2008/07/31
インターナショナル57
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第57号(通巻181号) 2008年7月31日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 0:【特集にあたって】秋葉原殺傷事件 1:教育と文化・社会:【特集・秋葉原殺傷事件】 青年はなぜ、殺人鬼に変貌したのか −背後にある、人を人として扱わない社会− 2:運動と組織のありかた(労働組合・NGO):【特集・秋葉原殺傷事件】 人格を否定される派遣労働の現実 −加害青年の転職歴は何を意味するのか− 3:教育と文化・社会:【特集・秋葉原殺傷事件】 アトム化と孤立を生み出した多様なコミュニティーの崩壊 −「コミュニティーの核」となる小中学校再生の試み− 4:運動と組織のありかた(労働組合・NGO): 【寄稿】『松崎明 秘録』(同時代社刊 1400円+税)を読んで 人々の琴線に触れない自己を正当化する論調 −「内ゲバ」は「マズイと思った」で済むのか− 江藤正修 5:夏季一時金カンパを訴えます ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【特集にあたって】6月9日の「秋葉原無差別殺傷事件」は、大きな衝撃ととも に、現代日本がかかえる多くの問題を私たちに突きつけた。 もちろん加害者の犯行は、その背後に何があったにしろ許されざる行為であ り、彼はその責任を問われなければならない。だが事件は同時に、派遣労働者 を使い捨てにする「労働市場の規制緩和」が、あるいは「勝ち組・負け組」に 人間を分別する「競争社会」が、人間の精神に恐るべき恐怖とともに、凶暴な 衝動を育む危険性を浮き彫りにもしたと思われる。 衝撃的な事件の背景や、その突破口を探ってみた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:【特集・秋葉原殺傷事件】 青年はなぜ、殺人鬼に変貌したのか −背後にある、人を人として扱わない社会− 6月8日午後0時10分。東京・秋葉原の歩行者天国に突然2tトラックが突っ 込み、5人の歩行者を跳ねて3人を即死させ、さらにトラックの運転手は車か ら降りて通行人やアルバイト店員など12人をナイフで刺して4人を死に至らし めた。 犯人はその場で逮捕された、25歳の派遣社員の男。彼は5本のナイフを用意 し、レンタカーを借りて静岡からわざわざ東京・秋葉原まで足を運んで、17人 の人を殺傷した。そして犯人は逮捕後に、「誰でも良かった」「これまでの人 生が嫌になった」と、警官に動機を語ったという。 犯行はほんの数分の出来事ではあったが、日曜日の歩道者天国で賑わう秋葉 原の雑踏の中を、まったく行きずりの見知らぬ人を次々と襲うと言う、極めて 残虐な犯行であった。これとともに事件の異常さを際立たせたのは、犯人が、 犯行に至る心の動きと、犯行の計画・準備・実行までの詳しい経緯を、携帯サ イトに綴っていたことであった。 そして、彼のサイトには多くの人が訪れて彼とやり取りを交わし、彼が犯罪 へと突進していく様を交信を通じて確認しながらも、誰も彼に直接警告してそ れを止めようともしなかったことが、犯人を取り巻く人間社会が、人と人との 具体的な関係性の希薄な、脆弱なものであることを浮き立たせた。 ▼携帯サイトの犯行予告 報道された範囲で、犯行までの彼の心の経緯を辿ってみよう(引用はすべて 毎日新聞の報道である)。 犯行を行った青年は、昨年11月から東京の派遣会社から、静岡県裾野市のト ヨタ自動車の下請け会社・関東自動車工業東富士工場に派遣され、自動車の塗 装の点検などの業務を行って、同社の寮に一人で住んでいた。 しかし同僚の中にも友人もおらず、ただひたすら仕事に励み、携帯サイトで 心の中のものを吐き出すという、極めて人間関係の薄い環境の中ですごしてい た。実際には仕事環境にも大いに不満であったが、その不満をぶつけたのは、 彼の携帯サイトに訪れる見知らぬ他人に対してであった。 そして、携帯サイトの中でも自分を受け入れてくれる人を見出せずに不満を 募らせていたところに、6月2日、会社による突然の派遣社員の大量解雇通告 (200人中150人の解雇)が行われた。しかし直後の3日に、偶然出会った派遣 元担当者から彼自身は雇用継続との通告があり、ここらあたりで彼の忍耐力は 切れたようだ。4日の彼のサイトには、「土浦の何人か刺した奴を思い出した」 との書き込みがあった。 翌6月5日早朝の書き込みでは、「おれが必要なんじゃなくて、とりあえず クビ延期」と労働者を人として扱わない会社へ不満をぶつけ、その後に会社に 現れた彼は、更衣室に自分の作業着がないことに気がつき、「会社はなめてる」 と叫んで手当たり次第に物を投げ会社から姿を消した。 この直後のサイトへの書き込みに彼は、明日、福井まで行ってナイフを買っ てくることを書いたあと、こう書いた。 「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする。ちょっとしたことで 犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり。やっぱり人って大事だと思う。 人と関りすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし、難しいね。『誰で も良かった』。なんかわかる気がする」と。そして東京にトラックで出かけ、 事件を起こすことを仄めかす。 こうして「会社を辞めた」彼は、6月6日早朝の書き込みには「住所不定無 職になった。ますます絶望だ」「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」 とあり、電車で2万円かけて、片道4時間往復8時間以上もかけて福井まで行 き、ナイフを6本手に入れる。そして6月7日には、東京の秋葉原に出かけて パソコンソフトなどを売り払って犯行資金を手に入れる。この時、犯行場所を 下見したことがその後の捜査で判明している。そして静岡に戻ってレンタカー 会社で2tトラックを借り入れる。 事件当日の8日は、早朝に「車でつっこんんで、車が使えなくなったらナイ フを使う」と携帯サイトに書き込んで、高速と一般道を使って6時間かけて秋 葉原まで出向き、事件を起こした。 ▼「優等生」と過剰な自己卑下 行われた犯罪も異様ならば、そこに至るまでの経過がほとんど携帯サイトに 綴られたこともまた異様である。 しかし事件の背景を見ると、その表面的な異様さの裏側に、現在の日本社会 の異様さが、幾層も積み重なって姿を現していることが見て取れる。 彼を犯行に駆り立てた直接の原因は、派遣労働の過酷な労働条件と、労働者 を需給の変動に応じて即座にクビを切る、人を人とも思っていない非人間的雇 用環境にあることは明白だ。労働者をそのように扱うことを可能とした労働法 制の存在と、それを要請した産業界。さらにこれを容認した政界と、産業界の 番犬になりさがって、こうした膨大な非正規雇用労働者をすら守り抜こうとは しない労働組合の現状。これらが、今回の犯罪を生み出した直接の背景である。 短大卒業後の5年間に、派遣社員として多くの職場を転々と移動し、一度は 郷里・青森に帰って地元の運送会社に正社員運転手として雇われながらも長続 きせず、再度派遣社員として自動車工業に来るという、取替え可能な一部品と しての労働者としてしか扱われなかった青年。 この中で彼が今までの自分に嫌気がさし、これから先の未来への希望を失っ たとしてもこれは不思議ではない(派遣労働の実態などについては、他の論考 に譲る)。 しかし、彼が非人間的な環境におかれた中で生まれた怒りを爆発させ、関係 のない人々を殺すことでその怒りを発散させようと行動した裏には、もう一つ 別の問題があるように思える。 ネットの彼の記述から伺い知れるものは、彼の表面的な自信過剰と、その裏 にある過剰なほどの自己卑下と自信のなさ。 そしてネットで見られる彼の姿は、必死で自分を理解してくれる人を探す、 あまりに寂しげなものである。しかしまったく受け入れられない中でやがて彼 は突然怒りだし、凶行に及ぶ。 彼の怒りは誰に向けられたものであったのか? 報道された彼の「肉声」で は、まるで彼を受け入れてくれない社会全体に対する怒りであるかのような様 相を呈しているが、その実態は親に対する怒り、いや、怒りというより、親に 助けを求める叫びと見える。 これは彼の生い立ちを振り返ってみると、ますます確信に近いものとなる。 * 彼は、職場での人員削減で悩んでいた中で携帯サイトで事件を起こすことを 仄めかしたあと、突然、自分のこれまでのこと、とくに親との関係を喋りだし た。6月4日の早朝のことである。 「俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。考えてみりゃ納得だよな。 親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させ られていたから勉強は完璧。親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に 仕上げたわけだ。中学生になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた。 小学校の『貯金』だけでトップを取り続けた。県内トップの進学校に入ってあ とはずっとビリ。好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった」 と。 これによれば、少なくとも彼は、高校に入るまでは親に操られる人形に過ぎ なかった。しかし中学生の途中で、優等生にするには手がかかりすぎる彼から、 親の関心は3歳年下の弟に移り、彼はこれを「親に捨てられた」と表現した。 ▼親に魂を殺された青年の叫び この頃のことだろう。テレビのインタビューに応えた中学の同級生が、「人 が変わった。切れたら怖いという感じがした」と語っていた。同じくテレビの インタビューに応じた近所の人の証言として、母親に暴力を振るうようになっ たというものもある。 彼は自分が親に愛されていないということを、感じ始めたのだ。 彼は、青森県内屈指の進学校の青森高校に入学したところで、親に与えられ た優等生を演じることに疲れたのだろう。 いくら中学ではトップクラスでも、各中学のトップクラスが集まる中では、 へたすればビリに近くなる。ここで彼は自分の限界に直面し、以後はカーチェ イスのゲームにはまり成績は下降線に。結果として、中部地方の自動車整備工 を養成する短大に進学したということは、おそらく高校では勉学に励まなかっ たことを意味している。彼は、高校でビリに近い成績になったことをきっかけ に、親に強制された優等生の道から逃げる路を選んだのだ。 そう、逃げたのだ。それまでの人形のような自分に対峙し、それを乗り越え たのではなく逃げた。その結果が「本人も親もがっかりした」短期大学への進 学。 しかし短大で自動車整備を学んだといっても、短大卒業後に自動車整備士に なったわけではなかった。 実際には仙台、さいたま、茨城常総市などを転々として、土建業や建設業・ 自動車工場などで派遣社員として働き、最後には一度、郷里の青森に戻って運 送会社の正社員運転手に採用されたが8ヶ月でそこも辞め、昨年11月から関東 自動車工業で派遣社員として働くこととなったという。 彼自身の言葉としては、「青森で車でえらい借金をして静岡まで逃げてきた」 と伝えられている。車を改造して、道路を暴走していたらしい。高校時代には まったカーチェイスゲームを、現実のものにしたということだろうか。 親の強制・暴力によって勉強させられ優等生になったとは言え、彼自身にも 人に優れた力がなければ、それも不可能であったろう。しかし親の期待が弟に 移り、高校での成績が振るわなかったことをきっかけに優等生であることを辞 めた後は、親に敷かれたレールをただ操り人形として走ってきた彼には、レー ルから外れた時、自分は何者なのか、自分は何をしたいのか、自分の力で走る 目標はなになのかを見出す力すらもたなかったのだ。彼の魂は殺されていたか ら。 短大卒業後の彼の人生は、まさに自分を求めての流浪の人生であった。 * 以上のように彼の生育暦を見るとき、彼を束縛していたものは、親の過剰な 期待と暴力という虐待であったことは明白である。そして、異常な犯罪によっ て彼が爆発させた怒りは、彼自身としても何に対する怒りなのかよくわかって いないもののように思える。 取調べの中で彼は、「始めて自分の話に耳を傾けてくれる人に出会った」と 言って、取調べの警察官に、幼い日々なども含めて、自分のこれまでの人生を 詳しく語っているという。彼はこれまで、なぜ自分がこれほど自信がなくだめ なのかを、過去に遡って過去の自分に面と向かって相対し、それを乗り越える 作業をする機会がなかったに違いない。 彼が今回の事件で爆発させたものは、社会に対する怒りでも、自分や親に対 する怒りでもない。怒りという形を借りた、魂の叫び。たすけてくれ!という 叫びだったと見るほうが正解であると思う。 ▼親の虐待を必然化する競争社会 親の虐待によって魂を破壊された故に、人間を人間とも思わない過酷な労働 条件に対する不満を爆発させるとき、この不満と、今まで親に一度も子どもと して愛されなかったことへの不満が結びついて、無差別殺傷事件という形で、 その怒り・不満を爆発させたのだ。もっと適切な方法があったとは思うが、自 分を追い詰めている者が何者かを理解できていない彼にとっては、この方法を 取る以外になかったに違いない。 しかしだからといって、これは犯罪を犯した彼個人に責任をなすり付けるも のではないし、彼の両親に責任をなすりつけるものでもない。 もちろん彼らには償う責任がある。 彼の両親は彼に償う責任があり、彼は被害者とその家族に対して罪を償う責 任がある。 だが、近年起こった多くの凶悪な犯罪の実行犯の生い立ちを見ると、ほとん どその生育暦において、肉体的なものか精神的なものかの違いがあっても、親 の虐待が背景にあることがわかる。記憶に新しいところでは、父親の過剰な期 待による暴力で勉強に邁進させられた少年が、父親を殴り殺そうとして果たせ ず、家に放火して継母と弟妹を焼き殺した事件。事件の調書がルポ作家によっ て本にそのまま引用されて問題となった事件だ。 あの事件の背景には明白に、親の過剰な期待という虐待がある。その他にも、 親殺し・兄弟姉妹殺し・子どもが子どもを殺した事件や無差別殺傷事件…、そ して児童虐待や配偶者や恋人による暴力など。これらの事件の背景には、それ ぞれの直接的な事件の原因以外に、親の虐待が存在する。 しかし犯罪の陰に親の虐待があることが、正面切って問われることはほとん どない。 なぜか。 それは現在の日本の競争社会が、親による虐待を生み出しているからだ。親 が子に対して過度な期待を抱いて受験勉強を強制するのも、競争社会において 勝ち抜かせたいと考えるからだ。そして大人もまた競争社会の中で過度のスト レスにさらされているが故に、そのはけ口として子どもや女性や老人など、弱 い者を暴力の餌食としてしまうのだ。 だから社会は、事件の裏側から目をそむける。秋葉原通り魔殺傷事件の場合 にも、新聞やテレビなどの大メディアでは、「両親は教育熱心でよくしかって いた」という程度の報道だ。だが週刊誌によると、実際には暴力が振るわれて いたという。そして親の暴力を暴いた週刊誌も、これはその家庭の問題という 取り扱いですませ、頻発する犯罪の陰に、親が子どもを虐待する事件があるこ とを論じようとしない。 この意味で秋葉原通り魔殺傷事件は、過度の競争社会となった日本の社会の 醜い姿を、さらけ出したものと言えるのだ。派遣労働の醜い実態だけではなく、 親が子どもを駆り立てる虐待の実態や、親に虐待をさせる競争社会の実態など、 この社会全体の醜さこそが暴かれ、改善されねばならない。 そして彼自身の力で親の呪縛から逃れ出る路を用意する心理カウンセリング こそ今の彼にとって必要なものはないが、取調べや裁判を通じても、彼にこの 機会は訪れないだろう。親の虐待を原因として認定しない社会では、こうした 治療を受けさせるのではなく、刑務所へ送り死刑にするというのが、社会が定 めたコースである。彼をこのまま、このお決まりのコースに送りこんではなら ない。 (7/14:すどう・けいすけ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2:【特集・秋葉原殺傷事件】 人格を否定される派遣労働の現実 −加害青年の転職歴は何を意味するのか− ▼すべてが「家族の責任」か? 秋葉原事件は単なる殺人事件ではない、現在の社会状況への、負の側面から の問題提起が行われたと受け止め、その捉え直しが進んでいる。 事件当初、犯人の生い立ちが家族と一緒に取り上げられた。20歳を過ぎ、離 れて暮らす子供の行為を、親がマスコミの前で謝罪する。取材する側は、親に どれくらい責任があると捉えているのだろうか。 そこでは、人間形成は親・家族によって行われなければならず、その教育を 誤ると社会秩序を乱すという、国家主義的価値観を浸透させるような世論誘導 がされている。 さらに事件当初は、彼の出身高校名も伏せられていた。名門校の卒業生は社 会の落ちこぼれになるはずはなく、彼は例外だという取扱だったのだろう。 事件を起こしたすべての責任が、本人と家族にあるという主張だった。 だが「ワイドショー」というドラマは、転職の繰返しの経歴と、家族関係の 問題点の接点をうまく説明できない。木に竹を接ぎ木するようなものだからで ある。 しかし派遣労働者である彼の実態に迫ろうとしない報道に、いまや決して小 さな存在ではなくなった派遣労働者たちから、多くの叫びが届けられた。 * 当初の報道では、派遣労働者が事件を起こしたという報道だけで、派遣元も 派遣先も明らかにされなかった。 会社が製造する商品には、会社の名前とセットになった商品名がある。たと えば「トヨタのカローラ」という風に。そしてトヨタの社員は、「カローラを 製造しているトヨタの社員」なのである。 しかし彼には、会社名がつかなかった。社名の付かない「派遣労働者」なの である。派遣元も派遣先も、彼を「うちで働いている労働者」とは認めない。 これが、現在の派遣社員の置かれている現状を物語っているのではないだろう か。 派遣労働者は、まさしくトヨタが考えだした「ジャスト・イン・タイム」と 同様に、必要な時に「取り寄せ」不要になったら「返品する」部品でしかなく、 彼らは商品以下に取り扱われている。 「派遣社員」は、勝ち組社会から排除される状況に追いやられてきたが、そ の結果、今回の事件は、逆に派遣社員の抱える問題を世に問うことになった。 ▼いつでも取り換え可能な労働力 95年、日経連は「新時代の『日本的経営』」を発表した。 労働者を、1:「長期蓄積能力活用型グループ」(総合職正規社員)、2: 「高度専門能力活用型グループ」(一般正規職員)、3:「雇用柔軟型グルー プ」(パート、臨時)に分けての雇用に方向づけをした。 この分類は、雇用契約内容に違いはあるが、労働者は建前としては、それぞ れ労使が対等な立場で契約を締結していることになる。しかし現実の問題とし て捉えた時、なおかつ雇用する使用者の姿勢でとらえた時、1:は、会社が経 営上恒常的と必要とする人材、2:は、能力的、時間的に、部分的に必要に応 じて利用する人材である。 では3は、どう位置付けられているのか。人格は必要のない、いつでも取り 換えが可能な労働力である。人格を必要としない労働者に対して、会社は教育 ・訓練を保障しないだけでなく、生活も保障しない。 その分類はそのまま、社会的なさまざまな格差の中に位置付けられている。 「雇用の流動化」は1:から2:や3:に、2:から3:に異動することが あっても、逆流はほとんどない一方通行である。さらに、それぞれの細分化も 進んでいる。 当初、派遣労働者は2:に位置づけられたが、法改正が繰り返されて、3: に移動させられていった。さらに昨今問題になっている日雇い派遣労働者は、 3:でもない、使用者側にとっての「自由裁量労働力」である。労働者は人格 だけでなく、人権が奪われて行った。 今回の事件のように、人権復活の叫びが負の手段で訴えられたということを、 私たちはどう受け止めるかが今問われている。 ▼「会社は誰のものか」を問い直す 労働者の人権が、賃金・生活を含めて奪われているが、ではその労働者の業 績は、どこに収奪されているのか。 昨今の会社経営では、ファンドとにわか株主が取りざたされている。 会社はだれのものか。ファンドとにわか株主は、自分たちのものだと主張す る。しかし本来、株主は会社の最高決定機関である株主総会での決定に参加す る資格を持っているだけの存在である。 労働者は、短期間に収奪していくマネーゲームを展開する、ゲリラ的に登場 して跋扈する、ファンドとにわか株主のために働いているのではない。 村上ファンドの「お金を儲けることはいけないことですか」という質問には、 「労働者の労働力の成果を対象にしたギャンブルで、お金を儲けることはいけ ないことです」と断言しなければならない。 会社は、「法人」という人格を持っている。そこには、労働者の保護や社会 的存在価値・責任も含まれる。 しかしファンドやにわか株主は、会社の人格を無視する。そしてその延長線 で、労働者の人格・人権をも無視する。 私たちはもう一度、会社はだれのものかと問い直さなければならない。 そこではパート、派遣等の労働者を会社の内側に位置づけ直して、会社は労 働者のものであり、社会のものであるということを確認させなければならない。 * 労働者はだれでも、安全に働いて安心して生活する権利がある。そのための 条件を会社に要求し、実現する権利がある。そのことを主張し、共感され、要 求することが当然の権利であると確認された時、秋葉原事件の彼の行為は、間 違いであったということができるのである。 (7/15:いしだ・けい) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3:【特集・秋葉原殺傷事件】 アトム化と孤立を生み出した多様なコミュニティーの崩壊 −「コミュニティーの核」となる小中学校再生の試み− ▼教育制度だけの問題ではない 諸々の報道では、この加害者の生い立ちから事件の当日までの動きを報じて いる。その内容を簡単に整理しておくと、1:優等生で過ごした小中学校時代、 2:名門といわれている青森高校での挫折、3:専門学校の時期と派遣社員の 時期、4:メールの投稿と内容(事件当日まで)となる。 これらの中で彼は、優等生であった事は、親の強制と援助で優秀な成績を修 めたに過ぎず、自分の力でないと告白し、後には親の傀儡に過ぎなかったこと を強く憤り、親への復讐を今回の犯行の理由の一つに挙げている。また、青森 高校での挫折は、自分の学力の弱さと併せ、周囲のクラスメートへの強い劣等 意識が芽生え、その後社会人になって失職を重ねていく中で増幅していく。 「負け組」を自称し「勝ち組」を呪い、誰でもよいから殺す計画を企て実行し た、という。 この限りにおいて、身勝手な反社会的な人間に育った理由は何かということ が、事件の背景ということになる。 一般的には「教育制度」と「競争主義」をその背景にあげているが、それは それで、その通りであろう。 教育制度が大きく改変され、その移行期に彼は身を置いているからだ。この 教育制度の改編によって生み出された世代は、いわゆる「失われた10年」と、 それに続く小泉改革路線の時期と重なるのである。そして「生きる力」に象徴 される「ゆとり教育」が導入されてくるのである。 しかしその内実は、長い間蓄積された知識獲得の体系を分断し、相互の連携 を無視した知識のばらまきを敢えて教育課程の中に据えて、一方では個人のや る気と努力による学力獲得という、「競争主義」の導入という相反する教育体 系の実施にあった。 その行き着いた先は、全国で実施されている『習熟度別学級』の実施であり、 「自己責任」を強調した教育の実施である。こういう中で、公立高校と私立高 校の激烈な生徒獲得競争が展開され、より一層の「競争」が展開されているの が現実である。こうして「勝ち組」を目指す親と子どもは、小中学生は言うに 及ばず、高校生でも塾に通い、家庭教師の導入が通例となっている。 しかし大多数の子どもは、親の「熱意と教育投資力」の限界のために、結果 的に「負け組」(この言葉を遣うことに躊躇があるが、事件の報道によく使わ れているので使用する。「勝ち組」も同様である)に甘んじる事になっている。 早くから「負け組」に選別された子どもやその親は、深く傷つき、あきらめ、 「負け組」に用意されたさまざまな進路を選択せざるを得ない。 ▼学校の在り方が問われている 人間の成長過程で、学校教育は大きな役割を果たしている。 学校は、子どもと教師と保護者の三者で成り立っている。基本的にはそれぞ れの関係がうまく機能してはじめて、教育の成果につながる活動が行われる。 そして地域の住民のさまざまな関わり方が、その質を豊にもし、貧しくもして いる。 その学校教育の役割は、今日的には大きく変貌してきている。 前述のような社会の大きな変容と、教育制度の改編に起因していることは明 らかであるが、現場である学校も確実に変貌し、本来的に学校教育の果たして 来た役割は失われてきている。 学校教育の役割は、 第一に、集団の中で個を育てる(人間教育・学力)こ とであり、第二に、自治を行う力を育て、〃民主主義〃や〃共生〃を学んだ、 次代を担う若者を育てることにあった。 しかし今、この教育概念が急速に現場から排除されている。その事を強く意 識している時に、次々と悲惨な事件が起きている。今回の事件もその一つであ る。 1999年の池袋や下関など、幾多の無差別殺傷事件からは、社会や家族によっ て追い込まれた人間の絶望的な叫びが聞こえてくる。なぜ、そうなってしまう のか。 改めて、人間関係の「アトム化」という状況が思い当たる。 人間は職場、学校、地域社会そして家族の中で、互いに人間関係を結び、自 分の生き方や思想を培ってきた。また、生きるエネルギーを得てもきた。 しかし思うに1980年代以降、人々を結びつけてきた『場』(サークル)が次 々と消滅し、あるいは変容してきている。「労働組合」であったり、生き生き とした自主的活動を保証していた「生徒会」であったり、「PTA」もその一つで あっただろうし、地域社会にも人々つなげる多くの場があったのである。そし て家族の中にも、相互扶助の具体的な活動と学習の場があった。 しかし現在は、この『場』を意識してつくろうとする動きは少なからずある が、成功しているとはいえない。つまりはほとんどの日本人は「アトム(原子)」 の状態で、深い孤独感の中にいると思われる。この最も顕著な現れが、『鬱病』 の急増ではないか。 かくいう私の娘もこの病にかかり、専門学校を中退し、未だに仕事に就けな いでいる。この原因・背景を考察したとき、私自身と家族の在り方が思い当た った。 転居や多忙を理由に、家族との関係を維持しようとしてこなかった自分の生 き方が、娘の「生きる力」を奪ったということを痛感した。やり直しはきかな いが、新たな関係を築くことが私の最大の課題である。 私事に文面をさいたが、日本のどの家庭・学校・職場でも、同様の事態が進 行していると感じざるを得ない。私の出会った幾人もの子どもや親が、この病 に苦しんでいた。 * ところで、秋葉原事件の加害者は、人間関係を築けずに、他者との関係の結 び方を取得できないまま青年期を迎え、挫折してしまったと言える。この加害 者と同様の状況は、いくつもの実例を知っている。他者を踏みにじることで、 かろうじて自己を維持している子どもを多数知っている。 しかし、社会や親を敵として無差別に人を殺傷する事件は希である。それで も、このような事件を生み出した背景は、教育制度だけにあるのではなく、新 自由主義によって再編された社会の、行き着いた先を示していることについて は間違いない。 このような中で、親は企業戦士として、なりふり構わぬ会社の利益第一主義 の尖兵なって身をすり減らし、リストラからの生き残りのために、時には仲間 を裏切る生き方をしてきたのである。その子どもの世代は、明らかに「新しい 特徴」を発揮している世代である。であるからこそ、加害者の家庭や親の責任 を明らかにするためには、個別「加藤家」だけを問題にするのでなく、社会の 有り様を分析し、現代社会の「矛盾」を追求しなければならない。 ますます「アトム化」する現代日本では、「限界集落」という言葉に象徴さ れる、地域社会の崩壊の進行が止まらない。無能なうえに、『自己責任』とい う、自分の身の回りのことにしか思考の範囲がおよばない資本家・政治家・官 僚は、ますます『自己責任』という保身に走るだけである。 そして今回の事件の対応は、銃刀の規制と監視社会への移行、さらには道徳 教育の強制に向かっていることは確かである。この結果は、虚ろな人間関係や 倫理性しか生み出すことはない。 ▼新しいコミュニティ−の構築 では、どのようにして新たな社会や人間関係を作り出すことができるのか。 教育制度に係わって筆者が体験したことから述べるならば、「新しい学校」 を作ることである。 それは、地域的コミユニティーの核としての学校である。 明治の学制発布の折り、地域は自らの手で小学校を創出した。手弁当で校舎 建築まではせ参じたエピソードは事欠かない。つまり地域コミュニティにとっ て、学校とは地域づくりの核だったのである。 今また地域が崩壊していく中で、学校の閉校は、まさしく地域崩壊を象徴す る出来事になっている。都会のど真ん中でも、へき地でも、どんどん学校が消 え、効率化の名の下に学校の統合が進み、学校給食のセンター化も進んでいる。 秋葉原事件の加害青年の出身地・青森県でも、この数年で90にもおよぶ小中 学校が閉校になった。 こういう傾向の中で、「地域(村)から学校が消えることは、地域(村)が 消えることにほかならない。学校は絶対に存続させる」と考える地域が少なか らずある。 * 人口500人の、高知県大川村もそうである。四国の水瓶である早明浦ダムの建 設で、村の中央部はダムに沈んだ。この村の学校は、あと数年もすれば子ども がいなくなるという、「限界村落」である。あまりに人口が少なくへき地であ るが故に、隣接する市町村はどこも合併しようとしない。 若者が将来を悲観し、都会に出てしまうという危機感を抱いた教育委員会は、 発想の転換を行って3つの小学校と1つの中学校を統合し、大川村立大川小中 学校をつくってしまったのである。 校舎は地元産の間伐材を使い、1階を小学校、2階を中学校とし、教師も小 中学校教諭を兼務するというのである。小中一貫教育の学校である。 これは、地域の住民と対話し、県教委と交渉し、特別施策を引き出した村の 教育長の努力があった結果である。 この学校の意義は何か。いくつかをあげてみると、1:逆境を逆手にとって、 小中一貫校という特別施策を引き出したこと。現在高知県は、この大川村をモ デルに同様の小中一貫校を5校開校しており、まだ増える傾向にある。2:小 中一貫教育という形態で、カリキュラムを再編成し、学力の向上をはかる可能 性が出てきた。3:魅力ある学校作りを通して、山村留学を受け入れ、生徒数 を確保できる可能性もある。4:地域コミュニティの学校という位置づけを行 ったこと。 ここで大切なことは、2006年に「地域コミュニティ学校」という制度が国会 で承認された事である。簡潔に述べるならば、地域が決意すれば、財政は国 (県・市町村)が保証し、人事権・教育カリキュラムは地域に属するという、 新しい形態の学校を創出するための制度である。 もちろんこの制度は、両刃の剣である。地域が「保守反動」になれば、ひど い学校になってしまう可能性もある。東京・杉並区の中学校が、大手進学塾と 提携した有料の補習授業を導入しようとした事は、ある意味でその悪い例と言 えるかもしれない。 しかし、地域的な民主主義が確保できたところでは、永久的に学校の改善を 住民の意思で行うことができるのである。これはまさしく地域変革である。 京都府の山間地にある、小中校併せて21名というへき地のPTAは、この大川村 の視察で大いに刺戟を受け、「学校再編」の取組をはじめた。 地元議員を引き込み、教育委員会を突き上げ、住民を組織し、自治会組織を 前面に立てて市長と交渉し、遂に市長の「小中学校建設」の言質を引き出し、 教育委員会と住民の準備委員会の創設まで突き進んだ。 ところが突然、市の態度が豹変し、計画の破棄と休校宣言が飛び出し、大混 乱となった。市教育委員会の豹変は、おそらく「国と府の指導」(財政補助を 保証しない)というものではないかと考えられる。 しかし、この地域の住民の意思と行動は、日本の学校制度を作りかえる上で、 大いなる可能性を示したことにある。 日本ではじめて、住民の意思による民主的な学校運営が図られる可能性であ る。こうした試みを受けつぐ中で、日本の教育の未来が見える。そしてこうい う学校で育った子どもは、自分のために必死で頑張る両親や地域住民に感謝し、 無差別殺人とは対極の人生を送ることになるだろう。 (7/15:ゆら・たろう) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 4:【寄稿】『松崎明 秘録』(同時代社刊 1400円+税)を読んで 人々の琴線に触れない自己を正当化する論調 −「内ゲバ」は「マズイと思った」で済むのか− 江藤正修 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一昨年の2月、寺岡衛著・「戦後左翼はなぜ解体されたのか」の出版を祝っ て開かれた集いを契機に民主討論クラブが結成され、約2年間にわたって新左 翼諸党派の総括を切り口に戦後新・旧左翼の検証を行なってきた。 その民主討論クラブは今年5月、これまでの討論の一環として、4月に出版 された「松崎明秘録」(同時代社発行)を取り上げ、様々な角度から検討を加 えたが、このほど、その中の1つの見解として、「先駆」6月号に江藤正修さ んが書評を寄稿した。 今回、「先駆」編集部と江藤さんの了解を得て、この書評を「資料」として 転載する。見出しは本紙編集部で付けた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ▼「秘録」の2つの問題点 「松崎明秘録」(「秘録」)というインタビュー集が発行された。松崎明と はJR総連の元会長、インタビュアーは宮崎学である。この本は2つの点で注 目できると思う。1つ目は革マル派(革命的共産主義者同盟革命的マルクス主 義派)副議長と目されていた松崎が、革マル派の体現した「内ゲバ」にどう答 えているかであり、2つ目は国鉄の分割民営化という過去の経過も含めた日本 労働運動の今後を、松崎がどう考えているかである(文中敬称略)。 なぜ、このような問題の立て方をするのかといえば、JR総連とその源流であ る動労型運動を今後の日本労働運動再建の重要な一翼として再評価しようとい う点が、「秘録」から読み取れるからであり、その問題意識は雑誌「情況」1-2 月号に掲載された「60年間の実践の教訓と私の自己批判」(樋口篤三)、同 「『JR総連・JR東労組=革マル』説に怯える人々に」(戸塚秀夫)とも通 底していると思えるからである。 そして、もしこのような観点から松崎明とJR総連を再評価しようとするなら ば、少なくとも上記2点が解明されなければならず、また、松崎明自身がどの ように自己総括をしているかが問題にされなければならないと私は考えている。 なぜなら、日本新左翼運動の内部から発生した「内ゲバ」問題は、新左翼だ けではなくて左翼運動全般に深刻な影響をもたらし、左翼の回復には少なくと も一世代を要するほどの打撃を与えた。そして革マル派は、周知のとおりその 元凶のひとつである。また、80年代の国鉄分割民営化攻撃に対して、動労とそ の後継組織であるJR総連が中途から積極的賛成派に転じ、国鉄労働者の首切り に関与したことは疑う余地のない事実である。その象徴が1047人の採用差別・ 解雇問題なのだが、もし松崎が今後の労働運動に積極的な発言をしようと考え るならば、この問題の総括は避けて通ることができないと思うのである。 私が2点についての解明と自己総括が必要だと言ったのは、このような理由 からである。次にこの点に関して、「秘録」ではどのように語られているかを 見てみる。 ▼黒田を賛美する革マル批判? 松崎は、70年代末まで革マル派副議長であったことを「秘録」の中で認めて いる。そうであるならば彼は、日本新左翼運動に壊滅的な打撃を与えた「内ゲ バ」問題に対して、どのように語っているのだろうか。 革マル派の「内ゲバ」を象徴するのが1975年の中核派書記長・本多延嘉殺害 だが、宮崎の「あの事件のときに・・・どういうふうに思われたのですか」と の問いに対して、松崎の答えは「うーん、ヤバイなと思ったね」だけである。 そして同年6月に革マル派の工作で出された知識人の内ゲバ停止声明、「革共 同両派への提言」で埴谷雄高をオルグした場面を次のように述べる。「・・・ 当時の全学連出身の男と一緒に行ったんです。ところがこの男が、埴谷さんに 対してやたらと生意気なんですよ。この生意気ぶりはなんだと思ったですね。 これはもうダメだなあと思いました」。 ここでの特徴は、本多殺害に対してなぜ「ヤバイな」と思ったのかの説明を 欠いたまま、学生出身の革マル派官僚への批判に移行する点であり、革マル派 官僚への責任転嫁は「秘録」全体を貫く叙述方法でもある。すなわち、自らが 革マル派であったことは認めたうえで、同派の中で自分は取るに足りない存在 であり、しかも労働現場を知らない小ざかしい学生出身の革マル派官僚と真正 面から渡り合ってきた点を強調するのである。 しかし、50年代末に黒田寛一と出会い、58年の第4インター除名・脱退の時 点で、黒田派5人の中の1人と言われ、63年の革マル派結成で副議長に就任し た松崎が、同派の中で“取るに足りない存在”であったことなどあり得ようか。 その松崎が「内ゲバ」問題と向き合おうとするなら、本多殺害に関して「ヤバ イなと思った」だけで済むはずがないことは、当時の時代を新左翼として共有 するものなら誰にでも分かることである。 松崎は「秘録」の中で「黒田寛一というのは素晴らしい人だとずっと思って いました」と述べ、黒田批判は1ミリも口にしていない。しかし、黒田理論が 革マル派の「内ゲバ」に論拠を与えていることは、周知の事実である。これ以 上、この問題に踏み込むことは避けるが、「黒田理論は素晴らしい」と言い、 本多殺害に関して「ヤバイなと思った」で済ませている松崎は、「内ゲバ」に ついて“戦術的にまずかった”と反省しているだけで、“次はもっと上手にや る”と言っているに等しい。そう疑われてもやむを得ないではないか。 ▼革マルにも国労にも「裏切られた」? 次に、“国鉄の分割民営化という過去の経過も含めた日本労働運動の今後” に関する松崎の叙述であるが、紙数が限られているので国鉄闘争を中心に言及 してみる。 松崎は総評結成以来の戦後労働運動を概括して、岩井章など民同派と共産党 の改良主義の限界を克明に述べる。国鉄新潟闘争での共産党、民同派批判、三 池闘争での民同派批判がそれに当たるが、これらの批判は私の知る限り、陶山 健一が展開していたものと同様であり、中核派、革マル派分裂以前の共通認識 と言っていいのではないか。 しかし、60年代中盤以降の国鉄合理化(後の分割民営化につながる)では、 叙述が一変する。それは松崎が動労の中で指導的位置の一翼となったことに対 応するのだが、労働組合とは“改良の積み重ね”という発言が中軸を占めるよ うになるのである。そして、そのような松崎に対して革マル派官僚から「シャ ミテン」(社会民主主義に転落した組合主義者)批判が繰り返され、ついには 「反松崎フラク」まで結成された経過が明らかにされる。 こうして松崎は、動労をめぐって革マル派官僚と“熾烈な”対立を繰り返し、 ついに革マル派と決別したと述べている。松崎が革マル派官僚から「シャミテ ン」と批判されたというこの部分を読む限りでは、彼が革マル派と決別した点 は事実であろうと推測できる。 以上のような前提の上で、国鉄の分割民営化と1047人の採用差別問題につい ての松崎発言を検討してみる。彼はマル生攻撃と国鉄の分割民営化について次 のように述べる。 「国労と動労の共闘というのは、マル生闘争の時に一生懸命やったんです。 ・・・ところが、いざ順法闘争をやるとなると、国労は戦列から離れていっち ゃうんです。・・・だけど、ここはね、25日間順法闘争をやって、・・・結局 マル生闘争は勝ったんですね。・・・やっぱり決意を持たないとマル生闘争は できなかったし、(国鉄分割民営化の時にはその力量をもったまま、当てにな らない総評は無視して、敵の餌食にされる前に)やっぱり妥協の道を選ぶのが 賢明だと。・・・やっぱり組織としての国労を信じるわけにはいかない、信じ たらとんでもない目に会う。」 そして、分割民営化に賛成したことを次のように正当化するのである。 「我々は残ると決心したんです。・・・我が組織は階級的だから、・・・階 級的な組織を残しておけば、やがてそれは次の時代に萌芽となるであろう。 ・・・だから、分割民営化にすりよって国労を裏切ったとか言われても、じゃ あ、俺は国労の何を裏切ったんだと言いたい。」 確かに労働組合運動は改良主義で成り立っている。したがって、敵の攻撃が 強大で組織の存亡をかけた事態に直面した場合、“戦術的妥協”は必要である。 その点について松崎は、国労修善寺大会を評して次のように述べる。 国労は「修善寺大会で妥協しようと思ったけど妥協できなかった。・・・あ そこで、国労は妥協さえできなかったわけですよ。何とかなると思っていたら、 妥協できないわけですよ。私は何ともならないと思っているわけですよ。だか ら妥協を求めたんです。」 ▼正当性の誇示と他者への侮蔑 私も、当時の国労指導が正しかったと言うつもりはない。また、修善寺大会 以降に選出された国労指導部が未熟で政治的能力に欠けており、政治状況全般 を見通した上で国鉄闘争の展望を確立できなかったことも事実である。 しかし、86年の修善寺大会に投げかけられていたのは、それだけであろうか。 同大会では、戦後労働運動の階級的性格をどのレベルで防衛するかが問われて いた。今日から見るなら、その階級的性格にどのような弱点が孕まれていよう と、である。 また同時に、86年の国鉄職場では国労に残るか否かで線引きが行なわれ、国 労を選択した組合員が解雇要員として人材活用センターに収容されたことは、 疑いもない事実である。そして、その時、国労を脱退して動労に移行した労働 者はほぼ100%、採用された。当時、この2つは一体のものとして、修善寺大会 を押し上げていったのである。 この事実に関して、大言壮語した上で組合員を守れなかった国労指導部を無 能としてせせら笑い、自らの戦術判断の正しさを誇るのか、それとも戦後労働 運動の総括と絡めながら、おのれの戦術指導にも大きな限界があったと語るの かは、天と地ほどの違いがある。だが松崎発言は、“残念ながら”後者である。 しかも正しさを誇示するこれらの発言には、彼が決別したという革マル派特有 の臭気がふんぷんとしているのである。 松崎は1047人問題について、次のように述べている。「(これまでこの問題 を解決するために国労に4回の申し入れを行い)、直接JR本体には入れなくとも とりあえず傍系のところに入ることは可能ですよ、ということを言ってきた。 しかし全て拒否されました。・・・結局私のことを資本の軍門に降った、鉄労 以下だと、こういうことでしょう」と語り、さらに「でも、そういう戦略も戦 術もわきまえないリーダーによって、そこに結集している人は不幸にしかなら ない。しかしその不幸にしかならないことを、何で知ってもらえないんだ、何 で自覚してくれないんだ」と語っている。 この引用の前半はともかくとして、後半部分はあからさまでないまでも、1047 人に対する組織分裂の勧めである。いつまでも国労などにこだわらずに、JR総 連東労組に支援を求めるならば直ちに救済の方法を見つけてあげますよ、とい うわけである。 今は休眠状態だが、国労の支援組織に「国労だから女だから、そんな差別は 許さない女のネットワーク」がある。国労闘争団内の女性闘争団員と連帯する 組織であるが、この名称が象徴するように、国労闘争団員と家族が何度となく 裁判で敗れようとも、20数年間にわたって闘い続けてきたのは、強烈な実感に 基づく「そんな差別は許さない」という思いである。 もし松崎が、国鉄の分割民営化に対する賛成が戦略的ではなくて戦術的なも のだというならば、20年が経過した現時点での自己総括に基づいて、「そんな 差別は許さない」という闘争団員と家族の琴線に触れる言葉が出てくるはずで ある。だが、彼の発言には、自らの正しさの誇示はあっても琴線に触れる発言 は皆無である。なぜそうなのかと言えば、松崎の選択が戦術ではなくて戦略的 転換だったからである。 ▼「反差別」の対極にある「内ゲバ」 松崎は1986年7月の鉄労大会で次のような挨拶をしている。 「私らの理念は階級闘争の理念でありました。・・・ある意味でイデオロギ ーを先行させて精いっぱい闘ってきた歴史を持っております。・・・今、必要 な国鉄改革とは、そこに働く労働者とその家族の利益が完全に保証されるもの でなければならないのだと、まさしくイデオロギーによってこの鉄道を駄目に してはいけないのだと、・・・そう思っているわけであります。」 これは、10月に開かれた国労修善寺大会の3ヵ月前の発言である。ここから は、「戦後労働運動の階級的性格をどのレベルで防衛するか」などの問題意識 を、いささかも見て取ることができない。しかも、この時点で問われていたの は、大仰な「階級闘争のイデオロギー」などではなくて、ブルジョア法制下の 労働法(不当労働行為)=民主主義の問題だったのである。それを破り捨てて 生き延びたことへの自己総括なしに、“戦術的転換”などと評価することはで きない。 最後に、人権問題についての松崎発言に触れておきたい。彼はこの点につい て次のように述べる。 「私は住井すゑさんをみていろいろなことを感じた。そして奮い立ったんで すよ。こういう差別・被差別という関係をつくっているのは、結局我々自身じ ゃないか。我々もその加担者じゃないかと。」さらに、「こういった問題につ いて、私たちはあまりにもネグレクトしてきました。プロレタリアート、労働 者階級って言うけれど、そうじゃなくて、もっともっと幅広く、悩み苦しんで いる人たちの力とか、あるいはヒューマニズムの観点とか、そういうところを どっかにやっちゃった・・・。」 この松崎発言は、今日のユニオンリーダーと比べるならば、出色の内容と言 えよう。しかし、この発言が評価されるためには、2つの前提が必要である。 1つは「内ゲバ」問題についての根底的な自己批判である。松崎がここで想 定している分野の1つは、NPOやNGOなどに代表される新しい社会運動である。 しかし、この領域の運動は何よりも民主主義が前提なのであって、対立意見を 肉体的に抹殺する「内ゲバ」行為とは全く相容れない。もし、これらの人々と 共通の土俵に立ったときに、“間接的”だったにせよ、松崎のかかわった「内 ゲバ」が露呈すれば、どのように弁解しようと絶縁の対象にならざるを得ない。 それは、1047人問題でも同様である。分割民営化の時点で新会社への選別と いう「差別」に加担したことの自己批判なしに、新しい社会運動と同列の線上 に立つことはできない。労働現場でのワーキングプア―問題を見るまでもなく、 この領域では「反差別」が重要なキーワードとなるのであり、2つの自己批判 を欠落させた松崎発言は、“乗り移り”にしかならないのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 5:夏季一時金カンパを訴えます 福田内閣の混迷が、この国の閉塞感をさらに加速している観があります。 山口の衆院補選と、沖縄県議会選挙での与党・自民党の連敗は、いわゆる民 意が、福田内閣と自民党から離れているいることを如実に示しています。 現に各種世論調査でも、内閣支持率は20%台に落ち込み、与党・自民党の政 党支持率も民主党に逆転され、これまでの「永田町の常識」で言えば、福田内 閣は「死に体」と呼ばれているでしょう。 自民党にかつての活力があれば、党内では「福田降ろし」が画策され、内閣 総辞職の声が高まり、「政権たらい回し」に向けた臨時党大会開催や、総裁選 挙の繰り上げ実施を煽る有力議員の発言が繰り返され、次期政権をめぐる駆け 引きが活発になって不思議がない事態と言えます。 ところがその自民党では、「福田内閣を支える」と繰り返し強調する一方、 福田が表明した諸政策は事実上否定するといった、面従腹背を地で行く有力議 員の発言が相次ぐ異様な行為が横行しています。 * 父・福田赳夫元首相から受け継いだ「規律と安定」を信条とする福田の政治 は、行政の担い手である中央省庁の国家官僚と、地方や業界の要望を吸い上げ、 その要望に沿って予算の分捕り合戦を繰り広げる「族議員」との協調を重視す るものであり、経済成長を謳歌できた時代なら「堅実な政治」と評価されたか もしれません。 しかし90年代以降の長期不況と、民活によるサプライサイド(供給側)の強 化という、いわば「企業優遇の改革」で苦境に直面させられた「中産階級」か ら見れば、福田の政治信条は、例えそれが「行き過ぎた改革の是正」だとして も、政治利権に群がって「税金のムダ使い」を繰り返す「政官財癒着構造」の 復権に他ならないでしょう。面従腹背が横行する自民党の現状も、福田にしが みついて利権防衛に汲々とする、「守旧派」の醜悪さに見えるでしょう。 * こうした福田と自民党の体たらくは、この国の戦後保守政治が、あらゆる展 望を喪失して終焉を迎えている兆しなのです。その意味で、長きにわたって死 語と化してきた「政権交代」が切実に、また現実的になった時期はないと言え ます。 もちろん、自民党に代わるべき野党・民主党も、民衆の苦境に応える能力が あるとは思えない懸念はあります。それでも「自民党政治」に一旦は終止符を 打たなければ、現在の閉塞感を振り払う可能性でもある政界の流動化も、停滞 することでしょう。 わたしたちは、今秋とも言われる総選挙において、やはり「政権交代」を最 大の目標として、微力ながらもあらゆる努力を傾けたいと考えています。 読者、友人のみなさん。夏季一時金の中から、いくばくかのカンパを寄せて 下さるように訴えます。 ****【カンパの送り先】**** ●郵便振替:00180−0−355270 メルト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】7・8月合併号を配信します。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第57号(通巻181号) 2008年7月31日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm からでき ます。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



