2009/11/08
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第259号
********************平成21年11月8日発行****
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メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第259号 ◎
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こんにちは、吉之助です。本号は本年6月歌舞伎座での仁左衛門が一世一代で演
じた「女殺油地獄」に関する論考で・和事の演技の特殊性について考察していま
す。「女殺油地獄」は現代的な題材ですが、これまで「歌舞伎素人講釈」では取
り上げていませんでした。さらに別の機会に与兵衛の性格分析に関して論じる予
定です。
なお前号は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に関連した論考でしたが、続編
をサイトの方にアップしています。
「村上春樹・または黙阿弥的世界・その3」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh63.htm
ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
和事芸の多面性
~平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」
片岡仁左衛門(与兵衛)、片岡孝太郎(お吉)
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○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その1
現代では近松門左衛門と言えば江戸時代最高の戯曲作家としてその名を知らぬ
者はありません。人気も高くて近松が芝居に掛かれば満員間違いありません。
もちろん江戸時代も近松の評価は 相当なものでした。しかし、江戸時代も終わ
りになった頃の歌舞伎では近松で上演されるものは限られており、しかも・も
っぱら改作物に拠ることが多かったのです。近松の盛名はオリジナルの上演で
はなく・もっぱら改作で維持されてきたとさえ言えます。例えば現代では人気
作である「曽根崎心中」はずっと上演が絶えていて、歌舞伎で上演されたのは
昭和28年8月新橋演舞場の二代目鴈治郎(徳兵衛)と二代目扇雀(お初)によ
る上演が久しぶりのことでした。ただし宇野信夫による脚色は紀海音による改
作を下敷きにしたものではありますが。現代では「女殺油地獄」は評価がとて
も高いですが、この作品が人気になるのは明治42年10月大坂朝日座 で二代目
延若(与兵衛)と二代目魁車(お吉)の舞台が評判になって以後のことになり
ます。これは文楽でも状況はほとんど同じで・江戸時代には両作品の上演は初
演以来絶えていました。これはどういうことか・その辺の事情をちょっと考え
てみたいのです。
近松門左衛門が人形浄瑠璃(文楽)に専念する以前に歌舞伎で提携したのが初
代坂田藤十郎であったことはご存知の通りです。藤十郎の上方和事は江戸の初
代団十郎の荒事とならんで・ 元禄期の演技様式として歴史的にとても重要であ
り、同時にそれは近松と切っても切れない関係にあるものでした。しかし、現
代では藤十郎が演じた上方和事の作品群は廃絶して、「廓文章」の伊左衛門や
「河庄」の治兵衛などの演技にその痕跡を見るに過ぎません。歌舞伎の解説書
などによく書いてあるポイントは、藤十郎の代表的な上方和事は傾城買いであ
ったこと・そこに「やつし」の味わいがあったということです。「やつし」と
は主人公が落ちぶれて・本来の身分を想像できない哀れな姿で登場し・人々の
同情を誘う演技を指すとされています。それはもちろん間違いではありません
が、しかし、それは現代の歌舞伎の「廓文章」や「河庄」の舞台を見て ・そこ
から和事を規定するからそのような限定的なイメージになるのです。上方和事
の本質をもう少し枠を拡げて考えれば、藤十郎の上方和事がどういう形で次代
に受け継がれ・役柄や演目が発展していったかが分かると思います。
別稿「和事芸の起源」では折口信夫の「誣(し)い物語」の考察から、初期の
歌舞伎のシリアスな役どころにおいて・「誣いる要素」を中和するために滑稽
味や諧謔味が必要であったということを考察しました。どこまでも真面目であ
るべき和事の役柄が三枚目的な部分を兼ね備えてこそ一人前であるということ
になるのです。ですから和事の芸を滑稽な三枚目的要素・あるいはナヨナヨヒョ
ロヒョロした弱々しさに見ようとする傾向が現代ではどうしても強いのですが、
本当はシリアスな要素の方に和事の本質を見るべきなのです。折口は次のよう
なことを言っています。
『吉田屋主人の喜左衛門は、戸板(康二)君の意見と逆になるが、私は立敵のよ
うな人がいいと思う。大阪では荒治郎という人がなかなか良かった。女房が夕
霧の話をするのを、ちょっととめるところがあった。仲をせくというほどでは
なくても、そんな気分が喜左衛門のどこかにあるのだ。それが本当だと思う。
私は子供の時見て、その感じが分かった。鴈治郎(初代)が伊左衛門だと、梅
玉(二代目)の喜左衛門は、どうしてもいたわるようなところがあったが、あ
れだけの茶屋の主人なのだから、毅然としたところを持っていた方がいい。訥
子では格も違うが、話にならないね。私は立敵風の役を伊左衛門と対照させた
い。』(戸板康二:「折口信夫座談」)
伊左衛門の「恋も誠も世にあるうち」とか「七百貫目の借金負ってビクともい
たさぬ伊左衛門」という台詞に伊左衛門という大阪商人の意気地が出ているの
です。伊左衛門から そのような強い性格を引き出すために、吉田屋喜左衛門を
立敵風に仕立てて・客を冷たくあしらうようにしなければならぬと折口は言う
のです。舞台の伊左衛門を見ていると・苦労をまったく知らな い大店のボンボ
ンで・ちょっと頭の方も弱そうな感じがしますから意気地ということがピンと
来ませんし、それだと三枚目との兼ね合いが難しいと思うかも知れませんが、
意気地がごく自然な形でやんわり出るのが上方和事なのです。ですから伊左衛
門のじゃらじゃらした阿呆ボンぶりだけが上方和事だと思うと「やつし」のシ
リアスな要素を見落とします。
しかし、現実には藤十郎の上方和事あるいは「やつし」は技芸としては、もっ
ぱら哀れとか滑稽という側面・ナヨナヨとした弱い印象によってのみ捉えられ
て、以後の歌舞伎に受け継がれたことは事実です。その典型 が「つっころばし」
の芸で、例えば「双蝶々曲輪日記・角力場」の与五郎です。この与五郎のイメ
ージを伊左衛門に移して処理すれば・現代の歌舞伎の舞台で見られる伊左衛門
になるわけです。
○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その2
藤十郎の上方和事と呼ばれるものは、現行の歌舞伎の和事と印象が大分違うも
のだったと想像します。「やつし」というのは主人公が落ちぶれて・本来の身
分を想像できない哀れな姿で登場し・人々の同情を誘うような演技を言うとさ
れています。しかし、実はそれは表面的なことで、落ちぶれた身分の落差・哀
れさが「やつし」の本質なのではないのです。「やつし」の本質とは「現在の
自分は不本意ながら本来自分があるべき状況を正しく生きていない・自分は仮
の人生をやむなく生きており・本当の自分は違うところにある」という思いに
あります。藤十郎は傾城買いの芸を得意としました。不本意にも仮の人生を生
きなければならぬとすれば・その憤懣と虚しさはどうしようもなく、その憂さ
を晴らすために一時の虚しい楽しみに走らざるを得ないというのが傾城買いの
本意です。ですから「やつし」の役柄の内心に沸々とするところの「墳(いき
どお)り」の強さこそが藤十郎の上方和事の芸であったのです。つまり藤十郎
の和事には・吉之助が言うところの「かぶき的心情」の強さがあったのです。
このことが分かれば仇討ち狂言において非人に身を落としながら仇を追いつづ
ける役どころ ・代表的なのは「大晏寺堤」の春藤次郎右衛門ですが、あるいは
「忠臣蔵・七段目」の大星由良助・さらには「盟三五大切」の源五兵衛さえも
「やつし」の延長線上に捉えることが出来るわけです。これすべて「自分は仮
の人生を生きざるを得ない」という認識から発するものだからです。ですから
藤十郎の芸は技芸として確かに廃絶したわけですが、実は藤十郎の精神は歌舞
伎の役どころの別なところで脈々と生きているのです。現代ではこのことがす
っかり忘れ去られてしまって、藤十郎の芸は傾城買いのナヨッとした芸みたい
に思われています。しかし、藤十郎の上方和事の芸は もっと凛としたものだっ
たと吉之助は思います。
以上のような経緯で「河庄」の治兵衛・「封印切」の忠兵衛などはその後の改
作によって・そのようなナヨナヨとした弱々しい性格が強められていき、歌舞
伎の和事の役どころはそのようなイメージで位置付けられ・受け継がれてきた
わけです。このように考えると「曽根崎心中」の徳兵衛や「油地獄」の与兵衛
が江戸時代に演じられなかった理由も感覚的に理解できると思います。まず徳
兵衛は和事の系統として見た場合、その生き方が妙に生真面目で 熱過ぎるので
す。与兵衛も殺人犯ですから演者がなかなか感情移入できないのは当然ですが、
与兵衛の性格もどこか偏執狂的にカーッと来る熱い側面があって、これも歌舞
伎のパターン処理では役どころが巧くはまらないものです。現代においては自
然主義的な観点から近松作品の理解がされていますから・そのようなことにあ
まり違和感を感じないと思いますが、「曽根崎」や「油地獄」は江戸時代には
主人公の複雑な性格付け は後年の戯作者が改作してもなかなか巧く処理しきれ
なかったのであろうと推察します。逆に言いますと、明治以降に自然主義的の
観点から徳兵衛や与兵衛の多面的性格の解釈ができるようになってはじめて 、
これらの近松作品が再評価され・復活したということです。
先に書いた通り・「女殺油地獄」が人気になるのは明治42年10月大坂朝日座
で二代目延若が与兵衛を演じて以後のことでした。延若はとても優れた上方芸
を持つ役者でしたが、当時の上方和事の名手と言えば・もちろんそれは初代鴈
治郎のことでした。ガンジロハンと言えば「頬かむりの中に日本一の顔」とい
うことで、その最大の当たり役は「河庄」の紙屋治兵衛(紙治)でした。その
鴈治郎が何度か「油地獄」の与兵衛を勧められても・どうしても承知しなかっ
たということです。与兵衛を勧めた人がどういうつもりで鴈治郎にそれを言っ
たかは分かりませんが、多分「鴈治郎は和事の名手=近松の名手」ならば鴈治
郎に近松の「油地獄」はできるという単純発想であったのかなと思います。学
者先生に勧められて「心中天網島」の原作準拠上演なども鴈治郎はしておりま
した。鴈治郎=近松のイメージは世間に結構強かったと思います。鴈治郎が与
兵衛を嫌がったのは延若が当てた役ということもあったかも知れませんが、や
はり紙治のパターンで与兵衛は処理できぬということが大きかったと思います。
上方芸のなかで延若は鴈治郎とは違う系統を引いています。鴈治郎のように洗
練された感覚ではなくて、大坂では「だだこしい」と言いますが・ゴチャゴチャ
と整理されていない猥雑な感覚で した。延若は自然主義の影響を受けた与兵衛
の性格解釈をそのような「だだこしい」芸風で処理したのだと思います。
「曽根崎心中」の徳兵衛について鴈治郎がどういう評価をしていたかは分かり
ませんが、多分勧められれば拒否したと思います。そもそも軒下でお初の足を
取って自分の喉に当てるなどという惨めな演技は鴈治郎が好まぬものですし、
これはどう考えても和事の領分ではないからです。昭和28年8月に復活された
「曽根崎」は二代目鴈治郎によるものですが、実は二代目鴈治郎の芸風は父親
(初代鴈治郎)の芸を素直に継いでおらぬのです。これは二代目と初代がうま
く行っていなかったということではなく、上方の芸の受け渡しという ものがそ
ういう在り方であったのです。初代はどんなに人に勧められても「そんなこと
してもガンジロウの偽物ができるだけだす」と言って自分のやり方を息子に決
して教えませんでした。ですから二代目鴈治郎の芸風は、父親のやり方を基本
にしながらも・延若の影響が意外と強いものだった言われています。その点を
考えれば徳兵衛を復活したのが初代ではなく・二代目鴈治郎であったこともな
るほどと納得できるものがあると思います。
○平成21年6月歌舞伎座:「女殺油地獄」・その3
このように初代藤十郎の芸はその後の歌舞伎において滑稽な三枚目的要素・あ
るいはナヨナヨヒョロヒョロした弱々しさの側面で捉えられ・上方和事として
定着しました。この事実はそれなりの意味があることで、これを歴史的経緯と
して踏まえることはもちろん大事なことです。しかし、折口信夫が指摘した通
り・上方和事のシリアスな要素を念頭に入れないと特に近松作品の理解は一面
的なものになってしまいます。近松と藤十郎との提携による「傾城仏の原」や
「壬生大念仏」などの純歌舞伎は現在は上演されることがありません。現在で
は藤十郎の芸はほぼ廃絶しており、その芸風は文献から想像するしかないので
す。近松は元禄16年(1703)に藤十郎の一座から離れ・「曽根崎心中」
以降は浄瑠璃作品の方に専心し、その後に歌舞伎を書くことはありませんでし
た。しかし、ここで忘れてはならない 重要なポイントは、その後の近松が浄瑠
璃を書く時にその主人公の性格描写に藤十郎の芸が反映していないはずは絶対
にないということです。つまりシリアスな要素と滑稽な三枚目的要素が交錯す
る演技・そのようなアンビバレントな性格表現を近松の世話物の主人公たちに
見たいと思うわけです。
「油地獄」の与兵衛に話を絞りますと、現代演劇で与兵衛を演じる場合、ある
瞬間にフッと顔を覗かせる狂気・別の人間になったかの如くガラリと豹変する
人間の二面性・あるいはその生い立ちから来るところの精神的未熟という側面
などにどうしても興味が行きますから、これらの諸要素を統合して・矛盾のな
い一貫した性格表現を目指そうと現代の俳優は考えるだろうと思います。そう
なると与兵衛の人間像はシリアスというよりも・ニヒルな様相の方にどうして
も傾いてしまいます。自然主義の観点からするとこれは当然のことです。しか
し、それであると歌舞伎にはなりません。現代演劇がアンビバレントな様相を
リアルに克明に描き出そうと すればするほど、与兵衛の心の暗闇は救いようの
ないものに見えることでしょう。虚無的な不良っぽい与兵衛では慰(なぐさみ)
にはならぬということです。近松が「虚実皮膜論 」で説いている如く、「芸と
いふものは実(じつ)と虚(うそ)との皮膜の間にあるもの」ということが大
事なのです。与兵衛を歌舞伎にするには、性格の矛盾をそれとして容認する余
裕・というか大まかさが必要になります。アンビバレントな性格表現を様式そ
のものにしてしまう演技術が必要なのです。恐らく明治42年に二代目延若が
演じて評判を取った与兵衛はそこに工夫があったに違いありません。 アンビバ
レントな要素を根源的に持つのが和事の演技様式だからです。
そこで平成21年6月歌舞伎座の「女殺油地獄」で仁左衛門の演じた与兵衛で
すが、シリアスなところはシリアスに描き・滑稽な三枚目的なところはそのよ
うに描くという ・その場その場の局面々々をそれなりに真実に描く与兵衛なの
です。自然主義の観点から見ると、残酷な殺しをやる人物があのように人の良
い愛嬌のある人間であるはずがないとか、あのよう な性格のひ弱な人物がどう
いう心理過程であれほど残忍になれるのかとか・そのような見方になってしま
います。そうすると殺人の動機と行動の一貫性・性格の統一に疑問が生まれて
くると思います。現代人に与兵衛という人物の理解が難しいのはその為です。
しかし、それは次のように考えれば良いのです。与兵衛の取る行動は第三者か
らみればバラバラで・一貫性のないものに見えても、どんな時においてもそれ
らは彼の真実から出ているのです。遊び呆けている時も・両親に対して反発す
る時も・親の情にほだされて泣く時も・殺意に燃えて刃を握る時も、その時そ
れぞれに何かしら与兵衛の真実があるのです。人間というものはそのようにア
ンビバレントな・統合しきれない存在であるという風に近松は与兵衛を描いて
いるからです。そこにシリアスな要素と滑稽な要素が脈路なく交錯します。仁
左衛門が演じる与兵衛は和事のふたつの要素の配合のバランスがとても巧くて、
まことに歌舞伎らしい愉しみのある与兵衛であるなあと感じ入る見事な演技で
す。もしかしたらあまり深く考えていない大まかな表現に見えるかも知れませ
んが、実はその大まかさが独特の風味を醸しだしており、それが人間のある本
質をやんわりと突いているのです。和事とはそのようにアンビバレントな様相
を描き出し・なおかつそれを慰(なぐさみ)・愉しみとすることのできる不思
議な演技様式なのです。
(本号に関連するサイトの記事)
「和事の起源」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin92.htm
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