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日頃、何気なく使っていることわざや故事成語が、どんな時代背景のもとで生まれたのか?出典となった史書をひもときつつ、詳しく解説します。気が付けば、中国の歴史に詳しくなっているかも!?

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2003/05/15

故事成語で見る中国史(20)酒は百薬の長

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故事成語で見る中国史・第19回

日頃、何気なく使っていることわざや言い回しの多くは、
中国の歴史に出典を求める事ができます。
耳馴染んだ言葉がどのような時代背景で生まれたのか?
歴史書の原典をひもときながら詳しく解説します。
現代にも生きている言葉から、中国史を浮かび上がらせてみましょう。

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酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)

適度な酒はどんな薬にもまさる効果があるという意。(広辞苑)

用例:「お酒の飲み過ぎはよくないよ」
   「大丈夫、酒は百薬の長って言うだろ」
    
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(出典)【漢書・巻二十四下・食貨志下】より
夫鹽食肴之將、酒百薬之長、嘉會之好。
鐵田農之本、名山大澤、饒衍之臧。

(書き下し)
夫(そ)れ鹽(しお)は食肴(しょくこう)の将、酒は百薬の長、
嘉會(かかい)の好なり。鐵(てつ)は田農の本(もと)、
名山(めいざん)大澤(だいたく)は饒衍(じょうえん)の臧(ぞう)なり。
 
(語注)
○嘉會(かかい):めでたい会合。
○大澤(だいたく):大きな沢、河川、湖沼。
○饒衍(じょうえん):豊富でありあまっているさま。

(現代語訳)
そもそも塩は食物に最も肝心なもので、
酒は多くの薬の中で最もすぐれており、
めでたい会合で嗜(たしな)むよきものである。
鉄は農耕の基本となるものであり、
名山や大きな湖沼(こしょう)は、
(狩猟や漁業の)豊饒(ほうじょう)な蔵(くら)なのである。

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(解説)
前3世紀末、劉邦(りゅうほう)が興(おこ)した漢王朝は、
その後、およそ四百年の長きにわたって中国に君臨しました。
ただし、その統治のちょうど中頃、西暦8年から23年にかけて、
「新」という王朝に取って代わられました。そのため、漢王朝は
「新」を挟んでそれぞれ「前漢」「後漢」と呼ばれます。(※1)

「新」を建国したのは、漢の元帝(前48〜前33年在位)の皇后の甥にあたる
王莽(おうもう)という人物です。王氏は名門でしたが、
王莽はその中では貧しい家に生まれ、若くから儒学の教えを学び、
礼法にかなった謙虚な振る舞いで人望を集めました。

しかし実際には、彼の謙虚さはすべて計算尽くのもので、
権勢を手に入れるために、あらゆる手を尽くします。
出世と名声のためには、自分の息子すら何人も犠牲にしたほどで、
王莽の妻はそのことで悲嘆の涙にくれ、失明してしまったというほどです。(※2)
王莽の出世を支えた大きな手段は、たくみな輿論(よろん)操作でした。

当時、すべての事物は「木・火・土・金・水」という五つの要素に分類され、
その相互作用によってあらゆる事象が発生する、という
「五行(ごぎょう)思想」が流行していました。

また、伝統的な儒教の経典に、独自な解釈を施し、
そこに未来の予言を読み取ろうとする「讖緯(しんい)説」、
さらに、天がその意志を何らかの瑞祥(ずいしょう:めでたいしるし)で示すという
「符命(ふめい)」なども信じられていました。

王莽はこれら「五行思想」「讖緯説」「符命」等を駆使して、
自作自演の瑞祥を次々と報告させ、「漢の劉氏から王莽のもとに
天命が移ろうとしているのだ」という輿論(よろん)をたくみに形成してゆきました。

王莽はやがて、12歳の平帝を毒殺して、
わずか2歳の孺子嬰(じゅしえい)を擁立(ようりつ)し、自らは「仮皇帝」と名乗ります。
そして善人の仮面をかぶったまま、自作自演の輿論(よろん)におされる形で、
「天意には逆らえない」として、やがて自ら皇帝の位につきます。
国号を「新」と定め、ここに「漢(前漢)」の命脈はいったん途絶えました。

儒教の理念の体現者として名声を得てきた王莽は、
皇帝になると、儒教に基づいた復古的な政策を矢継ぎ早に施行しました。
王莽は、「制度さえつくってしまえば、天下は自ずと安定するのだ」
という考えを持っていたようです。(※3)

かつて孔子が理想としたという周公の政治の再現を目指し、
その当時の官制を伝えるという書物『周礼(しゅらい)』に基づいて、
次々と太古の時代にもどるかのような制度に改めてゆきます。

しかし、現実を見すえようとせず、時代の流れに逆行する
教条主義的な復古政策が、人民に受け入れられるはずがありません。
あまつさえ、制度や官爵名は毎日のように変更され、
役人はその変更に追われて、実務は滞(とどこお)ってゆくばかりです。

こうした中で、王莽が施行した政策の一つに、
「五均(ごきん)」「六管(ろっかん)」(※4)というものがあります。

「五均」とは国家による物価統制であり、
「六管」とは酒・塩・鉄・銭の鋳造(ちゅうぞう)・名山・大沢(だいたく)を
国家が管理するというものです。山や河川・湖沼を国家の管轄下に置くのは、
それぞれ採集・狩猟や漁業を管理するためです。

これらの法令も、やはり古代の制度にのっとったものですが、
現場の役人の汚職もひどく、期待通りには運用されません。
それを憂(うれ)えた王莽は、これらの法令は古代の聖賢の考えによるのだ、
と強調する詔(みことのり)を出しましたが、その中に次のような一節があります。

「そもそも塩は食物に最も肝心なもので、酒は百薬の長、
めでたい会合で嗜(たしな)むよきものである。
鉄は農耕の基本となるものであり、名山や大きな湖沼(こしょう)は、
狩猟や採集、漁業の豊饒(ほうじょう)な倉庫なのである。」

生活に必要なものとして、塩や農耕用の鉄器と並んで酒をあげ、
「百薬の長(ひゃくやくのちょう)」、すなわち「多くの薬の中でも
もっともすぐれているもの」として述べています。
ここから後世、酒をよいものとして擁護(ようご)する言い回しとして
「酒は百薬の長」が広まりました。

ちなみに「酒は百薬の長」と言った王莽は、
やがて「赤眉(せきび)」「緑林」等の反乱に追われ、
ついには斬殺されて、「新」はあえなく滅び、
再び劉氏による「漢(後漢)」王朝が興されました。

各地で反乱の火の手があがると、
王莽は「符命」による奇跡が起こるのを祈るしかなく、
憂鬱で食事も進まず、鰒魚(あわび)を食べては
もっぱら酒を飲んでいたといいます。
こうなっては、「百薬の長」という言葉とともに空しいばかりですね。

ところで、中国では飢饉の時、食物として貴重な穀物を用いて
酒を造ることをを禁じる法令が、しばしば出されました。
後漢末の群雄で、三国・蜀(しょく)の皇帝になった劉備(りゅうび)も、
旱魃(かんばつ)の折りには酒の醸造(じょうぞう)を禁じる法令を出しました。

劉備配下の役人がある家を捜査したとき、酒を醸造する器具を見つけます。
その役人は、酒造の器具を持っていた者も、酒を造った者と同罪にしようとしました。

そんな時、劉備の部下で、古くからの友人でもある簡雍(かんよう)という人物は、
劉備と歩きながら街を見て回り、一組の男女を見かけるると、こう言いました。
「あの者たちは、淫らな行いをしようとしております。
どうして捕縛(ほばく)しないのですか」 

劉備が「どうしてそう分かったのかね?」と問うと、
簡雍は「かの者たちは淫らな行いをする道具を持っております。
酒を醸造しようとする者と同じであります」とこたえました。
それを聞くと、劉備は大いに笑って、
酒を醸造しようとしていた者を許してやったといいます。(※5)

さて、中国には「酒は百薬の長」の他にも、
「酒は天の美禄(天から賜ったすばらしい俸禄)」など、
酒を称えた言葉が色々とありました。(※6)
その中でも有名なのが、蘇東坡(そとうば)の名で知られる
宋の蘇軾(そしょく)の「掃愁帚(そうしゅうしゅう)」という言葉です。
すなわち「愁いをはらう帚(ほうき)」の意で、(※7)
日本でも「酒は憂いの玉箒(たまぼうき)」の言葉で知られています。

また、日本では「甘いものは別腹(べつばら)」などと言われますが、
中国では「酒に別腸(べっちょう)有り」と言われました。(※8)
ちなみに、卑弥呼(ひみこ)の時代に相当する古い日本に関して、
「人は生まれながら酒を好む」と見られ、
日本でも飲酒の風習があったことが分かります。(※9)

中国では、酒にまつわる逸話に事欠きません。
酒は祭祀(さいし)や儀礼、そして庶民の生活にも密着した必需品です。
政治や経済の場であれ、個人の嗜好(しこう)としてであれ、
愁いをはらう百薬の長ともなれば、
我が身はおろか国家まで滅ぼすもとともなる酒。
しかしその危うさは、酒そのものにあるのではなく、
杯(さかずき)を手にしたとき、大らかにもなれば弱くもなる
人間の心にあるのだと、古今東西の歴史が語りかけて来るようです。

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(※1)前漢は西の長安に、後漢は東の洛陽に都をおいたため、
    中国ではそれぞれ「西漢」「東漢」と呼ばれる。
(※2)『漢書』巻九十九下「王莽伝・第六十九下」。
(※3)『漢書』巻九十九中「王莽伝・第六十九中」。
(※4)「六管」は「六斡」「六カン(竹かんむりに完)」とも書く。
(※5))『三国志』巻三十八「蜀書・簡雍伝」。
(※6)『漢書』巻二十四下「食貨志下」。
(※7)蘇軾「洞庭春色」。
(※8)『通俗篇』引『五代史』。また、『資治通鑑』巻二百八十三にも見え、 
   胡三省注に「此俚俗之常語(民間でよく言われる言葉だ)」とある。
(※9)『三国志』巻三十「東夷伝」、『後漢書』巻八十五「東夷列伝」。
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発行者だより φ(.. )

「酒は百薬の長」は日本でもお馴染みの言葉ですが、
兼好法師は『徒然草』の中で、その言葉をもじって
「酒は百毒の長」と述べています。
精神の解放に対しても禁欲的なところなど、
いかにも日本人らしいと言えないこともないですね。

ちなみに20世紀初頭、アメリカで「禁酒法」が制定されましたが、
かえって密売などを助長して失敗に終わりました。
昔、高校の世界史の先生がこの事に触れて、
「酒を禁止する政府は失敗するのだ!」と訴えていましたが、
私情とはいえ、なにほどかの真実を含んでいるような気がします(笑)
それでは、また☆(2003.5.15)

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発行者:バルカ  barcarolle73@hotmail.com
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