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スポーツビジネスから20世紀以前の旧いスポーツ、アメスポ、マイナー、野球殿堂入りした山内一弘さんなど球界人へのインタビュー等、アグレッシヴに活動してきました。球界のJMMを目指し、今後もさらに発展してまいります。

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2006/06/24

ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第209号

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  ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜 第209号

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☆ This Week's Contents 【今週のお品書き♪】

《Dream1》 『俺が好きなスポーツ』 ダイスポ
《Dream2》 『嵐と地震とエンジェルス』 3:16
《Dream3》 『Bay Area Watch 2006』 小女子

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★ お品書きその1 『俺が好きなスポーツ』 ダイスポ

 現代USスポーツ人名録
 第23回 追悼・宿沢広朗氏

 スポーツを愛する皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
 アメリカのスポーツ界を代表する選手やコーチを紹介しておりま
す「現代USスポーツ人名録」。今月はその23回目です。

 6月17日、日本のラグビー界、いやスポーツ界にとって、大変残
念な知らせが飛び込んできました。
 現役時代は早稲田大学のスクラムハーフとして活躍、引退後は日
本代表の監督としても手腕を発揮し第2回W杯にも出場した、三井住
友銀行取締役専務執行役員の宿沢広朗さんが亡くなられたのです。
群馬県へ登山に出かけて下山時に体の不調を訴え、病院に運ばれま
したが、心筋梗塞でそのまま還らぬ人となってしまいました。まだ
55歳の若さ。ビジネスマンとしてはもちろんのこと、今後はラグビ
ー界を背負って立つ存在になるはずだった宿沢氏の突然の死は、大
変大きな損失となるものでした。22日は築地の本願寺で告別式が行
われ、森喜朗日本ラグビー協会会長らラグビー関係者ら4000人の人
々が参列。多くの人々が別れを惜しみました。

 この「俺スポ」では過去2度にわたって、ラグビー日本代表に関す
る連載を組んでおります。1960年代後半から70年代にかけて、世界
の強豪に真っ向から挑んだ大西鉄之祐監督率いる日本代表の足跡を
振り返った「世界へのチャレンジ:日本ラグビー物語」と、そして
2003年に行われた第5回W杯における日本代表の戦いぶりをお伝えし
た「ラグビー・ワールドカップカウントダウン!」です。この2つ
の連載で描かれた時代の中間期にあたる、1989年から91年のジャパ
ンを率いたのが、誰あろう宿沢氏でした。

 当時の日本代表もまた、世界との壁にぶち当たり敗戦が続く深刻
な低迷期を迎えておりましたが、宿沢氏はそんなジャパンの救世主
として颯爽と登場し、代表監督に就任。周到な準備で就任初戦のス
コットランド戦(1989年5月28日、東京)に挑み、28−24の大金星を
挙げてラグビーファンを驚かせました。かつて、世界のラグビー界
をあっと驚かせた「大西魔術」。その大西氏の愛弟子である宿沢氏
も、たった1試合だけで沈んでいたジャパンを蘇らせることに成功したのです。

 熊谷高校を経て早大に入学した宿沢氏のポジションは、攻守の要
であるスクラムハーフ(SH)。身長162cmというラグビー選手とし
ては小柄な体格ながら、優れた頭脳と的確な判断力、そして激しい
闘志で大きな選手にも果敢に挑み、早大ラグビー部の黄金時代を築
き上げる立役者となります。1970年、71年の日本選手権連覇にも貢
献し、学生ながらラグビー界の頂点に経った宿沢氏は、卒業後は住
友銀行(当時)に就職しました。そのため日本代表キャップは、わ
ずか3に留まっています。一世を風靡した名選手にしては、国際舞
台での活躍が少なすぎたとも言えますが「大学で、ラグビーを極め
た」という思いも強かったのでしょう。ワセダの伝統ある赤黒のジ
ャージーを脱ぎ、こんどはスーツにネクタイ姿の銀行マンとして
、宿沢氏は世界をまたにかけた活躍を開始しました。ラグビー母国・
英国の首都であるロンドンにも7年間に渡って勤務しています。

 そんな宿沢氏は、当時学生だった私にとってはもはや「伝説の人」
でありました。彼の実際のプレーを見たことは、もちろんありませ
ん。そして国内での監督歴が無い氏の代表監督就任は、まさに驚き
以外の何物でもありませんでした。「どうやら凄い人らしい」程度
しか分からない、ミステリアスな突然の登場でしたが、私はなぜか
吸い寄せられるように、スコットランド戦の行われた東京・青山の
秩父宮ラグビー場へと出かけていました。日本代表は、もう地獄を
見ている。これ以上悪くなることは無い。ならば、ここからは這い
上がっていくだけではないか...そんな、祈りにも似た気持ちが
どこかにあったかのかもしれません。

 スコットランド戦の舞台となった秩父宮で私は、日本代表史上間
違いなく五本の指に入る名勝負を目撃することになります。大胆な
選手起用にも驚かされましたが、指名されてピッチに立った選手た
ちは、まるで飢えた狼のようにボールに食らいつき、そして激しい
タックルで相手をなぎ倒していました。しかし、スコットランドも
主力メンバーこそ欠いてはいましたが、そこはやはり世界の強豪。
意地とメンツにかけてもジャパンに負けるわけにはいかず、猛反撃
に出ました。一方、金星が欲しい日本も最後まで集中力を切らさず、
厳しいディフェンスで持ちこたえ、逆転を許しません。会場で激し
い戦いを見届けていた私にも、選手たちの緊張感が痛いほど伝わっ
てきました。いよいよ勝ちが目前に迫ってきた終盤から、試合終了
までの数分間が、どれほど長く感じたことか...ロスタイムに入
っても、なかなか時計が進みません。「早く終わってくれ!」これが、私の偽らざる心境でした。

 しかし、レフリーのピアード氏が、遂に試合終了のホイッスル
を吹きました。大歓声に包まれるスタンド、キャプテンの平尾誠二
を中心に抱き合う選手たち。やった、遂にやったぞ!歴史の目撃者
となった私たち観客も、喜びを爆発させました。対照的にうなだれ
るのは、金星を献上してしまったスコットランドの選手たちでした。
この時、宿沢氏が胴上げされたそうですが、私の記憶からは完全に
欠落しています。それだけ興奮していたのでしょう。

 宿沢監督率いるジャパンは、翌年に行われた第2回ワールドカッ
プアジア・太平洋地区予選でもトンガと韓国を破り、見事本大会へ
の切符を獲得します。この2試合も、私は秩父宮のスタンドで観戦
しましたが、初戦のトンガ戦に先発出場したロック林敏之が試合前、
自らを鼓舞すべく自分の顔を叩き、気合を入れていたのが印象的で
した。W杯予選はお互いの国にとって、絶対に負けることの出来な
い真剣勝負の場。スコットランド戦とはまた異質な、独特の緊張感
が場内を支配していました。だが日本はトンガを破り、韓国にも苦
戦しながら逆転勝利を収めて、第1回に続く出場権を獲得したので
した。

 ジャパンに必死の声援を送った私たちファンは、またしても喜び
を爆発させました。そして試合後、本当に晴れがましい気分で会場
を後にしました。あるファンが「これでサッカーファンにも自慢で
きるよ」と言っていたのを覚えています。当時のサッカー日本代表
はまだ弱く、ワールドカップには一度も駒を進めたことが無い時代
だったのです。今の若いファンの方には信じられないことでしょう
が、当時はラグビーの日本代表の方が、サッカーよりもはるかに世
界との距離が近い時代でした。いまやサッカー雑誌かと見間違える
ようになった『Number』誌も、当時は盛んにラグビー特集を組んで
いたものです。この15年の間に、日本のスポーツ界を取り巻く環境

がガラリと変わってしまったことが良く分かりますね。

 それはともかく、本大会へと駒を進めたジャパンは、一次リーグ
でスコットランド、アイルランド、そしてアフリカ代表のジンバブ
エと同じグループに入ります。宿沢監督の本領である、的確な情報
収集と分析で万全の準備を終えて、決戦の場である英国へ飛んだジ
ャパン。だが、初戦で対戦したスコットランドには、相手のホーム
であるグラスゴーのマレーフィールドで、借りを返される形での完
敗を喫します。続くアイルランド相手にも、必死に食らいつきなが
らも結局は敗れてしまいました。だが、最終戦のジンバブエ戦では
大勝。日本は遂に、ワールドカップにおける初白星を挙げることが
出来ました。そしてこの試合が、宿沢監督にとっても集大成となっ
たのです。以後、日本がラグビーW杯で勝利を収めたことはありませ
ん。ベスト8の進出の夢は破れましたが、それでも私達ファンにと
って納得できる成果を出してくれたと思います。

 伝説の大西ジャパンを知らない世代にも、世界への夢を見せてく
れた宿沢氏。私が今もラグビーを愛し、すっかり世界から取り残さ
れてしまった現在の日本代表に対する思いを断ち切ることが出来な
いのも、あのスコットランド戦に始まる、強かった“宿沢ジャパン”
の記憶が、どこかに残っているからだと思います。そして素晴らし
い日本代表の思い出をくれた宿沢氏のご冥福を、心からお祈りした
いと思います。宿沢さん、本当にありがとうございました。

(筆者注:今回はラグビー界での、しかも日本代表監督としての宿
沢氏の功績のみを取り上げました。もちろん、本業である銀行での
業績も素晴らしいものがありましたが、当連載の趣旨とは異なるた
め割愛させていただきました。いずれにしても、この人ほど豊かな
才能を持ち、それをフルに活かして存分に活躍した人はそうはいな
いと思います。)

(ダイスポ)

 ダイスポワールド http://www.daispo.com/

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★ お品書きその2 『嵐と地震とエンジェルス』 3:16

 第55回?? ケンドリー・モラレス、メジャーデビュー

 第44回に米国デビュー戦の模様をお伝えしました、キューバの雄、
ケンドリー・モラレスがメジャーデビューを果たしました。 

 クエイクスでの米国プロ・ベースボール・デビューは2005年5月
21日のことでしたので、メジャー・デビューまでわずか1年と2日後、
ということになりました。 
 私は1年前の記事で、8月頃の昇格を予想しておりましたが、主力
の相次ぐ故障や、前回お伝えしました期待のルーキー二人の絶不調
など、あまり喜ばしくないチーム事情もあって、5月中に昇格する
ということになりました。 

 ただ、私としては、まだ若干21歳とは言えどもこの子のバッティ
ングはすでにメジャーレベルにあり、あとはピッチャーに慣れてい
くことだけだと考えていましたので、早すぎるデビューとは思って
いません。 

 ぼーる通信バックナンバーはこちらでご覧下さい。(ぼーる通信公式HP)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~Salvador/Balltsushin/Balltsushin.htm

 くしくも、第44回で興奮してお伝えしたときと同じく5打数3安打、
左打席で3本のヒットを広角に打ち分け、うち1本はHRという見事な
までのデビューでした。しかもメジャーデビューは堂々の5番に座っ
て連敗中のチームを救う素晴らしい活躍でした。 

「Morales Makes Quick Adjustment」 

>http://www.pe.com/sports/baseball/breakout/stories/PE_Sports_Local_D_angels_notes_24.18233510.html

 しかしながらケンドリーは、A、AA、AAAと、それぞれのリーグで
序盤はもたついて成績が低迷、後に打ちまくって3割に乗せてくる、
という経過をたどっていますので、メジャーでも、この戦列デビュ
ー後はしばらく低迷するかもしれません。でも間違いなく、慣れる
に連れ本来の打棒を見せてくれるに違いありません。 
 実は今シーズン当初も、AAAでスタートし、5/11までは打率.241
と低迷していましたが、5/12以降昇格する前日まで、打率.511、長
打率.756(HR2本、2塁打5本)と、調子を上げていての昇格だった
んです。 

 今回は残念ながらロードでのデビューでしたので、球場で見るこ
とは出来ませんでしたが、TV中継でしっかり観戦しました。 
 2ランHRを放った2回の打席は、フルカウントで粘った後、9球目
の内角低め、くるぶしあたりのボールを体を使って裁いた、非常に
上手いバッティングでした。 
 アウトになった右打席二つも、打席でのピッチャーに対するアプ
ローチとしては非常に良いところを見せていました。見逃し方とか、
タイミングの取り方がとても上手いんですね。 
 超級パワーのHRバッターではありませんが、ピッチャーの投球に
とても柔らかく対応できる巧打者です。 

 心配されていた守備の方でも、素早くバント処理をして思い切っ
て2塁へ送球してアウトにする好プレイがありました。 
 頼もしいルーキーです。 

 

 ゲームのrecapとbox score。 

http://sports.yahoo.com/mlb/recap?gid=260523113
http://sports.yahoo.com/mlb/boxscore?gid=260523113

 今日から、ホームのビッグAに戻っての6連戦、メジャーのピッチ
ングに多少苦労するかもしれませんが、本当に楽しみです。 

 それともう一人、パンチ力のあるルーキーが出てきました。 
 第32回、36回でご紹介しました、マイケル・ナポリ捕手です。ジ
ェフ・マチス捕手が居ましたため、1塁手としての練習なんかもやっ
ておりましたが、ジェフの思わぬ絶不調で、代わりに控えキャッチ
ャーとして上がってきたのですが、いまやチームの正捕手と呼んで
も過言ではありません。 
 もともとバッティングは買われていて、2年程前には、ひょっとし
たらマチスより先に上がってくるかもしれない、と言っていたスカウ
トも居たくらいだったんです。 

 まぁ、これもチーム事情からではありますが、どうしてどうして、
リード面でも十分合格点の活躍を見せてくれています。 
 このままメジャーに定着するのか、ジェフの巻き返しがあるのか? 
今後がますます楽しみです。 

 第36回に名前だけ登場しました、トミー・マーフィー外野手も、ス
ピードのある足と守備力を買われて、メジャー昇格しています。 

 あともう一人、ジャレッド・ウィーバー投手は、今日メジャー昇格
して明日先発する予定です。
 気合を入れて応援に行かなくちゃ! 

 モラレスの記事にもありますが、打高投低のAAAパシフィック・リ
ーグで、57イニングズを投げ、4勝1敗、奪三振66個でフォアボールは
わずかに8個。現在27イニング1/3を連続無失点中です。 
 なんともすごいピッチング振りで、2勝7敗防御率約7点と非常に低
迷している兄貴といっそ取り替えたいぐらいですね。まぁそうは簡単
には行きませんが。 

 この子の場合は、非常に思い切りがいいピッチングをします。そん
なに球が速いわけでもなく、鋭く切れるウイニングショットがある訳
でもないのですが、制球に対する自信に裏付けられた、実に大胆な配
球をします。 
 一番いいボールは、実は91-2マイル前後しか出ていないストレート
です。兄貴よりも少し上背があって、やや横手気味なんですが、これ
がいい角度で入ってくるんですね。バッターからはボールの出所が見
えにくい。 

 今、エンジェルズはやや低迷していますが、こうした若手を育て起
用していくチーム方針は、我々のような、カリフォルニア・リーグか
ら応援しているファンにとっては嬉しい限りですし、長期に渡って安
定して強いチームを作るには欠かせない苦しみだとも言えると思いま
す。 
 若手が多いだけに、今後の巻き返しを大いに期待しています。 

(3:16) 

May 26th, 2006

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★ お品書きその3 『Bay Area Watch 2006』 小女子

 第15回 「スタンレー・カップ」

 すっかり夏っぽくなってきました。けれども今年の夏もスタンレー・
カップをパレードで見ることは出来ません。そう、NHLのプレイオフ、
San Jose Sharksは、2ラウンドであっさりと負けました。ふっとまわ
りを見渡せば野球の両チームともがしょんぼりです。とってもがっか
りなBay Areaから、こんにちは。

 前回NHLのプレイオフの話だったので、今回はスタンレー・カップと
はなんだろう?という話です。
 近年はすっかりNHLの年間の勝者を決めるトーナメントの名前ですが、
スタンレー・カップというのは、その優勝チームに送るトロフィーの
名前でもあります。
 北米で現在まで続く一番古いスポーツへのトロフィーであり、アイ
ス・ホッケーに携わる世界中の人々があこがれる銀色のまぶしい物体、
それがスタンレー・カップです。
 ということで、その歴史の複雑さや存在のユニークさを簡単に紹介
します。

 19世紀の終わりにイギリス王室から命ぜられ、カナダの総督として
送り込まれたスタンレー卿とその子供達が夢中になったものが、アイ
ス・ホッケーです。そして、このスタンレー卿は、当時のイギリスで
盛んだった争いに勝ったチームにカップを贈り、次回からはそのカッ
プを争ってまた勝者を決めるシステムの採用をカナダのホッケーの団
体に提案します。これがスタンレー・カップというチャンピオンシッ
プのはじまりです。
 プロフェッショナルという考えがまだはじまったばかりの時代、ス
タンレー・カップは、最初はアマチュアの大会の優勝カップでした。
しかし、アメリカで野球の二つのプロ・リーグが競い合い成功するよ
うになると、陸続きのカナダやその国境付近で行われていたホッケー
は、このプロ化の影響を受けます。プロフェッショナルなチームやリ
ーグが出てきて、スタンレー・カップを争うようになるのです。終い
には、とうとうカップの所有がプロフェッショナルだけのリーグ、
NHLのものになります。そして、スタンレー・カップというチャンピ
オンシップの名前がNHLのチャンピオンシップの名前と同一になり現
在に至りっています。

 歴史も複雑なら、その形が複雑なのもスタンレー・カップの特徴で
す。
 スタンレー卿が与えたのは、高さ19cm、椀の直径29cmほどのちょっ
と大きいくらいの銀のボールでした。ところが現在、高さ約90cm、直
径約45cm、重さ約15kg!カップと呼ぶには不自然な銀色の樽型の物体
に育っています。
 何故こんなに大きくなったのかと言うと、スタンレー卿が残した言
葉に理由があります。優勝したチームはチームの勝利を祝うためにそ
の名を記した銀の環をカップの台に付け足しなさいというのがありま
した。その言葉が影響して、いろんな経由を経て現在の大きな樽のよ
うな形にしているのです。優勝チームごとにトロフィーが与えられる
最近の方式と違い、自分達の財で名前を入れるという方式は、まだ銀
が貴重な時代からトロフィーの授与がはじまったということを物語っ
ています
 はじめは時代が時代で、銀の輪をチームで用意できなかったりまた
指示を守らせる権力なかったので、名前を残した残さなかったりとん
でもないところに残したりとまちまちでした。カップの所有がNHLと
いうプロフェッショナルなリーグに落ち着いた1920年代ごろから、銀
の環を次々とカップの下に付け足していきました。選手全員、コーチ
陣、オーナーすべての名前を彫ります。途中、あまりにも大きくなり
すぎたので、現在の樽状の形を保つことに決めました。
 現在のスタンレー・カップは、上段のオリジナル・カップのレプ
リカ、中段の細目の3つの環、下段の樽状を形成する5つの環の3つの
部分に分かれています。下段の1つの輪が13チーム分の名前のスペー
スがあり、そこが埋まるたびに上の環をはずしてカナダのホッケーの
殿堂に収められます。今季新しい環か組みこまれ、まだ名前の彫られ
ていない平らな部分が見られます。どのチームの名前が入るのかが楽
しみです。

 さらにスタンレー・カップがユニークなのは、年間ほとんどの時期
を旅しているところです。
 スタンレー・カップは毎回戻さないといけません。ということで、
優勝した瞬間から返すまでの期間、優勝したチームは好きな風にカッ
プと過ごすことが伝統になっていました。あまりにいろいろなことが
起こっているので、それだけで幾つもの物語があり、それにまつわる
本もいくつかあります。
 だんだんと行動がエスカレートしていくので、1995年からは、スタ
ンレー・カップの番人が登場してます。そして新しい伝統が始まりま
す。
 選手ひとりひとりがスタンレー・カップと24時間過ごすことが出来
るようになったのです。
 既にNHLの選手は北米出身者以外も増えていて、1997年には初めて
海を越えてロシアにカップが渡ります。以後優勝したチームに所属し
たヨーロッパ生まれの選手の故郷を巡っています。
 シーズンがはじまると戻すカップが、その後新しい持ち主が決まる
までどうしているかと言うと、これまた各地を巡っています。各NHL
チームのアリーナや各地のアイス・リンク、病院、チャリティー団体、
イベントに登場します。
 世界でも珍しい旅する優勝カップは、今年113年ぶりに、スタンレー
卿がカップを購入したイギリスの地を訪れたそうです。

<おまけ情報>

 百年以上前に、スタンレー・カップをカナダに置いていって、その
試合を一度も目にすることがなかったのは、イギリス人のスタンレー
卿です。その本名は、カップを与えた時代は、the Right Honourable 
Sir Frederick Arthur Stanley, Baron Stanley of Preston。現在で
は、The Right Honourable Frederick Arthur Stanley, 16th Earl 
of Derby,KG, GCB, GCVO, PCとなります。後ろの勲位称号を省いて無
理やり日本語にするなら、第16代ダービー伯爵、フレデリック・アー
サー・スタンレー卿となります。イギリスの称号は長ければ長いほど
名門であり、その中でもダービー伯爵はイングランドでも一、二を争
う古い一族です。そして何よりダービー、そうあの競馬のダービーで
す。イギリスの有名な競馬のレースは、第12代ダービー伯爵、フレデ
リック・スタンリー卿の曾祖父がはじめたものなのでした。

参考リンク

・The Stanley Cup (Hockey Hall of Fame and Museum)
http://www.legendsofhockey.net/html/silver_splashstanleycup.htm

カナダのホッケーの殿堂のHP内のスタンレー・カップにまつわるページ
歴史や形状、カップの旅行記があります。

(小女子)

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 ぼーる通信 〜Voice From The Dreamfield〜は、大リーグに
こだわった、掲示板がとても楽しくて活発なサイト、牛親方のMLB
部屋↓

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(c)2002 ぼーる通信 
〜Voice From The Dreamfield〜 編集部

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