2009/02/19
[MM日本国の研究535]日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか
2009年02月19日発行 第0535号 特別 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■ 日本国の研究 ■■■ 不安との訣別/再生のカルテ ■■■ 編集長 猪瀬直樹 ********************************************************************** http://www.inose.gr.jp/mailmaga/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆◇◆◇◆◇ 猪瀬直樹最新刊 ◇◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇ 『霞が関「解体」戦争』 ◇◆◇◆ ◆◇◆ (草思社) ◆◇◆ 日本の権力構造のド真ん中に猪瀬直樹が切り込んだ! 地方分権改革推進委員会を舞台に繰り広げられた 官僚とのバトルを大公開。 何を、どう変えれば日本は再生するのか? この国を覆う閉塞感に風穴をあける痛快な書! 草思社の民事再生第一号です。乞う、応援。 http://www.amazon.co.jp/dp/4794216815 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 昨年末、地方分権改革推進委員は第二次勧告を提出し、出先機関の職員3万 5000人を地方移管・削減することを求めました。3万5000人のうち1万1000人 はハローワークの職員が占めています。 年末年始、注目された年越し派遣村での対応では、厚労省は講堂を解放した だけでしたが、一方の東京都は生活保護や就業支援などの迅速な対応を現場で 行ないました。 この例からも、雇用施策は地域の実例に応じて住民の目線に近い地方自治体 が担った方がより素早く地域のニーズに応じた対応ができるとわかります。 * 猪瀬直樹は今週16日月曜日、都立中央・城北職業能力開発センター板橋校、 東京しごとセンターの2箇所を視察しました。 悪名高い独立行政法人の雇用能力開発機構に「職業能力開発促進センター( ポリテクセンター)」がありますが、東京都の職業能力開発センターが充分に 役割を果たしているので、二重行政になっています。つまり、国の職業訓練は ムダということ。 また、東京しごとセンターとハローワークは二重行政の状態にありハローワ ークは地方に移管すべきなのです。 東京都の「職業能力開発センター」は国の「職業能力開発促進センター」と は違い、地元の企業と密着しながら必要に応じた職業訓練を行なっていました。 また、東京しごとセンターは年齢や求職に応じ、きめこまやかな職業紹介を 担っていました。 都の雇用政策を視察した上で、猪瀬直樹は18日水曜日の分権委員会で、「国 が行なう全国一律の非効率な雇用政策は無駄が多い。地方に移譲せよ」と発言 しました。 本日19日木曜日の日経朝刊に「雇用促進住宅3割空室 分権委がヒアリング 『国の事業、無駄多い』」との見出しで分権委員会の模様が報じられています のでぜひご覧ください。 * 今週のメルマガは、竹内整一東大教授の『日本人はなぜ「さようなら」と別 れるのか』をお届けします。 ふだんわたしたちが何気なく使っている「さようなら」という言葉に込めら れた深い意味をどうぞ知ってください。 なお竹内教授は東京大学大学院人文社会系研究科が運営する「多分野交流演 習」の「『生命と価値』論のフロンティア」を担当しています。4月より猪瀬 も客員教授として参加します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか 東京大学教授 竹内整一 ■日本人の「軸になる思想」? 今という、この混迷の時代においてこそ、日本人の軸になる思想というもの が必要だと思うが、その点はどう考えるか――。先月下旬、ある会で、前ソニ ーCEOの出井伸之さんから、こう問われた。 「軸になる思想」という意味が、他に追随するだけでない、われわれに独自な 文化や価値に基づいた思想、ということを意味するなら、当然それはあるし、 それを、より自覚的に表現してゆくことは大事なことだと思うが、しかしそれ が、他とは異なる、確固とした、いわば主語(主体)的な意味でのナショナル ・アイデンティティのようなものを指すなら、それは少し違うと思う、と答え た。 この点については、つとに丸山真男が、「日本における思想的座標軸の欠如」 を指摘し、われわれはまずは「その現実を見すえて、そこから出発するほかな い」ことを提言している(『日本の思想』、岩波新書)。 最近でも、たとえば松岡正剛さんは、「日本のよさやおもしろさというのは、 必ずしも『自信』や『強さ』や『一貫性』にあるわけではない」として、「日 本は『主題の国』というよりも『方法の国』だ」と述べている(『日本という 方法』、NHKブックス)。 また、内田樹さんは、「すぐれたものはすべて外部にある」という「日本人 の基本的なマインドセット」を「辺境人性」と名づけ、「辺境は(自分が辺境 だという意識を持ち続けるならば)『中央』を知的に圧倒することができる」 という「日本辺境論」を展開している(『こんな日本でよかったね――構造主 義的日本論』、バジリコ)。 日本の「軸になる思想」の現実性・可能性をあらためて考えることは、以上 のような自己認識の上に立って求められるべきものだと、私も思っているが、 ともあれ、それもまた、すぐれて「日本国の研究」の課題のひとつでもあるだ ろう。 ■やまと言葉の精神史 私自身としては、このところ、以上のような課題に関わるものとして、「や さし」「かなし」「はかなし」「ありがたし」「おのずから・みずから」等々、 やまと言葉に込められた日本人の心の歴史をたどり直しながら、それが現在に 生きるわれわれに、どのように繋がっているかを考えている。 つねに中国大陸からの文字や文化、また西洋からの思想や文物の大波に揉ま れながら、独自に育まれてきた日本人の発想や感性は、こうしたやまと言葉の 成り立ちやその変容のうちに、さまざまなかたちでゆたかに読み取れると思っ ているからである。 というところで、先月、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(ち くま新書)という本を上梓した。「さようなら」も、こうしたことを考え出し た始めから取りあげたかった言葉のひとつであった。 ■「さようなら(ば)」は、もともと接続詞 一般に世界の別れ言葉は、Good-bye(「神があなたとともにあらんことを祈 る」)、See you again(「また会いましょう」)、Farewell(「お元気で」)、 のおおよそ3タイプに分類することができる。 日本にも「またね」「ごきげんよう」といった別れ言葉があるが、最も一般 的な「さらば」「さようなら」(「それでは」「じゃあ」「ほな」……)は、 どのタイプにも入らない。われわれは平安のむかしから、こうした言葉で別れ てきたのであるが、そこに込められた日本人の心のありようを、とくに、死‐ 別に即して、死生観のレベルの問題として考察したものである。 「さらば」「さようなら(ば)」とは、もともと、先行の事柄を受けて、後続 の事柄が起こることを示す接続詞であるが、それがやがて、別れ言葉として自 立して使われるようになったものである。 そこには、「さようであるならば」と、事柄の移り行きにおいて、いったん 立ち止まり何ごとかを確認することによって、次の事柄に進んで行くことがで きる(逆に、そうした確認がないと次に進むことができない)という、独特な 発想がひそんでいる。 ■「こちら」を生き切れば、「向こう」に繋がる ならば、「さようであるならば」とは、何を確認しているのか。 ひとつは、別れのときまでにみずからに起きた事柄のあれこれの確認である。 いま私は大学で、「死生学」というプロジェクトに参画しているが、そこで のシンポジウムで、作家の柳田邦男さんが、今は「自分の死を創る時代」だと 提言された。自分の生きてきたことを何らかのかたちで纏めることによって、 死は受容しやすくなるのだ、と。それを聞いていて、私はこれはある意味の「 さようであるならば」だと思った。「さようであるならば」を自分なりに言葉 にし「物語」にすることによって、死が受け入れやすくなるのだ、と。 これがひとつである。しかし、自分一個が為してきた事柄のあれこれを繋げ ても、それだけでは「物語」にはならない。生老病死を含め、この世に生を受 けた人間誰しもにとって思いどおりにならないことがある。そのことも同時に 確認されなければならない(人生とはそういうもの、という「もの‐がたり」)。 それは、「この世の定め」「無常」「運命」などといった言い方でのものでも あるが、私は、それらを総じて「おのずから」という言葉を使って考えている。 「みずから」の営みだけではなく、「おのずから」そうなる、ということであ る。より普遍的な「そうならねばならないならば」という働きとして受けとめ て、それをあらためて確認・納得しようとしているのだ、と。 「サヨナラ」ほど美しい別れの言葉を知らない、と言ったアメリカの紀行作家、 アン・リンドバーグの理解も後者の方である。彼女は、世の中には出会いや別 れを含めて自分の力だけではどうにもならないことがあるが、日本人は、それ をそれとして静かに引き受け、「サヨナラ(そうならねばならないならば)」 と別れているのだ、と解釈している。 如意の「みずから」と不如意の「おのずから」とは、両方からせめぎ合いな がら、その「あわい」で人生のさまざまな出来事が起きている。「さようであ るならば」の確認とは、そのふたつながらの(むろん挨拶として、いつも意識 的ではありえないが、含意としての)確認・総括なのである。 先に繋がる事柄の何たるかは問わないままに、ともあれ「こちら」を生き切 ることによって、「向こう」の何かしらと繋がっていく、といった発想を日本 人が持っていたということである。 そうしたことを、いろいろな死生観のうちに探ってみたのが本書である。 「ともすると日本から逃げ去ろうとするときに、あなたの国には「さようなら」 がある、と思ってもみなかった勇気のようなものを与えてくれた。」 イタリア文学者の須賀敦子は、のちにこう述べている。彼女にも、それだけ の力をもったものとして、「さようなら」という言葉の含意が受けとめられて いたのである。 ■著者略歴■ 竹内整一(たけうち・せいいち) 東京大学教授(大学院人文社会系研究科・ 文学部)。専門は、倫理学・日本思想史。著書に、『日本人はなぜ「さような ら」と別れるのか』『日本人は「やさしい」のか』(ちくま新書)『「はかな さ」と日本人』(平凡社新書)『「おのずから」と「みずから」』(春秋社)、 など。 猪瀬直樹の新着情報━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■掲載情報 ・日経BPネットの好評連載「猪瀬直樹の『眼からウロコ』」最新号がアップ されました。「妊婦の「たらい回し」問題で改善案 コーディネーター制度 の導入、情報伝達の確実化を提案」はこちら。 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090218/132780/ ・23日(月)発売『AERA』掲載「皇太子さまの愛と苦悩」にコメントを寄せま した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ バックナンバーはこちら。 http://www.inose.gr.jp/mailmaga/index.html ご意見・ご感想はメールでどうぞ。 info@inose.gr.jp 配信解除の方はこちら。 http://www.inose.gr.jp/mailmaga/index.html まぐまぐの配信解除は http://www.mag2.com/m/0000064584.html 猪瀬直樹の公式ホームページはこちら。 http://www.inose.gr.jp/ ○発行 猪瀬直樹事務所 ○編集 猪瀬直樹 ○Copyright (C) 猪瀬直樹事務所 2001-2009 ○リンクはご自由におはりください。ただしこのページは一定期間を過ぎると 削除されることをあらかじめご了解ください。記事、発言等の転載について は事務局までご連絡くださいますよう、お願いします。



