2008/06/14
インターナショナル56
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第56号(通巻180号) 2008年6月14日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 1:私たちの時代とは(世界):【チベット騒乱の波紋】 伝統文化を破壊する観光開発 −中国共産党の変節とチベットの自治− 2:私たちの時代とは(世界):【北京からの手紙】(1) 業界再編による労働問題の露呈 −中国東方航空雲南支社のストライキ事件− 3:時評: 「供給が需要を創造する」法則の帰結 −「セイの法則」と「エンデの警告」− 4:夏季一時金カンパを訴えます ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:【チベット騒乱の波紋】 伝統文化を破壊する観光開発 −中国共産党の変節とチベットの自治− 3月14日にチベットで起きた暴動と、中国政府による弾圧が波紋を広げてい る。 8月の北京オリンピックに向けた聖火リレーは、チベットでの中国政府の弾 圧に抗議する人々によって格好の宣伝の場となり、リレーを中止させようと実 力行使に訴える人々も各国で次々と現れた。そして警備陣に幾重にも取り囲ま れ、沿道の観衆から見えなくされた聖火リレーは、いわゆる「チベット問題」 を、瞬く間に世界的な関心事へと押し上げることになった。 ところがその関心のもたれ方は、「チベット独立」問題として一面化され、 あるいは中国政府の人権抑圧にばかり焦点が当てられたことで、むしろこの問 題の歴史的背景には触れず、解決されるべき課題が後景に追いやられいる観が ある。 聖火リレーの「妨害」をめぐって、「スポーツの政治的中立」なる建前やオ リンピック憲章を引き合いに出し、北京オリンピック開催の是非を論じること などは、むしろチベット問題に関する歴史的理解を妨げ、「解決されるべき課 題を後景に追いやる」議論の典型と言える。 そもそも、国家の名誉と期待を担うスポーツ選手を一堂に会し、その勝利を 讃えるのに国旗を掲揚し国歌を演奏して国威発揚に資する近代オリンピックが、 政治的に中立であることは現実的には不可能だろう。世界各国をめぐる聖火リ レーも、1936年のベルリンオリンピックの際に、ヒトラーがナチス・ドイツの 国威発揚として始めた極めて政治的な儀式に起源がある以上、その舞台を利用 して何らかの政治的なアピールを試みることは、むしろ必然的でもある。 だがこうして、暴動の引き金となった事情は報じても、チベット問題の歴史 的背景や意味は語らない報道が巷にあふれ、結局のところ「チベット問題」と は何かと言う、最も素朴な疑問に答える情報が極端に不足し、それがこの問題 に対する認識を一面化するのを助長している。 ▼暴動の発端とチベット近代史 3月暴動は、「チベット人蜂起記念日」49周年(多くは「チベット動乱49周 年」と報じられたが・・・)の10日、中国警察当局が、チベットの首都・ラサ 近郊の仏教寺院でデモを計画していた僧侶を摘発、200人以上を拘束したのがき っかけだった。 この身柄拘束への抗議が14日の暴動へと発展したのだが、その背景には昨年 の6月末から7月にかけて、上海などで開かれた中国とチベット亡命政府の6 回目の非公式協議で、中国側が「チベット問題など存在しない」という強硬姿 勢に転じ、チベット民衆の反発を招いたことがある。 他方、中国政府が多数の僧侶の拘束に踏み切ったのは、昨年8月30日、亡命 チベット人最大の組織である「チベット青年会議」の年次総会で、「デモやハ ンストだけではない。反抗のレベルを高め、北京五輪前に何らかの動きを起こ す」などの議論があったことと関係している。 オリンピックという、国際的にも注目を集める舞台を利用したチベット民衆 の抗議行動を事前に摘発し、その拡大を押さえ込もうとした強硬手段が、逆に チベット民衆の怒りの火に油を注いだと言える。 こうした、暴動に至る契機は多くのマスコミも報じてはいるが、そもそも「 チベット動乱」とは何か、そうした動乱が起きたのは何故か、だからまた「蜂 起記念日」の3月10日はチベット人にとって、あるいは中国政府にとってどん な意味を持つのか等々は、ほとんど報じられなかった。 * もっとも、「チベット問題」に関する歴史的背景は、チベットに隣接するイ ンド、ネパールそして中国といった諸国の、19世紀半ば以降の巨大な社会的激 動と密接かつ複雑に絡み合い、簡潔に解説するのは難しい。それでも、「現在 の」チベット問題の始まりは正確に指摘できる。 それは1949年10月、国民党との内戦に勝利した中国共産党が中華人民共和国 の成立を宣言し、その直後から「人民解放軍は、中国全土を解放しなければな らない。チベット、新彊(しんきょう)、海南島、台湾も例外ではない」と主 張し始めた時である。これは、周辺地域でも「革命を貫徹し」、もって「国民 国家・中華人民共和国に統合する」ことを、中国共産党が次の戦略目標として 明確にしたことを意味していた。 当時の「チベット政府」(=1642年に成立した「ガンデンポタン」のこと) は、1912年に清朝が滅亡した翌13年2月、ダライ・ラマ13世が独立を宣言して から独立国を自認し、モンゴルとの間に「チベット・モンゴル相互承認条約」 を締結するなどして、辛亥革命で成立した中華民国政府に、チベットの独立を 認めるように訴えていた。 このときイギリスは、植民地インドに接するチベットが中国に統合されるの を牽制しようと、武器や借款を供与してチベットを支援し、ロシアも同様にモ ンゴルを支援していたが、植民地争奪戦を繰り広げていた帝国主義列強が、両 国を「独立国」として承認することはなかったし、中華民国の北京政府と国民 党政府も、「チベットは中国の一部」という態度を変えなかった。 むしろ第二次大戦当時は、中国共産党の方が「完全な民族自決権」を承認し、 中華ソヴィエト共和国憲法(1931年)では、少数民族がそれぞれ「民主自治邦」 を設立し、「中華連邦」に自由に加盟または離脱する権利を有すると定めてい た。 実際にも中国共産党は、1934年−36年の長征の途上、カム地方(現西康省) で占領した町々でチベット人に「波巴(チベット人)政府」を樹立させ、1935 年にはその代表を集めた「波巴依得巴(チベット人の政権)全国大会」を開催 してこれらの政府を統合し、「波巴人民共和国」と「波巴人民共和国中央政府」 を発足させている。つまりチベット人の「民主自治邦」が、中国共産党の主導 で設立されたのである。 ▼チベット動乱と蜂起記念日 ところが前述のように、中華人民共和国が成立すると、中国共産党は「チベ ットは中国の一部」とする中華民国政府の主張を全面的に踏襲し、1950年には 圧倒的な武力でチベットに侵攻してこれを占領した。 この中国軍による侵攻最中の1950年10月、チベット国民議会は、当時まだ16 歳だったダライ・ラマ14世に国家元首の地位を引き継ぐよう要請し、「チベッ ト外務省」は、「チベットは、全権を引き継いだダライ・ラマの下に団結して いる。(中略)私たちは、眼前の不当な侵略を平和的に仲裁してくれるよう、 全世界に向けてアピールを行う」との声明を発表した。 ダライ・ラマ14世が、今なおチベット人の精神的支柱として高い権威を持つ のは、まさに近代チベットの「国難」の中でその地位に就き、その後のチベッ トの苦難を体現する存在だからなのである。 しかし翌1951年、中国政府は「中央人民政府と西蔵地方政府の西蔵平和解放 に関する協議」(いわゆる「17カ条協定」)の締結をガンデンポタン(チベッ ト政府)に強要し、ガンデンポタンを「地方政府」と位置づけてチベットの独 立を否定し、チベット全域を中華人民共和国に統合したのである。 この、中国によるチベット侵攻と統合が、今日に至る「チベット問題」の発 端だが、それでも当時の「17カ条協定」は、ガンデンポタンが実効支配してい た西蔵地方(現在のチベット自治区)を、チベット仏教の法王にして国家元首 でもあるダライ・ラマが統治することを形式上は認め、この地方では「改革を 強要しない」ことを明示した妥協の産物であった。 だが「歴史的チベット」と呼ばれる、チベット人が数多く居住するアドム地 方(青海省、甘粛省西南部、四川省西北部)とカム地方(四川省西部と雲南省 西北部)では、50年代半ばから「民主改革」や「社会主義改造」が強行された。 中でも、「宗教はアヘンだ」というドグマにもとづく仏教寺院の破壊と僧侶の 殺害は、チベット人の激しい反感を呼び起こし、1956年には「歴史的チベット」 地域で、チベット人の武装蜂起が始まった。「チベット動乱」の勃発である。 当初は中国軍を悩ませたチベット人の武力攻勢も、1959年になると激しい鎮 圧作戦の前に劣勢となり、ダライ・ラマ統治下の西蔵地方には、戦火に追われ たチベット人難民と共に敗走する武装勢力も大量に流入し、それまで比較的平 穏を保っていたこの地域でも中国軍との緊張が高まった。 そして運命の1959年3月10日。ラサの中国軍司令部がダライ・ラマ14世を観 劇に招待するが、チベット仏教の儀礼を一切省き、少数の非武装の護衛以外の 同行を認めず、しかもすべてを極秘の内に運ぼうとする中国軍の対応が、中国 によるダライ・ラマの拉致という疑惑を、チベット人の間に広めることになっ た。こうして10日朝、ダライ・ラマを護ろうと固く決意した、3万人とも言わ れるチベットの人々がポタラ宮の前に集まり、解散を命じる中国軍と一触即発 の状態に至ったのである。 武装抵抗闘争に対しても、「政府」が保有する武器や食料の提供を断り、17 カ条協定でかろうじて保持されている「自治」の堅持と武力衝突の回避に腐心 してきたガンデンポタンとダライ・ラマ14世にとって、事件の結末は明白だっ た。数万人のチベット民衆と中国軍の激突は、多数のチベット人が殺戮される 惨劇になるだろうと。 こうしてダライ・ラマ14世はラサを脱出し、翌4月、北インド山岳部のムス ーリで「チベット亡命政府」の樹立を宣言した。この亡命政府は1960年4月、 インド北西部のダラムサラに拠点を移し、「3月10日」が、チベット人がダラ イ・ラマを護るために自発的に立ち上がった「チベット人蜂起記念日」に制定 されたのである。 ▼経済開発と「文化的虐殺」 もちろん、中国にも反論はあろう。中国軍がチベットを占領した1950年は、 朝鮮戦争が勃発して東西冷戦が公然たる戦争に転化した年であり、当時のチベ ット全域では、インドから移駐してきたイギリス軍の通信施設が、なお多数稼 働してもいた。さらに1959年末から、チベット人武装勢力がアメリカで軍事訓 練を受けたことでも判るように、チベット人の武装抵抗闘争が、CIAによる支援 を密かに受けていたこともある。 そうである以上、激しい内戦を経て誕生したばかりの若い革命政権が、「帝 国主義による反革命包囲網」に抗して、安全保障上の必要から、周辺地域の軍 事的制圧を迫られたと言えなくはない。 それでも、「蜂起記念日」から半世紀を過ぎた現在も「チベット仏教を信仰 する自由」が回復されてはいない事実は、弁明の余地のない人権抑圧であり、 その発端が、ドグマにもとづく仏教寺院の破壊と僧侶殺害であったことも、厳 しく非難されて当然だ。 だがこれだけなら、「チベット問題」の解決の道筋はそれなりに明らかであ る。「革命世代の誤り」に責任のない現在の中国指導部が、チベット仏教を弾 圧した過去を真摯に謝罪し、信仰の自由を保障して法王であるダライ・ラマに 敬意を払うことで、和解の糸口を見いだせるだろうからだ。 ところが「現在の」チベット問題は、いわゆる「和諧社会」建設という胡錦 濤・温家宝政権が推進する政策がチベット地域に新たな問題を引き起こし、そ の解決を困難にしている側面がある。 * 和諧社会の建設を掲げた「第11期5カ年計画」は、内陸部の3カ所を「三陸」 として開発重点地区にしたが、そのひとつ「西南部地区開発」は「通商解放」 の掛け声の下、2006年7月に青海省・西寧とチベット自治区の首都ラサを結ぶ 青蔵鉄道(=青海チベット鉄道)が全面開通した。 だがこの鉄道建設は、その全通以前からチベットに「観光ブーム」をもたら し、そのブームに目をつけた中国人(=漢人)による観光事業投資を一挙に拡 大させた。 この結果、チベット自治区の07年度の経済成長率は14.0%と、7年連続で12 %を超える急成長を達成したが、それは反面、ラサ市街に漢字の看板を掲げる ホテルや土産店、食堂が乱立して町並みを一変させたばかりか、チベット人家 庭の仏壇にある仏像や仏具、はては民俗的生活用品までが二束三文で漢人商人 に買い取られ、「土産品」として観光客に売り払われる事態になった(ちなみ に、チベットを訪れる外国人観光客数の第1位は、日本人観光客である)。 こうした観光開発の急進展は、「漢人経営者」と「チベット人労働者」を生 み出しもしたが、その労使間の紛争がまたチベット人の漢人への反感を強め、 漢族とチベット族の民族的対立を助長している。 漢人の経営者は、チベット人労働者を「蔵蛮子」(チベットの野蛮人)と蔑 (さげす)み、「豊かにしてやっても、寺に寄付してしまうから意味がない」 【朝日:3/28】と語るが、それはチベット仏教に至上の価値を置くチベット族 のアイデンティティーを無視する、民族蔑視に他ならない。 この蔑視の背景には、革命によって「近代国家になった中国」、あるいは今 日では「経済発展著しい中国」といった、近代化=進歩であるという、これま た国家主義的ドグマが横たわっており、それがチベット仏教への厳しい規制= 僧侶のタイトな定員制、警官の寺院常駐、ダイライ・ラマ批判を僧侶に強要す るなどの政策として実行されていると言えるだろう。 もっとも、文化大革命が公式に否定された1979年、最高指導者・登小平は 「独立以外ならすべての問題が議論できる」とし、民族衣装の着用や仏教寺院 建立の規制を緩和する軌道修正を図ったが、1988年の「ラサ騒乱」を契機に、 中国政府は、自治区の政府幹部に中国各地から次々と漢人を送り込み、経済開 発をともなう「チベットの近代化」を推進してきたのである。 これが、現在の観光事業開発につながっているのだが、そうである以上、チ ベット人から見ればそれは、「観光資源として民族衣装や寺院建立を認めただ け」と受け取られても仕方がない。 ダイライ・ラマ14世が、今回の暴動の背景として批判する「文化的虐殺」は、 チベット仏教への禁圧ばかりでなく、経済開発に伴うチベットの生活文化全般 の破壊という二重の抑圧と破壊なのであり、こうした現実が、チベット人の憤 懣を臨界点にまで押し上げたのは疑いないだろう。 ▼国民国家による世界分割 ところで、中国政府がチベット仏教にこれほど神経質になるのは、チベット 仏教の法王であるダイライ・ラマが、単に宗教上の権威であるだけでなく、あ らゆる世俗権力や政治の上に君臨する存在として崇められていからである。し かもその権威は、かつてはモンゴルや満州(中国東北地方)にまで及び、満州 人の王朝であった清朝の乾隆帝はチベット仏教に帰依し、現在の中国河北省に 「外八廟」という、チベット仏教寺院群を巨費を投じて建設したほどであった。 そのチベット仏教では、ダイライ・ラマは人々を保護し導くために「転生」 を繰りかえす観音菩薩の化身であり、だからまたチベットが独立国であれば、 国家元首を兼ねるのも当然のことなのだ。 ところが、この「独立国であれば」という前提が、チベットの「独立」や 「自治」に関する議論や協議を混乱させる主要な原因になっているのだと思う。 なぜなら、チベット仏教におけるダイライ・ラマの「地位」は、いわゆる近代 的な「国民国家」を前提にしてはいないからである。 インド伝来の仏教経典の原典を保存し、高度な哲学から薬草に関する実践的 知識までを網羅する、「最古の総合宗教」とでも言うべきチベット仏教は、む しろ原初的な人間共同体の統合原理を体系化したものと言えるし、だからまた 世俗の権力や政治を超えて、人々が自らを律する(自律)規範と、生活に必要 な知識や技術を「宗教の形で提供する」ことで権威を築いてきたのである。そ れは中央集権的政府と常備軍とを持って相対峙し、条約や協定で互いに国家主 権を承認し合う「近代的な国家関係」とはまったく違う関係の中に、ダイライ ・ラマの地位と権威の基盤があるということなのだ。 乾隆帝のチベット仏教への帰依は、「辺境地域」の安定のために、チベット 仏教に寄り添うことでその権威を利用したのだろうし、ガンデンポタン(これ も「政府」というよりは「ローマ法王庁」のような組織だが)の側も、清朝の 「アンバン(駐在代表)」を受け入れることで、周辺部族に対する安全保障を 強化したと言える。そしてこの場合の清朝とチベットの関係は、当然ながら近 代的な国家関係ではない。それは「帝国」の周囲に、権威ある法王が治める 「自律的地域」として連なる関係である。 現代のイメージなら、「持ち株会社・清朝」グループの傘下に、知名度、信 用性ともに抜群の独立採算子会社が、自発的に加入する関係とでも言えるだろ うか。 だがこうした、ある種の「自律と自治」を前提にした中世的帝国は、19世紀 から急速に台頭した「近代的国民国家」による侵略の圧力をうけて、とりわけ 中央集権的にあらゆる能力、人材、物資を動員し、国家間の総力戦を担いうる 近代国家への再編と変身を迫られたのである。 1905年、近代国民国家に再編された日本との戦争(日清戦争)に敗れ、朝鮮 半島への影響力(宗主権)を失った清朝も、そうした変身を迫られて1908年に チベットに侵攻した。それはチベットからイギリスの影響力を駆逐し、これを 「近代国家の領土」として統合しようとする試みだったが、これは達成される ことなく清朝は滅亡した。 だが代わって登場した中華民国は、当初から近代国民国家を自認する、チベ ットにとっては「自律と自治」を脅かす存在だったのである。かくしてガンデ ンポタンは1913年にチベット独立を宣言し、自らも「独立国家」と称すること で、この脅威に対抗しようとしたのである。 つまり「チベット問題」とは、近代国民国家が隆盛を極め、相互に植民地と 領土の争奪戦を繰り広げ、ついには数千万人の死者を出す世界大戦に至る渦中 で生じた問題、言い換えれば「国民国家による世界分割」が生み出した問題な のであり、独立宣言後のガンデンポタンが、自らを近代国家に再編することに 「失敗した」といった評価は、当然再検証されるべきなのである。 そもそも、チベット仏教を基盤とする統治の原理は、政教分離や選挙による 議会といった国民国家の統治原理とは次元を異にしており、前者は「野蛮」で 後者は「進歩的」とするドグマこそが、根本的な再検討を迫られているのであ る。 現に、国民国家の形成が「無条件に進歩的である」という、20世紀前半の 「国家主義の流行」に巻き込まれた中国共産党が、内戦の過程で自ら「中華連 邦」の理想を捨て、中国を近代的国民国家として強引に統合しようとした結果 が、「チベット問題」の発端だったことは前述のとおりである。 ▼「高度で広範な自治」 1990年のソ連邦の崩壊以降、世界各地で激化した「民族問題」は、その後も ユーゴスラビア連邦の崩壊と内戦として顕在化し、それは社会主義と連邦主義 の誤りの結果であるかのように見なされてきた。 だが、イスラエルとパレスチナ人の半世紀以上に及ぶ抗争や、フセイン政権 崩壊後のイラクでクルド人の「独立」が焦点になったように、それは第二次大 戦後の現代世界の、最も重要な不安定要因のひとつなのだ。 つまり第二次大戦と、その後の数十年におよぶ独立戦争と革命を伴った「国 民国家による世界分割」の上に成立した現代世界は、国民国家を手にした民族 と、これを達成できなかった民族とに分断され、ソ連邦の民族的分解に刺激さ れた後者が、新たな「国民国家による世界分割」を要求しているのが「現代の 民族問題」の核心なのだ。 しかも、頻発する「民族問題」を通じて明らかになったことは、「民族単位 の近代的国民国家」の形成が「民族問題」を解決しないばかりか、むしろ「新 たな民族問題」を発生させたり、新たな紛争の火種となる危険を伴っていると いうことであろう。 * ところでその後、4月に中国西南部を襲った四川大地震の報道のために、 「チベット問題」の報道は大きくは後退した。それでもチベット地区の聖火リ レーが中止されたり規模が縮小されたりと、その波紋は広がりつづけている。 北京オリンピックが開催される8月にむけて、「急進的独立派」を代表する 「チベット青年会議」を中心に、亡命チベット人による中国政府への抗議行動 が繰り返し展開されるだろうし、現在の政策がつづく限り、「チベット問題」 は繰り返し中国政府を悩ませるに違いない。そして、こうした事態を沈静化し てチベット族との和解を回復するイニシアチブは、現在のところ中国政府が握 っているのも明らかである。 解決されるべき問題の核心は、チベット仏教に対する信仰の自由の完全な回 復であり、チベットの生活文化全般の破壊を促進している漢人の「植民」と開 発事業の規制である。しかも、チベット仏教への信仰の保証と、世界遺産・ポ タラ宮の不可分の一部であるチベット文化の保全を、「民族独立」問題として 政治的に扱おうとする限り、和解の糸口は見いだすことさえ困難である。 そして現実に、武力によるチベット独立には現実的基盤も推進力もない以上、 ダライ・ラマ14世が主張する「チベットの広範で高度な自治」の要求が、極め て現実的な解決策の方向を示していると考えられる。 したがって問題は、この「高度で広範な自治」をチベット仏教を基礎とした 民族的文化の表現ととらえ、国家的独立とは次元の違う要求として容認する柔 軟性が、中国政府にあるか否かなのである。 「和諧社会」の建設が、過熱する中国経済の成長至上主義の軌道修正を意図 するものであるなら、チベットの民族的文化の保全は中国西南地域の「開発事 業」の質的転換を通じて、「調和のとれた中国社会」の新たな可能性のモデル となり得るだろう。 (6/5:きうち・たかし) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2:【北京からの手紙】(1) 業界再編による労働問題の露呈 −中国東方航空雲南支社のストライキ事件− * 【リード】中国の動向が、世界の注目を集めるようになって、だいぶ経つ。と くに日本では、「アジアの経済大国」日本の地位を脅かすほどの経済成長をと げたことや激しい反日デモへの畏怖と反感を込めて、反対に「東アジア経済圏」 や「日中新時代」への漠たる期待を込めて、複雑に交錯する中国への視線があ る。だがその一方で、中国の実情がなかなか伝えられないもどかしい現実があ る。「北京からの手紙」は、そうした実情の一端を知らせてくれるが、今回掲 載する手紙は、4月12日に発信されたものである。見出しは編集部で付けた。 (編集部) * ▼東方航空機の「引き返し」事件 このところ、中国のテレビや新聞でかなり大きく取り上げられているニュー スがありますが、日本では「チベット問題」と「聖火リレー」のニュースにか き消されて、この事件はニュースとしては報道されていないのではないかと思 われます。どこかの新聞が、《中国事情》を伝える特集として取り上げている かもしれません。 それは「中国東方航空雲南支社のストライキ事件」です。 3月31日、東方航空雲南支社で昆明から大理やシーサンバンナーへ向かった 18の便が目的地を目の前にして、その上空から昆明へ引き返したという事件で す。 航空会社は、最初14機だけと発表しており、引き返したのは「天候のせい」 だと説明していました。しかし当地の気象台では、「その日、航空機が着陸で きないような悪天候ではなかった」と言っているし、他の航空会社の便はすべ て目的地へ正常に到着しています。また昆明へ引き返した便は、14便ではなく 18便でした。さらに、4月1日にも同社の3便が同様の事態を引き起こしてお り、パイロットは「前日の行動に対する声援」だと言っています。 この影響で東方航空雲南支社の多数の便が欠航となって、多くの乗客が空港 で足止めになり、チケットの変更や払い戻し、賠償の問題で混乱した模様です。 この18便は昆明から麗江行きが5便、シーサンバンナー行きが3便、大理が3 便、臨滄が2便、その他5便と、4月1日の3便です。 しかし、この事件は当初から天候のせいなどではなく、パイロットのストラ イキだとみられていました。 ▼隠れたストライキ 「南方都市報」によれば、『中国東方航空は、欠航や遅延は「天気の影響に よるもの」と説明しているが、ある旅客によれば、原因は操縦士がストライキ を起こしており、飛行機を動かせない状態だという。昆明空港に掲示されてい る〃ダイヤ情報〃には、操縦士の名前が書き換えられた跡があり、ある操縦士 によれば、「誰も飛ぼうとしない」という。 東方航空のある職員によれば、数日前、空港や操縦士の宿舎に、ある〃掲示〃 が張り出された。掲示には操縦士の待遇の低さや非人道的な処遇や、ある操縦 士の処遇に関する賠償問題などが書かれ、ストライキへの協力が訴えられてい た』(「Record china」から)。 「新京報」は、この事件をニュースのかたちで伝えるというより、4月3日 と5日の《論評》コラムの欄で取り上げています。 それによると、『この事件は、パイロットの非公然のストライキ事件で、パ イロットと航空会社との待遇をめぐる問題が表面化したもの』、『パイロット が乗客を〃人質〃にとって管理職や航空会社と談判する手段とするのは許しが たいサボタージュ行為であることは言っておかなければならない』としながら も、『だが、見ておかなければならないのは、この極端な行動の背景には、現 在の管理のあり方が航空市場とパイロット労働市場の変化に追いついていない ということ。硬直した行政手段を持って統制した結果は、被雇用者を隠れたス トライキという極端な方法を通して社会の耳目をひきつけ、問題を解決させよ うとするだけだ』と問題を指摘しています。 『またこれは単に当方航空だけの問題ではなく、普遍的な現象である。3月 14日には上海の航空会社で40名以上の機長が一斉に病休をとっているし、3月 28日には東星航空の11名の機長が一斉に休みを取っている』。 これも明らかに、隠れた形での集団ストライキと言っていいだろうと思いま す。 * 今回の事件の発端は「税金の問題」だということです。 雲南支社のスタッフは、給与から従来8%が税として天引きされていたが、 3月からは天引き分が20〜30%へと大幅に引き上げられました。しかも会社側 は、パイロットに対して、この新しい税率で去年にさかのぼって天引きするこ とを要求し、その期限を4月7日としたのです。こうして『ある機長の場合は、 去年の天引き分が6万元から7万元にも達した』(4月8日「新京報」)。 これにたいして、同航空の上海本部の従業員については、税金は月給の5% 程度に抑えられており、雲南分社スタッフは「これは不公平」と経営陣との話 し合いを続けてきたが決着せず、ついにストライキ決行にいたったといいます。 東方航空雲南支社の前身は、「雲南航空」です。東方航空と合併して分社化 されて以来、赤字解消のため管理が強化され、過当勤務が相次ぐなど従業員の 不満を招いていました。関与した乗務員が新聞社の取材に応じ、「劣悪な労働 条件に耐えかねた短距離路線の乗務員が、やむを得ず起こしたもの」(「Record china」)と語っています。 しかもある職員によると、「今回の事件は一時的な行為ではなく、長年にわ たって蓄積されてきた不満が爆発したのだ」と言っています。彼によると「〃 雲南航空〃と〃東方航空〃が合併して以来、東方航空の雲南支社に対する(対 応は)待遇面やその他の点で差別的であった」、「合併当初は東方航空の総裁 は雲南航空の職員の待遇が悪くなることはないと言っていたが、実際は雲南航 空の職員の待遇は合併したとたんに悪くなった」、「一般職員の待遇はほぼ半 分になったし、パイロットの賃金も半分とは言わないまでもかなり引き下げら れた。だから、パイロットだけではなく、他の職員の不満も大きい」(4月8日 「新京報」)と語っています。 ▼業界再編と要員の不足 4月8日の「北京晩報」は、次のように論評しています。 『この事件は表面的には、税の軽減問題や賃上げ要求と絡んでいると見られ ているが、深い原因はパイロットの極度の不足にあり、かかる事態を作り出し ているのは長年にわたる独占的管理体制の悪弊の結果である』と。 『民航局の統計によると、目下中国の航空会社で働いているパイロットは全 部で1万2千人程度で、国内の700機の飛行機の必要を満たしているだけである。 しかもこの1万ちょっとのパイロットのうち1千人くらいはすでに退職年齢に 達している』、『民間航空業の発展からすれば、2010年には飛行機台数は1千 250機に達するが、今後5年でパイロットは1万人くらい不足することになる』 (4月8日「北京晩報」)といいます。 中国航空業界の、これまでの経緯を見てみます。 中国では1949年の新中国発足以来、ながらく中国民用航空総局(CAAC)が航 空業界の経営、監督を独占してきました。 1987年の航空行政改革により、経営と監督業務が分離され、経営業務は中国 国際航空、中国南方航空、中国東方航空の3社に分割され、市場による競争原 理が導入されはじめました。中国民用航空総局は監督業務のみを担当すること になったのです。 その後、地方政府の出資による企業の新規参入もすすみ、最盛期には大小20 以上もの航空会社がひしめきあう状況になり、その結果過剰な価格競争に陥る といった弊害が発生したため、巨大グループへの業界再編案が計画・立案され、 実行されました。 巨大グループは、中国民用航空総局直属の中国国際航空、中国南方航空、中 国東方航空の3社で、その3社に中小キャリアが吸収される形でグループ化が すすんで行き、今では中国全体の輸送量に占める3グループの割合は7割以上 に達しています。 * この事件については、中国の新聞テレビではかなり大きく取り上げられてい ます。そのことを知ってもらうために、最近の「新京報」と「北京晩報」の見 出しを書き出してみます。 ●4月3日「新京報」第2面 半面の大きさで論評=「パイロットの〃スト〃は 何を意味するか」 ●4月5日「新京報」第2面 3分の1面の論評=「東方航空〃スト〃事件を徹 底調査せよ」 ●4月6日「新京報」第3面 3分の1面の論評=「民航局〃東方航空事件〃を 調査―東方航空は謝罪、人為的原因であれば厳しく処理」 ●4月5日「北京晩報」第3面 3分の1面で、ほぼ同様の論評記事 ●4月7日「新京報」第4面 3分の1面の論評=「民航局"東方航空事件"を徹 底調査」/「東方航空 またもや上空で引き返し」 ●4月7日「北京晩報」第16面で論評=「乗客を〃人質〃にとった〃スト〃違 法の疑い」/第19面でニュース=「東方航空またもや上空で引き返す」 このあとも、「新京報」「北京晩報」ではほとんど毎日のように、ほぼ一面 くらいの大きさでこの事件を論評し続けています。東方航空も民航局もこの事 件が、天候のせいなどではなく人為的な「引き返し事件」=(実質的スト)と 認め、乗客に謝罪するとともに、払い戻し等の乗客への補償、さらに雲南支社 の総経理など2人の停職(を行いました)。 4月9日の「北京晩報」では、「昆明発南京行きの便が6時間遅れ、乗客一 人当たり200元が支払われた」といたことが報じられています。 ▼経済成長による矛盾の蓄積 この事件は日本でどのように報道されているのかわかりませんが、わたしが 最近の日本の新聞を調べた限り扱われていないようです。しかし、中国の新聞 やテレビではかなり大きく取り扱われていますし、いろいろと論評されていま す。 これまで、農民問題や、農民工の問題については日本でもいろいろ取り上げ られてきましたが、今回のこの事件は中国が抱える問題が、農村・農民問題や 農民工の問題といったところから、労働者本体のところにまで問題が広がって きていることの予兆ではないのかという気がします。 急速な経済成長の中での格差問題、環境問題、資源・エネルギー問題という かたちでは扱われてきましたが、経済成長にともなって膨大にその数を増やし たはずの労働者の問題は、あまり見えてこなかったように思いますが、そこに 隠された巨大な矛盾が蓄積されていないはずはないのであって、今回の事件は そういう問題を垣間見せたのではないかという気がします。 今年2008年のオリンピックと、2010年の上海万博までは、国を挙げての大き なイベントがつづくということで、さまざまな矛盾を表面化させることは引き 延ばされていくかもしれませんが、2012年、次の党大会と胡錦濤・温家宝体制 から第5世代へ政権が引き継がれてゆく頃には、どんなかたちでこういう問題 が表面化していくのか、注目していかなければならないと感じました。 【4月12日】 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3:【時評】 「供給が需要を創造する」法則の帰結 −「セイの法則」と「エンデの警告」− 「セイの法則」あるいは「販路の法則」と呼ばれる、古典派経済学の法則が ある。ジャン=バティスト・セイという、フランスの実業家にして経済学者が、 1803年の著作『政治経済学概論』第1巻22章「販路」の中で叙述し、「供給は それ自身の需要を創造する」と要約される法則のことである。 もう少し解り易く説明すると、《市場では需給関係によって価格が調整され るから、供給が過剰なら、価格は需要を呼び起こすまで低下するので、生産さ れた財は、最後には必ず売れる》ということである。ここから「需要を増やし て景気を良くするには、供給を増やせば良い」という、新古典派経済学派が唱 えた、サプライサイド(供給側)強化の諸政策が導きだされた。 そして1970年代半ば、戦後経済政策の主流だったケインズ学派の有効需要の 原理(=政府支出など需要を増やせば景気が良くなる)に依拠した経済政策が 行き詰まると、市場の価格調整にすべてを委ねる規制緩和と、企業減税などで 供給側を強化する政策の根拠として持て囃され、経済政策の劇的な逆転を促進 したのである。 * サブプライムローン問題で一躍有名になった「債務担保証券(CDO)」は、 このセイの法則の落とし子と言える。 金融規制緩和に乗じて、供給側の証券会社などが住宅ローン債権などを証券 化して市場に売り込んだが、こうした商品への需要が事前にあった訳ではない。 まさに「供給が需要を創造」したのである。 しかもCDOなど、証券化商品は売れに売れた。それは金融分野を中心に好況を 演出し、その恩恵に浴したアメリカは世界中から財を輸入して「過剰消費」を 謳歌し、対米輸出の増加で新興諸国も潤った。 こうして、セイの法則の前提である「一般均衡理論」(需要と供給とは必ず 一致する)が、現実の世界でも成立するかに思われたまさにその時、証券化商 品を保有する金融機関の巨額損失が明らかになった。 証券化商品の暴落は金融市場の価格調整をマヒさせ、あり余る証券化商品を 中央銀行が買い取る「需要の下支え」も真剣に検討される事態になった。セイ の法則を金科玉条にした「供給先行型」経済は、長続きしないことが暴露され たのである。 ところが、金融市場から逃げ出した大量の資金が石油や穀物市場へ、要する に実物を取引する市場に流れ込み、今度は「マネー供給の先行」で相場を吊り 上げ、現実の需給関係とは掛け離れた一次産品価格の急騰を招いている。セイ の法則の信奉者たちは、国際的な資金のだぶつきを理由に、「マネーは供給さ れつづけ、それに見合う需要も創造される」と言わんばかりに、一次産品市場 へのマネー投入をつづけているのだ。だが供給されるマネーは、投機的資金で ある。一次産品市場の利回りが低下すれば、マネー供給量はたちどころに減少 し、価格の暴落が市場を襲うことになろう。 * 『エンデの遺言』の著者として知られるミヒャエル・エンデの作品に、『ネ バーエンディング・ストーリー(終わりのない物語り)』という物語りがある。 主人公のアトレイユ少年が、「虚無」に浸蝕されて消滅の危機に瀕する「フ ァンタージェン国」に、女王の救出に向かう冒険ファンタジーだが、エンデは この「虚無」に、実態のない数字が実物経済を食い物にする現代の金融取引が、 現実の世界を浸蝕する様を重ねていたのだと思う。 そしていま、エンデが「警告」したエコノミーによる人間社会の破壊が、現 実味を帯びはじめている。【Q】 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 4:夏季一時金カンパを訴えます 福田内閣の混迷が、この国の閉塞感をさらに加速している観があります。 山口の衆院補選と、沖縄県議会選挙での与党・自民党の連敗は、いわゆる民 意が、福田内閣と自民党から離れているいることを如実に示しています。 現に各種世論調査でも、内閣支持率は20%台に落ち込み、与党・自民党の政 党支持率も民主党に逆転され、これまでの「永田町の常識」で言えば、福田内 閣は「死に体」と呼ばれているでしょう。 自民党にかつての活力があれば、党内では「福田降ろし」が画策され、内閣 総辞職の声が高まり、「政権たらい回し」に向けた臨時党大会開催や、総裁選 挙の繰り上げ実施を煽る有力議員の発言が繰り返され、次期政権をめぐる駆け 引きが活発になって不思議がない事態と言えます。 ところがその自民党では、「福田内閣を支える」と繰り返し強調する一方、 福田が表明した諸政策は事実上否定するといった、面従腹背を地で行く有力議 員の発言が相次ぐ異様な行為が横行しています。 * 父・福田赳夫元首相から受け継いだ「規律と安定」を信条とする福田の政治 は、行政の担い手である中央省庁の国家官僚と、地方や業界の要望を吸い上げ、 その要望に沿って予算の分捕り合戦を繰り広げる「族議員」との協調を重視す るものであり、経済成長を謳歌できた時代なら「堅実な政治」と評価されたか もしれません。 しかし90年代以降の長期不況と、民活によるサプライサイド(供給側)の強 化という、いわば「企業優遇の改革」で苦境に直面させられた「中産階級」か ら見れば、福田の政治信条は、例えそれが「行き過ぎた改革の是正」だとして も、政治利権に群がって「税金のムダ使い」を繰り返す「政官財癒着構造」の 復権に他ならないでしょう。面従腹背が横行する自民党の現状も、福田にしが みついて利権防衛に汲々とする、「守旧派」の醜悪さに見えるでしょう。 * こうした福田と自民党の体たらくは、この国の戦後保守政治が、あらゆる展 望を喪失して終焉を迎えている兆しなのです。その意味で、長きにわたって死 語と化してきた「政権交代」が切実に、また現実的になった時期はないと言え ます。 もちろん、自民党に代わるべき野党・民主党も、民衆の苦境に応える能力が あるとは思えない懸念はあります。それでも「自民党政治」に一旦は終止符を 打たなければ、現在の閉塞感を振り払う可能性でもある政界の流動化も、停滞 することでしょう。 わたしたちは、今秋とも言われる総選挙において、やはり「政権交代」を最 大の目標として、微力ながらもあらゆる努力を傾けたいと考えています。 読者、友人のみなさん。夏季一時金の中から、いくばくかのカンパを寄せて 下さるように訴えます。 ****【カンパの送り先】**** ●郵便振替:00180−0−355270 メルト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】6月号を配信します。5月号は都合により休刊しました。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第56号(通巻180号) 2008年6月14日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm からでき ます。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



