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今、時代は大きな転換期にあると思います。この時代の性格と、今後わたしたちに何が問われているかを、世界や日本の主な出来事の分析を通じて考えます。

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2009/08/10

インターナショナル65

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                  ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル
                 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 メール版第65号(通巻189号)      2009年8月10日発行
 発行所:MELT
     ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/
          Eメールアドレス   melt-ks@jn3.so-net.ne.jp
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わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか?
だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方
と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 
 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考
えてみたい人たちのためのメールマガジンです。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
今号の内容:
1:私たちの世界は(日本):●総選挙で何が問われているのか
         政権交代による政党再編と次代を構想する戦略的分岐
         -「鳩山政権」には、社民党という「錨」が必要だ-
2:【時評】地球温暖化は止まらない
          -地球温暖化「二酸化炭素犯人説」のウソ-
3:運動と組織のありかた(政党と民主主義)●3回目の浅沼集会
     反貧困を闘いつづける人々と護憲勢力はどう繋がれるのか
       -25条と9条の乖離、戦後左派の限界の自覚を- 

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1:●総選挙で何が問われているのか

     政権交代による政党再編と次代を構想する戦略的分岐

     -「鳩山政権」には、社民党という「錨」が必要だ-

 7月12日に投開票が行われた東京都議会選挙で、自民、公明両党が過半数割れ
となる惨敗を喫した翌13日、麻生首相は異例の解散予告を表明した。
 その後、予告された21日に衆議院が解散されるまで、「反麻生グループ」が
要求した両院議員総会の開催をめぐって自民党の内紛が顕在化したが、21日に
は予告通り衆院が解散され、8月18日公示、同30日投開票の総選挙日程が確定し
た。
 昨年9月、リーマンショックと重なった麻生内閣の発足から11カ月、小泉政権
が強行した「郵政解散・総選挙」からはほぼ任期いっぱいとなる4年近い時を経
て、安倍、福田、麻生と3人の首相の首をすげ替えて延命してきた自公連立政
権は、ようやくその評価を選挙で問われることになった。
 ところで今回の総選挙は、自公連立与党の過半数割れと野党・民主党の第一
党への躍進が予測され、だからまた民主・社民・国民新の三党連立による「鳩
山首班内閣」成立の可能性も高い、それ自身として画期的な転機をはらんでい
る。
 もちろんこうした政権交代を、保守二大政党下における「第二保守政権の登
場」と一刀両断に切り捨て、理想的政治の高みから傍観することも可能であろ
う。
 だが、解散直前まで繰り広げられた自民党内のドタバタ劇は、総選挙向けに
総裁の首をすげ替える「党利党略」どころか、個々の議員たちの保身-総選挙
での生き残りに汲々とする「私利私略」に満ちたドロ試合の様相を見せ、この
党が統一した政治戦略を見い出せないばかりか政党としての共通基盤すら喪失
し、その歴史的役割を終えつつあることを印象づけるものであった。
 だがそうだとすれば、「政権交代」という総選挙の焦点は、半世紀におよぶ
「自民党の時代」に終止符を打ち、次の数十年間の日本社会の在り方とそれを
達成する戦略的展望をめぐって諸勢力が争う、政党再編をはらんだ流動化の局
面を開く歴史的転機という性格を帯びるのは当然であろう。
 ではなぜ「自民党の時代」は終焉しつつあるのか、そこから考えてみたい。

▼アメリカの危機と自民党の混迷

 改めて確認するまでもないが、自民党が体現した戦後日本の政治が、歴史的
転機に直面したのは初めてではない。
 「戦後は終わった」と言われた60年代以降だけでも、70年代初頭のドルショ
ックと米中国交回復、80年代半ばのドル危機とプラザ合意を契機とする円の高
騰、そして90年代は東西冷戦の終焉とバブル崩壊後の長期不況と、国際政治と
経済が大きな変化に見舞われるたびに、戦後日本の政治的枠組みの「制度疲労」
が指摘され、自民党の政権独占もまた試練に直面してきた。
 それでも自民党が、例外的な短期間の下野を除いて政権を独占しつづけてこ
れたのは、経済的には、巨大なアメリカ消費市場が日本製品を大量に飲み込む
ことで「輸出立国」なる日本の経済戦略が補完されてきたからであり、外交的
には、アメリカの圧倒的な覇権国家としての地位が、日米安保体制をして日本
外交戦略の「代替品」として有効性を担保してきたからである。
 小泉政権が、「日米同盟」を強調することでその本質を明確にした親米路線
は、文字通り戦後日本の国家戦略の本質でもあったのであり、この国家戦略が
有効であった限りにおいて、自民党は政権を独占しつづけることができたので
ある。
 だが、ブッシュ政権が始めた「テロとの戦争」がイラクで挫折し、昨年9月の
リーマンショックがアメリカ経済を深刻な危機に直面させたことで、この戦後
日本の国家戦略は根底から揺さぶられることになった。
 中でもアメリカが陥ったリセッション(景気後退)は、戦後資本主義の繁栄
の要である「開放されたアメリカ市場」がその限界を露呈したことで、極めて
重要な変化を国際経済にもたらした。
 というのもこのリセッションは、すでに70年代には明らかになっていた国際
的な過剰生産(過剰供給)による不況、つまり景気循環的な不況の再来ではな
く、80年代半ば以降にアメリカで持て囃された、金融主導の「新たな発展モデ
ル」の破綻だからである。
 この「発展モデル」は、過剰供給状態を意図的な「信用膨張」によって解消
できるとする、言い換えれば「需要の先食い」を意味する割賦販売(ローン)
を新たな金融技術によって際限なく膨張させ、半ば強制的に消費市場に吸収さ
せる「過剰消費」状態の創造だったが、それは結局サブプライム・ローン問題
に帰結したのである。
 したがってこのモデルの破綻は、「拡大しつづける大衆消費」という戦後資
本主義の幻想を解体し、同時に「輸出主導の景気回復」という自民党の伝統的
な経済展望を根底から揺さぶることになった。しかもアメリカ発の世界的な金
融恐慌は、これに対応すべく開催された「主要20カ国首脳会議」(G20)で、
ドルを国際基軸通貨としたブレトンウッズ体制の改編が公然と提唱されたこと
が象徴するように、「アメリカの時代」の終焉を、少なくとも「アメリカ一極
体制」の終焉を印象づけることにもなった。
 つまり今日の日本政治は、この「アメリカの時代」の終焉に対応した国家戦
略の再構築に向けて、アメリカ経済のキャッチアップによって、主要にアメリ
カ消費市場向けの輸出に依存する経済戦略と、それを担保する「日米同盟」つ
まり親米一辺倒の外交戦略を見直し、これに代わる戦略的展望を構想する課題
に直面しているのである。
 そして自民党は、戦後アメリカの占領政策の下で温存された国家官僚機構と
癒着し、それによって達成した「過去の成功体験」の呪縛のために、こうした
戦略的再構築に最も消極的な政党になったのだ。

▼政党再編を促す「政権交代」

 しかし肝心なことは、こうした戦略構想が直ちに出来上がる訳ではなく、民
主党をはじめ野党各党にも、そうした戦略的準備がある訳ではないことである。
 と言うよりも新たな戦略構想の必要性は、アメリカの時代の終焉が予感され
る状況に押されて、待ったなしの課題として不可避的に浮上してきたのであり、
新たな国家戦略もまた、今後数回の総選挙を含む、数年におよぶ政党再編の過
程を通じて収斂されることになる以外にはない。
 こうした意味で、今回の総選挙の焦点である「政権交代」は、政権党であり
つづけたことで「戦略的再構築に最も消極的な」自民党内の政治的流動化を促
進し、戦略構想をめぐる政治再編を本格化する契機となる可能性をはらんでい
るのだが、その自民党の政治的流動化は、すでに具体的な動きとして現れては
じめている。
 解散翌日の22日、自民党を離党した元経産相・平沼のグループが総選挙に15
人の独自候補を擁立したのは、こうした動きの氷山の一角である。さらに言え
ば、麻生降ろしに奔走した自民党内の不満分子たちが水面下で様々なグループ
との連携を模索しており、自民党が下野した場合は「新党」を旗揚げし、あわ
よくば新政権の与党へのくら替えさえ画策されている。
 ところが、「政権交代」を契機とする政治再編の推進力は、自民党の内部分
解だけではない。民主党の側にも、政治再編をはらんだ流動化の芽が潜んでい
るのだ。
 それは民主党が、必ずしも共通した政治戦略に基づいて結成されたとは言い
難い事情による。より正確には、「政権交代可能な二大政党制」なる名目で強
行された90年代の「政治改革」の結果として、民主党は政権交替をほとんど唯
一の戦略的目標にして、小選挙区制の下で自民党に対抗することを主要な目的
に、いわば雑多な勢力の野合として形成された事情である。民主党が、政策論
争以上に政権交代を繰り返し強調するのは、この党の戦略目標が「政権交代」
だったことを物語っているのである。
 つまり「鳩山首班内閣」の成立は、民主党内にも、新たな流動化を生み出さ
ずにはおかないのだ。なぜなら最大の戦略目標であった政権交代が実現すれば、
野合してきた諸グループ間の政治的対立や矛盾が顕在化するのは避け難いし、
それが現実に政権を担う中では実践的な、だからまた非妥協的対立に発展する
だろうからである。
                          *
 もっとも、それはまだ先のことである。むしろ現在の民主党は、目前に政権
奪取の可能性がぶら下がっていることで、自民党的な政治、つまり「政官業の
癒着」と呼ばれる政治スタイルと一線を画すことに躍起とならざるを得ないだ
けでなく、連立政権を想定して選挙協力をすすめてきた社民党と国民新党の政
策を取り込み、あるいは「旧い自民党」に対抗して掲げた小泉政権ばりの「構
造改革」については、その弊害と破綻が明白になったこともあるが、かなり自
制することにならざるを得ない現実がある。
 結果として民主党の選挙戦術は、自民党の国家官僚機構への依存と癒着を批
判し、あるいは業界団体とのもたれ合いを非難して、自民党との違いを強調す
ることになる。この傾向は、「政治主導」を掲げて中央官庁主導で編成された
国家予算の「全面的組み替え」を主張したり、あるいは自公政権が衆院の3分
の2以上の再可決で復活させた道路特定財源の廃止を打ち出すなど、「官僚主
導政治」からの脱却を前面に押し出したマニフェストにもよく現れている。

▼脱「経済成長」と直接的再分配

 では、こうした政党再編の胎動をはらんだ選挙戦には、いったいどんな政治
的分岐がはらまれているのだろうか。
 あらかじめ断っておくが、ここで取り上げる分岐は、必ずしも自民党と民主
党の争点と同じではいない。
 その意味で第1に挙げなければならない分岐は、「小泉改革」とマネタリズ
ムの清算をめぐる分岐である。
 一昨年(07年)夏の参院選挙で自民党が歴史的大敗を喫したのは、当時の安
倍政権が改憲を掲げて「空中戦」を挑んだこともあるが、小泉政権による「構
造改革」の幻想が、地方経済の疲弊に象徴される内需低迷と、不安定雇用の急
増による貧困の深刻化によって崩壊し始めていたからである。そしてこの状況
を民主党への支持として獲得したのは、当時の代表・小沢が、「生活が第一」
を前面に打ち出したことであった。
 この転機、つまり小泉改革への幻滅と民主党への期待の高まりは、小泉改革
が人々の我慢の限界を越える経済的疲弊をもたらしたことを暴いているが、同
時に貧困の社会問題化が、人間の生存に不可欠なセイーフティーネット=社会
保障の意義を、改めて認識させることになったからでもある。
 この分岐がはらむのは、経済成長を優先しつづけるのか、それとも人々の
「生存権」を保障し得る経済と再分配のシステムを再構築するのかという、今
後の日本社会の在り方をめぐる戦略的分岐である。
                         *
 したがって第2は、いわゆる業界団体や地域ボスを介した「間接的」社会保
障への回帰か、個人や世帯を対象にした「直接的」社会保障への転換かという
分岐である。
 戦後日本の社会保障は、地方では業界団体や地域ボスを仲介装置にして、都
市では「企業社会」を介して担保されてきたし、この中間的受け皿が「イエ・
ムラ」と呼ばれてきたのだが、それは日本の近代化の過程で解体された「村落
共同体」や「家父長的家制度」を経済的恩恵によって再編した、つまり利益誘
導で再組織した「疑似共同体」に依拠する、実に日本的な再分配システムであ
る。
 欧米的な「社会契約」ではなく、「上からの恩恵」という日本的な社会保障
の認識はこの構造が助長したのだが、国際的な資本主義的競争の激化で「企業
福祉」切り捨ての圧力が強まったことで、中間的受け皿の偏在が加速された。
住宅購入を含む大衆消費財の購買意欲を支えてきた「企業内金融」や「企業年
金」が切り捨てられる一方で、大企業が少ない地方の再分配装置、つまり業界
団体や地域ボスの配下にある「福利厚生」システムは維持されざるを得なかっ
たが、これが「地方の特権」に対する都市住民の反感を呼び起こすことにもな
った。
 小泉の「構造改革」は、主要に公共事業を通じた地方の再分配システムを切
り捨て、都市住民の反感を吸収して人気を得たが、その結果は、「輸出立国」
を担う基幹産業には資金が集中する一方、社会保障は都市と地方とを問わず、
「自助努力」なる名目で切り捨てられただけであった。
 こうして、改めて社会保障制度の再構築が問題になるのだが、ではそのシス
テムを旧来的な「間接的」再分配に戻すのか、それとも社会契約的な「直接的」
再分配に転換するかが、新たな分岐となる。
 07年参院選で、民主党が打ち出した農家への個別所得保障が、自民党の牙城
と呼ばれた地方1人区でドラスティックな勝利をもたらしたのは、すでに地方
でも、業界団体や農協など旧来的な再分配装置が機能不全に陥っていることを
示唆している。それは仲介装置の不透明さが利権と汚職の温床となり、経済的
非効率をも助長している現実が広く認識され始めた結果でもあろう。

▼中央集権から自発的互助へ

 そして第3の分岐は、中央集権的政治つまり国家官僚主導から、より分権的
な、しかも人々の自発性に基づいた相互扶助システムを基盤とする社会をどう
構想するのかという分岐である。
 戦後日本の中央集権的政治は、とくにその一元的経済政策によって、戦後復
興や「全国的国土開発」による地域格差の縮小に貢献してはきた。だが、なお
不充分な地方が残っているとはいえ日本全土を一元的市場として結合する社会
的インフラの整備は一巡し、むしろ今後の高齢化を考えれば、医療と介護、教
育と技能訓練など、「人に関わる産業」こそが社会的ニーズとしては増加する
だろうことは明らかである。
 そうだとすれば、画一的な人材の育成やインフラ形成には有効だった一元的
な上意下達の政策展開は、個々人の状況に応じた柔軟性を求められる医療や教
育といった社会的ニーズとは、ミスマッチを引き起こす可能性が強いのだ。し
かも前述のように、「拡大しつづける大衆消費」という戦後資本主義の展望の
限界が露呈し、社会保障の原資となる国家収入の増加がますます期待できなく
なるとすれば、社会保障の大半を国家に依存する「福祉国家」の展望もまた、
重大な限界につきあたざるを得ない。
 こうして問題は、単に国家官僚主導の中央集権か地方分権かという選択を超
えて、地域単位の自立を保障し、かつての相互扶助を参考に新たな互助システ
ムを構築し、国家による社会保障制度も含む全体によって人間の生存権を尊重
する、そうした分権的社会の構想力が問われているのである。
 しかもこうした「分権的社会の構想」は、地方の疲弊、日本農業の危機、貧
困問題の深刻化といった、政策的にも緊急で実践的な課題が明らかな分野では、
すでに人々の自発的な社会運動が、多様な実践的蓄積をしてきてもいるのであ
る。
 例えば「地産地消」の取り組みは、農機具メーカーや種子産業による「農業
生産の一元的支配」に抗して、地域の風土と生活文化を活かしつつ、地域の自
立を模索する「地域おこし」の一環として全国的な広がりを見せており、ある
いは昨年末から正月にかけて注目を集めた「派遣村」の母体にもなった「反貧
困全国キャンペーン」(本紙183号:08年11月号参照)運動は、ユニオンや自活
支援のNPOとも連携した「自発的な互助」を基礎に、行政を巻き込んで既存の制
度(生活保護や失業給付など)や、既存の公的施設(雇用促進住宅など)も活
用する運動として展開され、セーフティーネットの整備という政治的課題にも
取り組みはじめている。
 ところが、戦後日本の政治を最もよく体現する自民党政権は、その目的も役
割もはっきりしない「安心社会実現会議」なる諮問会議に、相も変わらず業界
団体の代表やら御用学者たちを集め、彼らとの「対話」で「安心社会」を実現
する政策を構想しようとしているのだ。しかもこれらの構想は「財源と支出の
整合性」などといった官僚的口実のために、結局は中央省庁の官僚主導で政策
化される以外にはない。
 この、悪い冗談のようなミスマッチは、現実に生存の危機に直面している失
業者や、農業の未来に絶望して耕作放棄地が拡大する農村にとっては、悪い冗
談では済まされない政治的無能に他ならないのだ。
                          *
 もっとも自公政権に対抗し、「官僚主導から政治主導へ」と意気込む民主党
を中心とする連立政権に代わったからといって、こうした状況が直ちに改善す
るとは考えられない。民主党にも戦略的準備がない以上、過剰な期待は禁物で
ある。
 にもかかわらず、これまで述べてきたように、「政権交代」が戦後日本の政
治が変わる可能性を開くとすれば、私たちはより効果的な選択のために、「連
立政権」についても考慮しておくべきだろう。

▼二大政党制と連立政権

 連立政権という視点は、1994年の政治改革が「政権交代可能な二大政党制」
というキャンペーンの大洪水の下で強行されて以降、ある意味で異端視されて
きた。
 たしかに、日本の議院内閣制のモデルであるイギリスは保守党と労働党の二
大政党制だし、戦後日本が「唯一のモデル」にしてきたアメリカも、民主・共
和の二大政党の下で政権交替が行われてきた。だが実は戦後日本の55年体制、
つまり左右社会党の統一に対抗した保守合同で自民党が成立して以降は、中選
挙区制の下で、事実上は自民・社会の二大政党制が成立したと言える。つまり
政権交替がなかったのは中選挙区制のせいではなく、東西冷戦という条件の下
で、旧社会党の「親ソ連・親中国」の色濃い外交戦略が、特に財界にとっては
許容できなかったことに原因があったと言うべきであろう。
 だがこうして戦後日本の政治は、政党間の論争と妥協とを必要とする連立政
権や、国民的多数派をめざす「中道」を異質な邪道のごとくに扱い、一党によ
る単独政権が、しかも「挙党体制」なる「内なる翼賛体制」を最善とするよう
な「硬直した政党」の政治を助長し、結果として、現職と世襲議員が長期にわ
たって国会の議席を独占する、フレキシビリティーに欠ける政治に甘んじてき
たと言って過言ではない。
 これは、厳密には「政策によって政党を選ぶ」政党政治とは言えないし、政
党の外に在る有権者にとっては「政党の違い」をほとんど認識できない、だか
ら「人柄で選ぶ」選挙が蔓延する政治でもあった。
 ところが皮肉なことに、二大政党制を目指す小選挙区制導入のために、自民
党が考案した「小選挙区比例代表並立制」という妥協案が、公明党、共産党そ
して社民党など弱小政党の延命を助け、期待された単独政権の成立をむしろ困
難にして、連立政権の可能性を開くことになった。
 実際に、小選挙区制導入以降の大半の時期は、自民党単独政権ではなく何ら
かの連立政権が成立してきたのであり、今回の政権交替の可能性も、民主党内
の「単独政権派」が小沢らの「連立政権派」に屈したことで現実味を帯びたの
である。
 確認しておきたいのは、二大政党制なる人為的な政治体制は、強力な中央集
権や覇権国家が必要だと考えられた「時代の産物」なのであって、現在のよう
な戦略的転換が問われる局面では、人為的な政党絞り込みがむしろ選択肢を狭
める、これまたミスマッチだと言うことである。「二大政党制」を強調して政
権交代を焦点化し、新たな戦略的構想には必要なはずの多様な見解を「死に票」
の脅して排斥するのは、連立政権をあらかじめ封殺することになりかねないの
だ。
 こうして「連立政権」の可能性を確認するなら、民主・社民・国民新連立政
権の中に、これまで述べてきたような戦略的分岐を促進するための「橋頭堡」
を確保しようとする努力は、次の時代のイニシアチブに挑戦することを意味す
るだろう。
 もちろんこの場合の戦略的分岐は、55年体制下のそれとは違って、これまで
述べてきたように、「成長しつづける経済」が期待できず、戦後ヨーロッパを
席巻した「福祉国家」が限界に突き当たり、覇権国家・アメリカの国際的地位
が大きく揺らぐ時代の戦略的分岐であり、旧い政治的教条とは一線を画す時代
認識が不可欠である。
                        *
 その上でわたしは、来る総選挙では社民党に投票すべきだと考えている。
 それは本紙182号(08年10月号)で指摘したように、小沢首班であれ鳩山首班
であれ、安全保障政策のタカ派やマネタリズムの信奉者を抱えている民主党の
政権には、錨=アンカーが必要だと考えるからだし、民主党政権の「暴走」に
際して、外在的非難にとどまることなく内在的批判によって歯止めを掛ける可
能性をもつのは、現状では社民党だけだということにある。
 だが同時に、土井たか子元党首の置き土産というべき幾人かの、市民的感性
に優れた社民党議員たちは、これまで述べたような新たな戦略的分岐について、
充分に意見の交換が可能だとも考えているからである。
(8/9:きうち・たかし)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2: 【時評】地球温暖化は止まらない

      -地球温暖化「二酸化炭素犯人説」のウソ-

 「明日のエコではまにあわない」。NHKは2007年の年初以来、この言葉を一日
に何度となく流し、今すぐエコ活動に取りくまないと地球環境は大規模に破壊
されると、まるで脅すような口調でキャンペーンを繰り返している。
 このキャンペーンの眼目は、様々なところで生物の生育条件の激変に示され
る地球温暖化の原因は、人間活動にともなって大量に排出される二酸化炭素
(CO2)であるという「科学的」認識に立ち、早急に人間活動に伴う二酸化炭素
排出量を大幅に削減しろというものだ。そして、そのためには産業構造の大転
換を行い、私たちの暮らしのありかたも大転換を行えという、国連の気候変動
条約枠組み機構が提唱する「人類的規模」での大運動を促進するのを目標にし
ている。
                          *
 しかしこの、地球温暖化「二酸化炭素犯人説」は、ある政治的な思惑によっ
て唱えられたものであり、まったくの嘘である。
 いま進行している地球温暖化の原因は、太陽活動の増減と、地球と太陽との
位置関係の変化にともなって起こる周期的な気候変化である。この自然現象と
しての気候変動は、約1万2千年前に始まった「現在の間氷期」でもすでに何度
も起きていることで、地球科学の世界で確認されている知見では、ヨーロッパ
全体に産業革命が広がった19世紀中ごろに始まった今の温暖化は、あと数世紀
つづいた後に、500年程度は「温暖安定期」がつづくと考えられている。
 しかもこの気候変化は軽微なもので、高緯度地帯でもせいぜい2度、地球全体
で平均すればせいぜい1度内外の気温上昇にとどまり、しかも最初の数百年の間
に高緯度地帯で2度上昇するが、温暖安定期間の500年程度はほとんど動かず、
最後の数百年でまた2度程度下降するという、ゆるやかな変化なのだ。だからす
でに19世紀中ごろ以降に約0.7度上昇した現在の地球の温度は、今世紀中でもこ
れと同程度にしか上昇しない(合計で1.5度程度)というのが、地球科学が到達
した知見なのである。
 だからその前、西暦1300年ごろから1850年ごろの時期は地球が寒冷化した時
期であり、その前の900年ごろから1300年ごろは温暖期、そして600年ごろから
900年ごろは寒冷期で、西暦600年ごろから紀元前200年ごろの期間が温暖期だっ
た。しかもこの1500年周期の間にも、幾つもの小寒冷期と小温暖期が繰り返さ
れている。最近では1940年ごろから1970年ごろが小寒冷期で、1970年以後が小
温暖期であり、これは1998年に最高温度に達し、以後は北半球で気温は停滞し、
南半球ではすでに低下している。
 つまり現在は小寒冷期なのであり、これは2035年ごろまでつづき、それから
また40年ほどは緩やかに温暖化がつづくという。
 つまり二酸化炭素濃度の上昇が地球温暖化を進めたのではなく、逆に地球温
暖化によって海水や石灰岩に含まれていた二酸化炭素が分離して空気中の二酸
化炭素濃度が上がったというのが、地球科学的知見の共通認識なのだ。人間活
動にともなう二酸化炭素排出量を増やそうが減らそうが、長期的には温暖化は
つづき、直近の時期に小寒冷期がつづくのである。
                          *
 この1500年周期の気候変動の知見は、1983年に、グリーンランドの氷床の深
い穴の中から取り出された、およそ1.5キロの「氷床コア」の分析によって見出
されたものだが、そのことは、グリーランドの歴史自体が示してもいる。
 10世紀の終わりごろ、ヨーロッパ人がグリーンランドを「発見」したときは、
緑に覆われた無人の大地が広がり、タラなどの漁場が広がる「緑の大地」だっ
た。それが次第に進む寒冷化で北部から氷河が拡大し、西暦1400年ごろには全
島を氷床が覆い、再び氷の無人の島となったのだ。この地に再び殖民が行われ
たのは、寒冷化が穏やかになった18世紀のこと。だから今日のグリーランドは、
再び緑の大地に戻りつつある。
 こうしてみると、7月10日に閉幕したラクイラ・サミットで、主要8カ国(G8)
が2050年までの先進国全体の温室効果ガス削減の長期目標として「産業革命前
からの気温上昇を2度以内に抑える」「先進国全体の温室効果ガス排出量を50
年までに80%減」を確認したことには、科学的根拠があったのだ。
 温室効果ガスを減らそうが増やそうが、今世紀中の温度上昇は1度に満たな
い。つまり産業革命期以後で2度以内の上昇に自然に留まる。サミットで確認
された数値の背後に、数字の魔術を駆使した嘘があることがこれで確認される。
(以上は、丸山茂徳著「『地球温暖化論』に騙されるな!」:2008年講談社刊、
シンガー・エイヴァリー著「地球温暖化は止まらない」:2008年東洋経済新報
社刊による)
                          *
 たしかに日本では、「地球温暖化二酸化炭素犯人説」は多数を占め、これに
公然と反対を唱える人々は学者を含めて少ないが、アメリカやヨーロッパでは、
これを公然と批判する科学者グループが存在し、アメリカ議会でもしばしばこ
れに依拠した地球温暖化対策論に対する反論が出されている。
 この科学者グループの調査によれば、1995年に国連の気候変動政府間パネル
(略称IPCC)で、地球温暖化について明らかな人為的影響を発見したと発表し
たのは、IPCCに所属する科学者たちが、「地球温暖化に関する人為的影響はみ
つからない」とした合意を報告文書から削除し、替わりに「人為的影響が見つ
かった」という一文を入れた作為に基づくものだったという。しかも報告書を
捏造したこの責任者は、IPCCの職員であると同時にアメリカ政府の職員でもあ
り、この捏造には、当時のアメリカ政府が関与していた疑いすらあるという。
 日本では、こうした「地球温暖化二酸化炭素犯人説」に反対する科学者たち
の言動はほとんど報道されず、先に挙げた本なども、書評も含めて大きく報道
されることはない。日本のマスメディアはここでも政府よりの姿勢をとり、国
民を欺きつづけている。
 NHKが「明日のエコでは間に合わない」のキャンペーンを始めた時期は、構
造改革路線で経済が疲弊したことで自民党への逆風が強まり、これを予感した
安倍内閣がその挽回に動き始めた時期、つまり2007年夏の参議院選挙に勝ち、
翌2008年夏に行われる洞爺湖サミットで温暖化議論の主導的役割をアピールし
ようとした時期に相応し、同時に、イラク戦争の泥沼化で支持基盤を失いつつ
あったアメリカのブッシュ政権が、地球温暖化対策を目玉に中間層をひきつけ
ようと動き始めた時期にも相応しているのは、実に興味深い事実である。
 では「地球温暖化二酸化炭素犯人説」は、何のために唱えられたのか。
 それはこの説が、1980年代中ごろのヨーロッパで唱え始められ、先の政府間
パネルの設立が1988年であるという事実に良く示されている。この時期は、戦
後40年ほど続いた高度経済成長が市場の飽和で行き詰まり、未来に向けた模索
が行われた時期だ。アメリカがとった方策が、国際基軸通貨ドルを背景に世界
の余った金をアメリカに集める金融バブル経済だったのに対して、ヨーロッパ
がとった方策が、地球環境保全を旗印にした産業構造の転換と新しい市場の開
拓だった。
 地球温暖化二酸化炭素犯人説という嘘は、戦後資本主義経済の行き詰まりに
たいして、その構造的転換をスムースに行うための方便として考えられたのだ。
(K)
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3:●3回目の浅沼集会

     反貧困を闘いつづける人々と護憲勢力はどう繋がれるのか

       -25条と9条の乖離、戦後左派の限界の自覚を-

 07年10月から始まった「浅沼稲次郎記念集会」は、今年も10月9日に総評会館
で開かれる。今回は「女が語る平和といのちの集会」と銘打ち、女性主体の集
いである点が過去2回と大きく異なっている。
 集会の賛同人呼びかけは「戦争を呼びかけるのはいつも男たち、そして犠牲
になるのは、女、子ども・・・。でも、いのちを産み、いのちを育み、日々の
暮らしを編んでいく女だからこそ、愚かな戦争に心底、No!と言えるはず」と
集まりの趣旨を語り、池辺幸恵、石坂啓、落合恵子、上原公子、神田香織、木
村順子、古今亭菊千代、五島昌子、新城せつ子、新谷のり子、チェ・ソンエ
(崔善愛)、豊間根香津子、星野弥生、吉武輝子といった女性たちが賛同を呼
びかけている。

▼改憲状況と集会の意義

 07年に浅沼集会が企画された当時の政権は安倍内閣であり、教育基本法改悪
や改憲をめざす国民投票法が国会を通過するなど、憲法改悪が差し迫った状況
にあると認識される時代状況にあった。それに危機感を持った旧社会党関係者
が、雲散霧消した55年体制下の護憲勢力の再結集を目指し、旧社会党内では左
派、右派の双方から敬愛されていた浅沼稲次郎を旗印に持ち出したというのが、
この集いの平均的評価と言ってよい。
 1回目の集会は、同年7月の参議院選挙での民主党圧勝と安倍内閣の自滅で改
憲の危機は遠のいたものの、政権交代がリアルさを持ち始めたこともあって、
社民、民主両党に関係者を持つこの集会にマスコミも注目、主催者の予想を大
きく上回る参加者を集めた。
 真価を問われたのは、昨年の2回目の集会だった。
 前社民党党首の土井たか子と、元自民党幹事長の野中広務がパネリストにな
ったこの集会の成否は、政権交代が当面する日本政治の焦点であり続ける中で、
護憲勢力が憲法問題と政権交代とを結びつけ、リアルな政治的存在として再登
場できるのかどうかの一点にかかっていた。護憲右派である自民党の野中がこ
の集会に参加した意味は、そこにあったからである。
 ところが集会は、そのような期待が大きく外れたものとなった。
 たしかに政権政党であり続けた自民党・野中の憲法擁護論は、9条の解釈改憲
を前提としたものであり、旧来の9条原理主義の立場からすれば相容れないもの
が多々あったであろう。しかし護憲右派の野中と9条原理主義の土井が相対する
パネルディスカッションなのだから、護憲に関して最低限の合意はどの点で可
能かを探ることこそ、集会に要請された課題だったはずである。ところが野中
発言に対して土井は9条原理主義的発言を繰り返すだけに終始し、接点を見いだ
す努力をしなかったのである。
 これには、80歳という土井の年齢的限界を考慮に入れておかねばならないが、
それ以上に主催者の側が、政権交代という差し迫った政治情勢に対してリアル
さを失っていたことを意味しないだろうか。こう述べると、「野中を呼んだの
はリアルな政治情勢を感じていたからだ」という主催者側の反論が聞こえてく
る思いがするが、そうであるならば野中の討論相手が、9条原理主義を繰り返す
土井であったのはどういうことか。ここでは、野中と接点を見出さずに9条原理
主義を繰り返す土井を選んだ主催者、すなわち旧社会党系護憲勢力の政治的セ
ンスが問われていたと思うのである。

▼憲法25条を発見した反貧困運動

 ところで今年の集会は女性が主体である。2回続けてきた浅沼集会の本番であ
る2010年の没後50周年に向けて、マンネリ化を危惧した主催者の側が女性主体
の企画を立てたのではないか。そう推測できる。この設定の仕方には、女性に
対する利用主義の匂いを感じるのだが、ここでそれは問わない。
 今年の集会のタイトルは、「女が語る平和といのちの集会」である。この集
会が開かれる10月には、社民党、国民新党を加えた民主党主軸の連立政権がほ
ぼ確実視されていることを考えるのならば、この集会はどのような性格である
べきだろうか。
 まず集会のタイトルは「平和といのち」ではなく、「いのちと平和」になる
べきではないかと思われる。すなわち護憲の力点を「25条と9条」の2つにおき、
「いのち」にかかわる25条を前面に出すべきである。「いのち」と「生活」を
主軸とする25条を訴える中でこそ、9条護憲は原理主義を越えて新たなリアリ
ズムを獲得できると思うからである。
 周知の通り憲法25条は、「1)すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活
を営む権利を有する。2)国は、すべての生活面について、社会福祉、社会保
障および公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」として、今日で
いう新自由主義的イデオロギーとは対極の、福祉国家のイメージを鮮明に打ち
出している。小泉政権下で極限に達した新自由主義にもとづく雇用、医療、年
金、教育など、社会生活全般の破壊に対抗する理念が、25条には明確に存在す
るのである。
 25条が体現するこの理念を女性主体の09年浅沼集会が掲げ、昨年末、年初に
大きな反響を呼んだ派遣村の運動と結びつけるならば、同集会は別の様相と輝
きを持ってくるはずである。なぜなら、派遣村に代表される反貧困運動を担っ
ている30~40歳代の男女活動家たちは、運動に責任を持つ立場から必然的に憲
法25条を「発見」したからである。
 彼、彼女らは、憲法25条を既存の護憲的政治勢力から学んだわけではない。
たとえば派遣切りが直ちに住居喪失に直結するハウジングプア状況に対して、
公的住宅を対置する運動的模索の中から武器としての25条を発見したのである。
私たちを含む旧来の護憲的左派勢力は、反貧困運動を担う若き活動家たちが自
力で25条を発見するしかなかった状況、すなわち戦後左派的勢力が、現実の政
治に対して無縁になっている状況を恥じるべきなのである。
 もし女性主体の浅沼集会が、反貧困運動の中から登場した女性たち、たとえ
ば作家の雨宮処凛やルポ作家の堤未加(「貧困大陸アメリカ」の著者)をはじ
めとする30代の有能な女性活動家たちと結合できるならば、その運動は民主党
政権に左から介入する重要な役割を果たすはずである。

▼生存権の導入と森戸辰男

 もうひとつ、浅沼稲次郎と憲法25条について指摘しておかねばならないこと
がある。それは浅沼と同じく敗戦直後の社会党右派の論客、森戸辰男について
である。
 敗戦後の社会党の性格をめぐる森戸・稲村論争で、階級政党を主張した稲村
順三に対して国民政党を主張した森戸辰男は、右派の論客として左派にはきわ
めて評判の悪い政治家であった。また森戸はその後、中教審の会長に就任して
いるから、日教組を中心とする左派が蛇蝎のごとく嫌ったのにも理由はあった
のである。
 しかし戦後政治と日本国憲法というスパンで森戸を眺めたときに、森戸が果
たしたもうひとつの要素が浮かび上がってくる。それは憲法25条を現憲法の中
に導入したのが森戸辰男だったという事実である。
 1921年にドイツに留学し、ワイマール憲法体制下のドイツの政治情勢を実体
験した森戸は、同憲法の生存権(健康で文化的生活)の重要性を認識した。そ
して敗戦直後の憲法研究会メンバーであった森戸は、「憲法草案要綱」の中に、
25条の源流であるワイマール憲法の生存権条項を導入させたのである。最近放
映されたNHKドキュメントによれば、森戸は「生存権条項である25条を必要とす
る時期が必ず来る」と語っていたという。
 戦前、クロポトキンのアナーキズムを研究した「森戸事件」で東大を追われ
た森戸辰男と同様に、戦前の早稲田大学・建設者同盟を組織した浅沼も、戦後
所属したのは社会党右派である。しかし同じ建設者同盟所属の三宅正一(日農
出身の社会党衆院議員、後の衆院副議長)や浅沼などは、戦前の小作争議や労
働争議に寝食を忘れて関わり、文字どおり大衆の中で自らの社会主義的(社会
民主主義的)思想を固めていった。(ここでは天皇制と転向問題は省く)
 この点で、左派社会党の中心となった総評民同左派の思想形成のされ方とは、
決定的に違うのである。民同左派=社会党左派は、GHQの日本国憲法を所与のも
のとして受動的に受けとめ、50年代の高野派革同が敗北した後は、企業内組合
の枠組みの中で護憲をお題目として原理主義的に主張するにとどまった。
 たとえば結核患者だった朝日繁さんが、1957年に起こした朝日訴訟(憲法第
25条の生存権と生活保護法の内容について争った行政訴訟)について、60年代
の社会党左派はきわめて冷やかであった。お題目としての護憲と企業内組合の
利害との間にかい離が生じ、社会党左派(民同左派)の中から、その後の反公
害闘争などにも通じる社会的視野が失われたからである。
                          *
 没後50周年を前にして今、浅沼稲次郎を再評価するのであれば、そのような
戦後左派の限界を見据え、自力自闘で戦前の民衆とともに闘った浅沼と同様に、
自力自闘で反貧困運動に立ち上がった現在の若き活動家群との合流を考えるべ
きではないだろうか。
 女性を主体的担い手として開かれる09年の浅沼集会について、「いのち」と
憲法25条にこだわったのは以上の理由からである。
(8/7:あらい・たかよし)
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【お知らせ】遅くなりましたが09年7・8月合併号を配信します。次号は9月
末に総選挙総括を含めて発行する予定です。
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【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル
                ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 メール版第65号(通巻189号)      2009年8月10日発行
 発行所:MELT
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