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2005/07/26

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  【幕末マガジン】 //  2005/7/26 //  Published by RyoMaX

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マガジンの説明 幕末維新の人物や事件の紹介。龍馬はもちろん、幕末維新史、
明治維新政治外交史、全国の幕末史跡・イベント情報なども。歴史ファン必読。

┣【1】神戸海軍操練所・前後のはなし 網屋吉兵衛その2
┣【2】幕末日本のきら星 <第4回:中浜万次郎>

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■神戸海軍操練所・前後のはなし 網屋吉兵衛その2  (執筆者:Mr.萌咲)
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勝海舟や坂本龍馬らが活躍した神戸海軍操練所は文久3年(1863)に建設計画が出
され、元治元年(1864)開校、慶応元年(1865)閉鎖と活動期間はわずかなもので
あった。疾風の様に神戸にやってきて疾風のように去っていった神戸海軍操練
所。その活動期間の前後にも、操練所にまつわるドラマが展開されている。この
コーナーは、あまり知られていない「神戸海軍操練所・前後のはなし」を紹介する。

◆網屋吉兵衛その2◆

船蓼場建設の借金が返済できずに江戸の呉服問屋からの仕入金の返済が滞り、訴
えられたのが安政6年(1859)。網屋吉兵衛73歳の時である。このころ、本来の家
業である呉服業は家業を継いだ長男の病もありうまくいかず、船蓼場の収入も思
い通りに行かない状況だった。借金は銀75貫、73歳の吉兵衛にとっては、あま
りにも大きな借金であった。

吉兵衛の住む神戸村からの借金の取り立ても厳しくなり、村では対応の協議が行
われた。協議の結果、次のような指示が下された。「村が吉兵衛の代わりに借金
を代償する。その代わりに船蓼場は10年間神戸村のものとする。その間、吉兵
衛を船蓼場の管理人として雇い、運営を一任する。十年間の間に利益で借金返済
が出来れば、船蓼場を吉兵衛に返却する。」

返却される可能性があるものの、船蓼場は吉兵衛の手から一旦離れることとなっ
た。夢にまで見てやっとの思いで手にすることが出来たものが、あっという間に
自分の手から離れていく。十年後の返却も吉兵衛の年齢からすると不可能に近い
ものだった。

文久年間に入り、楽ではないものの船蓼場の運営をなんとか切り盛りし、僅かず
つではあるが借金返済を続けた。船蓼場に入る船は、蓼ることが少なくなり、修
理のために使用されることとが多くなった。吉兵衛は、それでも海岸でのこの仕
事に生きがいを感じることが出来た。

文久3年(1863)、吉兵衛77歳となったころから、神戸沖にも真っ黒な巨大な
外国船がしきりに現れるようになり、世の中が慌ただしくなりはじめた。国内全
体では、尊王攘夷思想が主流となり、外国排除の動きが強くなる。京都では新撰
組が結成され、尊皇攘夷思想で天誅を繰り返す浪人らを厳しく取り締まり始め
た。また、14代将軍徳川家茂が徳川家としては約200年ぶりに京都へ上洛す
ることとなり、長州藩をはじめとする攘夷主流派から攘夷決行を促され、孝明天
皇からは攘夷を目的とした大阪・神戸の港の軍備増強を求められる。

 その様な中、吉兵衛の営む船蓼場を興味深く見つめる一人の男がいた。小柄で
はあるが、背筋がピンと伸び、いかにも利発そうである。そう、この男こそ神戸
港開発の先駆者、徳川幕府海軍奉行並、勝海舟であった。

- - - 続く - - -


ご意見・ご指摘等、よろしくお願いいたします 
執筆者メールアドレス
moesaki@sky.sannet.ne.jp
執筆者HP
http://www.sky.sannet.ne.jp/moesaki/

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■幕末日本のきら星 <第4回:中浜万次郎>   (執筆者:半平太)
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今回は「ジョン万次郎」の名で有名な、中浜万次郎を取り上げます。今回有名な
人物を取り上げたのは、万次郎の残した大きな足跡・功績のを考えた場合、もっ
と大きく評価されてもいいのでは?、という理由からです。


<中浜 万次郎(なかはま まんじろう)> (1827年−1898年)
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★ここが「きら星」 → アメリカで最新の文化・技術を習得し、幕末日本の開国
           と近代化に大きく貢献。英語教育の創始者。

万次郎は、倒幕・大政奉還に大きく貢献し数々の有名志士を排出した、土佐藩、
中村村の漁師の次男として生まれました。万次郎が9歳の時に父が死亡し長男も
病弱なことから、10歳のときに中浜浦老役、今津嘉平の下働きにでます。10
歳にして既に、精神的にも経済的にも一家の大黒柱として家族を支えていました。

また生来働き者であった万次郎は、生家が漁師だったこともあり様々な船持ちの
漁師のもとに下働きに出ます。船を持たぬ漁師にはその道しか漁業を営む術はな
かったのです。

そんな生活の中運命の時が訪れます。1841年(天正12年)正月5日、万次
郎14歳の時、土佐の宇佐浦より五名(船頭・筆之丞、舵子・筆之丞弟重助、漁
夫・寅右衛門、同・筆之丞弟五右衛門、カシキ・万次郎)で出漁しました。その
際に暴風雨に遭遇し遭難、漂流し、伊豆諸島の無人島・鳥島に漂着してしまうの
です。その漁は非常な大漁で、そのことが嵐の接近に気付くのが遅れた要因であ
ったとも考えられています。

無人島生活は長期に及び、故郷に戻る術も見つからぬままいたずらに時は流れて
いきますが、漂着143日目に大きな幸運が訪れます。アメリカ捕鯨船、ジョン・
ハウランド号が食糧補給(ウミガメ・アホウドリ等の捕獲)にと、鳥島に接岸し
てきたのです。万次郎ら5名の遭難者は、親切なホイットフィールド船長に救出
され、一路ハワイへ向います。万次郎を除く4名は、漂流者としてこのハワイの
地で保護されることとなりますが、万次郎はハワイには留まりませんでした。ホ
イットフィールド船長はこの聡明な若者・万次郎を非常に気に入り、自分の息子
としてアメリカ本土のフェアヘブンに連れて行くことを決めたのでした。

フェアヘブンに渡った万次郎は、ホイットフィールド船長の斡旋で地元の学校に
通い始め、「ジョン・マン」と称するようになります。聡明な万次郎は、日本人
という当時の世界では非常に珍しい民族ということによる偏見・差別に負けず、
語学(英語)はもちろんのこと数学・測量術・航海術・造船技術など、当時の最
新西洋学問を身に付けます。その学校を首席で卒業し、徐々に周りの尊敬を集め
るようになり、また器用な手先を利用して桶や樽などの製造に携わり、さらなる
技術に身につけるのです。

しばらくして万次郎は捕鯨船に乗り込み、世界の大海原に乗り出します。その捕
鯨航海の中、卓越した捕鯨技術とリーダーシップを発揮し、副船長に抜擢される
など充実した日々を送ります。約3年の航海の後、貴重な経験、捕鯨技術の習得、
十分な捕鯨成果を上げてフェアヘブンへと帰着し報酬を得るのです。

そこで万次郎は、その心の中で大きな選択に直面します。このままアメリカ人と
して、有能な一等航海士・捕鯨船乗組員として充実した生活を送るか、日本人と
して故郷の地を目指すか・・・。

万次郎は故郷を目指す道を選択します。それにはたくさんのお金が必要。さてど
うするか・・・。万次郎がとった方法は、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニ
アでの金鉱発掘という道でした。治安の悪さや物価の高さ、博打や酒、女などの
誘惑が多いというリスクがあるものの、短期に大金を得るにはその道しかなかっ
たのです。万次郎は日本に帰国したいという一念で金鉱発掘に没頭し、わずか半
年の労働で帰国できる資金を稼ぎ出します。立派というほかありません。

この後ハワイに残してきた仲間たちの元へ行き帰国を提言。万次郎の稼いだ資金
で帰国用にアドベンチャー号という小型の船や食料、お土産、貴重な書籍を購入
し、さらに日本近海へ行くための船を捜し、上海行のサラ・ボイド号という定期
船に協力を依頼、そのサラ・ボイド号に購入した荷物とともに乗り込むのです。
嘉永3年11月、万次郎24歳の時でした。

万次郎たちは沖縄沖でサラ・ボイド号を降りアドベンチャー号に乗り込み、沖縄
本島の琉球国摩文仁間切小渡浜に上陸して、念願であった帰国を果たしました。
が、そこからが万次郎の苦難の連続でした。緩慢で長い取調べ、約10年のアメ
リカ生活による言葉の弊害、信用されない事実・真意・・・・。その間、英邁な
薩摩藩主・島津斉彬との謁見という幸運もあったものの、琉球、薩摩、長崎の地
で続いた取調べ期間は、実に10ヶ月という長きにわたりました。万次郎が一番
辛かった時期かもしれません。

嘉永5年10月、ようやく取調べが終わり、生まれ故郷である土佐藩中村に帰る
ことを許されました。なんと11年10ヶ月ぶりの帰宅でした。漁船の遭難漂流、
無人島での生活、アメリカ捕鯨船による救出、捕鯨船での生活、そして鎖国日本
への決死の帰国と、命があるのが不思議なくらいの体験をしてきた万次郎にとっ
て、この瞬間はまさに奇跡といっていいでしょう。

万次郎の故郷での安穏とした生活は長くは続きませんでした。奇跡の帰郷を果た
してわずか1ヵ月後、土佐藩の徒士格に登用され、主に若い藩士の教育にあたり
ました。万次郎の聡明さは諸国に聞こえ、ついにその才能をかわれて翌年11月
幕府に召されてご普請役格となり「幕府直参」に列することになるのです。その
ころから生地中浜の地名を苗字として「中浜万次郎」を名乗ることとなります。

以後、外国通で知られる韮山代官の江川坦庵(太郎左衛門)の手に属することと
なり、外国からの文書の翻訳・軍艦操練所教授・鯨漁御用などを勤め、ついには
万延元年、遣米使節の通訳として勝海舟艦長の咸臨丸でアメリカに向け航するこ
とになります。万次郎の活躍を考えれば当然といえるかもしれませんが、当時の
閉鎖主義・門閥主義の日本にあって、異例で破格の出世といえるでしょう。

日本の代表使節団の一員として堂々アメリカに渡り、その役割を果たした万次郎
は帰国後、益々、日本の近代化に寄与します。小笠原島の調査(日本の領土確認
に大きく貢献)、アメリカ式捕鯨技術の伝播、薩摩藩の招聘による軍艦操練、英
語教授などを行い、さらに航海・測量・数学の諸書を翻訳し、また長崎では土佐
藩のために上海へ船の買い付けに出向くなど、まさに八面六臂の活躍でした。

明治にはいると土佐藩に百石で召抱えられ、さらに「東大」の前進である開政学
校の教授に任命され、近代を担う若者の教育に邁進しました。明治3年8月には
ヨーロッパへ出張した大山厳らに同行し、その折に万次郎は、実に20年ぶりに
アメリカのフェアへヴンを訪れ、命の恩人であるホイットフィールド船長との再
会を果たしました。

晩年の万次郎は東京や鎌倉で過ごしますが、明治31年11月12日、脳溢血の
ため71歳でその波乱の生涯を閉じました。不自由のない生活を送っていたもの
の、その活躍の素晴らしさを考えるともっともっと注目され、明治政府もその功
績に報いてもよかったのではないかと感じます。

その後、ホイットフィールド船長一家と中浜家は、子孫によって交流が始められ、
その交際は、5代にわたり現在も親しく続けられているそうです。

万次郎は、漂流者「ジョン・マン」として一般にその名を残しただけではなく、
アメリカから帰国後、アメリカでの見聞を正しく報告して幕府の開国決定の政策
に寄与し、海での国際的な視野を幕末の若き群像に伝えました。その影響は坂本
龍馬や後藤象二郎、岩崎弥太郎などの土佐藩の人物はもとより、木戸孝允や伊藤
博文、東郷平八郎など、他藩の俊英たちにも多大なる影響を与えました。また、
その後の日本の英語教育の創始者となり、日本の国際化に大きく寄与しました。

万次郎の存在そのものが、日本近代化最大の一歩といえるのではないでしょうか。

もっともっと評価されていい人物だと思います。

ご意見・ご指摘等、よろしくお願いいたします。→ kazu-ni@est.hi-ho.ne.jp

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