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歌舞伎・文楽などの伝統芸能を材料にして、「日本のこころ・芸のこころ」を、民俗学的・歴史学的あるいは心理学的に、さまざまな角度から考えていくメール・マガジンです。

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2009/09/20

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第257号

********************平成21年9月20日発行**** 
                               ◎
      メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第257号     ◎ 
                                        
     ◎       連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
    ◎
************************************

こんにちは、吉之助です。すっかり秋になりました。

さて本号はサイトの雑談に掲載しました本年2月歌舞伎座での「三人吉三・大川
端」と8月歌舞伎座での「天保遊侠録」の観劇随想を二本立てにてお届けをしま
す。どちらも先日お届けした「アジタートなリズム~歌舞伎の台詞のリズムを考
える」に関連したものとなっています。

アジタートなリズム~歌舞伎の台詞のリズムを考える
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh60.htm

なおサイトの連載コーナーでは「歌舞伎とオペラ~新しい歌舞伎史観のための
オムニバス的論考」をゆっくりと連載中です。

ーーー<今回の話題・1>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

○平成21年2月歌舞伎座:「三人吉三巴白浪」~大川端庚申塚の場

坂東玉三郎(お嬢吉三)、市川染五郎(お坊吉三)
尾上松緑(和尚吉三)

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1)

「三人吉三」のようなお芝居は本来は通し上演でやるべきもので・「大川端」
だけの見取り上演は好ましいことと思いませんが、それだけ現代の観客には「
三人吉三」の因果のドラマが実感として受け入れにくい・通し上演であると特
におとせと十三郎の件が暗くてやり切れないということなのでしょう。「大川
端」の場だけなら三人の吉三郎のアウトローの魅力でレビュー感覚で楽しめる
ということかと思います。まあそれも分からぬことはありませんが、それなら
ば「大川端」は吉之助としてはお嬢吉三の名台詞「月も朧に白魚の・・・」を
どう際立たせるかということを指標に置いて舞台を見たいものです。ベルトル
ト・ブレヒトは「三文オペラへの註」のなかで、ソングについてこう書いてい
ます。

『歌を歌うことで、俳優はひとつの機能転換を行なう。俳優が普通の会話から
無意識のうちに歌に移っていったような振りを見せるほどいやらしいことはな
い。普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの平面は、いつもはっきり
と分離されねばならない。高められた会話が普通の会話のたかまりであったり
しては決していけないのだ。』(ブレヒト:「三文オペラへの註」~ソングを
歌うことについて)

「普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの要素をはっきりと分離しな
ければならない」ということをブレヒトは言っていますが、これは芝居とミュ
ージカル(あるいはオペラ)との中間である「三文オペラ」においては・どっ
ち付かずという印象を観客に与えてはならぬということです。 写実の台詞・様
式のソングの亀裂を観客に突きつけることで、それぞれの特質を際立たせるの
です。同じことがお嬢吉三のツラネ「月も朧に白魚の・・・」にも言えます。
「大川端」だけの見取り上演ならばなおさらのことです。そのツラネは状況か
ら切り離された詩として語られなければならぬと思います。それは間違いなく
台詞ではありますが、ドラマの機能としてはブレヒトのソングに実によく似て
います。

お嬢のツラネ「月も朧に白魚の・・・」には静かに流れる隅田川の 川面にユラ
ユラと揺れる月の光の揺らめきが感じられます。お嬢吉三はその直前におとせ
から百両の金を奪い・彼女を川に突き落とし、さらに刀(庚申丸)を振り上げ
て・周囲の人を追い払い(ただし残された駕籠のなかにお坊吉三がいることに
お嬢は気が付いてはいませんが)誰もいない状況で月の光を浴びながら詩心を
刺激されたのか・ゆったりとした気分で台詞を言うのです。ですから「月も朧
に白魚の・・・」という文句がお嬢の口からこぼれ始めるまでにしっかりとし
た段取りが欲しいと思います。 そしてコーンと鐘が鳴った瞬間に舞台の空気が
写実から様式にパッと切り替わる・そういう乖離感覚が欲しいのです。これは
今回の玉三郎のお嬢に限ったことではありませんが、今回もその点が十分とは
言えません。いつも思うことですが、手順が慌しくて・お嬢のなかに詩心が十
分に見えてこないうちに・お定まりの台詞に入るという感覚なのです。但し書
きを付けますと、お嬢のなかに詩心が見えるかどうかという問題は・ブレヒト
が言う「普通の会話の高められたもの」ということではなくて、もっとワープ
したところの・次元が違う言葉としてツラネはあるということなのです。

もうひとつ指摘しておきたいことは、玉三郎のお嬢は上を見て・つまり空に浮
かぶ月を見てツラネを言っている心持ちに見えるということです。(注:これ
は平成16年2月歌舞伎座で玉三郎がお嬢吉三を初役で演じた時もそうで した。
)これは吉之助は下を見てツラネを言って欲しいなあと思いますねえ。隅田川
の川面に光る月を見て欲しいのです。川面に映える月の光の揺らめきのなかに
詩があるからです。「月も朧に白魚の・・・」の七五調の台詞のリズムは月の
光の揺らめきの美しさ・それを見たお嬢吉三の感動から生まれています。その
台詞のリズムによってお嬢の目のなかに映る月の光の揺らめきが観客に伝える
ことが出来るはずです。吉之助は「月も朧に白魚の・・・」の台詞によって黙
阿弥の七五調の様式が完成したと考えています。それは西洋音楽のバルカロー
レ(舟歌)に共通した揺れるリズムなのです。(別稿「アジタートなリズム・
黙阿弥の七五調」をご参照ください。)

2)

ブレヒトは「普通の会話・高められた会話・歌唱という三つの要素は分離しな
ければならない」ということを言っていますが、まあこれは芸術上の立場によ
っても違ってくるでしょう。ブレヒトと同時代の人気オペレッタ作曲家であっ
たカールマンの代表作「伯爵令嬢マリッツァ」や「チェルダッシュの女王」の
クライマックス・シーンでは台詞から歌唱へ切れ目なく移行し・芝居と音楽が
渾然一体となっており、まさに現実と夢が交錯する音楽劇になっています。 例
えば令嬢マリッツァとタシロ伯爵が歌う第3幕の二重唱「ハイと言って頂戴」
を挙げておきましょうか。これなど恐らくブレヒトが最も嫌う形態でしょうが、
写実と様式の揺れという点で実に興味深く・かつ魅力的な実例なのです。しか
し、ブレヒトが目指すところはまったく逆の手法によって、様式としてのソン
グを ドラマと連関なく・切り取った絵のように提示してみせることで逆説的に
芝居(ドラマ)のリアルさを際立たせようという意図であると思います。つま
りブレヒトのスタンスとしては写実の芝居の方に重点があるのです。西欧にお
いても「三文オペラ」を芝居とするか・オペラと分類するかについては見方が
分かれるところですが、実際ブレヒト・ソングは役者が素人っぽく歌った方が
面白味があって 、節の付いた台詞というような感じで歌う方が良ろしいようで
す。(別稿「音楽ノート・三文オペラ」を参照ください。)ブレヒトにとって
ソングが必要であったというより 、歌うという反演劇的行為が必要であったと
いうことでしょう。

そこで「三人吉三・大川端」に話を戻すと、この芝居は世話狂言ですから・基
本スタンスは当然ながら写実(世話)に置きます。写実の芝居のなかにツラネ
という様式(時代)の要素が入り込んでくるそのギャップが面白いのです。そ
れならばお嬢吉三の「月も朧に白魚の・・・」という長台詞は大時代に朗々と
歌うべきでしょうか。吉之助はそうではないと思いますねえ。この芝居は世話
の地狂言(台詞劇)なのですから、ツラネとしての様式的な要素があり・また
独白でもあるから時代の感覚はあるにしても、やはりこの台詞の基本は写実で
あるべきなのです。ではどこで時代の要素を出すのかと言えば、それは美しい
娘だと思って見ていたはずが実はそれが男性であり・しかも盗賊であったとい
う衝撃(ショック)ということです。お嬢さまが男性であったという真実・つ
まり世話においては 本来的に自然であるべき「真実」という要素が、ここでは
歪んでグロテスクなものである。この逆転した感覚が黙阿弥の仕掛けなのです。
この場面においてはシチュエーション自体がすでに十分に時代の感触なのです
から・そのように段取りをしっかりと取るべきで、台詞は写実に重きを置く方
が時代を際立たせることになり・ドラマ的に正しいということが分かると思い
ます。つまりお汁粉の甘味を引き立てるために食塩をちょっぴり加えるのと同
じことです。またその方がこの後の三人の吉三郎がぶつかる場面にもスムーズ
につながります。台詞を様式的に歌うことは捻じれたバロック的な感覚をかえ
って嘘事・絵空事にすると思います。

ですから「大川端」の場合はお嬢が庚申丸で人を追い払った後・川端に向かっ
て歩いて決まり・「月も朧に白魚の・・・」という台詞を発し始めるまでの段
取りに十分な間合いを取って欲しいのです。例えば「楼門五三桐」で楼門上の
五右衛門が観客席を眺めながら・十分な間合いあって・ゆっくりと「絶景かな
絶景かな・・」と言います。それは五右衛門が眼前に咲き誇る満開の桜を見て
いる思い入れであるわけですが、これに似た間合いが欲しいと思います。もち
ろん「大川端」は世話場ですから「楼門」ほどの大時代ではないにせよ・お嬢
が眼前に川面に映る月の光の揺らめきに思わず詩心を湧き上がらせる・そのよ
うな間合いが欲しいのです。その間合いの感触が時代に似るのです。そうする
と「月も朧に白魚の・・・」の七五調の写実(世話)のリズムが生きてくるので
す。

3)

今回(平成21年2月歌舞伎座)の「三人吉三・大川端」 ですが、三人の吉三
郎が三者三様にそれぞれの七五調をしゃべっていて・様式の統一感など眼中に
無きが如しという・まことに不思議な舞台です。そのなかで特に玉三郎のお嬢
吉三は問題が多いように思われます。玉三郎のお嬢 は平成16年2月歌舞伎座
が初役で・これについては別稿にて触れましたからそちらをご覧いただきたい
ですが、今回はあれこれ考え過ぎで・初役の時より随分と崩れた感じになりま
した。もしかしたら玉三郎は「三人吉三」は写実の世話物でもあるから台詞に
リアルな感覚を持たせたいし・その一方で様式的な美しさも欲しいし・いろい
ろ役作りを試行錯誤した挙句何だか良く分からなくなってしまったかなと も思
えるお嬢なのです。

ひとつはおとせを騙る間の娘を装っているお嬢、二つ目は「月も朧に白魚の・
・・」とツラネを語るお嬢、三つ目はお坊に男の正体を見極められてからのお
嬢、玉三郎のお嬢ではこの三つの局面の調子(声の調子だけでなく・役全体の
雰囲気も)がバラバラになっています。この三つは 決してバラバラになっては
ならず・ひとりの人物の三つの側面という様相を見せて欲しいのです。ちなみ
に「月も朧に白魚の・・・」は本来は世話の長台詞というべきですが・ツラネ
の様式を取り入れたものですから・ここでは世間で言われる通りにツラネと呼
ぶことにしますが、玉三郎のツラネは早めでサラサラですが・ これはまあいつ
もの調子の七五調(要するにダラダラ調)です。これがお坊・和尚との会話にな
ると、一転してバラ描きで(散文調にパサパサとした調子で投げるように)言
うとまるで七五調の 面白さが出てきません。もともと太い声質でないのに・無
理して太い男声を作ろうとしているのも不自然に感じます。まあ現行の歌舞伎
の解釈では男性が女性を騙る技巧ということで・ひとつめと二つ目は分ける考
え方であろうと思います。そこは解釈に拠るということで・この場は譲ります
が、二つ目と三つ目で調子をあれほどガラリと変えるのは問題があると思いま
す。一応玉三郎の立場に立って考えれば、ツラネはお約束であるからいつもの
通りに言うが、会話の場面は様式的な陳腐さに陥らないようにして・写実で意
味のある会話にしたいという意図ということかも知れません。確かにそれも分
からないこともないですが、お嬢が「月も朧に白魚の・・・」と言う時・そこ
で既に彼の男性が完全に顕れているのですから、二つ目と三つ目の局面をガラ
リと切り替えるのは役の解釈としてやはり無理があると思います。ツラネとい
うものが「歌う」という時代の要素を持つ(この場面の勘所としてここは譲れ
ない)のですから、時代(歌う要素)を基調にして・そのなかにどうやって写
実(世話)の感覚を入れていくかという方向で役に筋を通して欲しいのです。
事実・後半の三人の吉三郎の応酬は「鞘当」の不破名古屋のかぶき者のドラマ
に似て・江戸の盗賊(彼らは幕末のかぶき者なのです)の男気を見せる芝居掛
かった場面なのですから、全体が時代(様式)の方に寄るのは仕方ないところ
です。しかし、もちろん「大川端」は世話場ですから写実(世話)を意識しな
ければならないのは当然です。もう一度言いますと・本来写実というのは真実
を映すものですが、この場の真実とは「美しいお嬢さんが実は男性で盗賊であ
った」というグロテスクで歪んだ真実なのであり、それは世話に相応しくない
要素ですから・時代の感覚になるということです。それでは写実(世話)が表
現すべきものは何かと言えば、それは三人の吉三郎が見掛けはツッパっていて
も・実はその裏にナイーヴな感性を持ちつつ必死で生きている若者たちである
という真実です。ですからお嬢吉三は・声の調子だけでなく役全体の雰囲気と
して時代(歌う要素)を基調にしつつ・絶えず写実(世話)の方向へ行きつ戻
りつする感覚が欲しかったなあと思うのですねえ。玉三郎は性のチャンネルの
切り替えのことを意識し過ぎに思われます。そういうことは吉之助にとっては
二の次で良ろしいのです。

4)

三人の吉三郎の出会いの場面は世話の「鞘当」みたいなものですから・感触は
どうしても様式の方へ傾きますが、そこはやはり世話場ですから基本は写実で
す。しかし、写実というのは玉三郎のお嬢のように台詞をバラ描きに言えばそ
れで写実の表現になるというものではないのです。「大川端」だけではなく・
 黙阿弥のどの作品にも、世話のなかに時代の影がフッと射す・あるいは時代掛
かった場面において世話の風がサッと吹くという場面があるはずです。黙阿弥
物は時代と世話に絶えず揺れており、時にそれがどちらかに大きく揺れること
があります。それは「揺れ」ですから・一旦時代の方に大きく振れたら、今度
は世話の方に揺り戻す力が内的に働くものです。だから黙阿弥物がひと色に染
まるということは決してありません。別稿「アジタートなリズム」において、
黙阿弥の七五調はその揺れるリズムのなかに世話と時代の要素の揺れる要素を
持っていることについて考察しました。黙阿弥の七五調は「七」(早く)の部分
が時代の要素が強く・「五」(遅く)の部分が世話の要素が強いと言えます。こ
の七五調の性質を利用すれば、「七」の部分にウェイトを置いて・そこを通常
の感覚より若干テンポ遅めにたっぷりと言えば時代をより強くすることができ、
そこを戻して・「五」の部分をテンポ早めてサラリと言えば世話をより強くす
ることができるのです。そうやって台詞のなかに世話と時代の揺れの濃淡を大
胆に付けていく。それで芝居の局面を時代に・あるいは世話に変化させること
ができるのです。逆に言えば、だから部分の色調が揺れても・全体としては七
五調の様式感を維持することができるのです。この技術が大事なポイントです。

しかし、現行のダラダラ調は一音符一語の二拍子が基本のリズムですから・こ
のように台詞の微妙な緩急をつけて・台詞に時代と世話の色調を微妙に変化さ
せるなんて芸当ができないでしょう。現代の黙阿弥物が単調に感じられるのは
そのせいです。染五郎のお坊の七五調は適度に音楽的な抑揚がついており、そ
の意味で素直なダラダラ調だと言えます。例えばお坊がお嬢に向かって「にい
さん、ちょっと待ってもらいたい」と言う時、この台詞はお坊の第一声で・役
の印象 を作るのに第一声はとても大事なのですが、ダラダラ調で言うと末尾が
伸びた感じに聞こえて・様式的な時代の感覚が強くなってしまいます。これで
お坊の性格が決まっちゃ うわけです。ここで写実の感触を強くするには「・・
もらいたい」の部分を若干詰めることです。たったそれだけのことでお坊は世
話の役になります。このような些細なことの積み重ねで「様式的かつ写実」の
芝居が出来上がるわけです。

松緑の和尚の七五調はどこか亡父・初代辰之助(三代目松緑)の口跡を思い出
させるところがあって、その意味で懐かしいところがあります。吉之助が歌舞
伎を見始めた昭和50年代の歌舞伎の黙阿弥物はすでにダラダラ調全盛でした
が、辰之助はその風潮に反抗するが如くにキビキビした早めの調子で七五調を
しゃべったもので、菊五郎劇団のなかでも異色の存在でした。ただし辰之助の
場合も基調は二拍子で・台詞に緩急が付いていたわけではないので、やはりリ
ズムの単調さは否めませんでした。むしろ辰之助の台詞術は新歌舞伎の役柄で
ひときわ光ったものでしたが、それは辰之助の台詞のリズム感覚が二拍子の急
き立てる感覚を持っていたからです。(これについては別稿「左団次劇の様式」
を参照ください。)話を松緑の七五調に戻しますと、松緑の早めのテンポで抑
揚をあまり加えない口調は、最初に耳にした時はサッパリとした写実の口調に
聞こえるかも知れません。ただし、それは最初だけのことで、その台詞をしば
らく聞けばリズムの単調さにすぐ気が付くはずです。表面的な感触は違うよう
でもダラダラ調の範疇を越えていないことが明らかなのです。テンポを速めた
だけで写実の表現になるわけではありません。

まあ「様式的に写実せよ」と言うのは、様式と写実・それ自体が相反した要素
を含んだ命題ですから難しいのはごもっともだと思います。しかし、「様式的
に写実する」ことができないと黙阿弥物は成立しないのです。そのためには黙
阿弥物には世話と時代の揺れがあるということがまず理解されなければなりま
せんね。もしかしたら「三人吉三・大川端」は現代の歌舞伎役者にはもっとも
難しい演目なのかも知れません。


ーーー<今回の話題・2>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

○平成21年8月歌舞伎座:「天保遊侠録」
中村橋之助(勝小吉)、中村勘太郎(松坂庄之助)他

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本作は昭和13年東京劇場で二代目左団次が初演した真山青果の新歌舞伎です
が、今回上演されたのはその3幕仕立てのうちの序幕のみです。いわば見取り
ということですが、こういう場合は全幕上演の時とは違った芝居のバランスを
組み立てなければならぬと思います。幕切れに向けて・前半の段取りをしっか
り組み立てて「読みきり」になるようにバランスを整えて欲しいのです。上野
介らの横暴な振る舞いに小吉が怒って「石高の多い少ないで人の価値は決まる
ものではない」と言うのは大事な台詞です 。しかし、実は小吉は「人間はみな
平等だ」という人権意識で怒っているわけではないのです。「俺は俺だ」とい
う意識は確かにあるのですが、まあ言ってみれば小身者のちょっと卑屈で僻ん
だところのプライドなのです。それは人権意識というところまでは行きません。
現代の観客は「人間はみな平等」は当たり前だと思って見ますから気が付きに
くいですが、幕末の小吉にその意識は まだないのです。それは明治以後のこと。
しかし、橋之助(小吉)・勘太郎(庄之助)を見ていると人権意識がはっきり
あるようですねえ。だから「石高の多い少ないで人の価値は決まるものではな
い」という主張がことさらに強く出ますが、そこのところを抑えて・捻った形
で出してみたいものです。この芝居のバランスを考える時にはまずそこがポイ
ントとなります。

一方、麟太郎は小吉の扱われ方やその喧嘩騒動を陰から見て・御殿に召し出さ
れることを承諾するわけですが、麟太郎には明確ではなくても人権意識・身分
制度に対する素朴な疑問がすでにあると見て良いのです。それは麟太郎が神童
であり・未来の子供であるからです。小吉と麟太郎の間に、封建社会に生きる
人間とこれから近代社会に生きていく人間の違いが見えてくれば良いなあと思
います。そこに青果の社会的な視点があるのです。今回のこの幕切れのように
大事の息子・麟太郎が御殿で召されてしまうのを主人公・小吉がトンビに油揚
げをさらわれたような顔をして「まっ、仕方ないか」という感じで醒めて見上
げているようでは・どうも小吉の心情が迫って来ません。小身者の悲哀が我が
身にツーンと来てちょっと泣きたくなるという幕切れにしてもらいたいのだな
あ。そうすると幕切れで「何だい、あんたらしくもない。まあ私のところで酒
でもお飲みなさいよ。私が慰めてあげるからさ。」という感じで芸者八重次の
存在が生きてくるのですがね。

それは橋之助・勘太郎らの台詞回しに新歌舞伎らしいリズムが不足するせいで
もあります。それは前述のポイントとも密接に関連します。台詞が新歌舞伎の
フォルムを取れていないために軽い印象となり、それが芝居前半が幕切れと釣
り合いが取れないことの遠因になっています。ということは幕切れ近くに萬次
郎の阿茶の局が登場すると見違えるほど芝居がグッと引き締まることから分か
ります。萬次郎 は台詞のリズムがしっかりと取れて新歌舞伎になっていて・さ
すがと言うべきですが、逆に言うと芝居前半は賑やかでテンポが良いように見
えるけれど・実は芝居として「軽い」ということなのです。橋之助・勘太郎ら
の台詞回しはテレビの時代劇ならばそれなりのもので決して悪くはないもので
すが、新歌舞伎の台詞とは言えません。それが芝居として軽い印象を生んでい
るのです。本作が二代目左団次の初演であることをお忘れなきように。この芝
居は歌舞伎なのです。新歌舞伎のリズムがどういうものかは「左団次劇の様式」
をお読みいただきたいですが、幕末の身分社会のなかで誰もが憤懣を感じて・
窮屈な思いをして生きているイライラ感がその緩慢なリズムのなかに現れます。
それは小吉や庄之助の境遇を体現するリズムなのです。橋之助・勘太郎らが前
半でしっかりと新歌舞伎のリズムが取れていれば・芝居のバランスはかなり良
くなったはずです。

(本号のサイト関連記事)
アジタートなリズム~歌舞伎の台詞のリズムを考える
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh60.htm
左団次劇の様式
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geitohito23.htm
玉三郎初役のお嬢吉三
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/butai12.htm

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