2008/10/19
メルマガ「歌舞伎素人講釈」第238号
********************平成20年10月19日発行***
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メルマガ「歌舞伎素人講釈」 第238号 ◎
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こんにちは、吉之助です。
前号にて次は「本朝廿四孝」についての論考をお届けと予告しまして・そちらの
原稿も進んでいますが、今回は気が変わって・先に出来た本稿をお届けすること
にしました。なお文中にある通り、本稿の扇雀は先代(二代目)扇雀・つまり
現・坂田藤十郎のことであります。
ーーー<今回の話題>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
扇雀の美しさ
〜歌舞伎の女形の写実に関する随想
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○扇雀の美しさ・その1:扇雀の「高野聖」
最初にお断りしておくと、本稿での扇雀は先代扇雀・すなわち現・藤十郎のこ
とを指しています。 本稿は藤十郎の美しさについて書くものですが、吉之助の
場合はやはりここは扇雀と書かないと筆にイメージが涌きません。別稿「高野
聖のたそがれの味」で触れましたが、鏡花の小説「高野聖」が歌舞伎で舞台化
されたのは昭和29年(1954)のことで、吉井勇脚色・久保田万太郎演出
で扇雀(現・藤十郎)の美女・蓑助(八代目三津五郎)の若き僧でした。水浴
みの場面で着物を肩まで脱いで・背中を半分くらい見せた半裸姿の扇雀の舞台
写真が残っています。確かに女形の伝統美からは逸脱したものではありますが、
その衝撃はいかばかりのものであったか。その伝説の舞台を生で実際にご覧に
なったYさんからメールを頂戴しました。「その前後の芝居のことは忘れてし
まった のに、この芝居のことだけ強烈に覚えている。扇雀の上半身の肌はきら
めくほど眩しく感じられた」とのことでした。それはショッキングなものだっ
たと想像されます。この感覚は戦後(昭和20年代)という時代と密接に関連
していたと考えられます。
ところで素の美しさを売り物にした「キレイな女形」の先駆けと言えば二代目
松蔦を思い出します。松蔦は二代目左団次の相手役として・大正期の新歌舞伎
になくてはならない存在でした。「松蔦のような女」という言葉があったくら
いで、松蔦の美しさは当時の学生の憧れの的でした。ところが、折口信夫は松
蔦についてこんなことを書いています。
『生涯娘形で終るかと思われる位小柄で美しい女形であった。だが松蔦の美し
さは素人としての美しさに過ぎなかったのである。こうした美しさは鍛錬され
た芸によって光る美しさではなく、素の美しさで、役者としてはむしろ恥じて
よい美しさである。』(「役者の一生」・折口信夫全集・芸能史篇)
役者はいつまでも素の美しさを誇っているだけでは駄目で、年齢を経るにした
がってそれが芸による美しさに置き換わっていかなければなりません。しかし、
ある年齢においては役者の素の美しさの方が勝つ時期も確かにあるでしょう。
松蔦は若くして亡くなりましたから 、折口信夫には素の美しさのイメージが強
く残ったかも知れません。折口信夫は「昔は女だか化け猫だか分からない汚い
女形が多かったが、最近は美しい女形が多くなった」と書いています 。ある時
期からエグい味の女形が敬遠されて見た目の美しい女形が次第に求められるよ
うになったことは事実です。 それが時代の要請であったのです。松蔦はそんな
流れから登場した新しい感覚の女形でしたが、もうひとつ忘れてはならないこ
とは・松蔦の美しさの源は当時の生き生きとした女性の感覚にあったというこ
とです。大正期の男子学生のお目当ては松蔦の素の女性美だけだったと考える
と誤解を生じます。それは当時のモダンでヴィヴィッドな感覚の生身の娘さん
のイメージと密接に結びついており、そうしたイメージを若き学生は松蔦の演
じた新歌舞伎の女性に重ねて見ていたわけです。(逆に言えば新歌舞伎に登場す
る女性たちはそのような感覚を重ねて・読まねばならぬのです。)
同じように若き扇雀も「扇雀のような女」ということが言われました。その名
前を冠した飴(扇雀飴)が出たくらいで、当時の人気は凄まじいものでした。
そのきっかけは もちろん昭和28年の宇野信夫脚色による「曽根崎心中」です。
「曽根崎心中」初日のこと、お初・徳兵衛が天満屋を抜け出す緊迫した場面で
興奮した観客から「早く、早く・・」と声が掛かり、初日の熱気に演じる方が
当てられてしまって、思わずお初が徳兵衛の手を引っ張って花道を引っ込んで
しまいました。心中物では男が女の手を取って花道を引っ込むのが歌舞伎の通
常の型ですが、思わぬハプニングが新鮮な感動を呼んで、以後の本作ではお初
が徳兵衛の手を引いて花道を引っ込むのが型になってしま いました。この「曽
根崎心中」の成功は海老蔵(十一代目団十郎)の「助六」・芝翫(六代目歌右
衛門)の「籠釣瓶」と並んで・昭和20年代の歌舞伎の特筆すべき事件でした。
この「曽根崎心中」での花道引っ込み(お初が徳兵衛を手を引っ張って引っ込
む) が観客に与えた衝撃がいかに大きかったかは、婦人参政権の獲得・男女同
権という戦後の民主主義の流れを踏まえて・初めて理解ができます。
その翌年の「高野聖」での扇雀の半裸は、当時「本物の女より美しい」と言わ
れた扇雀の魅力(ただし女形本来の魅力ではないところの女優代用品としての
扇雀)を売り出そうという興行側のいささか不純な動機が背景にあった のは確
かです。当時は映画隆盛の煽りを受けて上方歌舞伎は急速に衰退に向かいつつ
あり、そうしたなかでの扇雀人気はいろんな形で波乱を巻き起こしました。「
高野聖」では鶴之助(現・富十郎)が配役を巡って抗議したとかいろいろ騒ぎ
もありました。ですから現・藤十郎も「高野聖」にはあまり良い思い出がない
だろうとお察しもします。しかし、それはともかくとして「高野聖」での扇雀
の半裸が当時の観客に与えたショックというものは、やはり戦後民主主義と深
いところで関連していると吉之助は思います。
○扇雀の美しさ・その2:セクシーな女形
ひとつにはアメリカさんがやって来て江戸からずっと引きずっていた封建主義
の尻尾が断ち切られたという感覚から戦後日本の民主主義が出発したというこ
とがあります。まあそれは今から見れば幻想もあったわけですが、当時はそう
感じられた時代でありました。そうした雰囲気が歌舞伎に影響しないはずがあ
りません。一番影響を受けたのは女形の存在です。もともと女形というのは 幕
府が女優を禁止したから仕方なく出来たもので、本来ならばあり得ないものだ
からです。「男が女をやるなんてそんな不自然なものは止めてしまえ・今は男
女同権の時代だぞ・ 女形なんて時代遅れの遺物だ」という声が起きるのは当然
と言えば当然のことです。男女同権によって歌舞伎の女形存続の根拠が失われ
たのです。このような時代に対処するために多くの女形はこれを伝統的な 特殊
技能として割り切る形で対処しました。歌右衛門だけは時代に挑戦的に対峙し
ましたが、これについては別稿「歌右衛門の今日的意味」を参照ください。一
方、扇雀の場合はまだ若いので・素材としての要素が勝つわけですが、扇雀は
実に素直な感性で民主主義の感覚を取ったと思います。女形を不自然と思わせ
ない素の美しさがあったということです。どこか「お隣りのキレイなお姉さん」
的なイメージがあったと思います。
こうした感覚を扇雀を育てた武智歌舞伎の観点から見てみます。武智鉄二の理
論からすると女形が素材として美しいかどうかということは本来必要条件では
ないはずです。女形にまつわりついた虚飾の技術・グニャグニャした身振りと
か・「じゃわいなあ・・」という言葉遣いなどを武智は嫌いました 。武智は古
典的なスッキリしたイメージを女形に求めたと思います。こういう感覚は戦前
は「女は女らしく」と言われて・内股でチョコチョコ走らないと・おしとやか
と言われなかったものが、戦後は外股で歩幅大きくサッサと歩くのが「いい女」
になったのと同じ感覚です。それでも歩いている女性という本質は変わらない
はずだとするのです。武智の「女形不要論」(昭和31年)はそのような戦後
感覚で・芸の本質をアンチテーゼ的に問うものでした。つまり、歌舞伎に女優
が参画しようと思えばそれができる男女同権の時代になった今・ジェンダーな
虚飾の演技は女形に必要かということが武智の問いなのです。ところが、そう
した女形の虚飾の要素を剥ぎ取り・女形の芸をシンプルに突き詰めていくと、
「女に見えるか見えないか」という素材の要素が逆に現実的な問題として浮き
上がってくるということが言えます。やはり女形は素材として美しいに越した
ことはないという結論になってくるのです。
吉之助が歌舞伎を本格的に見始めたのは昭和50年代ですから・武智歌舞伎時
代の扇雀はもちろん知る由もありません。しかし、昭和50年代の扇雀もやは
り素材として生身の女性に近い感覚を強く感じさせました。これは扇雀が藤十
郎となった現在でも同じです。扇雀という役者は素材として色気があって・セ
クシーなのです。なるほど「一生青春」をキャッチフレーズにする役者さんだ
けのことはあります。
○扇雀の美しさ・その3:美しすぎる女形
思い出すのは平成18年(2006)1月歌舞伎座での坂田藤十郎襲名での「
伽羅先代萩」において、我が子千松を刺し殺された政岡が八汐に「政岡、現在
のそなたの子(殺されて)悲しうはないかいの」と問われて、「何のマア、お
上へ対し慮外せし千松、ご成敗は御家の御為」と答える場面です。この政岡の
台詞を男の地声で強く言い切った藤十郎の政岡の演技は圧巻というべきもので
した。政岡が背負う時代の状況は・女優にはとても表現できないほど重いもの
です。藤十郎から発せられた男の地声はグロテスクを感じさせ、それが政岡に
課せられた引き裂かれた状況を 見事に表現しました。まさに女形にしか出来な
い表現でした。
しかし、この場面では吉之助はこういうことも感じました。藤十郎の視覚的な
美しさはちょっと生(なま)な写実的な美しさであるので、その美しさと男の
地声のグロテスクさに感覚的な齟齬があるということです。その齟齬がバロッ
ク的と感じられるならば・それは女形の本質に沿うわけです。確かにそう言え
ないこともないのですが、吉之助は藤十郎(扇雀)の演技に感嘆しつつも・例
えば 藤十郎が亡くなった九代目宗十郎のような古風な容姿の女形の政岡ならさ
ぞかしバロック的な感覚が強烈に感じられる政岡になるだろうに・・・という
感じがないわけではなかったのです。芸とは関係ないところで・藤十郎は素材
としてちょっと美しすぎるということです。 生な美しさがちょっと邪魔になる
のです。いや芸とは難しいもんだわという気がしました。
実は吉之助は武智理論のストイックな女形のイメージと扇雀の生身の女のイメ
ージに齟齬がある感じをずっと持っています。もちろん扇雀は武智仕込みのし
っかりした技芸を持っています。その技芸に問題があるということではありま
せん。味付けを抑えたシンプルな料理では素材の良し悪しがその出来を直接的
に左右するように、虚飾の要素を剥ぎ取ったシンプルな女形の技芸ではむしろ
役者の素材としての美しさがより重要な要素になってクローズアップされてく
るということです。いずれにせよ・その辺に理論と実践の難しい問題が潜んで
います。これは武智理論の問題でもあると言えるかも知れません。
○扇雀の美しさ・その4:写実の女形の幻影
武智鉄二の女形観は(弟子である吉之助も同様ですが)古典的でストイックな
もので、どちらかと言えば文楽の人形に近い感覚から発しており・そこからバ
ロック的な方向へ視点を取るという感じがあるかも知れません。本稿は女形の
外見的な美しさ だけを論じているので・他の要素については別の機会とします
が、そう考えれば扇雀の美しさというのは肉感的で・肌の温もりを感じさせる
もので・感覚的に健康なものであり、そこにグロテクスで不健康という印象は
ありません。一方・女優には演じることが出来ない政岡は女形の虚飾の技術を
尽くした役どころでグロテスクな要素を強く持っていますから、その辺に視覚
的な齟齬があるようです。吉之助が「生な美しさがちょっと邪魔になる」と言
うのはそこのところです。
しかし、このことは扇雀の美しさが歌舞伎の女形として邪道であるということ
を意味しません。別の視点で見ると・武智の女形観は女優参加が禁止される以
前の歌舞伎の写実への憧憬を強く持っており・それが幕府の政令によって禁止
されて・写実の表現が無理やり捻じ曲げられたためにやむなく生じたグロテス
クで歪んだ虚飾の技術がいま女形の美の本質と言われるようになってしまった
という史観から発しています。ですから素の美しさを何の疑念もなく・素直に
提示して・それでそのまま通用してしまう容姿を持つ女形というのは、まさに
武智が憧憬するところの 創成期の歌舞伎の写実の原点を想起させるわけです。
それが若き扇雀という存在であったと思います。武智の「女形不要論」(昭和
31年)の文章は直接的にはその前年に「東は東」を狂言様式で演出した時の
萬代峯子の演技の素晴らしさをきっかけに論が書き出されていますが・実は萬
代のことは論の取っ掛かりに過ぎません。それ以前に扇雀との出会いがなけれ
ば武智の「女形不要論」は成立しなかったと思います。その意味で扇雀も萬代
も「女形不要論」も戦後民主主義そのものなのです。
当時の歌舞伎の世界で武智の「女形不要論」の本意は理解されたとは言えませ
んでした。「女形不要論」をきっかけに評論家の戸部銀作氏との間で交わされ
た討論はほとんど論点がかみ合わず・議論らしい議論にならずに終わってしま
いました。それは戸部氏がジェンダーな虚飾の技術が定着した後の歌舞伎と女
形の関係を歌舞伎の本質(最初からそのようにしてあったもの)とする立場に
固執するばかりであったからですが、多くの人が武智の「女形不要論」を戸部
氏同様に受け取ったと思います。しかし、もし「女形不要論」が 若き扇雀のこ
とをきっかけに書き出されていれば、武智の本意はもう少し理解されたかも知
れません。
そう考えれば扇雀に点が入る役どころは、写実という観点においてやはり「曽
根崎心中」を始めとする近松の世話物の役どころになるのは当然です。それは
享保の初代富十郎以前・すなわち内輪歩きなど女形の虚飾の技術が発達する以
前の役どころだからです。ですから昭和28年に扇雀が「曽根崎心中」を引っ
さげて登場し大ブレークというのは・まさに戦後という時代がそのような女形
を求めたとしか言いようがないものでした。そこで話を振り出しに戻して扇雀
の「高野聖」の美女の半裸姿のことですが、たとえそれが一時の仇花の美であ
り・決して女形の形として定着することがないものであったとしても、若き扇
雀の肌の美しさには 創成期の歌舞伎が夢見た写実への憧憬があったに違いない
のです。
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