ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 2006年度日本シリーズ特別記念第3号
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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜
2006年度日本シリーズ特別記念第3号
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★ お品書きその1 Team Chronicles
〜The History of Nippon Profesional Baseball Teams〜
Series 1 北海道日本ハムファイターズ byアトムフライヤー
その3:日拓ホーム→日本ハムへのオーナー企業の交代、
そして張本放出まで(1973-1975)
前回は大川博オーナーの死去、そして東映の岡田茂新オーナー
が日拓ホームにフライヤーズを売却するまでの話をしてまいりま
したが、今回はその続きと、ファイターズが誕生して軌道に乗る
までの話です。
1973年からパ・リーグは、前期・後期の2シーズン制にな
ります。ポストシーズンを増やし、イベントを作り出して盛り上
げ、なんとか巨人を中心とするセ・リーグの人気に対抗しようと
する苦肉の策でした。
そんな中、新たなパ・リーグのチャレンジの象徴となった若き
新オーナーの西村昭孝社長は、楽天イーグルスを2004年に創
設した楽天イーグルスの三木谷オーナーと同様に「必ず優勝する」
と宣言し、積極的なアクションに打って出ます。西村オーナーが
経営する日拓ホームは、赤坂、新宿、渋谷といった地域にて大衆
相手に現金決済主義の日銭商売を行うパチンコ業や貸不動産業を
営むことにより、急激に台頭してきた企業でした。
この年、フライヤーズは、前期5位に終わると田宮監督を解任。
後任にはOBの土橋正幸を就任させ、西村オーナーは当時派手な
カラーユニフォームが時流になりつつあったメジャーリーグの影
響を受けてか、7色のユニフォームを採用して話題を呼びます。
チームとしても打力を全面に押し出す積極的な試合を行い、後
期は3位になりました。投手陣はエースの金田が不調ではあった
ものの、主力投手が全員防御率3点台で後半盛り返し、高橋直樹
もノーヒット・ノーランを記録、新美敏が新人王に選ばれました。
しかし予想外の出費の多さから、日銭商売で儲けることを企業
経営ポリシーにしている西村オーナーは、長期に渡る投資への見
返りを待てなかったために、次第に球団経営への意欲を失ってい
きます。夏には身売りの噂が流れるようになり、有力な売却先の
候補として、空調設備の製造・販売会社であった日本熱学の名前
が一部メディアの間で挙がってきました。日本熱学は牛田社長が
野球好きで社会人野球のチームを所持していたため、買収は確実
とみられ、新チーム名は日熱エアロマスターズというまことしや
かな噂も流れるようになったのです。
ところが実際のところ、日本熱学は倒産寸前で、フライヤーズ
買収は会社の経営状況を誤魔化すための世間へのアピールに過ぎ
ず、結局買収はなりませんでした。そこで西村オーナーは身売り
先を探しましたが、結局見つからず、最終手段としてロッテオリ
オンズ(現千葉ロッテマリーンズ)との合併を試みますが、合併
の条件が折り合わず、これは失敗に終わります。そこで西村オー
ナーは球団経営の継続は無理と表明したため、パ・リーグは来期
5球団での興業にせざる得ない状況に追い込まれました。すると、
ただでさえセ・リーグに人気で差をつけられて興業収入が少なく、
親会社の補填でかろうじて運営しているパ・リーグの各球団は、
リーグの維持が困難とみて、リーグ合併話をセ・リーグに持ちか
けます。しかしセ・リーグも、球団の増加は主力収入源である巨
人戦の収益減になるため、承知しませんでした。ちなみにこの経
緯についていえば、一説には、セ・リーグ側から「合併するなら
対等合併ではなく、吸収合併で、興業の都合があるのでパ・リー
グ側は、フライヤーズの他もう1球団減らして参加は4球団とし、
フライヤーズともう1球団の選手の保有権はセ・リーグで管理す
る。選手の分配と興業権はすべてセ・リーグ球団優先とする」と
いう無理な条件が出されたためにパ・リーグ側が承知しなかった
ので、1リーグ制への移行が成立しなかったとも言われています。
この結果、ファンを無視した両リーグ球団のエゴで事態は泥沼
状態に陥り、次季のプロ野球興行の開催も危ぶまれてきました。
そこで最終的に、巨人の実質的オーナーであった務台光雄の意向
によって、正力亨オーナーの「1リーグ化によって球団数が減る
ことは、プロ野球興業の減収になり、その発展を阻害しかねない。
パ・リーグ側でフライヤーズの売却先をなんとか確保するように
努力すべきで、どうしてもだめなときは再考しよう」という声明
が出されることとなり、1リーグ制への移行は消滅したのでした。
そして、前ヤクルトスワローズ監督の三原脩による紹介を受けた
大社義規の英断で、その大社が経営している食品製造・販売会社
日本ハムによる買収が成立し、パ・リーグ消滅の危機は避けられ
たのです。
大社オーナーは野球王国香川の出身ということもあり、大の野
球好きで、日本ハムは巨人の主催試合のテレビの全国放送の有力
なスポンサーのひとつでしたが、当時は関西のローカル食品会社
であり、事業の全国的な展開には強力な宣伝が必要と決断して、
球団を買収したのでした。
日本ハムは、チーム名を戦う集団ファイターズに改めて新生球
団としてのスタートを切り、1974シーズンからペナントレー
スに参加しました。前述の三原脩を球団社長とし、西鉄ライオン
ズの4番として鳴らし、プレイングマネジャーとしての経験もあ
る中西太を監督に迎えてシーズンにのぞみましたが、最初の年は
最下位に終わりました。
また、買収当初は企業規模が小さくて運営費用の足りなかった
日本ハムは、ファイターズにカネをかけられず、ファイターズと
して再出発した当初は大社オーナーの個人負担で球団運営費を補
填していました。当然球団経営にはカネをかけられませんから、
選手の待遇や設備は良くなりません。これは、フライヤーズのと
きから変わりませんでした。
一方、このファイターズがスタートした直後の5月に、フライ
ヤーズ買収の候補だった日本熱学が倒産します。そこで、この事
件を受けてある週刊誌では、「日本熱学が球団を買収していたら
選手は路頭に迷うところだった。選手は野球ができるありがたさ
を理解して精進するべきだ。」というありがたくもない一方的な
説教記事が出ましたが、フライヤーズ時代から待遇の悪さに不満
があった選手たちは、
「ドラフト制度のおかげで仕方なく、フライヤーズに入団しただ
け。待遇も設備も悪いし、身売りが続いて落ちついて野球をする
ことができない。球団名が変わっても待遇も設備も変わらない。
テレビによる試合の全国中継があって、観客数が多く、経営の安
定しているセ・リーグの球団に入団していればこんなことにはな
らなかった。我々の気持ちがわかるものか。金も出さずに無責任
なことを書くな」
と反発しています。私自身いつも思うことですが、公衆に向か
って意見を発するときは、相手の状況をよく見て書くことが当た
り前のマナーなんであって、無責任にイージーな意見をボロッと
出してしまったら相手から余計な反発を食らうだけですから、こ
の手のことについては、慎重に書いていきたいものです。
さて、話はファイターズのカネなし状態の話に戻りますが、フ
ライヤーズ時代後期に引き続きこのように待遇の悪い状況ですか
ら、当然選手はやる気が出ません。そして、これら不満のある選
手たちを、中西監督はまとめることができませんでした。相変わ
らず投手陣が不調で、人件費の削減から前年不調だったエース金
田をロッテの野村収とトレードしましたが、やってきた野村はわ
ずか4勝に終わる一方、金田は、兄・正一監督の下でやる気が出
たのか16勝をあげてロッテの優勝に貢献し、MVPに選ばれて
います。そして一方、ファイターズは金田の抜けた穴を埋めきれ
ませんでした。即戦力と期待してドラフト指名した鵜飼克雄が実
力を発揮できなかっただけでなく、助っ人外国人のマイケル・ケ
キッチも期待はずれに終わり、球団の最多勝は新美の12勝でし
たが、到底エースの働きには及ばなかったのです。
また、打撃陣も張本こそ首位打者を獲得しましたが、他の選手
は全員前年より成績を落としています。これでは最下位もやむを
えないでしょう。
このシーズンのファイターズの明るい話題といえば、万能選手
高橋博士が史上初の1試合で9つの全ポジションを守るというパ
フォーマンスを行ったことぐらいで、テストで採用した投手のバ
ール・スノーが4月の給料の受け取り直後に失踪し、球団による
警察への詐欺罪としての告訴によってコミッショナーから球界永
久追放の処分を受けたことや、ケキッチのスキャンダラスな私生
活が週刊誌に取り上げられるなどといった締まらない話がマスコ
ミに出るばかりで、肝心の野球の話題が出ることはありませんで
した。
当時は、ロッテオリオンズの金田正一監督が三塁コーチャーズ
ボックスにて、サインの他にカネヤンダンスと呼ばれるパフォー
マンスを披露しており、アストロ球団というマンガにてこれが取
り上げられるほど非常に人気がありましたが、それに対抗して、
中西監督が巨体を使ったパフォーマンスを披露したところで、勝
てなければ効果はありませんでした。ファンからは「そんなこと
をする前にもっとやることがあるだろう」と非難される始末です。
このように、26年間親しまれたフライヤーズとは決別して生
まれ変わったはずのファイターズではありましたが、最下位に低
迷したことや、フライヤーズ時代からのファンが離れたことなど
の悪条件が相まって、観客数は低迷しました。そこでこの事態の
打開のため、球団は、大杉、白、大下剛史といった主力を放出し、
代わりに小田義人、内田順三、東田正義、上垣内誠を獲得してい
ます。ちなみにこの当時、トレードを進めた球団社長がかつては
名将といわれた三原脩だったので、「乱暴なだけで個人プレーに
走る選手を放出し、チームの体質を変えるためのトレード」とこ
のトレードを好意的に書いている記事が多いようですが、実際は
経費節減が第一目的であり、同時にフライヤーズカラーを一掃す
ることをも狙ってトレードは行われたのでした。これは、年俸高
騰による主力選手の放出や買収前のチームカラーの一掃といった
名目でチームが培ってきたものを簡単に切り捨ててしまうという
企業野球のひずみがまたしても出た例であり、多くのパ・リーグ
の球団がたどってきた道でもあったのです。
したがってこのトレードをきっかけに、フライヤーズ時代のフ
ァンはますますファイターズから離れていくことになってしまい
ました。そこでファイターズは観客動員を促す努力のひとつとし
て、他球団に先駆け、新規少年ファンの開拓を目的として「少年
ファイターズ友の会」を発足させ、今日に至っています。いまで
こそすっかりポピュラーになった感のある少年ファン獲得のため
のこのシステムも、先鞭をつけたのはファイターズだったのです。
もっとも当時、少年ファンの間で圧倒的に人気があったのは巨人
で、少年ファイターズの会に入っていた子供は全体のごくごくわ
ずか、しかも彼らは、安くチケットが手に入るといった理由で入
っていたことが多く、純粋なファンではなかったことが多かった
のですが...
さて、このように経費節減のため、ドラフトで新人の大物選手
も指名できず、主力選手を次々と放出せざるを得ない状況にあっ
たファイターズは、次第に地味なチームとなっていきました。
1975シーズンは、移籍でようやく実力を発揮した小田が、
首位打者のタイトルを太平洋クラブライオンズに移籍したトレー
ド相手の白と最後まで争い、大学の同期生千藤三樹夫とともに主
力として定着しました。同じく移籍の内田もいい成績こそあげま
した。
しかしながら両者をもってしても、移籍した大杉、白の穴は埋
めることはできなかったのです。いくら個人成績がよくてもチー
ムに完全に溶け込んだわけではなかったので、いまひとつ決定力
不足だったのでした。また、助っ人外人のジェスター・ゲーリー
も日本ハムのコマーシャルに出演してファンにアピールしました
が、期待はずれで、主砲の張本の不調のこともあり、さらに得点
力は下がってしまったのです。
投手陣は、高橋直樹が17勝をあげエースとなりましたが、他
は不調を脱した野村が11勝あげただけで、前年に続くチーム力
不足により、2年連続最下位に終わりました。
そこでファイターズは、不振の成績を負わせて中西監督を解雇。
後任には、南海(現ソフトバンクホークス)、東京(千葉ロッテ
マリーンズ)の外野手で、1971シーズン途中から1972シ
ーズンまでロッテ(現・千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めた
大沢啓二が就任しました。いまでもマスターズリーグの会長とし
て君臨し、大沢親分と呼ばれて球界では有名人でありますが、一
度挫折したあの人の監督人生は、ここから再びはじまったのです。
新たな監督に就任した大沢は、経費節減を兼ねたチームの体質
改善をさらにすすめ、またもや大型トレードを実行します。
主力選手の坂本敏三、東田正義、渡辺秀武をはじめ、ついに至
宝の張本も放出。このトレードは得点力低下に悩む巨人からの強
い要望もあったのですが、75年のシーズン打率が三割を切り、
高年俸と35歳の年齢からくる衰えからこれ以上の成績が望めな
いと球団で判断した結果でした。2006年10月現在、TBS
系列の朝の番組に出ているこの2人のツーショットというのは、
この経緯を考えると、なんと皮肉なものであろうかと考えさせら
れるところではあるのですが...
そしてファイターズはさらに、トレードで永渕洋三、富田勝、
高橋一三を獲得しましたが、その結果生え抜きの主力は投手の高
橋直樹の他、野手は千藤ひとりになりました。最後の看板選手張
本の放出で、ファイターズはさらに地味なチームになってしまっ
たのです。これでフライヤーズ時代からのファンはますます離れ
てしまいました。また、移籍選手がチームの主流を占めたため、
ファイターズの誰を応援してよいか迷うファンが大半となってし
まい、観客数は低迷したままだったのです。後楽園球場では閑古
鳥が鳴き、同じ後楽園を本拠とする長嶋監督の巨人とは、大きな
差がついてしまいました。
ここからファイターズがどのように変貌して、現在に至るのか
については、次回のこのシリーズの最終回に語ることにいたしま
す。
(アトムフライヤー)
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