&gt;御案内　2007/11 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;仏法のお育てをいただくということは頭に仏教の系統だった知識を増やすと&lt;br /&gt;いうこともありますが、知識の蓄積に留まらず、大事なことは智慧の光に照ら&lt;br /&gt;されて自分の姿、愚かさ、小賢しさに気づかされていくことであります。また&lt;br /&gt;仏教を生きている人の言葉、その身体全体の雰囲気から暖かくもあり、厳しく&lt;br /&gt;もある感化をうけるということも非常に大切なことであります。その感化を受&lt;br /&gt;けることが積み重なり、仏の働き、智慧の視点を身体全体でいただいていくよ&lt;br /&gt;うになるのでしょう。仏の心・働きをよき師・友を通して感得し、（僧伽（サン&lt;br /&gt;ガ、求道者の集い）という場のはたらきにも感銘を受け）、そのうなずきを仏教&lt;br /&gt;の知識はあとから理知的に納得して構築していく取り組みであるように思うの&lt;br /&gt;です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、理知的な取り組みは対象化というか対象論理の発想の限界につかま&lt;br /&gt;り、よく思考したり、全体を見渡しているつもりでも、結果として自分のこと&lt;br /&gt;が思考の中に入ってなかったり、先入観や我見（註１）に執われていたり、全&lt;br /&gt;体が見えてなかったりしている私&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20071104180000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６４&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　御案内　2007/10 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;地獄を見た（3）&lt;br /&gt;詩人、石垣りんの詩集「表札など（S43.から）」に「くらし」と題した詩があ&lt;br /&gt;ります。　&lt;br /&gt;「くらし」　　石垣　りん&lt;br /&gt;　食わずには生きていけない　メシを　野菜を　肉を　空気を　光を　水を　&lt;br /&gt;親を　きょうだいを　師を　金もこころも　食わずには生きてこれなかった。&lt;br /&gt;　ふくれた腹をかかえ　口をぬぐえば　台所に散らばっている&lt;br /&gt;　にんじんのしっぽ　鳥の骨　父のはらわた&lt;br /&gt;四十の日暮れ　私の目にはじめてあふれる獣の涙。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の動物性（仏教では畜生）に目覚めた懺悔（仏教での読みは「さんげ」）&lt;br /&gt;の表白と受け取ることができます。また、私たち人間の社会が本当に人間の社&lt;br /&gt;会になっているか、を考えさせる詩があります。それは「一番好きなもの」と&lt;br /&gt;題する関本理恵（１８歳）さんの詩です。&lt;br /&gt;　　「一番好きなもの」　　　関本理恵&lt;br /&gt;私は高速道路が好きです　私はスモッグで汚れた風が好きです&lt;br /&gt;私は魚の死んでいる海が好きです　私はゴミでいっぱいの町が好きです&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20071104173000000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000093340/20070920221500000.html</link>
    <description>________________________________________&lt;br /&gt;医療と仏教の協力関係を　　　No.０６３&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　御案内　2007/9 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;地獄を見た（２）&lt;br /&gt;ある方からかって介護相談を受けたことがあります。（H.Y.さんより‘０４年４月）&lt;br /&gt;　私の母は、満８７歳で、要介護度４の認定を受けております。７５歳頃の時、膝の骨の病気に罹&lt;br /&gt;り進行は止まりましたが、以降、徐々に足が不自由になり、よく転倒して鎖骨、左腕上腕骨、背骨&lt;br /&gt;の圧迫骨折などを繰り返しました。４年前の背骨の圧迫骨折後は、いよいよ一人での歩行が難しく&lt;br /&gt;なり、ヘルパーさんやデーサービスを利用させながら、夜は、私が勤務を続けながら在宅で介護し&lt;br /&gt;ておりました。しかし、身体的不自由さに加え、軽い見当識障害も出始め、勤務を続けながらの在&lt;br /&gt;宅介護が難しくなりましたので、在宅介護に専心するため３年前に退職し、ヘルパーさんやデーサ&lt;br /&gt;ービスなどの援助を受けながら、空いた時間に執筆などをしつつ介護を続けてきました。―中略―　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父は３５年前に亡くなっておりますし、私は一人っ子なので、介護は全て私一人（ヘルパーさん&lt;br /&gt;などはお願いしていますが）でやっております。夕方か&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20070920221500000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力関係を</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６２&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　御案内　2007/ 8 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;地獄を見た（１）&lt;br /&gt;聞法の先輩から、「仏さんの光に照らされて私の心の闇が破られると、さらに深い闇が見てくる」、&lt;br /&gt;という趣旨の話をお聞きしたことがあります。その時は、エー、闇はなくならないのか！、と何か&lt;br /&gt;漠然とした不安を感じた。我々の予定概念では闇が晴れれば明るい世界が出てきて安定したものへ&lt;br /&gt;と導かれると思っていたのに。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;梶原敬一師（小児科医師、僧侶）の「生きる力」(東本願寺出版、2006年)を読んでびっくりし、&lt;br /&gt;教えられたことは、まさにさらに深い闇、「怖い世界を見てしまった」という印象でした。仏教で&lt;br /&gt;は、仏の徳を「六神通」（人知を超えた仏の自由自在な能力）で表し、特別な能力を備えていると&lt;br /&gt;いいます。その中に「他心智通」があります。人の心、考えていることが分かることを大きな能力&lt;br /&gt;としてあげています。無量光（仏の智慧を表す）は私の心をかげなく照らし出し見透かしていると&lt;br /&gt;いうのです。逆にいうと私たちは人の心が分からないのです。自分の心を知り通しているかという&lt;br /&gt;と、知らないと所が残るのです。いくら反省を繰り返して自分の心を見つめていっても最後には&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20070815152500000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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    <title>医療と仏教の協力</title>
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    <description>医療と仏教の協力関係を　　　No.０６１&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　御案内　2007/ 7 (B.E. Buddhist Era,仏暦2551）&lt;br /&gt;無量寿を生きるもの（２）　前回（６月の案内）からの続き；&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;宗教の「宗」という意味は中国の天台大師智ぎ（ちぎ）が「宗とは要（かなめ）なり」と表現して&lt;br /&gt;います。真宗と言うことは生きることの要、一番大切な中心という意味が「真宗」という意味です。浄&lt;br /&gt;土真宗という言葉を親鸞聖人は宗派の名前として言われたことは一度もありません。浄土とは場所の&lt;br /&gt;概念ではなく、迷い、理知・分別に執われている自分に目覚めた「今」に開かれる世界です。目覚め&lt;br /&gt;の場が浄土です。場所の概念でなく場というのは「今、ここ」という意味での場です,目覚めの時と言&lt;br /&gt;った方が適切かもしれません。世俗の世界を生きる我々に一瞬一瞬、陰なく照らし出す無量の光が、&lt;br /&gt;今、ここで、私に当たり、私が転じられる場、時のようなものでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;理知分別で効率、能率，役に立つ・立たない、迷惑をかける・かけない、能力のある・ない、の&lt;br /&gt;モノサシで自分を内外から律しながら、自分の思いを実現しようとして取り組み、都合のよいものは受&lt;br /&gt;け取り、当然の如くし、恩なんて思いもしない、都合の悪い物は拒否し、それが自分自身の事だ&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000093340/20070802220500000.html"&gt;続きを読む&lt;a&gt;</description>
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