2009/06/11
[MM日本国の研究550]「わが青春の軌跡」
2009年06月11日発行 第0550号 特別 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■ 日本国の研究 ■■■ 不安との訣別/再生のカルテ ■■■ 編集長 猪瀬直樹 ********************************************************************** http://www.inose.gr.jp/mailmaga/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 東京都の高齢者人口は230万人と最も多く、今後の増加率も全国1位と見 込まれています。その一方、高齢者施設やバリアフリー住宅の実態の数は圧倒 的に不足しています。 猪瀬直樹は新たなプロジェクトチーム「少子高齢化時代にふさわしい新たな 『すまい』PT」を立ち上げ、座長としてこの問題に取り組むことになりました。 国の住宅行政は、福祉を担当する厚生労働省と住宅を担当する国土交通省の 連携が不充分で縦割りの弊害がでています。 今回発足した『すまい』PTは住宅施策を所管する都市整備局と高齢者福祉を 担当する福祉保健局などからメンバーが集められた横断的なプロジェクトチー ムです。 猪瀬は「首都政府・首都公務員として霞が関の縦割りを東京から直していく、 東京都が内閣府の役割を担うくらいの気概をもってほしい」とPTスタートの意 気込みを述べました。 * 東京都公式ホームページに、財政再建中の北海道夕張市に派遣された東京都 職員のレポートが公開されました。ぜひご覧ください。 http://www.soumu.metro.tokyo.jp/03jinji/yuubari/index.htm * 今週のメールマガジンは、都政研究4月号に掲載されたエッセイ「わが青春 の軌跡」をお届けします。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「わが青春の軌跡」 ■この国の構造を知る 1966年、虎ノ門病院の屋上で都心の風景を眺めながら行く末を案じていた。 スモッグで覆われた空は薄い墨に赤いインクを一滴たらしたような不吉な色を している。 母親が突然の視野狭窄に襲われ、長野市の日赤病院の眼科で検査をしたが原 因はすぐに判明しなかった。結局、脳腫瘍が視神経を圧迫しているとわかり、 虎ノ門病院を紹介されたのである。当時、脳外科はまだ先端分野で、手術がで きる病院は数えるほどしかなかった。 手術のため二週間ほど前に上京し、当日は朝早く手術室に搬送され、夕方ま でただ待っている。屋上に上ると、日本で初めての超高層、36階建ての霞が関 ビルが無数の雑居ビルを睥睨してヌッとそびえたち、街のざわめきさえ吸い取 られるかのようだっだ。今日も明日もあのビルは存在感を示しているだろうけ れど、虚ろな僕の明日はわからない。いや数時間後に母親が戻ってくるのかも わからない。 18歳にもなって、僕は自分が何者かと問う術も知らずにいた。屋上から森ビ ルが見えた。雑居ビルに23とか31とか、番号がついている。ゲームのように番 号を探してつなげては気を紛らわせた。 三島由紀夫の評伝『ペルソナ』を書いたのは1995年である。三島の祖父は内 務官僚で平民宰相原敬に引き立てられ、樺太庁長官に出世するが、疑獄事件に 巻き込まれて失脚した。『仮面の告白』で「部下の罪を引き受けて職を退いて から私の家は殆ど鼻歌まじりと言いたいほどの気楽な速度で、傾斜の上をすべ りだした」という数行をヒントに、祖父、父親、そして彼自身の三代のドラマ を描きながら、三島文学と向き合ってみた。 その結果、日本の近代が成立する過程で果たした官僚の役割を見定めること ができたので、“いま”を確認してみようと思い立ち、翌96年、『日本国の研 究』(文春文庫)にとりかかった。そのとき虎ノ門病院の屋上から眺めた30年 前の風景が鮮明によみがえった。霞が関は天下り先として“虎ノ門”を隠して いる。虎ノ門には特殊法人や社団・財団法人が無数に存在する。資金的に余裕 があり、家賃を値切らない政府系法人が増殖していく過程で、森ビルの先代は 彼らを顧客に取り込んでビル業の土台を築いていったのである。 永田町は霞が関に族議員として恩義を示し地元に利益を引き寄せ、霞が関は 虎ノ門に天下り先を確保し、虎ノ門は永田町の議員のパーティー券を購入する、 そんなトライアングルが日本の特異な権力構造の姿だと解明できた。 ■死と向き合って 虎ノ門病院の手術はある程度、成功した。だが当時の医療技術では根治かな わず、数年後に再発すると予告され、実際に再発し、母親の体力はしだいに消 耗していった。 父親が36歳であっけなく死んだのは3歳半のときで、葬式の光景は鮮明に記 憶している。突然死だった。父親の友人の医者がすぐにかけつけたが、いきな り号泣したので、母親はその瞬間に完全に死を悟ったそうだ。心筋梗塞や狭心 症というが、昔のことだから病名は違うと思う。五年前、僕の仕事場にときど き顔を出す好青年が36歳で突然死した。幾日も徹夜してパソコンの前で引っく り返ったという。脳幹出血という診断だった。30代半ばぐらいは統計的に突然 死のピークがあり、過労を引き金として遺伝子のバグが出るらしい。 母親は中学の国語の教師の免状があって、父親の死後、仕事をしながら僕を 育て、「少年少女世界文学全集」を買い与えてくれた。エドガア・アラン・ポ オが気に入った。文学少女だった母親は、自分を励ますために短歌をつくって いた。 火照りたる躯を雨に打たれいし かかる愉悦をきみは知らざり 魔法の杖になるかもしれぬ一本の アンブレラもち森へゆくなり はじめの歌はどちらかというと与謝野晶子ふうで情熱的、つぎの歌は俵万智 的なモダンな作風といえる。女性には愚痴を避けて巧みに夢見る力が備わって いる。母親は美人だった。だから妻も美人がよい、と勝手に決めていた。もち ろん形ではなく内面と天然の部分の調和があればこそ美人なのである。 人は簡単に死ぬんだよ、プールに入るときはちゃんと足からゆっくり入りな さい、とうるさいほど僕に注意した。グランドで全力疾走すると心臓がぱくぱ くする。死ぬかもしれない、小学生のときに感じた。単なる思い過ごしである。 信州大学付属小学校は一種の実験校で通知表がなく、のびのび過ごせた。校門 の近くに二宮金次郎の銅像が建っていた。その背中にのぼって上から何を読ん でいるか、覗いてみた。漢文だった。のちに『二宮金次郎はなぜ薪を背負って いるのか』(文春文庫)を書くことになる。 付属中学は受験校で県立長野高校へとコースが決まっていてその通りにした が、つまらない日々だった。小説を読むしかない。のちに評伝を書くことにな る三島由紀夫(『ペルソナ』文春文庫)や太宰治(『ピカレスク』文春文庫) は体質には合わなかった。むしろ吉行淳之介の軽さ、文章の呼吸が向いていた。 根拠はなにもないのに文筆で身を立てるつもりがあった。 ■間に合わなかった締め切り 18歳で上京したが、半年で長野に戻り、結局、母親の病気もありながら親孝 行でもなく、単なる怠け者にすぎない。そういう自分をもてあましていた。信 州大学人文学部に入ると同人雑誌をつくった。石原慎太郎と大江健三郎が最年 少で芥川賞を受賞したことだけはしっかりと頭に刻まれており、締切は23歳だ と決めた。 そのうちに全国の大学で学園紛争の嵐が吹きまくり、佐世保港に航空母艦エ ンタープライズが入港する、それいけ、と退屈をまぎらわすため時代の渦巻き の中心へ向かった。九州大学の寮に集結した学生は、博多駅と佐世保駅を幾日 も往復する。このとき村上龍が佐世保高校からデモを見ていたとあとで知った。 機動隊に催涙ガスの混じった放水を浴びせられ濡れた外套のまま六畳ぐらい の寮の部屋に十人ぐらい詰め込まれざこ寝した。各地の学生と知り合ったが、 硬質の言葉だけで世界を構成するのは滑稽で、文学のわかるやつはいない。学 生運動とは、走ったり駆けたり投げたりの文字通りの運動にすぎないのである。 とうとう作品をひとつも書けなかった。石原慎太郎や大江健三郎が掲げた新 しい世代の旗手には到底なれそうになかった。「小説とは、本質的に、方法論 を模索する芸術である」(三島由紀夫)ならば、進化しなければいけないので ある。 ■つきまとう「国家とは何か?」 そのころ『ティファニーで朝食を』で知られるトルーマン・カポーティの新 作『冷血』が翻訳された。夢中で読んだ。序文は、ある種の疲労の匂いと率直 で奇妙なほどの初々しい述懐が混在していて不思議な高揚感に抱かれている。 「(『冷血』では)著者を消し去ることが不可欠だと、私には思われた。実際 に、私のどのルポルタージュでも、できるだけ自分が目につかぬように心がけ ていたのである。しかしながら、私はあえて自ら中央舞台に位置せしめ、あり ふれた人との普段の会話を、地味にまた簡潔に再構成してみた。私の住んでい る建物の管理人とか、ジムのマッサージ師とか、古くからの学友とか、かかり つけの歯科医とかの会話である。このような他愛もないことを何百頁も書いて から、私は、ついにある文体を引き出した」 学生運動に実りはない、そう思ったが、国家とは何かとの問いはつねにつき まとった。吉本隆明の『擬制の終焉』『芸術的抵抗と挫折』や、橋川文三の 『日本浪漫派批判序説』『歴史と体験』を読んだ。その橋川文三と三島由紀夫 が1968年に中央公論誌上で天皇制について、『文化防衛論』をめぐり論争が展 開された。橋川の完勝だった。 1970年11月、三島由紀夫は市ケ谷の自衛隊で自決する。そのころ神田川の近 くで妻と二人で暮らしていた僕は、ただ茫然とニュースを聞いていた。空白の 原稿用紙に埃がうすくたまっている。頭の整理をしたかった。 橋川教授に会うために明治大学大学院の門をたたくのは72年、25歳のときで ある。僕は30歳まで生きているとは思わなかった。新しい方法論が『天皇の影 法師』(朝日文庫)、『ミカドの肖像』(小学館文庫)として結実するのは三 十代になってからである。 (都政研究4月号掲載) * メールマガジンの感想をお待ちしております。 「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp 猪瀬直樹の新着情報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ・日経BPネットの好評連載「猪瀬直樹の『眼からウロコ』」最新号がアップ されました。「2008年度直轄負担金の情報開示に52の疑問 東京都の分析で 判明、これでは都民に説明責任が果たせない」はこちら。 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090609/158851/ ――――――――――――――――――――――――――――――――――― □□■□□■□□■□□■□□■□□■□□■□□■□□■□□■□□■□□ 猪瀬直樹新番組・放映開始! ■□■ 『東京からはじめよう』(MXテレビ) ■□■ 次回放送:7月4日(土)21:00−21:55(毎月第1土曜日) 第3回(6/6) ゲスト 増田寛也・安心社会実現会議事務局長 第2回(5/2) ゲスト 河野一郎・東京オリンピック招致委員会事務総長 第1回(4/4) ゲスト 丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長 ■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■ ◆◇◆◇◆◇ 猪瀬直樹最新刊 ◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇ 『霞が関「解体」戦争』 ◇◆◇◆ ◆◇◆ (草思社) ◆◇◆ 日本の権力構造のド真ん中に猪瀬直樹が切り込んだ! 地方分権改革推進委員会を舞台に繰り広げられた 官僚とのバトルを大公開。 何を、どう変えれば日本は再生するのか? 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