2005/09/19
■幕末マガジン■
☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★ 【幕末マガジン】 // 2005/9/19 // Published by RyoMaX ★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆ I_N_D_E_X____________________________ マガジンの説明 幕末維新の人物や事件の紹介。龍馬はもちろん、幕末維新史、 明治維新政治外交史、全国の幕末史跡・イベント情報なども。歴史ファン必読。 ┣【1】神戸海軍操練所・前後のはなし 網屋吉兵衛その4 ┣【2】人権の父・江藤新平(3)(2002年5月15日配信済み) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■神戸海軍操練所・前後のはなし 網屋吉兵衛その4 (執筆者:Mr.萌咲)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 勝海舟や坂本龍馬らが活躍した神戸海軍操練所は文久3年(1863)に建設計画が 出され、元治元年(1864)開校、慶応元年(1865)閉鎖と活動期間はわずかなもの であった。疾風の様に神戸にやってきて疾風のように去っていった神戸海軍操練 所。その活動期間の前後にも、操練所にまつわるドラマが展開されている。この コーナーは、あまり知られていない「神戸海軍操練所・前後のはなし」を紹介する。 ◆網屋吉兵衛その4◆(最終回) 元治元年(1864)の春、吉兵衛が作った船蓼場を流用した神戸海軍操練所の建設 工事がほぼ終った。直ちに西国諸藩に対し塾生の募集が行われた。次々に神戸に 乗込んでくる若い武士達。78歳になった吉兵衛は未来の夢を追いかけていた若か りしころの自分の姿と彼らをオーバラップさせることにより、気力を蘇らせた。 順風満帆のスタートをきったと思われた操練所であったが、事態が急変するこ ととなった。元治元年6月5日に起きた池田屋事件で命を落とした人物に神戸海 軍操練所の塾生であった土佐藩士望月亀弥太が含まれていたこともあり、幕府の 役人達は、勝海舟が尊王攘夷の志士たちを操練所にかくまっているのではないか と疑い始めたのである。9月中頃に幕府による内糺(うちただし)が行われ、 10月22日、大阪城代松平伊豆守から神戸の勝海舟に対し「江戸表にて御用有 之候間早々帰府」との命が下った。そして10日後には軍艦奉行を解任されるこ ととなった。神戸海軍操練所が発足してわずか半年での解任だった。海舟が去 り、塾生たちも故郷に戻ってしまった。神戸海軍操練所は、もぬけの空の状態と なったのである。 それから約3年が経過し、慶応3年(1867)となった。安政の五ヶ国条約で開港 が決まっていた兵庫の開港が徳川幕府により慶応3年12月と定められたある日、 神戸村の豪商、生島四郎大夫が吉兵衛のもとにやってきた。そして生島は吉兵衛 にこう申し渡した。「あの船蓼場(神戸海軍操練所跡)は、この度神戸の開港場 となることになり、御上に渡すこととなった。あなたが持っている所有地の書類 や現場の道具、建物を一切引き渡すように。」 吉兵衛は聞き返した。「いったい、どう言うことか?わしはあの船蓼場の権利を 神戸村に預けただけや。いずれ、わしの手元に戻る事になっておるやないか。」 生島は答えた。「先日、上様が兵庫開港の勅許(天皇の承諾)を得た。そして開 港場はこの神戸村の地に決まった。つまりあの場所に外国と交易する港が設けら れることになった。だから幕府にあの土地を献上せなあかん。」 神戸村の所有であれば、借金さえ返せば船蓼場は吉兵衛の手元に戻ってくること となっていた。しかし、幕府に献上となると完全に自分の手から離れることに なってしまう。吉兵衛は肩を落としながらつぶやいた。「いったいわしの夢は何 やったんや。」 やがて船蓼場の跡地は、りっぱな防波堤に囲まれた港となり、陸の上にはガラ ス張りの立派な運用所(税関)が建てられた。そして開港を迎えた慶応3年12月7 日、外国の艦隊が海上から祝砲を打ち上げ、これからの神戸の発展を祝った。地 元の人たちも開港を祝った。ええじゃないかで狂乱する一団も現れた。 ただ、吉兵衛だけは開港を祝う気持ちになれなかった。一生を賭けて挑んだ船蓼 場の事業であったはずが、手元に残ったのは借金のみだった。外国人や彼らを目 当てに集まる商売人で賑わう港に出ては、涙を流した。悔やんでも悔やみきれな い気持ちで涙が止まらなかった。 明治2年(1869)9月5日、吉兵衛は85年の生涯を閉じた。息をひきとる直前ま で、周りの人に港の状況を聞き続けた。当時何も無かった神戸の村に船蓼場を作 ろうと決意してから約70年もの月日が経過していた。吉兵衛の神戸に対する思い は熱かった。この神戸への熱い思いは、現代でも神戸の港に住み、働く人々の心 に脈々と受け継がれているのである。 ---おわり--- ご意見・ご指摘等、よろしくお願いいたします 執筆者メールアドレス moesaki1115@yahoo.co.jp <mailto:moesaki@sky.sannet.ne.jp> 執筆者HP http://www.sky.sannet.ne.jp/moesaki/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■人権の父・江藤新平(3) (毛利敏彦) ※2002年5月15日配信済み  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 5.「民の司直」 江藤は,明治5年4月25日,初代司法卿に就任した。 いうまでもなく司法は、行政、立法と並ぶ国家機能の重要な一翼だが、明治新政府当 初の司法体制は未熟で混乱していた。司法担当の刑部省なるものがあるにはあった が、実際に権限が及ぶのは東京府下だけ、それ以外の府県では府知事、県令という地 方官が裁判を行っていた。地方官は本来行政機関だから、司法機関と行政機関とが未 分離という変則状態だったわけであり、それは行政機関である奉行所が裁判をしてい た江戸時代の旧慣習を無批判に引き継いでいたからだ。しかも中央には刑部省のほか に「内外の非違を糾弾」する弾正台なるものもあり、両者の権限関係が複雑曖昧で争 いが絶えなかった。 これでは困ると江藤が改革を主張し、明治4年7月に刑部省と弾正台とを統合して司 法省ができた。文部省設置とほぼ同時期である。ところが司法省は人材不足で業績不 振、結局、左院副議長だった江藤に初代司法卿のお鉢が回ってきた。江藤は固く心に 期するところがあって、この大役を引き受けたに違いない。 法制上は司法卿の権限は広大で、現在の法務大臣、最高裁判所長官、国家公安委員 長、法制局長官等の権限をすべて併せもつ存在だった。とはいえ草創期で制度や組織 が未整備、だから能力不足の人は碌な仕事もできないが、有能な人物なら驚くべき力 を発揮できるという状態だった。 まず江藤は、「聴訟断獄の事務は、一切府県に至るまで本省の管轄となし、全国律 法一軌に出で候やうこれありたく」と、太政官の確認をとった。聴訟は民事裁判、断 獄は刑事裁判のことだが、要するに民事、刑事裁判とも全国すべて司法省の管轄とし て一括運用すること、かつ法律も全国一律に適用すること、つまり司法権の独立と統 一への意思を明確に表明したのである。また、「本省は全国の裁判所を総括し、諸の 事務を掌る。但し裁判の事に関係する事なし」と布告し、司法行政は司法省が一手に 扱うが、但し個々の裁判は各裁判官が法に従って自主的に行うという原則を明示し た。現代にも通じる司法の根本原則である。こうして就任早々江藤司法卿の明確な意 思表明で、これまで分かりにくかった司法省の役割と性格が一度にはっきりしたので ある。 つぎに江藤は、司法が適切に運営されるには、なによりも担当者の心構えが重要だ として、司法省関係役人一同に「司法省誓約」5ケ条を求めた。そこには、司法にた いする江藤の基本理念が端的に現れている。 1. 方正廉直にして職掌を奉じ、民の司直たるべきこと。 2. 律法を遵守し、人民の権利を保護すべきこと、 3. 〔以下略〕。 江藤司法卿は、就任の冒頭に、司法に従事するものは「民の司直」となるべきことを 約束させた。民衆のために働け、民衆に奉仕せよということだろう。官尊民卑が当然 とされた時代に、司法長官がこのように宣言したとは驚嘆すべきことだ。そして、 「民の司直」のもっとも重要な職責は、「人民の権利を保護」することだと明示され た。司法は人権のために存在するというのが、江藤の理念であり理想だったのであ る。 そこで江藤は、人権のための司法を実質あるものにするために、さまざまに工夫をこ らした。 (4)に続く  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 【参考文献】毛利敏彦著『江藤新平』(中公新書)1987年、増訂版1997年、 筆者紹介 毛利敏彦(もうり としひこ) 略歴:1932年生まれ。九州大学大学院博士課程修了、法学博士(専攻・日本政治史)。 大阪市立大学教授・法学部長、広島市立大学教授・国際学部長等歴任。 現在:大阪市立大学名誉教授、明治維新史学会顧問(元・会長)等。 主著:『明治維新政治史序説』(未来社)、 『明治六年政変の研究』(有斐閣)、 『大久保利通』『明治六年政変』『江藤新平』『台湾出兵』(以上、中公新書)、 『岩倉具視』(PHP研究所)、 『明治維新の再発見』『明治維新政治外交史研究』(以上、吉川弘文館)等。 ===================================================================== END _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ [メルマガ名] 【幕末マガジン】 [発行者] RYOMAX http://page.freett.com/ryomax/ このメールマガジンは、「まぐまぐ」「melma!」「めろんぱん」を利用して 発行しています。 「まぐまぐ」マガジンID:0000061080 http://www.mag2.com/ 「まぐまぐ」登録・解除 → http://www.mag2.com/ 「めろんぱん」マガジンID:007195 http://www.melonpan.net 「めろんぱん」登録・解除 ↓ http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=007195 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


