幕末マガジン RSSを登録する

幕末維新の人物や事件の紹介。龍馬はもちろん、幕末維新史、明治維新政治外交史、全国の幕末史跡・イベント情報なども。歴史ファン必読。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2005/04/15

■幕末マガジン■

この記事を取り寄せる

☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★

  【幕末マガジン】 //  2005/4/15 //  Published by RyoMaX

★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆〜★〜☆

I_N_D_E_X____________________________

マガジンの説明 幕末維新の人物や事件の紹介。龍馬はもちろん、幕末維新史、
明治維新政治外交史、全国の幕末史跡・イベント情報なども。歴史ファン必読。

┣【1】メルマガ創刊4周年企画のお知らせ 
┣【2】坂本龍馬を愛する著名人たち 
┣【3】幕末日本のきら星 <第一回:上田寅吉>
┣【4】江藤新平の司法省設置構想  (第3回)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■メルマガ創刊4周年企画のお知らせ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「幕末マガジン」は今年で創刊4周年を迎えます。そこで、4周年企画として
「幕末おすすめ本」もしくは「メルマガの感想」の募集を行いたいと思います。
(「幕末おすすめ本」か「メルマガの感想」のどちらか1つで可)

翌月のメルマガで投稿者全員の「幕末おすすめ本」もしくは「メルマガの感想」を
掲載させていただきます。
その中から、抽選で5名に「兵庫龍馬会オリジナル切手シート」をプレゼントしたい
と思います。
なお、お名前は匿名でもOKですので、その旨記載してください。ニックネーム、
ハンドルネーム記載希望の方もその旨記載してください。

宛先は RYOMAXGO@excite.co.jp まで、締め切りは来月10日までとさせていた
だきます。

たくさんのご応募をお待ちしております。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■坂本龍馬を愛する著名人たち  (執筆者:Mr.萌咲)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
坂本龍馬。老若男女を問わず多くの人々から愛されている人物であることは、言
うまでもない。あらゆる世界で活躍する著名人たちにも坂本龍馬ファンを自称す
る人たちは多い。我々一般人としての龍馬ファンとの共通点はあるのか。龍馬
ファンと言われる政財界の著名人を3名ピックアップし、彼らの龍馬への思いが
どのようであったのかを調べてみた。

◆中内功(株式会社ダイエー創設者)
あの巨大スーパーだったダイエーの創設者。昭和の最高の成功者でありかつ失敗
者といわれる。
1922年(大正11年)生まれで、1957年(昭和32年)大栄薬品工業(今のダイ
エー)を創設し、日本最大の総合スーパーを育て上げた人物である。中内さん
が、坂本龍馬に興味を持ち始めたのは、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」だった。社
長当時、社長室フロアの会議室に龍馬の等身大の写真を飾り、時折それを眺めて
思いにふけることもあったようである。現代に龍馬が生きていればライバルに
なったかもしれないと考え、神戸の三宮に展開したダイエーの大型店舗第一号
が、神戸海軍操練所の書生寮跡だったことについても、龍馬とのつながりを感じ
「少しばかり、海援隊の遺志を継いだ気にもなっている。」と回想されている。
坂本龍馬の存在が、巨大スーパーダイエーを築き上げていく力の源のひとつと
なっていた。あるときは経営の先輩として、またあるときにはライバルとして。
「龍馬は死ぬまで夢を見ていた男である。私も夢ばかり見てきたが、これからも
そうありたいと願っている。」とダイエー全盛期に語っている。最終的には、残
念な形で経済界を去られることとなったが、きっと今も多くの夢を見続けられて
いるのではないだろうか。

◆孫正義(ソフトバンク社長)
インターネット検索サイトのヤフージャパンなどを傘下におくソフトバンク社
長。1957年(昭和32年)生まれ。1976年若干19歳で会社を設立、音声翻訳機を開
発しシャープに特許権を売却。1981年に日本ソフトバンク社を設立し、パソコン
ソフトの流通事業を展開し、現在に至る。
孫さんも「竜馬がゆく」を敬愛する人物である。ソフトバンクの企業ロゴマーク
の背景にある、3本の横縞(黄・白・黄)は、海援隊旗をイメージしたものであ
ることは皆さんご存知だろうか。プロ野球チーム「福岡ソフトバンクホークス」
の設立会見時や、ソフトバンク入社式などで真っ先に流れた映像が、高知桂浜や
長崎風頭公園の坂本龍馬像であったことは記憶に新しい。会社のイメージも坂本
龍馬色に染めようとする孫さん。熱烈な龍馬ファンであることが、手に取るよう
にわかる。
少々横道にそれるが、話題の渦中であるライブドアの堀江貴文さんが最近次のよ
うなコメントを残している。「孫さんは坂本龍馬で良い。坂本龍馬は明治維新の
道筋をたてて志半ばで死んでしまう。孫さんも道筋だけ立ててくれれば良い。僕
は伊藤博文になる。」・・・ブラックジョークであるが、堀江さんは伊藤博文に
なるというのが面白い。伊藤博文も色んな人から好かれ嫌われ、結局暗殺される
のだが・・。
先にも述べた福岡ソフトバンクホークスの前身の親会社はダイエーだ。中内ダイ
エーからホークスを受け継いだ孫ソフトバンク。何か因縁めいたものを感じてし
まうのである。

◆小渕恵三(内閣総理大臣)(故人)
第84代内閣総理大臣。小渕元首相も「竜馬がゆく」が龍馬との出会いだった。
昭和38年の衆議院議員初当選時に新聞の連載が始まり、ファンになったそうである。
新人議員の不安とみなぎる意欲の中、幕末を疾風のように駆け抜ける司馬竜馬を
自身とオーバーラップされたのだろう。龍馬関連の書籍はほとんど集められたら
しい。また十数冊にもなるスクラップブックには、龍馬関連の新聞記事の切抜き
が貼られている。相当の龍馬マニアだ。
龍馬の魅力は「やはりその人物であり、生き方である」。
龍馬の存在自身が、小渕元首相の政治家としてのバイブルだったのである。

執筆者メールアドレス
moesaki@sky.sannet.ne.jp <mailto:moesaki@sky.sannet.ne.jp>
執筆者HP
http://www.sky.sannet.ne.jp/moesaki/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■幕末日本のきら星 <第一回:上田寅吉>  (執筆者:半平太)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
幕末日本。それはまさに激動の時代。

高まる列強の圧力、弱体化する幕府、異文化の流入、混乱する経済、高まる攘
夷熱、そして維新革命から明治へ・・・・。

そんな混乱の中、たくさんの素晴らしい人材が「きら星」の如く登場しました。
坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、勝海舟・・・。これ
だけの人物が登場したのは、まさに奇跡といっても過言ではないでしょう。


新しくはじめさせて頂くこのコーナーは、幕末日本において「きら星」の如く
登場し活躍しながら、上記に挙げた人物達のように、それほど有名にならなか
った人物にスポットをあてて紹介していきたいと思います。

第一回は、上田寅吉にスポットをあててみます。


<上田寅吉(うえだ とらきち)> (1813年−1890年)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
★ここが「きら星」 → 日本人初の洋式帆船建造を成し遂げる。

寅吉は伊豆戸田(へだ)村で生まれ、生まれ当地の戸田村で腕のいい船大工と
して生活をしていました。当時の船は千石船などのいわゆる和船。徳川幕府の
鎖国政策の影響で、遠地航海が不可能な底板張りで一本マストの「小型」和船
しか作ることが出来ませんでした。江戸時代の初めから幕末のこの時代まで、
造船技術はピタリと停止したままといっていいでしょう。もしかすると「退化」
していたのかもしれません。寅吉の船大工としての腕前は、そういった制限の
中では際立ってよい腕前だったようです。

その寅吉に一大転機が訪れます。1854年(嘉永7年)11月におこった下
田沖の大地震です。

この地震の津波により、折りしも日本との条約批准を求めて来日していたロシ
アのプチャーチン一行の船、メディーナ号が損傷。修理のためのえい航途中に
強い西風を浴びて転覆してしまいます。帰国手段のなくなったのプチャーチン
は、幕府に洋式帆船建造を依頼します。ここに伊豆の一介の船大工、寅吉が登
場するわけです。

寅吉は他6人の船大工とともに幕府より洋式帆船建造を命じられます。しかし
いくら腕の良い船大工でもそれは和船でのこと。洋式帆船とは天と地との差が
あります。和船ではまず底板を張りその横に板を張って(箱のようなイメージ)
船を作っていきますが、洋式帆船は木材を魚の骨のような形で、曲線の「竜骨」
を形作り、その後逆円錐のような形で板を張らなければなりません。またマス
トの張り方も、洋式帆船のほうが圧倒的に複雑です。

そのような理由から、寅吉たち日本の船大工に設計はおろか、イメージも湧く
はずもありません。そこで設計の中心にあたったのが、ロシア技術将校のモジ
ャイスキー海軍大尉という人物でした。設計といってもロシアから持ってきた
本の中にあった洋式帆船の「絵」をもとに、この将校が、いろんな角度からの
「絵」を書くというもので、その絵を見て寅吉たちが現物化させるという、製
造の創意工夫は全て寅吉たちが考えて造船したようです。なんとも気の遠くな
るような話ですね。

さらに困難を極めたのが「言葉」の壁。ロシア語→オランダ語→日本語という
とても手間のかかるコミュニケーションの中で、意思疎通を図り、技術的な話
や論議をしていたようです。想像以上に困難な作業だったことでしょう。その
困難な作業を、寅吉たちはわずか3ヶ月という短期間で、日本人の手による初
めての洋式帆船を完成させるのです。まさに奇跡というしかありません。

この偉業にプチャーチンは非常に感謝し、敬意を込めてその洋式帆船に村の名
前を取って「ヘダ号」と名づけました。喜びの度合いがいかに大きいものであ
ったかわかろうというものです。残っていた50名のロシア人は、この「ヘダ
号」に乗り込み無事ロシアへと帰っていきました。

幕府は今後の技術養成のために、この「ヘダ号」を返還してほしいとロシア側
に申し入れます。これをロシアは快諾し、「ヘダ号」をそっくりそのまま作り
直した船を返還します。「ヘダ号」自身は、突貫工事で作った船であり、荒波
を航海したことにより、すぐに廃船となったからです。しかしこの船が日本の
造船技術向上にどれだけ貢献したかは、計り知れないものがあった様です。

その後の寅吉はこの「ヘダ号」造船の功績を認められ、長崎海軍伝習所の1期
生として入所することを命ぜられて、同時に苗字帯刀を認められます。晴れて
「上田寅吉」の誕生です。異例中の異例の人事でした。

この1期生には勝海舟が居り、寅吉は後にこの勝海舟らとともに、咸臨丸に乗
り込み、日本人による初めての太平洋横断を成し遂げます。また2期生の榎本
武揚らとともに、「開陽丸」建造見学等のためにオランダ留学まで行くのです。

その後の寅吉は、榎本武揚の「五稜郭の戦い」にも参加、敗れて捕虜になりま
すが、明治3年に釈放。小栗忠順が建造を手がけた「横須賀海軍工廠」の初代
工場長に就任し、数々の軍艦製造にかかわっていきます。後の日露戦争におけ
るバルチック艦隊との戦いで、日本の連合艦隊が圧倒的勝利を収めますが、そ
の連合艦隊の日本製軍艦全てが、寅吉が設計を手がけたものだそうです。

ロシアから洋式造船技術を学んだ寅吉が、その技術でロシアの艦隊を打ち破る。
不思議な運命のめぐり合わせといえますね。


ご意見・ご指摘等、よろしくお願いいたします。→ kazu-ni@est.hi-ho.ne.jp

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■江藤新平の司法省設置構想  (第3回)  (執筆者:松ノ落葉)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
江藤は「意見書」に続いて明治3年閏10月26日、右大臣三条実美に「政治制度
上申案箇条」を提出した。これは大久保利通と同行したものだが、原案の署名に
は「江藤胤雄草」となっていることから、大久保の案ではないものの江藤の改革案
に大久保が同意したため、2人で三条右大臣に提出した。
また、同時期に江藤は「政体案」「官制改革案」等も残しているので、これらの案か
ら、今回のテーマである司法、裁判所体制の具体的構想を見てみよう。

江藤の司法・裁判所構想を整理すると

1.刑部省と弾正台を合併して司法台を設置し、これを一等裁判所とする

2.司法台の下に全国8ヶ所の高等裁判所を設け、府藩県の裁判所を三等裁判所
とし、※郡坊の裁判所を四等裁判所とする

※郡坊の「坊」は現在の「市」に相当する

まず1番目について江藤は以下のように建言している

「刑部弾正ヲ合テ司法台ヲ置キ是ヲ一等裁判所トスヘキ事」(政治制度上申案箇条)
「刑部弾正ヲ合シテ司法台ヲ置キ是ヲ一等裁判所トス」(官制改革案)

これに合わせて越権行為や犯罪を未然に防止する監察機関(監部寮)を設置するこ
とを説いている。内容は以下の通り。
「監部寮、内外百官ノ非違邪悪ヲ監察シ之ヲ政府ニ報告スルコトヲ掌ル」
(官制改革案)

前号で紹介した「岩倉意見書」中の
「天下ノ刑罰及人民訴訟ノ法ヲ一定シテ刑部省ノ総括ニ帰セシム可キ事」

と上記の江藤改革案を比較すると、岩倉意見書の内容はおそろしく簡潔だが、最も
注目すべき点は、岩倉意見書の場合、一応刑部省の存在を肯定しつつ刑罰と訴訟
は全国一律であるべき、と謳っている。一方、江藤改革案は元々刑部省と弾正台
の権限関係が重複していることから、これらにメスを入れて早急に混乱状態を回避
させることを目指していることが窺われる。
岩倉意見書の提出は8月だが、政治制度上申案箇条提出までの3ヶ月の間に刑部
省肯定論から刑部弾正台合併及び司法権統一論に切り替わったとは思えず、岩倉
意見書の草案を手掛けたのは事実だったとしても、時期尚早とみた岩倉が修正した
可能性が高いと言えるだろう。根拠を挙げると、「人民訴訟ノ法」を定めることは江
藤の案だが、「刑部省ノ総括」とは必ずしもならない、江藤は将来を見据えた理想の
国家像を描いた結果、刑部弾正台の合併でなく、たとえ8月以前の案だったとしても
刑部省の存在を肯定するような意見書を岩倉に提出したとは考えづらい。
江藤が直面した状況に自分を置き換えると、「刑部省の総括に帰す」という考えは
江藤の真意を正確に反映しているとは言い難い。

次に2番目だが

「府藩県ケ様ニ隔リ、引合ノ公事出入、其外人民難渋ニ不堪、因テ如左裁判所ヲ
建ル
 一 北海道五奥ニ懸ケ一ヶ所
 一 関東甲州ニ懸ケ一ヶ所
 一 両羽三越加能信濃ニ懸ケ二ヶ所
 一 駿遠参尾勢飛近山和摂三丹播ニ懸ケ二ヶ所
 一 四国ニ一ヶ所
 一 九州ニ一ヶ所
 合セテ八ヶ所ノ裁判所ヲ置キ、各府県ニテ難裁ノ事ヲ処置セシム、但其管轄ハ
 尚程能分割可有之、右ハ唯概略ノミ
司法台ヲ一等裁判所トシ、八ヶ所ノ裁判所ヲ二等裁判所トシ、府藩県ノ裁判所ヲ三
等裁判所トス、郡坊ノ裁判所ヲ四等裁判所トス」(政治制度上申案箇条)

現在の裁判所体系と比較すると司法台(一等裁判所)は最高裁判所、二等裁判所
は設置数と設置箇所を考えると、現在の高等裁判所に相当するといえる。同様に
三等裁判所は地方裁判所、四等裁判所は簡易裁判所と見事に一致する。

「政体案」「政治制度上申案箇条」には、本台(司法台)は全国の裁判所の頂点に
立つと共に府藩県の裁判所を管轄し、府藩県の裁判所は四等裁判所を管轄し、三
等裁判所、四等裁判所は、それぞれ「約束規則」を設けることとしている。
江藤は岩倉あて答申書において「君主独裁」であることとしているが(ここでいう君
主独裁とは、立憲政治を意味する)天下の権力を全て太政官に帰属せしめ、その
権力を立法・行政・司法に分立させ、司法は司法台と各級裁判所が全てを統括する
という、当時としては極めて進歩的な近代司法制度構想だったといえる。

次回は国法会議の話を中心に進めていきたいと思います。

参考文献

「江藤新平」 毛利敏彦著 中公新書
「明治国家の形成と司法制度」 菊山正明著 御茶の水書房
「江藤南白」上 的野半介 南白顕彰会
「大系日本国家史」4(近代1) 東京大学出版会
「講座日本近代法発達史」第六巻 勁草書房

ご意見・ご感想はこちら saga@ace.ocn.ne.jp まで 

=====================================================================
        
                             END

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

[メルマガ名] 【幕末マガジン】

[発行者]  RYOMAX   http://page.freett.com/ryomax/
このメールマガジンは、「まぐまぐ」「melma!」「めろんぱん」を利用して
発行しています。

「まぐまぐ」マガジンID:0000061080  http://www.mag2.com/
「まぐまぐ」登録・解除 → http://www.mag2.com/ 

「melma!」マガジンID:m00100238 http://www.melma.com/
「melma!」登録・解除 → http://www.melma.com/

「めろんぱん」マガジンID:007195 http://www.melonpan.net
「めろんぱん」登録・解除 ↓
http://www.melonpan.net/melonpa/mag-detail.php?mag_id=007195

[総発行部数]1667

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

この記事を取り寄せる
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る