故事成語で見る中国史(13)馬耳東風
故事成語で見る中国史・第13回
日頃、何気なく使っていることわざや言い回しの多くは、
中国の歴史に出典を求める事ができます。
耳馴染んだ言葉がどのような時代背景で生まれたのか?
歴史書の原典をひもときながら詳しく解説します。
現代にも生きている言葉から、中国史を浮かび上がらせてみましょう。
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馬耳東風(ばじとうふう)
人の意見や批評などを、心に留めずに聞き流すこと。(広辞苑)
用例:「あの人には、何を言っても馬耳東風だよ」
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(出典)李白【答王十二寒夜獨酌有懐】より
吟詩作賦北窓裏、萬言不直一杯水。世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳。
(書き下し)
詩を吟(ぎん)じ賦(ふ)を作る 北窗(ほくそう)の裏、
萬言(ばんげん)直(あたい)せず、一杯の水。
世人此(こ)れを聞きて皆頭(こうべ)を掉(ふ)る、
東風の馬耳(ばじ)を射るが如(ごと)き有り。
(語注)
○賦(ふ):韻文(いんぶん)の一種。漢以後盛んになった。
○窗(そう):窓(まど)。
○直:あたいする。「値」と同義。
○掉:ふる。ふるう。
(現代語訳)
北に面した窓に寄りかかって、詩を吟じ、賦(ふ)を作り、
多くの優れた言葉を連ねても、一杯の水にも値(あたい)しないのだ。
というのも、世間の人々は詩や賦を聞いても
(そのすばらしさを理解できずに)頭を振り、ちょうど
馬の耳に東風が吹くのと同じように、気にもとめられないのだ。
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(解説)
唐の玄宗(げんそう)の長期にわたる治世のうち、
その前半は、中国の歴代王朝の中でも最も華やかな時代を現出しました。
西域から流入する異国文化の影響もあり、
国際色豊かな雰囲気の中で、様々な文化が開花した時代です。
唐代の文化の中でも出色なのが「唐詩(とうし)」です。
中国文学の大きな精華として、
後世の文化人たちに大きな影響を残しました。
その「唐詩」の中でもひときわ光彩を放っている人物の一人に
李白(りはく)がいます。杜甫(とほ)と並んで「李杜(りと)」と呼ばれるほか、
杜甫、韓愈(かんゆ)と白居易(はくきょい)を併(あわ)せて
「李杜韓白(りとかんぱく)」、さらに白居易の代わりに
柳宗元(りゅうそうげん)を入れて「李杜韓柳(りとかんりゅう)」
などとも言われますが、いずれにせよ李白は、
見過ごすわけにはいかない詩壇(しだん)の大物です。
李白が生きたのは、ちょうど玄宗の治世が極まった時代です。
やがて玄宗の信任厚い安禄山(あんろくさん)が反乱を起こし、
唐王朝の屋台骨(やたいぼね)が大きく軋(きし)み始めます。
王朝の絶頂期から衰退に向かう分水嶺(ぶんすいれい)の上で、
栄華の中にも漠然たる不安が感じられる時代でした。
中国で詩人として名を残している人物は、ほぼ例外なく、
役人となって自分の能力を国家の為に役立てたいと願いました。
李白ももちろんその一人で、玄宗に仕えた時期もありました。
ところで、李白は無類の大酒のみで、杜甫の詩にも
「李白は一斗もの大酒を飲んで、百篇もの詩をすらすらと吟じ、
都(みやこ)長安の街中の酒店で眠ってしまうのだ」とあります。(※1)
11歳年下の杜甫が、いかに李白の人柄を愛し、
その詩才を尊敬していたかがよく現れています。
また、友人の賀知章(がちしょう)は李白を「謫仙人(たくせんにん)」、
すなわち「天上からこの世に流された仙人」だと言いました。(※2)
友人たちから見れば、李白の詩才と酔態は表裏一体で、
微笑ましくまた尊敬の対象でもあったのです。
その札付きの大酒飲みの李白、宮仕えをしたとて
一朝にして行状が改まるというものではありません。
ある時、芸術にも造詣(ぞうけい)の深かった玄宗が自ら曲を作り、
その歌詞となる楽府(がふ)を作らせるため、李白を召し出しました。
李白は酒店にて酔いつぶれていしたが、筆をとるやたちどころに文を綴(つづ)り、
全く滞(とどこお)る事なく書き上げてしまったと言います。
そうした李白の文才を、玄宗もはじめは愛していましたが、
やがて李白は色々と問題を起こしてしまいます。
国家の大政への参画(さんかく)がならず、単なる詩人として見られる事に
李白とすれば不満もあったのでしょう。やがて、心のうさをはらすかのように、
宮中でも酔態を見せるようになってしまいます。泥酔したまま殿上に上がり、
陰の権力者たる宦官(かんがん)・高力士(こうりきし)をつかまえて、
自分の靴を脱ぐのを手伝わせたりする有様。
あまりの傍若無人(ぼうじやくぶじん)ぶりが反感を招き、
やがて官途を追われるハメになります。(※3)
官途には就(つ)きたいが、就けばついたで不満にくすぶるというジレンマは、
時代の先行きに対する不安とも相俟(あいま)って、
当時の知識人が共有した悩みであった事でしょう。
詳しい事績は分からないのですが、李白の友人・王十二という人物も、
自分の能力を認めてもらえず、不遇をかこつ一人でした。
その王十二が、『寒夜(かんや)獨酌(どくしゃく)懐(おも)うところ有り』
という詩を李白に寄せると、李白はそれに答えて長い詩をものしました。
李白は長い詩の中で、世間では能力のない俗物が出世して、
真の賢才には陽の目が当たらないのだ、と嘆いています。
『荘子』や『韓非子』の故事をひき、さらに韓信などの
歴史上の人物を執拗(しつよう)なまでに数多く列挙している筆致から、
李白の博識を知ると同時に、世の中に対する不満が
いかに根深いものであったかが窺われます。
その詩の中に、次のような一節があります。
我々が詩を吟じ、賦(ふ)を作り、多くの優れた言葉を連ねても、
一杯の水ほどの価値もないのだ。というのも、
世間の人々は詩や賦を聞いてもそのすばらしさを理解できずに、頭を振るばかり。
ちょうど馬の耳に東風が吹くのと同じ事で、気にもとめられないのだ。(※4)
真価を認められず、己の力量を活かす場を与えられぬもどかしさが
李白が走らせる筆の下、墨とともにしたたり落ちているようです。
ここから、人の言う事を気にもとめない事や、
無知であるため、価値のある話を聞いても理解できない事を
「馬耳東風(ばじとうふう)」と言うようになりました。
もっとも、こうした不満をぶつけながらも、李白は同じ詩の中で、
時折、諦観(ていかん)をのぞかせてもいます。
「人生はたかだか百年、あっという間に過ぎ去ってしまうのだから、
酒でも飲んでのびのびと過ごそうではないか」
こんな詠(うた)いっぷりこそ、いかにも李白らしいと言えるかも知れません。
山奥の隠者を相手にして酒を酌み交わした際の別の詩には、
次のような一節があります。
一杯一杯復(ま)た一杯
我酔うて眠らんと欲(ほっ)す。
卿(きみ)且(しば)らく去れ
明朝意有らば琴を抱(いだ)きて来たれ(※5)
豪快に杯(はい)を重ねて酔っぱらい、酒の相手に曰く
「酔っぱらって眠くなったから、もう帰ってくれ」。
そして「もしそのつもりがあれば、琴を持って明日の朝、また来てくだされ」。
酔いの眠りの果てに、言葉ではなく琴を奏でて再び相対する。
そうした交遊を求める心根(こころね)には、
奔流の如き様相を示す政界で辣腕(らつわん)を振るうよりも、
幽寂(ゆうじゃく)たる竹林や、悠々とした湖水の上で、
気の置けない友人と酒を酌み交わす方が似合っていたように思われます。
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(※1)杜甫『飲中八仙歌』に“李白一斗詩百篇、長安市上酒家眠”と見えます。
(※2)『旧唐書・巻一百九十下・李白伝』『新唐書・巻二百二・李白伝』参照。
(※3)同上。
(※4)李白『答王十二寒夜獨酌有懐』参照。安旗・主編『李白全集編年注釋』
(巴蜀書社)によると、天宝8年(749)の作。
(※5)李白『山中与幽人対酌』参照。
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発行者だより φ(.. )
浄瑠璃(じょうるり)などに見える「猫に小判」「犬に論語」から、
「糠(ぬか)に釘(くぎ)」、「暖簾(のれん)に腕押し」、
そして『新約聖書』の言葉「豚に真珠」まで。
類義の言い回しがかくも多いという事は、
物事の価値を解さぬ人への嘆きと憤りを覚えた人が
世界各地、様々な時代に、それほど多かったという事でしょう。
それはともかく、「糠(ぬか)」や「暖簾(のれん)」は
その時代によく見かけたものであった事でしょうし、
「小判」「論語」「真珠」はその時代に価値があると見なされていた物。
ふとした言い回しから、色々な時代の様子が窺えるのも、
面白いところかも知れません。
ところで「馬」と言えば、来年は馬年。
その耳に、おだやかな東風が吹くような、
よい年であるとよいですね。
それでは、また☆(2001.12.21)
次回予告「髀肉の嘆(ひにくのたん)」
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