2008/04/17
インターナショナル55
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第55号(通巻179号) 2008年4月17日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 1:私たちの時代とは(日本):●護衛艦と漁船の衝突事故 イージス艦はなぜ漁船との衝突を回避できなかったか −「防衛省」への昇格と幹部自衛官の慢心− 2:私たちの時代とは(日本):●ガソリン暫定税率の期限切れ 国交省の誤算と福田政権の迷走 −官僚との協調路線とアトム化社会のギャップ− 3:私たちの時代とは(日本):●日銀総裁が空席に 金融政策を議論する好機は活かされたか −低金利と円安が支えた「小泉改革」の破綻− ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:●護衛艦と漁船の衝突事故 イージス艦はなぜ漁船との衝突を回避できなかったか −「防衛省」への昇格と幹部自衛官の慢心− ▼最新鋭艦の漫然たる運行 2月19日未明、房総半島野島崎沖で海上自衛隊の護衛艦と漁船が衝突、沈没し た漁船に乗っていた漁師親子が行方不明になった海難事故は、その後つぎつぎ と暴露された防衛省の迷走もあって、自衛隊という「武装した国家官僚機構」 にも、他の省庁と同よう、自己保身に汲々とするお役所体質が蔓延しているこ とを浮き彫りにした。 事故を起こした護衛艦は、弾道ミサイル迎撃システムを搭載した最新鋭イー ジス艦「あたご」(7750トン)で、沈没した漁船は、新勝浦市漁業協同組合所 属のマグロ延縄(はえなわ)漁船の「清徳丸」(7トン)だが、海上保安庁など によるその後の調査では、「あたご」側に衝突回避義務があったことも明らか になった。 だが衝突回避義務ばかりをクローズアップすることは、船舶運航の実態を知 らない人に誤解を与える危険がある。1988年に、釣り客ら30人が死亡した潜水 艦「なだしお」と釣り船の衝突事故では、92年12月の横浜地裁判決が、「前進 強速」の指示を出して回避義務を怠った「なだしお」に事故の第一次的原因が あったと認定した一方で、釣り船の側にも、回避措置を取らずに直進したなど の過失を認定している。それは、衝突直前の回避義務が自衛艦の側にあるとし ても、衝突回避の義務は、全船舶が相互に等しく負っているからである。 むしろ「なだしお」の事故で問題だったのは、事故直後の救助活動の遅れや 航海日誌の改ざんなど、防衛庁(当時)が責任逃れを画策したことだったので ある。 その意味で今回の事故でも、「衝突回避義務」云々以上に、「あたご」が30 分以上も前に清徳丸を含む漁船群に気づいていたにもかかわらず、その動きを 監視・追跡もせずに漫然と自動操舵で航行をつづけ、漁船群との距離が数キロ に接近しても警笛を鳴らすこともなく、衝突直前には「全速後進」つまりブレ ーキをかけただけで舵さえ切らなかったという事実にこそ、注目すべきなのだ。 と言うのもその後、規定より少ないレーダー要員しか配置されておらず、レ ーダーによる漁船群の監視が行われていなかったこと、本来は艦橋外のブリッ ジで見張りをするはずの隊員が、雨を理由に死角の多い艦橋内に退避中だった など、東京湾口という、多くの船舶が行き交う「危険水域」を航行する艦船と してはあまりの緊張感の無さに唖然とする事実が明らかになったが、それは 「漫然と自動操舵で航行した」という、護衛艦の側の慢心の傍証だからである。 ではなぜ最新鋭護衛艦は、こうした慢心に囚われていたのだろうか。 ▼「省」昇格と幹部自衛官の心情 まずわたしが思ったのは、旧大日本帝国海軍の軍艦と漁船の衝突事故の有無 と、その原因であった。もっともこれは、「旧海軍の悪弊」が海上自衛隊にも 継承されているのではないかという、戦後左翼にありがちな憶測であり、官僚 機構の悪弊を軍国主義に還元したがる思考なのかもしれない。 そして残念ながらこれまでのところ、正確な事実は判らずじまいだ。ただし、 旧帝国海軍の乗組員と称する人々のネット上の書き込みでは、旧海軍軍艦と漁 船の衝突事故は無かったという。 なぜなら当時は、漁船の方が軍艦に道を譲るのが当然だったからだと言う。 しかもそれは、漁師たちが海軍を恐れていたからではなく、むしろ海軍が自分 たちの権益を守る存在であることを素朴に信じ、海軍もまた「漁船(国民)を 守る」のを当然と考えていたからだと言う。当時の海軍にとって、漁船を含む 民間船舶は、いざというときには補助船舶として徴用される貴重な戦力の一部 であり、これを不用意な事故で損なうことは、それこそ不祥事では済まされな いことだったのだろう。だから旧海軍の経験者たちは、今回の事故を「海軍の 怠慢」と憤り「海軍の威信を汚す」と嘆いてもいる。 なるほど、国民の資産まで徴発する総力戦体制の下では、海軍と漁民との関 係は、現在の自衛隊と漁船の関係とはずいぶん違っていたのは確かだろう。 だがそうだとすれば、「あたご」が囚われていた慢心は、現代的な背景を持 つものだということになる。 * この現代的背景を説き明かすヒントは、防衛庁の省への昇格と、防衛省事務 次官経験者が収賄容疑で逮捕されるという、前代未聞の事件にあると思う。 昨年11月28日、防衛省前事務次官・守屋武晶が、防衛商社の専務から長年に わたって賄賂を受け取っていた容疑で逮捕された事件はまだ記憶に新しい。 守屋・前事務次官は、防衛庁で「天皇」と呼ばれた辣腕の官僚と言われるが、 同時に彼は庁内で「発言する防衛庁」を標榜し、いわゆる国士気取りで政治的 発言を繰り返す異色の官僚でもあったという。 在日米軍の再編問題では、「アメリカの言いなりでは駄目だ」と自衛隊の主 体性を強調したり、「高度な装備と優秀な人材を持つ自衛隊にふさわしい地位 を占めるべきだ」と、防衛庁の省への昇格を声高に要求するなど、威勢の良い 発言が庁内での求心力を高めたとも言われている。 だがこうした、高級官僚の国士気取りの発言は、厳密に言えば、選挙で選ば れた訳でもない専門職の官僚が、防衛政策という政治的専権事項に容喙(よう かい)する越権行為に他ならない。なによりも行政官僚は、政策の是非につい てはその責任を問われることはないからだ。ところが官僚機構のトップである 事務次官の守屋は、自民党竹下派との間に築いた人脈と庁内の求心力を背景に、 政府に「省益」を認めさせる辣腕官僚として名をはせていたのだと言う。 つまり守屋・前事務次官は、「天皇」と呼ばれる庁内の絶対的権力と与党に 食い込む人脈を駆使し、文民統制(シビリアンコントロール)を浸蝕する言動 を繰り返し、他方では年間2兆円もの装備調達費の差配を通じて私腹を肥やし てきたのだろう。 そしてまさにその事務次官の下で、防衛庁は省への昇格という悲願を達成し たのだ。つまり「優秀な人材を持つ自衛隊」という、根拠のない防衛官僚の主 観的自己評価が、防衛省という「一流官庁」に昇格して「ふさわしい地位」を 得たことで、幹部自衛官たちに慢心の起きやすい状態を生み出したとは言えな いだろうか。 しかも、アメリカ海軍にも数隻しかない、弾道ミサイル迎撃システムを搭載 した最新鋭イージス艦の艦長というエリート自衛官であれば、そうした慢心に 囚われた可能性を過小評価することはできまい。 ▼情報隠蔽の疑惑 もう一度、護衛艦が漁船と衝突するまでの状況を考えてみよう。 前述のように、事故のあった海域は東京湾に出入りする多数の船舶が行き交 う「危険水域」であり、時間も午前4時と、海上は真っ暗であった。事故後、 この海域の船舶運行経験者が口を揃えて証言したように、漁船群をレーダーで 追跡・監視する指示もせず、低速とは言え自動操舵で航行すること自体、すで に異常であろう。 さらに、漁船群の監視にとって最も重要と思われる艦橋両翼に張り出したブ リッジの見張り要員は、雨を避けて艦橋内に退避中だったというのでは、「あ たご」の側には当初から、自らが衝突回避行動をとる意志がなかったとしか考 えられない。そして現に、「漁船の方が避けるだろう」と考えたという隊員の 証言もある。 だが、「漁船の方が避ける」と考えていたとすれば、極めて重要な情報が隠 蔽されている可能性がある。それは装備されているはずの「衝突防止ブザー」 が、正常に作動したかどうかである。 『週刊ダイヤモンド』誌3月8日号で、政治評論家・鈴木棟一氏が紹介した 「防衛議員の話」は、この問題を鋭く指摘する。 「衝突防止ブザーが装備されているはずで、湾外だと1マイル、湾内では0.5 マイルに近づくと警笛が鳴る。鳴れば漁船は避ける」「当直員が海保に『5回 鳴らした』と言ったが、付近の漁船は『いっさい聞いていない』と食い違って いる。警笛は艦内にも大きく響く。寝ている者が起きてしまうのでブザーを切 っていた可能性がある」。 この点は今だ明確にされていない。しかし事実を事実として明らかにしなけ れば、事故の再発防止は絵空事になろう。そしてもし、こんな非常識が最新鋭 護衛艦の中でまかり通っていたとすれば、これを慢心と言わずに何と言うべき だろうか。 * 今回の衝突事故について、自衛隊の規律のゆるみや「軍隊としての緊張感の 欠如」を云々し、軍法会議の設置が必要だと唱える人々もいる。公言はしなく とも、いわゆる防衛族議員の中にはこれに密かに同調し、自衛隊の最大の悲願 である軍法会議の設置、言い換えれば殺人や破壊行為を犯罪とする一般刑事法 とは区別された、殺戮と破壊とを自衛官に強要できる軍法の制定に利用しよう とする輩もいるに違いない。 だが以上のべてきたように、今回の事故の背景にあるのは、防衛省内に蔓延 する慢心である可能性の方がはるかに強い。つまり「武装」の如何にかかわら ず、官僚機構の「根拠なき主観的自己評価」が、守屋のような国士気取りの高 級官僚に扇動されて、まったく非常識な慢心を生み出す意識を醸成した可能性 が検証されなければならない。 それは、自衛隊の文民統制の問題という以上に、官僚機構への依存と癒着を 常態化してきた戦後保守政治が、官僚の慢心を統制できないまでに劣化してい ることを暴き出した事件と言うべきなのである。 (3/30:きうち・たかし) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2:●ガソリン暫定税率の期限切れ 国交省の誤算と福田政権の迷走 官僚との協調路線とアトム化社会のギャップ− ▼説得力のない道路整備計画 3月31日、ガソリン税に上乗せされていた暫定税率の期限が切れ、全国のガ ソリンスタンドに値下げ競争が広がった。仕入れ時の暫定税率分が赤字になる のを覚悟で値下げに踏み切る店も続出し、スタンドには給油を待つ車が長蛇の 列をなした。 福田首相は翌4月1日、「政治のツケを国民にまわした」と陳謝したが、む しろ衆参ねじれ国会という、政権の独占に慣れ切った自民党の未体験状況に困 惑するばかりで、有効な対策をとれない福田政権の無能が、またもや露呈した 感がある。 改めて言うまでもないだろうが、値下げ競争の原因となったガソリンの暫定 税率をめぐる与野党の対立は、道路特定財源の存廃をめぐる対立でもある。 国土交通省と自民党道路族議員は、地方の道路整備の必要性や環境問題まで 持ち出しているが、要はこの特定財源を維持してこれまでどおり道路建設を続 けたいだけであり、福田政権もまたこれを受け入れ、道路特定財源維持の税制 関連法案を国会に提出した。対する民主党をはじめとする野党各党が、暫定税 率は撤廃してガソリン税を一般財源化する、つまり道路に特化した税収を他の 分野にも使えるようにすべきだと主張してきたのは、周知のとおりだ。 一般論だが、地方ではなお道路建設が必要だとしても、それは道路特定財源 のような、ブラックボックス化された特別会計を維持する必要を意味しないし、 ガソリンが値下がりすればCO2排出量が増加し、環境に悪影響があると言う町村 官房長官が持ち出した議論に至っては、噴飯物のへ理屈としか言いようがない。 現に06年の経団連の分析には「ガソリン価格は04年度以降約4割上昇したが、 消費量は特に抑制されていない」とあるように、ガソリン価格と消費量の関係 は一律的ではない。むしろ道路ができて利便性が向上すれば、交通量が増えて CO2排出量も増えるのが実情だろう。 つまりガソリンの暫定税率を今後10年間もすえ置き、道路特定財源の維持を 主張する国交省と自民党からは、「道路建設はまだ必要だ」という以外、ただ の一度も説得力のある説明がないのだ。 他方、暫定税率と道路特定財源の廃止を要求する、国民新党を除く野党各党 は、暫定税率廃止にともなう2兆7千億円(うち地方税収分は1兆円)の税収 減を何でカバーするのか代替案がないと批判されている。だが道路特定財源を 一般財源に繰り入れ、医療や教育など他の分野にも使えるようにすべきだとい う点では、少なくとも国交省や自民党より、はるかに説得力がある。 なによりも交通量が極端に少ない、「必要な道路」とは到底いえない高規格 道路が無数に存在し、建設計画の決定過程も極めて不透明なままだからだ。 それでも町村官房長官は、4月中に衆院の3分の2以上で関連法案を再議決 し、暫定税率を復活させたいと言う。国際的な原油や穀物価格の高騰で物価が 上昇しはじめたこの時期に、能天気に「暫定税率復活の再議決」を語る政府官 房長官の感覚は、民衆の期待との落差を暴いて余りある。 ▼「ムダな公共事業」めぐる攻防 昨年11月、国交省が65兆円の費用を見込んだ「道路整備中期計画案」を公表 したとき、自民党道路族は活気づいた。なぜなら自民党内には、公共事業費を 削減した「改革路線」が地方経済に打撃を与え、それが昨年の参院選で大敗し た原因だという声が根強かったからである。 国交省も「『改革、改革』と唱えていればよかった時代は終わった」(07年 11/14:朝日)と吹聴して道路整備復活をアピールしたが、なによりも小泉・安 倍両政権の「改革路線」が頓挫し、代わって与党・官僚との協調を重視する福 田首相が登場したという変化が、道路族を勢いづかせた。 案の定、福田政権は、事業費を65兆円から59兆円に減額しただけで、暫定税 率を10年間すえ置いて道路特定財源を維持する法案を国会に提出したのだ。そ れは06年12月、安倍政権が「道路整備で余った道路特定財源を一般財源化する」 とした閣議決定を事実上骨抜きにして、国交省官僚と自民党道路族の期待に応 えるものだった。 だがまさにこうして、与党・自民党と野党の攻守が逆転することになった。 なぜなら、衆院で与党に3分の2以上の議席をもたらした小泉の人気は、「 税金のムダ使いを無くす」という大義名分を掲げ、道路利権に群がる族議員に 「守旧派」のレッテルを張って「口撃」し、道路公団に限定してだが、道路整 備という公共事業を、族議員と国交省が結託した「ムダ使い」の象徴に仕立て 上げたからだったし、郵政民営化の大義名分も、当初は「ムダな公共事業」に 資金を供給する国家金融=郵便貯金を民営化し、その資金供給源を断つという ことだったからだ。 つまり小泉人気の重要なキーワードのひとつが「ムダな公共事業をなくす」 だったのだが、道路整備計画を無反省に継続することは、その「ムダな公共事 業」の温存を宣言するに等しく、小泉人気を演出した大義名分をむざむざと野 党に引き渡すことになったのだ。 道路特定財源をめぐる攻防で福田政権が常に後手に回り、暫定税率の期限切 れに追い込まれたのは、このためだったのだ。 * しかしそれでも、人々が道路特定財源の維持に反対する大きな理由は、道路 整備という公共事業が、地方経済活性化の起爆剤だという「道路神話」が、グ ローバリゼーションの進展の中で、いちじるしく劣化していることが背景にあ ると思う。 そしてこの点に、道路族と国交省の、だからまた福田の誤算がある。 ▼衰退する「道路神話」 道路特定財源は1954年、後に首相になった田中角栄らが、一般財源だったガ ソリン税を道路整備用に目的税化する法案を提出して作られた。それは当時、 敗戦後の日本経済再建の動脈として道路網を整備し、都市と地方、あるいは太 平洋側と日本海側のインフラ格差を解消し、全国的な産業再編・再配置を促進 する政策であり、いわゆる「列島改造論」の先駆けだった。 道路網の整備はその後、モータリゼーションの進展で自動車業界の後押しを 受けるようになり、60年代後半以降は、低賃金の労働力を求める企業の地方進 出をも促し、それが、過疎に悩む地方自治体に「道路神話」を浸透させていっ た。 だが「神話」には、成功や効果を過大に評価する思い込みがつきものだ。 現実には、道路整備が経済の活性化につながった地方もあれば、反対に周辺 都市圏に若年労働者や顧客が吸い寄せられ、人口減少が止まらない「ストロー 現象」と呼ばれる逆効果もあったのだ。しかも皮肉なことに、この現象の典型 は、田中の地元だった新潟県・長岡や、歴代首相を輩出して有数の「道路先進 県」と言われる山口なのだ。 さらに90年代後半になると、グローバリゼーションの波が「道路神話」の衰 退に追い打ちをかけた。いまや企業は、工場立地に最適な場所を、国内に限ら ず世界中から選ぶようになったからだ。道路整備などインフラの拡充と企業誘 致を目的とした用地造成が、地方経済活性化の起爆剤になる可能性が損なわれ はじめたのである。 昨年10月、値下げを告げる看板が出現した岩手県花巻市の「花巻流通団地」 に、その実態を見ることができる。この団地は、独立行政法人・都市再生機構 と花巻市が80億円を費やして02年までに造成し、周辺バイパスや花巻空港への アクセス道路にも170億円が投じられたのだが、その半数の土地が今も売れ残っ ているのだ。 花巻市の人口は、01年をピークに減少に転じ、15年後には65歳以上の割合が 29%になると予測されており、これに歯止めを掛ける経済活性化の起爆剤とし て期待されたのが、この流通団地だった。だが新規雇用も、市が見込んだ1600 人の3分の1にも満たず、販売価格の値下げに追い込まれたという(以上=07 年11/1:朝日新聞)。 こうした現実が、財政が悪化しつつある地方自治体の「道路離れ」を誘発し た。国の補助金があっても、自らも巨額の負担を覚悟しなければならない道路 整備だけに、経済効果が不確実になった道路事業に自治体が二の足を踏むのも 当然だ。 例えば北海道は昨年、08年度予算の概算要求ではじめて、大半が道路事業で ある北海道開発関連の補助事業を要求しなかった。費用の半額は国の補助金で も、残りの地元の負担は昨年度、予算ベースで130億円あった。しかし08年度 予算で470億円の一般財源の不足が見込まれたために、積極的な道路整備に見 切りをつけたのだ。最終的には、地元建設業者や国(国交省と北海道開発庁) に配慮し、07年度比7%減の要求をし直したが、道庁幹部も「財政は火の車。 道路には、もう飛びつけない」と言う。 また青森市は、「これからは車が使えない高齢者が社会の中心。郊外に立派 な道路を造る必要がなくなった」として、99年度から郊外開発を抑え、市街地 道路を活用する方針に転じている(以上=前掲紙)。 * こうした事態がここ数年、道路特定財源に数千億円の「余り」を生み、前述 した06年12月、安倍政権が「道路整備で余った道路特定財源を一般財源化する」 と閣議決定する根拠にもなった。ところがこの同じ問題が、国交省に道路整備 計画縮小の危機感を抱かせ、逆に「ムダな道路」建設を加速させるようにも作 用するのだ。 ▼ムダな道路を造るメカニズム 今回も多くの地方自治体の首長が、道路整備の必要を訴えて道路特定財源と 暫定税率の維持を求めるのは、道路整備計画とくに建設箇所の優先順位が、道 路族議員たちの「政治力」に大きく左右されるブラックボックスになっていて、 「必要な道路」はまったく恣意的に決められ、道路網の整備に歪みがあるのが 現実だからだ。 しかも整備箇所の決定は、事実上は国交省の行政権限と化し、それが政治家 との癒着の温床にもなってきた。財務省幹部が、「国交省は自分で族議員をま とめ財源も確保してくる。そこは聖域だ」と吐き捨てるのも、理由があっての ことなのだ。 今回の「道路整備中期計画」でも、国交省は「真に必要な道路」を選定した というが、具体的な整備箇所は、高速道路など一部を除いて明らかにしていな い。「場所は絞り込んでいるが、すべてを示すと予算を硬直化させる」と言う のが国交省の説明だが、使い道を明示しない税金の使い方の方が異様だろう。 だがこうして国交省官僚は、補助金の恣意的支出の権限を握り、道路事業に行 政権限なみの強制力を持たせてきたのだ。 ところが、地方自治体の財政悪化によって「道路離れ」が広がり、道路特定 財源が余りつづければ、一般財源化の声がさらに高まるのも確実だ。それは国 交省にとっては、道路に関する「行政権限」がさらに縮小するという悪夢であ る。 すでに小泉、安倍両政権の下で公共事業費は大幅に削られ、98年度の国の公 共事業費14.9兆円は、07年度には6.9兆円まで激減、これに「脱談合」による過 当競争の激化もあり、平均落札率(発注価格÷予定価格)も、01年度の96%が 06年度には89%にまで落ち込み、業者からも「利益が減って魅力が無くなった。 政治家に頼る意味も薄れてきた」との声が出るように、今や業界にとっても道 路建設は、必ずしも「美味しい仕事」ではなくなりつつあるのだ。 いきおい国交省は、特定財源を使い切り、存続の必要性をアピールしようと 「早く、たくさん道路を造れ」(片山・前鳥取県知事の証言)と自治体をせか すことになる。ところが、渋滞などで「真に必要な」市街地の道路整備は、用 地買収や住民の退去に時間がかかるから「早く、たくさん」は造れない。替わ りに事業のやりやすい、人があまり住んでいない山奥の道路建設が先行し、必 要とは言えない道路が増えつづける。 国交省が「予算の硬直化」を嫌うのは、山奥の道路建設を先行させるなどし て特定財源を使い切るには、整備箇所の特定は妨げにしかならないからなのだ。 要するに道路特定財源というブラックボックスは、財源のある限りムダな道 路建設がつづく仕組みなのだ。 さらに、建設計画の是非をチェックすることになっている「国土開発幹線自 動車道建設会議」(国幹会議)も、先の5カ年計画中に03年、06年、07年に3回 開かれただけで、質疑時間も各々1時間程しか無く、事実上は国交省案を追認 するだけのセレモニーと化しているのが現実だ。そのうえ、一般国道として造 った道路を後になって高速道路に「格上げ」するといった、国幹会議の審議を 経ずに高規格道路が建設できる、国道「A’路線」なる姑息な抜け道があるこ とも暴露された。 これでは福田首相も、「一般財源化」を表明せざるを得なくなって当然だ。 * こうして、道路特定財源をめぐる自民党内の激しい攻防が顕在化した。 福田首相の「一般財源化」への言及に反発する道路族と、「一般財源化」を 求めて、その保証がなければ再議決に応じないとまで主張する党員たちが相争 う与党内の内紛は、自民党内にさえ、特定財源への強い不信があることを暴き 出した。 官僚との協調ばかりか、与党との協調も重視する福田首相が直面したこの騒 動は、いったい何を意味するのだろうか。 ▼「イエ・ムラ」社会の失墜 たしかに、「強力なリーダーシップ」を標榜した小泉・安倍の両政権下で、 政官財の癒着構造に依拠した伝統的な戦後保守政治の手法は、大きな打撃を被 った。 だからまた官僚と族議員との協調を重んじる福田政権の登場は、「伝統的な 戦後保守政治」を体現する道路族と国交省の癒着構造の再構築を図る動きを活 発化させたのは前述のとおりだし、その大義名分も「地方切り捨てが参院選大 敗の原因だ」とする、いわば「地方の選挙区で強い自民党」の復活を意図した ものだった。 だが、政官癒着によるバラマキを基調とする自民党的な利益誘導は、いわゆ る郵政選挙で、当時の自民党総裁・小泉自身の手ですでに粉砕されたものであ る。 なぜなら公共事業であれ公共サービスであれ、天下りと政治利権の絡む補助 金事業は、特権的な保守勢力には利益をもたらしても、個々の有権者には必ず しも利益をもたらさない金食い虫だという認識が、都市と地方を貫いて浸透し ていたからこそ、郵政民営化に反対して「地方の利益を守る」と主張した自民 党の郵政族は、小泉の送り込んだ対立候補に苦戦を強いられたのだ。 もちろん、「改革路線」のツケでもある地方経済の疲弊を打開するために、 国家資金の投入は是非とも必要だし、昨年の参院選でも自民党は、「農家への 所得補償」を掲げて地方での支持拡大に成功した民主党に、地方の1人区で大 敗した。しかし民主党の「農家への所得補償」の公約は、たとえそれがバラマ キだとしても、補助金の支給対象が個々の世帯(家族)であることに特徴があ る。それは、業界団体に象徴される特権的な保守勢力が公共事業を受注し、そ れを介して金がバラまかれる地域や業界の「ボス支配」、いわば戦後日本の 「家=イエ」や「村=ムラ」社会を前提にした族議員の政策とは、まったく似 て非なる政策なのだ。 つまり天下りや利権がらみの公共事業は、今や人々にとって「税金のムダ使 い」を象徴する政策だが、他方で個々人や家族に直接支給される「農家への所 得補償」や「子育て支援」の補助金は、「必要な国家的支援」と見なされはじ めているのであり、こうした民衆意識の変化が如実に現れたのが、郵政選挙と 参院選挙だったのだ。 このような民衆意識の変化は、現代日本の「イエ・ムラ」社会が、バブル崩 壊後の長期不況の時期に個々の構成員と家族の生活保障を切り捨てたことで信 頼と権威を失い、それが旧来的な互助システムの衰退を加速して人々のアトム 化を促進し、個々人が、それこそ「自己責任」として、個々の利害に「だけ」 敏感にならざるを得ない状況に陥ったからでもある。 そして官僚と族議員との協調を重視する福田政権の危機の本質は、この日本 社会と民衆意識の変化をまったく理解していないことにある。官房長官の町村 が、「暫定税率復活の再議決」を「民衆の期待との落差」に無自覚なままで発 言できるのは、この政権のそうした危機の象徴なのだ。 社会と民衆意識の変化を認識できない政権は、民衆にとっては耐え難い不幸 であり、速やかに退場させられるべきだろう。ガソリンの暫定税率をめぐる混 乱は、改めてこのことを明らかにしたのだ。 (4/10:さとう・ひでみ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3:●日銀総裁が空席に 金融政策を議論する好機は活かされたか −低金利と円安が支えた「小泉改革」の破綻− ▼金融政策を議論する好機 金融政策の要である中央銀行=日銀総裁人事の混乱がつづいている。 ことの始まりは3月12日、政府が提案した武藤俊郎・副総裁の総裁昇格案に、 民主党など野党が多数を占める参院が不同意を決めたことであった。 不同意の理由は、「財務省出身の日銀総裁は、財政と金融の分離原則に反す る」ということだったが、その背景には、5年前に武藤氏が副総裁に就任した ときから、財務省が彼を「次期総裁」と位置づけており、当時の官房長官とし てこの人事に直接かかわった福田首相には、他に選択の余地がほとんどなかっ たという事情もあった。 したがって参院の不同意は、財務官僚による「日銀支配の野望」を排し、福 田がイニシアチブを発揮する好機でもあった。 だがあろうことか、福田は「財務省のパラシュート隊員(天下り)の典型」 とも言われる田波耕治・国際協力銀行総裁を新たな総裁候補として提案、民主 党など野党の態度を硬化させたのである。結局、福井・前総裁の任期が切れる 3月19日、参院は政府案に不同意を突きつけ、日銀総裁ポストが初めて空白と なる事態になった。 この「非常事態」について、自民党や経済界からは、経済環境が厳しいこの 時期に、日銀総裁ポストの空白を招いた民主党の対応は遺憾だと、非難の声が 上がった。しかしながら、サブプライムローン問題で世界的な金融市場の混乱 がつづいているとはいえ、総裁が空席でも日銀の機能が止まる訳ではないし、 金融政策の変更が緊急の課題になっている訳でもない。 ならばむしろこの機会に、財務省を含む政府から「独立した金融政策」を期 待される中央銀行の役割とは何か、日銀総裁に求められる資質とは何かなど、 これまでないがしろにされてきた問題を、時間をかけて議論する方が生産的で はなかろうか。 ▼「日銀も政府の一員」なのか? 中央銀行の「政府からの独立」が重要とされるのは、金利、貨幣の供給量、 通貨の交換レートなど、経済動向に大きな影響を与える金融政策は、政治的な 思惑に左右されない中立性が確保される必要があると考えられているからであ る。 例えば日本の場合「円安」は輸出に有利だが輸入には不利だし、「低金利」 は借金する側には有利だが貸手には不利に作用する。だから金融政策を司る中 央銀行は、この相反する利害のバランスを保つ「中立性」を堅持するために、 これを損なう恐れのある政府の政治的思惑とは、厳しく一線を画す必要がある ということである。 欧米諸国で、「中央銀行マンたる者、用もないのに国会の敷居を跨いではな らない。ましてや政治家と気安く金融政策を話題にすることは、厳に謹まねば ならない」という、オランダの中銀マン(センターバンカー)が長く守ってき た不文律が、その規範として尊重されてきたのはこの為である。 そしてこの規範に照らせば、「日銀も政府の一員」と公言してはばからない 武藤氏は、不同意で当然だろう。なによりも彼は、大蔵省が財務省と金融庁に 分割されて以降、財務省の悲願となったOBの日銀総裁就任の切り札として、5 年前から準備された人事であることは前述のとおりである。 ところが不同意をした野党が、こうした理由を明示せず「金融と財政の分離」 を繰り返すだけでは、肝心の「中央銀行の役割」の議論が抜け落ちてしまう。 しかも武藤氏は、副総裁だった5年間、ほとんど自分の意見を表明したこと のない、典型的な「調整型」副総裁だったと言う。そんな「足して2で割る」 式の調整で金融政策を決める日銀総裁は、それこそ「経済環境が厳しいこの時 期」に、はたして金融政策のトップとして厳しい決断ができるのだろうか。お そらくは現状維持、つまり超低金利政策を継続し、円安を期待しながら円高= ドル安が止まらない為替相場を傍観するのが関の山ではなかろうか。 だからもし日本の金融政策が、超低金利と円安を期待するドル安の傍観しか ないのであれば、日銀総裁は武藤氏でも構わないことになる。ところが「中央 銀行の役割」に関する肝心の議論が抜け落ちては、「日銀総裁に求められる資 質」という問題も明らかになるはずはなかった。 もちろん、庶民に分かりやすいスローガンとして「金融財政分離」や「天下 り反対」を掲げた意図は解らないではない。だがそれにとどまるなら、それは 福田の失策つまり敵失に便乗した戦術的攻勢を意味するだけで、小泉−安倍の 「改革路線」と、そのなし崩し的転換を画策して政権にしがみつく自民党との 違いを明確にし、政権交替後のビジョンを示すことはできないだろう。 せめて国会という、それなりに政策のプロが議論する場で、もう少し踏み込 んだ政策論争ができなければ、一時的とはいえ日銀総裁が空席になったという せっかくの好機は、いたずらに解散総選挙を狙う政局優先の党利党略に堕落す ることになる。 ▼低金利と円安への見識 日本の現在の金融政策は、デフレ脱却のためという低金利と、輸出の促進を 眼目とする円安の維持を特徴としている。それは「輸出産業が牽引する経済成 長」という、60年代の高度経済成長以来、歴代自民党政権が一貫して追求して きた経済成長モデルを前提とする金融政策であり、小泉の「改革路線」を下支 えしてきた政策でもあった。 というのも、「小泉改革」は『国際競争の激化を口実にして、その多くが輸 出産業である日本の基幹産業に資金を集中し、結果として社会的格差を耐え難 いまでに拡大した』(本紙178号「世界同時株安の再燃」)が、輸出産業への資 金集中には「円安」が大きく貢献したし、歴史的な「超低金利」は、バブル経 済当時の過剰投資のツケである企業部門の莫大な債務(借金)の金利を軽減し、 あるいは家計部門が得るべき預金利息を金融機関に移転して、企業部門ばかり が好況を甘受するのを大いに助けたからである。 だが「小泉改革」は、今年初頭からの「日本株の一人負け」によって、『輸 出産業優遇と土建投資偏重の経済成長戦略から脱却することに失敗した』(同 前)ことを露呈した。なぜなら「日本株の一人負け」は、対米輸出に依存する 日本の好況は、しょせんアメリカ景気に翻弄される以外にないことを暴露した からである。それは小泉改革の「破綻」を暴き出したというべきであり、そう である以上、現状の「円安」と「超低金利」について、日銀総裁候補の見解を 問うてしかるべきではなかっただろうか。 もちろん、中央銀行の独立性を尊重すべき国会が、日銀総裁候補に「円安は 好ましくない」とか「超低金利は異常」などの意見を押しつける訳にはいかな い。 だが少なくとも、福田の候補者選定基準との違いを鮮明にするために、円の 低金利が「円キャリートレード」(金利の低い円を借りて、金利の高い外国通 貨で運用して利ザヤを稼ぐ金融取引)を増加させ、これが、円を他国通貨に交 換する際に起きる大規模な円売りで「円安」圧力を高めた問題への見解や、円 高が輸出に与える悪影響と、原油や穀物など高騰する原材料を輸入する際の利 益とのバランスをどう考えるかなど、政府推薦の総裁候補がどんな見識を持っ ているか質すことはできたはずだろう。 しかしここでも民主党は、金融政策に対する見識や資質によって中央銀行総 裁が選ばれるべきだという、自民党とは違う基準を示すことはなかったのであ る。 * 本稿執筆直後の4月9日、日銀総裁人事は、3月12日に副総裁として同意さ れた白川方明氏の総裁昇格で決着した。 だが、財務官経験者である渡辺博史氏の副総裁案は不同意となり、副総裁ポ スト2つの内1つは空席のままである。しかも、渡辺副総裁案については民主 党内で対応が別れ、3人が賛成、5人が棄権・欠席をする「おまけ」つきであ った。 中央銀行の役割や総裁の資質など、踏み込んだ議論ができなかったツケは、 民主党など野党各党の対応への不信感を持たせただけかもしれない。 (4/10:みよし・かつみ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】4月号を配信します。なお編集機器の故障のため、3月号は休止 いたしました。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第55号(通巻179号) 2008年4月17日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm からでき ます。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


