2009/05/29
インターナショナル63
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第63号(通巻187号) 2009年5月29日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 1:私たちの世界は(日本):●民主党・小沢代表辞任と鳩山新代表の選出 加速する政党再編の流動化と戦後政治の転機はらむ総選挙 −小沢は何故、くり返し復活したのか− 2:その他:フランスLCRの解散とNPAの結成について 3:運動と組織のありかた(労働): ●人格否定の雇用は、どうやって出来たのか 労働者の衣食住を破壊する雇用と効率よく富を作るのに徹する経営 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:●民主党・小沢代表辞任と鳩山新代表の選出 加速する政党再編の流動化と戦後政治の転機はらむ総選挙 −小沢は何故、くり返し復活したのか− ▼「脱小沢」と民主支持率の回復 民主党は5月16日、衆参両院の国会議員220人による党代表選挙で鳩山由紀夫 幹事長(62歳)を新代表に選出した。 小沢代表が辞意を表明したのが11日夕方、14日午前には鳩山、午後には岡田 克也副代表(55歳)がつづけて記者会見を開いて代表選への出馬を表明、16日 午前に選挙が告示され、同日午後には投票という慌ただしい新代表の選出であ った。 民主党内には、反小沢グループを中心に、党員やサポーターも投票できる 「正式な代表選挙」を求める声も強かったが、鳩山を支持する多数派が、「任 期途中の代表選挙」に関する党規約どおり国会議員による選挙で押し切り、大 方の予想どおり鳩山が124票を得て新代表に選ばれた。ちなみに岡田は95票 (無効1票)であった。 ところで小沢の辞任表明から鳩山を選出した代表選まで、一連のマスメディ アの報道とくに読売と朝日のそれは、「小沢たたき」に懸命だったとの印象が 強い。 小沢が代表辞任を表明すると、それまでの小沢に対する「辞任要求」の論調 は「献金疑惑の説明責任」の追及に一転し、代表選をめぐっては反小沢グルー プを叱咤激励するように岡田待望論を滲ませ、代表選における鳩山の優勢を報 じながら「小沢院政の懸念」を解説するなどして、民主党代表選挙の最大の焦 点があたかも「脱小沢」であるかのように世論を誘導したからである。 麻生自民党の幹部や閣僚たちも、こうした読売と朝日の論調に歩調を合わせ るように小沢の説明責任に言及し、「脱小沢」が民主党の最大の課題であるか のように語ったのも、奇妙な一致と言える。 しかし小沢の去就が注目されてきたのは、9月までには実施される来る総選 挙で、民主党を中心とした社民、国民新党の野党共闘が自民、公明連立与党を 上回る可能性が現実味を帯びていたにもかかわらず、党の代表たる小沢の不正 献金疑惑が民主党への逆風となり、自公政権が延命する可能性が高まっていた からであった。 そして小沢の辞任と鳩山の新代表就任は、とりあえずこの逆風を鎮める効果 があったことは認めねばなるまい。 * 鳩山が民主党の新代表に就任した直後の週末(16−17日)、新聞各社は一斉 に緊急世論調査を行い、18日にその結果を報じた。 それによれば、民主党の支持率は軒並み急増し、小沢の公設秘書が政治資金 規正法違反容疑で逮捕されてからじりじりと低下してきた支持率は、事件以前 の状況にほぼ回復し、麻生と鳩山のどちらが次期首相としてふさわしいかとの 質問でも、鳩山が麻生を圧倒したと言って良い。 とは言え、「ヒール(悪役)・小沢」のイメージを一新する新代表の就任は、 本来なら御祝儀相場で支持率が急上昇してもいいのに、30〜40%程度の支持は、 いかにも心もとないと言える。例えば日経新聞の調査では、「誰が次期首相に ふさわしか」の質問で、鳩山は麻生の16%を大きく上回る29%だが、「どちら もふさわしくない」という回答は52%もあり、朝日の調査の「鳩山民主党に期 待する」も、「期待しない」の43%をわずかに上回る47%に過ぎない。 それでも民主党の支持率が大きく回復したのは、「小沢問題」に一応の決着 をつけたことが、有権者に肯定的に評価されたことを物語っており、それは逆 に言えば、4月の世論調査では「誰が次期首相にふさわしいか」の質問で小沢 を逆転した麻生への支持が、実はスキャンダルによる小沢への反感の裏返しだ ったことを示唆している。 こうした世論調査の結果から言えるのは、小沢の代表辞任と民主党代表選挙 の焦点は、読売と朝日が期待した「脱小沢」というよりも、スキャンダルまみ れの党首を代えることが出来るのか否か、つまり政権交代を唱える政党として の資質がテストされたと言えるのであり、民主党は小沢の辞任と鳩山新代表の 選出によって、辛うじてだがこのテストに合格したとは言えるだろう。 ▼「脱小沢」という不毛な二者択一 では読売と朝日が、ことさらに「脱小沢」を焦点化したのは何故か? 少し乱暴に要約すると、主観的には「古い自民党政治」つまり田中派から竹 下派に継承された金権政治の復活への警鐘を意図して、その申し子たる小沢の 権力闘争思考からの脱却を訴えながら、客観的には、輸出偏重による国内(地 方)経済の疲弊や民営化にともなう公共資産のさん奪など、その弊害が露呈し つつある「小泉−構造改革」の継続を求める論調と言えるだろう。 あえて言えば読売は自覚的に、朝日は無自覚的に、旧態依然たる自民党政治 に対する不信と反感から、小泉的自民党の復権に期待をしたのだと言えようか。 だがそうだとすれば読売と朝日は、昨年9月のリーマンショックで、マネタ リズムに基づいた世界的な好況が全面的な破綻に直面してなお、これへの追従 でしかなかった「小泉−構造改革」への批判的総括を全く考慮していないこと になる。もっとも、福田政権から始まった構造改革のなし崩し的転換が、選挙 目当ての露骨な「ばらまき政治」、つまり古い自民党政治への回帰に帰結しつ つある日本政治のお寒い現状が、両紙の論調に一定の正当性を与えてもいる。 結局、読売と朝日の「小沢たたき」は、マネタリズムかばらまきかと言った、 破綻した2つの政策理念をめぐる不毛な二者択一しか見えなくなった閉塞状況 の反映であり、それはまた小泉の「ワンフレーズ政治」を「分かりやすい政治」 と混同して「政治の単純化」に大いに貢献し、ついには自らも多様で複眼的視 野を失いつつある、日本を代表する二大新聞が自ら撒いたタネでもある。 しかも肝心なのは、このテーマつまり「古い自民党政治の復活」という問題 は、民主党の代表問題というよりも、現状ではむしろ麻生自民党の「ばらまき 予算」の問題や、道路特定財源の一般財源化に抵抗する自民党族議員の跋扈 (ばっこ)等々にこそ現れていると言うことである。 その意味では読売と朝日の論調は、「木を見て森を見ない」のたとえに似て、 小沢という政治家個人にばかり注目し、ヒール・小沢が繰り返し政治の中心に 復活する背景、つまり今日の自民党に凝縮して現れている戦後日本保守政治の、 歴史的構造と破綻とに目を塞いでいる結果なのだ。繰り返すが読売は自覚的に、 朝日は無自覚的にである。 たしかに小沢は、金権政治の主流派たる竹下派の中枢から現れ、自民党から 政権を奪取するためには手段を選ばぬ「剛腕」を発揮してきたのだから、それ が「もうひとつの田中−竹下派」を作ろうとする「古い体質の政治家」に見え て不思議はない。 だがその小沢は他方で、一貫して「選挙による政権交代」と「政策理念に基 づく政党再編」を唱えてもきた。しかもこの主張は90年代はじめ、「独裁」と まで言われた自民党長期政権が繰り返し金権スキャンダルに見舞われ、「政権 交代の無い議会制民主主義は腐敗する」という当時の世論に応えようとするも のだったし、それは今も日本政治の重要なテーマであるつづけている。 そしてこれが、ヒール・小沢を繰り返し政治の中心へと押し出す、戦後保守 政治が抱えつづけている課題なのであり、本質的には、戦後保守政治の宿痾 (しゅくあ)と言える「政官財の癒着構造」をどう認識し、これを打開する具 体的道筋をどう見い出すかという問題に他ならないのである。 ▼自民党政権と官僚機構の癒着 小沢が仕掛けた細川連立政権は、この課題に応えるはるか以前に野合政権の 内部分裂で自壊し、政権は再び自民党の手に帰した。だが、この戦後保守政治 の課題は底流として残りつづけ、「自民党をぶっ壊す」と公言する小泉の登場 が、改めてこのテーマを政治の前面に押し出すことになった。というよりも小 泉の登場自身、細川以後の自民党政権が、結局のところこの課題に応えること ができなかった結果であった。 そしてこれが、小沢が再び政治の中心へと押し出される契機となり、小泉改 革の弊害と欺瞞が暴かれはじめた2007年の参院選では自民党が大敗し、「政権 交代」の現実的可能性も姿を現したのである。 しかも今回の政権交代の可能性は、細川連立政権を成立させた奇手・奇襲と 違って、小選挙区制導入が作り出した二大政党がそれぞれに連立政権と野党共 闘の枠組みで政権を争うという、1955年の保守合同と社会党の左右合同以降の 日本政治では見られなかった、選挙による政権交代の可能性という意味でも画 期的である。 だがそうだからこそ、さまざまな軋轢が引き起こされもするのだが、その中 で意外に見落とされがちなのが、中央省庁官僚機構の根強い「自民党支持」で ある。 というよりも今回の補正予算がひとつの典型だが、自民党の代名詞にもなっ てきた「ばらまき政治」は、中央省庁を通じて実施されることで国家官僚機構 の権限と権益とを強化する、その意味で政官の癒着構造を育みつづける仕組み でもあった。 だから自民党政権は、たとえ改革を唱える小泉政権といえども、いわばこう した政権と官僚機構の協調関係を根底から覆そうとはしないが、「政権交代」 は、まさにこの点に強い不安を抱かせるからである。 欧米諸国では当たり前に行われてきた政権交代が、日本では国家官僚機構に 大きな不安を呼び起こすのは、何よりも戦後、官僚出身の議員を大量に抱え込 んだ自民党が、長期にわたる党単独政権の期間を通じて、政策の実施機関であ る官僚機構に政策立案まで依存するようになり、その見返りに官僚機構の権益 を擁護する癒着関係を、族議員の再生産を通じて定着させてきたからである。 「誰が大臣でも勤まる」と揶揄される自民党の現実は、この党の官僚依存を 象徴するのであり、小泉政権時代の党幹事長だった武部が、「わたしは偉大な イエスマン」と自認して政治家として恥じないのも、この党に染み付いた「官 僚との癒着」という政治文化が言わせた迷い言なのだ。 したがって「日本における政権交代」の大きな効用のひとつは、政権と官僚 機構の癒着構造の抑制にある。 なぜなら政権交代による政策転換、場合によっては前政権とは180度ちがう政 策が実施される可能性があれば、官僚機構はあらゆる政策的選択肢に対応でき るような政治的緊張感を持たざるを得ないし、また特定の政党や政権と親和的 に過ぎることは、官僚的保身上も得策ではないからである。 欧米の官僚たちが「公僕」を自認して政治的中立に固執するのは、こうした 政治的緊張や自己保身と無関係ではない。 そして改めて言うまでもなく、今日の日本政治の最も重要な課題は、「政治 に対する官僚の優位」を打ち破り、世界の経済と社会の大きな変貌に対応しう る政治的イニシアチブを再生することである。なぜなら前述の「不毛な選択」 が象徴するように、新たな展望を描けない大きな障害のひとつが、政権を独占 する自民党が、前例に固執し、大きな変化を嫌う、国家官僚機構に深く依存し ているからに他ならない。 ▼政党再編の引き金としての政権交代 だがもちろん、これだけが「政権交代」の効用ではない。否それ以上に重要 なのは、自民党と民主党という二大政党が、それぞれの内部に政策理念上の 「ねじれ」をかかえ、それが政策立案過程の党内調整を難しいものにし、それ がまた官僚機構への依存を深める条件ともなるからである。 自民党内部に、小泉−竹中路線になお未練を抱く「マネタリズム派」と、旧 態依然たる「ばらまき」を政治と考える「伝統派」があるように、民主党にも 松下政経塾出身者を中心とする「改革派」があり、旧社会党と旧民社党出身者 の「社民右派」があり、菅直人代表代行に象徴される「市民派」が混在してお り、それは単に政策選択上の相違を越えて、場合によっては全く逆の理想や理 念にもとづく違いを内包している。 とくに自民党は、その強固な結束力の源泉が国家予算を左右できる「政権の 独占」にあることは周知の事実であり、だから自民党政権がつづく限り、「政 策理念に基づく」政界の流動化は起きようもないし、だからまたその必要が叫 ばれて久しい政党再編も現実的にはならないのだ。 そしてあえて言えば、この二大政党内部の「ねじれ」が、「どちらの政党が 政権を取っても変わらない」という、政治不信の隠れた要因でもあると思うの だ。 「政権交代」つまり自民党の下野は、この自民党の結束力の源泉を解体し、 自民・民主両党を貫く政策理念の「ねじれ」の解消に向かう、政界の流動化を 引き起こす可能性が極めて強いのである。 つまり「政権交代」のもうひとつの、そしてより重要な効用は、政治不信の 大きな原因のひとつでもある「包括政党」なるヌエのような自民党の分解を促 し、政治理念にもとづいた政治勢力の再結集に向かう流動化の引き金となる可 能性である。 それは1955年の保守合同以来、東西冷戦という国際的条件に対応して野合を つづけてきた自民党の分解が、他の政党も含めて、自らの戦略的展望を提示し て競い合う「本来の政党政治」を展開する条件を作り出すというだけでなく、 これまた繰り返し叫ばれてきた「政策による政権選択」がそれなりに可能な選 挙が、はじめて実現される条件が作り出されることでもあろう。 それは代議制民主主義にどれほどの限界があろうとも、人々の自立的な政治 選択の可能性を広げるという意味では、民主主義の発展に対する貢献に違いな い。 * こうした観点からすれば、つまり来る総選挙が「政権交代」の可能性を秘め、 それが民主主義の発展に寄与するであろう政界の流動化を促進するだろうこと を期待する立場で考えれば、小沢の民主党代表の辞任は、この流動化をさらに 促す、より積極的な要因と考えることができる。 一昨年の参院選での民主党の大勝以降、一時は総選挙での民主党圧勝が予想 され、民主党の内部には、鼻先に「政権」がぶら下がった分だけ小沢への批判 的言動が抑制される雰囲気さえあったが、今回の代表の交替で、少なくとも 「小沢の重し」はその効力を失うことになったからである。 こうした民主党の変化は、当然のことだが自民党内で「伝統派」に反感を抱 くグループの、新たな連携を求める蠢動を誘発せずにはおかないだろうし、民 主党内の反小沢グループからも、自民党の「マネタリズム派」との連携を模索 する動きを強めることにもなるだろう。 つまり自公が勝つにしろ、民主・社民・国民新党の野党共闘が勝つにしろ、 かなりの接戦と僅差での勝敗は、総選挙の直後から、次期政権の連立構想をめ ぐって、政党の枠組みを越えた諸勢力の合従連衡の動きを活発化させる可能性 を高めずにはおかないだろう。 それはまた自民・民主の二大政党といった「歪められた政党政治」に対して、 幾つかの政党・グループが政策に基づいて連立政権を作るという、もうひとつ の可能性を提示すことになるかもしれない。 いずれにしろ日本の政治は、小沢らが仕掛けた1993年の自民党分裂以来15年 の混迷を経て、新たな流動の局面を迎えている。 (5/25:みよし・かつみ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2: フランスLCRの解散とNPAの結成について 2009年5月13日 第四インターナショナル日本支部再建準備グループ (1) 2009年2月5日、第四インターナショナルのフランス支部である革命的共産主 義者同盟(LCR)は第18回大会を開催し、同盟組織の解散と、翌6日から結成大 会を開く「反資本主義新党」(NPA)への発展的解消を決定した。 日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央機関紙『かけはし』第2069号(3月 30日発行)によれば、大会には「NPAにとって望ましい政治路線、とりわけ社会 党左派との統一的関係に関わる政治路線、をめぐって対立していた」2つのグ ループが、ともに「発展解消」を支持する提案文書(プラットフォーム)を提 出し、プラットフォームAの「LCRをNPAに発展解消させよう」が87.2%、 プラットフォームBの「LCRの真の発展解消のために」が12.2%を獲得し、 (移行のための)LCRの機関の維持、調査委員会の創設、公的助成金の全額 のNPAへの拠出を満場一致で決定した。 そして2月6日からパリ北部のサンドニで開催されたNPAの結成大会では、 旧LCRの党員約3200人を含む9123人の党員(うち女性は36%)で、NPAが 結成されたことが明らかにされた。 『かけはし』第2068号(3月23日発行)には、LCRの解散大会とNPA結成 大会に関して「編集部」署名の『解題』が、また前掲の第2069号にはフランソ ワ・サバト署名の「新しい時代に応える新しい手段」(以下『手段』)と題す る解説的小論が掲載されている。 『解題』と『手段』は、ともにLCRのNPAへの発展的解消を積極的に評 価し、前者は「社会党と共産党の伝統的左翼の左に位置する全国的で大衆的な 反資本主義的政治潮流の結成のための新たな段階が、ここに始まった」と述べ、 後者もまた「NPAは、第四インターナショナルの支部とはなり得ないだろう。 なぜなら、この党は、多元主義的な党、すなわち、共産党、社会党、労働組合 活動家などさまざまな起源の諸経験と諸潮流を収斂させるようにする党、あら ゆる革命的伝統のうちの最良のものを引き継ぐことを目指す党になるという責 務を担っているからである」と述べている。 また、旧第四インターナショナル日本支部のもう1つの分派組織である国際 主義労働者全国協議会の機関紙『労働者の力』230号(5月10日)には、NPA 結成の意義を高く評価するギローム・リガエル(前LCR政治局員)の論文、 「新反資本主義党、前途有望な誕生」(以下『リガエル論文』)が掲載されて いる。 (2) わたしたち「第四インターナショナル日本支部再建準備グループ」(以下 「グループ」)が、戦後第四インターナショナル最大の拠点支部であるフラン スLCRの解散とNPAへの統合の決定を行ったことについて知り得た事は、 主要に『かけはし』と『労働者の力』に掲載されたこれらの記事にもとづいた ものに過ぎない。 こうした限られた情報だけで、とくにLCRの解散とNPAへの合流を決定 した18回大会討論の詳細も知らないまま、戦後第四インターナショナルの一大 転機と言うべき問題についてコメントするのは、それ自身としてかなり困難な 作業である。 そのうえであらかじめ強調しておきたいが、わたしたちは、LCRを発展的 に解消してNPAを結成したフランス支部の選択を、「トロツキズムからの逸 脱」などと批判したいわけではない。 むしろわたしたちは、戦後トロツキズム運動が直面した現実と理論のギャッ プを直視し、トロツキズムあるいはボルシェヴィキ・レーニン主義と呼ばれる 革命理論の体系を全面的に見直し、そうした作業を通じて、第四インターナシ ョナルの今後を再考する必要性を痛感してきた。 レーニンが「帝国主義論」で描き出し、レーニンの死後はトロツキーが継承 した「帝国主義戦争を内乱へ」とする革命の展望が、第二次大戦後の四半世紀 におよぶ経済的拡大を実現した「後期資本主義」の現実に対して対応力を持た ないのであれば、この戦略的展望に立脚するインターナショナルは、その存在 意義を失って当然であろう。あるいは1991年にソ連邦が崩壊し、「労働者国家 ・ソ連」の官僚支配の要であったソ連共産党が解体されたとき、次に現れたの は、官僚支配を排して自主的な生産管理に向かう労働者運動の胎動ではなく、 資本主義・ロシアを生み出すための激しい政治的抗争だったとすれば、トロツ キーが展望した「反官僚政治革命」を支持してきたインターナショナルは、そ の戦略的展望を全面的に見直そうとして当然である。 以上の立場から、LCRの解散とNPA結成の経過をもう一度、振り返って みたい。 (3) わたしたちは90年代以降、フランスで大きな発展を遂げた多様な社会運動に おいて、LCRが重要な役割を果たしてきたことを知っている。また、労働運 動の分野では、直接民主主義を重視したSUDやFSU(教員組合)が、CG TやCFDT、FOなどの官僚化したナショナルセンターに対抗して大きな成 果を上げているが、ここでもLCRが中軸的位置を占めていることを熟知して いる。 そして、これらの社会運動や新たな労働運動の登場が、新自由主義に直面し ているフランス社会を突き動かす重要なテコとなり、数度のゼネストや巨大な 大衆運動に結実したのは周知の事実である。 さらに2007年の大統領選挙で、LCR推薦のブザンスノ候補が149万票 (4.08%)を獲得し、NPA結成後の世論調査(フィガロ紙)によれば、彼は 23%の支持を得たという(「朝日新聞」3/18)。 もちろんLCRは、このようなフランスにおける階級闘争の発展に自らが重 要な役割を果たしていることを自覚しつつも、その組織的限界を明確に認識し ていた。 そして1980年代以降、大衆的基盤を持つ革命党建設を、「より広い範囲での 左翼と労働者運動の『再組織』、再構築の結果であるべき」(ピエール・ルッ セ「新たな反資本主義政党の創出に向けて」・1月10日発行『労働者の力』226 号、以下『ルッセ論文』)であるとして、既成左翼との統一戦線、急進主義的 左翼との統一戦線などを試みてきたが、ルッセによれば、それらはことごとく 失敗に終わったという。 その結果から、LCRは次のような結論を導き出した。 「『古い』政治的、労働組合的運動は、もはや急進左翼を復活は出来ない。 政党に関する限り、SPの社会的根拠は変化し、その『社会自由主義』の方向 性はブルジョア社会への深き統合を明らかにしている。CPに関して言えば、 スターリニストの過去と一度も正面から向き合ったことがなく、今やそれ自身、 選挙的、制度的にSPの人質となっている。何年もの危機にあるのだが、その 危機には不幸にも発展への動力が含まれていない・・・三つの主要な労働組合 機構(CGT、CFDT、FO)はまた、官僚主義機構に過ぎる。」(『ルッ セ論文』) しかし、2005年のヨーロッパ憲章草案に関する国民投票での否定が示すよう に、新自由主義に反対する民衆の強力な気運は持続されてきた。こうした状況 を受けてLCRは「前へ進むことの緊要さと可能性とを確信して、われわれは、 あれこれの組織との合意の存在を条件とするプロセスを条件とはせず、底辺か ら築き上げる過程を開始することで、出発することを決定した」(『リガエル 論文』)のだという。 こうしてLCRは解散し、「資本主義の世界的な危機に対する唯一の回答、 人類の将来が依存する闘い、21世紀の社会主義、民主主義、環境主義、女性解 放主義の闘い」(『リガエル論文』)に向けてNPAが結成された。 新自由主義に基づく世界資本主義の危機が誰の目にも明らかとなり、金融危 機に端を発した恐慌的事態は失業と貧困という災厄を全世界の労働者民衆にも たらしつつある。こうした中で「資本主義の世界的な危機に対する唯一の回答、 人類の将来が依存する闘い、21世紀の社会主義、民主主義、環境主義、女性解 放主義の闘い」を掲げた統一戦線的な新党、NPAの旗揚げがフランスの労働 者民衆から好意的に受け止められている状況を、私たちも喜びを持って受け止 めたい。 (4) だが、冒頭で述べたわたしたちの問題意識、「戦後トロツキズム運動が直面 した現実と理論のギャップを直視し、トロツキズムあるいはボルシェヴィキ・ レーニン主義と呼ばれる革命理論の体系を全面的に見直し、そうした作業を通 じて、第四インターナショナルの今後を再考する必要性を痛感してきた」とい う立場からすると今回、『かけはし』と『労働者の力』に訳出、掲載されたL CRの文書には、いくつかの疑問を感じざるを得ない。 その最大の疑問は、わたしたちが知り得たこれらの文書の中に、長らく第四 インターナショナルの綱領的文書であったトロツキーの「過渡的綱領」につい ての言及が、まったく行われていない点である。「資本主義の死の苦悶」や堕 落した労働者国家における「反官僚政治革命」というトロツキーのテーゼは、 LCRの解散とNPA結成との関連でどのように総括されたのか。あるいは、 その破綻が明確であるとするならば、トロツキーの限界は何に起因していたの か。 新たな出発にあたって、自らの出生の経緯とその後の経過を率直に振り返り、 対象化することは、革命的な政治勢力たらんとするわたしたちの最低限の義務 だと思うのである。 そのような疑問が具体的姿となっていると思われる点を最後にあげておきた い。それは第四インターナショナルとNPAの関係についてである。 この点に関して『手段』は「NPAは、第四インターナショナルの支部とは なり得ないだろう」と述べ、その理由として1)われわれの思想が根本的に時 代遅れになったと思うからではなくて、新しい時代が生まれており、階級闘争 に介入するためにはわれわれの綱領を今日的なものにし、新しい党と新しい手 段が必要だと確信するからである、2)この党は、多元主義的な党、すなわち、 共産党、社会党、労働組合活動家などさまざまな起源の諸経験と諸潮流を収斂 (しゅうれん)させるようにする党、あらゆる革命的伝統のうちの最良のもの を引き継ぐことを目指す党になるという責務を担っているからである、3)歴 史の結果が明らかにしたことは、第四インターナショナル、そしてより正確に 言えば「わが第四インターナショナル」は歴史的にまったく限られた一潮流で あるという点である―の3点を挙げている。 ところが同文書では同時に、「各国の党建設と新しいインターナショナルの 建設とは同時に行われはしないだろう。だからこそ、今後、新しいインターナ ショナルが生まれないかぎりにおいて、われわれは今後も第四インターナショ ナルの建設を引き続き追求していくのである」と結論付けている。 第四インターナショナル結成の意図を不問としたかのような、いささかアク ロバット的なこの結論を揶揄することは難しいことではない。だがそこには、 NPAの中で、LCRが圧倒的多数派であるという現実に対する善意の自己規 制も含まれていると思われる。それは、その他の文書などからも類推可能であ る。 だが、組織問題に関するこのようなあいまいさは、それがたとえ善意の発露 であったとしても、後々、禍根となることをわたしたちは痛感してきた。 運動が壁にぶつかったとき、このようなあいまいさがセクト主義に転じる姿 を、わたしたちはしばしば見てきたのである。そして、このようなあいまいさ は、往々にして過去の総括の軽視から生まれることを歴史は物語っているので はないだろうか。 フランスにおける階級闘争のダイナミックな進展の中で進んだLCRの解散 とNPAの結成に対して、このような疑問を呈することは老婆心が過ぎるもの なのかもしれない。あるいは第四インターナショナルの歴史的総括については、 わたしたちが知り得なかった文書ですでに展開済みなのかもしれない。 そのような危惧を抱きつつも、わたしたちは今日の情勢に正面から攻勢的に 立ち向かう旧LCRの同志たちの奮闘に心から敬意を表する。そして、総括を 含む情勢の共有化と連帯を表明して、わたしたちの態度としたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3:●人格否定の雇用は、どうやって出来たのか 労働者の衣食住を破壊する雇用と効率よく富を作るのに徹する経営 ▼新時代をめぐる激論 1995年、日本経団連は報告書「新時代の『日本的経営』」を発表した。 労働者を1)「長期蓄積能力活用型グループ」(総合職正規社員)、2) 「高度専門能力活用型グループ」(一般正規職員)、3)「雇用柔軟型グルー プ」((パート、臨時、派遣)に分けた雇用の方向づけをした。 この報告書の発表に至る論議が、2007年5月11日付の『朝日新聞』に掲載さ れている。 94年2月25日、日本経済同友会は研究会を開催したが、そこでは激論が交わ された。 「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考え る必要はない」。 「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちでやってきたんじゃない」。 前者はオリックス社長の宮内義彦で、後者は新日鉄社長の今井敬である。 「終身雇用を改めるなら経営者が責任をとって辞めた後だ」と、今井に同調 する日産自動車副社長(当時)の塙儀一。「人口構成が逆ピラミッド型の高齢 社会で終身雇用・年功序列は持たない」と、宮内を援護するウシオ電機会長の 牛尾治朗。そして「終身雇用が会社人間を作ってきた面もある。行き過ぎた会 社中心社会を改める機会だ」と主張する日本IBM会長の椎名武雄。 さらに宮内は、「これまで企業が社会に責任を負いすぎた。我々は効率よく 富を作ることに徹すればいい」と発言。今井は、「苦労していない経営者に何 がわかるか」といら立つ。 その後、日経連でも同じ論議が始まり、決着がつかないまま95年、報告書 「新時代の『日本的経営』」は発表された。 同友会の研究会に参加した富士ゼロックス会長の小林陽太郎は、後に「効率 や株主配当は重要。場合によっては雇用にも手をつけなければいけないのは分 かる。だが1にも2にも株主という意見にはちょっとついていけなかった」と 話している。 その富士ゼロックスは、95年に「成果主義賃金制度」を日本で最初に導入す る。雇用を維持するためには、経営者は人権費予算増減の裁量権を持つ必要が あるという論である。だが実際の「成果主義賃金制度」は、正規労働者の人件 費縮小を目的にしたもので、この後、他社も取り入れていく。 報告書を書いた日経連賃金部長・小柳勝次郎は、「雇用の柔軟化、流動化は 人中心の経営を守る手段として出てきた」と振り返る。「これが派遣社員など を増やす低コスト経営の口実としてつまみ食いされた気がする」とも言う。 雇用の柔軟化、流動化といっても、前記の1から2や3に、2から3になる ことはあっても、2から1に、3から2や1になることはない。雇用は継続し ても、大幅な処遇の劣化が伴う対処方法の提案である。 ▼「18歳初任給」への平準化 一方、グローバリゼーションとは世界のアメリカナイズであるが、それは同 友会や日経連での論議の予想をはるかに超える、猛スピードで進んだ。雇用制 度でも、集団的労働者保護から個人的契約関係に移行されようとしていた。 97年12月11日、労働時間法制の見直しと「労働契約法」の審議をしていた中 央労働基準審議会が、建議を行なった。そこでは裁量労働制の対象業務の拡大 を打ち出すとともに、対象労働者の範囲、賃金、評価制度等については、事業 場内に設けられる労使委員会で決めることが謳われていた。 労働時間とその対価としての賃金を保証する労働基準法、使用者と労働者の 関係を整理した労働組合法とは別に、会社が労働組合を無視して牽引できる 「労働法規」の内容が提案された。 「労働契約法」は、かなりの修正が加えられ、2008年に施行されるに至った。 宮内らは、規制緩和、構造改革路線の旗振り役となった。「効率よく富を作 ることに徹すればいい」の路線は、「お金を儲けることは悪いことですか」の 発言に見られる、社会的モラルハザードも引き起こした。 * 日本的経営の「三種の神器」の1つである年功序列は、賃金の右肩上がりが 継続することが問題だと言われる。競争を排除するからである。では、そのス タート時点の賃金はどのように決まるのか。 労働者として社会に踏み出す「18歳の初任給」は、決して自活できる賃金で はなく、親元か会社寮からの通勤を前提に生活を維持できる水準である。20代 前半でやっと自活が可能となり、結婚すると家族手当が加算され、社宅が貸与 される。 このように、社会に踏み出す段階での親や会社への依存が、会社人間を育て る要因にもなって「終身雇用が会社人間を作ってきた」。従順な会社人間は、 経営者にとって損なことはない。 年功序列の廃止が叫ばれると、同時に、社員寮や社宅などを含めた福利厚生 予算も削減された。その結果、18歳の初任給水準は維持されたままで、生活維 持の自己責任が強制されていった。「これまで企業が社会に責任を負いすぎた」 という宮内の論理は、18歳の初任給水準が、何歳であっても、どういう家族構 成の者であっても、新たに就職する場合の初任給となっていった。 さらに、最低賃金制度を下回らなければ違法ではないという賃金水準が登場 し、生活保護手当額もこの水準に近づいている。実際に生活を維持できない賃 金の蔓延は、1日8時間働いても生活できないワーキングプアを大量に作り出し ている。 まさに経営者は、「雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」と、 社会に対する責任を放棄した。労働者にとってはセーフティネットが取り払わ れ、会社秩序も解体されていった。 ▼分離される人格と労働力 「新時代の『日本的経営』」は、企業が雇用に責任を持たない方向に進行し た。経営者は「必要なときに、必要な人を、できるだけ安い賃金で働かせ、い つでも首が切れる」雇用戦略を取り始めた。 教育において、団塊の世代に対しては、産業界の期待する労働力養成のため に、「詰め込み教育」が行われた。90年代以降の「ゆとり教育」は、新たに参 入予定の労働者に対して、国家も産業界も、何も期待しないという通告の裏返 しである。その一方で、経済的にゆとりがある親の子供たちだけが教育を受け る権利を保障され、「勝組み」のコースをたどる。 「つまみ食い」された、派遣社員に対する派遣法は85年に成立し、その後改 訂が繰り返された。雇用関係のない労働現場で働かせるということは、労働す る人格と労働力を分離する。派遣労働の究極の形態である日雇派遣は、労働者 の人格を無視し、労働力だけを摘出して安価な売買の対象にするに至った。 こんな「つまみ食い」の典型が、外国人労働者の処遇だ。 日本の失業者等を対象にしている場合は、職業訓練は3カ月か6カ月、長く ても1年しか保証されていないにもかかわらず、外国人労働者に対しては、研 修の名目で、ほぼ無償にも近い労働が2年間強制されている。しかも職場環境 や住宅事情などは、劣悪そのものである。 「第二次世界大戦後において、現在東欧やソ連領となった旧ドイツ領から避 難民、追放者、捕虜などの帰還者が何千万人もの数で流れ込んで、西ドイツの 『奇跡の経済復興』を支えたが、この流れをぴたりと止め、西ドイツに極端な 労働力不足を引き起こしたのは1961年の、『ベルリンの壁』であった」。「西 ドイツ政府は、労使協議の末、やむを得ず外国人労働者を入れるが、一定の期 限付きでローテーションを原則とし、永住を認めない」。「この当初の思惑は 数年たたずして幻想に終わった。・・・不本意なままに外国人労働者がどんど ん国内にたまった事は周知の通りである」(西尾幹二著『「労働鎖国」の勧め 』カラバオの会編『仲間じゃないか外国人労働者』から孫引)。 この頃、西ドイツでは、外国人出稼ぎ労働者が人間としての闘いを開始した ことに対して、「労働力を呼んだつもりだったが、人間が来てしまった」と暴 言が吐かれたという。労働力は欲しいが、人格はいらないということだ。 現在の日本でも、「人間」としての闘いがやっと開始された。 ▼生活と成果から乖離する労働 昨年の年末に社会問題になった「派遣切り」は、どのようにして起きたのか。 消費者の欲望を刺激して商品の購入回転を早める製造会社は、ロボットの設 備投資よりも、人間の導入の方が切り替えが安易で安価だと判断する。末端の 不安定労働者を不可欠とする一方、簡単に解雇することができる調整弁が派遣 労働者なのだ。 商品は「生(なま)もの」だが、人間は「生(い)きもの」扱いをされない。 「18歳の初任給」、「労働力を呼んだつもりだったが、人間が来てしまった」、 商品は「生もの」だが人間は「生きもの」扱いをされない雇用政策は、労働力 の買いたたきと我慢を賃金の決定手段とした。 その結果、職場秩序だけではなく、社会正義、社会秩序が失われ、人間性が 保障された生活が喪失させられた。 * 賃金は、産業間の職務給の社会的均一を基礎にした同一労働・同一賃金で、 生活を維持できる額でなければならない。 しかし消費者の安物買い、競合する企業間のサバイバルは、販売業界の流通、 製造・生産者への廉価の強制と、そこで働く労働者の労働条件と賃金の低下・ 破壊を強制している。 その一方、「お金を儲けることは悪いことですか」とうそぶく者たちは、あ らゆる手段を行使して略奪・収奪をくり返し、冨者となっている。他人の資産 を勧誘して投資と運用をするマネーゲームの勝敗が業績として評価される、利 益は生み出すが価値を生み出さないギャンブル労働が、横行している。 また企業が繰り返したリストラは、人材の流出という結果を生み出し、雇用 を留保した雇用方針は、現在、不足する管理職、営業社員を高い賃金で招聘す る結果となっている。彼らは、ハイリスクだからとハイリターンの賃金に浸り きり、賃金の高低を自身のステータスにする。 結局、長期的経営方針を持たない、人材育成を放棄した企業の人事政策の失 敗が、少数者の賃金バブルと、多数者の賃金体系の破壊という二極を作り出し ている。 このように、労働と生活、労働と成果が乖離する関係性が、人間関係を、さ らには共同社会を破壊の方向に導いた。 労働者に対するセーフティーネットの内容は、子どもを育て上げる家族単位 が生活を維持できる賃金、生活給の保障が基本とならなければならない。 最低賃金は「18歳の初任給」ではなく、家族単位の生活が維持できる賃金か ら割り出されなければならない。労働者の病気休暇、失業に際しても、その水 準を維持する社会制度が確立されなければならない。 ▼改めて「会社は誰のものか」 昨年秋からリストラが横行し、大量解雇と契約期間満了での契約解除が、横 並びの護送船団的に横行している。人材育成を怠ってきた経営者が、またいと も簡単に解雇を繰り返している。 しかし、80年代にヨーロッパから貿易摩擦の原因と指摘され、日本政府が目 標とした年間労働時間1800時間が製造業で実現したのは、年末にレイオフが増 大した昨年になってのことである。長時間労働は、まだまだ続いている。雇用 継続のためのワークシェアリングも、実行されてはいない。 レイオフは、労働者の財産である職能維持のための職業訓練を伴うものでな ければならない。ワークシェアリングは、働き過ぎの労働と余暇のバランス、 生活スタイルの再検討と発見のチャンスでもある。 就業の権利は、労働者の生活に自己責任を強制する社会では、最優先のもの である。労働者に離職を強いる場合、転業救済資金は必要最低限の保障である。 産業の栄枯は必須である。しかしその結果として、労働者が離職と同時に衣 ・食・住が奪われることはあってはならない。これらを保証する事業が、早急 に公共事業で進められなければならない。なぜならそれは、困窮状態から脱出 に向けて確保しなければならない、最低限の条件だからである。 かつてイギリスの社会保障制度を破壊したサッチャー政権でも、全住宅に占 める公共住宅数は15%を占めた。しかし現在日本の公共住宅は、公団・公社住 宅を含めても7%弱である。しかも雇用促進住宅を含めて、さらに削減されよう としている。 日本の多くの労働者は、住宅ローンと教育ローンを抱えている。賃金カット、 降給、休職に遭遇したら、まさに〃滑り台社会〃の中で、ハウジングプアに転 げ落ちる恐怖を日々抱いている。 すでに起きているハウジングプアの解決と雇用創出のために、利権を排除し た公共事業で、公営住宅建設や改築が進められなければならない。これで〃安 心〃が保証される。 * 会社は、誰のものなのか。「これまで企業が社会に責任を負いすぎた。我々 は効率よく富を作ることに徹すればいい」の主張どおりに、ストックホルダー (株主)が発言力を持ち〃改革〃を強行している。 しかし会社は、労働者なくしては存在しない。会社は、利用者を含めたステ ークホルダー(管理する人)のものである。そのために労働者は声を上げ、人 格をもっと大きく登場させなければならない。そうすることで〃希望〃が確保 される。 会社は社会的存在である。経営者の〃自己責任〃という分断策動に抗し、 〃安心〃と 〃希望〃に向けて、お互いの尊厳、共生、未来のための運動を作り 出そう。 (5/10:いしだ・けい) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】09年5月号を配信します。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第63号(通巻187号) 2009年5月29日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm からでき ます。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


