2009/10/31
[GEN 734] 豚インフルエンザ報道を検証する【第23回】
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 世界の環境ホットニュース[GEN] 734号 09年10月31日 ご意見・ご投稿 → このメールに返信 豚インフルエンザ報道を検証する(第23回) ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 第23回 スペインかぜの正体(2) 原田 和明 スペインかぜとはどのような症状で、どのような人たちが罹患したのでしょう か? スペインかぜの最大の特徴は、社会的弱者よりも富裕層や若者の方に多 くの死者が出たということです。このことからも、ウイルスだけではパンデミ ックを説明できず、アスピリンも含めて他の要因があったのではないかとの根 拠になりそうです。 当時のアメリカ側資料には、アルフレッド・W・クロスビー「史上最悪のイン フルエンザ・忘れられたパンデミック」(みすず書房2004)があり、同書から スペインかぜの症状を示している部分を引用します。 (P25より引用) 1918年のインフルエンザは、少なくともある意味で非常にユニークなインフ ルエンザであった。後にも先にも、あれほど肺の合併症を引き起こしやすい インフルエンザはなかった。しかもその合併症というのは、きわめて致死性 の高いものであった。 (P27より引用) 病棟ではずらりと並ぶ簡易ベッドと衰弱した兵士たちを見た。ベッドを覆う 麻のシーツは多くが血にまみれていた。血痰や突然起こる大量の鼻血は、ス ペインかぜに特有の症状である。顔色がまるで青インクのようになってしま った兵士たちにとって、死はほぼ時間の問題だった。 (P28より引用) ウェルチ(解剖医)は遺体の胸部を開けてみた。そこには初めて見るスペイ ンかぜの犠牲者の、青みがかり、腫れ上がった肺があった。死因は? 少な くともはっきりしたことがある。肺は健常人ならば体中で最も軽い臓器だが、 目の前の死体では、水っぽく血液混じりの泡だった液体で満たされた2個の 袋でしかなかった。 (P29より引用) 発症後ほどなく死亡した症例(ときに咳や痛みの訴えが始まって48時間以内 で死に至っていた症例もあった)での肺の様子はウェルチにとっても初めて 見るものだった。そうした肺組織にはまったくといいほど硬化は見られなか った。が、異常は明らかだった。ウェルチが切り出した肺の小片は、普通な ら水に浮くはずのものが、水に沈んでしまった。所見として特に際立ってい るのは、水っぽい血液混じりの液体が大量に肺に詰まっていたことだった。 死後硬直が始まると、液体はしばしば鼻から滴り落ち、死体を包む布地を血 の色に染めるのだった。(引用終わり) 以上の記述から、「肺が水っぽく血液混じりの液体で満たされた」状態の死者 が多数いたことが読み取れます。この症状は「肺水腫」とよばれるもので、 goo ヘルスケアによれば、症状はつぎのように現れます。 「肺水腫では、呼吸困難、とくに、横になると息苦しいため起き上がって座 位を取ったり(起座(きざ)呼吸)、夜中に突然息苦しくて目が覚めたり(発 作性夜間呼吸困難)します。また、胸がゼーゼーしたり(喘鳴(ぜんめい))、 ピンク色(薄い血液の色)の泡状の痰(泡沫痰(ほうまつたん))が出ます。 進行すると皮膚や口唇は紫色になり(チアノーゼ)、冷や汗をかいてショッ ク状態に陥ることもあります。」 肺水腫の原因について、日本呼吸器学会は、「心臓に原因がある場合と、それ 以外(主に肺そのものに問題あり=非心原性肺水腫と呼ばれる)」の2つに分 類していますが、非心原性肺水腫はなぜ起きるのかについては言及していませ ん。厚生労働省が今年2009年5月に出した「重篤副作用疾患別 対応マニュアル (肺水腫)」には、非心原性の中には「薬剤に強く関係するものとして、毛細 血管漏出症候群に伴う肺水腫(薬剤性肺水腫)があります」との記載がありま す。そして、アスピリンによる肺水腫は血中濃度がある一定の値(30 mg/dL)を 超えると発生しやすくなるとのことです。 厚労省のマニュアルには発症のメカニズムが次のように説明されています。 (アスピリンを)誤飲や意図的に大量内服した場合に、肺水腫発生の報告が ある。血清濃度が 30mg/dL 以上で、数時間以内に 発症するとされている。 アスピリンによるシクロオキシゲナーゼの抑制からプロスタグランジン産生 が減少し、血管透過性が亢進すると考えられている。(引用終わり) 浜医師の説明は次の通りです。ウイルスが体に侵入してくるのを防衛するため の炎症反応を、クスリ(抗炎症・解熱剤)で抑制してしまうと、ウイルスが体 中に容易に侵入・増殖してしまいます。すると、ウイルスを攻撃するインター フェロンなどサイトカイン類がたくさん放出されて、自分自身の健康な細胞ま で攻撃するようになるため、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)という肺水腫、一種 の「急性肺炎」やさらには「多臓器不全」を起こすというわけです。 スペインかぜが流行していた当時、日本でもアメリカでも一般にはアスピリン が特効薬として推奨されていたこと、そして一部にはアスピリンの投与に問題 があると考えていた医師がいたことをうかがわせる記述が双方にありました。 内務省衛生局編「流行性感冒『スペイン風邪』大流行の記録」(東洋文庫 778 平凡社2008)より以下引用。 初期において解熱剤を用ふれば筋痛軽快するとともに、気管支加答児に好影 響あるが如し。汗腺の分泌増すが如く、呼吸器粘膜よりも分泌を増すためか 喀痰の喀出容易となるがごとき観あり。(稲田) 普通に「アスピリン」、「アンチピリン」、「ピラミドン」、撒曹「フエナ セチン」等用いられたり。解熱剤は心臓を害するものとしてこれを用ふるこ とを厭う人あり(佐藤「医学中央雑誌」17巻4号)またこのために「コフェイ ン」と併用することをすすむる人あり。(引用終わり)? アルフレッド・W・クロスビー「史上最悪のインフルエンザ・忘れられたパン デミック」(みすず書房2004)より以下引用。 (1918年)9月13日、連邦公衆衛生局長官ルバート・ブルーは記者団を集め、 インフルエンザとはどういったものかといったことや、ベッドでの安静、栄 養価の高い食事、キニン塩、アスピリンといった薬の服用など、インフルエ ンザにかかった場合の対処について、勧告を発表した。(P64 引用終わり) 残念ながら当時どのくらいの量のアスピリンを服用するように推奨していたの かはわかりませんでした。当時の日本でのアスピリン輸入量が 年間約40トン (国産はナシ)(中外商業新報 1916.8.20)で、人口が約5500万人でしたから、 一人あたりの年間消費量は 0.7gです。アスピリン肺水腫が起きる血清濃度が 30mg/dL 以上とされていますから、体重 50kg の人が 1.2g 程度 服用すると 危険ということになります。多くの国民がアスピリン肺水腫を起こしうる量は 消費されていたとみられます。 ただし、感染症発症のときでなければ、アスピリン肺水腫は発症しないと考え られます。当時のアスピリンの用途は解熱剤ではありませんでした。「発売時 (1899年6月)からアスピリンは消炎 解熱鎮痛剤だったが、関節炎やリウマチ 治療のための消炎剤として用いるときは大量に使用し、解熱鎮痛の場合は少量 を用いた」「医者は頭痛や発熱よりも関節炎やリウマチ患者に用いた」(平澤 正夫「超薬アスピリン スーパードラッグへの道」平凡社新書2001)とのこと ですから、スペインかぜの大流行以前は解熱剤としての使用はごくわずかだっ たのかもしれません。ところで、興味深いのは次のくだりです。(「史上最悪 のインフルエンザ」P259より以下引用) 合衆国公衆衛生局は、秋のパンデミック第二波の真っ只中、ほかにやるべき 大事なことが山ほどあったにもかかわらず、バイエル社のアスピリン錠の検 査をさせられていた。これは1918年当時の反ドイツ感情の狂信的なまでの高 まりがいかに危険だったかを如実に示すものだろう。アスピリンはもともと ドイツが特許権を有しており、バイエル社が製造していたアスピリンにイン フルエンザの病原体が混ぜられ売られているといった噂が広まり、これに対 応させられていたのだった。検査からは何も出てくるはずはなかった。(引 用終わり) 「秋のパンデミック第二波の真っ只中」とは、ウィキペディア「スペインかぜ」 によると、「第2波は 1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに 強まり重症な合併症を起こし死者が急増した」とあります。この年の11月に戦 争が終結し、それまで高騰していた色々な戦略物資が軒並み暴落、アスピリン も半値になったとのことです。(報知新聞 1918.12.6)これは世界的傾向だっ たと考えられます。安価になった アスピリンが インフルエンザ患者に安易に 投与された結果、「重症な合併症」が多発したということはなかったでしょう か? そして、「アスピリン錠の検査」をやっていたということはアスピリンを投与 した後に患者の容態が急変するという事例が少なからずあったからではないか と推測されます。アスピリンそのものの副作用などまったく想像もしていなか った合衆国公衆衛生局は不純物の分析に集中してしまったのでしょう。筆者の クロスビーも、アスピリンへの疑いを「反ドイツ感情」によるばかげた行動だ と一笑に付して片付けていますが、そこに真相の一部が顔を出しているように も思われます。 さて、今回の新型インフルエンザワクチンは日本では2700万人分しか確保でき ていませんが、当時は、アスピリンを容易に入手できたのでしょうか? 1903年に バイエルは ニューヨーク州 レンセラーに アスピリン工場を建設し、 1909年にはアメリカにおけるバイエルの売り上げの31%がアスピリンという超 ヒット商品になっています。ところが1914年に第一次世界大戦勃発。アスピリ ンの原料であるフェノールはTNT火薬の原料でもあり、戦争当事国イギリス はフェノールの輸出を禁止しました。原料の確保に追われたバイエルアメリカ は1915年にエジソンの会社からフェノールの買い付けに成功しています。1917 年にアメリカが対独宣戦すると、敵国企業となったバイエルは資産の没収を恐 れて、ダミー会社を設立したり、偽装契約を連発したりと資産隠しに奔走しま した。(平澤正夫「超薬 アスピリン スーパードラッグへの道」平凡社 新書 2001)従って、アメリカ現地法人のバイエル社のアスピリン生産量はよくわか りませんでした。 一方、日本でのアスピリンの調達はどうなっていたのでしょうか? アスピリ ンは1899年の発売開始の翌年に日本でも輸入が始まり、1906年には日本薬局方 に掲載されています。当初は外国の商社を通じて輸入されていましたが、1907 年から大阪の武田商店(後の武田薬品)が独占販売権を獲得。明治44から大正 2年(1911-1913)までのアスピリン年間平均輸入量は8.9万ポンド(約40トン) にも達していました。(中外商業新報 1916.8.20)ところが、日本も第一次世 界大戦に参戦、ドイツとは敵対関係になったため、ドイツからの医薬品の輸入 は途絶えました。そこで、武田商店がアスピリン工場を建設し、1915年から生 産を開始(平澤正夫「超薬アスピリン スーパードラッグへの道」平凡社新書 2001)となっています。 ところが、中外 商業新報(1916.2.7)によれば、1916年に 三共という会社が ようやくサリチル酸を製造し始めたばかりで、サリチル酸の誘導体であるアス ピリン(アセチルサリチル酸)は、まだ試作品を作ってみたという段階でした。 ミツワ化学研究所、大阪武田商店付属工場でも試作に成功したとの記載があり ます。なお、サリチル酸は、日本酒の防腐剤として唯一認められた薬剤だった ため、国内の消費量は年間160トンに及び、当時の日本は 世界最大のサリチル 酸消費国でしたが、第一次大戦参戦まで全量を輸入していました。そしてサリ チル酸の 9割はドイツで生産されていましたから、サリチル酸の国産化は急務 の国策となり、工場は突貫工事で増設につぐ増設が繰り返されました。従って、 サリチル酸も順調に生産できていたかどうか怪しいところがあります。 それからわずか半年、中外商業新報(1916.8.19)によれば、この時点での ア スピリンの生産能力は8.6万ポンド(約40トン)とあり、さらに2.7万ポンドの 増強を計画中とのことです。原料のサリチル酸の生産さえおぼつかない段階で、 そんなに早くアスピリンの生産体制が整うのか疑問です。案の定、中外商業新 報(1916.8.21)には、「本邦に於て生産の甚だ困難なるもの乃至 多少は製造 せらるるも外国品の補充に待たざるべからざるもの亦決して少しとせず」「多 少の製造あるも其過般は海外品の供給に仰ぐにあらざれば不足たるを免れず」 という薬品リストにアスピリンが入っていますので、当時の現有生産能力 8.6 万ポンドも「希望」に過ぎず、実際はドイツに代わってアメリカあたりからバ イエル社のダミー会社を通じて需要量(40トン)に見合うほぼ全量を輸入して いたのではないかと推測されます。 1930~40年代にはようやく国産アスピリンも登場していたようで、第一次大戦 終了後の1919年に日本での販売を再開したバイエル社製アスピリンと日本市場 で競合することになりました。当時の医者の話しによると、国産品よりもバイ エル社のアスピリンの方が効いたとのこと(平澤正夫「超薬アスピリン スー パードラッグへの道」平凡社新書2001)ですから、国産品の純度はかなり低か ったのでしょう。スペインかぜの原因のひとつにアスピリンの副作用があった との前提での話しですが、もし、スペインかぜ大流行の当時に、まがりなりに も国産品のアスピリンを日本市場に出せていたら、純度の低いおかげで、日本 人はパンデミックを免れたかもしれないという皮肉なオチがついていたかもし れません。 ---------------------------------------------------------------------- ■登録・解除は次のところから 発行部数約3000 まぐまぐ → http://www.kcn.ne.jp/~gauss/a/mag2.html カプライト → http://kapu.biglobe.ne.jp/c/0/7/1.html Melma! → http://www.melma.com/mag/15/m00090715/ ----------------------------------------------------------------------



