2009/08/30
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第256号
********************平成21年8月30日発行***
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メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第256号 ◎
◎ 連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
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こんにちは、吉之助です。本稿はメルマガでは5月から連載を始めた「アジター
トなリズム」の最終回です。「アジタートなリズム」は歌舞伎のいくつかの様式
のリズムを時代順に大雑把にリズム解析したものですが、大正期の二代目左団次
の新歌舞伎の項については「左団次劇の様式」として別個に独立させて・先に出
来上がりました。続編が先に出来たというのも変な話ですが、これが本稿の続編
ですので、興味ある方は「左団次劇の様式」も併せお読みください。
「左団次劇の様式」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geitohito23.htm
サイトの「連載コーナー」では新連載で「歌舞伎とオペラ~新しい歌舞伎史観の
ためのオムニバス的論考」をこれまたゆっくりとしたペースで連載していきます
ので、こちらもお楽しみに。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/rensai1.htm
ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○アジタートなリズム
~歌舞伎の台詞のリズムを考える(第8回)
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○アジタートなリズム・エピローグ:歌舞伎の台詞は拡大する?・その1
吉之助が「観劇随想」で「近年の歌舞伎の演技はどこかしら重い・・」という
ことをよく書くのはご承知かと思います。「近年」というのは大体昭和40年
頃から現在までの歌舞伎のことを指しています。映像や録音などでそれ以前の
歌舞伎を見たり・聴いたりしますと、吉之助の生(なま)で見た歌舞伎よりテ
ンポが早く感じられて驚くことが多いのです。もちろんテンポが早ければそれ
だけで良いわけでもないですが、昔の方があっさりとして・若々しく簡潔な印
象です。昔の歌舞伎の方が今よりもずっと感覚的に新しい感じがします。です
から吉之助が生の舞台を見ながらいつも考えるのは、こういう新しい感覚をど
うすれば現行の歌舞伎に付加できるかなのです。
まあ歌舞伎のファンというのはいつの時代でも自分が舞台に熱中した時代の歌
舞伎が最高と思いたいものです。ですからこういうのを感覚の相違にすぎぬと
片付けてしまいそうです。吉之助は近年の歌舞伎が重く粘っていく傾向にある
ことは・歌舞伎の古典化の流れとして止め難いことだと思っています。しかし、
伝統芸能としての歌舞伎役者は歌舞伎の干物化を阻止すべく古典化の流れに抗
していかなばならぬと思いますねえ。古典化の流れにどっぷり浸ることは、歌
舞伎の死を早めるだけです。古典化の流れに抗する手法としては猿之助 や現・
勘三郎の試みにあるような新作をやるとか・新演出をするとか言う方法論もも
ちろんあり得ます。しかし、もっと大事なことは歌舞伎役者が日常演じるとこ
ろの古典作品において・どれだけポジティヴな演技ベクトルを保持できるかな
のです。「脚本のこの箇所を整理すれば何秒カット出来る。ここを省けば芝居
をぐっとテンポ・アップできる」ということはよく言われますが、現行歌舞伎
役者の間延びした演技に対する反省 ・批判は全然言われていないと思います。
例えば台詞廻しについてです。そこで本稿では、どうして現代の歌舞伎役者の
台詞廻しは間延びして・テンポが重くなるのかということを「アジタートなリ
ズム」の締めくくりとしてちょっと考えてみたいと思います。
いつの時代においても、偉大な芸術家が出現してその時代の芸術のスタイルを
変革して・周囲の者がそれを模倣し追随することで芸術の大きな流れが出来て
いくものです。音楽・芸能のような再現芸術(パフォーミング・アート)の場
合は特にそうです。ひとたびカルーソーやカラス・ホロヴィッツのような天才
が出現すれば・その後に出てくる演奏家はそのように歌わないと観客からなか
なか「良い」とは言われないという苦難の時期がしばらく続くのです。歌舞伎
でも初代団十郎のように演らないと荒事とは言われません。初代藤十郎のよう
に演らないと和事とは言われません。三百年も前の役者など具体的なイメージ
はほとんど残ってないのですが、荒事・和事ということになればそのイメージ
は明確に立ち現れます。これはとても不思議なことですが、そのイメージとは
「演者の風」とでも言うべきものです。そこに初代団十郎・藤十郎というもの
の何かがあるのです。これを如何にして自分なりに忠実に追うかということが、
歌舞伎役者の課題になるのです。
先人のお手本を後輩が心を込めて丁寧に再現しよう(つまり模倣しようと・な
ぞろうと)努めると、大体その演技のテンポは遅くなるようです。これは模倣
するという初期段階(まだ自分の血肉と化していない)においては仕方がない
ことです。台詞廻しのことで言えば、台詞の要素には節回しとテンポのふたつ
がありますが・このふたつは不可分でして、節回しを情感を込めてなぞろうと
すると・どうしてもテンポが自然と遅くなるのです。もちろんテンポを遅くせ
ずに節回しに情感を込める方法はあります。その場合はリズムの刻みを深く持
つのです。つまり息を詰めて・テンポを本来の速度に正しく保ちながら・線を
なぞっていくことになるわけで、これはなかなか技量が要ることです。一般的
には節回しに力を込めると・ いくぶんテンポが落ちるという関係なのです。で
すから、 古典化というのはある種の上等な「なぞり」でありますから、歌舞伎
の古典化においてリズムが遅く・重めになることはまあ傾向としては仕方ない
ということです。能楽も世阿弥が生きていた時代にはもっとテンポは早かった
と言われていますが、能楽も今のテンポに落ち着くことで「幽玄」のイメージ
を手に入れて古典化しているわけです。歌舞伎もその方向に行くことは避けら
れません。
歌舞伎は能楽と違ってまだ生乾きの伝統芸能(古典化が現在進行形の伝統芸能
ということ)です。しかし、歌舞伎にそのような古典化の方向を認めつつも、
現行歌舞伎に次のような問題点を見ないわけにはいきません。それは歌舞伎役
者が息を深く取れていないということです。吉之助の師匠である武智鉄二は「
息がつむ」ということをとてもうるさく言いました。 それでなくても「なぞり」
ではテンポが遅くなり勝ちになるのに、息を深く取れていないから正しいテン
ポを維持しきれない・だからテンポが「なし崩し的に」遅くなっていくのです。
逆にテンポが遅くなったことに気付いてテンポを早い方に戻そうとすると、息
が浅 いと今度は節回しの方が崩れていきます。現行歌舞伎ではそのような現象
がいたるところで見て取れます。もうひとつ同様の問題が観客の方にもあるの
ですが、それは観客も役者も同じ時代空間を共有する以上当然のことです。何
だかいつもセカセカして・イライラして・急きたてられて・落ち着かない現代
は「息を深く持て」と言っても自然に息が浅くなってしまう・そういう時代な
のです。逆に言いますと、こういう落ち着かない時代であるからこそ、現代か
ら時空を隔てて江戸の世界に遊ぼうという歌舞伎の場合には、意識して「呼吸
を深く持つ」ことを学ぼうという・そういう鑑賞法があって良い。現代におい
ては「呼吸を深く持つ」ことの重要性 がさらに増していると思うのです。その
ためにはまず歌舞伎役者の台詞術から直していかねばなりませんねえ。
○アジタートなリズム・エピローグ:歌舞伎の台詞は拡大する?・その2
『西洋の声楽家が日本に来て、アンコールに日本の歌をよく歌いますが、向こ
うの発声法の人であるにもかかわらず言葉がよく聞こえますね。これは日本の
声楽家への大変な挑戦状じゃありませんか。向こうの発声法でもそのシステム
が本当に身体の中に入り込んでいれば、外国語である日本語を聞いた場合に、
自分の発声のヴァリエーションのどこかで日本語をとらえられるのではないで
すか。おそらくシューベルトの歌を歌う場合とモーツアルトのオペラを歌う場
合は発声法を変えているのですね。しかし、それが生半可な習得だと、硬直状
態でいつも同じ発声法になってしまうのではないでしょうか。』(団伊玖磨・
「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)
団伊玖磨・小泉文夫:日本音楽の再発見 (平凡社ライブラリー)
ジェシー・ノーマンがリサイタルのアンコールで「さくらさくら」を歌ったの
を聴いたことがありますが、実に素直に歌っていました。「さくらさくら」の
ような歌であると「一音符」の長さをひとつの音程で一語を一定に保つことが
・西洋歌曲の感覚であると単純過ぎて難しいだろうと思います。ノーマンは息
を腹に保つ力があるからそれができて、しかも、ひとつひとつの音を手のひら
に乗せて大事に大事に発声している感じが あるのです。また、意味が分からな
いまでも・ノーマンは日本語の語感を天性でつかんでいるのでしょう。作曲家
・団伊玖磨氏の指摘する通り、クラシック音楽の日本人歌手が日本の歌曲を歌
っている場合に、その日本語 の発声がとても不自然に感じるということがしば
しば起こります。シューベルトの歌曲は上手に歌えるのに、日本歌曲のイント
ネーションが大年増の厚化粧みたいに妙に気持ち悪 くなるのです。むしろアマ
チュア歌手が歌う日本歌曲の方が発声が素直なのか言葉がよく聞こえます。恐
らく日本のクラシック歌手は表現を芸術的に高めようと情感を無理に込めるた
めに言葉の抑揚が不自然になり勝ちなのです。「上手の手から水が漏れる」と
いうことです。この問題を考えるには団氏の次の言葉がヒントになると思いま
す。団氏は日本歌曲のなかにある「一音符一語主義」について次のように語っ
ています。
『日本語をどのような音型化していくかという問題にしても、一音符一語主義
が無批判的に伝承されてきて、例えば「私はあなたを愛します」は「ワタシハ
アナタヲアイシマス」と十三の音符で書いて疑わない。外国の歌で「I love
you」なら三つ、「Je t'amie」なら二つの音符で表現できるのに日本語では十
三音符が必要だということの不自然さに気がつけば、日本語をどう音楽化する
かというシステムを作ったはずでしょう。そういうことだけでも先輩たちの手
でできていたら、次の時代にまったく新しい生きた日本語の歌ができていたは
ずでしたね。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」)
「私はあなたを愛します」を「ワタシハアナタヲアイシマス」と13の音符で
書いて疑わないということは、つまり「私はあなたを愛します」を13の同じ
長さの刻み(リズム)で捉えて疑わないということです。確かに日本歌曲は基
調のリズムとして はその刻みで成り立っているわけですが、言葉のリズムとい
うものは人間の息に発するもので生き物なのですから、本来ははそれ自体にあ
る範囲のリズムの伸縮(揺れ)を持つのです。つまり、 言葉をメトロノーム的
な機械的な刻みとして厳格に捉えてはならぬわけです。言葉の持つ自然な揺れ
を無視して・機械的な刻みを無理に守ろうとして・その一方で情感を強く込め
ようとすると抑揚が不自然にな ってしまいます。クラシック歌手の日本歌曲に
よく見られる現象はそういうことです。このような事態に陥らないようにする
には、言葉のリズムの刻みをゆったりと持つ・言い換えると息に余裕を持つと
いうことです。つまり厳格な意味においてリズムの刻みを正確に保つ必要はな
い・歌において大事なのは言葉の息であると割り切ることです。ただし、あま
り余裕を持ちすぎても音楽としての格調は出せません。基調のリズム感覚を乱
さない程度に・リズムに遊びを持たせるということです。ところが、不幸なこ
とに・西洋音楽の五線の記譜法ではそのような音符の長さを自在に持つ記し方
はできないのです。基調の音符の長さを1とすると、ある音には1.05の長さを
当て・別の音には0.95の長さを当てるというような記し方ができません。ここ
が西洋音楽を取り入れて新しい日本の歌曲を創造しようとした作曲家たちが直
面した問題でした。日本の伝統音楽の記譜法ではその辺が曖昧に記されていま
す。良く言えば自由度が高いわけです。だから、日本の伝統音楽にはリズムが
ないということが言われることがありますが、そうではありません。リズム(
拍)がなければ音楽になるはずがありません。日本の伝統音楽にはそれを厳格
な刻み・メトロノーム的な刻みとして捉えることはなかったということだけで
す。(注:西洋音楽においても息を深く持って・リズムの刻みに余裕を持つと
いうことはとても大事なことです。リズムを厳格に機械的に持ち過ぎますと、
その音楽はしばしば窮屈になってしまいます。ですからリズムは崩してはいけ
ないのは当然のことですが、そこに遊びがなければならぬわけです。)ですか
ら団氏が指摘する通り・日本が西洋音楽を摂取する初期段階で「一音符一語主
義」のイメージが立ちはだかったことが、明治黎明期の作曲家の道程をとても
困難なものにしました。
吉之助の密かなお気に入りに「へフリガー・日本の歌曲を歌う」というCDがあ
ります。(1992年5月録音) ドイツの名テノール:エルンスト・へフリガ
ーが、ドイツ語訳で日本の歌曲を歌ったものです。歌詞翻訳は村上紀子さんと
マルグリット・畑中さんのふたりにより行われたそうですが、この翻訳が素晴
らしくて・まるでこれらの歌曲が初めからドイツ語の詩に作曲されたかのよう
に聞こえます。山田耕作作曲・北原白秋作詞の「この道」を見てみます。
白秋詩「この道はいつか来た道 ああそうだよ あかしやの花が咲いてる」
ドイツ語訳「Ja, diesen Weg / seh ichi mich einmal gehen. / Ja, Ja, auf
diesem Weg, / Akazienbaeume seh ich, / Akazien seh ich bluehen. 」
吉之助が感じることは・この試みの成功は翻訳のうまさにだけ帰せられるもの
ではなく、もっと本質的な問題があるのではないかということです。それは山
田耕作の音楽が豊かな抑揚をその心底に求めているように 聴こえることです。
つまり、日本語の平坦な抑揚では単純過ぎて・微妙な感情の綾を洋楽の手法で
は十分に拾い上げられない。また逆に山田耕作の旋律の持つ叙情を日本語の抑
揚が支え切れない。そのようなことがあるのではないかと感じます。そのよう
な日本語と西洋音楽を結び付けようとする明治の先達の苦労のほどが偲ばれて、
とてもいじらしく感じられるのです。
*注:「エルンスト・へフリガー・日本の歌曲を歌う」は第3集まで発売され
ています。
赤とんぼ~浜辺の歌/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本の歌曲 VOL.1
浜千鳥~宵待草/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本の歌曲 VOL.2
花の街~我は海の子/ヘフリガー、ドイツ語で歌う日本歌曲 VOL.3
○アジタートなリズム・エピローグ:歌舞伎の台詞は拡大する?・その3
日本音楽界の不幸は(敢えてこれを不幸と言いますが)、西洋音楽の摂取の初
期段階において「一音符一語主義」によって・日本の伝統音楽との折り合いを
付けたことでした。例えば日本最初の軍歌と言われる「宮さん宮さん」(宮さ
ん宮さんお馬の前にひらひらするのは何じゃいなトコトンヤレトンヤレナ・・)
、あるいは鉄道唱歌(汽笛一声新橋を・はや我汽車は離れたり…)のリズムで
す。 このリズムのなかにある種のマンネリズムが感じられるようです。このこ
とがひとつの傾向を生み出します。
『山田(耕作)先生のオペラは、一音符一語主義というご自分のシステムに忠
実ですから、どうしても人間の思考速度が無視されるのです。歌劇「黒船」の
なかの緊迫した場面で、お吉が弁天島で姉さんにものを聞く場面があるのです
が、そこで「ね・え・さ・ん/お・し・え・て/ちょ・う・だ・い/な」って歌う
んだな。(・は音符の区切り、/は小節の区切りとお読みください)自分の運命
がどうなるかという差し迫った時にこんなのんびりした言葉は変だ。「姉さん
・教えてちょうだいな」と言うのじゃないですかと言ったら、「うん、それは
そうだけど、オペラってものは拡大するんだ」とか言っておられた。劇的な迫
力というようなものは管弦楽でつけて、歌はいつも情緒的に歌うのだとういう
ことを、ご自分独特の楽劇観からつねづね言っておられましたから、あのオペ
ラも四時間くらいかかるでしょう。内容的には一時間半のものだと僕は思いま
す。それがあんなに拡大されると、全部がピントの甘いレンズで見ているよう
なふやけ方になることにはどうも気がつかれなかった。あれほど演劇に詳しか
った人でも自分のオペラになると、自分のシステムに淫したのですね。」(団
伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)
「オペラってものは拡大するんだ」という発言はとても正直なもので・かつ興
味深いものだと思います。団氏は「先生は演劇にあれほど詳しかった人なのに
・・」と言っていますが、吉之助には「オペラってものは拡大するんだ」とい
う山田耕作の表現は演劇に詳しい人でないと絶対に出てこない表現だと感じら
れます。この場合の演劇とは歌舞伎に限らず・能狂言も含む日本の伝統演劇で
す。例えば黙阿弥の七五調ですが、これもまたまた「拡大する」ものだと言え
ます。心理・感情を精妙に描こうとするほど次第に拡大して、リズムがダラダ
ラ調に変化していきます。それと似たような 道程を山田耕作のオペラも同じよ
うに辿っているらしいのが興味深く・またいじらしく思われます。これは偶然
の一致ではない。吉之助はその原因の一端が「一音符一語主義」にあると思っ
ています。
本稿「アジタートなリズム」をお読みになればお分かりの通り、吉之助は歌舞
伎の台詞のリズムは写実の観点に立たねば解析できないと考えています。その
ために「一音符一語」の原則 は崩さなければならないと思っています。その意
味では団氏の言いたいことは分かり過ぎるくらいよく分かります。しかし、そ
のような情緒に傾斜して・拡大しようとする 性質を日本語が本質的に持ってい
ることもまた確かであるようです。 恐らく「一音符一語」の観念は明治以後の
音楽教育のなかで不必要に強められて・染み付いて・今日に至っているのです。
このことを音楽家も・演劇に携わる役者も演出家もよく承知しておかねばなり
ません。日本語のなかにおのずと拡大しようとする性質があること・感情を込
めようとすれば台詞が伸び勝ちになる性質があることを役者が十分承知して、
この傾向を引き 止め・写実の方へ引き戻す努力を役者が意識的にしていかねば
ならないと吉之助は考えます。歌舞伎の台詞は黙阿弥の七五調も・二代目左団
次の台詞もこのまま放置していると同じようなダラダラ調に変化しかねません
し、もうすでにそれに近い状態になりかけています。ですから歌舞伎の台詞を
意識して写実の方へ引き戻すこと、これが歌舞伎の活性化のために最も大事な
ことであると思っています。そのためには台詞のリズムをユニットで捉えて・
息を深く持つ習慣を付ける必要があります。そのために「一音符一語」の原則
は崩されなければならないのです。
日本の伝統音楽は二拍子(あるいはこれを細分化した形の四拍子)が多いとい
うことは音楽の解説書によく出てきます。例えばわらべ唄である「かごめかご
め」は二拍子です。しかし、「かごめ・かごめ」と同じ言葉を繰り返す時に・
リズムを単純に繰り返しているかと言うと実はそうではありません。最初の「
か」は一拍分長く、二番目の「か」は短くなります。最初の「め」は短いです
が、二番目の「め」の後には一拍の休止があります。ただし、この休止は休み
でも良いし ・「めー」と一拍分伸ばしても良いのです。すなわち、最初の「か
ごめ」は頭に大きな音価が来て・次の「かごめ」では末尾に大きな音価が来て
・このセットでフレーズのまとまり感を出すのです。ということは、「かごめ
かごめ」は二拍子だと言うけれど・単純な「一音符一語」の二拍子を取ってい
るのではないということです。音符の長さは語句に応じて微妙に伸縮している
わけです。しかし、全体を聴けば二拍子の基本的なテンポ感覚は確かにあるよ
うです。つまり大事なのは二(あるいは四)のユニット感覚だということです。
ユニット感覚をしっかり出せるならば、ユニットのなかを多少自由に持っても
よろしいわけです。(本件については民族音楽研究の小泉文夫氏の著書「日本
の音」・平凡社ライブラリーをご参考にしてください。)
小泉文夫:日本の音―世界のなかの日本音楽 (平凡社ライブラリー)
つまり、九代目団十郎が六代目菊五郎に語った間(ま)の考え方・『一尺の寸
法を十に割って、一寸つづ十に踊れば一尺になる。それは極まっている定間の
ことだが、これを八寸まで早くトントンと踊り込んで、残った二寸をゆっくり
踊って、一尺に踊り課せばそのところに面白さが出るのだ。』 (六代目尾上菊
五郎:「芸」) と同じ考え方がここにあります。最初が早くなれば・後を遅く
してユニットを合わせる。最初を遅くすれば・後を早くしてユニットを合わせ
る。結果としてユニット感覚が保たれていればそれで良いのです。
小泉文夫氏の指摘は、日本演劇の台詞にいかにして抑揚を加え・フレーズのま
とまり感を生み出し・自然な 音楽的なリズム感を生み出すかという課題のヒン
トになるものです。台詞の解析のポイントは、台詞が内包する登場人物の根源
的な感情(心情)をどう捉えるかということです。本稿「アジタートなリズム」
をお読みいただいて、歌舞伎 とはそれは「かぶき的心情」に発する演劇であり、
それはリズム様式から見ると「アジタート」というキーワードにおいて括られ
るものであることがご理解いただけたと思います。歌舞伎は雑多な形式を取り
込んだ演劇ですが、大きく捉えればそれらはすべてリズム様式では「アジター
ト」という概念のなかに乗ってくるもの なのです。この認識をベースにして歌
舞伎の台詞を「如何に写実に歌うか・如何に様式的に 写実にしゃべるか」とい
う風に考えれば、歌舞伎の台詞の解析は至極容易になるのです。
本稿冒頭に記した通り・折口信夫は「歌舞伎芝居のなかに近代的精神を・ある
いは新劇的生命を生かすにはどういう風にすれば良いか」ということを問われ、
正しい発声やエロキューションが顧慮されていないことが歌舞伎の問題点だと
指摘しました。役者の台詞回しを「調子が良い・悪い」という印象論 だけで片
付けてしまって、作品あるいは登場人物の台詞のフォルムを正しく表現すると
いう観点から論じるということをしてきませんでした。 役者が仕勝手で台詞の
フォルムを崩しても、観客も劇評家も「役者の味で良いじゃないか」というこ
とでこれを許してきました。このことが伝統芸能として考えた場合の現行歌舞
伎の一番大きな問題点なのです。「歌舞伎の台詞は様式的な抑揚をつけて歌う
もの」という漠然としたイメージを捨てて、歌舞伎の台詞が本来あるべきエロ
キューションをしっかり見出したいものだと思います。
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