ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 2006年度日本シリーズ特別記念第2号
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ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜
2006年度日本シリーズ特別記念第2号
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★ お品書きその1 Team Chronicles
〜The History of Nippon Profesional Baseball Teams〜
Series 1 北海道日本ハムファイターズ byアトムフライヤー
その2:フライヤーズ全盛期から凋落まで
(1961-1971、大川博オーナー死去まで)
さて、前回はチームの創設から次第に強くなって行き、現在も
ブラウン管にたびたび登場する張本勲氏や土橋正幸氏らが登場す
るところまでの話をさせていただきましたが、今回はそこからフ
ライヤーズ初優勝、そして凋落〜身売りに至るまでの軌跡を追っ
ていきます。
1960シーズンのオフに球団は、岩本義行に代わり、前巨人
監督だった水原茂を監督に就任させました。すると水原は、チー
ムプレーを徹底させ、1961年のシーズンに臨みます。
そして翌1961シーズン。フライヤーズは南海ホークスと首
位争いをするなど大きく躍進したため、優勝の呼び声もかかるよ
うになり、同時期にセ・リーグで優勝争いをしていた巨人との、
史上初となる東京での日本一決定戦も期待されるようになります。
これに伴い、弱小の東急時代を知るファンからは、「銀座シリー
ズ開催」との歓声があがってきましたが、この年は結局南海ホー
クスの底力に屈し、2位に終わったのでした。ただ一方で選手た
ち自身は、やればできるという自信がつき、翌1962シーズン
に期待がかかりました。
そこでフロントは、シーズンオフに安藤元博、青野修三、岩下
光一、種茂雅之、尾崎行雄と大がかりな補強を行います。なかで
も、甲子園の優勝投手で、高校を中退させてまで獲得した尾崎は、
のちの大活躍を考えると、フロントの大きな得点といっても差し
支えないでしょう。おりしも、東京オリンピックの競技場建設の
ために本拠地である駒沢球場を取り壊されてしまった「駒沢の暴
れん坊」たちは、新たな本拠地である神宮球場をはじめ、各球場
でその力を発揮することになったのでした。
1962年のシーズン、フライヤーズは開幕から六連勝と波に
乗ります。青野、岩下、種茂等の新人の活躍に刺激され、毒島、
張本、吉田、西園寺等も力を発揮し、相手球団の投手を打ち込み
ます。投手は、土橋、久保田等もがんばりますが、なんといって
も新人尾崎の快投が目立ちました。当時パ・リーグを震え上がら
せていた*2大毎オリオンズのミサイル打線、榎本、山内、葛城と
続く3、4、5番相手に直球だけで三者凡退に押さえるという派
手なデビューをし、途中では指のマメに苦しんだものの、最終的
に20勝をあげています。そして南海ホークスと西鉄ライオンズ
という常勝チームを振り切り、念願の初優勝を果たしました。
この快挙に、古くからのファンは大喜びしました。ただ、日本
シリーズの相手は、24年ぶりの優勝という阪神タイガースとな
り、巨人は四位に沈んでしまったため、史上初の東京シリーズは
お預けになったのです。
*2 大毎ミサイル打線
2番・田宮謙次郎、3番・榎本喜八、4番・山内和弘(現在は
一弘)、5番・葛城隆雄と続く、切れ目のない打線のこと。特に
4番の山内(打者として初の名球会会員)、3番の榎本が2,000本
安打を放ち、葛城も1,745安打を放っていることを考えると、確実
性のある打撃をしていたのではないかと思われる。ただし、決し
て単打ばかりのピストル打線ではなく、山内が1960シーズンには
32本塁打を放つなど、いざとなれば一発が出る、コワい打線でも
あった。
日本シリーズは甲子園での1、2戦こそ落としましたが、神宮
での第3戦にて引き分けると、第4戦は新人安藤の力投で初勝利
を得、第5戦は延長戦の末、岩下のサヨナラ本塁打で対戦成績を
タイに持ち込んで、波に乗りました。そして第6戦もこのまま勝
つと、第7戦は延長戦の末、西園寺が決勝本塁打をはなち、つい
に東映は日本一になったのです。チーム創設以来、苦節16年で
はじめて勝ち取った栄光でした。
このとき、これを受けて大喜びした大川博オーナーが背番号1
00のユニフォームを着て優勝パレードにのぞむと、大きな話題
になりました。人前で目立つことが好きではなかったという話も
ある大川オーナーではありましたが、自らが苦労し、いろいろと
模索しながら東急グループを五島慶太総裁に代わって支えていた
時代、創設1年目のチームのオーナーに就任してから15年、永
年手塩にかけてきたフライヤーズの優勝には、感激もひとしおだ
ったのでしょう。日本シリーズの最優秀選手は土橋正幸と種茂雅
之が史上初の2人受賞となり、また、リーグ最優秀選手には張本
勲が選ばれました。ベストナインには張本と吉田勝豊が選ばれて
います。暴れん坊軍団の絶頂期でした。
しかし、以後1963シーズンから1967シーズンまでは、
Aクラスこそ確保するものの、優勝には至りませんでした。その
最大の理由は、優勝したことによる選手の年俸高騰に球団が補強
費を惜しむようになったためです。
優勝すれば人件費がふくらみ、球団経営が苦しくなる。逆に人
件費を削れば球団の力は落ち、収益が減って、やはり経営が苦し
くなる。これは、新たな球団の収益源になりつつあったテレビの
放映権料による安定した収入を得られなくなってきた、すべての
パ・リーグ球団が抱えていた悩みでした。これにより、毎日オリ
オンズ、南海ホークス、西鉄ライオンズと一時は絶頂を極めた球
団の数々は次第に凋落していき、東映フライヤーズもその例外で
はなかったのです。
この5年間で、吉田勝豊、山本八郎、西園寺昭夫、久保田治等
は放出され、土橋正幸は引退しました。駒沢の暴れん坊たちは一
人抜け、二人抜けして、次第にグラウンドから姿を消していった
のです。大杉勝男、白仁天、大下剛史、森安敏明、高橋善正とい
った新戦力が入団し、徐々に世代交代は進んでいきましたが、巻
き返してきた南海ホークスや、次第に力をつけてきた阪急ブレー
ブスの前には力不足でした。
そんな中、1967年末に水原監督が辞任します。補強費をめ
ぐり、節約をとなえる球団側との対立が主な原因でした。後任と
して監督に就任したのは、西鉄三連覇の中心打者で、OBの大下
弘。大川オーナーは、当時全国ネットでのテレビ中継との連動効
果で急激に人気が高まりつつあった巨人に対抗するため、人気の
あった大下を監督に据えたのです。何とか球場に観客を呼び戻そ
うという作戦でした。そして大下は大川オーナーの命を受け、か
つての西鉄ライオンズの流れを組む、「三無主義(門限無し、罰
金無し、サイン無し)を打ち出し、人気回復を図ります。豪放磊
落さでもって球団を活性化させよう、暴れん坊といわれた元気を
復活させよう、それが大川オーナーの狙いでした。当時、ドジャ
ースの戦法をベースにした管理野球で時代を席巻しつつあった川
上巨人に対するライバル宣言でもあり、その具体的なやり方とし
て反管理野球、反スモールベースボールをスローガンとして打ち
出し、全盛期のチームのイメージを踏襲しようとしたわけです。
しかし、待遇の悪さ、人気のなさに嫌気がさしていた選手たち
にはむしろ逆効果で、1968シーズンはダントツの最下位、加
えて、チームの主力選手の中に八百長の疑いが濃厚な者も出現し、
チームはバラバラになってしまいます。いまでこそ黒い霧事件の
影響から八百長と言えば西鉄ライオンズが有名ですが、以前から
東映にもその疑いありとのうわさが絶えず、昭和三十年代には疑
いのある選手が放出されたり、解雇されたりしています。
そこで大川オーナーは当時、特にうわさのあった主力選手2人
と直接話をして真意を問い質すほどでした。大川オーナーとして
は、永年愛着のあるチーム。気になって仕方がなかったのでしょ
う。
また大下監督は、代打を出すときに選手にジャンケンで決めさ
せるなど采配にも迷いが目立ち、ポケットマネーで選手に飲み食
いさせてチームを掌握しようとしましたが、これは逆効果でした。
監督と選手との間に上下のけじめがつかなくなり、選手は監督を
侮るようになって、どんどん心が離れていったのです。そのうち
選手間では、「監督がオーナーに、悪いのは選手だ、と泣きつい
ている」という噂さえたつようになります。そこで大下監督はこ
の状況を何とか改善すべく遠征時に主力選手たちを呼ぶと、「チ
ームの不振を君たちになすりつけるつもりはない。これからもが
んばってくれ。これが、私が君らを裏切らない証拠だ」と言って
右腕に短刀をつき刺して見せたりしたのですが、いくらこんな任
侠映画まがいのことをしても、グラウンドで迷いなくきちんと仕
事ができない人間に選手たちの心をつなぎとめられるはずはなく、
チームの建て直しに失敗し、シーズン途中、志半ばにしてチーム
を去っていきます。
1969シーズンは、元阪神タイガースの闘将・松木謙治郎を
監督に迎えますが、チーム状態は相変わらずで、新人金田留広の
活躍こそあったものの投手陣がくずれてしまい、西鉄ライオンズ
と南海ホークスの不振がひどかったために目立ちませんでしたが、
4位になるのが精一杯で、明るい話題といえば、新人でオールス
ターに出場した金田が実兄である巨人の金田正一と史上初の兄弟
対決を行ったことくらいでした。ちなみにこの年のパ・リーグは、
かつてBクラスの常連だった阪急ブレーブスと近鉄バファローズ
が優勝を争い、何度も優勝を争った南海ホークスと西鉄ライオン
ズが最下位を争うという逆転現象が起きて、ファンも時代の変化
を感じていたのです。
そして、シーズン後半で西鉄ライオンズの選手たちによる八百
長事件が明るみに出ると、翌年には東映フライヤーズもこの黒い
霧事件に巻き込まれていきます。マスコミにもオーナーにも「八
百長は絶対にしていない。」と宣言した二選手に、野球賭博の胴
元の使者からの金銭の受け渡しがあったことが警察の調査で判明
したため、コミッショナー裁定によって一人が球界から永久追放
になります。また、もう一人も追放は免れたものの、首脳陣から
は信頼を失い、やがて追放に近い形で他球団に放出され、プロ野
球の世界を去っていったのでした。
結局処分されたのはひとりでしたが、信頼していた選手に裏切
られた大川オーナーの嘆きは大きく、この事件発覚以後、球団経
営に情熱を失っていきます。西鉄ライオンズに比べて処分者が少
なかったことからあまりこのことはマスコミでは大きく取り上げ
られていませんでしたが、黒い霧事件は、東映フライヤーズをも
崩壊させていったのです。
その結果、1970シーズンはスタート時こそ好調でしたが、
黒い霧事件の影響があったことから、前半の半ばで失速してしま
います。打撃陣は好調で、中でも張本・大杉は巨人のON砲の6
9本塁打198打点を上回る78本塁打229打点を挙げており、
他にも白が18本塁打64打点、大下剛史が3割をマークしまし
たが、投手は金田以外壊滅状態で、守備と走塁はまるでダメ。い
わゆる大勝・競り負けをする下位チームの典型例で、勝負が見え
ると個人プレーに走るため、数字はすごくてもチーム力は脆弱で
粘りがなく、この点で優勝したロッテオリオンズに大きく及ばな
かったため、5位に終わったのでした。
1971シーズンは、大阪タイガース・大毎オリオンズ時代に
巧打者として鳴らした田宮謙次郎を監督に迎えます。打線は去年
に引き続いて調子よく、日本新記録の5打者連続本塁打を5月に
記録するなど相変わらず好調でしたが、投手陣がダメなことにも
変わりはなかったので、金田の他には新人の皆川康夫ががんばっ
たものの、他の投手は不調で5位に終わりました。7月には2軍
選手が集団で門限破りを行い、大量に処分される事件が発生。前
年には白が判定を巡って審判を投げ飛ばして出場停止になるなど
のことを考え合わせると、かつての「暴れん坊軍団」は、グラウ
ンドを所狭しと暴れまわる小気味いい豪放磊落さを持つチームで
はなく、Bクラス常連の乱暴なだけのチームに変わってしまって
いたのです。この結果、同じ後楽園を本拠地としながら“球界の
紳士たれ”を徹底し、川上監督の下で9連覇を驀進していた巨人
との人気の差は開くばかり。選手も個人の成績優先で、下位低迷
も当然でした。
1972シーズンは、張本、大杉、白のクリーンアップが3人
で90本塁打270打点を稼ぎ、移籍の坂本敏三、加藤俊夫も活
躍しましたが、投手が金田と森中通広以外ダメで、4位。一方で
シーズン前に放出した大橋譲が阪急ブレーブスの優勝に大きく貢
献、南海ホークスに放出した江本孟紀が16勝をあげるなど、フ
ァンからは「選手の使い方もわからないのか」と非難を浴びます。
この1968〜1972シーズンという低迷期の間のハイライ
トは、1971年に皆川康夫が新人王に選ばれ、大杉が1969−
1970年に本塁打王、打点王を獲得、張本が1967年〜70
年まで首位打者を獲得し、1970年にシーズン最高打率を更新
したことです。また1971年には、1967シーズンの新人王、
高橋善正が完全試合を達成しています。
しかしながらこの時期は、確かに個人成績は派手なのですが、
チーム力に粘りがなかったため、優勝どころかAクラスさえもほ
ど遠い状態でした。
そんな状況の中、1971年には大川博オーナーが死去。野球
を愛したオーナーが亡くなると、後任の*3岡田茂オーナーは、東
映の拡大路線をとってきた大川色の一新を進めていたことならび
に映画産業の斜陽化による経営不振で不採算事業の整理を行って
いた関係から、フライヤーズもリストラの対象に入れました。そ
して1972年のシーズンオフ、フライヤーズは、東映から新興
不動産業・パチンコ業で躍進著しい日拓ホームに身売りすること
になります。日拓ホームの若き社長であった西村昭孝は、東急グ
ループの総帥の五島慶太ならびに岡田オーナー共通の知人でした。
*3 岡田茂東映名誉会長
現日本映画界のドンで、戦後の娯楽産業を担った雄。1950年代
には映画プロデューサーとしてその名前を馳せた。ちなみに、か
つて愛人の竹久みちとともに逮捕されて話題になった岡田茂元三
越社長とは、まったくの別人。
次回は、その日拓ホームのサプライズから日本ハムへの身売り、
そしてフライヤーズとしてのチームカラー一掃に至るまでの軌跡
を追っていきます。
(アトムフライヤー)
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