2008/10/13
インターナショナル58
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第58号(通巻182号) 2008年10月13日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 1:私たちの世界は(日本):●福田辞任と総選挙の焦点 政官業ゆ着の政治に終止符を −政権交代-政党再編の渦中で、改憲阻止の意思をどう表現するか− 2:書評:●寄稿『1978.3.26 NARITA』刊行によせて 「過去の栄光」を直視したオヤジたちの「反省と教訓」 3.26闘争元被告:佐々木希一 3:私たちの世界は(世界):【グルジア・ロシア戦争】 何がグルジアを戦争に駆り立てたか −NATO加盟の頓挫とサアカシュビリ政権の焦燥− ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:●福田辞任と総選挙の焦点 政官業ゆ着の政治に終止符を −政権交代-政党再編の渦中で、改憲阻止の意思をどう表現するか− ▼衆院解散・総選挙への流れ 福田首相が、突然辞任した。自前の閣僚を揃えたはずの内閣改造からわずか 1ヶ月、弟分である安倍晋三の政権投げ出しから1年足らずで、またもや国家 の最高権力者の一方的な辞任劇である。 その福田は辞任会見で、「私が首相では民主党が協議に応じてくれない」の で「ほかの首相の下で事態を打開してほしい」と、後継総裁に政権運営を丸投 げするような辞任理由を述べたが、他方では麻生幹事長らに、「総裁選挙で自 民党に注目を集め、一気呵成に解散・総選挙に打って出るのが、自民党が政権 にとどまることができる最良の方法だ」と語った、とも報じられている。 後者が福田の真意だとすれば、それは計算づくの「党利党略」と言う以外に はない。もっとも福田の本心は、彼自身にしかわからない。だから一般の人々 には「身勝手で無責任な辞任」と見られるのは当然だし、ここで彼の真意なる ものを詮索しても、なんの意味もないだろう。 というのは、いずれにしても福田の辞任によって、衆院解散・総選挙が早け れば10月中に、遅くとも11月半ばまでには投票が行われるのが確実になったか らだ。 問題は、その総選挙で何が問われ、だからまた社会変革を目指す私たちは、 どんな選択を迫られるかを考えることである。 ▼寄り合い所帯化した自民党 福田の真意かどうかは別にして、自民党は「派手な総裁選→自民党への注目 度アップ→支持率上昇→早期解散」で政権を維持するシナリオに沿って総裁選 を実施し、9月22日には、麻生太郎幹事長が、有効得票の66.9%を獲得する圧 勝で新総裁に選出され、翌々日の24日には、国会の首班指名選挙を経て麻生新 内閣が発足した。 この流れは、自民党のシナリオどおりの展開とも言えるが、実態は必ずしも 期待どおりとは行かなかった。発足直後の麻生内閣の支持率は、福田のそれを 下回る50%以下にとどまり、自民党議員の間からも落胆の声が出る始末だから だ。 まずは総裁選による「自民党への注目度アップ」の目論みは、外国人記者ク ラブでの共同会見が、「政策の違いが解らない。本気で総裁選を闘っていると は思えない」と酷評されたように期待はずれに終わり、汚染米の不正転売事件 や年金記録改ざんの暴露が自公政権への不信をむしろ増幅し、さらにはアメリ カの大手証券会社リーマン・ブラーザーズの経営破綻による世界的な金融不安 が、「総裁選の空騒ぎ」に対する厳しい視線となって自民党に向けられたのだ。 だが何よりも特徴的だったのは、5人の総裁候補の乱立が、「自由な議論が できる自民党」という自画自賛にもかかわらず、この党の分解と流動化を印象 づけることになったことであろう。 * 昨年の参院選前までは、マスメディアの主要な論調は「寄り合い所帯の民主 党」と「政権を接着剤にした自民党の結束」というのが通り相場だった。 そこには、政権を担う「責任政党」としての自民党には「それなりの結束力」 があるのに対して、小泉改革や改憲をめぐって、政党としての統一性を持てな い不安定な民主党への批判が含意されていた。 ところが今回、石原元政調会長や石破元防衛相ら、軽量級と揶揄される候補 者までが乱立した自民党総裁選と、小沢代表の再選が早くから確定的となった 民主党の代表選挙は、この「寄り合い所帯」と「責任政党」の評価をめぐって、 文字通り攻守ところを代えた観がある。 自民党総裁選の候補者たちは、小沢代表の無投票の再選を「非民主的」とか 「自由な議論ができない民主党」と口を揃えて批判したが、当の自民党総裁選 も、当初から麻生圧勝が予想された「出来レース」の茶番といった印象しかな く、したがって次期政権の構想をめぐる活発な議論が展開されたとは、到底言 えない低調ぶりだった。 何よりも、二代つづけて政権を投げ出すような総理大臣しか出せなかった「 責任政党」としての自覚もなく、だからまた党の立て直しに言及しない総裁選 候補者たちは、軽薄で無責任で「本気で闘っているとは思えない」との謗(そ し)りを免れることはできなかったのである。 いまや自民党が「寄り合い所帯」と化して百家争鳴の空騒ぎを演じ、対する 民主党は、目の前にぶら下がる「政権」の二文字を接着剤にして「結束」する といった構図が、福田の突然の辞任を契機に姿を現したとは言えないだろうか。 では何故、自民党は「寄り合い所帯」と化しているのか、それはこの国の政 治にとってどんな意味をもつのだろうか。 ▼ねじれ自民党と総裁候補の乱立 誤解を恐れず大胆に言えば、自民党は、すでに単一政党とは言えないまでに 分解がすすみ、予算編成に介入できること、つまり国家資金の分捕り合戦に関 与できる政権党であることで、かろうじて結束を保っていると言って過言では ない。 そして言うまでもなく、自民党をここまで分解させた直接の原因は、「保守 本流」を自認する橋本派との熾烈な権力闘争を経て01年に党総裁になった小泉 が、官僚・業界と癒着したバラマキ政治で支持基盤を扶養するという、田中・ 竹下政権下で構築された利益誘導システムに打撃を加え、その派閥利権構造の 解体を促進したことであった。 もちろんそれは、業界に依存する自民党支持基盤を劇的に転換するのに大い に効果を発揮したが、他方では過疎地の農家から都市の零細事業者まで包含す る「国民的多数派」を支持基盤にして、自らを「包括政党」と称した「戦後保 守政治の本流」の支持基盤の分解と衰退を促進し、独占的な政権党の地位を脅 かすことにもなった。 本紙176号の「戦後保守政治の終焉」でも指摘したが、わずか1年で安倍政権 が崩壊せざるをえなかった要因も、バラマキ政治によって扶養された「旧構造 の自民党」に、小泉が唱えた「改革政党・自民党」を接ぎ木したことでこの党 が抱え込んだ「ねじれ」に潜んでいたのであり、「経験不足」の安倍は、この ねじれに無頓着だったのだ。 そして福田の辞任もまた、大連立構想の挫折によって小沢民主党が政権交代 戦略へと転換し、政府の施策にことごとく反対する挙に出たという「外患」は あったが、同時にこの自民党のねじれによる党内基盤の動揺という「内憂」が、 福田を挟撃した結果だったと言うべきだろう。 したがって総裁候補の乱立は、この党の分解とねじれの反映である。しかし より注目すべき動向は、いわゆる政党再編を睨んで、軽量級候補者の擁立をめ ざす議員集団が党内に次々と現れ、「些細な政策的違い」の演出に奔走した現 実であろう。 * 総裁派閥である清和研究会の「実力者」中川元幹事長が、「財政出動派」の 麻生と「財政健全派」の与謝野という両候補に対抗し、第三極と言える「上げ 潮派」候補として小池元防衛相を擁立しようとした「仕掛け」が、一時は20人 の推薦人集めに支障が出るような抵抗に直面したことは、派閥の締め付けが効 かなくなったというよりも、この党の分解が、いわゆる「実力者」の暗躍程度 では集約できないほどに深まり、個々の議員たちが、文字通り自身の生き残り を懸けてうごめきだしたことを物語っている。 それは、自民党が政権の座を失う可能性まで見越して、誕生するかもしれな い非自民党政権との関係でフリーハンドを手にし、あわよくばその一角に潜り 込むことで個々の議員としては与党でありつづけようとする、したたかだが姑 息な計算が、この党に蔓延しはじめたことを示唆している。 つまり「本気とは思えない総裁選」は、自民党内に働きはじめた遠心力と、 政党再編を睨んだ議員集団の離合集散の胎動の表現であり、政策的相違を派閥 抗争に修練し、政権をたらい回しで独占する「包括政党」システムを清算する 動きが、当の自民党からさえ現れつつあると言えるだろう。 ▼政党再編の推進力=政治不信 包括政党・自民党の分解がいよいよ最終段階に入ったとすれば、この党に代 わって政権に就く可能性をもつ政党は、もちろん民主党である。 麻生新内閣発足の御祝儀相場で、自民党の支持率が幾分回復したとはいえ、 「自民党中心の政権」と「民主党中心の政権」に対する人々の期待は、なお僅 差である。 ただし改めて指摘するまでもなく、民主党もまた自民党に負けず劣らず、深 刻な「ねじれ」を抱えている。もっともここで指摘したい民主党のねじれは、 共産党と社民党に代表される戦後革新が指摘する、9条改憲に関するそれでは ない。 改憲をめぐるねじれの問題は後述するが、当面する政治課題つまり目前の総 選挙の争点という点では、改憲は必ずしも焦点とは言えないし、むしろ深刻さ を増す「格差」が大きな焦点だろう。 そのひとつは、地方経済の疲弊と「東京の一人勝ち」に象徴される地域格差 の是正であり、もうひとつは、「労働市場の規制緩和」で急増した正規雇用と 非正規雇用の格差、とりわけ都市の若い世代の貧困に対処する格差の是正であ る。 この課題は、基本的には小泉改革が解体した旧い再分配システムに代わって、 グローバリゼーション時代に対応する新たな再分配システムをどう構築するか を問うものだが、まさにこの課題をめぐって、民主党もまた自民党と同様の「 ねじれ」を抱えていることに注目すべきだと思うのだ。 この「ねじれ」で見ると、実は民主党の小沢支持派と麻生内閣は、業界中心 に金をバラまくか個々人(と言っても世帯単位だが)に直接金をバラまくかの 違いはあれ、共に「財政出動派」と呼べるだろう。その限りでは小泉改革が促 進した経済格差を是正し、内需主導型(これも公共投資牽引型と個人消費牽引 型の違いがあるが)の景気回復を目論むという点でも同じである。 これに対して自民党内には、小泉改革を継承すべしとする勢力があるのは周 知の事実だし、民主党内にも、松下政経塾出身者を中心に、小泉に共鳴して「 改革」を唱えた反小沢勢力があるのも周知のことである。 だがそうだとすれば、麻生自民党と小沢民主党は、程度の差はあれ共に「小 泉改革からの政策転換」と「格差是正」を唱えて総選挙を闘うことになり、「 政権交替」は無意味なのではないか? しかり。まさにそれ故に、政界再編の動きが繰り返し現れるのである。 なぜなら自民党と民主党を貫く「ねじれ」は、「政策の一致を土台にした政 党」という近代政党制の建前を歪め、有権者の「政策にもとづく選択」を混乱 させて「選挙による政権交替」を事実上は封殺し、自民党の政権独占を可能に してもいるからである。 だがそれが、選挙と代議制という近代民主主義への信頼を掘り崩し、政治不 信を助長することで、この国の政治の混迷を再生産しつづけているのだ。しか もこの政治不信は、政官業の癒着と利益誘導という「国家資金のムダ使い」に 苛立つ、日本の多国籍資本も「共有する」政治不信なのである。たとえその国 家資金の使い道が、社会保障の充実に振り向けるべきか、小泉改革のように多 国籍資本の国際競争力強化に投じるかの違いがあってもである。 つまり自民・民主両党を貫く「ねじれ」こそは、民衆と多国籍資本が共有す る「自民党政治への不信」を基盤にした、政党再編の強力な推進力に他ならな い。 その上この「国家資金のムダ使い」は、国家官僚機構と癒着した自民党政権 と、国家資金のバラまきに依存する業界の相互依存構造を一旦は清算しない限 り、「自民党をぶっ壊す」と大見得を切る総理・総裁をしても変えられないこ とを、小泉改革の5年間が証明したと言えるだろう。 小泉が仕掛けた郵政選挙で自民党を追放された「守旧派」議員が、次の安倍 政権ではあっさり復党できる「ねじれ自民党」のヌエのようなしたたかさが、 この国の政治の閉塞感を強めつづけているのだ。 ▼政党再編と政治的予備力の枯渇 だが、政党再編の「客観的な」推進力がどれほど強力であろうと、政党・官 僚・業界が癒着した利益誘導システムに代わる新たなシステムの構想と準備が なければ、それが自ら解体することはあり得ない。 結局、小泉改革は、旧主流派の派閥利権構造には打撃を与えても、政官業の 癒着ともたれ合いの構造全体を「改革」することはできなかったのだ。 こうして小泉政権以降の個々の自民党議員は、政権を維持する与党議席を担 保にして、政府施策の換骨奪胎に奔走する面従腹背を常とする、自民党の「内 憂」となった。道路特定財源の一般財源化という安倍と福田の方針が、立法化 されずに閣議決定に押さえ込まれたのは、総理・総裁の首のすげ替えで、閣議 決定はいつでも反故にできると考える面従腹背の輩の抵抗の結果であり、「責 任政党の堕落」を暴いて余りあろう。 したがって「小泉改革からの転換」と「格差是正」を含意する「財政出動派」 の麻生が、新たな再分配システムの構想を提示しない以上、それこそ道路建設 のような公共事業で業界に金をバラまき、その「おこぼれ」所得でセーフティ ーネットを代替する、旧態依然たる財政政策が行われると推測する以外にはな い。だがそうであれば、「ムダな公共事業」の復権とワンセットで「格差是正」 が図られることになる。 そこには、社会的再分配システムを制度として設計し、これを法によって保 障する、ごく当然な社会保障制度やセーフティーネットの発想が皆無であるだ けではなく、小渕政権の財政出動が国家財政の赤字を膨らませ、その結果とし て小泉改革が登場したという、自民党政治が行き詰まったことへの検証も総括 も見当たらない。 では小沢の民主党は、新たな再分配システムの構想を示しているだろか。は っきり言って、それは判らない。 ただひとつだけ言えるのは、民主党が昨年の参院選マニフェストで掲げた再 分配の手段は、農家への所得保障や子育て支援など、いわば国家資金を個々人 もしくは個別世帯に直接バラまくという点で、業界へのバラまきという旧態依 然の財政出動とは大きな違いがあるということである。 ただそれが、制度的な再分配を意図したワンステップなのか、それとも一時 的な目くらましの措置なのかは、今の時点ではまったく不明瞭だということだ。 その意味では、来る総選挙で「民主党中心の政権」を選択するにしても、それ は「よりマシな選択」に過ぎないことをあらかじめ確認しておかなければなら ない。 こうした現実は、前述の「利益誘導システムに代わる新たなシステムの準備」 と、そのシステム転換を推進する主体である政治勢力が不在であることの証し である。しかもこのような「準備された主体」は、今回の総選挙を含む今後数 回の総選挙を通じた、自民・民主両方の離合集散を経て形成される以外にはな いだろう。 と言うのは、今回の総選挙の争点が「当面する課題」であるのに対して、次 代を担う政治勢力の結集を意図する政党再編に必要な争点は、外交や政治制度 を含む、この国のあり方全般にかかわる政治理念と政策体系でなければならな いが、戦後日本の保守勢力の現実は、自民・民主両党の「ねじれ」が象徴する ように、これを短期間で収斂できるような政治的予備力が枯渇しているからで ある。結果として理念的、政策的収斂には、それなりの時間と論争が不可避と なる。 そしてこの数年に及ぶであろう政党再編をめぐる論争を見据えたとき、「憲 法改正」は不可欠にして重要な争点となる。 ▼「小沢丸」には錨が必要だ 当面の課題と争点はどうあれ、民主党の小沢はかつて「普通の国」を提唱し、 自衛隊の海外派兵を推進する急先鋒として、非軍事に徹した戦後日本外交の転 換を図ろうとしたことは、周知の事実である。 もっともこの主張は長い間封印されていたようだが、それが小沢の信念であ ることを再確認させたのは、昨年秋の「新テロ特措法」をめぐる国会審議で海 上自衛隊の給油活動を違憲だと批判し、それに代わる国際貢献として、陸上自 衛隊のアフガン派兵を念頭に「派兵恒久法」の制定を唱え、その後の「大連立 騒動」でもこれが確認されたときである【本紙177号「外交戦略の変更嫌う親 米保守勢力の画策」参照】。 もちろん小沢は明文改憲派ではないが、その点では麻生も同じである。だが 小沢は「国連安保理決議があれば、海外での武力行使も合憲だ」とする「国連 中心主義」を唱え、軍事的な「国際貢献」の実現をめざしており、麻生もまた、 集団的自衛権の行使を違憲とする、現行憲法解釈の変更を検討すると公言して いる。 つまり小沢も麻生も、名分より実利を優先する解釈改憲で海外での武力行使 をなし崩し的に合法化しようとしているのだが、こうした「解釈改憲」なる手 法もまた有権者を混乱させ、政策中心の選択という政党政治の建前に背くもの であろう。 だがいずれにしろ、今回の総選挙が「よりマシな選択」を問われるのだとす れば、私たちは、「政権交代」を契機に加速するであろう政党再編の争点を見 据え、「この国のあり方全般にかかわる政治理念と政策体系」の柱として、明 文であれ解釈であれ9条改憲に反対する明確な意図を、むしろ積極的に「埋め 込む」ような、思慮深い選択が求められるとは言えないだろうか。 海外での武力行使を、なし崩し的に合法化しようとする「小沢内閣」が船出 する可能性があるとすれば、その船=小沢丸には、9条護憲のアンカー(=錨 )をあらかじめ取り付けておかなければならない。 このアンカーの可能性を持つ政党は、共産党と社民党以外にはないが、民主 党に対する「外在的」批判勢力である共産党は、総選挙における野党間の選挙 協力にさえ消極的で、常に「最良の選択」を訴えて「よりマシな選択」を許容 しないという意味で、端から小沢丸と切り離されている。 他方の社民党も、自民・社会・さきがけ連立政権で、なし崩しに自衛隊合憲 論へと転換し人々の信頼を裏切った「前科」がある。それでもこの党には、保 守勢力内の改憲反対派を含む9条改憲反対勢力の期待が向けられ、民主党内の 旧社会党系議員との人的関係も残っているという意味では、アンカーの条件を 備えてはいるのだ。 つまり当面の課題としては、格差是正や政治不信への対応として「よりマシ な選択」が問われる一方で、それを契機に進展するだろう政党再編を見据えた 「より良い選択」(それでも「最良の選択」とは言い難い)が、当面の課題と は相対的に別個に問われてもいるのである。 * 最後に、ひとつだけ確認しておきたい。それはグローバリゼーションに対応 する小泉改革の継続あるいは「曖昧な転換」か、それとも小泉改革で拡大した 格差を是正する社会的再分配システムの再構築かという、人々の最大の関心事 を「飛び越えて」は、9条改憲に抗する大衆的運動を発展させることはできな いということである。 本紙175号の「07年参院選のバランスシート−挫折した自民党改革路線と民主 党のバラマキ公約」でも述べたが、「平和のうちに生存する権利」を謳う日本 国憲法9条の擁護を訴える者は、社会的生存権を保障する日本国憲法25条の遵 守を行政に迫り、格差と貧困による生存権の侵害と真っ向から闘うのでなけれ ばならない。 なぜなら、格差と貧困によって生存権を脅かされ、眼前の絶望的な状況の故 に「現状が変わるなら戦争も賛成だ」と言い放つまでに自暴自棄に陥った若い 世代を、「平和的生存権」を擁護する運動の新しい担い手として獲得する可能 性は、護憲派を自認する人々が彼らの生存権のために頑強に闘い、その信頼を 勝ち取ることによってのみ切り開かれるだろうからである。 (10/7:きうち・たかし) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2:●寄稿『1978.3.26 NARITA』刊行によせて 「過去の栄光」を直視した オヤジたちの「反省と教訓」 3.26闘争元被告:佐々木希一 ▼多少の抵抗感と安堵と 新東京国際空港いわゆる三里塚空港が、管制塔占拠闘争のために予定より2 ヶ月遅れて開港したのは、1978年5月だった。 それから30年目の今年4月、その管制塔占拠闘争を含む3月開港阻止決戦、 通称「3.26闘争」を闘った当事者たちの証言集、回顧録が出版された。 「管制塔を占拠し、開港を阻止したオヤジたちの証言」という本書の副題が 物語るように、当時、平均年齢が20代前半だった行動隊の青年労働者と学生た ちは、ほぼ全員が50歳代のオヤジになっていて、かく言う私もあと数年で還暦 を迎える。わたしが子どものころは、童謡で「♪こーとし 60の おじいさん」 と唄われた年齢だ。 そんなオヤジたちの、30年も昔の闘争の証言集を出版する企画には、正直に 言うと多少の抵抗感があった。 「当時の、正確な闘争記録が残っていないから」という企画の意図は解らな いではなかったが、「当日の事実」を記録として残すだけなら、「過日の栄光」 を懐古趣味的にふり返るようで気恥ずかしいし、すでに運動を離れた人には、 不愉快な証言もあるかもしれない。だが何よりも気掛かりだったのは、現地で 生活をする人々にとって三里塚闘争は、いわゆる平行滑走路建設や航空機騒音 をめぐって、現に継続中の、生活のかかった闘いであることだった。 つまり3.26闘争の当事者である私たちが、改めて30年も昔の闘争を回顧する なら、現に闘いを継続している人々にとって、多少とも有用な教訓を含むもの でなければならないのではないか、と思えたのだ。しかもそうした教訓は、3. 26闘争そのものと言うよりも、それ以降の、空港建設反対闘争を発展させるこ とができなかった《私たちの現実》の中にこそあるはずだろう?。 そんな思いを抱きながらも、企画した当事者たちの情にほだされて「8ゲー ト突入部隊」の座談会【137頁〜】に出席した私は、刊行された本書巻頭の和 多田さんへのインタビューと、次の早野くんと前田くんの対談を読んでホッと 胸をなでおろした。 和多田、早野、前田の3人が異口同音に語る「反省と教訓」が、私の思いと 多くの共通点を持っていたからである。 * もちろん和多田さん、早野くん、前田くんの3人の「反省と教訓」は同じで はないし、私のそれとも違っている。だが当事者たちが全く同じ「反省と教訓」 しか持てないなら、三里塚闘争と3.26闘争がはらんでいた多様な性格や、闘争 を担った多様な人々の顔も見えてはこないだろう。 私自身の反省は、本紙160号(05年11月)に寄稿した「管制塔基金カンパの超 過達成−人々は何に共感したのか」で述べたので割愛したいが、その主旨は、 私たちが「政府権力闘争」の拠点と位置づけて闘った三里塚闘争には、今につ ながる「社会改革運動」や「地域住民闘争」など多様な側面がはらまれていた のに、「ロシア革命型の権力奪取」というドグマに囚われていた私たちは、む しろそうした多様性に目をふさぎ、例えば今も現地で展開されている「地球的 課題の実験村」運動のような社会変革運動へと、三里塚の農民と共に転換する ことに失敗したのではないか、ということだった。 ▼支援による「反対同盟の支配」 その私にとって、和多田、早野、前田の3人が語る以下の2つの反省と教訓 は、とても印象的であった。 ひとつは、「われわれは支援だ」と言いながら、闘争主体である反対同盟を 「自分たちの意向に従わせ、支配してきた」という反省であり、もうひとつは、 3.26闘争を大衆的実力闘争として貫徹できたのは、私たちが三里塚闘争と反対 同盟によって「育てられ、鍛えられたから」ということである。 もっとも、この2つの指摘は特に目新しいとは言えないかもしれない。それ でも3人の回顧には、3.26闘争を今の視点で冷静にふり返り、「私たち自身の」 至らなさや未熟さを直視しようとする真摯な姿勢が貫かれていると思えたのだ。 * 例えば「反対同盟を支配した支援」という問題は、当初こそ反対同盟の要請 で現地闘争本部を設置した新左翼諸党派が、やがて自らの意向に従わない人々 に「裏切り者」の汚名を着せ、ついには反対同盟を分裂させる事態に至った現 実がある以上、三里塚闘争の総括にとって核心的問題であることは誰も否定し ないだろう。 だが和多田、早野、前田の語るそれは、そうした新左翼一般の問題にとどま らず、私たちもまた《無自覚のうちに》、闘争主体である反対同盟を「縛り上 げた」のではないかという、踏み込んだ反省なのだ。 3.26闘争以降、水面下で進行した対政府交渉の準備がなかった結果として、 様々な妥協的対応に「絶対拒否」を対置するしかなく、あるいは成田用水問題 でも「絶対反対」という私たちの意向を貫こうとして、結局は、反対同盟員相 互の、オープンで自由な議論を阻害したのではなかったかと言う指摘は、私た ちが《あまり認めたくない現実》を直視することなしにはできないことだ。 そして早野くんは、いわゆる「条件派」に転じて離村する人々に対して、「 支援のいないところ」では、肩を抱いて「もういいよ。よくやってきたんだか ら、ご苦労さん」と必ず声を掛けて送り出す反対同盟の人々のエピソードを紹 介し、三里塚闘争の強さが、そしておそらくは弱さも、「人間共同体としての 生活母体がそこに成立している」ことの中にあったのだと喝破している。 つまり「われわれは勝利した」という3.26闘争の《私たちの評価》は、当時 の福田政府の思惑や警備陣との関係ではそうだったとしても、現地に生活基盤 を持つ闘争主体=反対同盟にとっては、そんな単純なことではなかったのだと 言うのである。 管制塔占拠に心底感激した反対同盟が、成田用水問題では、支援は「出て行 けばすむけど、俺らはここで生活するんだぞ」と思うのも三里塚闘争の現実だ ったのだと、早野くんは証言している。 * ところで当時の私たちは、この主体と支援の意識のギャップに目を塞ぎ、現 地・三里塚の現実とは乖離したところで「われわれは勝利した」ことにばかり 目を向け、3.26闘争を冷静に再評価し、反対同盟と支援の関係を再構築する機 会を自ら閉ざしてしまったのかもしれない。 ▼本当の実力闘争と生活防衛 もうひとつ、三里塚闘争と反対同盟に《育て鍛えてもらった》私たちという 問題も、この「支援による闘争主体の支配」の問題と密接な関係がある。 もちろんこの問題も、強制代執行阻止闘争の支援や、現地での援農を経験し た者にとっては当然のことだが、早野くんと前田くんの対談には一般的なそれ を越えて、「本当の実力闘争とは何か」を、私たちも、そして支援の新左翼も 「農民から学んだ」のだと、言い切っている。 3.26闘争が、警備陣の予測を越える「本当の実力闘争」として実現されたと すれば、部分的とはいえ戦前の農民運動の伝統を継承する反対同盟の、文字通 り体を張った抵抗や、機動隊を素手で押し返す婦人行動隊の気迫に感動した私 たちが、街頭で機動隊と衝突する程度の新左翼的なカンパニア闘争など、「本 当の実力闘争」ではないと考えるようになっていたからなのだ。 現に3.26当日、管制塔や空港ゲートに向かった青年労働者や学生たちの、あ る意味では人生を賭けた《本気の気概》は、第一次と第二次の代執行阻止闘争 で発揮された反対同盟の頑強な抵抗や、和多田さんが師と仰ぐ、常東農民運動 の指導者である故・山口武州さんの《本気》を間近に見ることで育まれた気概 だったのであって、私たちの拙い革命理論や決意主義がそんな気概を育てたか どうかは、はなはだ疑わしい。 そして早野くんの、「やっぱり生活をかけた防衛闘争の中にこそ本当の実力 闘争があった」【51頁】という証言は、《私たち》を鍛えてくれた三里塚闘争 のもうひとつの側面、つまり生活防衛を基本とする地域住民闘争という性格が、 いかに重要であったかを再確認させる指摘だろう。 だがそうだとすれば、こうした三里塚闘争の重要な側面を過小に評価し、現 地の実情とは乖離したところで「われわれは勝利した」と考えた《私たちの3. 26闘争評価》は、どうして生じたのだろうか。 それは、はたして「そういう事態」を、つまり管制塔占拠の成功という事態 を「予測していなかった」私たちの、「どうしようもない未熟さ」としてだけ 片付けてしまって良いのだろうか。 * 私ごとになるが、実は私は当時、3月開港阻止決戦と自民党政府の打倒がど のように連動するのか、ほとんどまったくイメージできなかった。 強いて言いえば、福田自民党政府が「目玉政策」として掲げた3月開港を阻 止あるいは延期させることができれば、福田政府の威信は大いに傷つき、他方 で三里塚闘争は一挙に高揚し、政府・自民党を窮地に追い込む大衆運動が全国 に波及し、私たちがそのイニシアチブを取れるかもしれないという程度の、実 に主観的な願望しか思い浮かべることができなかったのだ。 しかもこのイメージは、私たちが批判してきた、新左翼的な「一点突破・全 面展開」とどこが違うのだろうか。 悩んだ末に私は、当時の《有能な》第四インター指導部に「その後」の対応 のすべてを委ね、自らは行動隊の任務に専念すると決意し直すことで、《自分 の頭で考えること》をやめてしまったのだ。だから「そういう事態を予測して いなかった」という点では、私も同罪である。 だがその後の現実が証明したように、三里塚闘争は一挙に高揚もしなかった し、自民党政府を窮地に追い込むような大衆闘争も現れはしなかった。と言う よりも私たちは、三里塚闘争の《本質的性格》が政府・権力闘争だといった、 自らのドグマに裏切られたと言うべきなのだろう。 ▼闘争主体を支配した無謀な期待 それでも、3.26闘争に対する大衆的な共感が、私たちに、社会党・共産党そ して総評労働運の限界を越える、「三里塚派」なる新たな政治潮流形成の期待 を抱かせ、実際にも、創刊間もない「労働情報」を軸にした左派潮流形成が追 求された。 だがここでも、私たちの主観的な3.26評価にもとづく楽観的展望は、3.26闘 争で逮捕・起訴された青年労働者たちの懲戒処分撤回闘争、いわゆる三里塚反 処分闘争が、肝心の職場で孤立を深め次々と敗北することで、最初の挫折に直 面した。結局それは、いくつかの「戦闘的少数派労組」を結成することはでき たが、総体としては総評解体・連合結成の流れの中で四分五裂を強いられ、三 里塚派潮流なるものの社会的基盤が無かったことが明らかになったのである。 そして私は、三里塚反処分闘争の敗北から連合結成に至る一連の敗北を経て、 改めて《自分の頭で考えはじめた》。なぜなら3.26闘争の《偉大な勝利》と、 三里塚反処分闘争の《惨憺たる敗北》の関係を解明しなければ、活動家として の私の時間は、1978年で止まってしまうだろうからである。 * 私たちは、三里塚反処分闘争を「三里塚のように闘おう」と訴えて闘ったの だが、もし「生活をかけた防衛闘争の中にこそ本当の実力闘争があった」と言 う早野くんの指摘が正しければ、このスローガンは、職場の労働者たちに、今 すぐにでも、生活を賭けた「本当の実力闘争」で闘おうと呼びかけたも同然で あろう。 労働者にとっては生活基盤そのものである職場で、生活を賭けた実力闘争を 呼びかけるのは、革命前夜とか倒産による全員回顧とかいう、かなり切迫した 状況がなければ無謀に過ぎるだろう。 だがそうだとすれば、実は三里塚でも私たちは、闘争主体である反対同盟に、 同じような無謀な闘いを期待したとは言えないだろうか。和多田、早野、前田 の3人が三者三様に証言した、成田用水をめぐる反対同盟と支援の間に生じた 意識のギャップは、生活防衛闘争に対する、支援の側の無謀な期待に原因があ ったのだと思う。 こうして3.26以降、私たちもまた、無自覚のうちに、「無謀な闘い」に違和 感を抱く反対同盟を「縛りつけ」「支配しようとした」のではないのだろうか。 * 私たちがいま振り返るべきなのは、おそらくこうした《私たちのドグマ》の 背景や、思想的土台の問題なのだろう。 この点で、本書の和多田インタビューと早野・前田対談で語られた証言は、 私たちが自らの至らなさや未熟さを直視し、3.26闘争から豊かな教訓を学ぶ、 そんなきっかけを与えてくれると思う。 と同時に、こうした真摯な「反省と教訓」こそが、三里塚闘争に孕まれてい た生活防衛の地域住民闘争や、「ワンパック野菜」などの社会変革運動の側面 を再評価し、新左翼的なカンパニア闘争を越えて、現に三里塚にある運動と闘 争に連帯し、現地の人々の必要に寄り添う支援の在り方を見いだすことにつな がると思うのだ。(9/15記) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3:【グルジア・ロシア戦争】 何がグルジアを戦争に駆り立てたか −NATO加盟の頓挫とサアカシュビリ政権の焦燥− ▼サアカシュビリ政権の誤算 北京オリンピックが華々しく開幕した8月8日、グルジアからの分離独立を めぐって緊張の高まっていた南オセチア州で、グルジア軍とロシア軍の大規模 な武力衝突が勃発した。両軍が戦車や戦闘機を動員した本格的な武力衝突は、 まさに戦争の様相を呈した。 しかし両軍の戦闘では、優勢なロシア軍がたちまちグルジア軍を圧倒し、首 都トビリシをはじめグルジア各地の軍事基地やインフラはロシア軍の空爆に晒 され、グルジア領内に侵攻したロシア軍が主要な港湾や幹線道路を封鎖し、グ ルジア軍は南オセチア州全土からの撤退を余儀なくされた。 ところが先に軍事攻勢に打って出たのも、グルジアだった。ロシアの後ろ盾 で事実上の独立状態にある南オセチア州では、分離独立派の州政府と反対派が 散発的に武力衝突を繰り返していたが、サアカシュビリ政権がその支配権の奪 回を目指して軍事侵攻に踏み切ったのである。 サアカシュビリ大統領が、こうした冒険主義的な決断をしたのは、北京オリ ンピック期間中ならロシアの反撃も抑制されるだろうとの甘い予測のうえで、 ロシアとの戦争になれば、グルジアとウクライナのNATO(北大西洋条約機構) 加盟を後押しするアメリカは、軍事的支援をしてくれると本気で信じていたか らだと報じられている。 だがもちろんアメリカは、停戦とロシア軍の撤退を要求する以上の「支援」 はしなかったし、その後もグルジアに進駐したロシア軍の撤退をめぐって欧米 諸国とロシアの駆け引きが9月中旬までつづき、03年の「バラ革命」で誕生し たサアカシュビリ政権は大きな痛手を被ったのである。 ▼ロシアの対欧米アドバンテージ サアカシュビリ大統領の誤算は、グルジアとウクライナのNATO加盟をめぐっ て、アメリカとEUの温度差の過小評価と、アメリカの覇権を過大評価に原因が ある。 サアカシュビリ政権の中枢は、アメリカでのビジネスや留学経験があり、新 自由主義を信奉する若いエリートたちが占めているが、彼らの当面する最大の 目標は、NATOとEU(欧州連合)への加盟である。 そのNATO加盟は今年4月、グルジアとウクライナが加盟の交渉テーブル(MAP =加盟行動計画への参加)につく寸前までいったが、ロシア国防相が「いかな る手段を取ろうともこれを阻止する」と、威嚇的な声明を発表したことで頓挫 した。 ロシアが、グルジアとウクライナのNATO加盟に激しく反発するのは、後述の ように十分予測されたことだったが、それを承知でMAPを強行しようとしたのは、 アメリカのブライザ国務次官補である。つまり両国のNATO加盟を強く後押しす るアメリカの強引さが、サアカシュビリ大統領の冒険主義的決断を誘発した可 能性があるのだ。 それでも、ロシア国防相の声明がグルジアとウクライナのNATO加盟を阻止す る威嚇として威力があったのは、NATOとEUの中枢であるフランスとドイツを中 心に、原油や天然ガスなど主要なエネルギー供給でロシアへの依存を深めてい るために、欧州諸国の対ロシア外交は「腰が引けている」と、まことしやかに 語られている。 たしかに現在のロシア経済は、原油をはじめとする原材料輸出に依存するモ ノカルチャー経済と化し、原油と天然ガスの生産量の合計ではサウジアラビア を抜いて世界第一位となり、フランスとドイツのロシア産天然ガスへの依存度 は30%に達する。また折からの原材料高騰もあって、ロシアの外貨準備も4644 億ドルと、中国、日本に次いで世界第三位まで積み上がった。これは、対欧米 外交のアドバンテージに他ならない。 そしてだからこそサアカシュビリ政権は、覇権国家・アメリカが、欧州の逡 巡を押し切ることを期待したのだろう。 だがいまやアメリカの「覇権」は、イラク戦争の泥沼とアメリカ発の世界恐 慌の不安の前に色あせ、新たな国際協調の枠組みが模索されはじめていたのだ。 ▼新冷戦か、グルジアの焦燥か ところが、豊富なエネルギー資源の輸出を牽引車にした経済的再建を背景に、 プーチン政権が進めた「強いロシア」の復権をめざす外交は、「新冷戦」の始 まりだとする論評が欧米諸国にも広がっている。 たしかに、プーチンの「強権的」政治手法はロシア国内と周辺諸国で様々な 軋轢を引き起こしており、エネルギー供給を人質に取るような外交が現実とな れば、それは欧米とくにEU諸国の脅威となる。 だがはたしてメドベージェフ・プーチン政権は、EU諸国との間に「新冷戦」 なる新たな緊張関係を望んでいるだろうか。あるいは豊富なエネルギー資源を 持つだけで、ロシアが新たな覇権国家になれるなどと本気で考えることができ るだろうか。 グルジアとウクライナのNATO加盟への反発も、それが軍事同盟であることと あわせて、ウクライナを「スラブ民族の三兄弟」の地と考える「民族主義的反 感」が強く働いていると言える。ロシアにとってウクライナのNATO加盟は、グ ルジアのそれよりはるかに大きなインパクトなのだ。 つまりフランスとドイツを中心とするNATO諸国が、グルジアとウクライナの NATO加盟に慎重な姿勢に転じたのは、天然ガスの供給が止められる「脅威」以 上に、プーチンを押し上げている「ロシアの民族感情」を刺激することで「強 いロシア」の復権を掲げるプーチン外交がさらに硬化し、かつての東欧地域な どにまで混乱が拡大するのを懸念したためと考えられる。 だがこうしてサアカシュビリ政権は、南オセチア州とアブハジア自治共和国 の分離独立派を支援し、平和維持部隊としてこの地域に駐留するロシア軍との 「戦争」に訴えることで、NATO加盟をめぐる膠着状態を打開する焦燥に駆られ たのであろう。 旧ソ連邦地域へのNATOの拡大に対するロシアの反発を「新冷戦」と評し、「 ロシアの脅威」をことさらに喧伝するのは、経済成長著しい中国を「脅威」と して現実的対応を軽視する日本の評論に似て、生産的な言説とは言えないだろ う。(10/8:ふじき・れい) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】10月号を配信します。9月号は都合により休刊しました。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第58号(通巻182号) 2008年10月13日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm からでき ます。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


