2006/12/09
インターナショナル45訂正版
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第45号(通巻169号)訂正版 2006年12月9日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか? だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方 と、旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考 えてみたい人たちのためのメールマガジンです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 先ほどお送りしたメールマガジンの3の論評を、コピーする際に重要な個所を コピーし忘れましたので、改めて訂正版をお送りします。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 今号の内容: 1:私たちの世界は?(世界):【アメリカ中間選挙】 宗教右派に依存してきたブッシュ・共和党の自滅 −スキャンダルが暴いた、デマゴーグたちの欺瞞− 2:私たちの世界は?(日本):★Kさんへの手紙2★ 時代に逆行する愛国心教育 ー国家間の競争から、互恵と協調の時代へー 3:教育と文化: いじめ克服の道はあるか −学校現場と地域主体の教育再生実践へ− ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1:【アメリカ中間選挙】 宗教右派に依存してきたブッシュ・共和党の自滅 −スキャンダルが暴いた、デマゴーグたちの欺瞞− ▼民主党、12年ぶりの完勝 イラク占領政策の転換を最大の争点にしたアメリカ中間選挙は、11月7日に投 開票が行われ、民主党が1994年以来、実に12年ぶりに上下両院で過半数を制す る結果となったが、それは、ブッシュ政権が推進する「テロとの闘い」に対す る、アメリカ国民の強い不満の表明だと言われている。 だが、ブッシュ与党・共和党敗北の要因を検討する前に、まずは民主・共和 両党の新たな議会勢力比を確認しておこう。 開票直後から、民主党の圧勝が明らかになった下院(定数435)では、民主党 が201議席から229議席と大きく議席を伸ばしたのに対して、共和党は229議席か ら203議席に後退する大敗を喫した。ちなみに、11月末現在で未確定の3議席は いずれも民主党候補が優勢と報じられており、このまま確定すれば民主党は232 議席となる。 また上院(定数100)では、民主党が17議席の改選(非改選27)から5議席増 やして22議席を獲得、民主党系無所属の2議席を加えて過半数の51議席を制する ことになったのに対して、共和党は、改選議席15(非改選40)から6議席も少な い9議席しか獲得できず、改選前の55議席から、過半数を割り込む49議席へと後 退したのである。 40もの非改選議席がありながら過半数さえ維持できなかったという意味では、 上院共和党の敗北は、下院以上に劇的な大敗であったと言える。 * こうした共和党の敗北は、イラク占領のドロ沼化によって「テロとの闘い」 への批判が高まったことを理由に、選挙以前から予測されていた。そして確か に「イラク」は、中間選挙の最大の争点であった。 したがって共和党とブッシュ大統領は、イラク占領政策の正当性を訴えるた めに「テロの恐怖」を煽り、イラク駐留の長期化と犠牲の増加について理解を 求める強気のキャンペーンを展開し、民主党の「弱腰」を非難することでその 追い上げを退けようとしたし、民主党もまた、ドロ沼化したイラク情勢の打開 という点では、共和党と同様に決め手を欠く分だけ「弱腰」批判を恐れ、攻撃 の矛先もにぶりがちであった。 現に昨年12月、ギャラップ社の世論調査では「イラク戦争はテロとの闘いの 一環」との回答が43%、「長期的にはアメリカは安全になる」が42%と、イラ ク占領を支持する有権者が40%台を維持しており、中間選挙は「民主党優位だ が接戦」というのが、今年の半ばまでの大方の予測だった。 ▼宗教右派と共和党のスキャンダル ところが今年になって、共和党連邦議員や宗教右派指導者のスキャンダルが 次々と発覚したことで、共和党の劣勢が決定的になったと言って過言ではない。 ブッシュ大統領の地元であるテキサス州選出で、下院共和党の大ボスでもあ るディレイ前下院院内総務ら、10人を越す共和党連邦議員が、大掛かりな政界 不正工作の容疑で逮捕された共和党系の大物ロビスト、エイブラモフ被告との 癒着などを指摘される事態になったのは、今年の春であった。 ディレイ議員は、州選挙資金法違反とエイブラモフ被告との癒着を追求され、 政界引退に追い込まれたが、同じような疑惑を指摘された共和党議員たちが、 選挙で苦戦を強いられたのは当然であった。 さらにこの事態に追い打ちをかけたのが、投票日の直前に宗教右派の著名な 全国的指導者、テッド・ハガード師が、全米福音派協会の会長を辞任したこと である。辞任の理由はハガード師の同性愛疑惑だが、ホワイトハウスとの太い パイプをもつ大物宣教師のスキャンダルが、ブッシュ政権の最も強力な右の基 盤である宗教右派の集票機能を、大きく減退させたのは疑いない。 しかも、宗教右派を動揺させたこのスキャンダルには、伏線もあった。 それは選挙戦が熱を帯びはじめた9月末、フロリダ州選出で共和党のマーク・ フォーリー前下院議員が、議会で働いていた10代の少年にわいせつなメールを 送ったという疑惑が浮上したことである。さらに共和党のハスタード下院議長 は、この疑惑を知りながら黙認していたのではないかと批判されながら、その 後も議長職に居座りつづけてひんしゅくを買ったのである。 後者、フォーリー前下院議員の行為は、事実であればもちろん犯罪であり、 その隠蔽を画策したハスタード下院議長も同罪である。だが前者、ハガード師 のスキャンダルは犯罪ではない。たとえそれが、キリスト教原理主義と呼ぶべ き福音派などが最も忌み嫌う性質のスキャンダルであってもだ。 にもかかわらず、2つのスキャンダルは同根である。つまり宗教右派を強力 な支持基盤にしてきた共和党右派の、「キリスト教原理主義」に迎合した扇動 や言動の多くが、実は口先だけの、そして選挙目当てのウソと欺瞞だったので はないかという「共通する疑惑」が、その同根である。 「敬虔な信者」を装って宗教右派に取り入り、その強固で排他的な支持で連 邦議員という地位を手に入れ、政治利権にコミットして経済的利得にありつこ うとする欺瞞が横行していたので無いとすれば、福音派などの支持で連邦議員 となった共和党員の中から、その支持者たちが最も嫌悪する性的スキャンダル が次々と発覚する事態を説明するのは、かなりの程度難しい。 その意味では大物ロビスト、エイブラモフ被告との癒着という、文字通り政 治と金にまつわるスキャンダルも、同様の疑惑を向けられて当然であろう。そ れは、ロビストとの癒着によって政治利権にありつこうとした共和党「右派」 の連邦議員たちもまた、自らの信条を偽って宗教右派に取り入った可能性が強 いと言えるからである。 ▼デマゴーグたちの汚職と腐敗 たしかに冒頭でも述べたように、中間選挙の最大の争点は、イラク戦争だっ た。しかしそれと同時に、今年になって暴露された汚職と腐敗が有権者の重要 な関心事であったことは、AP通信などが実施した出口調査にもはっきりと現 れていた。 そこでは、イラク戦争を「非常に重視」すると答えた有権者が36%、汚職や 腐敗を「非常に重視」するは41%と、この問題に対する高い関心が示されてい た。 それはイラク占領政策と共に、今次中間選挙のいまひとつの焦点がブッシュ 政権6年間の評価、いわば「ブッシュ政権の信任投票」であったことの反映でも ある。というのも与党である共和党の特に右派は、「テロとの闘い」とイラク 戦争を推進するブッシュ政権の最も強力な基盤だったのだから、焦点のイラク 戦争などその外交政策のみならず、あらゆる政治姿勢が評価の対象となるのは、 信任投票であれば当然だからである。 そして共和党右派は、イラク占領のドロ沼化に加えて、前述したような欺瞞 の疑いが濃厚な数々のスキャンダルが暴かれたことによって、この信任投票で の敗北を決定的にしたと言うべであり、むしろこれこそが、中間選挙で共和党 が大敗した隠れた要因であったと言えるだろう。 * さらに大胆に言えば、欺瞞によって宗教右派に取り入り、あるいはネオコン の無謀な対外戦略に乗って私的利得を追求するデマゴーグが、共和党右派に少 なからず含まれていたと言えるだろう。 というのも、核開発をめぐる虚偽の情報を根拠にしてイラク開戦を強行する 一方、ずさんな占領計画が批判されはじめた只中で、チェイニー副大統領ら、 ネオコンの大物たちが関係する企業に重要な戦後復興事業が次々と発注され、 それによってこれらの企業には、巨額の「復興援助資金」が流れ込んだ事実が あるからである。 虚偽さえいとわずに私的利得を追求するという「右派」の動向は、すでにイ ラク戦争直後の復興政策の中にも現れていたと言って差し支えないだろう。 さらに「テロとの戦争」を口実に、ラムズフェルド国防長官の下で大幅に増 額された軍事予算の多くが、実はイラクやアフガンで苦戦をつづける実戦部隊 の為にではなく、米軍のハイテク化や弾道ミサイル防衛など、その実戦的効果 がはなはだ疑問視される一方、巨額の政治利権だけは間違いなくを生むであろ う軍事技術の開発資金としてつぎ込まれつづけていることも、こうした疑惑を 深めずにはおかないだろう。 ▼伝統的保守派と中道派の危機感 いずれにしてもブッシュ大統領は、中間選挙の大敗を受けて、これまで頑固 に拒んできたラムズフェルド国防長官の更迭を発表し、さらに民主党のナンシ ー・ペロシ次期下院議長と会談して議会・民主党との協調姿勢を演出するなど、 大敗の衝撃を和らげようと素早い対応を見せた。 これはおそらく、共和党の敗色が濃厚になりはじめた9月末から、敗戦処理の 具体策として周到に準備されてきたシナリオに沿った対応であろう。 ラムズフェルド国防長官の更迭は、イラク戦争を主導したネオコンと汚職ま みれの右派が政権中枢から遠ざけられ、政治的影響力が後退したことを象徴す るが、その後任にロバート・ゲーツ元中央情報局(CIA)長官が指名されたこと は、この「周到な敗戦処理」が、共和党の保守派か、あるいは共和・民主両党 の中道的勢力つまり左右両中道派連合かの、いずれかのイニシアチブで準備さ れたことを示唆している。 というのも新任の国防長官ゲーツは、父・ブッシュ元大統領の信任厚きベイ カー元国務長官を中心に、超党派で構成された「イラク研究グループ」の主要 メンバーであり、ゲーツ自身が連邦議会で「米軍はイラクで勝っていない」と 証言し、「イラク研究グループ」が12月6日に発表した提言で「アメリカ軍の撤 退」に言及したことでも明らかなように、ネオコン主導の国際戦略の破綻に強 い危機感を抱きその転換を推進しようとする、いわば共和・民主両党中道派の 意向を体現できる人物だからである。 * 選挙の大敗によって、ブッシュ政権の外交戦略は大きな転換を余儀なくされ ることにはなった。だが、中道派が主導する戦略的転換が、アフガンとイラク の戦乱で加速された国際的な不安定化に歯止めをかけられるか否かは、なお不 透明である。 それでも、アメリカ民衆によるブッシュ政権に対する「不信任」は、ひとつ の転機を提供することになったのである。 (12/8:きうち・たかし) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2:★Kさんへの手紙2★ 時代に逆行する愛国心教育 ー国家間の競争から、互恵と協調の時代へー 『気になった出来事』(http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/xx/xx18.htm) より転載 ▼愛国心教育のドキュメント 急に季節は冬となり、毎日、冬らしい綺麗な青空が広がっています。しかし、 この澄んだ青空とは正反対に、世間は騒々しく動いていますね。 昨晩のNHKのクローズ・アップ現代は、教育基本法の改正にからんんで、愛国 心をどう学校で教えるのかという問題を取り上げていました。 この番組の中 で道徳の授業で愛国心を取り上げている2つの小学校での授業が紹介されまし たが、正直言って、授業として愛国心を取り上げることは、どうやっても愛国 心の押し付けになってしまうとの感を強くしました。またなぜそうなるかと言 うと、そこで提起されている愛国心が、「自国だけを愛する」という、他者の 存在を無視した偏狭な愛国心だからです。 番組の冒頭で、同じく愛国心を正面から取り上げている2つの高校の例が取 り上げられていました。 一つは皇學館高校。ここはまさに教育勅語を取り上げ、愛国心とは「家族な どの大事なものを守るということの延長だ」と高校生をして言わせていました。 二つ目は、女子聖学院。校長は講話の中で、愛国心とは自分の国に誇りを持 って愛するとともに、他国をも自国と同じように愛すると言う事、他国の人も その国に誇りを持って愛していることを尊重することでなければならないと言 っていました。この説明は、大東亜戦争の中で信教の自由を奪われた経験に基 づきかつキリスト教精神に裏付けられたものなのでしょう。 このキリスト系学校の取り組みを背景にして、先の小学校の実践を見てみる と、どうして押し付けにならざるを得ないかがよくわかりました。 一つの小学校では、常夏の国から来た女の子が「日本って四季の変化があっ て美しい国だね」と日本人の男の子に語ったという教材を手がかりにして、富 士山の四季の変化の写真を媒介にして「日本とはとても美しい国であり、愛す るに足る国である」と子どもに言わせようとする授業でした。多くの児童は、 教師の誘導に素直に従って、教師が期待したような応えを回答していました。 しかし一人の女子児童がその流れに疑問を差し挟んでいました。彼女はこう言 いました。「常夏の国だって一年中綺麗な花が咲き誇ってとても美しいのに、 どうして彼女は日本を美しい国だと言うのだろう」と。 教師はこの疑問を徹底的に排除して、日本は美しい国だと強引に富士山の写 真を使って導こうとしました。常夏の国は綺麗だけど一年中変化がない。これ にたいして日本は四季によって同じ風景も大きく変化し、富士山だってさまざ まな顔を見せてくれる。花も季節によってドンドン変る。だから美しいと感じ たのではないかと。こういう方向に児童の思考を強引に持って行きました。多 くの子はこれ以上疑問を感じることなく、だから日本は美しいと応えました。 でも先ほどの女子生徒は最後まで食い下がっていました。 この教師が取り上げた教材は、日本も美しいが他の国も違った美しさがある、 ということを認識させるし、それぞれの国の人が、それぞれの国を愛している という認識に到達させるものであり、他国の美しさも認める感性の大事さにも 気付く契機を内包していました。しかし教師はただ日本は美しいとその一点だ け。しかも常夏の国より美しい。変化のない国より変化のある国の方が美しい。 この論理で日本は美しい。だから大切に思わなくてはいけない。こういう形で 愛国心に強引に持っていきました。 他国より美しいから日本は素晴らしい。これでは偏狭な他国を排除した愛国 心であり、広まりも深まりもない授業だと思いました。教師の誘導に逆らって もっと深く思考しようという児童の疑問を大事にしそれによりそってこそ、深 い認識に到達できるのではないでしょうか。 もう一つの小学校の実践は、日本の伝統というものの大切さ、これを守る事 の大切さを、箸という生活文化を具体的に取り上げて教えようというもの。特 に、箸の使い方には伝統的なさまざまなルールがあるということを示し、どう してこういうルールが今まで続いていたのかを児童に考えさえ、それで伝統を 守ることは大切だからと言わせようとした。 しかし児童はこう問いかけられて完全に詰まってしまった。なぜ○○のよう なルールがあるのかは、他人に対する礼儀としてや、食べ物に対する感謝の気 持ちや、箸を振り回すことの危険性など、さまざまな理由が考えられ、これは 児童も考えることが出来た。しかしこれと、伝統を大事にすることとはどうし ても繋がらない。教師も困っていた。 しかし、普通に考えてもつながらない。伝統を大切にしようとしたから続い たのではない。ルールそのものに意味を見出したから続いてきたのだし、その 意味、箸を使う様々な仕草の中に込められた心性を忘れてしまい、それに意味 を感じなければ伝統は消えるわけだ。箸の使い方そのものだって、多くの子ど もが知らなかったはずだ。教師だって勉強して初めて知ったことのはず。今や 箸の使い方をめぐる伝統は失われつつある。どうして失われつつあるのか。そ こを問うて行けば、伝統と社会の関係という、もっと深い問題につながってい き、逆に伝統の中に息づいた昔の人の心のあり方や暮らしの在り方を再認識す ることにつながる。 こういう深い問題意識を媒介にしないと、伝統の大切さを認識する心は育た ない。箸の使い方という伝統の存在そのものから、伝統の大切さに至ろうとい う問いの設定そのものに無理があるわけだ。一回の授業で育てられるものじゃ ないんだ。 ▼伝統を押し付ける「近代日本」 この2つの授業を見て思いました。そもそも教えている教師自身が、日本と いう国に誇りを持ち、それを大事にするという心性を持っているのか。また日 本の伝統と言うものを日常的に意識し、それを大事にしようとする心性を持っ ているのか。だいたい大人は、このような心性を持っているのか。愛国心教育 を進めようとする政治家達は持っているのか。こういう疑問です。 戦後の日本は、いや明治維新以来の日本は、日本の伝統文化などというもの は打ち捨てて、ヨーロッパ文化・アメリカ文化を取り入れることだけに邁進し てきた。伝統文化は文化遺産に落としこめられ、日常生活に生きつづけその中 で変化し続けるものではなく、昔のままに博物館に保存されるべきものに変え られていった。 日本人はずっとヨーロッパ・アメリカに憧れ続け、その生活様式に慣れ親し むことが文明化だと思ってきた。このあたりがそれの植民地とされ、長い闘争 を経て独立し、自力で国を作ってきたアジアの国々とは異なる所だ。アメリカ を源流とする大量生産大量消費の社会を美しいとし、商品だけではなく人間ま でも規格品にしてしまい、日本は世界で最も、自国の自然も人も大事にしない、 何でも飽くなき利潤追求の手段と化してしまった国です。 このような近代日本の100年の歩みを再検討することをせずに、ただ日本を愛 せ、日本の伝統を愛せでは、戦前の日本が「天照大神の神の子孫を戴く日本は、 世界に冠たるものである」とした、そうやって出来た愛国心と同質のものが作 られるだけでしょう。あれは欧米が世界を席巻することに対するアンチ・テー ゼとしての意味はあったとは思いますが、自国中心の周辺のアジア諸国蔑視の 感性に依拠していただけでした。また日本自身のありかたを再検討するもので もなかった。 いま、日本国政府がつくりあげようとする愛国心も、どうやっても同じもの でしかないのではないか。だから押しつけるしか方法がない。自他ともに愛す るという意味での愛国心は、それこそ日常的に異文化に接し、異なる感性や異 なる習慣を大事にし、一人一人違った個性を持った人間を大事にする中で生ま れてくるものだ。そういう感性を持った人間には、偏狭な愛国心は受け入れが たい。そういう感性を持った人間は、教師のように権威を持った者が「左向け 左」「右向け右」と言ってもただちにそうすることはなく、自分で考え行動す る。 先ほどの授業で、あくまでも「自分の国も美しいのにどうして日本を美しい」 と言ったのかにこだわった女子児童は、そういう感性をもった子どもなのでし ょう。では教師の誘導に素直にしたがって日本は美しいすばらしい国だと答え ていた児童はどうなのでしょう。内心では教師の誘導に疑問を持っていてもそ れを外に出さなかった子も多いとは思いますが、教師の誘導に疑問を持たない 子どもが多かったことに恐ろしさを感じます。これは日常的に授業の中で自分 で考え自分で応えを見つけるという姿勢が貫かれていない結果なのでしょう。 勉強とは教師が提示したことを鵜飲みにすることであるという感覚を当たり前 のこととして受容してきた子どもたち。教師はそれだけの権威も権力も持って いる。 教師が先頭にたって一人の子どもをいじめたときに、それに付和雷同してい じめをエスカレートさせてしまう心性に落とし込められている子どもたちに、 このような偏狭な愛国心が押し付けられることの恐ろしさも感じます。 幸い授業のあとの研究会で、「おしつけだ」という批判が相次いでいたこと は現場の健全性を示してはいます。強権的に教員の自主性を押しつぶしている 東京都でも、こういう批判がまだできることは大事です。しかし愛国心を教え ることが法制化されてしまえば、これに疑問を持つこと事態が禁止され、やが ては教え方に疑問を持つことすら禁止される雰囲気になることでしょう。 受験・受験と競争をあおりたてて子どもに鞭打ってきた数十年。今度は一斉 に右向け右で、国を愛せ・親を愛せと道徳を振りかざして、またも子どもに鞭 を打つ教育現場になるのでしょうか。 ▼郷土愛と愛国心の混同 (追伸)そうそう、大事なことを言い忘れていました。 番組で紹介された授業では、愛国心と郷土愛が区別されず、ほとんど一体の ものとして捉えられており、これは極めて危険なものです。 郷土愛というのは、誰でも持っている、生まれ育った地域(くに)の自然や 風土・生活習慣・人間関係に対して抱く親近感のことです。これは誰でも持っ ています。意識すると意識しないとに関らず。どんな時に意識するかというと、 異文化に出会った時。異文化に出会って初めて、自分が持っている、自然と培 われた文化が、自分にとって不可欠なものとなっていることに気がつく。 あの授業で取り上げられていた日本の自然の美しさとか日本の伝統とかを大 事にする心というのは、このような郷土愛であるわけです。 郷土愛はごく自然なものです。何しろ人間が身につけているものの大部分は 生まれてから学習したこと。例えば、生まれ育った地域の気候に体質まで合わ されている。 僕の父は、常夏の国ともいえる台湾で生まれ育ったので、冬になるとやけに 寒がって、暖房をガンガン入れる。僕などはまったく寒いとは感じない時でも だ。 またこれも父から聞いた話ですが、昔、台湾時代の同級生と台湾の一周旅行 をしたという。あまりきちんとした旅館のない地方に泊まったとき、朝食は朝 市で食べてくれと言われてみんなで行ってみると、屋台がずらっと並んでいた。 それも日本のように清潔ではない。同級生たちは、こんな所では食べる気がし ないといって尻ごみしたそうな。父は平気で屋台で食事をしたので、同級生た ちもしかたなく食べたという。 父は、死んだ私の弟が横浜の寿町の寄場にいたせいで、よくそこに通って、 弟の昔の仲間たちと食事を共にしていた。そういう経験があるから台湾の汚い 屋台など平気だったという。子どもの時には朝市の屋台で食べたことはないの と僕が聞くと、それは台湾人の習慣で日本人の習慣ではないという。つまり植 民地にした台湾に移り住んだ日本人は、日本での生活習慣・文化を守って暮ら していたので、台湾の人達の生活習慣はまったくの異文化として外部に置かれ たわけである。 父は生まれてから18歳まで台湾に住んでいた。だから台湾の気候風土に体質 は合う形になっているが、生活習慣・文化は日本のそのものだったのだ。でも やはり生まれ育った台湾に行くと、その風景は目に焼きついた懐かしいものだ という。 人はどうやっても生まれ育った土地の気候・風土と、自分を育んだ生活習慣 ・文化からは離れられず、愛着を持つ。そして生まれ育った地域の人間関係・ 社会にも愛着を持つ。これが郷土愛だ。 しかし愛国心はこれとは別だ。 愛国心が語られる場面を考えてみると良い。自国が攻められたら命を賭けて それを守れるか。命を賭けて戦う愛国心はあるか。こういう文脈で語られる。 愛国心と郷土愛は別の次元の問題だ。 しかし両者はしばしば混同される。混同というより、意図的に結び付けられ るわけだ。 日本語では(他の言語でもそうかもしれないが)、「くに」という言葉には、 二つの意味がある。一つは、「おくにはどこですか」「おくになまり」という 使い方に示されているように、故郷・郷土を指している。故郷・郷土を「くに」 と呼ぶのは、昔はそれぞれの地域が独立した国家だったからかもしれない。日 本だって江戸時代までは、それぞれの藩が独立国家であり、日本という国もな いし、日本人という感覚もなかったわけだ。もちろん現代的意味での日本語も ない。こういう歴史を背景として、故郷・郷土を「くに」と呼ぶのだろう。 そして近代において民族を統合した統一国家、国民国家というものが出来て、 それぞれの地域の人々、場合によっては言語も宗教も異なる人々が一つの国家 の下に統合されて単一の国民になる。このとき成立した「くに」は統合した国 家であり、抽象的な国家を現実において代表しているのは政府だったのでした。 こうやって生まれ育った土地の気候・風土・生活習慣・文化・人間関係とい う意味での郷土・故郷とは別次元の国家が成立するとともに、両者は一体のも のとする虚構が政治的に流布されて、新たに成立した国民国家を守ることと、 郷土を守ることとが一体のものとして宣伝され意識されていったわけです。 日本において、この郷土と国家を一体化させ、共に愛するべきもの守るべき ものとして人々の意識形成を図った手段が教育勅語でした。そして教育基本法 改正案においても。 愛する家族・故郷、これと国家が一体のものと認識するように仕向けられて、 人々は国のために死んでいったわけです。 でもよく考えてみれば、家族・故郷と国家は別のもの。国家が愛する家族や 故郷を真に守るものであるかどうかは、それを作り上げている社会の構造・性 格や政府の在り方に掛かっています。政治の在り方といっても間違いは無い。 その社会の構造・性格・政府の在り方を是認するかしないか。ここは個々の人 の自己選択権に属するわけ。したがって今、自分が所属する国家を守るために 命をかけて戦うか否かは、個人個人の自己決定権に属す問題であり、当たり前 のことではなく、具体的に考えて選択することなのです。だから権利の中には 良心の自由に基づく兵役拒否権というのもありますね。 それを国家と家族・郷土を一体のものと考えさせることによって、通常は多 くの人が自然に持っている家族愛・郷土愛を、そのまま愛国心として吸い上げ、 当たり前のことにしてしまうのは、すぐれて政治的なことなのです。 他国より比べて自国の風土や気候や文化が優れているという観点から郷土愛 を押し付け、それをそのまま愛国心に結びつけようという授業は、洗脳と言っ て間違いありません。こういう授業が戦前の修身でしたし、今また復活されつ つある道徳の授業なわけです。すでに教育基本法が改正されない前から、学習 指導要領という形で、何の法的根拠もないままに愛国心教育が推し進められて います。その実態の一端が先の番組で紹介されたわけで、この状況の上に愛国 心教育が法制化されれば、とても危険であります。 ▼自国の利益か、平等と互恵か 与党単独で教育基本法改正案は衆議院を通過し、参議院での審議に入ってい ます。野党は他の問題も含めて国会審議を拒否する事で揺さぶりをかけていま すが、どうなることでしょう。焦点は日曜日(19日)に行われる沖縄県知事選 に移っており、その勝敗が今後の国会審議を左右するでしょう。 アメリカのブッシュ政権が進めてきた強権的・軍事力による世界のアメリカ 化が、先日の中間選挙でアメリカ国民によって拒否され、ブッシュ政権も軌道 修正をよぎなくされています。時代は、アメリカの一極的政治支配ではなく、 多極的な地域安全保障体制を組んで、地域ごとに経済共同体を組んで、多国間 の協力で世界を安定させていこうという時代に入っています。 アメリカも全世界に展開したアメリカ軍を次第に拠点的基地に撤退させて、 地域の安全保障は、それぞれの地域の国々に共同であたらせようとしています。 遠からず在韓米軍も在日米軍も大幅に削減または撤退し、東アジアも地域での 共同の安全保障体制づくりや経済共同体づくりに事態は進んで行くものと思わ れます。 安倍政権が進める「戦争のできる日本」づくり、「核武装も可能な 日本」づくりは、このような世界の時代の変化に対応したものであり、そのた め、海外で戦争できる国にするためにこそ愛国心教育が不可欠だという動きで あります。 でも世界はますますそれぞれの国が強力な武力を背景にして、それぞれ国益 を主張してぶつかり合う時代ではなく、共同で協調して、世界の安定をめざす 時代へと動いて行っています。政治の世界でも経済の世界でも、競争よりは協 調が主なテーマになっています。こんな時代に、ますます軍事力を増強し経済 力もつけて世界において発言力を増して国益を増大させるという安倍政権の構 想は、時代に逆行した、下手すると世界の孤児になってしまう構想ではないで しょうか。 競争や自国のみの利益ではなく、協調と平等互恵が大事です。これは社会の 中でも同じでしょう。競争と自分の利益のみを追求するものに日本の社会がな ってしまい、教育はその競争を勝ち抜く手段と化してしまったなかで、深刻な いじめは起きています。 さまざまな軋轢やいじめをなくすためには、偏狭な愛国心ではなく、大事な のは、一人一人が、そして世界のどの国もが、それぞれ大事な価値を持ってい るものだとして、お互いを認め合い、助け合う環境を作り出す事だと思います。 この観点から見るとき、教育基本法の改正は、時代の流れに逆行し、学校そ して社会を混乱に落とし入れるだけだと思います。 教育基本法改正の次ぎは防衛庁の省への昇格、そして憲法改正の国民投票法 の制定。さらには共同謀議までを犯罪としてしまう刑法の改正。その先に、戦 争ができる国への日本を変える憲法の改正が控えています。昨年の9月の衆議 院選挙で、「ハーメルンの無責任男」小泉純一郎に踊らされた人々は、政府与 党に衆議院での大幅な過半数を超える議席を与えてしまい、その結果として、 このような無茶ができる環境を与えてしまいました。あの議員の数を持ってす ればどんな暴挙も可能なくらい。 これを止めないといけませんね。今が正念場。 そして学校現場はいよいよ大変です。でもしっかりと子どもの側によりそっ て動ければ、なんとかなるんじゃないかと僕は思っています。 長くなりました。では、また。 (11・15:すどう・けいすけ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3: いじめ克服の道はあるか −学校現場と地域主体の教育再生実践へ− ▼いじめアンケート調査 いじめによる自殺の連鎖が、毎日のように報道されている。その真っ只中で、 伊吹文科相による異例の「いじめの被害者」「いじめの加害者」へのメッセー ジが出され、全国の小中高等学校を通じて全ての児童生徒・保護者に配布され ている。 また11月29日に行われた「教育再生会議」で、緊急提言も発表された。どの メディアでも注目してとりあつかっているこの提言の柱は、“いじめた加害者 への社会奉仕による指導”と“指導教員の厳罰”である。原案に盛り込まれた 「加害者の出校停止」措置は、登校させての指導に落ち着いた。だがいずれに しろ、「いじめ加害者を許さない」「いじめを見逃し、助長する教員を許さな い」というメディア・世論の動向を意識した提言であることは間違いない。 しかし、この対応でいじめによる自殺やいじめ自体が根絶されるものではな い。これはまさしく対症療法であり、政治的なポーズにすぎない。 これに併せる様に、全国の学校で全児童生徒を対象に【いじめ実態アンケー ト】がなされている。アンケート結果は教育委員会で集計しているが、都道府 県や全国の集計は出ていないし、公表するのも無意味だと考える。なぜなら、 これで実態が明らかになるかは甚だ疑わしいからだ。 この調査では、教師が児童生徒にしっかりと「いじめの定義」を説明した上 でなされてはいないし、子どもが「言葉での脅し」「冷やかしやからかい」 「ものかくし」「集団による無視」「暴力」等のアンケート項目に答え、集計 するだけである。だが私の勤務する中学校では、アンケートに記載された内容 を個々の面接で確認していくと、むしろ集団で一人ないし少人数を長期にわた って精神的、肉体的に追いつめた事象ではなく、過去の個人的関係の体験を答 えている例が多いし、いじめの定義には合わないものだった。同じ市内の小中 学校の統計でも、中学校がほとんどの項目でゼロ解答だったのは、当然の結果 であった。しかも記名の上で回答するのでは、子どもの心理から、真実が隠さ れてしまうのが当然でもあろう。 このアンケート調査を評価できるとすれば、「とりあえず子供たちに聴いて みる」と言ったところだろうか。 ところで今回の緊急提言にも、なぜか「いじめとは何か」という定義がない。 それ以前の文部科学省の通達にはいじめの定義が明確にあったのに、再生会議 の提言ではいじめを定義していない。何がいじめ事象で、加害者はどういう行 為を行った者で、被害者はどういう事をされた誰なのか。これらを明確にする ことがないまま対策を打ち出す姿勢は、現場を混乱させるだけである。 しかしこの様な、政治的パフォーマンスが明らかにもかかわらず、メディア の報道も加わって、「厳罰主義・心の教育」の押しつけ方針が一人歩きを始め た。教育基本法の改悪を目論む勢力によって、「いじめ問題」が「教育再生」 の追い風に利用され、補完要素とされようとしている。 これに対して、新聞報道にも現れているように、「現場の努力を理解してい ない」「いじめる側を切り捨てることは根本的解決にならない」という反撥は 当然である。 ▼「教育再生」という制度改革 では「いじめ」は、どのように定義されるべきだろうか。 ひとつは、『同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的 に、あるいは集合的に、他方に 対して精神的・身体的苦痛を与えること』と いう、森田洋司・清水賢二著『新訂版いじめ』(金子書房1994年刊)にある定 義である。 もうひとつは、『学校及びその周辺において、生徒の間で、一定の者から特 定の者に対し、集中的、継続的に繰り返される心理的、物理的、暴力的な苦痛 を与える行為を総称するものであり、具体的には、心理的なものとして、「仲 間はずれ」、「無視」、「悪口」等が、物理的なものとして「殴る」、「蹴る」 等が考えられる』という、1991年9月26日に東京地裁八王子支部で出された判決 にある定義である。 * いじめに象徴される現代の教育の病理は、まさしく社会の病理である。大人 の社会が弱肉強食の「競争原理」に支配されている現代社会で、目標を見失っ た大人を見ながら、ぎすぎすした大人社会に乗り出そうとする子どもたちは、 格差社会でどう生き残ろうかと小学生の時から模索しているのである。 受験競争に勝とうとするチャレンジャーがいる一方で、自らの将来に希望が 持てずに享楽に浸り、今を刹那的にすごそうとする子ども群像が見える。学習 に意欲が持てない子どもたちを、教育学者の佐藤学氏は「学びから逃避する子 どもたち」と名付けた。これは全国津々浦々の学校で見られる現象であり、私 の勤務する山間地の小規模校でも例外ではない。典型的な例は、「教育再生特 区」というべき品川区の状況であろう。 受験競争にチャレンジする「学力上位者」や「リーダー性」を持つ子どもは 私立学校に流れ、公立中学校には、それ以外の「学力の中下位」の生徒や「生 活に課題を持つ」生徒が集まってしまう。結果として学習と生活の基本となる 「集団」は、集団秩序や正義が通りにくい「群れ」になってしまっている。こ れを「中1ギャップ」と呼び、何が起きても不思議のない「荒れた状況」が生 じるのである。そのような学校では、正義派はいじめの対象になっている。 この対策と称して、品川区では「自由学区制」と「小中一貫校」という制度 改革を実行している。だが「自由学区制」は、学校の差別化政策である。地域 の中の学校を否定し、生徒の学力向上だけで学校を評価する仕組みである。し かも学力の評価は、現在実施されている2年生の一斉テストであり、進学実績 である。一方「小中一貫教育」は、小学校高学年を中学校のシステムに組み込 み、高校受験に向けて早めに基礎・基本を教え込み、中学3年生は、総仕上げ と称して受験勉強に駆り立てようとする教育体系であり、進学競争対策である ことは間違いない。 また学校間の競争の導入で注目を浴びているが、果てのない学校間の競争は 教師を疲弊させ、ついてこれない教師の切り捨て(教職員評価と賃金差別)、 「人気のない」つまり生徒の集まらない学校を切り捨てる政策である。子ども に目を向ける以上に管理職や教育委員会を意識する教師のもと、厳罰主義によ って管理された学校で子どもたちは、はけ口を内と外に求めて非行を常態化さ せることになる。陰湿な「いじめ・いじめられる」という、まるで旧日本軍の 内務班のような学校生活を送ることになる。 ▼先進国に共通する病理 ところで、今のいじめの特色は、1)以前のいじめと比較して悪質・長期的 で、陰湿化した精神的ないじめという特色を持つ。ネットを利用した匿名性の 執拗な悪質なメールを流し続けるなど、である。2)けんかと違って、多数が ひとり(少数)をいじめる。3)何もしていない子がターゲットになる。4) いじめていた側がいじめられる側になる、またその逆が現れるなど流動的構造 がある。5)日本だけの特有の病理ではなく、1960年代後半にノルウェーで初 見のある、欧米先進諸国で起きている共通の社会的病理である。アメリカでは、 いじめられた側が銃の乱射で無差別の仕返しをした例もある。 要するに、世界の先進国に共通の現象であり、その克服にも、先進国に共通 する社会状況を分析する必要がある。 * 京都大学大学院医学研究科・社会疫学分野助教授の木原雅子氏の分析によれ ば、現在の子どもたち(10歳代)の諸問題、すなわち「不登校、学級崩壊、万 引き、性行動、いじめ、自傷行為、学力低下等」は、それぞれにつながりを持 っているという。 「精神的いじめの構造」と「精神的いじめの連鎖」の背景には、現在の子ど もの心理と行動が如実に表れている。 マンガや雑誌から、間違った情報を受け取って性意識を形成する子どもたち。 世界一のテレビ視聴時間(ゲーム使用時間)を記録した日本の子どもたちだが、 加害者つまり「いじめをした」経験者は、テレビ視聴時間が平均より長いとい う。あるいは携帯電話のメール交換頻度の高い子どもと、いじめをした関係も 数字的には高いことが明らかになった。面と向かってのいじめだけでなく、メ ールによる執拗ないじめも現在的いじめの特徴だが、それは匿名性が担保され る為に大流行しており、保護者も全く感知できない。 中でも重要と思えるのは、「教師と生徒の人間関係」「家族の人間関係」の 衰えにあるという指摘である。 教師、家庭、地域社会、友人、同僚、先輩との間に信頼関係を築けない状況 に加え、携帯電話の普及に見られるように、大人社会で個別化(人間のアトム 化)が進行したことも、子どもの個別化の促進として投影されている事実があ る。年間3万件を越える自殺は、大人社会こそが弱者切り捨ての論理が横行す る社会であることを示しており、いじめによる子どもの自殺はその反映でもあ る。 そのうえで私は、「いじめはなくすことができない」し、「自殺もなくすこ とはできない」ということを前提に、その対応策を考えなければならないと思 っている。ただし当事者間のいじめは克服できるし、新たな人間関係を築くこ ともできる。これは担任した学級での取組みの経験からも言える。 したがって法で網をかけて「取り締まる」様なやり方は、もっとも稚拙で根 本的解決にはつながらない。 ▼何を、何処から始めるべきか まず、現在の教育の迷走(ブレ)をただし、競争主義を排除し教育の自由を 担保することからはじめなければならない。 現在の教育のブレは、指導要領と教育課程にある。教科授業時間の縮減と緩 和、道徳授業の押しつけと形骸化した内容、総合的な学習の時間・選択制の単 位時間いじり等、現場では文科省のこのブレを、不信を持って受け止めている。 今の自公連立政権・文科省の教育政策は、基本的には「何が何でも学力向上」 であり、世界トップの学力を付けることだけが、教育にかかわる財界・政界の 近年の重点課題であり関心事である。 「出来る子」はそれ以上に出来るように指導し、「出来ない子」はそれなり の進路を準備し、「はずれる子」には、規範意識を注入するという事である。 この流れの中で、子どもも教師も窒息しかけている。加えて「教職員評価」を はじめとする管理主義は、教職員だけではなく、子どもにも圧迫感を与えてい る。こういう状況で中学校、高校は「進路実績」で評価されることになる。こ れでは生徒指導などは十分にできず、管理主義に陥ることは明らかである。 「教育の自由」は、実にここにかかわってくる。それぞれの学校の教師集団 の力量を信頼し、その自主的な研修を保障することがなければならない。戦後 教育はそれぞれの教師集団の主体的な力に依拠し成立していたことを想起しな ければならない。戦後教育政策こそ問われているのである。 いま一つは、学校の教室で、子どもの心を開く授業(科学的根拠に基づく= 調査と評価に基づく教育と対策、正確な実態把握(質的調査・量的調査)、教 材開発−プログラム開発(行動理論、コミュニケーション理論、マーケティン グ)、事後評価−効果評価のシステムを確立することである。 つまり上からの改革ではなく、地域の自発性の中で達成すべき課題である。 この点に教育委員会の役割があるが、それが教育行政の末端として機能する限 り、いじめを隠匿することなく保護者の相談を受け止める機関にはなり得ない。 教育委員会の改革は、この方向で考えるべきであろう。 だが保護者と地域を組織していく過程で、子どもの問題以上に見えてくるの は、家庭と地域の崩壊による保護者と地域の教育力の衰えである。 この10年、保護者の教育力の衰えは、児童虐待、親に対する殺傷に至る親子 関係、中間富裕層の給食費不払い、果ては子どもの言い分に左右されて学校を 追究する保護者、ストレスで神経症を発症する保護者等々、枚挙にいとまがな いほど実例が上げられる。 学校が荒れ始めたり、陰湿ないじめ事象があらわれた学年の担任では、保護 者の年齢に注目しなければならないこともある。保護者自身が、かつて「荒れ」 の真っ只中で中学校生活を送っていたことが多いという事に行き着いたことも、 少なからずある。 地域住民の子どもたちへの係わりも、いくつかの地域では積極的に係わりを 持とうとする動きはあるが、比較的時間のゆとりのある自治会役員層の「宛職」 (役員に付随する役割)で、地域防犯パトロールや学校の行事に招待されて参 加するにとどまっている例が大多数である。教職員も、保護者や地域の人々と の「対等と協働」の関係を築けていない。地域の右傾化が進行する中で、教職 員は警戒して決して心を開こうとはしないし、一方で地域の有力者は、学校の 価値を学力と非行で判断する傾向が強いのである。 文科省も教育再生会議において、「家庭の教育力」「地域の教育力」の育成 を強調しているが、形ばかりの「家庭・地域連携の組織」(各地で呼び名は色 々あるが)はこの10年間、成果が上がっていない。従って現状の延長線上に、 具体的な展望はない。 * しかし、実際に地域で生きている子どもをめぐって、前述のように学校を核 に、いじめ克服だけでなく”心を育てる”プログラムを立ち上げる事で、展望 は開ける。学校現場を包み込む人々を組織することは、不可能なことではない。 現に各地には、教育実践として「地域による学校運営」に取り組み、成果を 上げているところはいくつもある【岩波ブックレットの教育シリーズを参照さ れたい】。 中学校区単位に、学校を核に学校を取り囲む家庭・地域を貫く「教育再生会 議」を組織する必要がある。この「再生会議」は、学校の実践と並行した、事 実を積み重ねた調査による正確な実態把握と教育プログラムを共有化し、互い に「対等で協働する」プロジェクトを立ち上げる必要がある。それは趣旨に賛 同する者であれば誰もがメンバーになれ、子どもも大人も誰もが参加出来る会 議であり、教育委員会もその決定を尊重して教育行政を進める、そのような会 議である。教育プログラムとそれに基づく教育実践は、すでに動き始めている。 学校がしかけプロデュースする組織と、地域、家庭、学校が主体的に関わる 協働関係からしか、根本的ないじめへの対応策はない。それは限定的な現場主 義・地域主義でなければならないとも言える。 (12/5:たかなし・としみ) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【お知らせ】06年11・12月号をお送りします。また原稿の遅れにより、 発行が大変遅れたことをおわびします。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ 【月刊ニュースレター:メール版】イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛ メール版第45号(通巻169号)訂正版 2006年12月9日発行 発行所:MELT ホームページアドレス http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/ Eメールアドレス melt-ks@jn3.so-net.ne.jp =================================== このメールマガジンは、『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。解除は http://www.mag2.com/m/0000089504.htm 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