奈良歴史漫歩No.067 日吉館の記憶
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奈良歴史漫歩 No.067 発行2008年9月15日
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日吉館の記憶 橋川紀夫
荒れ果てた日吉館
左右に奈良県庁舎と興福寺の見える登大路の広い通りを東へ行くと、交差点
を過ぎて通りは狭くなり南側に奈良国立博物館の煉瓦造りの旧館が見えてくる。
通りの反対側には、築地塀が続き、それが尽きると古道具屋さんや食べ物屋さ
んが道沿いに並ぶ。その一角に、雨戸を閉ざして傾いた二階建ての古家屋がた
つ。看板も人影もなく、最近とみに改装と新築で一新した町並みの中で、ここ
だけが時間がとまっているようだ。だが、私はこの前を通り過ぎるたび、「あ
あ、まだ残っていた」と嬉しくなり安心する。
奈良の名物旅館「日吉館」が廃業してすでに20数年が経った。いつ更地に
なっても不思議はない時勢であるが、一等地に廃屋のまま残っているのは何か
それなりの事情があるのだろう。どんな事情か知るすべもないが、私がかねて
思っているのは、日吉館を保存し公開してもらえればどんなに素晴らしいかと
いうことだ。「奈良大和路」が一番輝いた時代の証として、高畑に保存公開さ
れている志賀直哉旧居に勝るとも劣らない近代文化遺産の価値があると思う。
保存は急を要する。現役時代から「日本一のオンボロ旅館」と言われた建物
だ。ちょっとの振動でも倒壊しそうだし、火災にも弱いだろう。建物の無事を
見て安心するとともに心配も募るのである。
『奈良の宿・日吉館』(講談社)という本がある。日吉館の女将、田村きよ
のの古希を記念して昭和55年(1980)に刊行され、青山茂が執筆したき
よのの半生記や日吉館ときよのに触れた各界著名人の随筆を収める。巻末には、
太田博太郎が代表を務める「日吉館のおばさんに感謝する会」の賛同者378
名の名簿がつく。日吉館と田村きよのの、いわばファンともいうべき人々の輪
のひろがりにあらためて驚く。日吉館が閉館したのはこの3年後であった。日
吉館の終焉を予感するかのように編まれた本が、奈良の風変わりな旅館とみん
なから愛された女将の記録として残ったことを喜びたい。
日吉館の誕生、きよのの嫁入り
日吉館が誕生したのは大正3年(1914)である。先代の田村松太郎は奈良
の富豪、木元家の用人であったが、その働きぶりを認められて、木元家が所有
する登大路の土地に借家を与えられた。下宿屋をかねた造りであったので、ど
うせなら旅館もやろうということになったらしい。日吉館という名前は、豊臣
秀吉の幼名に与ったという。
旅館業には素人であったが、誠実な接客ぶりが評判を呼んで宿泊客は増えて
いった。日吉館の常連といえばその筆頭にあがる会津八一がはじめて宿泊した
のは、大正10年10月である。知人に勧められたことによるらしい。松太郎
に頼まれて八一が揮毫した看板が日吉館にあがったのは、昭和5年の春である。
きよのが20歳で田村家の長男、寅造に嫁いできたのも昭和5年の春であっ
た。きよのは奈良県磯城郡川西町南吐田の生まれで、農家の4人兄妹のまん中
である。嫁いで3年後には義父母が亡くなるという不幸があった。夫の寅造は
後に仏像梱包の達人といわれることになる帝室博物館(後の奈良国立博物館)の
吏員である。旅館業の重責は、まだ年若いきよのの双肩にかかってくる。だが、
持ち前の世話好きと機転の早さで切り回し、たちまちに宿泊客の心をとらえて
いく。
「奈良古美術大学の学生寮」
大正から昭和にかけて、奈良の古美術や古代への関心が高まった時期である。
大正8年には和辻哲郎の『古寺巡礼』が出版された。志賀直哉が奈良へ引っ越
したのが昭和元年。直哉を慕う芸術家や文化人が押し寄せて「高畑サロン」が
形成される。日吉館の一軒おいて隣には小川晴暘の「飛鳥園」が開店し、彼の
撮る仏像写真や発行する古美術の専門誌が注目された。
こうした中で、日吉館は奈良の仏像や建築を研究するために訪れる学者や若
い学徒の常宿となる。美術史の会津八一、安藤康生、久野健、町田甲一、佐和
隆研、川北倫明、小林剛、倉田文作、毛利久……。建築史の伊藤忠太、足立康、
大岡実、浅野清、村田治郎、福山敏男、太田博太郎、伊藤ていじ……。考古学
の末永雅雄、石田茂作、斎藤忠……。歴史学の喜田貞吉、永島福太郎、角田文
衛、和歌森太郎、家永三郎……。
われわれが今も奈良の古美術や歴史を学ぶ上で必ずお世話になる、斯界の錚々
たるビッグネームのオンパレードである。彼らの若き学問への情熱が、日吉館を
ねぐらにして発揮されたことを思うと感慨深い。「奈良古美術大学の学生寮」
「奈良の芸術院」と称せられ、「奈良を研究するもので日吉館を知らない者は
モグリである」といわれた所以である。
宿泊人名簿からさらに有名人を拾ってみる。和辻哲郎、『大和路・信濃路』の
堀辰雄、『大和古寺風物誌』の亀井勝一郎、広津和郎、杉本健吉、西村貞、青野
季吉、志賀直哉、小林秀雄、阿部知二、滝井孝作、三好達治、西東三鬼、水原
秋桜子、谷川徹三、東野英治郎、芥川比呂志……、と枚挙に暇ない。
スキヤキと「ひやし館」
日吉館の何が魅力だったのだろう。一つは立地の良さがあるだろう。奈良公
園のど真ん中で向かいは奈良国立博物館である。興福寺、東大寺、春日大社、
どれも指呼のうちにあって、研究であっても観光であっても便利な上に、古都
情緒にもたっぷり浸れる。
かすかのの よをさむみかも さをしかの まちのちまたを なきわたりゆく
日吉館の庭に会津八一の歌を刻む碑がたつ。奈良の町は夜が早く、晩秋の静
寂を裂く雄鹿の鳴き声が、日吉館なら寝床にいても聞こえてきただろう。
日吉館の宿泊料の安さもよく知られている。どれくらい安いかというと、1
970年代、YHが1泊2食で1500円だったとき、日吉館は同じく200
0円であった。お金のない学生にとっては、これは有り難い。しかも1、2泊
の旅ではなく、研究目的の長期滞在であるからなおさらだ。日吉館ファンにな
った彼らは後に出世して大学者になっても、繰り返し日吉館を訪れ、学生たち
を引率しては泊まったのである。
この料金だから上げ膳据え膳の一般旅館並みサービスは受けられない。設備
についても「ひやし館」と陰口を叩かれたぐらいで、朝目覚めると柱と壁の間
に青空が見えた、廊下にビー玉を置くと八方に転がった、等々の語りぐさに欠
かない。
しかし食事は豪華だった。毎日交代で夕食にはスキヤキとビフテキが出た。
日吉館へ行けば腹いっぱい牛肉が食べられるということで、それを目当てに泊
まる学生もいたという。サービスや設備はひとまずおいても安くて食事がよい
というポイントは、若い人には大いにアピールしたことだろう。
女将、或いはおふくろさん
だがここまで挙げた特長は他の旅館であってもできないことではない。日吉館
の最大の魅力はやはり女将の田村きよのに尽きる。骨身惜しまず世話をする。商
売人の打算を越えて客の立場に立ったふるまいは、誰の心にもまっすぐに届いた
のにちがいない。だが一方で、朝寝していると「いつまで寝ているの、奈良には
勉強するために来たんでしょう」と言いながら布団をはいでいく。多くの証言を
読んで浮かんでくるイメージは、まさに故郷のおふくろさんである。
きよのは、日吉館で泊まって学んだ学生が立派な学者になってふたたび戻って
くることを喜んだという。こんなエピソードがある。終戦まもなく古美術を専攻
する学生が予約もなく泊めてもらう。底冷えする夜で、部屋の火鉢に熾火が入っ
た。偶然となりの部屋に学生が私淑する先生が泊まっていて、きよのの紹介で引
き合わされる。この夜の対面が学生のその後の研究コースを決定づけるのである
が、その部屋の火鉢には切り炭が熾って温かかった。あとで、学生はきよのに熾
火と切り炭の「差別」に不満めいたことを口にした。
「そうよ。学生の分際では熾火ももったいないぐらい。あなた○○先生のよう
になって日吉館にもどってくれば、切り炭になるわよ」
きよののこのピシャリとした返答に、学生は納得し発奮したという。優しさも
厳しさもおふくろさんのような情に触れて、旅の空の下で男たちは孤独を癒され
ることが多かったのだろうか。そういえば、日吉館の客は圧倒的に男性だし、
『奈良の宿・日吉館』の執筆陣も一人をのぞいて男性でどの文章からもラブ・
コールのようなものが聞こえてこないこともない。
時代とともに果たした役割
NHKで日吉館をモデルにしたドラマが1年間放映されたのは昭和47年であ
る。かなり脚色されたものであったが、これにより日吉館は全国区の知名度をも
つようになった。修学旅行生の団体が前を過ぎるときは、「ここがあの有名な…
…」とガイドが立ち止まって説明した。観光客も押し寄せる。紹介者が必要とい
った条件を設けたりして対処したが、一般旅館並みサービスを期待する客とのト
ラブルも生じることがあったようだ。
日吉館は昭和58年に廃業した。さすがのきよのも古希を過ぎたし、旅館建物
もおそらく耐用年数の限界に達したからだろう。時代と場所と人を得た日吉館は
一つの役割を見事に果たし終えたといえるだろう。きよのは平成10年(199
8)身罷る。奈良の繁華街、三条通りにある田村家の菩提寺に眠る。
日吉館の閉ざした建物の内部には波打つ廊下に傾く柱、すきま風の吹き込む窓
も昔のままに、大正から昭和の終わりまで70年間の記憶が堆積されている。奈
良大和路にロマンを求めた人々の息づかいや汗も壁や天井に染みこんでいること
だろう。その廊下を歩き部屋に立ち、われわれにとっは決して他人ではない先人
たちの想いをぜひ追体験してみたいものだ。
●参考 太田博太郎編『奈良の宿・日吉館』講談社1980
●ホームページに写真・図版をアップしました。
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奈良歴史漫歩 No.067
発行日 2008年9月15日
筆者 橋川紀夫(c)
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