2012/05/13
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第328号
*******************平成24年5月13日発行****
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メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第328号
◎ 連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
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こんにちは、吉之助です。
まずは「歌舞伎素人講釈」通信・その1:「「忠臣蔵における倫理構造、その
プレ近代的視点」を紹介します。これはサイト・メルマガからの電子本化では
なく、電子本のための完全オリジナルです。「忠臣蔵における倫理構造、その
プレ近代的視点」では、日本人に今もなお圧倒的な人気のある「仮名手本忠臣
蔵」のなかに、日本古来のフォークロアに根差した 「憤り」の心情が潜んで
おり、その本質が江戸というプレ近代的な感性のなかで、形を変えてどのよう
に受け継がれていったかということを考えます。「忠臣蔵」を心情の視点 か
ら読み直すという・まったく新しい試みです。本書は「忠臣蔵」論であると
同時に、日本人論でもあります。
「歌舞伎素人講釈」通信は、電子本の新書版みたいなものを目指します。
これから電子本オリジナルの記事が続々登場の予定です。
でしたる書房から配信します。http://www.digbook.jp/
ーーー<「歌舞伎素人講釈」電子本>ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
歌舞伎素人講釈」通信・その1
「「忠臣蔵における倫理構造、そのプレ近代的視点」
PDF44ページ、315円(税込み)
http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/15858
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さて、本号は引き続き3月に世田谷パブリックシアターで上演された三島由
紀夫の「サド侯爵夫人」の観劇随想の2回目をお届けします。
ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「サド侯爵夫人」を様式で読む (第2回)
平成24年3月世田谷パブリックシアター:「サド侯爵夫人」
蒼井優(ルネ)、白石加代子(モントルイユ夫人)他 野村萬齋演出
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5) モントルイユとルネ
「サド侯爵夫人」においてルネの母親モントルイユは、フランス革命前のアン
シャンレジーム(旧体制)の法・社会・道徳を代表していると考えられます。
一方、劇中に登場しないサド侯爵は、アンシャンレジームの既成概念 に反抗し
・これを破壊しようとする側であると考えられます。ただし、これはサドが正
義であるということを意味しません。現代においてもサドの行為は不道徳であ
り、場面によっては犯罪に違いありません。腐り切った既成の枠組みを破壊し
る気概においてのみ・来るべき革命の空気と相通じるものがあるということに
過ぎないのですが、まあそれはともかくサドが既成の法・社会・道徳に反抗し
ていることは間違いありません。
ところで新劇は旧劇(歌舞伎)の否定から始まったということは前に述べた通
りです。歌舞伎を糾弾する理由として・まず最初に挙がるのは、女形のことで
あることは間違いありません。自然主義演劇の立場からすれば、女形こそ否定
すべき前時代(江戸)の生き残り・旧弊の象徴と云うべきもので した。当初三
島はモントルイユを女形(正確には女装した男優)に演じさせることで、世間体
を気にして・ルネの周りを オロオロしながら小言を並べる旧道徳の戯画(カリ
カチュア)的母親を考えていた と思われます。女装した新劇男優には台詞術の
不安が付きまといます。もともと女ばかりの芝居のトーンの単調さを防ぐため
の色付けを期待した役で、そう大きな役にするつもりはなかったのでしょう。
しかし、執筆が進んでルネとの対話が予想外に増えて・役が重くなってしまう
と、下手をすれば男が目に付いて、劇が不自然な印象に見えて 来かねません。
それで三島はやむなく女形の起用を断念したと吉之助は想像します。それにし
ても、男声のモントルイユというのは、そこに立っただけで厳然たる旧弊道徳
の象徴に見えて興味深いものであったろうと思います。
今回(平成24年3月)世田谷パブリック・シアターでの白石加代子のモント
ルイユは、言語明瞭にして・リズム明確な・そのしゃべりがある種の様式感覚
を呼び起こし、一座のなかでちょっと浮いた異質感が感じられました。そこに
当初三島が考えた女形の感触に通じるものがありました。フランス革命を目の
前にしたアンシャンレジームの閉塞した空気が重なってきます。本来、法・道
徳というものは社会の正義を体現するものです。一方、モントルイユが担う法
・道徳というは、アンシャンレジームの因習・惰性・固定観念みたいなものと
して捉えられます。それらは後のフランス革命で完全否定されてしまう運命に
あるものです。
旧弊の象徴モントルイユと劇中に登場しないサドが並列的に置かれるならば、
ルネはどういう位置に置くべきでしょうか、ここが問題になると思います。吉
之助が考えるには、第1幕から第3幕の間に、ルネは モントルイユとサドの周
囲をフラフラと浮遊していて、決してどちらかの側に付いているということで
はないのです。ルネはモントルイユと対立しているわけでは ありません。かと
言ってサドと対立しているわけでもないのです。「私は一体どうしたらいいの
・・」と悩み苦しみながら、あれやこれや考えて、しかし答えはなかなか出て
こないので、結局 ルネは動けないということです。本当は「動けない」のだけ
れども、傍から見ればルネは「動かない」ように見えるのです。傍から見れば
ルネは「サド侯爵夫人」であることから頑として動かないように見え ます。だ
からルネは貞淑であるように見えるのです。しかし、サドのことで・一番悩み
苦しみ・怒り・泣いているのは、間違いなく妻であるルネであるはずです。そ
このところが、新劇の二元論の解釈であると見えてきません。第1幕では モン
トルイユの 「サドと別れてしまいなさい」という説得に応じず、ルネは頑とし
て貞淑な妻であることにこだわっているように見えます。
史実に拠れば、七年戦争に従軍したサドは、帰還後に治安判事モントルイユの
娘に求婚しますが、彼女の父はこれを拒絶し、その代わりに彼女の姉ルネとの
結婚を取り決めたということだそうです。詳しいことを調べる気もないですが、
ルネとサドとの結婚はどうも当人たちが乗り気でないところで進められた感じ
で、政略結婚の匂いがぷんぷんします。まあそれはともかく、第1幕でのモン
トルイユの会話にもある通り、モントルイユ家にはサド家が及ばぬ財産があり、
この婚約でモントルイユ家はブルボン王家とご縁つづきになったわけです。そ
のなかで長女ルネは 両親のご期待に沿うべく育てられ、予定通り侯爵夫人に納
まって、貞淑な妻を演じているということです。「サド侯爵夫人」の粗筋をひ
と言で言うと、ルネは頑なに貞淑な妻を演じ続け、最後の最後になって突如変
心して・夫サドを捨てて修道院に入ったということになる と思います。しかし、
芝居を見ると、母親モントルイユの眼から見たルネの印象は、芝居が進行する
なかで、コロコロと変化しています。
まず第1幕、「サドと別れてしまいなさい」という説得にルネは応じません。
モントルイユは「お前(ルネ)は聖いものと穢れたものとを一つなぎにして、
自分をおとしめている」と言います。モントルイユから見れば、ルネは夫であ
るサドを あくまで信じて、「夫に尽くすことは妻の務めなのです」とでも言い
たそうに見えます。これが第1幕の前半のルネのイメージですが、幕切れ近く
なって妹アンヌが登場、アンヌがサドと一緒にベニスへ旅行して・しかもルネ
がそのことを容認していたことを知って、モントルイユは驚愕します。モント
ルイユは、ルネがただの貞淑な妻ではないらしいことに気が付きますが、ルネ
の 真意はまだ分かりません。第2幕では更に驚くべきことに、サドの不道徳な
行為にルネも巻き込まれていたことが明らかになります。モントルイユはルネ
を見て「ああ、そういうお前の顔が・・・アルフォンヌに似てしまった、怖ろ
しいほど」と言います。これに対してルネは微笑して「アルフォンヌは、私だ
ったのです」と言います。ここでルネの清らかなイメージは完全に崩れます。
しかし、「夫に尽くすことは妻の務めなのです」という 一点においてルネは依
然として貞淑な妻の位置に固執し続けているように見えます。第3幕では、サ
ドがまもなく牢獄から出所することか知らされます。それならばルネは、19
年間待ち続けた夫が やっと自由の身になるのだから、これからは夫と一緒に暮
らすのかと思いきや、意外やルネは既に修道院に入る手続きを済ませています。
ルネは獄中でサドが書いた物語の主人公のことを挙げ、あの時に「アルフォン
ヌは私です」と言ったのは 間違いで・「本当はジュスティーヌは私なのです」
と言い、夫サドへの賛美(と思える)ことを叫びます。しかし、それでもルネ
は夫と別れて修道院へ入ると言うので、モントルイユは驚きのあまり声も出ま
せん。モントルイユにはまったく理解が出来ぬまま幕になります。
傍目には頑として動かないように見えるルネも、母親モントルイユの眼には娘
の印象が、劇の進行のなかで絶え間なく変化して見えるのです。モントルイユ
が、娘は「こんな風に思っているのだろう」と・半ば期待も交えて考えている
ことの、ルネはことごとく逆を行きます。そして最後に大どんでん返しが待っ
ています。革命により旧体制は崩れ、これまでの法・道徳はもはや通用しなく
な ってしまいました。 これこそモントルイユが後生大事にしていたものです。
サドの時代がやってきたように思われます。幕切れのサドへの賛美の台詞を聞
けば・ルネが夫と別れる理由は何もないように思えます。しかし、ルネは「そ
のことはこれから残る生涯を、修道院のなかでどっくりと神に伺ってみること
にします」と言うのです。あっけないほど簡単に ルネは夫を拒否してしまいま
す。ルネの心のなかで一体何が起きたのか。このことを考えるためには、モン
トルイユとルネという・二元対立構図を捨て去る必要があります。
6)その選択の軽さ
『もう少しで、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで、人間の最奥の
秘密、至上の神殿の扉に触れることができずに、サド侯爵夫人は自ら悲劇を拒
み、レームは悲劇の死の裡(うち)に埋没する。それが人間の宿命なのだ。』
(三島由紀夫:「一対の作品~「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」・昭
和44年5月・劇団浪漫劇場プログラム)
『もう少しで、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで・サド侯爵夫人
は自ら悲劇を拒み・・・』とは一体どういうことか。吉之助はここで「本朝廿
四孝・十種香」の八重垣姫のことを思い出しました。別稿「超自我の奇蹟」は
ワーグナーの歌劇「さまよるオランダ人」とのコラボレーションですが、この
論考のなかで述べた要点をお浚いしておきます。八重垣姫は大名の娘ですが、
彼女に期待されることはよい縁組み(政略結婚)により家の安泰・あわよくば
勢力拡大を計ることでした。「父の取り決めた許婚を夫とし・尽くせ」という
ことで八重垣姫は、家の期待を一身に背負って育てられてきたのです。八重垣
姫は切腹した(と思われている)許婚・勝頼の絵姿ばかり見て暮らしています。
そこに絵姿そっくりの男・蓑作が現れます。八重垣姫のなかに「あの男が絵姿
の男だから・彼に尽くせ」という超自我の声が響きます。そこから八重垣姫は
俄然積極的になります。 八重垣姫のアイデンティティーは「あの男は絵姿の男
だから尽くせ ・恋せよ」という超自我の命令によって維持されます。絵姿の男
に尽くさなければ自分は生きていると感じない・絵姿の男に尽くさなれば罪悪
感を感じてしまうのです。その喜びは決して自然発生的な喜びではありません。
父親の願いと沿っていると見える状況においてはその実相があからさまに見え
て来ることはありません。「どんな状況であったとしても・たとえ父親が逆ら
ってでも・絵姿の男に尽くせ」という状況になって八重垣姫が自己のアイデン
ティティーにどれほど忠実であるかが試されることになります。次の「狐火の
場」で、諏訪明神に守護する狐が現れ・その狐に守護されて・八重垣姫は勝頼
の元へと諏訪湖を渡っていきます。一方、「さまよるオランダ人」では、呪わ
れた宿命にあるオランダ人を・ゼンタが海に身を投げることによって救い出し
・ ついに昇天させます。どちらも超自我が引き起こす奇蹟です。「究極の思い
こそが奇蹟を起こすのかも知れない」というのが作品の主題です。
「サド侯爵夫人」のルネを見ます。モントルイユ家は名誉も財産もあり、あと
の望みは家柄だけでした。長女ルネは両親の期待を背負って育てられ・サド侯
爵家と縁付き、これでモントルイユ家はブルボン王家とご縁つづきになったわ
けです。ここまでは予定通りでした。しかし、サドが乱行を始めたことで事態
が一変します。「別れなさい」という母親の説得に耳を貸さず、ルネは頑なに
貞淑な妻を演じ続けます。「どんな状況であっても、親に逆らっても、夫に尽
くすことは妻の務めなのです」という感じなのです。これ がルネのなかの超自
我の声です。
とするならば、ルネはその究極の思いによって奇蹟を引き起こさなければなら
ないことになりますが、最後の最後に・いよいよ夫が牢獄を出所して戻ってく
るという段で、ルネは「やっぱ、アタシ、や~めた」と感じで投げ 出しちゃっ
たのです。だから、期待されたはずの奇蹟が起こらなかったのです。これが三
島の言う「もう少しで、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで・サド
侯爵夫人は自ら悲劇を拒み・・・」ということです。それならば超自我の強制
にも係わらず・ルネが何故「やっぱ、アタシ、や~めた」となったのかという
ことが当然問題になるでしょう。これについては、ドイツの演出家ヨアヒム・
ヘルツがゼンタについて書いている ことが参考になります。
『ゼンタという女性のなかに、われわれはロマンティックな精神的な態度を芸
術家が透視するように見た象徴的な姿を見ることができる。彼女は自分の環境
に満足できない。なぜならそこには完成すべき行為というものがないからであ
る。彼女にはふたつの道だけが開かれている。ここから逃げ出すか、あるいは
自分のために夢の世界を創り出すか。夢の世界でなら、生活が彼女にかなえて
くれなかった偉大な 行為がまだ可能だった。彼女の憧れは自分の人生のための
生き甲斐を求めることだった。彼女の生まれつきの強さが、健全な性格が、彼
女の周囲のもったいぶって偉ぶるものに反抗して自己を主張する。』(ヨアヒ
ム・ヘルツ:「さまよえるオランダ人の演出」・1962)
ルネには完成すべき行為というものがありません。ルネにはふたつの道だけが
開かれています。ここから逃げ出すか、あるいは自分のために夢の世界を創り
出すか。ルネにとって、ふたつの選択肢は等価なのです。右に行くか・左に行
くかとか、正しいか・間違っているかとか云う決定的な重い選択肢ではなくて、
どちらを選んだって良い・どちらを選んだって大して変わりゃしないと 云う軽
~い選択肢なのです。後者の選択肢(自分のために夢の世界を創り出す)につ
いて、第3幕でルネは「お母様、私たちが住んでいるこの世界は、サド侯爵が
造った世界なのでございます」と言っています。第2幕までルネはその線で貞
淑な妻を頑固に演じ続けていた のですから、サドの幻想の世界のなかにルネが
住み続けるという選択肢は確かに大いにあり得たはずです。ルネはそういう選
択を既にしたのだと周囲も思い始めていました。ところが、夫が牢獄を出所し
て戻ってくるという段になって・ルネは周囲があっけに取られるほど簡単に夫
を投げ捨ててしまいます。これはルネのなかで物凄く重い決断がなされたよう
に思えるかも知れませんが・実はそうではなくて、「やっぱ、アタシ、や~め
た」という感じで ・その決断がとても軽~い レベルでなされています。これ
はルネのなかでの主体が軽いことを示しています。主体が脆弱ということでは
ないのですが、奇蹟を引き起こすというほどには重くはないということです。
主体の軽さが、選択を軽いものにしています。 ここに八重垣姫やゼンタとの決
定的な違いが見えます。
この違いは近松半二の生きた時代(江戸中期)と三島由紀夫の生きた時代(昭
和)の違いということかも知れません。別稿「超自我の奇蹟」で触れた通り、
江戸期の寺子屋教育で「廿四孝」の説話が重要な教材 となったのは、「究極の
思いが奇蹟を引き起こす。その時に奇蹟は起こるのかも知れない」ということ
を素直に信じられる時代であったからです。そこに江戸庶民の健全さがあった
のです。一方、三島は奇蹟を信じたくても・信じ切れない現代の人間でした。
まして三島は敗戦時に「結局、あの時に神風は吹かなかった」という挫折を味
わった世代でした。しかし、ルネが夫を捨ててしまうことについて、「奇蹟は
起こることはない・神風は吹くことはない」という絶望だなんて読むならば 、
これは読み方があまりに単純に過ぎます。作家の発想というものは、そんな単
純なものではありません。(例えば短編「海と夕焼」(昭和30年)など を参
考にすれば良いと思います。)吉之助は、ルネの選択に軽さを見たいのです。
ルネが「やっぱ、アタシ、や~めた」となるところに、別に奇蹟を拒否したと
いうわけでもなく、何となく貞淑ぶっているのがかったるくなってきたという
程度の選択の軽さを見たいわけです。
これはルネが主体を持っていないということではありません。超自我は主体と
一体化しているのですから、ルネは自分が貞淑な妻であるために自分がどう振
舞うべきかを、あれやこれや考えて・ 一生懸命試して来たのです。それは母親
のモントルイユを驚かせることばかりでしたが、両親に教育された通り・貞淑
な妻であるべくルネは努めてきたわけです。ルネの行動はどれもこれも彼女の
心情のまことを表しています。しかし、それは決して長続きはせず 、貞淑な妻
のあるべき姿の理想は一向に見えてきません。その原因はルネにばかりあるわ
けではなく、もちろん夫サドのせいが大きいのです。それでも夫サドが絵姿で
ある間は・つまり牢獄にいる間は、いろいろやっていればそれで満足できたの
です。ところが、夫が牢獄を出所して戻ってくる段になって・ルネは急にかっ
たるくなって来るのです。これまであれやこれや試してきたものだから、イザ
現実に向き合うという段になると貞淑な妻のあるべき姿の理想がスルリと抜け
落ちてしまって・そんなものがあったのかどうかさえ自分で分からなくなって
しまう。そうなると夫を捨てるという選択が意外なほど簡単に思えてくる。夫
を捨てるか、あるいは自分のために夢の世界を創り出すか。どちらを選んだっ
て大して変わりゃしないわという軽い選択になってしまうわけです。
吉之助が、今回(平成24年3月)世田谷パブリック・シアターでの蒼井優の
ルネに狂乱場面のオフィーリアを思い出したというのは、そういうところです。
幕切れで、「お帰ししておくれ。そうして、こう申し上げて。「侯爵夫人はも
う決してお目にかかることはありますまい」と。」という最後の台詞を言い終
わった後の優ちゃんの晴れやかな笑顔がとても印象的でした。「ワァ、言っちゃ
った~」というスカッとした表情でしたね。こうして観客が内心期待していた
奇蹟のドラマを、ルネは最後の最後に自ら投げ捨ててしまうのです。
7)配役バランスの妙
ここで大事なことは、ルネのなかで、夫の所業に対する悲嘆と困惑と同時に、
「私は妻としてどう振舞うべきか・ああすれ良いか・こうすれば良いかという
葛藤と・自問自答が絶えずあるということです。その試行錯誤のあれこれが、
母モントルイユから見えると・母が考えていることごとく逆を行き・驚かせる
ばかりなのですが、ルネ本人からすれと・それは試行錯誤の結果で・それらは
ことごとく等価なのです。等価であるから簡単に乗り換えられることができて、
その選択が軽いのです。しかし、その選択が軽いからと云って・ルネが深く考
えていないということではないのです。「私は妻としてどう振舞うべきか」と
いう答えがひとつに決まらない・決められないということです。ですから、三
島が云っている「ロゴスとパトスの相克の構図」というものはルネの心のなか
にあるものです。
新劇の二元論ではモンルイユはアンシャン・レジームの象徴としてルネと概念
的に対立しており、旧社会の規範・道徳で以ってルネを押さえ付けようとして
いると見ます。母と娘の対話の応酬のなかにロゴスとパトスの相克の構図を見
るという設計であると思います。これは脚本だけ読めば解釈として十分あり得
ますが、三島がエッセイで記していた「もう少しで、さしのべた指のもうほん
のちょっとのところで、サド侯爵夫人は自ら悲劇を拒み・・」という意図を納
得させるものではありません。
一方、吉之助の見方はモンルイユをアンシャン・レジームの象徴と見る点では
同じですが、吉之助はモンルイユをルネの周囲で動き回って、ルネが「私は妻
としてどう振舞うべきか・ああすれ良いか・こうすれば良いか」と深く考えよ
うとしているのを、引っ掻き回し・ある時は邪魔し・ある時は決断を急かす道
化みたいな騒がしい存在であると見るわけです。恐らく三島が当初予想してい
たモントルイユの位置付けはそんなところだろうと吉之助は思います。そのた
めに三島は新劇にとって異形の存在である女形の起用を考えたのですが、三島
の当初予想よりルネとモントルイユの対話量が増えてしま い・そのためモント
ルイユを戯画的存在のほど良く小さい役に出来なくなった・それで女形起用を
断念したというのが、吉之助の推測です。
今回(平成24年3月)世田谷パブリック・シアターでの蒼井優のルネを吉之
助が評価したいのはこの点です。確かに蒼井優は台詞に頼りないところがあっ
て・対話で白石加代子(モントルイユ)と真っ向ぶつかって論理と気迫で応酬
するという場面にはならないのです(それが物足りないと感じる方は当然いる
と思います)が、結果としてそれがお定まりの新劇の二元構図を崩してしまう
という思わぬ効果を生んでいます。蒼井優のルネの台詞は、彼女のその時々の
真実を語っているのですが、同時にそれが彼女自身に言い聞かせるモノローグ
のように空ろに聴こえます。 それがオフィーリアに似るのですが、ルネは「私
は妻としてどう振舞うべきか・ああすれ良いか・こうすれば良いか」をあれや
これや考えて試行錯誤をしますが、それは決して結論になることはなく、だか
らその行動も一時的で重みを持つことはないのです。ですから、蒼井優のルネ
は、モントルイユとの対立という ・これまでの新劇のお定まりの構図からスル
リと抜けてしまいました。結果的に白石加代子(モントルイユ)の方も 、戯画
的な・それゆえに異形な・三島が当初予想していた女形の感触を十分想像でき
るものになっています。そして、一番大事なことですが、三島がエッセイで記
していた「もう少しで、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで、サド
侯爵夫人は自ら悲劇を拒み・・」という意図を 十分納得させます。ルネは、そ
の思いで奇蹟を引き起こすことなく、「やっぱ、アタシ、や~めた」とドラマ
を投げ捨てます。
こういう書き方をするとルネが役として弱いのが怪我の功名だったみたいに思
われるかも知れませんが、蒼井優は第3幕の幕切れの場面は輝いて「もう少し
で、さしのべた指のもうほんのちょっとのところで奇蹟のドラマが起きたのに
・・・」というところを十分表出できてい て・よく頑張ったと思います。これ
は配役の妙、配役のバランスが生む思わぬ効果と言えましょうか。この配役バ
ランスが意図して出来たものならば、演出の萬齋のキャスティングの眼は大し
たものだと思いますねえ。
それにしてもカーテンコールで「ラ・マルセイエーズ」が繰り返し鳴り響いた
のは、二元論的発想でちょっといただけませんでしたねえ。このカーテンコー
ルでは、サドは既成道徳に反抗した人物のように見えて(まあそういう側面も
ないわけではないですが)、出獄を許されたサドはフランス革命後はわが世の
春を謳歌したように見えかねないと思います。史実に 拠れば、サドは1790
年4月出獄(第3幕の時期に相当)の後、ナポレオンによって狂人とされ、1
803年に精神病院に再び閉じ込められ、1814年にそこで没しました。
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