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歌舞伎・文楽などの伝統芸能を材料にして、「日本のこころ・芸のこころ」を、民俗学的・歴史学的あるいは心理学的に、さまざまな角度から考えていくメール・マガジンです。

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2009/08/16

メルマガ「歌舞伎素人講釈」第255号

********************平成21年8月16日発行*** 
                               ◎
      メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第255号     ◎ 
                                        
     ◎       連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
    ◎
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こんにちは、吉之助です。暑い日が続きますね。さて、今回はサイトに連載
の「アジタートなリズム~歌舞伎の台詞のリズムを考える」の第7回で、次
回で連載が終了する予定です。本号では新歌舞伎の台詞について触れていま
すが、二代目左団次系統の芝居については別稿「左団次劇の様式」で突っ込
んで論じましたので、本稿では新歌舞伎でのもうひとつの重要な流れである
坪内逍遥について触れています。
左団次劇の様式
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geitohito23.htm

もうひとつの話題として・7月歌舞伎座の「天守物語」を取り上げました。
さらに鏡花についてお知りになりたければ・別稿「たそがれの味」をご参照
ください。
「たそがれの味~鏡花をかぶき的心情で読む」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geitohito25.htm

ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
○アジタートなリズム
~歌舞伎の台詞のリズムを考える(第7回)

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○アジタートなリズム・その28:新歌舞伎のリズム・1

明治44年(1911)帝国劇場において坪内逍遥をリーダーとする文芸協会
により第1回公演としてシェークスピアの「ハムレット」が上演されました。
それ以前にも翻訳劇は上演されていますが、演劇史において「新劇の創始」と
されるのがこの帝劇公演です。しかし、その評判はあまり結構なものではあり
ませんでした。この時の芝居で「主役の台詞がせきこみ過ぎである」という評
が出たそうです。つまり新歌舞伎での二代目左団次の台詞が「一本調子を以っ
て・焦き込みがち」と批判されたのと似たようなことを言われたのです。これ
に対して逍遥は次のように反論しています。

『 僕の耳に触れた評のたいていは、我々の劇を評するに在来の劇を評するとま
ったく同じ標準を用いていたようである。たとえば土肥氏の台詞回しをせきこ
み過ぎると評した人があったが、その実あの調子が我々の工夫の一である。人
物の性格に応じ、その情調に応じて在来の台詞回しにはかってないような調子
を用いさせたような例がいくつもある。せき込むべき時にせき込むのは当然の
ことである。在来の台詞回しのようにただ見物に聞かせることを主にしたのと
は別様に見てもらわねばならぬ。』(坪内逍遥・「ハムレット」公演後の所感
・明治44年6月)

逍遥は「そのせきこみ過ぎに聞こえる台詞の調子こそ我々の工夫した点だ」と
言うのです。その工夫の詳細について逍遥は述べてはいませんが、しかし、逍
遥の周辺の論文を追って行けばその察しはつきます。そのヒントはシェークス
ピアの英語の台詞のリズムです。ご存知の通り・逍遥はシェークスピア作品の
全訳を最初に手がけた人ですが、その翻訳は「旧劇の雰囲気を濃厚に引きずっ
て・旧文体で読みづらく・また古臭い」としばしば笑われます。しかし、「小
説真髄」や「当世書生気質」などを書いて近代日本文学のきっかけを作った逍
遥ほどの人物が文体に鈍感のはずが ありません。逍遥は明らかに意図的にあの
「古臭い」文体を駆使しているのです。逍遥は「沙翁劇の翻訳」(明治43年
1月)において次のように書いています。逍遥はシェークスピアの韻文 (それ
はエリザベス朝演劇の古い時代の近代英語なのです)のスタイルをそれにふさ
わしい日本語に移し変えるにあたり、日本古今の文学作品をいろいろと研究し
ました。 その結果・文章の格調において近松周辺の浄瑠璃作品の文体が感じと
してそれにふさわしいと判断して、さらにシェークスピアの語彙の多さなどを
考慮し・これに文化文政期までの物語本などの用語も参照しながら 逍遥は翻訳
を進めたのです。

シェークスピアの韻文の特徴はブランク・ヴァース(blank verse)すなわち韻
を踏まない韻文だということです。韻を踏まないのにどうして韻文と言うのか
というと、行末を空白(blank)に置くからです。つまり、文章にリズムがあれ
ば・それが韻を踏んだのと同じ効果を生むことになり・それは詩(韻文)にな
るということです。逍遥以後 のシェークスピア翻訳には語呂合わせや駄洒落を
組み合わせて・言葉遊びの要素を強調したものが多くあって、台詞にリズム感
を出そうとするそのご苦労が察せられます。しかし、語呂合わせや駄洒落など
はシェークスピアの文体の本質的なものではな いのでして 、実は言葉自体の
リズムが重要なのです。だとすれば逍遥がシェークスピアのアイアンビック(
ianbic)すなわち「弱/強」のリズムのリズムをその翻訳の基本イメージとする
のは当然のことです。結局、逍遥が「せきこみ過ぎに聞こえる台詞の調子こそ
我々の工夫した点だ」と言うのは・日本古来の二拍子に「強/弱」(trochiaic)
の アクセントを付けたものであり、これは本稿「アジタートなリズム」で記し
た荒事の・例えば「大福帳読み上げ」でのタンタンタン・・・・の基本リズム
に結果的に極めて近いものとなったのです。(詳細は別稿[左団次劇の様式・1
0」を参照ください。)

もうひとつ・明治40年代・すなわち20世紀初頭の芸術思潮を考慮せねばな
りません。それは別稿「左団次劇の様式」でも考察した「ノイエ・ザッハリッ
ヒカイト(新即物主義)」の考え方で、その基本理念はイン・テンポです。逍
遥は「九世団十郎」(明治45年9月)において、明治40年代という時代を
『いかにも曖昧で、無解決で、あやふやで、成敗去就ともにほとんど誰にも解
りかねて、昨日の楽観者が悲観者になるまいものとも知れず、大抵の人の心が、
ともすれば不安の状態にある。ひと言を以って言えば、無解決の時代、不安の
時代、煩悶の時代、神気疲労の時代である』と規定しました。このようなアジ
タートな・気ぜわしい・急きたてられた気分は単に当時の日本の状況を反映し
たというだけではなく、それは20世紀初頭の世界的な 時代気質というべきも
のから来るのです。それがタンタンタン・・・・の速い基本リズムに現れるも
のです。

○アジタートなリズム・その28:新歌舞伎のリズム・2

坪内逍遥が「桐一葉」・「沓手鳥孤城落月」により新歌舞伎作品の執筆を志し
た時、その根底にあったリズムはタンタンタン・・・・というインテンポの速
いリズムであったと思います。それは決してシェークスピア様式の表層的な模
倣ということではなく(もちろん発想のきっかけはそこにあるわけですが)、
20世紀初頭という「無解決の時代、不安の時代、煩悶の時代、神気疲労の時
代」の時代的気質の表出として必然的にこのリズムに極まってくるわけです。
逍遥は豊臣家滅亡・大坂城落城という世紀末芸術的なテーマを取り上げること
で作品に古典悲劇的な格調を持たせる工夫もしています。 これが日清・日露戦
争から戦争の時代に突入していく世相に同時代的な意味においてシンクロして
くるわけです。「沓手鳥孤城落月・糒倉」での淀君狂乱は明らかにマクベス夫
人狂乱がイメージされています。淀君の台詞のインテンポのリズムは台詞に古
典的に引き締まった厳しい造型を与えると共に、既に間延びしてしまっていた
歌舞伎の台詞術にこれまでになかった新しい感覚を吹き込むことに成功しまし
た。

淀君『何じゃ、右大臣じゃ。右大臣とは。秀頼殿は日本の武将、征夷大将軍じゃ
・・・征夷・・(ト言いかけて、如何にも悔しげに、じっと向こうを見つめて)
エエ、 くち惜しや、誰あろう、征夷大将軍の母を・・・(トさめざめと泣き出
す。饗庭の局が介抱しようとして寄るを手荒に突きのけ)おのれ、ようもよう
も、(ト急に目に角立て)何じゃ何じゃ、妾じゃ。妾とは何じゃ。今一度言う
て見い。もう一度言うて見い。・・・・ ヤイ日本四百余州はみずからが化粧箱
も同然じゃぞ。(しばらく無言で睨みつけて)フム、面白い。聞きましょう。
・・・(ト誰かの言葉を聴いている思い入れ。やがてまた急に気色ばんで)ヤ
イ誰かある。治部少輔を呼びや。治部少輔を・・・・。』(「沓手鳥孤城落月
・糒倉」・明治30年9月に「新小説」の付録として発表。初演は明治38年
5月・大阪角座・初演の淀君は十一代目仁左衛門)

淀君の表情・言動がころころと変転して一定しないところに・ロマン的心情の
発露を見るべきですが、もうひとつの特徴が淀君が無言で狂態を見せる長い間
合いがとても多いことにあります。こういう場面では次は何が起こるかと観客
はぐっと息を詰めて舞台を見るわけですから、演技に一貫したリズム感覚がな
いと・観客は疲れて全体が見れなくなってしまいます。それでは何でリズム感
を付けるかと言えば、それはもちろん台詞のリズム によってです。ここでのイ
ンテンポのリズムは「機械的なリズム」と呼ぶべきですが、淀君は迫り来る滅
亡への予感に慄いており・その感情のなかで突き動かされる木偶であるのです。
それがインテンポのリズムが示すものであり、それは20世紀初頭の芸術思潮
である「ノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)」と密接につながってい
るものです。一方で淀君お傍の饗庭の局の台詞を比べてみます。

饗庭の局『(泣きながら)ササそのお嘆きもお怒りも、お道理とも、ことわり
とも、御もっともとも、当然とも、申し上ぐる言葉とてもござりませねど、何
を申すも此のように御本心無き御有様でござります。』

ある座談会で「余韻を重んじ・言葉少ないのがいいとして・逍遥が力を入れて
書いたところ(淀君の台詞)より、「そのお嘆きもお怒りも・お通理とも・こ
とわりとも・ごもっともとも・当然とも・・」なんて台詞の方が芝居らしくて
面白い」とお笑いになった先生方がいらっしゃいました。まず申し上げておく
べきは、迫り来る滅亡へのリズムをひしひしと感じている淀君にとって、それ
を感じ取れない周囲の鈍感な人々はまったく別世界の人間だということです。
もちろん彼らは淀君の敵ではありませんが、概念上は淀君と対立している人た
ちです。だから逍遥はわざと旧来調の古臭い・まあ言ってみれば芝居らしい台
詞のリズムを饗庭の局に与えているのです。そういうところに逍遥の芝居好き
の地が出ていることは事実だと思います。しかし、逍遥が新歌舞伎で目指すと
ころの本意は、逍遥が言うように「在来の台詞回しのようにただ見物に聞かせ
ることを主にしたのと別様に見てもらわねば」分からぬものです。逍遥が新歌
舞伎で目指すところのものがどこに現れるかと言えば、台詞の様式から言えば
それはタンタンタン・・・・というインテンポのアジタートなリズムなのです。

二代目左団次の新歌舞伎については別稿「左団次劇の様式」で詳しく論じたの
でそちらをお読みいただきたいですが・新歌舞伎運動のなかで二代目左団次(
とそのブレーンたち)は坪内逍遥とまったく別の流れになりますけれど、彼ら
もまったく別の経路から同じタンタンタン・・・・というインテンポのリズム
に到達したのです。左団次の発想の原点は明治39年(1906)の欧州演劇
視察旅行・特にロンドン演劇学校での体験であったと吉之助は考えています。
しかし、結果として左団次も逍遥も共に同じリズムに到達した根拠はもちろん
20世紀初頭の時代的気質にあるのです。この時代においては日本史も「世界
のなかの日本」という視点で読まねば正しい形はつかめません。もちろんこの
時代の歌舞伎も同様です。 新歌舞伎のアジタートなリズムは、明治末期から大
正期の日本の状況だけから読むものではなく、20世紀初頭の世界を取り巻く
状況を念頭に入れて読めば・その意味はおのずと明らかになるのです。

○アジタートなリズム・その29:原型(オリジナル)とは何か

七代目三津五郎は他の役者に芝居の型を教える時には次のような教え方をして
いたそうです。「九代目団十郎は次のようにやった。自分(三津五郎)は九代
目とは柄が違うので・ある部分は工夫してこのように変えてやっている。しか
し、あなたは 私のようにやってはいけません。本当はこのやり方(九代目のや
り方)が正しいのです。」という風にです。三津五郎は九代目団十郎とは柄も
仁も違うので・自分の寸法に合せて型を工夫しているのですが、他人に教える
時には必ず原型(オリジナル)に立ち返って、何が正しく・何が正しくないか
・自分はどこを変えたのかをしっかり押さえて教えるのです。この教え方は伝
統芸能の伝授の時に大事なことなのですが、実際にはとてもラフな形でそれが
行なわれていることが少なくないようです。「俺はこのやり方でやってるよ・
あとはお前の工夫でやりな」で終わりということです。だから、その役者の仕
勝手(良く言えば工夫なんでしょう けどね)が無批判的に伝わって・原型がど
んどん崩れていく・何が正しいかが分からなくなってしまうのです。

ですから歌舞伎の舞台を見ていて「何が正しいか」を見極めるためには、その
舞台を見て「良かった・悪かった」の印象だけで判断してはいけません。「良
かった」けれども正しくないということが、実はたくさんあるのです。 しかし、
正しいものは必ず良いはずです。もし「正しい」けれども良くないと感じるな
らば・それはその役者が十分その型を消化できていないからそうなるのであっ
て、「正しい」けれども良くないということは絶対にありません。

昭和10年代半ばのこと・ 六代目菊五郎が「橘屋の兄貴(十五代目羽左衛門)
の黙阿弥の台詞廻しは親父(五代目菊五郎)の言い回しとは違う。あれでは世
話でなくて・時代世話だ」という趣旨の発言をして物議を醸したことがありま
した。周囲の反応は「俺が贔屓にする橘屋を悪く言うとは何事か・菊五郎はけ
しからん」というような感情的な批判、あるいは「六代目の言い回しは地味で
渋いが、橘屋の方は華やかで音楽的だからずっと良い」とかいう印象批判的な
ものばかりで、菊五郎の真意はほとんど顧みられることがなく・菊五郎を大い
に失望させることになりました。この事件を契機に菊五郎のマスコミ嫌いにま
すます拍車が掛かった感があります。しかし、六代目菊五郎の指摘することは
とても重要です。六代目菊五郎の提起する問題は「世話とは何か・何が正しい
か」ということです。

十五代目羽左衛門の七五調の言い回しは高調子であり・音楽的な節回しがあり、
六代目菊五郎のボソボソした低調子の言い方より確かにずっと華やかに聴こえ
ます。六代目菊五郎は何だか渋くて・芝居っ気がないように感じられるかも知
れません。しかし、羽左衛門の言い回しは七五のユニットで見た場合に、七の
ユニットに比重が掛かっていることが明らかです。その結果・「黙阿弥の七五
調」の項で述べた通り・七五のユニットは等間隔で展開せねばならないのに、
七が伸びた感じになっています。七五調のリズムは時代と世話の揺り返しの感
覚をそのなかに含んでいます。だから七に比重が掛かると、言い回しが時代世
話の感覚に傾くのです。六代目菊五郎が羽左衛門の言い回しを時代世話だと指
摘するのはそういうことです。「黙阿弥の七五調」は世話なのですから、五の
ユニットに比重を掛けるのが正しいやり方なのです。

ただし十五代目羽左衛門の言い回しそれ自体を「間違っている」と決め付ける
ことはできないかも知れません。黙阿弥の七五調に様式的な要素が全然ないわ
けではないからです。それはお嬢吉三や弁天小僧の長台詞がしばしば「ツラネ」
と呼ばれることでも分かります。ツラネとは本来時代物の用語ですから、お嬢
吉三や弁天小僧のそれをツラネと呼ぶのは正しくないのです。正確には「世話
の長台詞」と呼ぶべきものです。しかし、そこに様式的な要素 も確かにあるの
です。本来はそこから世話の方に引き戻す表現に重きを置くべきですが、時代
の方に押すことで・世話の表現との対比を付けるというやり方もあり得ること
です。また五代目菊五郎は低調子の役者でした。一方・その甥っ子にあたる羽
左衛門は高調子の声質であり・また九代目団十郎崇拝の役者でもありましたか
ら、その言いまわしは羽左衛門の独自の工夫として一定の評価はできると思い
ます。ただし、後世の役者が羽左衛門の言い回しを「良い」として・「世話と
は何か」を押さえないままに・それを無批判的に真似るならば、それは問題で
あると思います。しかし、現実には多くの役者が羽左衛門のやり方を受け継ぎ、
菊五郎のやり方は残らなかったのです。それは恐らく羽左衛門のやり方の方が
何となく「華やかで良い」という見た目の印象・それだけなのです。そこに大
きな問題があるのです。歌舞伎の案内書には「黙阿弥の七五調には、写実で地
味な六代目菊五郎の言い回しと、音楽的な様式美を強調した十五代目羽左衛門
の言い回しと二通りのやり方があり・・」と書いてあるものが多いと思います
が、これは正しい認識ではありません。正しい黙阿弥の七五調の言い回しは六
代目菊五郎のものであり、十五代目羽左衛門はそのバリエーション(亜流)で
あると考えるべきです。吉之助が「ダラダラ調」と 批判する現代の歌舞伎役者
の七五調の言い回しは、十五代目羽左衛門の言い回しを無批判的に受け継いで
・その結果七のユニットが伸びきった状態になったものだと考えられます。で
すから、これを正しい七五調に戻すためには・「黙阿弥の七五調」のリズムが
何を意味するのか・その正しい意味を知らねばなりません。

○アジタートなリズム・その29:原型(オリジナル)とは何か・2

七代目三津五郎は他人に型を教える時に、必ず原型(オリジナル)に立ち返っ
て、何が正しく・何が正しくないか・自分はどこを変えて演じたかをしっかり
押さえて教えたということについて触れました。原型の九代目団十郎とは柄も
仁も違う役者が同じ型を演じるならここは変えても結構・しかしここを変えて
しまったら九代目団十郎の型にならないよ・ここは変えてはいけないよ・ここ
を押さえなければいけないよということがあるのです。そういう違いが分かる
ことが大事なのです。六代目菊五郎の指摘する通り・十五代目羽左衛門の言い
回しはどちらかと言えば七のユニットに比重が傾いており・厳密に言えば時代
世話ですが、まあこれは羽左衛門の工夫であるということも言えます。問題は
後世の役者(それと世間もですが)が十五代目羽左衛門の台詞を漫然と聞いて、
それを音楽的な言い回しだと受け取って、七のユニットに比重を置いて節回し
を付けてねっとりと言う・その結果七のユニットが伸びてしまうことが黙阿弥
の七五調のお約束みたいにとらまえたことにあります。(この点については後
段において・もう少し考察いたしましょう。)ですから六代目菊五郎が「橘屋
の兄貴(十五代目羽左衛門)の黙阿弥の台詞廻しは親父(五代目菊五郎)の言
い回しとは違う」と指摘しても、「俺の贔屓の橘屋を悪く言うとは何事か・菊
五郎はけしからん」みたいな 感情的な反応になって・まともな議論にならない
わけです。黙阿弥の七五調において押さえるべきことは七五のユニットを等間
隔に持つこと・それが七五調の様式感覚を生むのだということが分かってさえ
いれば答えは簡単です。 十五代目羽左衛門がどこを変えたかを分かっていれば、
そこを元に戻せば・ちゃんと五代目菊五郎の言い回しになるのです。

別稿「左団次劇の様式」では剛球投手二代目左団次の言い廻しを技巧派投手三
代目寿海がどう工夫して受け継いだかを考察しました。現代の新歌舞伎での問
題は寿海の新歌舞伎の台詞を漫然と受け継いで「台詞を緩急付けて朗々と音楽
的に歌うのが新歌舞伎の台詞廻しだ」と思い込んでいることにあります。例え
ば昭和32年9月歌舞伎座の二代目猿之助(猿翁)の夜叉王・寿海の頼家が共
演する「修善寺物語」の舞台映像が残っています。左団次劇団の副将格が共演
する記録はとても貴重なものです。二代目左団次の舞台どころか・寿海も猿翁
の舞台さえ見たことのない後世の人間(吉之助もそのひとりです)がこの映像
を見る時・大事なことは、「どちらの役者の台詞が巧いか」なんてことではあ
りません。左団次劇を引き継いだふたりの役者がどこに左団次の面影を追って
演じたのか・その共通した要素は何かということです。台詞を歌うか・歌わな
いかなどということよりも大事なものがあるのです。「修善寺物語」は明治4
4年5月・明治座初演時は左団次の夜叉王・十五代目羽左衛門の頼家という配役
でしたが、脚本を読めば・そこに共通した 新歌舞伎のリズムが読み取れます。


頼家『あたたかき湯の湧くところ、温かき人の情も湧く。恋をうしないし頼家
は、ここに新しき恋を得て、心の痛みもようやく癒えた。』(アタ/タカ/キ/ユ
ノ/ワク/トコ/ロ/アタ/タカ/キ/ヒト/ノ/ジョウ/モ/ワク)

夜叉王『神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まず我が作に現れしは、自然の
感応、自然の妙、技芸神にいるとはこの事よ。』(シゼン/ノ/カン/ノウ/シゼン
/ノ/ミョウ/ギゲイ/シンニ/イル/トハ/コノ/コト/ヨ●)

このリズムを念頭に入れて寿海と猿翁のそれぞれの台詞を聞けば、ふたりの役
者がどこに左団次の面影を追って演じているのかは歴然としています。新歌舞
伎の台詞で大事なことは、アジタートなリズムに現れる「胸のなかに溜ったも
のを吐き出さずにはいられない」という熱い思いです。前に押すアジタートな
リズムこそが左団次劇の様式です。そこに二代目左団次の原型(オリジナル)
がありありと聞こえてくるでしょう。


ーーー<今回の話題・2>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
○平成21年7月歌舞伎座:「天守物語」
坂東玉三郎(富姫)・市川海老蔵(図書之助)

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吉之助の知る限り・ここ30年くらいの「天守物語」上演は玉三郎の専売かと
思いますが、その劇評など近年の「天守物語」に触れた文章を読むと、富姫と
図書之助の愛の清らかさ・それと対比される人間界の愚かしさという二元構図
で読む傾向が相変わらず強いように思われます。まあ「天守物語」を富姫と図
書之助の恋愛譚として読むことはもちろん間違いではありません。大筋として
はそんなところですし、美女役者と美男役者が演じるのだから・観客の思い入
れがそんなところへ行くのも当然ではあります。しかし、富姫と図書之助が愛
し合うのは何故かという「必然」にもうちょっと思いをはせてもらいたいと思
うのですねえ。富姫は図書之助がいい男だから好くんですか・図書之助は富姫
がいい女だから好くんですか・ということです。玉三郎の富姫は図書之助がい
い男だから好くのでしょう。そのように見える富姫なのです。近年の「天守物
語」について書かれた文章を読めばだいたいその線ですけれど、そのイメージ
は多分玉三郎の舞台から来ているのでしょう。しかし、吉之助はそれだと鏡花
作品の凛としたところが弱まると思います。好いた・愛したは人間の時に言う
言葉。富姫には正義と言って下さい。富姫には「あなたは正しかった」と言っ
て下さいな・・と吉之助は思いますがねえ。それが鏡花の女だと思いますよ。
三島由紀夫が次のように言っています。

『女の凛々しさとか・女の男っぽさとか、何かきりっとした感じ、ああいう美
しさというのはずっと忘れられていたんだね。そして惚れた男のためには身体
も張るけれども、金力・権力には絶対屈しないというイメージですね。(中略)
そして弱い男に女は惚れて、女が庇護する。その弱々しい男に正義があるんで
すよ。』(三島由紀夫・「泉鏡花の魅力」・澁澤龍彦との対談・昭和43年1
1月)

このことは大事なことなのです。富姫が「来てはならぬ」というのに天守に戻
ってきた図書之助を二度ならず・三度までも許すのは、富姫が図書之助に惹か
れているということも確かにあるかも知れませんが、富姫として前面に出すべ
きは「この真っ直ぐで純粋な若者を私は護ってあげる」という女の凛々しさな
のです。富姫は惚れたからこの若者を護るのではなく、この真っ直ぐな若者を
護ってやろうとしているうちに恋に落ちるのです。何故ならば富姫はその昔・
あわや陵辱されようとした時に舌を噛んで自害したという高潔な女性であって、
個人の尊厳を重んじ・理不尽なことを個人に迫る状況を誰よりも憎む「正義の」
女性であるからです。富姫は図書之助は「正しい」と思うから護るのです。ま
た図書之助は富姫が自分を唯一理解してくれる存在(妖怪ですがね)だと思って
いるから・二度ならず三度までも天守に戻るわけです。それは図書之助が自分
が不当な扱いをされたことに憤りを感じており、自分は絶対に「正しい」と信
じるからです。図書之助も正義の人なのです。最後はふたりは一緒に暮らせる
ようになるわけですが、それは彼らが「正しかった」からです。ですから富姫
と図書之助の恋愛は結果的にそうなったということです。「天守物語」を「愛
が最後に勝った」と解釈するのでは鏡花にならぬと思いますねえ。

ですから「天守物語」では富姫と図書之助の恋愛の気配は最後の最後まで抑え
た方がよろしいと吉之助は思います。最後に「そしてふたりはいつまでも幸せ
に暮らしましたとさ」で十分なのです。このことは鏡花を歌舞伎のレパートリ
ーとして定着させていくために大事なことです。そうすれば富姫と図書之助の
恋愛を大きな枠組みのなかに組み込んでいくことで・古典的な構図に納まるこ
とになるのです。その意味でも「天守物語」の幕切れはとても大事ですが、玉
三郎の演出では幕切れに天守を護る獅子頭の作者桃六の台詞がエコー処理され
ており、そのため幕切れの印象が散漫になって しまいました。これでは我当の
台詞術も生きません。またカーテン・コールもまったく余計です。鏡花を歌舞
伎に定着させることを本気で考えるならば、このようなことはせぬことです。
 そのうち玉三郎は「娘二人道成寺」でもカーテン・コールをしかねないなあと
・ちょっと心配だなあ。

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