2009/12/18
ぶらり写真術入門 0135
ぶらり写真術入門 0135 死ぬときに後悔すること 大津秀一著「死ぬときに後悔すること」という本が6 0万部も売れてベストセラーとなっている。 著者である大津氏は終末期の緩和ケアーに携る緩和医 療医である。この本は下記のような事柄が25項目に渡 って書かれている。会話体が多く、とても読みやすく書 かれている。 健康を大切にしなかったこと タバコを止めなかったこと 自分の夢をかなえられなかったこと 自分が一番と信じてうたがわなかったこと 他人に優しくしなかったこと 美味しいものを食べておかなかったこと 行きたい場所に旅行しなかったこと 記憶に残る恋愛をしなかったこと 子供を育てなかったこと 子供を結婚させなかったこと 生前の意思を示さなかったこと 自分の生きた証を残さなかったこと 悪事に手を染めたこと 遺産をどうするかを決めなかったこと 故郷に帰らなかったこと 会いたい人に会っておかなかったこと 愛する人に「ありがとう」をつたえなかったこと などなどのようなことが25項目に渡って紹介してある。 では、僕自身はどうだろうか? 僕自身にとって死はこれからの事件だ。過日肺癌の手 術を受けた時には、実はそんなに死を考えなかった。 癌の告知にも慣れというものが、少しはあるのだろう か?今回は手術に至ったが4、5年前から中脾腫の疑い や、肺癌の疑いといわれ、何度か紹介状を書いてもらっ て2、3の病院に診察にいっている。 その時は、その都度無事だったのだが、ただ、一番シ ョックだったのは、やはり初めて中脾腫の疑いがあると いう告知を受けた時だ。この時のお医者さんは湘南ホス ピタルの院長の呼吸器専門の先生だった。 「詳しいことは検査入院してみないと分かりません。 どこかあなたの好きな病院があれば言って下さい。どこ でもいい、紹介します」 先生の御推薦ではなく、どこでもいいといわれ、何だ か見放されたようでショックだった。その病気について も、何ら詳しい説明はしてくれなかった。そこで、僕は 自宅に帰り、インターネットで「中脾腫」なるものがど んな病気か調べた。 な、なんとお恐ろしや、普通の「癌」よりも(癌に普 通も特別もあるものか)、もっと症例が少なく、質の悪い 腫瘍のひとつと書いてある。これには参った。中脾腫が アスベストによるものであるとマスコミに騒がれる前の 話である。 キーボードを打つ手も震えた。死への恐怖で心臓がぱ くぱくするし、パニックに落ち入ってしまった。つい先 ほどまでは普通にあった食欲も、急に衰え、死がすぐそ こまで来ている、僕は死ぬんだ。 目の前の現実世界が急によそよそしく感じられ、遠の いて行く。これは死刑の宣告だ。どうしよう、死ぬのが 恐い、仕事もまだし残している。ああ、どうしよう、ど うしよう。死にたくない、でも、もう死ぬんだ。 この世ともお別れなんだ、とパニックになりながら、 それでも良い病院を探さなくてはと、友人や知人たちに 良い病院と教えてもらうために電話をしまくった。遺書 も書こうとしたが、書けば自分の死を確定するようで書 けなかった。その夜は動揺と恐怖と緊張のためにもんも んとしながら一睡もできなかった。 という訳で、僕が初めて、死に至る病の疑いを掛けら れた時のショック状態はかくさようであったが、二度目 も問題なしで、三度目の今回の手術に至っては、慣れた せいもあり、そして、少しの覚悟もでき、大きなショッ クは受けなかった。 手術の前には、遺書やいたずらに延命処置をしてほし くないので、「尊厳死の宣言書」なるものも書き終えて、 春休みを利用して手術に臨んだ。 手術は無事に終わり、初期癌で右肺中葉部を切除し、 とりあえずはことなきを得た。 そんな僕に老後があるとしたら、それは身体や脳が老 化して講師稼業ができなくなった時である。おそらく7 0歳ぐらいだろうと自分では踏んでいるが、そこからが いわゆる「老後」という領域に入るのであろう。 「老後」という言葉は嫌いだが、一般的大多数派である サラリーマンが、定年退職をすると、毎日日曜とういう 生活がはじまる。これが「老後」という言葉で締めくく られている。そうすると老後というのは定年退職以後と いうことになる。 大切なのは、その老後をどう生きているか?であろう。 それによって死ぬ時に後悔する内容も変わってきそうな 感じがする。旅行に生き甲斐を見出す人。絵を始める人。 海外で暮らす人。人生を一度リセットし直して、新しく 商売を始める人。趣味に生きる人。写真を始める人。 この読者の多くは、老後であれ、それ以前であれ、プ ロないしはアマチュアとして写真をやっている人であろ うが、写真の良いところは基本的には足が動く内はやれ るということである。 僕が、これまでに接した中での最高齢は92歳の女性 であった。僕の主催する写真研究会に入会されて、とて も活発に活動されていたが、他の写真教室にも入ってお られ、そこでの無理がたたって急に体調を崩してしまい、 残念ながら一年後くらいに退会された。 僕のような人間には定年退職があってないようなもの。 何故あってないようなものと書くかは、以下の如しであ る。 僕自身には定年退職はないが、僕と付き合いのあった 出版社やその他仕事の依頼主たちには定年退職がある。 これは想定外であった。 僕レベルの知名度の写真家では、まるで知己のない相 手から何かの企画で電話が向こうからかかってくること は奇蹟に等しい。したがって、長い付き合いの仕事の依 頼主たちが定年退職を迎えると必然的にこちらも仕事に 干されてくるのである。 幸いにして僕は、もう十数年前から撮影の仕事よりも 講師稼業と作家活動がメインになっていたから、さほど の影響はなかったが、周りの友人知人たちは、大変な目 にあった。仕方なく転職したものもいるが、ささやかな がらも何とか皆喰っていっているから不思議だ。 僕も何とか写真関連で喰ってはいても、やがて喰うた めの仕事をする体力さえ無くなる。そういう時が必ず訪 れる。そうした時、この世に未練が発生しないだろうか? ないと言えば嘘になるだろう。 では何に対して未練が発生するのかと問えば、分から ない。言葉にできない。 しかし、僕がまだ若い頃、自分の老後のあり方を想定 していたが、それはどうやら実現できそうもない。おそ らく実現の可能性は非常に低い。それが未練となり、後 悔となるのではないかと思う。 でも理想的ではないが、実現できた部分もある。その ひとつは、こうしてゆっくり下手ではあるが文章を書く 時間があること。それから、身体が動く間は講師という 仕事が続行できること。さらに僕の生きた証である重要 な作品の全シリーズが90数点も東京工芸大学の写真セ ンターに永久保存されたこと、等々である。 これらのことから考えて、さて、僕は死を前にして何 を後悔するだろうか? 若いときから、死ぬときに後悔のない人生を送ること、 というのが僕に人生哲学であり、目標であったが、どう やら、掲げた目標自体が後悔の対象であるような気もす る。 読者の皆さんはどうだろうか? ************************* ■バックナンバーの再配信の御希望には応じられません のでご了承下さい。 ■転載を禁じます。 ■配信の登録・解除、アドレスの変更は以下のページで 手続きいただけます。 http://www.cityfujisawa.ne.jp/~t.matsuo http://www.mag2.com/ [ID:0000083069] ■ご意見、お問い合わせは以下へお送りください。 burari@licht-sha.com ■松尾忠男公式サイト http://www.cityfujisawa.ne.jp/~t.matsuo ■発行元 リヒト舎 http://www.licht-sha.com info@licht-sha.com
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