2009/07/05
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第252号
********************平成21年7月5日発行***
◎
メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第252号 ◎
◎ 連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
◎
************************************
こんばんは、吉之助です。
本号はサイトに連載中の「アジタートなリズム」の第4回目をお届けします。
ペースはかなりゆっくりと進めていますが、「歌舞伎素人講釈」では最長の
論考になるでしょう。歌舞伎のすべての様式がアジタートという概念でひと
つに括れるということを順次検証していきます。
ーーー<今回の話題・1>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「歌舞伎素人講釈」講話会のお知らせ
開催場所の席の関係で・今回若干名を募集して・以後はメンバーに空きが生じ
ない限り今後の募集は当面いたしませんので、関心ある方はこの機会に是非
お申し込みください。
----------------------------------------------------------------------
「歌舞伎素人講釈」講話会を2回シリーズで行なう予定です。これは吉之助の
主催する研究会みたいなものです。
第1回テーマは「歌舞伎における古典的なフォルム」(仮題)です。
歌舞伎のなかの古典的な要素・バロック的な要素は裏腹に出ますが、今回は特
に古典的な側面に焦点を当てて考察する予定です。今回はまずクラシック音楽
など音源をお聞きいただき ・そこから歌舞伎の台詞のリズム解析を行なうとい
う手法を取ります。
第1回:6月27日(土)は終了しました。
第2回:7月25日(土)午後2時~午後5時
場所はどちらも:喫茶店「ルノアール」ニュー銀座店の会議室を使用します。
費用は未定ですが、コーヒーなど飲み物込みで2000円内(一回当り)で
収めます。
参加申し込みなど詳細についてはサイトの下記アドレスのご案内を
ご覧ください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/ml2.htm
ーーー<今回の話題・2>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アジタートなリズム
~歌舞伎の台詞術を考える (第4回)
------------------------------------
○アジタートなリズム・その16:和事の台詞・1
江戸の荒事が初代団十郎ならば、同時代のライバルである上方の和事は初代藤
十郎ということになります。 荒事と和事はまったく対照的な芸のように思われ
がちですが、藤十郎の和事の台詞まわしも江戸の荒事とは異なる方法論で写実
的な「しゃべり」の技術のうえに成り立つものです。近松門左衛門は藤十郎と
提携して多くの歌舞伎作品を書き、藤十郎のしゃべりの芸を発揮させるために
台詞の工夫をこらしたことと思います。「傾城仏の原」は元禄12年(1699)京
都都(みやこ)万太夫座で初演された近松の代表的な歌舞伎作品で、主人公の梅
房文蔵は藤十郎の当たり役のひとつとなりました。(「傾城仏の原」は近年で
は武智鉄二演出により近松座で復活上演されたことがあります。)
『されば八月十五日夜の月見、いづれの人も歌をよみ詩を作り、或いは音曲、
手なぐさみにて月を見る。身はその格をかへて三笠原といふ揚屋の座敷に布団
を敷き、其の上に奥州と二人とんと寝て月を詠めた。時に此のなんぴんが申す
は『あの月はそち、月の中にある桂男は身じゃ、偕老同穴翼連理は古い』とい
ふた。時に太夫がこましゃれたことを問ひました。『昔より中を水洩らさぬと
申すは如何やうな事を言ひます』と尋ねました。私が返答には『それはそなた
とおれがやうに睦まじく寄添い、じつと締合うた中へ水を流したりとも、中々
通らぬをいふ心じゃ』『然らば流して見ん』とあたりを見れども水はなし、折
ふし枕元に燗鍋があった。これ幸ひと両人ばったりと抱付き、上から彼の酒を
滝の如く通したれども通らぬ。『太夫、見や、そちと二人が中は水漏らさぬ事
はさて置き、酒漏らさぬ中じゃ』と共に戯れました・・・』(「傾城仏の原」)
藤十郎の台詞回しは今日まったく伝わっていませんが、この文蔵の長台詞を見
ればそれは狂言の「こざる」調の台詞ではなく・新劇の台詞だと言っても通り
そうな感じで あり、ずっと近代の方に寄った写実の「しゃべり」の芸であった
ことが明らかです。この台詞を口のなかで読んでみると、文蔵と太夫のじゃれ
あいがあるせいもありますが・リズミカルにしゃべろうとすると調子に高低を
強くつける必要があって、すんなり流れているようでいて・実は結構細かい変
化があることが分かると思います。 台詞の調子が持続せず、ひょいひょいと調
子が変わるところが藤十郎の持ち味なのです。後に近松は藤十郎と袂を分かち
・人形浄瑠璃の執筆に専念しますが、藤十郎一代の当たり芸であった「夕霧伊
左衛門」は後に形を変えて義太夫での「傾城阿波鳴渡」となり、あるいは「嫗
山姥」での八重桐のしゃべりの芸が見られることで分かる通り、藤十郎の芸は
後の近松の作品にも大きな影響を与えているわけです。
○アジタートなリズム・その17:和事の台詞・2
ご存知の通り、初代藤十郎は傾城買いの狂言を得意としました。藤十郎が演じ
た歌舞伎作品 そのものはもはや上演されることはありませんが、藤十郎の和事
のイメージは歌舞伎の和事の演技のどこかに残っているはずです。「廓文章(
吉田屋)」での伊左衛門の台詞を抜き出してみます。
『イヤイヤ隠しんな、知っている。アアこれを思えば傾城買いより紙屑買いが
遥かにましや。ハテなぜと言や。金銀を出してあっちから取るものは状文(じょ
うふみ)ばかり、七百貫目の紙屑では富士の山の張り抜きが出来る。本に埒(
らち)もないことで、大事の紙衣を涙で濡らした。アア継ぎ目の離れぬそのう
ち、さらばお暇申しましょう。(中略)イヤ慳貪なら、夕霧より蕎麦切りにし
ましょう。帰るぞ帰るぞ。(中略)イヤ留めるな留めるな。エエ留めぬなと言
うに。わが身たちも常からわしの気質を知って居ながら、帰ると言うて留まっ
た事があるか。ありゃせまいがな。留めるな留めるな。(中略)コレ喜左衛門、
今日はわが身の内の餅つきじゃのう。(中略)せっかくめでたい餅つきに、わ
しが腹を立てて帰ったら、わが身たちは気にかかるであろうな。(中略)そん
なら一口呑もうか。(中略)それでも只今わしが一旦帰ろうと言うて又ここに
居ようと言うと、わが身たちは笑うであろうな。(中略)それそれ二人とも笑
うて居るではないか。(中略)そんならそちら向いて怖い顔して居や。(中略)
イヤどう思うても、やっぱり帰りましょ帰りましょ。(中略)イヤイヤやっぱ
り去のう。くるりと回って往きましょう。行こうか居ようか。いっその事に寝
てこまそう。』(「廓文章・吉田屋」での伊左衛門の台詞)
伊左衛門は帰ると言ったり・居ると言ってみたりして我が儘放題で、突然に餅
つきの話をしてみたり・気まぐれそのもので、ちっとも落ち着きません。『帰
るか居るか・・イヤイヤやっぱり 去のう』というような安定しない・明確な形
を取ることがなく・絶えず揺れる感情、これがアジタートな感性そのものです。
台詞のリズムの形で言えば、微妙に早くなったり・遅くなったり・波のような
揺れを示すもので、 これはまさにロマン派以降の音楽に頻繁に現れるリズムな
のです。このリズムは心理学的には次のように説明できます。だんだんとテン
ポが速くなり・やがて猛烈な最高速度に達するような極度な興奮状態(すなわ
ちアッチェレランドのリズム)を示すこともなく ・だんだんとリズムが遅くな
り・やがて沈静していくような状態(すなわちリタルダンドなリズム)を示す
こともなく、つまりどっちつかずに微弱な興奮と沈静の波が交互に慢性的・か
つ緩慢に続くということです。つまり揺れるリズムとは 何とも落ち着かない・
何となくイライラした気分を示すものです。またその旋律も音程的に高くなっ
たり・低くなったりして・落ち着くことがなく、明確な旋律線を描かない音楽
になっていきます。 和事の台詞もまったく同じで、伊左衛門の台詞もドラマ的
・意思的な展開を示さない台詞です。
もうひとつの和事のアジタートな側面は突然気まぐれにワーッと騒ぎ出したり
することです。しかし、すぐに別のことが浮かんで・気分が変わってしまって
・飽きて投げ出してしまうのです。ひとつことに熱中することが全然できない
のです。伊左衛門は『そんなら一口呑もうか』と言ってワアワア騒ぐかと思え
ば、急に『わしがここに居ようと言うと、わが身たちは笑うであろうな』と言
い出して・プイッと出て行こうとするのです。 『イヤ留めるな留めるな。エエ
留めぬなと言うに』では突然カチンと来てみたりもします。そこがまさにアジ
タートなのです。これは音楽で突然急に大音響がカツーンと来る感覚と同じも
ので、そこにイライラした気分の破綻が来るわけです。これは江戸の荒事の台
詞で、助六が「つがもねえ」と大声で叫ぶのと同じ突っ張った感覚なのです。
音楽で言えば異なる旋律が次々に繰り出される感じとなり、ひとつの旋律が論
理的に展開する形式が取りにくくなります。したがって、がっしりした構成の
大曲よりも小品の集合体 的な作品が多くなってきます。このような特徴はロマ
ン派の典型であるシューマンの音楽にとても顕著に現れているものです。
一般的に江戸の荒事と上方の和事は対極の芸と思われています。しかし、表面
的に剛と柔の違いがあって・全然似た要素がないように見えても、アジタート
という観点から見れば元禄という時代の共通した気分を背負っているのです。
考えてみれば京都の藤十郎も・江戸の団十郎も同じ元禄の時代を生きた役者な
のですから、同じ時代の共通した気分を取り込んでいるのは当たり前ではあり
ませんか。そのことが荒事と和事の台詞のリズム分析から感知できます。気分
の表出の仕方が違う・そのことだけで荒事と和事は分けられているのです。
○アジタートなリズム・その18:義太夫狂言のリズム・1
寛永6年(1629)の江戸幕府による遊女歌舞伎禁止の禁止・すなわち歌舞
伎での女優の禁止によって、創成期の歌舞伎の写実の理想は頓挫しました。「
歌舞伎素人講釈」ではこのことを「歌舞伎の 1回目の死」と呼んでいます。こ
のため歌舞伎は一時的に袋小路に追い込まれました。(これについては別稿「
歪んだ真珠~バロック的なる歌舞伎」で触れています。)ですから歌舞伎の女
形は仕方なく生まれたものなのですが、仕方なく生まれたものでも・女形がい
なければ芝居が出来ません。だから歌舞伎は芝居のなかで女形をどう生かすか
・言い換えれば芝居全体のなかで如何に女形の芸を不自然に見せないように 位
置つけるかという形で発展していきます。つまり女形が歌舞伎の全体の表現を
規定していくことになります。そのひとつの解決法が人形浄瑠璃の歌舞伎への
導入・すなわち義太夫狂言の誕生でした。
なぜ人形浄瑠璃の導入が歌舞伎の窮地を救うことになったのかと言うと、それ
は義太夫節が男性の語り手(大夫)によって語られるモノ・セックスの芸能で
あったからです。義太夫では大夫が男性・女性の役柄を声色を変えて描き分け
るのです。つまり男性の大夫が声のトーンを変えることで女性みたいな声を作
る・この技術を女形が取り入れることで 歌舞伎のなかに女形芸をすんなりと位
置付けることが可能になったのです。人形浄瑠璃の ドラマとしての質の高さが
それまでの物真似芸的な歌舞伎の演劇性を飛躍的に高めたということも疑いあ
りませんが、これについては別の機会に詳しく論じたいと思います。本稿では
義太夫狂言の台詞について簡単に考えますが・人形浄瑠璃を取り入れたことに
よる顕著な変化は、歌舞伎の台詞 が写実の「しゃべり」の芸から・様式的な「
語り」の方向へ傾斜したということです。「様式的」ということは、義太夫節
は三味線による伴奏を持つ音楽であり・つまり「歌謡」であるわけですから、
必然的に台詞のなかに節回し(一定の音程・リズムに縛られた要素)があると
いうことです。義太夫狂言の場合は役者が地(台詞の部分)を受け持ち・竹本
が色(音楽的な部分・あるいはト書きの部分)を受け持つということになりま
すが、そこに音楽的なトーンの統一がなければ舞台が分解してしまうからです。
したがって義太夫狂言の台詞が音楽的な要素を持つことは間違いありません。
しかし、その一方で台詞が音楽的な要素に傾斜しすぎることは歌舞伎の独自性
を損なう ことであるということも意識しておかなければなりません。歌舞伎役
者に義太夫の素養が必須であることはもちろんですが、ある狂言のサワリを本
格の義太夫の息で演ることが良い成果を挙げると必ずしも言えない場合があり
ます。それならば人形浄瑠璃の人形の代わりを役者が勤めるのと大して変わら
なくなるからです。ここで具体例は挙げることはしませんが、ある役者さんが
見事な義太夫の息で演技を見せた時、吉之助の耳には台詞がリズムに乗りすぎ
て・情感が沈みこまねばならぬ場面で・演技がサラサラと前に進んでしまうよ
うな印象を受けたことがあります。これは人形浄瑠璃の場合ならばそのリズム
で良いのですが、人間が演じる歌舞伎の場合にはそれでは駄目で、 場合によっ
てはもっとリズムを粘って取っていかねばならぬ・あるいはテンポを意識的に
揺らしていく必要がある・そうやって音楽的な要素を崩す方向へ行かねばなら
ない・そういう場合が歌舞伎にはあるのです。そうすることで歌舞伎というバ
ロックな要素を持つ芸能の特徴が出せるということです。これはちょっと逆な
感じに見えるかも知れませんが、これがバロック的な写実の手法です。(これ
とはちょっと違う観点からですが、別稿「子別れの乖離感覚」をご参照くださ
い。)このことはしばしば誤解されていますが、義太夫狂言の台詞の場合でも
三味線に乗った「歌う」ということを全面に出すことは禁物で、「写実」とい
うこと・どうやってリアルさを出すか・ということを常に念頭に置かねばなら
ないと思います。
○アジタートなリズム・その19:義太夫狂言のリズム・2
三味線は旋律楽器であると同時にリズム楽器でもあります。安土桃山時代に南
蛮から渡来したとされる三味線が日本の音楽に与えたものは、明確な拍(リズ
ム)の概念でした。いや正確にはそれまでの伝統音楽にももちろん拍はあるの
ですが、それを拍という概念で捉えることがなかったのです。例えば舞踊でチ
ントンシャンで「きまる」というようなことは、先行芸能である能や狂言には
存在しないものでした。三味線が観客に与える定間のイメージにはまるから「
きまった」という感覚が生まれてくるわけです。三味線のリズムが義太夫節に
与えた表現の幅というものはそれまでの芸能とは次元が違ったダイナミックな
ものであったと思います。
義太夫節の最も華やかな場面は「熊谷陣屋」や「実盛物語」に見られる「物語
り」の場面であり・これももちろんアジタートの概念で論じられるものですが、
本論は台詞のリズムを主題にしているのでそれは別の機会に論じるとして、こ
こでは「タテ言葉」について考えてみます。タテ言葉とは「立て板に水を流す」
ようにサラサラと早口に台詞をしゃべるもので、元は浄瑠璃(義太夫)の用語
です。現代なら「機関銃のようにしゃべる」とも表現できます。早口の台詞が
荒事のなかにもあることは「荒事の台詞・14・15」でも触れた通りです。
しかし、荒事の早口は写実の「しゃべり」が基本にありますから、その台詞の
なかに緩急の波があり、時に急ストップ・時に大絶叫というアクセント で変化
が付いています。これに対して義太夫のタテ言葉の場合には、タンタンタンと
心地良い軽快なリズムがインテンポで続く点が違っています。タテ言葉の例と
して「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」での佐々木盛綱の台詞を挙げておきます。
「イイヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。父が為
に命を捨つる幼少の小四郎が、あんまり神妙健気さに不忠と知って大将を欺き
しは弟への志。彼が心を察するに、高綱生きてある中は鎌倉方に油断せず、一
旦討死せしと偽って山奥にも姿を隠し不意を討たんず謀(はかりごと)。しか
れども底深き北條殿、一応の身替りは中々喰はぬ大将、そこを計って一子小四
郎を、うまうまとこの方へ生捕らせしが術の根組、最前の首実験、贋首を見て
父上よ誠しやかの愁嘆の有様に、大地も見抜く時政の眼力をくらませしは教へ
も教へたり、覚えも覚えし親子が才智、みすみす贋首とは思へども、かほど思
ひ込んだ小四郎に何と犬死がさせらう。主人を欺く不調法、申し訳は腹一つと
極めた覚悟も、負うた子に教へられ浅瀬を渡るこの佐々木、甥が忠義にくらべ
ては、伯父がこの腹百千切っても掛け合ひがたき最期の大功。そちが命は京鎌
倉の運定め、出か いたな出かした」(「近江源氏先陣館・盛綱陣屋」・浄瑠璃
床本での佐々木盛綱の台詞 )
「盛綱陣屋」の最終場面で盛綱が一気にまくし立てる台詞はどういう気分を表
現しているのでしょうか。北条時政を前にした首実検で盛綱は偽首を「弟佐々
木高綱の首に相違ない」と偽証しますが、その理由を盛綱はここで一気に述べ
立てます。それまで何かに押さえ付けられて言いたくても言えなかった事を吐
き出すようにです。逆に言えば、そのようなただならぬ所まで盛綱を追い込ん
だ状況の正体が・その早いリズムのなかにはっきりと意識されているのです。
早いリズムが盛綱を急き立てて、真実を一刻も言ってしまわねば胸の内がどう
にも収まらない気分になって現われます。それがタテ言葉の表現するものです。
タテ言葉の早いリズムは、観客の耳に小気味良く・快適に感じられることと思
います。そう感じるのは間違いではありません。快適に感じるように・聴き手
を興奮させるようにタテ言葉は作られているのです。しかし、見方を変えれば、
そのタテ言葉のリズムは決して自然なしゃべり言葉のリズムではないことが明
らかです。それは異様な興奮に裏打ちされた・機械的なリズムなのです。そう
考えると、小気味良いリズムの陰に実は人間性を押さえ込む不気味で圧倒的な
ものが潜んでいることが見えてきます。
義太夫のタテ言葉の基本は上記の通りですが、これを歌舞伎で演る場合に義太
夫そっくりそのままインテンポで台詞をしゃべったのでは歌舞伎にならぬこと
もあるので 少々工夫が必要になります。すなわち一気にまくし立てる快速リズ
ムを基調として維持しつつも、内面から突き上げる感情によってそのリズムを
突き崩そうとするような揺れの表現・激しさの表現を微妙に加えることが必要
になってきます。このことは歌舞伎のバロック的な表現を考える時に非常に大
事なことです。いずれにせよタテ言葉の基調となるインテンポの快速リズムに
よって主人公の内面の葛藤を表現する・これが義太夫狂言の「アジタート」な
のです。
○アジタートなリズム・その20:義太夫狂言のリズム・3
舞踊でチントンシャンで「きまる」ようなことは先行芸能である能や狂言には
存在しないものでした。能のお稽古で何かの拍子で動きが定間に入ってしまう
と、「何ですか。いやでございますね。」と師匠から叱られるのだそうです。
「きまる」というのは、それまでの日本の芸能の感覚からすると「いやなこと」
だったのです。それは音楽的に言えば本来の日本音楽の概念には存在しなかっ
た間・三味線の作る西洋音楽的な間(定間)に思わずはまってしまうというこ
とでした。これは既成の感覚からすると「 いやなこと・野暮なこと」だったの
です。逆にいえば歌舞伎はそのような人に嫌われるようなことを意識的に行な
って観客を挑発したのかも知れません。当時の「識者」たちはそれを見て顔を
しかめたことでしょう。そこに歌舞伎の「傾いた」要素があるわけです。
しかし、ちょっと視点を変えて義太夫狂言で生身の役者が義太夫のリズムに乗
って芝居を演じることを考えてみると、こんなことが言えると思います。定間
というのは慣れてしまえば観客にとって も役者にとっても・乗り易い・分かり
易い間なのです。心地良いリズムに乗ってしまえば・何となくそれで良いよう
な気分に陥ってしまいます。しかし、その情感は実体をサラサラと上滑りして
・その上を通り過ぎてしまうのです。演技面から見れば、これは生身の役者が
音楽に動かされる木偶と化すということに他なりません。役者の動きは義太夫
の視覚的な説明にしかすぎなくなる。(これについては別稿「子別れの乖離感
覚」をご参照ください。)台詞面から見れば、それは写実の「しゃべり」から
様式的な「 語り」・さらに「歌い」の方向に引き寄せられて しまい、肉声の
要素を失なってしまうということです。ですから「きまる」あるいは「糸に乗
る(リズムに乗る)」ということは確かに歌舞伎のひとつの特徴ではあります
が、これに身を完全に預け切ってしまうことは 本来は写実の演劇を目指すはず
であった歌舞伎の本義にもとることなのです。そこに歌舞伎の葛藤がある。で
すから義太夫狂言の場合、役者が地(台詞の部分)・竹本が色(音楽的な部分
・あるいはト書きの部分)と分けて持つわけですが、 竹本との掛け合いの・お
そらく最も義太夫狂言らしい場面においても、音楽的なトーンの統一を破壊し
ない程度にまで・役者は台詞を写実の「しゃべり」の方へ引っ張ることが大事
なことになります。実際、義太夫狂言の台本を・丸本(オリジナルの人形浄瑠
璃本)と比べて見れば、人形浄瑠璃の真似ではない・生身の人間が演じる芝居
にしようと狂言作者が出来る限りの苦心をしていることが察せられます。まあ
そのためにオリジナルの骨格が崩れてしまっている弊害も確かにあるのですが、
それは仕方がないことなのです。
前節で取り上げた「盛綱陣屋」での盛綱の台詞を見てみれば、「大地も見抜く
時政の眼力をくらませしは教へも教へたり、覚えも覚えし親子が才智」の箇所
は、歌舞伎では「教へも教へ・・覚えも覚えし親子が才智」のところで盛綱の
「泣き」が入り、それまでの台詞の定間の快速リズムが ここで大きく破綻しま
す。「かほど思ひ込んだ小四郎に何と犬死がさせらう」の箇所も同様で、盛綱
は大きく声を張り上げて・ここに強い感情の揺れを入れなければ歌舞伎になり
ません。さらに「母人、褒めておやりなされ、なぜ褒めぬ、褒めてやれ褒めて
やれ」の箇所は歌舞伎の入れ事で・ここは役者が思い切り膨らませて歌舞伎独
特の華やかさを全面に出さねばならぬところです。このような歌舞伎の工夫は、
義太夫の視点から見れば崩しに他なりません。また歌舞伎が盛綱という役の性
格を「情」の方へ傾斜させてしまった嫌いも確かにあると思います。しかし、
歌舞伎の視点から見れば・それは様式的なリズムに乗った台詞を「しゃべり」
の写実の方向へ・生身の人間の声に なんとか引き戻そうとする格闘でもあった
のです。(別稿「歌舞伎における「盛綱陣屋」」もご参考にしてください。)
○アジタートなリズム・その20:義太夫狂言のリズム・4
義太夫狂言が文楽(人形浄瑠璃)の真似ではない・生身の人間が演じる芝居で
あるならば、何がそう感じさせるのか・どこをどう工夫すれば歌舞伎になるの
か・そういうことを考えて見なければなりません。現行の歌舞伎の演技ベクト
ルはどちらかと言えばその逆かも知れませんねえ。巷の劇評によく言うところ
の義太夫味・人形味という用語はどういう風に使われているでしょうか。「あ
のお芝居は元が文楽だったんだって。なるほどそんな感じだねえ」という風に
オリジナルを想起させる方向に演技ベクトルが向いているようです。それは決
して間違いというわけでもないのです。故郷は常に意識されるべきものだから
です。しかし、義太夫狂言が歌舞伎であることの意義は、むしろ歌舞伎と文楽
のリズムの微妙な齟齬から生まれてくるものです。本稿は台詞のリズム論が主
旨ですが、これは歌舞伎の演技のリズム設計・あるいは全体の場面構成とも密
接に絡むものですから、ここで手短かに触れておきたいと思います。
例えば「寺子屋」において奥で小太郎が首打たれる音がして・松王が思わずよ
ろめいて戸浪に突き当たり・「無礼者め」と叫んで大きく見得をする箇所は最
高に歌舞伎らしい場面です。しかし、原作である文楽にはこの場面はなく・こ
れは歌舞伎の入れ事です。松王の心理行動をたんねんに追えば「無礼者め」は
何だか取ってつけたような不自然な感じが多少しなくもありません。それでは
原作通りにして・歌舞伎から「無礼者め」を取ってしまったらどうなるでしょ
うか。多分歌舞伎らしくなくて・物足りなく感じると思います。そう感じるの
は我々が普段の歌舞伎の「寺子屋」の型を見慣れてしまったせいではなく、歌
舞伎はそうすることで文楽の丸真似ではない・生身の人間が演じる芝居である
ことの何かを主張しているのだと考えたいと思います。(実はこの場合に本当
に大事なのは「無礼者め」の見得ではなく・その前に思わず松王がよろめいて
しまう世話の演技なのですが、そのことは更に以降をお読みください。)
別稿「六段目における時代と世話」で触れましたが、「六段目」には世話の場
面にフッと時代の陰が差し・それが消えては現れたりしながら・やがて 全体が
大きな時代の構図に飲み込まれていくという流れがあります。これはもちろん
原作の文楽自体が持つものですが、現行歌舞伎の音羽屋型(三代目菊五郎の型
から発したものです)はその様式の揺れを利用して・巧みに歌舞伎の生世話の
手法を挿入しています。そこに歌舞伎独自の主張があるのです。したがって、
別稿「時代と世話」に触れた通り・歌舞伎の勘平の台詞回しにも同じような世
話と時代の揺れが出るわけですが、それはオリジナルの文楽が示すところのリ
ズムとは微妙に異なったものとなります。
別稿「吉右衛門の樋口」で触れた「逆櫓」での松右衛門(実は樋口)の見顕し
も同様で、歌舞伎の見顕しの方がオリジナルの文楽より世話の切り込みをより
強くする入れ事がされています。それによって世話と時代の交錯がより強まっ
ているのです。当然のこと・この場面の樋口にはその様式の揺れに即応した台
詞回しが要求されるわけで、それはオリジナルの文楽が示すところのリズムと
は微妙に異なったものとなってきます。そこに歌舞伎独自の主張があるわけで
す。
義太夫狂言が文楽の真似ではない・生身の人間が演じる芝居であるということ
の意義は、オリジナルに対して世話の切り込みを細かく挿入するという工夫に
よって表出されます。なぜならば出雲のお国以来・歌舞伎の本義はずっと写実
なのであり・そのことは決して変っていない 。つまりそれは演技理念としては
世話であるからです。世話の切り込みが、その前後の時代の彫りをより強く深
く・より印象的に浮き上がらせます。逆に言えば、世話の切り込みの深さをよ
り効果的に見せるためにその前後の時代の表現が次第に強めになって行きます。
これが歌舞伎の義太夫狂言の表現なのです。ですから義太夫狂言を演じるのに
役者に義太夫の素質は必要なことはもちろんですが、役者が義太夫そっくりそ
のままの息で台詞をしゃべったのでは歌舞伎にならぬということを肝に銘じな
ければなりません。巷で言われるところの「義太夫味」という用語の意味はよ
くよく吟味されねばなりません。
(本稿に関連するサイトの記事)
「歪んだ真珠~バロック的なる歌舞伎」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi29.htm
「子別れの乖離感覚」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/butai62.htm
「歌舞伎における盛綱陣屋」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin95.htm
「六段目における時代と世話」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin104.htm
「時代と世話」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/butai34.htm
---------------------------------------------------------------------
○メルマガ「歌舞伎素人講釈」 不定期発行
○発行人:吉之助 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
このメールマガジンは、下記のシステムを利用して発行しています。登録の解
除・変更は下記にてお願いします。
「まぐまぐ」
http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000057141)
「カプライト」
http://kapu.biglobe.ne.jp/ (マガジンID:1811)
○ご感想・ご要望などは、下記にお寄せください。
kabuskm@mail.goo.ne.jp
----------------------------------------------------------------------


