2009/12/20
暮らしの中の仏教語 今日の法話 第275話
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--------暮らしの中の仏教語 第275話------------
*******今回のお話は「倶会一処」*****************
毎月10.20.30日発行
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第275話 通算934話 倶会一処
今日の新聞に、墓地の話が出ておりました。
墓地は人間を卒業した人の遺体か遺骨をおさめるところですから、
人生の終着点とも言えます。終の棲家とも言えます。
墓地と聞いただけで、マイナスイメージを持つ人もいれば、
こころ安まる思いを抱く人もいますね。
今日の新聞記事に登場した人は、後者のようでした。
「倶会一処」と刻まれた墓石を見るたびに、ほっと安心し、
死んだ娘と会っているような気がするというのでした。
その方は、倶会一処(くえいっしょ)を
「この墓地に来れば、この世とあの世の人が会えるんだ」と
解釈なさっているようでしたが、それでよいのでしょうか?
○○家之墓とか先祖代々之墓と刻まれた墓石より、
前向きで暖かみのある墓石には違いありません。
最近は、絆・縁など、いろんな語句の彫られた墓石を見かけます。
ところで、倶会一処は阿弥陀経にある言葉で、
「極楽浄土に生まれた者は、皆ヒトトコロで会うことが出来る」
ということです。
この世でもあの世でも、誰かと会うためには、
時間と空間を一致させなければなりません。
時間が一致していても、
場所がアッチとコッチに別れたままで会えませんね。
同じ場所で待ち合わせをしても、
片方が時間マチガイをしていたのでは、これまた会えません。
会うと言うことは、
同じ時間と同じ空間を共有することに他ならないからです。
この世で楽しく暮らしている二人でも、
やがて死別によって空間を異にする時が来ますね。
更に死後、行き場が地獄と極楽に別れたのでは、もう会えません。
追いかけるように地獄へ行ったとしても、
地獄は寿命の極めて短いところですから、会う閑など無いのです。
二人とも極楽に行ってこそ、倶会一処が成立します。
是非、徳を積んで寿命の長い極楽に行き、
会う瀬を楽しむことに致しましょう。
終わり
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編集後記
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回は来年になります。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
A.K.
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