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歌舞伎・文楽などの伝統芸能を材料にして、「日本のこころ・芸のこころ」を、民俗学的・歴史学的あるいは心理学的に、さまざまな角度から考えていくメール・マガジンです。

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2009/06/14

歌舞伎素人講釈

********************平成21年6月14日発行***
   
                               ◎
      メルマガ「歌舞伎素人講釈」  第251号     ◎ 
                                        
     ◎       連動ホームページ: http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/
    ◎
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こんばんは、吉之助です。本号はサイトに連載中の「アジタートなリズム〜歌舞
伎の台詞術を考える」の3回目で、元禄期の荒事の台詞を考えます。

まずは2週間後に「歌舞伎素人講釈」講話会が予定されていますので、その
ご案内です。

ーーー<今回の話題・1>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「歌舞伎素人講釈」講話会のお知らせ

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「歌舞伎素人講釈」講話会を2回シリーズで行なう予定です。これは吉之助の
主催する研究会みたいなものです。

第1回テーマは「歌舞伎における古典的なフォルム」(仮題)です。

歌舞伎のなかの古典的な要素・バロック的な要素は裏腹に出ますが、今回は特
に古典的な側面に焦点を当てて考察する予定です。今回はまずクラシック音楽
など音源をお聞きいただき ・そこから歌舞伎の台詞のリズム解析を行なうとい
う手法を取ります。

第1回:6月27日(土)午後2時〜午後5時

第2回:7月25日(土)午後2時〜午後5時

場所はどちらも:喫茶店「ルノアール」ニュー銀座店の会議室を使用します。
費用は未定ですが、コーヒーなど飲み物込みで2000円内(一回当り)で
収めます。

参加申し込みなど詳細についてはサイトの下記アドレスのご案内を
ご覧ください。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/ml2.htm


ーーー<今回の話題・2>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

アジタートなリズム
〜歌舞伎の台詞術を考える (第3回)

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○アジタートなリズム・その11:急き立てる台詞

元禄の江戸歌舞伎の名優・初代市川団十郎は江戸に於いて金平物で大人気を博
しましたが、団十郎はその勢いを得て元禄七年(一六九四)に京都に上り村山
座で荒事芝居を演じました。しかし、京都の観客の評判はあまり良いものでは
ありませんでした。当時の評判記「役者口三味線」は初代団十郎の台詞廻しを
次のように伝えています。

『物いはるるに息つぎ急はしく、じゅつなそうに見えて気の毒。』

「じゅつなそう」というのは台詞の技術がないという意味です。京都の観客に
は初代団十郎の台詞は早過ぎて落ち着かない・拙い感じに聞こえたようです。
当時の上方と江戸では話言葉のアクセントもイントネーションも相当違ってい
たと思われます。京都人には初代団十郎の台詞廻しが実際以上に早口に感じら
れたかも知れません。ここで「物いはるるに息つぎ急はしく」と記されている
ことに注目したいと思います。翻って時代は変わりますが、大正時代に新歌舞
伎を創始した二代目市川左団次の台詞廻しを久米正雄は次のように評していま
す。

『人は左団次の口跡を悪評して、ややもすれば単なる怒号と云う。しかも彼が
あの一本調子を以って、焦き込みがちに台辞を畳んで行く時、その息の刻み方
に於いて、吾々のそれとぴたりと合致する。(中略)息の刻みだけで吾々を捉
へずには置かない。』(久米正雄:「左団次の信長」・『演芸画報』・大正九
年二月)

二代目左団次の台詞は録音も残っていますが、いわゆる棒に読む感じの台詞廻
しに感じられます。その二代目左団次の台詞を久米正雄は「一本調子を以って、
焦き込みがちに台辞を畳んで行く」と書いており、ここに「焦き込みがち」と
いう表現が出てきます。この点に注意をしたいと思います。

およそ二百年の時を隔てたふたりの名優の台詞廻しについて触れました。そこ
にある共通の表現(イメージ)は「気ぜわしく・焦き込みがちで・急き立てる
ような台詞」と言うことです。どちらの名優にも早口で・どこかしらセカセカ
した気分があったということです。このことは初代団十郎・二代目左団次とい
うふたりの役者の個人的な特徴に過ぎないと簡単に片付けるわけにはいきませ
ん。初代団十郎は三升屋兵庫という筆名を持ち・脚本まで書いていました。だ
から、その台詞廻しは団十郎の作品の台詞に直接的に反映したはずです。二代
目左団次についても・多くの作家たちが二代目左団次に演じてもらうために(
つまり二代目左団次を想定して)作品を書いたのです。だからその作品の台詞
廻しは初代団十郎については元禄歌舞伎(荒事)の・二代目左団次については
新歌舞伎の・それぞれの様式(フォルム)の根本をなしていると考えられます。


武智鉄二は歌舞伎の演技様式はおおよそ12あるとしました。歌舞伎は異なっ
た演技様式の集合体なのです。そこで本稿では約二百年の時を隔てた歌舞伎の
創成期(初代団十郎)と最終期(二代目左団次)のふたりの名優を結びつける
キーワードとして「急き立てるリズム」を想定してみることにします。そして、
このふたりの名優を結んだ直線上に・すなわち「急き立てる 気分」のイメージ
の上に歌舞伎の台詞のすべての様式が乗ってくるということを考えてみます。
遠くから眺めてみれば・それらは急きたてる気分・すなわちアジタートな 気分
によって括ることが出来るわけです。

○アジタートなリズム・その12:荒事の台詞

初代団十郎が14歳で「四天王稚立(してんのうおさなだち)」の坂田金時を
演じて大当りを取って劇界にデビューしたのは寛文12年(1672)のこと
でした。かぶき者の最後の時期に当たります。その少し前のことですが・寛文
4年(1664)に旗本奴の代表と言うべき水野十郎左衛門が切腹を申し付け
られました。評定に呼び出された十郎左衛門は髪も結わず白装束で席に着いた
ため、お上を恐れる振る舞いであると即日切腹を命じられたのです。かぶき者
は江戸初期に都市部で流行した異風を好み・派手な身なりで・奇抜な行動に走
る者たちのことを言いますが、この頃から幕府のかぶき者の弾圧が強化されて
いき・元禄期にはかぶき者の姿は見えなくなりました。

別稿「荒事における稚気」において・「荒事芸は童子の心を以て演ずべし」と
いう口伝は何を意味するかを考えました。荒事に見られる「稚気」には、かつ
てかぶき者の過剰さが人々に愛された時代の名残りがあるのです。元禄の初代
団十郎の時代にはかぶき者は既に姿を消していますが、芝居のなかのかぶき者
に「元気の素」がまだしっかり残っているのです。初代団十郎の初演 (元禄1
0年・1697・ 初演外題は「大福帳参会名護屋」)に始まる「暫」の鎌倉権
五郎は奇怪千万なメーキャップと衣装で虚仮脅しをしていますが、そこに自分
の過剰さが観客に愛されているという甘えが見て取れます。それが童子のイメ
ージに繋がる 要素です。童子のイメージから祭祀性が照射されます。権五郎は
揚幕の方まで下がってくれと言われて「嫌だ」と拒否しますが、「イーヤーダ
ー」と幼児がダダをこねるように高調子で言います。「睨み殺すぞ」というよ
うな台詞も・リアルに言わないで、「ニラミコーロースゾー」と子役の台詞み
たいにわざと棒に言ってみたりします。かぶき者である自分の気風が観客に愛
されているという確信があるから、観客に媚びているのです。そして観客もそ
れを許す。そこにかぶき者にとって古き良き時代の記憶があるのです。それは
楽しかった過去の幼児期の記憶のようなものです。

と同時に芝居のなかのかぶき者は「今は俺の時代ではない(俺の時代はとっく
の昔に過ぎ去ってしまった)」という憤懣を感じてもいます。そうした焦燥感
・イライラ感が荒事の台詞に しばしば現れます。急に大声を張り上げる・ある
いは急に台詞の速度を上げて勢い良くまくしたてるという表現などです。音楽
で言えば・いきなりバーンと大音量 を立てて旋律を立ち切って聴衆を驚かせる。
猛烈なアッチェレランド(急加速)で聴衆を急き立てるということです。これ
がアジタートな表現の典型的な例です。

二代目団十郎の初演(正徳3年・1713・初演外題は「花館愛護桜」)に始
まる「助六」で言えば、助六が花道から本舞台へ行く時の「どうでんすなどう
でんすな。いつ見ても美しいお顔揃い。そんならぶつしけながら割り込みましょ
うか」という台詞は「どうですんな」の頭の箇所にアクセントを付けて大きく
張り上げて、セカセカとしたテンポで一気に まくし立てないと引き立ちません。
セカセカしたテンポにかぶき者の竹を割ったような性格が現れます。花魁たち
に煙管をたくさんもらった助六が言う「このようにめいめいご馳走に預かりま
しては、しんぞ火の用心が悪うごんしょうえ」という台詞もセカセカと一気に
言い、「悪うごんしょうえ」では急に大声を張り上げて見栄を張ります。

『なんとキツイものか。大門へぬっと面を出すと、仲野町の両側から馴染みの
女郎の吸い付け煙草で煙管の雨の降るようだわ。昨夜も松屋の店へちょっと腰
を掛けると、五丁町の吸い付け煙草で、誓文、店先へ煙草を蒸籠(せいろう)
のように積んだ。女郎づかを握る者は是でなければ嬉しくねえ。大尽だなぞと
大きな面をしても、こういうことは金づくじゃならねえ。そこな撫で付けどの、
誰だか知らねえが煙草が用なら、一本貸して進じょう。サア、持ってござらぬ
か、どうでんすな・どうでんすな』

この助六の 台詞ではベリベリと早口で・全体にセカセカした気分が漂っており、
急に声が高くなったり・大声になったり、しかも台詞がブツブツと切れます。
「煙管の雨が降るようだわ」というカツンと頭に当たるような高い音への飛躍、
「どうでんすな・どうでんすな」と強くブツブツ切れる台詞。誰かにこのイラ
イラをぶつけなければ納まらないような気分に満ちています。まさにアジター
トの表現です。このような助六の台詞のアジタートのリズムが表現するところ
のイライラした気分は意休に対する助六の敵意を示すものですが、それと同時
に当時のかぶき者の抑圧された鬱屈した気分を表現してもいるのです。

○アジタートなリズム・その13:荒事の台詞・2

歌舞伎十八番の「暫」の始まりは、初代団十郎が元禄10年(1697)に演
じた「大福帳参会名護屋」と言われています。「暫」になくてはならないのが
「つらね」です。 それは大福帳の来歴を豪快かつ流麗に言い立て・「ホホ敬っ
て申す」で終わる様式的な長台詞で、初代・二代目団十郎ともに名調子で鳴ら
したものでした。この「しゃべり」の技術は元禄歌舞伎の話し言葉の原型を残
すものです。(注:その後の歌舞伎は人形浄瑠璃を取り込むことで語り言葉に
傾斜していきます。)次に挙げるのは同じく「暫」の系譜である・享保2年(
1717)森田座での「奉納太平記」での二代目団十郎自作による大福帳のつ
らねの最後の部分です。

『天下泰平の大福帳紙数有合ひ元弘元年、真は正徳文武両道紅白の、梅の咲分
前髪に、かつ色見する顔見世は、渋ぬけて候栗若衆、幕の内よりゑみ出ると隠
れござらぬいが栗の、神も羅漢も御存じの、十六騎の総巻軸、篠塚五郎定綱が、
大福帳の縁起ぐわつぽうてんぽうすつぽうめつぽうかい令満足、万々 ぜいたく
言ひ次第、大福帳の顔見世と、ホホ敬つて申す。』

この台詞を口のなかでムニャムニャつぶやきながら・どうしたら荒事の台詞ら
しくなるか想像してみて欲しいのですが、「ぐわつぽうてんぽうすつぽうめつ
ぽうかい令満足 、万々ぜいたく言ひ次第」の部分は棒に一気にまくし立てると
ころで、「ぐわつ/ぽう/てん/ぽう/・・」という風にタンタンタン・・という
機関銃のようなリズムが想像できます。これがツラネ全体のリズムの基本イメ
ージですが、それだけでは台詞が単調にな りますから、実際には前後にリズム
の緩急・音の高低をつけて・それで変化をつけるのです。ですから「ぐわつぽ
うてんぽう」の直前の「大福帳の縁起」はテンポを持たせて・ 大きく張り、最
後の「大福町の顔見世と」でテンポをぐっと落として・「敬って申す」で声を
高く・裏に返して張り上げる形となります。これで荒事の台詞になります。最
後の「敬って申す」で声を張り上げる様式的印象が鮮烈なので・忘れてしまい
そうですが、タンタンタン・・のリズムを決めるところが基本的に写実であり
・そこが話し言葉の原型を持つ箇所なのです。台詞の語句はしっかりと明確に
噛むように発声しなければなりません。ただし、緩慢ではあるがタンタンタン
・・のリズムのなかに急き立てる感覚が感じられます。この点に注意をしてく
ださい。

この大福帳のツラネのテンポ設計は「勧進帳」の弁慶の勧進帳読み上げの最後
の部分にそっくりそのまま当てはまります。現行舞台の「勧進帳」読み上げは
どれも実事の色が勝ち過ぎで・荒事だということが どうも感じられませんが、
この台詞は「・・蓮華の上に座せん」までをタンタンタンのリズムで一気に言
って、そのあとテンポをぐっと落として「敬って申す」で声を高く・裏に返し
て張り上げるのです。

『一紙半銭奉財の輩は、現世にては無比の楽を誇り、当来にては数千蓮華の上
に座せん。帰命稽首、敬って申す。』 (「勧進帳」弁慶の読み上げの最後の部
分)

「勧進帳」は天保11年(1840)に七代目団十郎が初演したもので、初代
・二代目得意の荒事に発する歌舞伎十八番のなかで成立年代がかけ離れ、作風
においても異質に思われ るかも知れません。しかし、七代目が「勧進帳」を歌
舞伎十八番の内と位置付けたことは、この作品が荒事の系譜を引くということ
を意味するのです。「勧進帳」が荒事であることの証(あかし)は随所に見え
ますが、そのひとつの例が勧進帳読み上げです。それは「暫」のツラネの様式
を踏襲するものであり、元禄歌舞伎の「しゃべり」の技術をそこに再現しよう
とした意図が明らかです。さらにつづく弁慶・富樫の山伏問答でその技術的・
演劇的発展を試みることになります。

○アジタートなリズム・その14:荒事の台詞・3

「勧進帳」の山伏問答は原作であるところの謡曲「安宅」にはないものです。
七代目団十郎は当時講談で呼び物であった「弁慶と富樫の山伏問答」を講談師
燕凌(えんりょう)と南窓を招いて実演させて、これを「勧進帳」のなかに取
り入れました。団十郎の意図は「勧進帳」に更なるドラマ性を盛り込むととも
に、そこに元禄歌舞伎の伝統である「しゃべり」の技術を応用することにあり
ました。市川家の家の芸(荒事)を標榜するためだけなら 、団十郎は「御贔屓
勧進帳」の芋洗いの弁慶を演じれば・それで良かったはずです。その案を団十
郎が採らず、弁慶を単なる荒事のキャラクター以上のものに仕立てたというこ
とは、元禄の時代遅れの荒事(天保期には荒事は 既にそのようなイメージで見
られていました)ではない・新しい時代の荒事を七代目が意図したということ
です。ですからこの芝居のタイトルが原作と同じ「安宅」ではなく「勧進帳」
であるということ・さらに歌舞伎十八番の内を名乗っ たということは、勧進帳
読み上げとそれに続く問答こそ「勧進帳」の核心であることを示すものです。

山伏問答のテンポ設計については別稿「勧進帳は音楽劇である」で考察しまし
た。全体的なイメージはだんだんと速度を上げていくアッチェレランドと考え
て間違いありません。しかし、「しゃべり」の本質は写実性にあるわけで、前
述した通り・弁慶の問答のタンタンタン・・のリズムを決めるところが話し言
葉の原型を持つ箇所です。ですから弁慶の台詞のテンポが変化するのではなく、
テンポの変化は富樫が押していくことで作るものです。富樫が押したテンポを
弁慶が受け取って答える。さらに早めたテンポで富樫が問うて、そのテンポを
受け取って弁慶が答えるという形です。そうやって問答のテンポが 段階的に上
がってきます。互いに息を詰めて間髪入れずに問答する気合いが必要なのです。
現行の歌舞伎の舞台のように富樫の問いに弁慶が「・・・ううむ」とうなずい
て鷹揚に構えた返答を したり、富樫の方も弁慶の返答に対して「・・・なるほ
ど・・それならば次の問いを・・」という感じで間を置いて質問するのでは「
音楽」にはなりません。

アッチェレランドは急き立てる(アジタート)な感覚の典型的なパターンです。
山伏問答の最高潮は富樫「出で入る息は」・弁慶「阿吽の二字」の箇所になり
ます。ここで最速ギアに入っていた問答が弁慶の甲高い大声で急ストップが掛
かります。これがまさに荒事らしいアジタートな表現 です。しかし、ここで富
樫も負けていません。「そもそも九字の真言とはいかなる義にや事の次いでに
問い申さんササ何と何と」、速い速度で息を継がずに一気に言い切って ・弁慶
を追い込まねばなりません。このテンポの急転変転自体がドラマなのです。

次の弁慶の「九字の大事は神秘にして・・・」以下の長台詞は読み上げと同じ
くツラネの伝統を引いていることは言うまでもありません。そして「あなかし
こあなかしこ大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ・・」から最後までギアをいき
なりトップに入れて 、これは体操の床運動演技のフィニッシュとでも言うべき
ものです。そして「かくの通り」で声を甲高く裏に返して決めてみせれば、そ
れでこそ荒事の山伏問答なのです。そこにアジタートな感覚が出てくるのです。
現行の歌舞伎は 山伏問答を対話劇だと考えていると思います。もちろんその要
素はあるわけですが、そちらの方へ傾き過ぎると意味が通る問答にはなっても
・荒事のアジタートな感覚が出てこないのです。アジタートな感覚は台詞のテ
ンポが生み出すものです。言葉の意味が生み出すのではありません。読み上げ
・問答にテンポ設計がなければ「勧進帳」が歌舞伎十八番(荒事)であること
の意味が見えてこないわけです。(この稿つづく)

○アジタートなリズム・その15:荒事の台詞・4

初代団十郎の台詞廻しが「物いはるるに息つぎ急はしく、じゅつなそうに見え
て気の毒」と評され、その約200年後の二代目左団次の台詞回しも「一本調
子で焦き込みがち」と似たようなことを言われたことは先に触れました。別稿
「左団次劇の様式」において左団次が創始した新歌舞伎様式について考えまし
た。左団次劇の台詞は「強・弱」でタンタンタン・・とリズムを刻んでいくの
が基本イメージ になります。これは荒事の台詞の「しゃべり」のリズムと感じ
がとてもよく似ています。例えば「助六」でのツラネは厄払いの様式をとって
おり、台詞は緩急が付きますが・部分的に早めの四拍子(四拍子は二拍子 を細
分化したものです)でタタタタと畳む箇所があります。関東方言は頭打ち(拍
の頭にアクセントが付く)になるので、「強・弱」の四拍子のリズムになって
います。そのリズムにいきり立つ男達(おとこだて)の気分が現れています。
同様に「修善寺物語」の夜叉王の幕切れの台詞にも高揚した気分を一気に吐き
出そうとする「強・弱」」(trochiaic)のリズムなのです。

(助六)「遠くは八王子の炭焼売灰の歯っ欠け爺い、近くは山谷の古やりて梅
干婆ァに至るまで、茶呑み話の喧嘩沙汰、男達の無尽のかけ捨て、ついに引け
ステを取ったことのねえ男だ」(ハチ/オウ/ジノ/スミ/ヤキ/バイ/タン/ノ/ハッ
/カケ/ジジ/イ/チカ/クハ/サン/ヤノ/フル/ヤリ/テ/ウメ/ボシ/ババ/アニ/イタ
ル/マデ/チャノ/ミ/バナ/シノ/ケン/カ/ザタ/オト/コ/ダテ/ノ/ムジ/ンノ/.カ
ケ/ステ ・・・)

(修善寺物語)「神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まず我が作に現れしは、
自然の感応、自然の妙、技芸神にいるとはこの事よ。伊豆の夜叉王、我ながら
あっぱれ天下一じゃのう。』(カミ/ナラ/デハ/シロ/シ/メサ/レヌ/ヒトノ/ウ
ン/メイ/マズ/ワガ/サクニ/アラ/ワレ/シハ/シゼン/ノ/カン/ノウ/シゼン/ノ/
ミョウ/ギゲイ/シンニ/イル/トハ/コノ/コト/ヨ●/イズノ/ヤシャ/オウ/ワレ/
ナガラ/アッ/パレ/テンガ/イチ/ジャ/ノウ)

この類似は元禄の荒事が表現するところの時代の空気と、左団次の生きた大正
・昭和の空気がその閉塞した気分において似通っているところから来るのです。
民権運動や大正デモクラシーで個人の意識が高まっていたにもかかわらず・国
家の締め付けが急に強くなり・世相は戦争の方に大きく傾いて 行きました。そ
のような大正から昭和にかけての時代の閉塞感が、元禄のかぶき者のイライラ
した気分ととても良く似ているのです。そのイライラした気分は、この胸のな
かに詰まった熱い心情を一気に吐き出さずにはいられないという・切迫したリ
ズムに なって現れます。その基本イメージはタンタンタン・・と畳み掛けるよ
うな早いリズムです。周知の通り・左団次は新作歌舞伎を次々と上演すると同
時に 、「毛抜」や「鳴神」など歌舞伎十八番の復活にも力を尽くしました 。
歌舞伎十八番の復活は古典が苦手な左団次劇団のレパートリー開拓のための窮
余の策であったみたいなことを書いている論考もありますが、そうではありま
せん。荒事が様式的に左団次の体質に似合っているジャンルであったからこそ
・それは左団次のレパートリーに取り入れられたわけです。そのことが台詞の
リズムの類似から見て取れます。

○アジタートなリズム・中休み:「阿吽の二字」

連載中の「アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズム・その14・荒事の台
詞」において「勧進帳」の富樫と弁慶の山伏問答について考えました。そのな
かで「山伏問答の最高潮は富樫「出で入る息は」・弁慶「阿吽の二字」の箇所
であり、ここで最速ギアに入っていた問答が弁慶の甲高い大声で急ストップが
掛かる・これがまさに荒事らしいアジタートな表現である」ということを書い
たわけです。「阿吽の二字」で急ストップ・ということは「ニジッ」と強く言
い切るということでして、「二ィジィー」と長く引き伸ばさないということで
す。

一昨日届いたばかりの歌舞伎学会誌「歌舞伎・研究と批評・42」を読んでま
したら、次のような中村梅之助の発言が載っていました。梅之助の父・翫右衛
門は富樫を得意としましたが、梅之助が弁慶を初めて勤めた時に「俺は弁慶を
やっていないので・教えるわけにはいかないが・相手役の富樫の立場から見て
弁慶の大事なところをこれから話す・・」と言って教えたそのなかで、「出で
入る息は」・「阿吽の二字」と切るんだ、そうすると「そもそも・・」の前に
息を吸えるんだ、「二字ー」と伸ばすと富樫が息を吸えなくなっちゃう・と翫
右衛門は語ったということです。(中村梅之助:「前進座の戦中・戦後」)期
せずして翫右衛門に吉之助の説を裏付けしていただいたわけで、心強いことで
す。吉之助は残念ながら梅之助の弁慶を見たことがありませんが、「阿吽の二
字」を強く言い切った素晴らしい弁慶だろうと想像します。

「阿吽の二字」を強く言い切らねばならぬのは、荒事の台詞の基本イメージと
して二拍子(細分化すれば四拍子)のリズムからすれば「アウ/ンノ/ニジ」と
なるのですから、「ニジ」を中途半端に伸ばせばリズムが余るし・「二ィジィ
ー」と長く伸ばせば気が抜けることを考えれば、台詞を読めばそれは簡単に分
かることだと思います。しかし、松竹の歌舞伎の方で「阿吽の二字」を言い切
った弁慶を近頃は滅多に見ませんねえ。みんな「二ィジィー」と伸ばしていま
す。ついでに言えば富樫の方も「出で入る息は」の末尾を「ワァー」と伸ばす
感じ に聴こえます。そう聴こえるのはホントは弁慶は富樫の「息は」の「ワ」
の母音に・「阿吽」の「ア」の母音をかぶせる感じで出なくてはならぬの に、
弁慶がそうしないからです。こういうことも出来ていません。最近の「勧進帳」
を見れば弁慶が「二字」を「二ィジィー」と伸ばすので・ここで緊張が緩んで
しまって、「そもそも九字の真言とは・・」で富樫が弁慶ににじり寄る時に何
だか富樫が妙にいきり立ち・しかもその興奮が空回りしているように見える舞
台が多いと思います。例えば平成20年4月歌舞伎座での「勧進帳」の勘三郎
の富樫がそのような感じでしたが、富樫がああいう風に見えてしまうのは、実
は問答全体のリズム設計を維持できていない弁慶(仁左衛門)の方にも責任が
あるのです。

弁慶が「阿吽の二字」を前の富樫の台詞にかぶせるように出て・「二字」の末
尾を強く言い切るということはどういう意味を持つでしょうか。弁慶は「長々
しい問答など無用・何度質問したって俺は答えられるぞ」という感じで富樫の
問いを強く遮るわけです。そう書くと「勧進帳をでっち上げることぐらい弁慶
には簡単なことだ」と書いてある評論と吉之助は同じ意見だと思われるといけ
ないので付け加えますが、実はその逆です。弁慶はこれ以上質問されてボロを
出すと困るから早く問答を打ち切りたい・だからわざと高飛車に出ているので
す。ここは弁慶絶体絶命という場面なのです。だから富樫は緊張を維持したま
ま畳み掛けるように「そもそも九字の真言とは・・」と早いテンポで弁慶を さ
らなる窮地へ追い込んでいかねばなりません。そのためにはその直前の「阿吽
の二字」を「二ィジィー」と引き伸ばされたのでは緊張が緩んでしまうので富
樫は困るわけです。翫右衛門は弁慶に「二字」を伸ばされると富樫が息が吸え
ないと言ったようですが、 「二字」を引き伸ばされると富樫が息をグッと詰め
て「そもそも」をトップギアで一気に切り出す時のタイミングが不明瞭になる
のです。ここは最高潮になったアッチェレランドを急スットプされた音楽がま
た一気にトップスピードに入る・まさにここは急転直下急発進の波乱の音楽で
す。さあ弁慶はこのピンチを切り抜けられるか。だから最後の弁慶の長台詞が
生きてきます。以上が山伏問答のドラマ面からのリズム解析ですが、大事なこ
とは荒事の台詞の二拍子の基本イメージが山伏問答の背後にあるということで
す。弁慶・富樫は 二拍子の基本イメージを意識して問答をしてもらいたいと思
うのです。


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