2009/02/22
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第245号
********************平成21年2月22日発行****
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メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第245号 ◎
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こんにちは、吉之助です。花粉症の季節になりましたねえ。みなさんもお気をつ
けください。
さてメルマガはちょっと間が空きました。現在サイトの方に連載中の「歌舞伎の
台詞のリズムを考える」の方に神経が行っているせいがひとつあります。この連
載のペースはゆっくりですが、内容はかなり慎重に探りながら進めています。従
来の歌舞伎の台詞論からみると・全然異なる視点からの台詞論になると思います。
これも出来ましたらメルマガでお届けをします。
さて本号は昨年(平成20年)12月歌舞伎座での「佐倉義民伝」の舞台からの
観劇随想になります。内容は「子別れ」の乖離感覚で・このことは他の子別れも
の・例えば重の井子別れ(恋女房染分手綱)などにも適用ができます。ただし、
「重の井」の場合は人形浄瑠璃がオリジナルです。宗吾の子別れの場合は本来は
地芝居(台詞の芝居)であるべき世話の場面に竹本を意図的に入れていますので、
より乖離した印象が強くなります。本号ではこのことを考えます。
ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「子別れ」の乖離感覚
平成20年12月歌舞伎座:「佐倉義民伝」
松本幸四郎(佐倉宗吾)、中村福助(女房おさん)
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1)「糸に乗る」ということ
若き日の五代目菊五郎の話ですが、菊五郎が「菅原伝授手習鑑・賀の祝」の桜
丸を演じた時の初日のこと。芝居半ばで「女房共さぞ待ちつらん」と言って桜
丸が奥から登場しますが、八重が密かに隠れていたわけを聞かせてと桜丸が杖
についた刀にすがるので・それを桜丸が振り払います。この箇所で菊五郎が竹
本に合わせて思い入れを決めてみせたところ、奥で出を待っている白太夫役の
四代目坂東亀蔵が「大根め」と言うのが 菊五郎の耳に聞こえました。それで菊
五郎はいろいろ演り方を変えてみるのですが・その箇所になると相変わらず亀
蔵が「大根め」というのですっかりノイローゼになって、菊五郎は三代目関三
十郎(関三)にところに相談へ行きました。関三が「演ってみな」というので
・舞台でやっている通りに演じてみせると、 それを見た関三は「大根め」と呟
きました。「・・舞台で踊ってやがる。」
この逸話にはいろいろ教わるところがあります。ひとつには竹本の「聞きたが
るこそチリレン道理なれ」(チリレンは三味線の手)で桜丸がリズミカルに決
まる・まるで「音羽屋ッ」という掛け声を待っている かのような演技は、死を
すでに覚悟しているこの場の桜丸の雰囲気にそぐわないということが作品解釈
面から言えます。もうひとつは亀蔵や関三のなかに役者が人形の真似を嫌う風
が見えることです。菊五郎に当てようという意識はなかったと思います。神妙
に憂いを込めて・情感たっぷりにきまって見せたと思いますが、その動きが無
意識のうちに糸に乗っていたに違いありません。義太夫の作り出すリズムに合
わせて ・まるで踊るような動きをしていたのです。それを見て亀蔵や関三が「
大根め」と呟いたのは、彼らに「馬鹿野郎、人形の真似じゃあるまいし」とい
う感覚があるのです。
歌舞伎役者が人形の真似をするのを嫌うというのは本当のことです。六代目歌
右衛門が座談会に出席した時のこと。その時のテーマは「歌舞伎と文楽」とい
うことで・文楽の大夫さんも出席していました。ある役のことで歌右衛門が話
をしていた時に大夫が「本行はそこが違いまんねん」と言ったところ、 あのお
しとやかな歌右衛門がギョロと目を剥いて・ドスの効いた低い声で「おらあ人
形じゃねえんだよ」と言ったそうです。周囲は一瞬にして凍りついたそうです。
昔の役者は糸に乗る演技をするのを嫌ったものでした。もちろん義太夫狂言と
いうのは人形浄瑠璃に発するものですから、そのクライマックスにおいて義太
夫は派手にリズミカルな調子になることがしばしばです。歌舞伎役者がそうい
う場面でまったくリズムに合わせないということはあり得ません。また義太夫
のリズムが持つ高揚感を演技に利用しない手はありません。しかし、役者は人
形ではないのですから、義太夫に人形が操られるが如くに演技することは絶対
しないという考え方は昔の役者の意識のどこかに強くあったのです。
誤解ないように付け加えれば、これは歌舞伎役者が人形浄瑠璃を蔑視していた
ということではありません。ま してや人形浄瑠璃において人形遣いが大夫・三
味線に操られているということがあろうはずがありません。しかし、ある低い
レベルの芸能においては木偶である人形が音楽に操られて動かされているとい
う場合があるでしょう。その場合の人形は歌詞や音楽の情感を視覚的に説明す
る道具に過ぎません。歌舞伎役者はそのようになることを嫌ったのです。それ
でなくても義太夫の表現力は凄いものがあります。うっかりすれば義太夫に負
けてしまいそうです。義太夫に負けて・ 演技を義太夫に頼ってしまえば役者は
木偶と同じになってしまいます。それでは人形浄瑠璃を人形に替えて役者が勤
めるだけのことになり、歌舞伎役者が丸本物を演る意味はないのです。ですか
ら「糸に乗る演技はいけない」ということは歌舞伎役者が自らを戒めるために
非常に重要なことでした。誤解ないように付け加えますと、これは歌舞伎が異
ジャンルである人形浄瑠璃 の骨格をそっくりそのまま取り込んだことによるあ
る種の無理 (不自然さ)から生じたものです。これが歌舞伎の義太夫狂言をバ
ロック的な方向に引っ張る力として働くものです。
それがいつ頃からのことでしょうか・最近は「糸に乗る」というのが歌舞伎役
者の褒め言葉みたいに使われるようになってしまいました。昔の役者ならば「
糸に乗ったその演技が良い」などと劇評に書かれたら侮蔑と受け取ったと思い
ますねえ。糸に乗る演技というのは三味線のリズムに乗って・音楽に操られた
人形みたいな動きのことを言いますが、これは本来褒め言葉ではないのです。
歌舞伎には意識してギクシャクした動きをしてみせて・そこに乖離したアンビ
バレントな感情を表現する場面がありますが、その場合でも糸に完全に乗っか
ってしまうことはあり得ないのです。義太夫に合わせるということは・「合わ
せる」という行為自体が既にアンビバレントな状況を表現できていないという
ことだからです。義太夫から離れようとする行為がアンビバレントになるので
す。ですから役者の演技が完全に義太夫から離れてしまうことはもちろん論外
ですが、義太夫に沿いつつ・いかに義太夫から離れるかという意識がどこかに
なければ役者は木偶になってしまうのです。このこと常に戒めなければなりま
せん。
2)子別れの乖離感覚
人形振りのように役者が意識的に人形の真似をする場合・それは自らを木偶に
擬することですから、それは自嘲的な行為なのです。これは見掛けは人間であ
っても・非人間的な状況あるいはどうにもならぬ内面からの欲求の突き上げに
よって操られている木偶 に擬することを意味します。例えば「櫓のお七」の人
形振りがそういうものです。所作事を人形振りで演るということを江戸で初め
て行なったのは安政3年 (1856)11月市村座の「櫓のお七」での四代目小
団次が最初のことでした。人形振りは人形浄瑠璃の盛んな上方では早くから行
なわれていたことで、上方での修行時代の長かった小団次がこの演出を取り入
れたのです。自然で写実な動きを目指すはずの役者が生命のない木偶人形の真
似をして機械的なギクシャクした動きを見せるのは皮肉なことです。ですから
人形振りというのは一種のケレン芸であり、上方においても人形振りは邪道で
あると蔑まれたものでした。だから四代目小団次はケレン芸を逆手に取って挑
戦的に使っ たことが分かります。そこに身を焼かれるような恋心を抑えきれず
・情念に操られるがままの八百屋お七が表現されています。それが表現するも
のは乖離したアンビバレントな感覚です。
人形振りとは・踊り手が人形身の方に引かれるベクトルと・人間に戻ろうとす
るベクトルとの格闘だと見ることができ ます。人形振りにおいても完全に鳴り
物に乗って・人形になり切ってしまうことはあり得ません。このことは歌舞伎
の約束として人形振りは幕切れまで続くものではなく・途中で「人形を解く」
と言って・通常の演出に戻ることでも分かります。つまり役者は木偶ではなく
人間であるということの意識が常にあるのですから、その申し訳として最後に
「人形を解く」のです。
ところで平成20年12月歌舞伎座で「佐倉義民伝」が上演されましたが、久し
ぶりにこの芝居を見て「宗吾内・子別れ」の場で竹本(義太夫)が効果的に使
われていることに改めて感じ入りました。実を言うと吉之助は子役が活躍する
芝居があまり好きではないのですが、今回の舞台は三人の子役さんたちのお行
儀がとても良くて・素直に泣ける芝居に仕上がっていました。幸四郎の宗吾も
・福助のおさんも素晴らしかったのはもちろんですが、今回は三人の子役さん
たちに も拍手を贈りたいですね。
現在上演される「佐倉義民伝」は嘉永4年(1851)8月中村座で初演され
た「東山桜荘子」(三代目瀬川如皐作)を改作したものですが、初演時に宗吾
を演じたのが四代目小団次(当時40歳)でした。「佐倉義民伝」は歌舞伎オ
リジナルの作品で・しかも農民に取材した写実劇であり、派手な衣装も用いな
い地味な舞台で「木綿芝居」と呼ばれたものでした。 このような地味な写実の
芝居に竹本が効果的に使われているのは、実に興味深いと思います。ここで思
い出すのは、これより後の話ですが嘉永7年(1854)3月・河原崎座にで
黙阿弥が小団次のために「都鳥廓白浪(通称「忍ぶの惣太」)」を書いた時に
小団次に執拗にダメを出されて・何度も書き直しを命じられたという逸話です。
その大きな修正点のひとつが序幕「梅若殺し」において竹本を入れたことでし
た。(別稿「四代目小団次の発想」をご参照ください。)竹本の使用は江戸 生
まれの狂言作者には浮かびにくい発想です。吉之助は多分「宗吾内・子別れ」
の竹本使用についても小団次が如皐に指示したのだろうと思います。
歌舞伎オリジナルの写実の芝居に竹本を差し込むのは、考えてみれば奇抜な趣
向です。「子別れ」の哀切を訴えてお客の涙をたっぷり絞ろうというだけのこ
とならば・下座音楽を情緒的に使ってもそれなりに効果を上げることができる
わけで、語り物の性格が強い竹本をわざわざ使うのには芝居を義太夫狂言めか
して渋く骨太い印象を作りたいということがあると思います。この「子別れ」
はもちろん泣ける芝居ですが・決してお涙頂戴のセンチメンタルなものではな
く、 そこにあるのはむしろ胸にグッと迫るところの・怒りにも似た重い哀しみ
です。小団次は「子別れ」に竹本を使用することで、そこに乖離したアンビバ
レントな感覚を表出しようと意図したと思います。 (付け加えれば小団次は「
よそ事浄瑠璃」という手法も好んで用いましたが、これも同様です。別稿「黙
阿弥のトラウマ」を参照ください。とにかく小団次は音楽の使い方のセンスが
抜群なのです。)
「佐倉義民伝・宗吾内」では飢饉と領主の圧政に苦しむ農民たちの窮状を見か
ねた宗吾は、このことを将軍家に直訴することを決意します。しかし、直訴を
すれば家族までも一緒に処罰されることは必至ですから・宗吾は密かに離縁状
を置いて立ち去ろうとするのですが、これを見つけた女房 おさんに突き返され
ます。宗吾はおさんに「どんなことになっても私はあなたの妻である・私はあ
なたと一緒に死ぬつもりである」という覚悟を見せられます。それで宗吾は納
得して江戸に立とうとしますが、今度は何も事情を知らない子供たちがまつわ
りついて来ます。恐らく父親ともう会えないということを雰囲気で察知したの
でしょう。 宗吾の行く手を阻むかのように雪が激しくなってきます。そのよう
ななかで竹本による「子別れ」が演じられます。
暖かい家庭・安穏な暮らしは宗吾が守りたいと心底願っているものです。決し
て宗吾は自分の身を犠牲にして他人のために直訴することを決意したのではあ
りません。それは自分の家族も含めたすべての人々の平和な暮らしを望 むから
こその行為です。しかし、情があって優しい女房・健気な子供たちはもちろん
宗吾にとって一番大事なものに違いありません。ここでの「子別れ」が観客の
心に 強く迫ってくるのは、それが単なる悲しい別れであるからではなく・宗吾
が一番守りたい大事な者たちをも道連れにする(直訴した者は係累まで も処罰
される)厳しい選択をしたからです。それは結果的に地域の人々の平和な暮ら
しのための人柱となるわけですが、それより以前にそれほどまでに宗吾がすべ
ての人々に対して暖かい家庭・安穏な暮らしを切実に望んでいるということで
す。暖かい家庭・安穏な暮らしを切実に望むからこそ、宗吾は愛する家族を犠
牲にしてでも直訴をするのです。
事情を知らない子供たちが「行ってくれるな」とまつわりついて来ます。子供
たちは父親の直訴を阻止しようとしているわけではありませんが、それは父親
の決意を鈍らせる方向へ強く作用しています。女房おさんの「親子は一世とい
うからは・よう顔見せて下んせい」という言葉も宗吾にとって自分の足を引っ
張るように感じられます。もちろん宗吾自身が江戸へ向かわず家で子供たちと
のんびりし ていたいのです。しかし、状況 は切迫しています。直訴のために
一刻も早く江戸へ向かわねばなりません。女房の叫びも子供たちの泣き声も、
本来なら宗吾にとって最も大事な者たちの声が・ここでは宗吾にとって最も忌
まわしいものに感じられます。そこに「佐倉義民伝・子別れ」の乖離したアン
ビバレントな感覚があるのです。
これは次のように考えれば良いと思います。例えば若い修行僧が悟りの道を開
こうと必死で修行をしているところに悪魔が悪さを仕掛けます。悪魔は修行僧
に美しい女性・美味しい食事・名誉・財産などなどさまざまな 甘い幻影を見せ
て、修行僧を堕とそうと 試します。子供たちの「ととさまいのう」という泣き
声は、宗吾にとってそのようなものです。激しく降りしきる雪も宗吾の行く手
を阻むかのようです。言い換えれば宗吾の脳裏に「何か巨大な・自分に圧し掛
かってくる他者的な存在」が強く意識されており、それが子供たちの「ととさ
まいのう」という泣き声を宗吾に聞かせて「どうだ、それでもお前は江戸へ行
こうというのか」と悪魔 があざ笑うかのように感じられるということです。
それが竹本が作り出す「佐倉義民伝・子別れ」の乖離したアンビバレントな感
覚です。そこに小団次が仕掛けた実に巧妙な仕掛けがあるわけです。
別稿「七段目の虚と実」において普通なら世話とされるべき本音(実)の要素
が封建社会の論理によって醜く歪むということを考えました。一力茶屋で由良
助が本音を見せる時・由良助の演技は醜く歪(ゆが)み、これがまさに時代の
如きなのです。「佐倉義民伝・子別れ」も同様 に考えられます。宗吾には子供
たちの「ととさまいのう」という泣き声が歪んで聞こえています。その声は悲
しく宗吾を呼びながら、実は崇高な目的に向かおうとする宗吾を逆に引こうと
する力に作用しています。宗吾はその声の方に強く引かれながらも、その声を
聞いてはならぬと必死になってもがいています。もちろん宗吾は心のなかで泣
いているのです。ですから子供たちの泣き声の力を増幅させる竹本に宗吾は沿
ってはならぬ・つまり糸に乗っ た演技はしてはならぬわけです。幸四郎の宗吾
はそのような「子別れ」の乖離したアンビバレントな感覚を見事に表出してい
ました。このような重い哀しみを秘めた「子別れ」の後だからこそ・上野寛永
寺での直訴の場面が生きてくるのです。
本稿に関連するサイトの記事
「七段目の虚と実」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/butai55.htm
「四代目小団次の発想」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin54.htm
「黙阿弥のトラウマ」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/butai27.htm
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さて次号ですが、昨年11月歌舞伎座での「盟三五大切」に関する観劇随想と
なる予定です。まだ書いてませんが、出来たらメルマガにてお届けをします。
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