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鉄道の旅についてのあれこれを、ちょっとノスタルジックに お送り致しますメールマガジンです。 筆者は汽車旅歴30年余、夜行列車ファン。

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2008/04/30

[kisya-tabi ]


今回はプレミアムで出している「旅鉄」のサンプルをお送り致します。



[東海道本線1列車 寝台特急"富士"  ] 
 






[夜行列車の愉しみ]


列車は特急としてはゆっくりとした速度で進行しているが、却ってそれが心地よく
感じられる今宵、そろそろ夜行列車に乗っていると実感できる時間帯に入っている。
ひとそれぞれ、だとは思うが筆者にとっては、深夜運転に入って減光された車内、
ひっそり閑とした寝台車の廊下に乗客の寝息が微かに聞こえるような
そんな時間帯が夜行列車に乗っていて一番楽しい、と実感できる時間帯である。
もっとも、盆暮れや夏休みの北海道夜行や、583系臨時などは賑やかだから
ちょっとイメージから逸れるし、座席夜行などもこんなイメージからはちょっと遠い。
そのあたりは筆者の夜行列車体験というのは東北特急の乗車経験がもっとも多かった
から、と言う事が理由になると思う。まだ20系だった「ゆうづる」の軽快な走行感と
夜のイメージ、汽車の中で眠ると言う特別な時間...それはまさに「旅」と言う別世界への
移動として大変感動的なもので、多感な少年期に車上でこうした時間を多く過ごして来た
から、そんなイメージを持つのだろう、とも思う。





人は、生後記憶したある良いイメージを追い続けるものだと聞くし、そのようなイメージを
持つ事が幸せなのだと言う説を紐解くまでもなく、筆者個人的イメージの至上存在は
夜行の旅、その瞬間であろうと思う...



今、またそうして過去のイメージを想起するために列車に乗車している。
この瞬間こそが生きている、そう思える。あとの時間は皆、待機時間だ....








.....さて、そのような中年の寝言をヨソに(笑)
列車はすこし速度を上げて、次の停車駅を目指している。
そろそろ中京圏を過ぎて近畿圏にさしかかる頃だ。
夜闇の中、車窓風景はただ照明と都市の電光看板だけが沿線の様子を知る手がかりだ。
深夜と言うにはまだ早い時間だが、こんな時間に寝台に寝ころんで空を見ていると
夜が本当に暗いものだと言う、至極当然な状態を認識する事が出来る。
日常、人工光源の存在がいかに不自然な環境を作っているかと言う事を考えさせられるような
瞬間である。B寝台個室の上段は車両屋根に沿って窓硝子が開かれているから
窓に沿ってごろり、と寝ころぶと架線が高速で彼方に行き過ぎてゆき、時折上り線の列車の前照灯が
黄色く灯ったかと思うと、びゅん、と行き過ぎて行ったりして..
よく電線が切れないものだ(笑)と感心する。





-----memo------

*電線が切れない。

なぜ切れないか、と問えば「切れる前に交換するから(笑)。」だと
知り合いのJR電気設備保守作業員は言うが、これではとんち問答のようだ。
架線はいつもご覧になられているように銅ベースの合金で、若干鉄などが含まれており、
パンタグラフは相対的にはそれより柔らかい素材なので、架線のダメージは少ない、そうだ。
何故かと問えば架線を交換する方が大変だから、だとか。
新幹線電車などは対地速度300km/hで走行するから、架線とパンタグラフの相対速度も
また同じ、である。このような原始的な給電方式でなく、非接触式などは実用にならないのだろうか?
と問うて見たりもするが、給電方式の変更より前に給電不要のリニア・モーターなどに
駆動方式が変化する方が先、かもしれない。

*20系「ゆうづる」
北海道連絡特急として「はくつる」東北線経由を補間する存在として
一時は7往復を数えたこともあったから、筆者のような沿線住民としては
なじみ深い東北特急でもあり、一時蒸気機関車C62型の牽引などでも
古くからの鉄道ファンには存知の存在でもあり、近年583系リバイバル特急
「ゆうづる1号」で若い鉄道ファンの認知度を上げた列車である。
列車名の由来が文芸作品でもあり、特急ヘッド・マークが夕暮れに飛去する鶴の意匠でもあり
どこかしらロマンティックなイメージ漂う列車でもあった。青函トンネルの完成に伴い
「北斗星」へと発展解消したが、こちらは東北線経由であるから少々イメージが異なる。
常磐線経由と言うと、上野駅周辺の下町を見下ろしながら右に急カーブして行くあの感じ、
そして上り列車だとその風景や、工場の煙、お化け煙突(と、当時呼ばれていた沿線火力発電所の
煙突....煙突が複数合って、列車がカーブしてその周囲を走行すると煙突の本数が増減して見える)
を見ながら下車の支度をするあの感じ、などがいかにも常磐線経由、と言う雰囲気で
B級映画のようなイメージ、であった。もう一方の東北線経由「はくつる」が
上野を出ると一直線に東北線、尾久、田端などの大規模な操車場を横に颯爽と
併走する国電を追い抜いてスピードを上げて行くのと対照的で
どこか土臭い、それだけに親しみのあるイメージの常磐線経由「ゆうづる」であった。
20系、24系、583系と使用車両が変わってもそのような印象が強く、
シャトルバスのように通勤特急が走る現在の常磐線とは全くイメージが異なる。
当時の常磐線では夜間、線路が比較的空いていたのだろう、臨時夜行などもよく
企画されて筆者も座席夜行などで青森へと向かったものだった。
混雑していて座席が見つからずにデッキに座っていると、知り合いの車掌が見つけてくれて
車掌室の空いているところで眠らせてもらったりしたことや、深夜の駅でドア扱いをさせて
もらった事、など、今思い出すとのんびりとして良い時代だったと思う。
筆者も当然のように将来は国鉄マンになるものだ、と思っていたので、10年後には
常磐線夜行に乗務し、こうしてドア扱いをしている筈で、その時に今日の事を感慨深く
思い出す事だろう、と思いこんでいた。が、国鉄が無くなってしまい、当面人事採用は見送る、
との事でその夢は文字通り霧散してしまった。今でも時々夢を見る事がある。
特急「ゆうづる」のドア扱いをしている自分の夢を..と、少々語りすぎましたね(笑)。

---------------------






列車は少々遅れ気味ながらもスムーズに進行している。
回復運転のような雰囲気ではないのは、どうやらまだ深夜域ではなく、
行く手に多数の列車が存在しているから、のようだ。
それは合理的判断で、速度を上げて閉塞区間に当たり停止するよりは
一定速で進行して、停止信号に当たらないような運転をした方が良い。
寝台列車としてはなおの事で、まだ遅れは30分に満たないのであるから
深夜運転域、山陽本線区間に入ってから挽回はできると考えられる。
鉄道車両の場合、制限速度を多少越えたところで逮捕はされないから
少々の事は大丈夫、である。
(否、しかし事故が発生すると大問題になるが)




 



-----memo---------

*速度制限。


新幹線とは異なり、CTC化されていない在来線では多少の速度超過は
制限の無いところでは問題にならない、と、いうより、制限がないのだから
運転士の裁量に任されている部分が大きい。
例えば、青函トンネル内では140km/hで走行する列車でも、地上線での
最高速度は120km/h、なんていう例もある。国鉄時代に定められた規格で
非常ブレーキ作動時に600m以内で停止しなくてはならない、と言う規格の基に
最高速度が定められているが、トンネル内で非常ブレーキを掛ける事態が発生する可能性が
低い事、などからこの規制が若干緩和されていると言う事である。
この規制は現在でも遵守されており、ブレーキ管圧力が国際規格で5.0kg/cm2(490kpa)と
定められているために、高速列車では制動能力を空気ブレーキに頼る事は困難な
状態となっている。現在の所最高速度を更新する車体が電車ばかりなのは
こんな事情も関係しているか、とも思える。客貨車に電気ブレーキを搭載するのは
ちょっと難しい設計になるか、と思えるからである(JRFでは電車方式の貨車を開発している、とか)。


*CTC。
列車の運行を地上から把握、指令により制御する方式であり、新幹線電車、
山手線などに採用されている。速度指示、停止指示などが信号として送られるので
運転士はそれに従って操作するが、非常時の自動制御など安全性の高い方式である。
しかし、このシステムの根幹をなすネットワークそのものは旧来と同じく軌道回路と信号であるので
近年、このシステムのインフラストラクチャーそのものを刷新するべく開発が行われ、
その一つの成果がデジタル制御によるCTC、である。

*電気ブレーキ。
機関車方式では全く高速化が不可か、と言うと否であり、TGVの例などを見てもそれと分かるが
そちらは固定編成なのでほとんど電車の付随車、無動力車が増えただけと言う見方もできる。
機関車と貨客車を自在に連結する方式であると、やはり編成のすべてを制御するような
電気ブレーキシステムを採用するためにはすべての車両にシステムが搭載されていなければ
ならず、日本の現状では固定編成以外には採用は困難、であろう。
レールブレーキ、渦電流ブレーキなどを採用するとしても、電源をどこから得るか、制御は
どうするか、旧来車輌との混結は、と問題は多く、それならば電車方式を採用するという
帰結は妥当であると考えられる。


*事故発生時

不公平なようだが、大抵事故発生時は運転士の責任問題にまで波及するから
運転士と言う職業、鉄道では花形職種だが大変な職場である。

このため、国鉄時代は動力車職場は特別な存在であり、運転士は別格の扱いであった。
後に電車運転士が増えてきても、電車職場がもともと客車職場と同じ位置づけであったために
格下視され、なかなか機関車職場から移行しようとする者は出なかった。

また、待遇面でも運転士は別格である事はすでに述べた通りで、運転時間は5時間30分が基本であり
規定時間を勤務すれば8時間労働と見なされた。
(が、現実にはダイアなどの関係で超過勤務の連続であるから超過分は賃金に反映される訳である。
このあたりは今のJRでも似たようなものだと思うし、他の公共交通機関、バスタクシーなどの運転手も
同じようなものだと思う。ちなみにバスの場合は基準5時間30分〜6時間30分と言う所が多く
タクシーは6〜7時間30分勤務、と言うところが多い。)

このような職場の特殊性のために機関車職場だけで動力車労働体、と言う労働組合が発足したのも
自然な事である。国鉄時代末期は特に労働組合の発言力が強くなり、さまざまな紛争が生まれた事を
古くからの鉄道ファンなら記憶されている事と思うが、国鉄では労働組合が複数存在していたので
労使問題をいっそうややこしくしていた感もあった。組合同士で組合委員の取り合いや小競り合いなど
の紛争もあり、なかなか複雑。このため、国鉄当局も人事などにも組合の顔色を伺うと言う有様で
運転管理などの職種に組合員を配置するのが慣例となっていたし、その人事権を実質的に持っていた
のが組合幹部だったと言う、少々興味深い事実も存在する。まあ、現業公務員には労働基準法が
適用されるとは言うものの、当時の国鉄は少々組合の力が強すぎた感もある。

---------




[深夜の車内]



さて、深夜と言うに相応しい時間のはじまりである。夜行列車に乗車していて、一番楽しい
瞬間がこんな時刻の経過だろう、と筆者は思う。それも、旅に向かう夜行列車で深夜、
漆黒の闇の中を走る列車に乗車して車窓を眺めるだけでも実に解放的だ、と思う。

これまで長らく乗車してきた24系25型編成と、14系15型編成が連結されているとは言っても
外見的な違いはさほど感じられないし、オハネ15-1000番台などはオハネ25型からの
改造車である事からも分かるように乗車していても違和感はない。
ただ、深夜の車内を歩いていて「富士」と言う表示の列車で床下ディーゼル発電器が
唸りを上げている様は、ちょっと新鮮な感じがするし、外から見てもスハネフ15型、白いラインの
最後尾車両にテールサインが「富士」と出ているのはなんとなく臨時列車に乗っているような
不思議な感じがする。
スハネフ15型の車両端に行ってみると、やはりディーゼル発電器の音は車内に聞こえてくるが
一定回転で動作しており、走行中の車両だとそれほど気になるような音ではない。
このあたりは個人差があるが、気にならない音、一定の音質、音量の音は感じにくくなると言う
人間の耳の特質によるものであろう、と考えられる。


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